転生神のおしごと!ひと夏だけの異世界修学旅行
【作者からのご案内】
これは読み切りですが、連載も書いています。そちらも異世界転生ものですが、よかったら読んでもらえると、喜びます!
「私の名はツクヨ。転生神をしている者だ。――いや、“者”というのが正しいのかどうか、毎度迷うところなんだけどね」
どこからともなく、柔らかな月の光が差し込む空間。その中に浮かぶ一枚の白い机。その上には大量の書類が積まれている。私は、溜め息混じりにペンを走らせながら、また新たに届いた転生希望者のデータをチェックしていた。
ここは“転生管理局”の私のブース。神として働くにはこういう仮想空間のほうが都合が良い。死者の魂からの申請はひっきりなしにやって来るし、上位神からの指示や各世界からの状況報告をモニタリングする必要もある。まるで巨大企業のオフィスみたいなもの、とでも言えば想像がつくだろうか。
「さて……次は……『異世界転生を希望』……っと。最近、本当に増えてるなぁ」
ペラリ、と書類をめくる。もともとこの世界の仕組みとしては、“すべての魂は死後に何らかの形で生まれ変わる”という大原則がある。ほとんどの魂は同じ世界、似たような時代を巡りながら新たな人生を送るものだけど、中にはなんらかの事故で別の世界へ行くこともある。それが“異世界転生”と呼ばれるものだ。
もっとも、事故が起きるか、私のような転生神が仕事をしなければ異世界に飛ぶ魂などごく少数だったはず。――ところが最近は、事故どころか「最初から異世界を希望する魂」が急増しているという。特に日本出身者で多い印象だ。私もかつては日本で生きていたから、そのあたりの心理は理解できなくもないけれど……。
「異世界ファンタジーって、どこか夢があるしね。私が生きていた頃も、ラノベやアニメが人気だったっけ」
私自身、いくつかの転生を経て、今は“縁”があって数ある転生神の一人、いや一柱を務めている。実はこの転生神ってのは一種の“昇格”に近いもので、ある程度の善行や波乱万丈な人生、さらには“転生神として相応しい資質”が認められると任される。もちろん、誰しもなれるわけではない。かつての私だって、自分がこうなるなんて想像もしなかった。
転生神の職務は主に二つ。“魂を導くこと”と“世界のバランスを取ること”だ。最近は各世界でトラブルが多発しているせいか、異世界転生を通じて新たな英雄や救世主を送り込む一方、チート能力や過剰な干渉で世界が壊れかけている現場もある。つまり、うまく調整するのが私たちの大事な役目というわけだ。
「おや……今回の申請は“数人のグループが短期で異世界を体験したい”……? ずいぶん珍しいね。普通は個人単位の転生希望がほとんどなのに」
私はその書類の束を引っ張り出し、興味深げに目を通す。記載されているのは、同じ高校に通っていた男子3名、女子2名の合計5名の魂の情報だった。生前の記憶をざっとチェックすると、彼らはバス事故に巻き込まれ、同時期に亡くなったとのこと。そして彼らは、「修学旅行の思い出をまだ作りきれなかったから、もう一度みんなで旅行がしたい。それなら、異世界に行ってみたい!」という旨の願いを抱いているらしい。
通常、願いを抱くことも、抱いても、こうやって届くことは稀だ。ただ、今回は、無念と複数名同時、ということが影響して、ここまで届いたらしい。
「ふむ……通常の本格的な転生というよりは、いわゆる“短期滞在”を求めているわけか。そんなこと、本来はできるんだっけ?」
私は自己流に疑問を抱きつつ、上位神や他部署からのレギュレーションを調べる。すると、見つかった。“異世界HR部”が正式に許可を下ろすかどうかはまだ審議中だけれど、「短期間の試験的滞在プログラム」というものが、一応は存在する。文字通り、「旅行のように異世界を訪れて一時的に過ごす」というプランだ。あまり例がなくてレアな制度だから、ほとんど知られていない。そもそも、申請条件もかなり厳しいらしい。
「でも、最近は人手不足なのと、各世界のバランスが崩れつつあるからか、審査がゆるくなってきている面もあるのかもしれない。――さて、どうなることやら」
私はひとまずデータを整理し、面接の準備をすることにした。転生神の私が受け持つ段階は、主に「選ばれた魂と直接会って、転生先や能力の詳細をヒアリングし、設定を確定する」業務だ。彼らが本当にそのプランを望むなら、私がフォローする必要がある。
書類を閉じて意を決すると、私はブースの奥にある“相談室”へと向かった。そこでは候補者の魂を一時的に呼び出し、面接することができる。多くの候補者を相手にするとはいえ、今回のような特殊事案はひとりひとり丁寧に話を聞かねばならない。
「――失礼しまーす」
当たり前だが神の世界で“失礼します”もないものだが、私はいつもの癖で声をかけてしまう。内心、いつも通りの気軽さが出て苦笑した。すると、すでにそこには五つの光の玉が静かに漂っていた。彼らが例の高校生たちだ。
私が“ツクヨ”という名の転生神だと名乗ると、彼らの魂は緊張と好奇心の入り混じったような雰囲気を見せた。光の玉といっても、ここでのコミュニケーションは会話が成立するようになっている。死んだ時の外見を投影することも可能だが、まずは心の声を重ね合うというスタイルが基本だ。
『あ、あの……僕たち、ちゃんと話を聞いてもらえるんでしょうか?』
『修学旅行のやり直し、って……変なお願いだと思うんですけど』
声を発するのは男子の魂たち。まとまった意思が固まっているというわけではなさそうだ。それでも、彼らの強い想いはひしひしと伝わってくる。青春の途中で亡くなった若者の無念。それを何とか昇華させたいという意欲。
私は穏やかに微笑む。光の玉たちには見えていないかもしれないけど、きっと伝わるだろう。
「こんにちは。私は転生神のツクヨ。あなたたちが希望している、短期間でいいから、異世界に行ってみたい、という希望について、お話を伺いに来ました。みなさんは『修学旅行のような形で、異世界を観光したい』ということですね?」
『はい……! 私たち、まだ思い出が作り足りなくて……』
女子の魂が答える。どうやら人数こそ五人だが、バス事故に巻き込まれたクラスメイトたちはもう少しいたらしい。病院で治った仲間もいるそうだが、この五人は亡くなった。一緒に過ごしていた日々の延長を、あの世でなんとか取り戻したいと思ったのかもしれない。
「なるほどね……事情はわかりました。でも、短期とはいえ異世界に降り立つってことは、無関係な世界に干渉することになるわけです。本当なら、あなたたちは同じ世界に生まれ変わるのが原則。その点については、ちゃんと理解してる?」
『はい、分かってます。でも――だからこそ、一時的に行きたいだけなんです。今さら本格的な人生をそっちでやり直そうとか、英雄になりたいとか、そういうのとは違うんです。ただ、みんなで何か楽しい思い出を作って――それで、次の人生に進もうって……』
「…………」
私は彼らの思いを感じ取り、静かに頷いた。なるほど、確かにいわゆる“チートを得て活躍したい”という野心的な要望は一切ない。一時期、大変流行って、徹夜でチートのアイディアを考えたこともあるが、最近は、需要は少し下火だ。
彼らは、ただ、“仲間と一緒に少しだけ人生の続きを味わってみたい”という願いということだ。
「分かった。私から、上司に掛け合ってみる。短期滞在プランについては前例が少ないから、簡単には許可が下りないかもしれないけど……私が全力でサポートしてあげるから、安心して待ってて」
あまり感情移入してはいけないし、そんなことしていたら、心がもたない。神様にだって心はあるのだ。でも、さすがに気の毒だ、少しくらいのことはしてあげたい。
光の玉たちは一様に安堵の色を示した。私も胸を撫で下ろす。大勢の転生志望者を相手にしてきたが、ここまで“みんなで揃って”という強い願いを持つ魂は珍しい。きっと何か意味があるはずだ。
そして、その“何か”を導いてあげるのが、私たち転生神の務め。改めて身が引き締まる思いだった。
上位神への報告を済ませたところ、意外にも回答はすぐに返ってきた。しかもOKだったのだ。正式な許可が下りたわけではないが、「ちょうど各世界への魂の流入調整が必要な時期だし、短期滞在なら大規模な影響も少なかろう」「何かデータがとれれば、今後の仕事の参考になる」というものらしい。いわゆる仮許可というやつで、本格的な転生のように厳格に審査するほどでもない――というのが実情らしい。
それにしても拍子抜けするくらいあっさりした反応だな、と私は苦笑する。こんな形で許可が下りたのは珍しいけれど、それならそれで、私の仕事はスムーズになる。
私は改めて彼ら五人の魂を呼び出し、今回のプランの概要を説明することにした。
「許可しました。みなさんのために、“ひと夏だけの異世界修学旅行”を実施したいと思います。――が、いくつかルールがあるから、ちゃんと守ってくださいね。」
私がそう切り出すと、光の玉たちは興奮気味にゆらゆら揺れる。やはり高校生のノリなのだろうか、旅行という響きにわくわくしている様子だ。
「まず、短期転生中に何らかの理由で命を落とした場合、そこから“本格的な転生”に移行します。もう一度みんなと合流できる保証はないから、その点だけは注意して。次に、あまり過度に現地へ干渉しないこと。短期滞在といっても、一時的に肉体を持つわけだから、世界に影響を与えられるわけで……何か騒動を起こすと、こっちも大変でね」
『わかりました……! そりゃあ、観光してちょっとお土産買って帰るだけですし!』
「お土産を買うって発想があるんだ……。これがZ世代……。まあ、可能ならいいけど、最後に持ち帰れませんけれどもね。」
私が若干呆れつつも、彼らのわくわくに少しだけ微笑ましい気持ちになる。普通の観光客の感覚なのだろうか。死後の世界にまでそれを持ち込むとは、ある意味すごい。
「そして、これがいちばん大事。――滞在期間は“ひと夏”の一部だけ、現地で三十日程度を上限とする。それが過ぎれば、こちらの判断で自動的に終わり、ということにします。」
『三十日か……短いような、でも修学旅行と思えば、十分長いかもしれない』
『あ、もしかして海とか行けます? 異世界の海に行ってみたいかも……!』
『いやいや、ファンタジー要素ありなんだろ? ドラゴンとか魔物とかがいる世界なら、そこを見学したいよな』
光の玉たちはそれぞれの少年少女らしい発言を交わす。盛り上がるのはいいんだけど、あまり派手に動いてほしくないのが本音ではある。ともあれ、彼らが少しでも“青春の続きを楽しみたい”と思ってくれるなら、それもまた尊重すべきか――。私の胸にも、小さな共感が芽生えた。
「じゃあ、滞在先となる世界について説明しよう。管理局のマップで近年の危険度を調べて、そこまで危ない場所じゃない中世ファンタジー風世界を選んでおいたわ。ドラゴンとか魔物もいるけど、深刻な戦乱は今のところ起きてない。ただ、まったく平和ってわけでもないから、多少の揉め事には気をつけて」
『中世ファンタジー……よし、なんかRPGみたいで楽しそう!』
『この間、昔流行ったRPGのリメイク買ったんだよな。まだクリアできてないけれども、続きをプレイできるみたいでワクワクする!』
『ちょっとしたRPG感覚で行ってみるのね……新しい人生って感じではないけど、修学旅行って意味では十分すぎと思う!』
彼らが興味津々なのを見て、私も内心ホッとする。いわゆる「チート」能力の付与についても尋ねられたが、そこは最低限のものしか与えない予定だ。せいぜい言語を理解するスキルや、多少の自己防衛魔法程度で、とても“無双”できるような代物ではない。むしろこれが「旅行気分」を満たすならちょうどいい塩梅だろう。
「では――出発日は明日。準備ができ次第、私のほうで転生ゲートを開くから、みんなは心づもりをしておいて。あと、最後に一つだけ確認だけど……何か聞いておきたいことはある?」
そう問いかけると、少し沈黙があってから、一人の女子の魂が控えめに声を発した。
『えっと……大丈夫かどうか分からないんですけど、その、現地でちょっとやりたいことがあるんです』
「やりたいこと……?」
『あの……私たち、亡くなる前は修学旅行が目前に迫ってて。でも、行けなかったから……せめて異世界でも制服を着て、写真とか撮りたいな、って。変なこと言ってたらすみません』
「ああ、なるほどね。――写真か。さすがにそこまでは考えてなかったけど……よし、じゃあ簡単なカメラみたいな魔道具(魔法で動く道具)を用意してあげる。向こうでは“魔石カメラ”って名前で、それを使えばいけるはず」
『ありがとうございます!』
元気な声が返ってくる。光の玉たちが、いかにも高校生らしい弾んだ空気をまとっているのが微笑ましかった。
こうして、私と彼らの“ひと夏だけの転生修学旅行”計画が動き出すことになったのだ。
出発当日。仮想空間のゲートには、五人の魂が集まっていた。事前に人間の姿をとるための準備を整えていて、今は全員が“生前に近い”高校生の外見を再現している。男女ともに制服姿というのがまた新鮮で、“旅のワクワク感”が高まっているのだろう。
「じゃ、これから開くゲートを通って、選定した異世界へ移動します。少しだけ違和感があるかもしれないけど、すぐに慣れるから大丈夫。何かあったら私を呼んでくださいね」
『あれ?ツクヨさんも一緒に来てくれるんですか?』
「あくまでも監督者としてだけどね。必要以上の干渉はしないけど、何かあればサポートする。――短期転生ツアーだし、私もそこそこ、今は手は空いてるから、一緒に回ってあげてもいいけれど。」
こうして私たちは、ゲートの向こうへ足を踏み出した。待ち受けるのは中世ファンタジー風の街並み。石畳の道路と色とりどりのテント市、そして溢れかえる生の活気。人々のざわめきや香ばしいパンの匂いまでがリアルに五感に届いてくる。
五人の高校生たちは一瞬で目を輝かせ、思わず声を上げた。
『すごい……本当に異世界なんだ!』
『ふわぁっ、建物とかゲームみたいだけど、意外とちゃんと人間味あるんだね』
『すごくワクワクする、なんだろ、海外旅行とも全然違う感じ……』
彼らの興奮を目の当たりにして、私は安堵すると同時に苦笑した。これが“旅行客”としてのはしゃぎっぷりというやつか。私自身も、大分昔の話だが、初めて異世界に転生したときは似た感動を味わったっけ。
「さあ、ここから先は“約ひと夏”、いやそれ未満の短い間の滞在となります。いちおう私も同行するけど、自由に街を見て回ってください。ただし、いきなりトラブルに巻き込まれないよう、少し慎重にね」
『はーい!』
元気な返事が返る。こうして、私、転生神ツクヨによる“ひと夏だけの転生修学旅行”が幕を開けた。
中世ファンタジー世界の大通りには、様々な露店が並んでいた。果物や焼き菓子、香辛料、さらには見慣れない魔道具まで、ありとあらゆる商品が軒を連ねている。五人の高校生――シンヤ、タカト、リク、ユイ、そしてマナ――は目移りしながら路地を巡っていた。
私は少し後ろをついていく形で、一行を見守る。彼らの制服姿は異世界住民にとっては奇異な服装だろうが、「遠い国の旅人」だと説明すればあまり疑われない。実際、この世界にはすでにいくつかの異世界転生者が散在しているし、多少変わった服装でもそこまで騒ぎにはならないのだ。
「でも、気をつけてね。ここらへんは治安が悪いってほどじゃないけど、観光客を狙ったスリや詐欺師はいるかも」
私が注意を促すと、シンヤとタカトが「了解っす」と軽く手を挙げた。男の子たちは元気な反面、すぐに走り回って見失いそうなのが怖い。女子のユイとマナは比較的落ち着いているけど、目をきょろきょろさせて楽しんでいる様子だ。
「いい匂いがする……あれは、なんだろう……?」
マナが指を差した先には、石窯で焼かれた大きなパンのようなものが積み上げられていた。表面にはたっぷりのハチミツがかかっており、甘く香ばしい香りが漂っている。
「異世界にしては珍しい。甘いパン……というか、甘いパンケーキみたいな感じかな。あれ、実はこの地域の名物らしいよ。食べてみる?」
私が問いかけると、五人は互いに顔を見合わせて、しきりに頷く。さっそく屋台の親父さんに声をかけると、彼は「お客さん、初めて見る顔だね!」と快活に笑いながらパンを売ってくれた。もちろん、この世界の通貨での支払いが必要だが、それも私が最低限の資金を用意しているので問題ない。
「うわ、めちゃくちゃおいしい……っ!」
タカトが興奮気味に頬張ると、リクも「あま……っ。なんかもちもちしてる」と驚いた様子だ。日本のパンケーキともまた違う食感らしい。この瞬間だけ見れば、本当にただの“観光客”の団体だ。
『こんな日がずっと続けばいいのに……』――そんな思いがふと、私の胸をよぎる。けれど、もちろん彼らは“ひと夏”しか滞在できない。ある意味、限られた短い時間だからこそ、こうして最大限に楽しめるのだろう。
そして数日後。私が想定していた以上に、五人は順調にこの世界を満喫していた。宿を取り、時には馬車で少し遠出し、魔道具屋を覗き、穏やかな森を散策し……。特に大きなトラブルはなく、まさに修学旅行を続行しているかのような雰囲気。
彼らは、私が渡した魔石カメラで写真を撮りまくり、笑顔を交わしていた。異世界でも制服姿というのが、なんとも不思議な光景だ。周囲の人からは「何だあの奇抜な服は?」と聞かれることもあるが、彼らは慣れたもので愛想よく笑い返している。
「ツクヨさん、すごく楽しいです。こんな願いが叶うなんて思わなかった」
そう言ってくれたのは、ユイ。彼女は穏やかで優しい性格をしており、みんなのまとめ役になっているようだ。
「みんながはしゃいでくれると、私も嬉しいよ。――もっとも、本当なら転生神がこんなに同行すること自体、あんまりないんだけどね」
私は苦笑する。短期転生であることと、彼らの人数が少ないこと、そして私自身が“この時期だけ比較的暇がある”ため、こうしてずっと付き合っていられるのだ。
それに、何より――私はかつての自分を彼らに重ねてしまうところがある。やり残した思いを抱えながら生涯を終えた頃の、自分の心境。それを少しでもケアしてあげたいという気持ちがあった。
そんな中、彼らはさらなる行動に出た。次なる目的地は「南の海沿いの街」。この世界でもリゾート地のような場所らしく、魚介料理が美味しいと聞いて、興味をそそられたらしい。
「修学旅行で海に行くってのが、日本でも定番だろ? せっかくなら異世界の海も見てみたいじゃん」
タカトがそう言い、他の4人も大賛成だった。私は地図を確認して、馬車や船での移動ルートを調整する。そこそこ距離はあるが、数日の旅をかけて行けなくはない。
「じゃあ、行くわよ。……あ、途中で立ち寄る町で、『小競り合いが起きてるかも』って噂があるらしいから気をつけてね」
私はそう念押しするが、若者たちは「了解!」と元気よく返事をするのみ。多少の危険はあっても、「それも旅の醍醐味」だと言わんばかりだ。
それからさらに数日。長い馬車旅の末、私たちは小さな国境の町に到着した。そこは川沿いの宿場町として栄えていて、異世界観光には悪くない立地のはずだ。――だが、その街には微妙に険悪なムードが漂っていた。
「なんかギスギスしてるね、町の人たち……」
リクが首をかしげる。彼は好奇心旺盛だけど、人の顔色を見るのがうまいタイプだ。私が周囲を探ってみると、どうやら国境を挟んだ隣国との関係が悪化しているらしい。領土問題が長引いており、近頃は些細な衝突も増えているのだとか。
「トラブルに首を突っ込んだり、目立つ行動は控えて。私たちの今回の目的は“観光”なんだし」
私はそう言って釘を刺す。転生神としても、短期転生の彼らが紛争に巻き込まれたり、余計な介入をするのは避けたいところだ。
とはいえ、私たちが宿にチェックインしようとしたとき、受付の老婆が困ったような顔をした。
「若い人たち、なんでここへ来ちまったのかい? 最近ここらじゃ、まずいこと続きだよ。人買いだの、脱走した忍者だの、変な噂が絶えないんだ」
老婆の言葉に五人は少し不安そうな表情を浮かべるが、彼らはそれでも「大丈夫です、すぐに通過する予定なので……」と応じる。
実際、ここで数泊したら次の港町へ向かう計画だから、何かトラブルに遭うことはないはず――だった。
宿に荷物を置き、夜になってから五人は食堂で夕食をとった。いつもなら談笑に花が咲くのだが、なぜか今日は空気が重い。彼らにも分かるほど、周りのお客たちが殺伐とした雰囲気に包まれているのだ。噂によると、どうやら昨日、この街で隣国の兵士と小競り合いがあったらしい。
「ツクヨさん……これ、何か大きな事件に巻き込まれたりしないでしょうか」
ユイが心配そうに私を見る。
「うーん……私も嫌な予感はあるけど、あまり私たちがどうこうできる問題じゃないと思う。紛争は転生神の一存で止められるものでもないし、短期転生者が口出しすべきことでもない。多分、そのうち、チートで無双な転生者が解決してくれるはずだし、明日にはここを離れましょう」と、適当なことをいっておく。
しかし、予想外のトラブルはすぐに起きた。その夜、街に火の手が上がったという騒ぎが飛び込んできたのだ。聞けば、何者かが倉庫に放火したらしく、複数の建物が燃え上がっているという。私たちは宿から外へ出て、遠くに見える炎の赤さに息を呑む。
「やばそうじゃないか……俺たち、どうする?」
タカトが半ば浮足立ちながら言う。日本の高校生としては、こんな大規模な火災を目撃するのは初めてだろう。
「行ってもしょうがない。消防も何もないかもしれないし、素人が近づくのは危険。――下手に動かず、宿で身を守るべきだよ。」
私はそう判断する。実際、短期滞在の観光客ができることなど高が知れているし、私だって“転生神としての直接介入”は制限されている。
ところが。そんな私たちの背後で、さっと足音が鳴り、リクがぎょっとして振り返った。そこには、青い布で顔を隠した人物が立っていた。暗闇の中、その人物はリクの腕をつかみ、不審な声で何かを囁く。
「……っ? 何――」
リクが反射的に腕を振りほどくと、相手はまるで影のように細い路地へ逃げていった。慌ててタカトが追おうとするが、私は制止する。
「待って! 危ない! 一人で行かないで!」
混乱の中、別の方向から警鐘の音が聞こえる。「放火犯が逃げたぞ!」という怒号も飛び交っている。どうやら先ほどの人物は、何か火付けに関与している可能性もある――。最悪の場合、これが国境紛争の引き金になり得るだろう。
「一旦、宿に戻るわよ! ここに長居は無用!」
私は皆を急かす。だが、リクは先ほど腕をつかまれた際に袖を切られたようで、そこに血のような痕がついていた。
「リク、大丈夫……? ケガしてるんじゃ……」
ユイが慌てて確認するが、リク本人は痛みも感じないようで、傷は見当たらない。ただ、服に不気味な文様の様なシミがついてしまった。袖をめくると、皮膚にも張り付いている。何かの呪術か、あるいは隣国の兵士が使う合図かもしれない。ひとまず、解呪はあとだ。
こうして、思わぬ形で五人は事件の匂いを感じ取ってしまった。私の胸には嫌な予感が込み上げる。これ以上、彼らがこの街にいれば、きっと危険が及ぶ。短期転生の観光客が巻き込まれたらたまったものではない。
翌朝。予定より早く支度を整え、私たちはこの街を出ることにした。馬車を手配しようとしたが、昨夜の火事で混乱が広がり、なかなかうまくいかない。仕方なく、多少高額でも構わないからと別の業者に頼むことにする。
「まだ荷物まとめられるよね? じゃあ先に私が馬車を探してくる。みんなはここで待ってて」
私はそう告げ、ひとりで宿を出た。高校生より、転生神として、いろいろな異世界に関わってきた私が動いたほうがスムーズに事が進むのだ。ここでは転生者である彼らに危険が及ぶリスクも考え、早めに撤退するのが最善策だろう。
……ところが、私が馬車を探して戻ってくるまでのわずかな間に、トラブルは再び起きた。宿の前に戻った瞬間、五人の姿がない。
「え、嘘……? みんなどこに……」
慌てて宿の人に尋ねると、「さっき何か騒ぎがあって、男の子二人が路地へ走っていったんだよ。それを追って、ほかの子たちも外へ出たみたいだ」とのこと。嫌な予感が一気に膨れ上がった。火事騒ぎといい、不審な影といい、すっかり巻き込まれてしまったのか――。
転生神は、それぞれ、ある程度の魔法が使える。今いる異世界など条件にも左右されるが、ある程度のことはできる。そこで、私はやむを得ず、彼らの位置情報を探索する。過度な干渉は禁じられているが、生命の危機が迫っているかもしれない以上、致し方ない。
「――この方角。町外れか。くっ……!」
私はすぐさま路地を縫って駆け出した。事故死したけれども、願いが叶って、せっかくひと夏の思い出を作っている最中に、こんな形で“本格転生”に移行させたくはない。私の不安が募る中、遠方から複数の声が聞こえてきた。
「離せよっ……誰だ、てめえら!」
タカトの怒鳴り声。どうやら複数の男たちに囲まれているらしい。そこへ駆けつけてみると、やはり男たちが彼らを取り押さえようとしている最中だった。
「ちょ、やめてください! 私たちは関係ないんです!」
ユイが叫ぶ。マナは泣きそうな顔で固まっている。リクは腕をねじ上げられていて、痛そうだ。どうやら相手は、この街の自警団か、あるいは隣国のスパイを探している民兵かもしれない。
「あいつの袖に変な印があるじゃないか。こいつらが昨日の火事の犯人とつるんでる証拠だ!」
男のひとりが叫ぶ。どうやらリクがつかまれた際に付けられた文様を見て、彼らを“放火犯の仲間”だと疑っているらしい。
「違う、そんなんじゃないですって!」
シンヤが必死に抵抗しようとするが、力の差は歴然だ。こんな状況、私が放っておけるはずがない。
「そこまで!」
私は路地の角から飛び込み、思わず声を張り上げる。一応、「転生神」の私が張り上げる声は、相手の動きを一瞬だけ鈍らせる程度の威力はある。男たちは「あんたは何者だ」と警戒の視線を向けてくる。
「私たちはただの旅人。根拠も無いのにただの旅人を捕まえないでいただきたい。」
私は臆せずに進み出る。本当なら、大々的に能力を使うのは好ましくないが、背に腹は代えられない。
「証拠ならある! この紋章は隣国のスパイが使うものだって、昔から言い伝えが……!」
男が語気を荒らげる。隣国との争いが続いているからこそ、過敏になっているのだろう。だが私は彼らに応戦する必要がある。
「スパイがわざわざ決まった紋章つかうわけないでしょうが。それも昔からいい伝わるほど長く使うわけもない。そもそも若い男女5名でスパイ活動なんて目立ちすぎるでしょう。これは昨夜突然現れた不審者に付けられたんだよ。」
私がきっぱり断言すると、男たちは少したじろいだ。一方で、タカトも悔しそうに言葉を絞り出す。
「そうだよ……俺たちは本当に観光しに来ただけで、わけがわかんねえんだ……」
それでも相手は簡単には引き下がらない。やがて「信用できるかどうか、確認するため、全員連行する!」と言い出し、形勢はさらに緊迫化した。私は瞬時に判断する――今ここで捕まると、濡れ衣を着せられて、下手すれば処刑や拷問の恐れだってある。短期転生にそんな危険は要らない。
「……やむを得ないな……。あんまりやると上司に怒られるのだけど。」
私は一瞬だけ周囲を見回し、相手が十人以上いることを確認する。ここで本気の“神の力”を使えば、たやすく突破もできるかもしれない。けれど、それはこの世界の秩序を大きく乱しかねない。それでも――彼らの安全を守るためならば仕方がない。
「皆、目を閉じて……耳を塞いで!」
私が叫ぶと、五人は反射的に従う。その瞬間、私は手を掲げ、月光を想起する。かつて自分の名の由来となった“ツクヨミ”の力の断片。それを今ここで解放する。
「――《月の帳》」
淡い銀色の光が路地を覆い、男たちの視界を奪う。まるで濃い霧がたなびくように、空間が白銀色に染まる。これは私の“月影”の結界。長時間は維持できないが、相手を眩惑し、その間に逃げるのは可能だ。
「う、うおっ……なんだ……!?」
男たちが混乱する間に、私は五人の腕を引き寄せる。彼らには影響が及ばないよう、事前に注意を促していたので、すぐに移動できるはず――。
「このまま街の外へ逃げるわよ! 馬車は手配してあるから、そこまで走る!」
「は、はい……!」
全員で駆け出す。私は後ろを振り返り、結界の効果が残っているうちに距離をとる。男たちは視界を奪われながらも、やがてこちらを追ってくるかもしれない。できるだけ早く馬車のところへ行かねば。
「く……こっちよ、ついてきて!」
私が先頭を走り、狭い路地をいくつも曲がる。こんな形で逃走劇になるとは思わなかった。修学旅行気分が台無しだが、命には代えられない。彼らが“不当な疑い”をかけられた以上、私としては守り抜くしかないのだ。
10分ほど走っただろうか。馬車を待たせていた場所にようやく着いた。御者は不審そうに私たちを見るが、契約は交わしてあるため、すぐに出発の準備をしてくれる。
「さあ、早く乗って! ここを出るわよ!」
「うん……ごめん、ツクヨさん……こんなことになって……」
女子たちは怯えながらも馬車に飛び乗り、男子たちも続く。私は最後に乗り込むと同時に、「今すぐ出発して!」と御者に急かした。
ガタガタと車輪が動き出す。背後ではまだ何か叫び声が聞こえているが、町の中を抜けてしまえばひとまず追っては来られないはずだ。
走り出して数分後、ようやく私は息をついた。五人を見回すと、みんな青ざめながらも無事だった。しかし彼らの表情には、酷く落胆した色が浮かんでいる。
「せっかくの修学旅行だったのに……台無し、だよね……」
ユイがぽつりとつぶやく。マナも俯いて涙ぐんでいる。タカトとシンヤは悔しそうに拳を握り、リクは袖にくっつけられたままの紋章を見つめる。そこには血痕のような赤黒い紋章が記されていて、どう見ても不気味だ。
「ごめんね、みんな。本当なら私がもっと早く気づいていれば……」
私も神とはいえ、すべてを管理できるわけじゃない。転生神は世界を創る創造神ではなく、あくまで魂と転生を取り扱う“調整者”だ。紛争を止める権限もなく、干渉の度合いには能力の限界がある。今回のような“直接救出”だって、本来はやり過ぎかもしれない。
だが、五人は「ツクヨさんのせいじゃない」と首を振る。彼らはほんの数分前まで恐怖にさらされていたが、私の行動でなんとか助かったことも理解しているのだろう。
「……あの、ツクヨさん。この先、どうしましょう。もう、安全に旅行できる場所なんてないのかな……」
マナが弱々しい声で尋ねる。その問いに、私もうまく答えられなかった。この世界がすべて危険地帯というわけじゃないが、戦争や紛争の火種はどこにでも転がっている。短期転生でわざわざ危険に近づく理由はない。
「このまま港町に移動して、海辺の街を回れれば良かったんだけど……状況次第では無理はしないほうがいいかもしれない。もし明らかに危険なら、ここでこの旅は終わりにして、次の生へ移ってもらうことも考えないと」
無論、彼らにしたら心残りかもしれない。それでも、命を落とすよりはマシだ。――というか、ここでもし命を落とせば、バラバラに転生し、最後の別れも告げられないだろう。それは私も避けたい。
「……分かりました。でも、もうちょっとだけ、頑張ってみたいです」
リクが拳を握りしめる。
「折角の旅行だし、何の思い出も作れずに終わるのは嫌だ。あんなにワクワクしてたのに、ただ逃げるだけで終わりなんて、悲しすぎる」
私はリクの瞳を見つめる。その奥にあるのは、少年らしいプライドと諦めたくない気持ち。ユイやマナも同調しているし、シンヤとタカトも「そうだよな。さっきは怖かったけど、まだやりたいことはある」と言葉を並べる。
――彼らの意志を尊重してあげたい。けれど、今のままでは危険がつきまとう。この先どんなトラブルが待ち受けているか分からないし、先ほどの放火犯は誰で、なぜリクに布を押し付けたのかも分からない。
(私が、もう少し調べてみるべきかもしれない……。本来なら神の業務範囲外だけど、短期転生者を守るためには仕方ない。)
私はそう決意し、彼らの手をぎゅっと握った。
「分かった。私もちょっと本腰を入れて調べてみることにする。――安全に旅行を続けられるよう、できる限り手を尽くすことにする。だから、絶対に勝手に行動しないでね」
五人は、半ば心細そうに、でも力強い眼差しで頷いた。こうして私たちは、港町を目指しながらも、思わぬ陰謀の影と対峙することを余儀なくされたのだった。
馬車に揺られながら、私たちは国境の街から離れ、少し大きめの都市へと到着した。そこは港とまではいかないが、川と湖が交差する交通の要所で、多くの船が行き交う場所だ。治安も比較的安定しているらしく、一行はようやく落ち着いて宿を取ることができた。
ただ、街に着いたからといって、先ほどの不安が解消されるわけではない。リクの袖に残された紋章が、一行を暗示的に包んでいるようだった。
私が解呪をしてもいいが、かなり強力な力が込められたものらしく、こちらも大きな力を使わないといけない。しかし、そこまでの過干渉は禁じられている。
これは、紛争に関連するスパイのなにかかもしれないし、放火犯たちが仕掛けた呪いのようなものかもしれない。いずれにせよ、放っておくのは危険だ。
「ツクヨさん、何か分かったりしませんか……?」
ユイが不安げに尋ねてくる。私は転生神の力を使い、紋章の正体を解析しようと試みた。しかし結果は曖昧で、“異世界間の干渉を示す可能性”が高いとの警告しか出てこない。まるで、同じ異世界転生者が関与しているかのような反応……それは嫌な予感の種だ。
「そうね……やっぱり普通の呪術や仕掛けじゃなさそう。もし放っておけば、リクを標的に何か事件が引き起こされるかも。それを防ぐには、もう少し情報を集めるしかないわ」
「情報って……どうやって?」
「私も実地で動くし、場合によってはこの街の賢者とか神官とか、そういう知識ある人に協力を依頼するかも。でも、あまり大事にするのもリスクが高い。あなたたちは短期転生者だし、変に目立つのはまずい」
私は苦い顔をしながら続ける。最悪の場合、これが“異世界転生者どうしの内紛”に発展しているとしたら、さらに厄介だ。転生神として何かしらの調整をしなくてはならないが、あまり私が前面に出ると世界そのものへの過干渉となってしまい、上位神から叱責を受ける可能性もある。
「ごめんなさい、せっかくの旅行なのに、私のせいで……」
リクがそう呟くと、タカトが首を振って肩を叩く。「いやいや、リクのせいじゃないだろ。全部あの怪しい奴らが悪いんだ」
マナも「あんな怖いことに巻き込まれるなんて、思ってもみなかったけど……でも、ここまで来たら何とか解決したいよね」と頷く。
シンヤは少し考え込んでいたが、「もし原因がはっきりすれば、もう旅行の邪魔をされなくなるかもしれない。それなら俺も協力するよ」と言う。
一方、ユイは「まずは安全第一で、無理はしないようにしよう」とフォロー役に徹している。みんな、友達思いで、互いを尊重しているのが分かる。この結束力が、彼らの生前の絆を物語っている気がした。
翌日、私は個人的に街の情報屋を訪ねてみることにした。こういう商業都市には往々にして“噂の収集人”がいるものだ。少しばかりの金貨を渡せば、有益な話を教えてくれる可能性がある。
仕事の都合上、転生神として世界の裏事情にはある程度通じているが、地元の細かい噂まで網羅しているわけではない。私も直接的な神の力ばかりに頼ってはいられない。何より、我々の“レギュレーション”として、「世界に過度に干渉しすぎないよう」ブレーキがかけられているのだ。
情報屋の屋敷は、町外れの薄暗い建物にあった。片目に眼帯をした年配の男が、私を横目で睨みながら「よく来たな。なかなかいい身なりだが、単なる観光客ではなさそうだ」と鼻を鳴らす。
私は平静を装いながら、例の紋章のことを切り出した。男は「ほう」と興味深げに目を細める。
「その紋章を持つ連中がいるとすれば……隣国の秘密結社か、あるいは教団の一派か、はたまた異世界から来たという噂もあるな。あいにく確固たる証拠はないが……噂では“魔王崇拝者”がいるらしいって話もあるぜ」
「魔王崇拝者?」
思わず訊き返す。異世界転生者には色々なタイプがいる。普通に暮らしていたり、冒険者になったり、王国の顧問として働いたり……。だが、中には闇の勢力に与して混乱を起こす者もいるという噂は耳にしたことがある。
「まあ、転生とやらも、魔王崇拝の真偽も分からん。ただ、最近各地で小競り合いや放火が起きているのも事実だ。表面上は国境紛争と呼ばれているが、裏で手を引いている奴がいるのかもしれねえ」
男はそう言うと、「ま、詳しいことは街の賢者ギィラスにでも訊いてみるんだな。あいつならもっと深い情報を持ってるかもしれん」と教えてくれた。
「ありがとう、助かったわ。――それで、ここにいることは他言無用でお願いね」
「へへ、もちろんよ。俺はあくまで金次第の男だ。まあ、依頼者の秘密は守るがね。」
私は礼を言い、そそくさと屋敷を出る。やはり事態は厄介な方向へ転がりつつある……そんな胸騒ぎが消えない。とにかく、“魔王崇拝者”、それも転生者なんてものが実在するなら、厄介事では済まないだろう。
その日の夜、宿に戻ると、五人の高校生たちから相談を受けた。私が外出している間、リクに奇妙な夢が繰り返し見えたというのだ。
「夢の中で、誰かが呼んでるんだ。“来い……お前は選ばれし血脈”とか、そんな感じで。正直、気味が悪い」
リクは青ざめている。私は思わず彼の袖の文様を確認したが、あれ以来、それはさらに不気味な色合いを増しているようにも見えた。まるで自らの意志で闇を孕んでいるかのようだ。
「もしかすると、その紋章を媒介にリクを操ろうとしてる奴がいるのかもしれないわ。……こうして放っておくのは危険ね」
「じゃあ、どうすれば……?」
ユイやマナも心配げに問う。私は情報屋から聞いた“街の賢者ギィラス”という人物を頼ってみると伝えた。もし本当に魔王絡みの呪いなら、専門家の助力が必要だろう。
「ただ、ギィラスに会うには紹介がないと難しいみたい。私がいくら転生神だと言っても、そう簡単に面会できるかどうか……」
「神様でも無理なことってあるんだな」とタカトがぼやく。あながち間違いでもない。私たち転生神は、別に世界を牛耳っているわけではない。あくまで、異世界間の移動ができるだけで、あと、世界に過干渉することはできない。だから、街中の重要人物に気軽に会えるわけではないのだ。
「でも、この街には旧知の神官がいるかもしれない。少し探してみる。もう夜遅いから、今日は休んで。リク、夢を見て不安かもしれないけど……なるべく皆と一緒の部屋にいて、ひとりにならないように」
私はそうアドバイスして、日付が変わる前に街の教会へ足を運んだ。教会の入り口はすでに閉ざされていたが、夜間でも巡回している神父らしき人影が見える。私はひそかに姿を示し、「ツクヨと申しますが……」と声をかけた。
この世界のこの町には、なんどか来たことがある。私を見た若い神父は一瞬驚いていたが、「ツクヨ」の名前は上役からも聞いているらしく、すぐに頭を下げて奥へ通してくれた。
「なるほど、賢者ギィラス殿に面会を……ですが彼は非常に気難しい方ですから、事前の約束なしには厳しいかもしれません」
教会の奥で、私は責任者らしい司祭と面談していた。司祭は白いローブに身を包み、穏やかな眼差しを私に向ける。
「ただ、もし“魔王崇拝”などの危険が絡んでいるなら、彼も看過できないはずです。ギィラス殿はこの地方の紛争の裏事情を探っていると噂されていますから……」
「分かりました。なんとか紹介状を書いてもらうことはできないでしょうか?」
「ええ、もちろんです。ツクヨ様がお困りとあれば、我々としても黙ってはいられません。……お書きします」
司祭の厚意に感謝しつつ、私は紹介状を受け取った。これがあればギィラスに会えるだろう。あとは彼が私たちの状況を正しく理解してくれればいいが……。
そうして夜更けに宿へ戻ると、幸い五人は無事だった。リクは悪夢を見たようだが、仲間に起こしてもらい、寝不足気味なだけだとのこと。私が彼らに「明朝からギィラスに会いに行きましょう」と伝えると、皆はほっと安堵した様子だった。
翌朝、私たちはギィラスの住む場所へ向かった。そこは街の外れにそびえる古塔で、周囲は木々に囲まれている。紹介状を見せると門番が通してくれ、中へ進むと魔法陣らしきものが刻まれた床が目に入る。どうやらかなりの高位魔術師なのは間違いなさそうだ。
奥の部屋へ通されると、そこには白髪混じりの壮年男性が立っていた。背が高く、長いローブをまとい、瞳には鋭い知性が宿っている。これが賢者ギィラスなのだろう。
「よく来たな。司祭から話は聞いている。」
ギィラスは一瞥で私たちを見渡すと、やや渋い顔をして言葉を続ける。
「本来なら、旅行者のことなど私には関係のないこと……だが、どうも今回の件は私の研究対象と密接に関わっているようでな」
彼はリクの袖を示す。「見せてみろ。その紋章とやらを」
リクが控えめに袖を差し出すと、ギィラスは魔力を帯びた指先でなぞり、目を細める。すると、彼の指先から淡い光が漏れ、紋章がぼんやりと浮かび上がる。まるで隠された暗号を暴いているかのような光景だ。
「……これは、“魔王ルート”と呼ばれる経路の符号だな。遠い昔に封印された魔王の名残を継ぐ者が、これを使って眷属を引き寄せるという伝承がある」
ギィラスは低い声で告げる。五人が同時に息を呑んだ。私も驚きを隠せない。“魔王崇拝者”で、それが“転生者”という噂は、どうやら現実味を帯びてきたようだ。
「だが不思議なことに、この紋章からは微妙に、未知の、感じたことの無い魔力を感じる。これを操っているのは、魔王自身か、さもなくば……、どこか遠くから来た者だ。」
「そんな……でも、どうしてリクが狙われるんですか?」
ユイが不安そうに尋ねると、ギィラスは肩をすくめる。「分からん。単に適合しやすい資質を持っていただけかもしれない」
(遠くから来た力?転生者の力ってことか。彼らが日本出身ということに何か意味があるのかもしれない。日本からの転生は増えているし、それには、特定の事情や力が関係しているとも聞いている)
私は思わず口を挟む。「何とかこの呪いを解く方法はないの? リクをそれ以上苦しめたくないし、そいつらの思い通りにさせたくない」
ギィラスは少し考え込んだ末、重々しく頷く。「解呪そのものは可能だが、相手が刻んだ魔力が強いと、また同じように刻まれてしまう恐れがある。結局は、本体を断つしかないということだ」
「本体……つまり、『魔王崇拝者』そのものを見つけて対処するしかない?」
「そういうことだ。ただ、どこの誰かわからない者で、力も未知数だ――こうしよう。私も協力するが、一度その者と接触して、あちらの目的を探るしかあるまい」
私は唇を噛む。私は世界の秩序を大きく乱す転生者を“処分”できる権限を持ってはいるが、安易に行使すると世界干渉が大きすぎるため、滅多なことでは使えない。リクを守るためには、ある程度強行手段も検討しなければならないが、それでも、まだわからないことが多い。
「私には一つ心当たりがある」とギィラスは続ける。「最近、この辺りで不穏な動きを見せる集団がいる。隣国との小競り合いを煽り、放火などの破壊活動を行っているらしい。そこには、大抵の魔法は知っているはずの私が、みたこともない魔法の“術式”が使われている痕跡があってな。ちょうど貴様らが国境の街で遭遇した事件も、おそらくはその一環かもしれん」
思わず五人が目を見合わせる。放火犯にリクが文様を付けられたのは、やはりその集団の仕業だったということか。
「私は“魔王崇拝者”が潜んでいると思しきアジトには心当たりはあるが、どんな者からわからんし、確証も得られてはいない。どうする? それでも踏み込むか?」
ギィラスに問われ、私は少し黙った。リクたちを危険に巻き込むわけにはいかないが、放置すれば再び彼らが狙われる恐れは高い。結局、私とギィラスが潜入するしかないのか――。
だが、そのときリクが強い眼差しで言った。「俺も行きます。せっかくの異世界旅行なのに、仲間に迷惑かけてばかりだし、このままじゃ帰ってからも後悔しそうで……」
「でもリク……危ないよ」とユイが制止する。しかしリクは意を決したような表情で、「みんなを危険に巻き込んだのは俺だし、自分でケリをつけたい。――それに、これも修学旅行の大事な思い出に……って言ったら不謹慎かな」と苦笑した。
タカトとシンヤ、そしてマナも、リクをかばうように続く。「だったら俺たちも一緒に行くぞ」「リクひとりを危ない目に遭わせるわけにはいかない」「ここで腰が引けたら、一生後悔する気がする……」
私は半ば呆れながらも、少し胸が熱くなる。彼らは短期滞在の、残された僅かの時間を賭けているのだ。私がそれを無下に否定するのも酷だろう。
(一生後悔か、その一生はもう終わり、今の一生はかりそめのものなんだけどな。)
「……分かった。ただし、無理は絶対にしないで欲しい。いざというときは私が全力で守るから」
ギィラスも「私が、若者たちのお守りをするとはな」と嘆きつつ、結局は同行を了承した。こうして私たちは魔王崇拝者を探し出し、リクの呪いを解くべく動き始めたのである。
夜の森に、冷たい月光が差し込む。私とギィラス、そして五人の高校生たちは、人気の少ない道を進んでいた。情報によれば、放火犯を含む不審者の一団が、この森の奥に潜んでいるらしい。
森を進むにつれ、ピリリとした空気が漂う。タカトが「うお、こえーな……」と呟き、マナはやや震えている。ユイは「大丈夫、みんなで頑張ろう」と励ましているが、やはり高校生には荷が重い冒険だろう。
「ツクヨさん、わたしたち、本当にやれるのかな……」
ユイが不安そうに訊いてくる。私は微笑んで、彼女の肩を叩いた。
「大丈夫。私も、ギィラスもいる。この世界の秩序を乱す奴、それが転生者というのであれば、転生神として見過ごせない。あなたたちを守りながら、何とか解決する。」
程なく、先の方にほのかな明かりが見えた。キャンプファイアのようにも見えるが、不気味な呪術の火かもしれない。ギィラスが手をかざし、遠目に観察する。
「いたぞ。数名の人影がある。そして……おそらく、あれが“魔王崇拝”の儀式だろうな」
私たちは木々の影に隠れながら、そっと近づく。そこには黒いローブをまとった者たちが円陣を組み、赤黒い光を放つ祭壇のようなものを囲んでいた。まるで儀式の最中らしく、低い声で呪文を唱えている。
「リク……!」
マナがリクの袖を指すと、そこに刻まれた紋章が赤く光を放っている。まるで呼応するかのように、リクが苦しそうに呻く。危険すぎる状況だ。すぐにでも止めなければ、リクが乗っ取られる可能性だってある。
「面白い。客人が来たようだな」
突然、円陣の中心から声が響いた。そこに立っていたのは……見た目こそ男だが、その背後に濃い魔力を纏った異質な存在感がある。そして――確かに日本人のような顔立ちだ。ここまで来て確信した。これが“魔王崇拝者”で、間違いなく、転生者だ。
「おまえらも、一人は除いて、異世界から来たようだな。貴様らと同じ……日本出身だよ、俺は。もっとも、こんな世界で“魔王”になる道を選んだわけだがな」
男は嘲笑混じりに言葉を続ける。その口調はどこか自棄的な響きを帯びていた。どうやら正気を失いかけているのか、それとも初めからそういう人物なのか……。
「転生……?」
ギィラスは、目を白黒させている。あとで説明をしないといけないが、今はそれどころじゃない。
「あなたが、リクに呪いを……?」
私が問いかけると、男は「呪いか、そう呼んでもいいが……俺はただ、仲間を増やしたかっただけさ」と不気味に笑う。
「この世界はな、所詮は弱肉強食。人が死に、争いが絶えない。だったら力を持って支配するのが早い。魔王崇拝なんて言ってるが、要は俺の理想の世界を作るための手段だよ。……リクとかいうガキも、素質がありそうだったから誘ってやったのに」
「ふざけんな!」
タカトが怒鳴り声をあげ、シンヤも拳を振り上げた。彼らは必死にリクの肩を支えている。リクは相手の放つ魔力に誘われて、ふらふらと立ち上がりかけていた。
「リク! しっかりして……自分を保って!」
ユイとマナが必死に呼びかけると、リクは荒い呼吸をしながらも意識を保とうと踏ん張っている。
「なんという友情ごっこだ……くだらんね。ガキが遊び半分で異世界に来たのか。だからこうして簡単に利用されるんだよ」
男の言葉に、私の怒りが燃え上がる。「あなたは、転生のシステムを利用して、世界を混乱に陥れているのか。私も転生者でね、さすがに見逃せない。暴走を止めさせてもらおう。」
「ほう、転生者。面白い。俺を止めてみろ。――ただし、ここにいる眷属たちも黙ってはいないぞ」
男が合図をすると、周囲のローブ集団が一斉に動き出した。ギィラスが叫ぶ。「来るぞ……防御態勢を取れ!」
私は五人を守るために、光の盾を展開する。ギィラスは火炎や氷結の魔法を駆使して相手を牽制。ローブ集団は黒いエネルギー弾を放ってくるが、私の結界がそれを何とか防ぎきる。
しかし、中心に立つ男は動じない。むしろ余裕の笑みを浮かべている。「くく……お前ら程度が束になっても、真の魔王の力には及ばないさ。見ろ、これが俺の力だ!」
男が両腕を広げると、祭壇が闇の気を増幅させ、リクの袖に刻まれた紋章がさらに赤く灼き光を放つ。リクは声にならない悲鳴を上げ、膝をつきそうになる。
「リク!」
ユイが叫び、駆け寄ろうとするが、黒いローブの一人が立ち塞がる。瞬間的に私がその者を光弾で弾き飛ばすが、また別のローブが襲いかかってくる。数が多い。いつまでも防戦一方では埒があかない。
「くっ……何とか中心の奴を止めなきゃ……」
私は咄嗟にギィラスとアイコンタクトを取る。彼は頷き、何らかの大技を準備する様子だ。呪文を唱える彼の周囲に、強力な魔方陣が浮かび上がる。だが詠唱には時間がかかるため、私が敵の攻撃をすべて引き受けなければならない。
(もう、迷っている場合じゃない……!)
私は転生神の力をさらに高め、自ら男のいる祭壇へ突進した。周囲の眷属が闇の波動を放ってくるが、光の結界で切り抜ける。男が薄く笑みを浮かべ、「来たか」と呟く。その瞬間、私は“月の帳”を再び発動し、視覚と空間を一時的に乱す。だが男は転生者のせいか、簡単には幻惑されない。互いに睨み合い、一瞬の攻防が始まる。
「ツクヨさん……!」
リクの苦しむ声が背後で聞こえる。紋章が今にも暴走しそうだ。私は焦りを感じながら、男の攻撃を避ける。すると、男は軽口を叩く。
「お前の力は悪くないが、本物の“支配者の力”には及ばん!」
闇の剣を振りかざす男。私はぎりぎりでそれを受け止め、光の刃を作り出して対抗する。しかし、まるで奴のほうが一枚上手なように感じる。長年この世界に根を張り、闇の魔王の力を研究してきたのだろう。
一方で、ギィラスの呪文が完成に近づいているのを感じる。こちらが倒れないよう耐え抜けば、彼の大魔法が男を仕留めるかもしれない。
そのとき――脇から飛び出したのはリクだった。彼は苦痛に耐えながら、眷属との攻防を掻い潜ってこちらへ駆け寄ったのだ。唇を震わせつつ、拳を握りしめている。
「まだ……動けるのか」男が驚きを見せる。しかし、リクは限界寸前だ。紋章が腕に焼き付き、血が滲むように痛みを与えているのが見て取れる。
「リク! 下がって! 危ないから!」
私が叫んでもリクは止まらない。タカトやシンヤも必死に眷属を抑えている。ユイとマナは涙ぐみながらもリクを見守るしかない。
「こんなところで、終われるか……! せっかく、みんなで……修学旅行して……楽しかったのに……!」
リクの叫びは血の滲むような悲痛さを伴っている。私はその声に胸を打たれ、男に向けて光の衝撃波を撃つ。同時にリクが男に向かって突進し、紋章が灼熱を帯びながら青白い光を放った。
「なっ……何だ、それは……!」
男が瞠目した瞬間――リクの腕から紋章が弾け飛んだ。闇に沈むはずの呪いが、リク自身の強い思いによって暴走方向が変わり、逆流したのだろう。弾けた魔力が男に返り、祭壇を砕く。
「ば、馬鹿なっ……!」
男が膝をつく。そこへ待ち構えていたギィラスが「今だ! 《封炎破断》!」と叫び、巨大な炎の渦を男に叩きつけた。凄まじい爆風が起き、黒いローブ集団が吹き飛ぶ。私の結界が仲間を守り、周囲への被害を最小限に抑える。
煙が晴れると、男は倒れ伏していた。祭壇も崩壊し、闇の儀式は完全に破壊された。
「ふう……どうやら、勝ったようだな」
ギィラスが息をつき、私も膝に手をついて呼吸を整える。眷属の大半は力を失い、逃げ出す者もいるが、もはや脅威ではない。
リクは肩で息をしながら立ち尽くしている。紋章は消えていた。まるで何事もなかったかのように袖は破れているが、もう痛みは感じないようだ。
「リク……大丈夫?」
ユイとマナが駆け寄って抱きとめると、リクは「うん……もう、何も苦しくない」と微笑んだ。タカトとシンヤも合流し、全員で涙ぐみながら安堵の笑顔を交わす。
私は男の元へ近づき、その様子を確認する。彼は意識を失っており、完全に戦意を失っていた。このままこの世界の法に裁かせるか、それとも転生神として“強制送還”するか――判断が必要だ。だが今は、とりあえずリクの安全を確保するのが先決。彼を放置すれば、また別の場所で同じことを繰り返すかもしれない。
「ギィラス……この男は私が預かる。世界に余計な混乱を与えないように処理することにする。協力してくれて、本当にありがとう」
「さっきから、転生とか。一体何の話だ?まさか?」
私はギィラスの言葉を遮り、「いつか説明するときも来るかもしれない。でも、ここはお互いの安全のためにも、時が来るまで忘れていてほしい」と告げる。これは上司に報告が必要だし、ギィラスへの説明も考えないと。厄介だが、あとでゆっくり考えよう。
ギィラスは、少々納得のいかない顔だが、無言で頷き、後ろを振り返る。見ると、五人がこちらをじっと見つめていた。恐怖と安堵と、さまざまな感情が入り混じる視線。
「君たち……無茶をしたが、よく無事だったな。どこから来たか、ツクヨの顔を立てて詮索しないことにする。これで縁も切れるだろう。……あとは自分たちの旅を続けるなり、好きにするがいい」
そう言い残し、ギィラスは立ち去った。ローブ集団の処理など、まだやることは山積みだろう。しかし、彼は私たちに向けて微かに微笑みを浮かべていた。
こうして“魔王崇拝の転生者”を倒し、リクの呪いは解かれた。一行は森を抜け、安全な場所へ戻る。短期転生の期日は残りわずかだが、ようやく平穏に戻れそうだ。
傷つき消耗した彼らは街で休息を取りつつ、最後の数日をゆっくり過ごすことに決めた。大きな事件が解決し、もう誰にも追われる心配がなくなったからだ。
「正直、こんな大冒険になるとは思わなかったよな……」
タカトが苦笑し、シンヤも「一生分のヒヤヒヤを味わった気がする」とつぶやく。ユイとマナは「でも、最後に“青春”って感じだったね」と、少し微笑み合っている。
リクは、袖が破れて制服がボロボロだが、それでも「これが俺の修学旅行の勲章だな」などと冗談めかして笑っていた。もちろん、怖かったはずだ。でも、それ以上に仲間と共に乗り越えられたことが嬉しいのだろう。
私も心底ホッとしながら、彼らの様子を見守る。しばらくして、短期転生の“ひと夏”が本当に終わりを迎える時が来た。せめて最後にと、彼らは制服姿で港に立ち、魔道具カメラで写真を撮る。夕日を背景に並ぶ五人の姿は、確かに青春の1ページそのものだった。
「ツクヨさん、本当にありがとうございました! 最高の思い出ができました!」
彼らは口々に感謝してくれる。あの危険を“最高”と言うあたり、やはり若さゆえのパワーだと感心する。本人たちも何かを乗り越えた達成感があるのだろう。
「私も、お疲れさまでした、って感じかなぁ。本当はこんなに危険な目に遭わせる気はなかったのに……でも、みんなのおかげで私も改めて感じたことがある。――転生って、やっぱり素敵な可能性を秘めてるんだなって。」
五人が嬉しそうに笑顔を交わす。誰かがつぶやいた。「これから新しい人生を迎えるときも、きっと俺たち、忘れないよ……この“ひと夏だけの転生修学旅行”のこと。あ、でも、普通に転生したら、全部忘れちゃうのか。」
私の胸も少し熱くなる。特例としての異世界転生ない限り、新しい人生では、魂から前世の記憶は失われるというのがルールだ。
「それが、そうでもないんだよ。みんな、これまでの人生で、自分でもどうしてそんなことをしたのか、選んだのか、理由が思い浮かばないことはなかったかな?実は、人生を終えて新しい人生を始めても、どうやら経験や思い出は、意識できないところで引き継がれるみたいなんだよ。転生神の経験上、確かだっていえる。」
彼らの魂がすべてを忘れるわけではない。記憶のどこかに、この青春の断片を残すだろう。やがて別々の人生を歩むことになっても、この絆は本物だ。
「じゃあ、そろそろ時間。あなたたちは一度元の魂の状態に戻って、今度は本来の世界に転生することになるでしょう。――きっと、素敵な未来が待っているはず。だって、短期間とはいえ、こんな特別な経験をしたんだから!」
五人は名残惜しそうに頷く。最後に全員そろって深くお辞儀をした。私も心からの笑みを返す。月光が静かに海面を照らし始め、ゲートの光が淡く広がった。
彼らを包む転生の光。眩く輝くカメラのフラッシュのように、一瞬で消え去ってしまう儚さがある。けれど、確かにこの世界で過ごした日々は存在した。思い出は無駄にはならない。
「また、どこかで会えるかもしれない。それが転生神の私の勘。……じゃあね、みんな」
そう告げたとき、五人はそれぞれの笑顔を浮かべて消えていった。波間に月が揺れている。私は一人、その光景を見届けながら、小さく息をつく。
今回の事件は私にとっても試練だった。転生神として、どこまで干渉すべきか常に迷い、悩んだ。もし私がもう少し早く動けていたら、彼らにあんな危険は味あわせずに済んだかもしれない。けれど、彼らが最後に見せた笑顔は、確かに“青春”と“転生”をしっかりと繋いでいた。
「彼らの新しい人生が、どうか素晴らしいものでありますように……」
そう願いを込めて、私は夜の港を立ち去る。帰るべき場所は、転生管理局のブース。膨大な転生希望者の申請が、また私を待ち受けている。けれど、今はほんの少しだけ、彼らと過ごした“ひと夏”を思い返していたい気持ちでいっぱいだ。
月の光は、どの世界にも等しく降り注ぐ。そこに生きる魂を導くのが、転生神のツクヨの仕事。それを再認識し、私は静かに夜空を見上げた――。
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