2012/ 8/ 8 (2)
ベルの人生は、カナダで幕を開けた。
当時の彼女の名はBelle Tremblay。
優しさの意味を知らない、暴力気質な父親の家庭に生まれ落ちた。
そのため、彼女の幼い日々は、常に怒号に染められていたという。
しかしそんな家庭でも彼女は決して努力をすることをやめなかった。
元来彼女はそれほど強い子ではなかったが、それでもいつか救われる事を信じて常に気丈に振る舞った。
学校では友人作りに尽力し、友人の親にも愛想よく対応した。
その甲斐あって、彼女が七つの春、父親は警察に連行された。通報したのは彼女を良くしていた友人の母親だった。
その日ようやくベルの努力は身を結び、優しい母の腕に抱かれるようになった。
また、この時ベルは努力をすることの重要性を学んだ。どんなに苦境でも、努力をしていれば周りに認められ、助けられて、最終的に報われるという風に感じた。
”暴力があった”という意味では彼女と私に近しいものがあったのかもしれない。
しかし、外に逃げた私とは違い彼女は自力で問題を解決させた。何より彼女は母の愛を知っていた。そういった意味でいえば、私たちの人生はにているようで全くの別物である。
ここからさらにベルに好機が訪れる。
母が観光で訪れていた日本人――**古賀 実弥**と出会い、交際を始める。
実弥は、穏やかで物静かで、しかも裕福なそんな理想的な存在だった。
彼の存在は、貧しい二人の暮らしをまるで魔法のように変えた。
彼女は快活に学校生活を楽しみ、その陽気さは自然と人の輪を作った。
生活は順風満帆となり望むものなど何もなかった。
別に宗教に属しているわけではないベルだったが、それでも自分や母の苦悩や努力を神が見ててくださり、報われたのだと感じていた。
やがて時は流れ、小学校卒業と同時に、ベルは母と共に日本へと渡ることになった。
月に一度しか会えなかった実弥と、ようやく同じ屋根の下で暮らせることに胸を躍らせた。
周囲から寄せられる羨望の声に、まるで花びらが舞うような心地で浮き立っていた。
ベルにとって実弥は、かつての恐ろしい父の対極にいる存在だった。母と自分を暗闇の海から救い上げてくれた天使のようだったのだ。
この頃に、母と実弥は正式に結婚し、ベルの名前は古賀ベルへと改められた。
カナダにいた頃から、日本語の勉強を少しずつ続けていたベルは、渡航時には簡単な会話ならこなせる程度になっていた。
不安はあれど自身はあった。自分ならうまくやれるだろうという。
こうして、中学生活が始まった。
しかし、結論から言えば――彼女の拙い日本語力では、カナダでのように周囲と溶け込み人気者になることは叶わなかった。
交わす言葉といえば「うん」「はい」のみ。
それも、相手の表情と場の空気に合わせたもの。言葉のキャッチボールは空振りばかりだった。
ベルは日常会話に必要な日本語レベルに自身が全く届いていないことを感じていた。
友を作るのも容易ではない。エピソードトークも培ってきた知識も、言語がなければ伝わらない。客観的に見ても、相槌を打つだけで話の広がらない私を、友達にしたがるものなどいないと理解してはいた。
それでも彼女は諦めなかった。
誰にでも笑顔を向け、言葉よりも表情と心配りで周囲と繋がろうとした。
そのひたむきさは、やがて少しずつ、言葉少なな彼女にも親しみを寄せる者たちを生んだ。
三年の歳月を、彼女は努力と忍耐で歩み続けた。
中学三年生になる頃には、日常会話は問題なくこなせるようになり、気づけばベルの周りには多くの友人がいた。
廊下を歩けば、同学年の誰もが声をかけてくる。
ベルの心優しく、誰にでも分け隔てなく接する姿勢は、学校内でも高く評価されていた。
けれども――それでも、彼女の心はどこか満ち足りなかった。
満たされていないというより、常に「何かが足りない」と感じ続けていた。
その「何か」が、彼女自身もわかっていなかった。
しかし、まるで霧の中に差し込むぼんやりとした光のように、それは確かに心の奥底にあった。
手を伸ばしても掴めず、目を凝らしても輪郭を結ばない。
それでもベルは、その名もなき欠片を求めていたのかもしれない。
そこからさらに一年の月日が経ち卒業式の日、彼女の中学生活も静かに幕を下ろそうとしていた。
そんな中、クラスの人気者であるあきらが「みんなで卒業旅行に行こう」と提案した。
裕福な家庭が多い学校だったこともあり、多くが賛同し、学年の七割が参加する盛大な旅行が企画された。
もちろん、ベルもその名簿に名を連ねた。




