2012/ 8/ 6
少し赤色に滲んだこの日録への興味は、石のようにただ死体を眺めていた僕を、金縛りから解放してくれた。最初に目に入ったこの日録には2012/ 8/ 6、と日付が記されていた。2012年。四年前。僕らがまだ出会う前の話。複数枚ある日録の一番上に置かれてたこの日録を、僕は一番最初に書き記そうと思う。理華子が何を思い、何を感じて生きていたのか、それを理解できることを願って。
Date 2012/ 8/ 6
前にも触れたように、先週、私の学校で二つ上の先輩が自殺した。
その理由は、家族間のいざこざだと聞いた。
どうやら先輩の家族には母親がおらず、父親も酒に溺れ育児放棄のようになっているそうだ。
これをきっかけに私は、私がそうであるように、先輩も技巧的に生きていたのではないかと考えるようになった。
私は幼少期より、母に金だけを与えられ育てられた。泣けば優しい言葉の代わりに、欲しい物が与えられる。
そういった家庭だった。
ゲームや漫画、暇を潰すものは揃っていたが、家族と一緒に出かけることはほとんどなかったし、いつしか出かけることすら嫌になっていた。
父はよく暴力を振るった。頭を殴られ、腹を蹴られ、ゴミのような人間だが頭だけは良かった。
そんな、エリートな父は、自分が絶対に正しいという信念を持っていて、それに反する度に痛みを体に擦り込まれた。
そういう家庭だった。
そういう家庭だったからこそ反抗することもせず、技巧的に社会へ適応するための術が磨かれた。
私にとって家はヒマラヤのようであった。
傍から見れば立派だが、近づくと草木の生えない極寒で、決して帰りたくなるような理由はなかった。
だから私は、いつしか家を避けて生きるようになっていた。しかし、どうしても孤独になることは嫌だった。だから何がなんでも居場所を作ろうともがく。そういった人生だった。そういう人生であったからこそ私は度を越した技巧的な人間になることができた。
私は人に好かれたいと思うがあまり、人によって態度を変えることを当たり前のようにする人であった。
その上、会話の話題のために、ありとあらゆる趣味を始め、今では多趣味という枠組みからも外れるような存在になっていた。
言うなれば、広くちょっとだけ深く、をとことんまで追求したような、そんなハリボテのような存在であった。
そういった人間性が故に、私には多くの友人がいる。親友も何人かいる。
他者から見たら私は人気者と言われる立ち位置であるだろう。
しかし、私から言わせてみればそれは断じて違い、例えそうであったとしても、人が思うようないいものではない。
なぜなら、私の大切にしている友人関係でさえ、もっと言えば親友との関係でさえ、ある程度の深さしかないハリボテのような関係であるからだ。
一つ断っておくが、親友との関係がハリボテのようなのは、全て私のせいである。そして、私の親友と、世間的な親友の決定的違いは、私が親友を完全に信頼できていないことなのだろう。
こういうことを考えていると、人を愛せないものに人を愛することはできない、のようなテレビでよく擦られている格言が頭に浮かぶ。
そうして私は、自身の正当化のために、この格言のようなものに反論をしようと試みる。
しかし、最終的にぐうの音もでず、この深そうで浅い格言のようなものに敗北するのである。
こうした軽薄な日々を過ごす中で私は、いつしか愛されたいと常日頃から願うようになっていた。しかし、言うまでもなくこの願いは絶対に叶わないであろう。
侘しい。
私は多重人格のようなものである。あらゆるところで顔を作りすぎた結果、矛盾まみれの存在になってしまったのである。
例えば、悪友と絡んでいる時は躊躇することなく非道を行う。
しかし、良友と絡んでいる時は一切の迷いなく自分の正義を貫こうとする。
そしてこの二つの自分は、違う人格ではなく、一つの人格にこのような矛盾が詰まっているのである。
これが私が多重人格のようなものといった理由だ。
私はこういった矛盾の全てを死ぬまで誰に対しても打ち明けることができない。
そのため、誰を完璧に信頼することもできない。
だから愛されない。
しかし孤独で生きていくこともできない。結局は技巧性が継続していくのであろう。
先輩もそうであったのだろうか。
そうだったからそれを断ち切るために飛び降りたのだろうか。
顔もよく知らないただの先輩という関係であるにも関わらず、いや顔もよく知らないからこそ、私はあなたを恋しく思います。
最後に私は、この私の日記を見ているみんなに、人に愛されたと実感してほしい。
私の分も愛を味わってほしい。
無論、技巧的になるなとは言わない、ただ自分の信念に従い、一切の矛盾のないカッコいい技巧性を貫いてほしい。
そうやって愛を知ったあなたが、私の日記を愛してくれたら、そうしてくれたらようやく、私は愛を知ることができるのだから。
愛して欲しい。
Name: 田中理華子
書き記し終えた私に残ってのは、後悔よりも高揚の感情だった。理華子の経験を正しく知ることで僕が理華子に近づいていると実感したからだ。理華子の技巧性には思いあたるところがいくつもあり、彼女との日々がフラッシュバックする。断言しよう、私は彼女を間違いなく愛していた。それも家族愛に負けないくらい。僕との日々で彼女が家族愛を実感してくれていたなら嬉しいと思う。