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わたしの方が好きでした  作者: 帆々
変化

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17

 

 夜会の当日はテリアの迎えの馬車で向かった。途中彼の知人を拾い目的の会場に着いた。


 真新しいドレスのおかげで気後れなく過ごせた。女性にとって社交の場で衣装が見劣りすることほど惨めなことはなかなかない。それだけで心にゆとりが生まれる。


 テリアも同伴者としては親切で申し分なかった。普段はタイも締めない気取らない身なりだが、夜会服がよく似合う。


 演奏の間は静まった会場もその前後では談笑で場が溢れた。従僕の配るグラスの酒を取り、テリアがリゼに渡してくれた。


「さっきのピアノ伴奏の歌い手、どう思いました?」


「声も美しくて素晴らしかったと思うわ」


「声は確かに。でも……」


 彼はそこで声を落としリゼの耳元でおかしそうに笑う。


「彼女のあの膨らんだ袖が……。腕が風船になって飛ぶんじゃないかと思えてしょうがなかった」


「衣装屋で見たわ。流行のデザインのようよ」


 返しながら彼との近さにどきりと胸が鳴った。と、そこへ当の本人がすれ違うように通るから慌ててしまった。まだ笑いを引きずる彼へ、


「失礼よ」


 と軽くにらんでたしなめる。男性にはドレスの流行が滑稽に見えるのかもしれないが、膨らんだ袖のそれは着る人を選ぶもので、先ほどの女性は背も高くよく似合っていた。小柄なリゼ自身はとても選べなかった。


(フランみたいな人なら似合いそう……)


 キッドを奪った姿のいい女性がふと浮かび、惨めな気分になった。普段忙しくしているため忘れていられることも多いが、決して遠い過去ではなかった。


「あなたを不快にさせたのならお詫びします。申し訳ない」


 テリアは詫びてくれたが、彼女の表情が曇ったのは彼の言動のためではない。彼女はすぐに首を振り笑顔を作った。


「あなたとは関係ないことよ。まだ早いのかも……、こんな場所に来るのは」


「どうして? 誰の許可が要るの?」


 彼には離婚したことは教えてある。既婚者かと問われて、いいえだけで答えるのは正直ではないと思えてしまったから。そしてその経緯も簡単に明かしていた。健康でないキッドを家から追い出したのはリゼだ。見る人によっては、財産のある彼女が一方的に酷い横暴を行ったようにも取られてしまう。


「僕の友人を紹介させて下さい」


 テリアに連れられて彼の友人らと談笑した。社交の場には結婚前には出席することもあった。若い女性の目的は男性方に選んでもらうためだ。既にキッド一人に相手を決めてしまっていたリゼには、当時は退屈でしかなかった。


(素敵な相手と一緒だと、こうも気持ちが変わるのね)


 場の雰囲気も人との会話も楽しいと思えた。ドレス代を支払う価値はあったと納得できる。


 帰り、車寄せで馬車を待つ間、歌を披露した「膨らんだ袖」の女性が離れた場所からリゼを見ているのに気づいた。テリアのふざけた言葉と笑いがしっかり届いていたのを知る。申し訳なくて目で会釈だけ返したが、すぐに相手から逸らされた。


「あの方、不快だったようよ」


「え?」


「あなたが笑った「袖」の女性」


「彼女が何か?」


「じっと見ていたわ。嫌な二人連れに思ったのかも」


「僕がふざけたせいだ。あなたが気になさることじゃない」


 テリアはどうでもいいように返した。面識もなくこれきりの縁だ。確かに深く考える必要はないだろう。引きずって楽しかった余韻を潰すのは惜しかった。


「こんな会に誘って下さったのだから、お礼をしたいわ。お食事にお招きしたら迷惑かしら」


「お礼は不要です。僕の都合に合わせてくれたのだから。でも招いて下さるのなら大歓迎ですよ」


「年上の素敵な友人もお招きするわね」


「ああ、例のショパン婦人ですね」


 離婚の経緯を打ち明けた際に、賃借人のショパン婦人が尽力してくれたことも話してあった。床下の声を聞いて……、のくだりは余計でもちろん言っていない。


「婦人の甥御さんが話し合いに立ち会って下さったから、とっても助かったわ。お若いのに大きなホテルのオーナーをなさっているようよ。『オレアンダー』というホテルをご存知?」

 

「公園大通りの沿いの?」


「ええ」


「確か、リゼの工房と契約したのはそのホテルではなかった?」


「そうよ」


「そうか……」


 そこでテリアは言葉を切った。馬車に乗ってからもその続きを彼はつながない。別な話題を持ち出すから、先を言う気がないのが知れた。


 ちょっとできた沈黙に、リゼはさっきの違和感を問うてみた。


「何をおっしゃろうとしたの? うちの工房の契約のことだもの、気になるわ」


「申し訳ない。妙な気分にさせてしまった。話を聞いてちょっと……。でも僕の思いつきなど価値はない。単なる印象だから」


「そんなことはないわ。ぜひ聞かせて」


 テリアはリゼを見つめ、言いよどんだ後で話し始めた。


「ショパン婦人の甥の彼は、リゼの離婚の事情を詳しく知っているよね。助力したのも叔母の顔を立てる他にあなたを気の毒に感じたこともあると思う。困ったご婦人に手を貸したい気持ちは、よく理解できるよ」


 彼が何を言いたいのか読めず、彼女はちょっと焦れた思いで言葉を待った。テリアはちらりと車窓を眺めてから目を戻した。


「リゼとの契約は……、その気持ちの延長なのじゃないのかと考えてしまった。彼にはそう出来る力があるしね」


「え」


「そうだからといって悪いことはない。彼は親切を発揮して自己満足できるし、リゼにとっても大口の契約はありがたいだろう。互いに益するだけのことだ」


「それは……」


 リゼは考え込んでしまった。テリアは『オレアンダー』との契約をエルの親切心からの行為だと言う。更に、その親切は彼女を気の毒と感じた感じた彼の同情心から生じているのではないか、とも。


 工房に連絡をくれたのは支配人だった。契約を決めてくれたのもそう。しかし、そこにエルの意図が混じっていないとは言えない。思い出せば、ロビーで会った時の気遣いもいたわりを感じた。気分を悪くした彼女にとても紳士的で優しかった。


(衣装屋の時も……)


 偶然衣装屋で再会した際には、仕立ての融通を利かせるのに自分の名前を使ってくれていいとまで言ってくれた。叔母の友人以上でないリゼに見せる親切には、ちょっと過大かもしない。


 その理由として、テリアの示した彼女への同情心はとても納得がいく。それが胸の中をざらっとひと撫でした。


(そうなのかも)


 浮き立った気分は消え、少しだけ心が傷ついたのを感じた。


 黙り込んだリゼの顔をうかがいテリアが詫びた。


「僕の言葉など気になさらないで。世間知らずな学者の戯言だから」


 彼は言い渋っていたのに無理に聞き出したのはリゼの方だ。彼女は首を振り微笑んだ。気にしていないというように。


 テリアは「学者の戯言だから」と言う。しかし、そんな第三者が聞けばすぐに思いつく印象は、確かなものなのではないか。


 ふと、エルの言葉が思い出される。ロビーでの別れ際だった。


「僕も兄の死で一時期同じようなことがあった。でももう何ともない」。


 過去に大きな喪失を経験した彼が、傷心した彼女へより同情の思いを強くするのは自然だろう。その感傷でもって契約を結ぶように計らってくれたのは、想像に難くない。


 家まで送ってくれたテリアとは晩餐を約束し、笑顔で別れた。寝室で衣装を解きながらため息がこぼれた。


 工房に大きな利益が見込める事実に変わりはない。経営者として満足すべきだ。なのに、手放しで喜んだことも努力を通して自信につなげたことも、手のひらから滑っていくようだ。


 味気なく思えてしまう。


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