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善悪日記  作者: rikako002
4/7

2012/ 8/ 8(1)

昔、理華子に驚かされたことがあった。 彼女の後ろをつけていたはずの僕が、いつの間にか背後を取られ、「わあっ」って叫ばれて...普段は反応の鈍い僕でも、その時ばかりは慌てふためき、「へなぁあ」と情けない声を漏らしてしまった。恥ずかしそうにしてる僕に気づいて彼女は、少し真面目な調子でこう言った。「驚愕という反応を示せるその性格は、むしろ誇るべきものだよ」そして間を置き、言葉を重ねた。 「世の中にはね、物事に全く無関心で、何を見ても何も感じず、外界からの関わりを一切拒んでしまう人たちがいる」そう言い放った彼女の表情は、遠い過去を思い出すかのように、どこか虚空を見つめていた。

 Date 2012/ 8/ 8


 昨日の夜、私のもとに、亡くなった先輩の弟が訪ねてきた。


 月が隠れたり現れたりを繰り返す、そんな夜だった。


 部屋で本に向かっていると、「ピンポーン、ピンポーン」と無遠慮に鳴り響くチャイムの音が、私を現実に引き戻した。


 その雑音は、静寂な夜の湖に投げ込んだ小石のように、胸の奥に波紋を作った。


 ドアを開けると、そこに彼はいた。


 つい一週間前、葬儀で顔を合わせ際の彼は、魂を削り取られたかのように青白く、まるで壊れかけた蝋細工のような顔をしていた。


 しかし、今宵の彼は違った。

 何か良いことでもあったのか、あるいは重しが外れたように、浮遊感をまとっていた。


 私は彼のことを葬式以前から知っていた。


 先輩の一つ下の弟で、口にした事全て叶えてしまう天才だと、風の噂になっていた。

 また、その端整な容姿も相まって、クラスで名前がしばしば話題にあがることもあった。

 

 玄関で立ち尽くす彼に、私は入るよう促した。けれど彼は「すぐ済みますので」と微笑し、頑なに首を振った。


 そして、どこか演技じみた笑みを浮かべると、バッグの中から一通の白い封筒を取り出した。封筒の中央には、淡い黒のインクで『古賀ベル』と記されている。

 


 ”古賀ベル”


 先輩の名前。


 彼は封筒を私に差し出し、「これ、姉の遺書です。あなたへのプレゼント」とぶっきらぼうに告げた。


 私はその瞬間、声を奪われたように沈黙した。特別に親しかったわけでもない。交わした言葉など数えるほどの私。


  なぜ私なのか。


 けれど、弟くんは迷いのない真っ直ぐな目で言い放った。

 カナダで生まれた彼の瞳は、妖艶な翡翠の色をしており、思わず吸い込まれそうだった。


  「あなたが受け取るべきなんです!」


 その確信に満ちた口ぶりに、何を根拠にそんなことと考えたものの、言葉は喉の奥で絡まった。


「だって、あなたも欲しいはずだ!」


 少し声を荒げた彼は、あまりに堂々としていて、その言葉は私の心の奥底に潜んでいた欲望を、いとも容易く言い当てた。


 そう――私は、遺書が欲しかった。


  彼女が何を思い、なぜ死を選んだのか。それを知りたくてたまらなかった。

  たとえそれが不謹慎で、私よりも読むべき人間が他にいたとしても。


「これ、正真正銘の原本です。大丈夫ですって。家にはコピーが残してありますから」


 私には何が大丈夫なのか理解できなかったが、そう言った彼の表情は、もう目的は達成したかのように満足げだった。


 また私もそこまで言われて受け取らないことを選択はできなかった。


 結局、形ばかりの遠慮を口にし、彼の押しに負けるふりをして、封筒を受け取った...


 そんな私の姿を収めた彼は、数日前に姉が自殺したとは思えないほど、軽やかな足取りで去っていった。その彼の笑顔は、まるで自分の手で舞台の幕を開けた劇作家のようであった。


 私は部屋に戻り、色々と支度を済ませ、その後二度、大きく深呼吸をした。

 流石の私でも、遺書を読むには、それ相応の覚悟が必要だったからだ。


 封筒を開き、中から便箋を取り出し、もう一度、深く息を吸い込んだ。

 そしてページをめくり、物語の世界に足を踏み入れた



 すまないが、その内容を、ここに記すことはできない。


 なぜなら遺書とは、彼女が死の間際に遺した、最後の作品だと私は感じるからだ。


 もしそれを写せば、私は盗作を行なったことになる。


 それだけは、私の何かがどうしても許さない。


 だが、著作権が消える七十年を、私の命も気力も持ち堪えられまい。

 だからせめて、この日録の中に、私なりの解釈を書き記すことにした。


 彼女が何を思い、なぜ死を選んだのか。

 私なりに読み取り、私の日々を綴るこの記録の一部として、私の見解を残す。


 それが事実に近いのか、見当違いなのか。そんなことは、重要ではない。

  少なくとも、この日録においては、それで十分だから。




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