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わたしの方が好きでした  作者: 帆々
ブーケ

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 迷った末、リゼはショパン婦人にアグネスの件を全て打ち明けることにした。婦人の自宅を訪れ、サロンで向き合った。


 穏やかな表情を見れば、彼女の満ちた日常を乱すことに罪悪感もある。しかし、エルはブーケの意向だけを注視しているようだ。希望があれば親しく交際することもあり得る。


 アグネスへの疑念が晴れないままブーケたちに近づいて欲しくなかった。リゼの取り越し苦労で済めばいいが、そうでなかった時ブーケはまた傷つくことにもなりかねない。


 詳細を聞いた婦人は両手を握りしめた。


「他人のわたしが立ち入っていい問題ではないとわかっているの。けれど、おばさまからは以前にブーケの出生のことをお聞きしています。そのお話とアグネスの言葉はかけ離れているの。それでもう見過ごせなくて……」


「正しい判断よ」


 暖炉の火が婦人の頬を薄く照らしている。それがリゼには昂った感情によるものに見えた。


「家族ぐるみの交際をしているリゼが他人だなんて。あの話をしたのだって、あなたを信用していればこそよ。勝手を言えば、ブーケのためにエルに足りない面をあなたに助けてもらえたらと考えたの」


 婦人の意図はおおよそリゼの想像通りだった。その思いで気負ったのではない。接するごとにブーケには親しみも増し、自分に出来ることで手を貸すことは本望だった。


「言うに事欠いて、兄夫妻が追い出しただなんて。アグネスの要求で支払った額が額なものだから、その場に会計士もいたはずよ。なら正式な控えもあるのに馬鹿なこと」


 硬い声や表情からも不快さを感じ取った。亡夫の両親からエルムが多額の金銭を受け取ったことは証拠が残っていそうだ。やはり、彼女が嘘をついていることになる。


 婦人からブーケの母親の事実を聞いた時は、非難する口調の婦人を理解しつつもリゼの心持ちは異なっていた。若い未亡人が人生をやり直したくなる感情を責められなかった。ブーケには頼りになる資産家の祖父母も叔父も揃っている。母親を振りかざし引き取ることが絶対に子の幸せではないと考えたのかもしれない。その際にある程度の金銭を求めても、卑劣ではないのでは……。


 同情ではないが、そんな風な母親の側に立った見方も浮かんだりもしていた。


「調べればすぐにわかる嘘をつくなんて、何が目的なのかしら?」


「調べるまではわからないわ。フィルの死で塞いでいたエルには、その妻が金で子供を売り払って去った、とはとても告げられなかった。ブーケの成長に伴ってより口を閉ざすことになった。二人には知らないでいい過去になったのよ。リゼがわたしから事情を聞かされていたことは、アグネスにとって落とし穴ね」


 リゼは頷いた。それがなければ彼女への不審感も強まることはなく、エルの判断に異を唱えることなどなかっただろう。


「現れた望みはお金じゃないかと思うわ。ブーケへの愛情を言うのなら、今まで何をしていたのかしらね。理由があるから思い出したのよ」


 ショパン婦人はそれを「お金」だという。その読みはリゼにしっくりときた。「母性があふれ出した」などのきれいごとではあり得ない。


 過去は隠し通せても、新たに母親がブーケを金に換えようと目論んだと知れば、ひどく傷つく。それは絶対に避けたい。


「アグネスはわたしを見れば慌てるはずよ。都合のいい嘘が通用しないもの。上手くすればそれだけで逃げ出すかも」


「お話しして良かった。わたし一人ではどうしていいか……。エルはアグネスに遠慮があるようで、焦ったく思っていたの」


 リゼは肩の荷が降りる思いだった。心に居座ったアグネスへの不信感に絡む鬱屈がふと軽くなる。笑みが浮かんだ。


「念の為に兄たちにも話は通しておくわ。二人で追っ払ってやりましょう」


 ショパン婦人の力強い言葉にリゼも深く頷いた。




 リゼは乗合馬車を降り、ビングリー家に向かって歩いた。仕事の合間に余裕を見つけてブーケの様子を見に立ち寄ることはもう日課になった。


 公園前を通過すればほど近い。その時ふとそれが目についた。男女の二人連れだ。女性はあのアグネスで、その隣で彼女に頷いている男性はエルだった。二人は遊歩道を歩いている。リゼの側から見ると理想的な若い夫婦の姿に見えた。


(お似合いの)


 彼女は二人から目を逸らし歩を早めた。


 休日でもないこんな昼下がりに、多忙なはずの彼は何をしているのだろう。ブーケのためなら時間を空けるのは当然だが、アグネスにつき合う意味がわからない。


 ビングリー家に着くとブーケはミス・クローバーの前で絵を描いていた。リゼの訪問にブーケは鉛筆をさっさと放り出した。ミス・クローバーは眉をハの字にして苦笑した。


「お勉強のお邪魔ね。すぐに失礼するから」


「もう十分学んだわ。さっきまでミス・ゼノンがいらしていたの。お父様もご一緒にお茶をしたわ」


「そう……」


「お祖父様のお屋敷のことをよくご存知なの。それでお父様とお話が弾んでいたわ」


 彼女の知らぬ間にアグネスは家庭に侵入し始めている。頰の辺りが強張る気がしたが、笑みで封じ込めた。亡きフィルを通じて二人には通う話題が多い。リゼには決して立ち入れない領域だ。ふとそこに寂しさと羨望を感じた。


(忠告されるか、叱られるか、助言されるか……)


 自身を振り返れば、エルからの言葉はほとんどそれだ。仕事にちなんだ事柄も多くを占める。それの何が不満なのかわからないが、アグネスとは違うことはっきりと心に刺さる。


 そのまま時間を過ごしエルの帰宅をしばらく待ったが、彼が帰る気配はなかった。そのまま仕事に戻ったようだ。


 ショパン婦人にアグネスの疑念を打ち明けたことは、エルに言えないままだ。告げ口をしたようでそれが後ろめたかったが、敢えてその必要もないと婦人が言ってくれたことは救いになった。


「明後日の晩餐のことをミス・ゼノンにお話ししたら、とても喜んで下さったわ」


 明後日の晩餐はリゼからブーケに仕向けたものだった。それをブーケは父のエルにねだった。彼は娘の意見とのみ捉えてすぐに承諾した。その晩餐には招待されていないショパン婦人も訪れる手筈になっていた。そのことはリゼのみが知ることでブーケもエルも知らない。


「その時のアグネスの顔が見ものよ」


 と婦人はほくそ笑んでいた。


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