闇の室
いつもありがとうございます。よろしくお願いします。
水の滴る音。
パラパラと転がり落ちる砂岩。
数十万という人々の執念が1つの山を丸々飲み込んだ結果こそ、この壮大な迷路だ。
今も尚かつての傷跡を抱えながら、今昔を貫く永劫の形としてそこに在り、客人を迎え入れる宮殿のように鎮座している。
ヴィオラは銃を片手に、山のように放置された錆だらけのツルハシを見つめた。
足元に漂うガスに阻まれて見え辛いが、べっとりと張り付いている血糊くらいは視認できるものである。
傍で座り込んでいるアレキサンドライトはまた痛ましい表情を浮かべており、閉鎖当時の惨状が思い起こされた。
「お前。骸骨と睨めっこしたところで何も得られねぇぞ」
「分かっています。しかし、モンテドーロの君主としては……このような判断を下した当時のオーラムに賛同できません」
「いつだったっけか?」
「……およそ50年前のことです。大体、先先代のオーラムの治世に当たるでしょうか。私の父やアンドレアさん、クリスタルさんの恩師に当たる方です」
そう言うと、彼女は眼を瞑ったまま立ち上がった。
口元こそガスマスクに覆われて殆ど視認できなかったが、その声音からして軽口を叩くような余裕はないようだ。
「ふぅん。50年前ね。旧帝国が崩壊したのと同時期か」
「歴史がお好きなのですか?」
「いいや。寧ろ嫌いだ。ただ、戦争に関連する武勇伝だったら多かれ少なかれ仕事場で聞いて来たからな」
「成る程、道理で」
分かり易い道標として一先ずトロッコのレールを選んだ彼女らは、腐り切った木と、穴だらけのコンクリートで無造作に塗り固められた坑道を慎重に進んで行く。
良い意味では飽きが来ず、悪い意味では起伏に富んでいるこの洞穴は、確かに安全とは言い難い。
一攫千金の為とはいえよくもまぁ、このような環境で働こうと思うものである。
職業柄、悪辣な環境での仕事も多いとはいえ、ヴィオラの顰めっ面は加速するばかりだった。
「ん……?」
進行方向の先で、小さな石が谷底に吸い込まれていく。
しかしそれは、単なる偶発的なものではなかった。
確かに聞こえたのはそう、同時に布のようなものが擦れ合う音。
各地の柱に巻きつけられたモンテドーロの旗が偶然にも擦れ合った可能性は?
「……何か、居ますね」
いや、いいや。
そうではない。
悲しきかな、そこには生物の温かみが存在している。
尤も、その暖かさは冷徹な視線と共に運ばれてくる付随物に過ぎないのだが。
「誰ですか?ここは、私が指定した10人以外立ち入り禁止であるはずですよ」
「先に言っておくが、アレキサンドライトと違って私は部外者だ。誰であろうと容赦無く撃つぞ」
返事はない。
そして、音もまた再び過ぎ去った。
暫時、2人はその場に留まって周囲を警戒する。
背後の闇が揺れた。
「……!」
1発の銃弾が数メートル先の暗闇を引き裂き、炸裂する。
だがしかし、響いて然るべき苦悶の声はいつまで経っても聞こえてこなかった。
地底から響き渡るような、低くくぐもった足音、唸り声。
脳内の記憶をいくらひっくり返しても、このようなサウンドに類するものは思い浮かばない。
粘っこく、それでいて悪辣さと無垢さを兼ね備えたような気配だ。
どうあれ、2人が抱くのは不快の2文字だけだった。
「何かが近づいて来ています……警戒してください、ヴィオラさん」
「ああ、分かってるさ」
背中を合わせて互いの視界を補いながら、今にも眼の前へと飛び出してくるだろう正体不明の何かをじっと観察する。
音は、背後からも、眼前からも、押し潰すように震えている。
発砲音に惹かれたのか。
火薬の香りに誘われたのか。
人間の体温を求めているのか。
原因は分からないが、少なくともすぐそこに居る何かの眼は、およそ人間性を失った化け物のように爛々としていた。
「……」
「これは、まさか……?」
闇に慣れた眼が、唸る怪物の輪郭を捉える。
見え上げんばかりの筋骨隆々とした身体付き。
今にも食らいつこうという風に見開かれた瞳は10個近くあり、ガスマスク越しでも感じられる程の悪臭が漂っていた。
それが、進行方向と後方から1体ずつ、虎視眈々として立っている。
「チッ。何だって、最近はこういうのとばっか会うかな。霊なんざ信じねぇはずだったのに、これじゃあ居てもおかしくねぇって思える」
「ヴィオラさん。お待ちください」
「あ?こいつらの正体が何であろうと、私らがくたばってたら世話ねぇだろうが」
「……」
アレキサンドライトは、ヴィオラの言葉を胸に留めながら一歩踏み出した。
彼女の左手は洞穴の壁に当てられており、微かな振動が床から伝わってくる。
「見えますか?彼らの、3つも4つもある顔が」
「見えるさ。夜目は利く方だからな」
「その中に……見覚えのある顔はありますか?」
「……」
ヴィオラは敢えて、答えなかった。
彼女の言わんとしていることが何か、分かっていたからだ。
無論、彼女自身は、前方に聳える怪異と同じ顔をした人と会ったことなど一度もない。
「私には、あります。彼らは……」
それ以上を口にしようとして、少女は口を噤んだ。
あれも、これも。中には本当に見たことのない顔もあるが、その中の多くは、記憶に残っているものばかりだった。
それが、この巨人が何なのか、少なくともこの巨人が何を材料にして生まれたものなのか、を物語っている。
ヴィオラには、冷静に銃を構えてナイフを抜くだけの余裕があった。
アレキサンドライトもまた、クールに眼前の事象を見定めていたが。
彼女程、この芸術の作者に対して怒りを覚える者など居ないだろう。
「私が言えることは1つだけだ」
「はい」
「オーラムの身も危ない。急ぐぞ」
「ええ、無論です。……ただ彼女は、あなたが思う程ヤワな人ではありません。早く、彼らを解放して差し上げなければ」
「解放、か」
「それ以外に適切な表現がありますか?」
それはイボだらけの赤く太い腕を振りかぶり、地を蹴る。
アレキサンドライトは視線を怪物に合わせたまま、岩壁より一振りの剣を引き抜いた。
紫空と紅海が混じり合う天地の剣。
光纏わずとも、その刀身の美しさは圧倒的なものだ。
「お前、それ……」
「他にご提案は?」
「……いや、それでいい。お前以外誰も居ないなら、私も気兼ねなく能力が使えるしな」
「分かりました。それでは、参ります!」
鬼神のひしゃげた手がアレキサンドライトの身体を捉える。
ただ、その瞬間炸裂したのは彼女ではなく。
化け物の手であり、腕であり、肩であった。
*
「ふむ」
俯き、口を噤みながら岩肌を見つめていた老人は、ふとその向こうに目を向けると静かに声を出した。
付人の持つ灯火が揺れる。
洞穴の中は、相変わらず静かだ。
「あのー……」
「どうされましたか?」
「……いえ。失礼しました」
廃坑の調査員に選ばれただけでも酷く緊張するというのに、まさか2人組の相方が最高会議の役員とは。
数時間前、家族と抱擁を交わした時から既に覚悟は決まっていた。
寧ろ、緊張から一周回って冷静になってしまう。
私は、私に見合わないレベルの重責を背負っているのだ、と。
「ハハ。申し訳ありません」
クリスタルさんは目端に皺を寄せながら笑った。
私のせいで、緊張の糸が切れてしまったのだろうか。
いや。彼はその程度のことで気が散ってしまうような人ではない。
「置いてけぼりにしてしまいましたね」
「いや、いやいや!大丈夫です!」
「そうはいきません。あなたはもしかすると、私との地位の差に慄いているのかもしれませんが、死は誰に対しても対等に訪れるものですから」
「……」
揺れる炎に照らされたクリスタルさんは、柔らかな表情を浮かべつつも真剣にそう言っていた。
「思うに、ランプを投げ出して地上に戻ろうとしないだけ、あなたはずっと勇敢なのでしょう。あなたもきっと、この廃坑に溢れる大いなる違和感を感じ取っているはずです」
「……そ、そんなことよりもです!何か気になることでもあったんですか?」
そんなことよりも?
現に2人へ降りかかっている、眼を逸そうにも逸らし切れない程の圧力。これ以上に大事なことがあるか?
ただ、話を逸さずにはいられなかった。
「先程のことですか?いえ、もう問題はありません。あのお二人であれば、多少の障壁など意に介さないでしょうから」
「あのお二人?」
「ええ。まぁ、さして重要なことではありませんよ。進みましょう、遅れを取ってはなりませんからね」
「わ、分かりました!」
拒否するわけにもいかない。
私は、再び前方に向き直ったクリスタルさんの少し前に立ち、ランプを翳す。
場合によっては、私が彼を守らなくてはならないのだ。
それが、クリスタルという大物にあてがわれた私の責務である。
「……と、そうでした。あなたのお名前はアルフレーダさんで間違いありませんか」
「はい、アルフレーダ=トレントと申します。名前を覚えていただけているなんて光栄です」
「良い名前ですね。その名前を大事にされると良いでしょう。私のように、本来の名前を捨てて組織に人生を投資するのも悪い選択ではありませんが」
「名前を捨てて……」
確かに、言われてみればクリスタルさんの本名を自分は知らない。
同じく、ボスのものも、ペリドットさんのものも、スピネルさんのものも、他の役員の方々のものも。
皆、その宝石の名前を自分の投影とし、それに殉じていくのだ。
「私の名前には……かの大英雄のように他人を助け、自分を成長させる、そのような人物になって欲しいという願いが籠められていると聞きました」
「ええ。私もそうなのではないかと感じていました。アルフリーダ=アンデルセン。四獣の一角を単身で討伐し、大陸中を周遊し、遂には分裂状態だったアウローラ山脈をその剛腕で纏め上げた空前絶後の大英雄。あなたの勇気は、彼女のそれに引けを取らないものでしょう」
「そ、そんな!褒め過ぎです……」
私は思わず、恥ずかしさのあまり顔を赤らめた。
アウローラ三君主連邦の創建者、アルフリーダ=アンデルセン。
彼女が残した数々の冒険譚は、今や大陸中で語り継がれている。
私だって、幼い頃は絵本で幾度となく読み、憧れたものだ。
そんな人物に、引けを取らないなどと。
比べるという行為そのものが烏滸がましい。
ただ、悪い気はしなかった。あのクリスタルさんに褒められているのだから。
少しの高揚感が、暫し私の抱く恐怖と緊張を忘れさせてくれる。
「でも、期待に応えられるよう頑張ります!」
「ふふ。私はもうこの通り老人ですから。若者がそのように前向きでいてくれるだけで微笑ましく思うものなのですよ。期待しています」
老人は、どこか楽しげに笑った。
時折垂れてくる水流を避け、ぬかるみや岩肌を乗り越えながら、かつての軌跡を辿っていく。
最早、初めは驚きの対象でしかなかった白骨に眼が慣れ始め、その他の情報は、と探るようになっていた。
目標は、廃坑の奥の奥。
恐らくそこで、私の友人も、事件の真相も待っているはずなのだ。
*
山肌を縫い、地面を剃り上げるように巨人の赤い肌の上を2色の閃光が走った。
身軽に飛び上がったアレキサンドライトの動きに対応して、沸騰する閃きはあらゆる障害を切り開いていく。
「はァッ!!!」
鬼の頭上に掲げられた剣がキメラの頭へと深く突き刺さり、飛散する液体と共に無数の眼を塞いだ。
甲高い叫声と共にそれはバランスを崩す。
放り上げられた彼女は慣れた手つきで天井から突き出した岩を掴むと、そのまま衝撃を和らげながら着地した。
「おい!お前、意外とやるじゃねぇか!」
ヴィオラは思わず、口角を上げながらそう叫んだ。
彼女もまた身軽な動きであちらこちらへと跳躍し、《恋人》の剣と盾を生かしながら膾のように怪物の身体を切り落としていく。
どろりとした粘液、もとい凝固しつつある血液が飛び散り、2人を紅く染めた。
どうやらこの怪物の身体は、元となった人間を継ぎ接ぎしてできたものであるらしい。人数分……というと些か人間味に欠けた表現ではあるが、それだけの臓器や組織が、無理やり中に詰め込まれているようだった。
「申し訳ありません、皆様方。これは全て私の罪、私の過ちです……」
「あぁ!?なーに辛気クセェこと言ってんだよ馬鹿が!ここはもう、戦場だろうが!」
ヴィオラのナイフが後方の怪物の胸をひと突きし、その傷からドバドバと異臭を放つものが溢れ出る。
まるでぬいぐるみのようだ。
入っているものが腸ではなく綿であればどれ程良かったことか。
「だとしても!」
彼女の剣が弧を描き、置き去りにされた極光は後について傷跡を抉る。
苦悶の余り表情を歪め、涙を流す怪物の全てをその眼に焼き付けた。
「罪の所在は変わりません!」
半分に割れた頭蓋が軋み、細かく砕かれた骨が崩れ落ちる。
痛覚はあるようだった。
しかし、痛みは巨人を押し留める要因にならないらしい。
どれ程殴られても、どれ程苦しもうと、足を止めない。否、止めることができない。
余りに残酷な仕打ちではないか。
「はあああぁぁぁッ!」
その一撃は、怒りそのものだった。
もうこうするしかない。
いや、こうするしかなくなるまで成果を出すことができなかった自分のせいだ。
しかし、そのような自責の念に駆られて歩みを止めるわけにもいかない。
彼女の肩には、ここで果てるであろう人々とは比べ物にならない程多数の命が乗せられているのだから。
「はぁ、はぁ……」
穏やかで暖かな煌めきが刀身を走り、それの身体は両断された。
胸部から、腹部から、臀部から、ありとあらゆる部位から、堰き止められていた中身が弾けた。
濁った眼から光が失われる。
ふと、怪物の指が動いた。
ただ、それ以後、幾つもに切り分けられたそれが動きを見せることはなかった。
「……おい」
「はい?」
彼女は剣を床に突き刺し、動悸を抑え、そして息を大きく吐くと声の主の方に向き直った。
アレキサンドライトよりもずっと背が高く、がっしりとしている紫髪の傭兵の背後には、頭を潰され、四肢を切断された怪物が音も無く鎮座している。
2人の戦いは、小休止を迎えていた。
「大丈夫か?」
「大丈夫、って……あぁ」
アレキサンドライトは頬にこびりついた血を手の甲で拭き取りながら足元を見る。
すると、剣先から飛び散った血、抉り取った肉がべっとりと服を染め上げていた。
彼女は今日、動き易く汚れても良い服で来たつもりである。
しかし、このように再起不能になったお気に入りの勝負服を眺めていると、何だか無性に寂しい気分になってしまうのだった。
「アレキサンドライト」
「はい」
「あんまり気負うなよ。さっきはああ言ったが……これはあまりに残酷な仕打ちだ。アンタに雇われた傭兵として、首謀者のことは絶対に殺す」
「被害者の救出。仮にそれが絶望的だとしても、依然として第一の目標であることに変わりはありません」
「分かってるさ。ただ、第二の目標も大事だろ?」
何よりも優先すべきは人命救助。
それを、アレキサンドライトは被害者の関係者に約束していた。
しかし、その次に大事なこともまた明白である。
「解決の糸口を見つける。そして、首謀者を特定し然るべき報いを与える、ですね」
「ああ。1人の素性はもう割れてるだろ。イブリース。あの狂人なら……確かにやりかねない。アレは、楽しいと思うことなら何でも手段を選ばず、場合によっては目的すら選ばずやるタチだ」
「はい。大丈夫です。見据えるべきものは、この邂逅を経て変わってなど居ません」
「……そうか」
ヴィオラはシールドバッシュの原理で盾を展開し、通路を塞ぐ雄大な肉体を通路脇に寄せた。
「なら進もう」
「勿論です」
「……その剣は、持っていかなくて良いのか?」
一歩踏み出したところで、彼女は思い出したように振り返る。
大地に突き刺さったままこちらを見つめている宝石の剣。
黒曜石の短刀が如く磨き上げられたそれは、カットされたジュエリーのように光沢を放ち、どれ程多くの血を浴びようと鋭利さを保っていた。
「大丈夫です。あの剣は私のアテュ、《技》の能力で生み出したものに過ぎませんから」
「《技》……脳内で作れるなら何でも具現化できるってやつか?」
「はい。この剣は、私が昔から練り上げてきた武器の1つなんです。普通、ここまで複雑なものを瞬時に編み上げることなどできませんが……練度と時間さえあれば、このくらいはどうということはありません」
彼女が素材として使用したのだろう、凹んだ岩と剣を交互に見やり、それからヴィオラは再び前を向いた。
「大丈夫です。私が維持を解けば、すぐ砂粒に戻りますから」
「ふぅん。……は?じゃあ、あの時のサファイアは……」
「ふふ。ホテルに帰った後、バッグの中を掃除しなくてはならないかもしれませんね」
「こ、こいつ……!」
それは強がりなのか、自然に浮かんだものか。
ヴィオラには判断しかねたが、ふと少女の顔を覗き込んだ時、そこにあったのは悪戯っぽい女性の微笑だった。
殴り掛からんとする拳を緩め、彼女は額に手を当てる。
しゅわしゅわと溶解していく怒りを片手に、ヴィオラは溜息を吐いた。
お疲れ様でした。
アレキサンドライトさんがまともに戦う姿を見せたのはこれが初めてでしょうか。
そうです。彼女の武器は、《技》の力で作り出した双光の剣。
言ってしまえば、持ち手も刃も全てアレキサンドライト製の剣というわけです。
それを、《技》で補強したり、エネルギーを放出したりして使っています。
かっこいいですね。マフィアのボスとは思えないほど王道な得物です。
モンテドーロの民を元にして作られたと思しき怪物達、重々しい廃坑の空気感。
きっと、これから彼女には大いなる試練が待ち受けていることでしょう。
剣の光が、深い闇にどれだけ抵抗できるか楽しみなところです。
最後になりますが、感想やレビューなどいただけると本当に嬉しいです。
執筆の励みになりますし、1つ1つじっくりと読まさせていただきます。
それでは、りんどうでした。




