2013/ 4/ 10 (2)
目的:私が「友」と呼んできた関係は、果たしてどれほどの実体をもつのか。
それが、私の願望とどれほど乖離しているのか。それを知ること。
実験内容:二週間を目安に、すべての友人関係を断ち切る。
連絡を絶ち、反応を絶つ。
自分にとって、または他者にとって互いがどのように影響していたのかを観察する。
P.S.
実験などとたいそうなことを言ったが、 要は相手を試しているだけである。
自分に必要か、そうでないかを。
いずれ彼らには、すべてを打ち明けるつもりでいる。
しかし、それは良心から来るものではない。
打ち明けた際に、彼女らがどのような対応をするのか、
それもまた、重要な観察材料なのである。
3/23
今日をもって、私は学校生活における現在の友人関係をすべて断ち切った。
連絡手段を削除し、特に親しかった者は、自らの手でわざわざブロックした。
一応彼女に関して、筋は通したつもりだ。
話の流れの冗談に過ぎなかったが、
それでも彼女に絶交を告げることはできた。
彼女がその言葉をどこまで受け止めたかは分からない。
だが、そうすることで少しでも私の心を軽くしたかった。
罪悪感はある。
何様のつもりなんだと自分を責める気持ちだってもちろんある。
しかし、もうすぐ破滅するかもしれないというのに、そんな感情に躊躇など誰がしようものか。
どうせ死ねば、関係は自然と絶たれる。
ならば、生きているうちに断ったところで大差ないだろう。
今日の私は、説明することのできない奇妙な胸の高鳴りに包まれていた。
わくわく...とはまた違う。
あえて言葉にするのであれば、元気で小さい豆粒くらいの子供たちが、私の体内に侵入し、
大声を出しながら走り回り、脳みそをかき回しているような感覚だ。
ぐちゃぐちゃな気持ちとも表現できるかもしれない。
自分の体が自分の体じゃないように感じる。
いつも通り歩ける、いつも通り文字を書ける。しかし、どこか上の空な感情になる。
私は常にそれを俯瞰して実感している。
体内で起きていることだから、決して止めることも宥めることもできない。
私には、ただただ、それを静観することしかできないのだ。
この子たちは一体どこから来たのだろうか。
長年の苦悩が消えるかもしれないという高揚なのか。
あるいは、陽気な姿を見せることで私を元気付けているのか。
わからない。
だが、幸運なことには違いない。
だって、この子達がいる間は私は後を向かずに済むのだから。
3/25
昨晩はあまり眠ることができなかった。
短い睡眠。
たった2時間、意識が離れている隙に、子供たちは私のもとを去ってしまった。
散々荒らされた体内に、罪の意識が濁流となって流れ込んでくる。
一日が重く、鉛のように沈む。
あんなに興奮していたのが嘘のようだ。
背徳感が自身の首に纏わりつき離れない。
人と関わらない日々が、ここまで苦しいとは思わなかった。
今までも一日二日完全に人と会わない日々はしばしばあった。
しかし、心の拠り所が完全に無くなった今、その虚無感は比ではなかった。
私は今この瞬間の孤独を憂いているのではない。
この先も孤独であるということに、嘆き絶望しているのである。
前は孤独など苦ではなかった。むしろ一人でいる時間が私には必要だったし、それを愛していた。
しかし、孤独を楽しむことができるのは、
自身が孤独ではないという前提に基づいているのだとようやく気付かされた。
私はただ、保証付きの安全な孤独を楽しんでいただけだ。
ブロックしたことは、すぐに相手に知られたらしい。
予想よりもずっと早かった。
こんなに早くブロックってわかるものなのか。
驚愕した。
何度も実験を止めようと思った。
引き返そうと思った。
しかし、それはできなかった。
私の確固たる何かが、頑なに私をそこに留めた。
これが、ベルへの申し訳なさからくる義務感なのか、私の意地なのか、
それとも純粋な恐怖なのかはわからない。
むしろそれらが複雑に絡み合い、強固な鎖となって私の足首を縛り付けているようだった。
あー、生きづらい世界だ。
3/26
私はこの日、自分の友人関係を一旦、冷静に見直すことにした。
ここ数日、友人たちに何度も連絡したい衝動が湧いた。
その理由を抽出し、そこから私にとっての友人を分類してみることにしたのだ。
結果、友人を大きく4種類に分けることができた。
1. 一緒にいて楽しい友人
思えば私は、誰かと「楽しみたい」から出かけたことがほとんどない。
何かをする理由は、いつも経験への好奇心であり、
「楽しいから会いたい」という衝動を自覚したことがない。
ただ、彼らとはまた遊びたいとよく思う。
2. 都合の良い友人
実験前、私はここに分類している人物たちを“親友”だと信じていた。
しかし実際には、私が求めれば時間を差し出し、
話を聞き、心の空白を埋めてくれる。
まるで都合の良い存在として扱っていた。
生前のリアは、この関係を指して言った。
「それは親友じゃなくて、奴隷だよ」
私はその洞察に、今さらながら脱帽している。
絶縁し、ソーシャルメディアをブロックした友人たちは、
すべてこれに分類されている。
彼らは皆、優しかった。
だからこそ、私は自分の欲求を満たすために、
彼らを利用していただけなのかもしれない。
私に親友などいなかったんだ。
3. 好かれたい人
私にないものを持ち、
未知の価値観をくれそうな人。
相談に乗ってくれそうな人。
彼らは常に眩しく、輝いて見える。
私は彼らに認めてもらいたい、褒められたいと願っているようだ。
4. 暇つぶしの関係
あまり良い表現ではないという自覚はある。
だが、潜在的に私はこう感じているのだと気づいた。
話し相手がほしい。
一人で食べたくない。
そういう時に声をかける、別に好きでも何でもない存在。
特段楽しくはない。特段嬉しくはない。
ただただ暇を潰すための存在。
自分より弱い存在
いなくても困らない存在
この関係は、改善しなければならないと思った。
この中で、最も多いのは暇つぶしの関係であり、
最も少ないのは都合の良い関係だった。
結局、私が築いてきた人間関係など、
無意味で、薄っぺらく、倫理性に欠けていたのだと思い知らされた。
リアが口癖のように言っていた「情けない」という言葉が、
最近やけに頭から離れない。
私の友人関係とは、所詮この程度だったのだ。
だが、不思議とこの事実はすんなり受け入れられた。
きっと、とうの昔に気づいていたのだろう。
自分の人間関係が軽く、
自分という存在が薄いことに。
軽薄な生涯である。
生きるに足る何かを模索しようと始めた物語で、
自分にはそもそも生きる価値がないと悟るとは思わなかった。




