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短編物語

追放処刑人ザマス

作者: 0


「追放された国を見返す? 粛清対象です」


 くぐもった男の声が青空の下に響いた。


 雲一つない青空。

 春の木漏れ日が二人を照らす。

 鮮やかに彩った桜色の花々は春の香りで鼻孔をくすぐる。


 首から下は私服なのに、その顔には首から上を覆い隠すグレートヘルム。

 なんとも奇妙な格好をした男の名は――ザマス。


 闇に覆われたザマスの視線の先には一人の少女。


 汚れのない純白のワンピースには、空と同じ青のレースの意匠。

 ザマスが贈った大きな麦わら帽子の下から焦げ茶色の髪と緑色の瞳。


 口元に微笑みを携えながらザマスの先を歩いていた少女は、ザマスの言葉に足を止めて振り返った。


 真剣な表情でザマスを見つめる。


「じゃあ、ザマス――貴方が私を殺すの?」


 風が満開に咲いた桜色の木々を揺らした。

 空から舞い降る桜色の雪はとても幻想的で、とても残酷で。


 風にさらわれる髪を抑える少女を前に、ザマスは決断せねばならなかった。


 ◆ ◇ ◇ ◇ ◇


『追放処刑人』


 それはとある王国の王子が王位を継承した際に定めた公職。

 咎により追放された者たちを人知れず処分する王国の暗部。


「――おい新入り。新入り! お前ちゃんと俺の話を聞いていたか?」


 壮年の指で机の上を叩き、無精ひげが生えた壮年の男は、机を挟んで目の前に座る男を軽く睨め着けた。


 軽薄そうな男は手をひらひらとさせながら、

「もっちろんだぜ。つまり、王国ではお家騒動や、領土問題などで沙汰(さった)を下された者たちが、相次いで反乱を企てた問題となっていた。そっこで王様は、この問題を解消するために、追放された者たっちを密かに処分する追放処刑、とそっれに伴う追放処刑人(おれったち)を用意したんでしょ?」

「そうだ。その通りだ」


 南の城下町の外れ。

 雑踏から離れた場所に、追放処刑人の隠れ家はあった。


「こんな場所に(かっく)れ家があるなんてな」


 極めて機密性の高い情報を扱う彼らの存在は、王家以外には伏せられていた。

 彼らの素性が知られれば、脅迫、買収、結託を行われることは想像に難くない。


「わかっていると思うが、家族であっても他言無用だ。もしその素性がばれた場合は、知ってしまった者もろとも死罪だ」

「三(ねっん)の任期の辛抱だな」


 追放処刑人の任期は三年。

 一部を除き三年ごとに人知れず、追放処刑人は入れ替わる。


「新入りはどうして追放処刑人に? 元は魔法協会お抱えの冒険者だと聞いているが」

「俺は(かっね)だよ。金。前払いの給金もよかったけど、後払いの金さえあっれば一生遊んで暮らせっていける」


 三年間の自由の生活の代償に、彼らには追放処刑人の任期満了後に莫大な褒章が約束されていた。


 隠れ家は追放処刑人の家であり、三年に一度の追放処刑人の入れ替えに伴って隠れ家も転居する。


「追放処刑人ってのはいったい何人いるんだ? この部屋にいる俺たちと、あのフルフェイス野郎の三人ってこたぁないだろう?」

「あぁ、そうだ。だがその詳細は、王族以外は誰も知らない。無論、処刑長を務める俺であっても」


 新入りと呼ばれた男が座った椅子を後傾させながら、キッチンに視線を送る。


 そこには、室内にもかかわらずグレートヘルムを被ったエプロン姿の男の姿があった。

 コトコトと煮込んだ鍋からは、芳ばしい香りが漂っている。


 視認性が悪いはずなのに、手際良く手にした包丁で食材を捌いていた。

 包丁がまな板を叩く子気味良い音が子守歌のように響く。


「それにしても、あいつはいっつもあの(あっつ)苦しいマスク被ってんのか?」

「ザマスのことか? お前、追放処刑人になったばかりだったな。

 いいこと教えといてやる――あいつの詮索はよせ」


 処刑長の男は声を潜めてそう言った。


 新入りは片眉を顰めると、

「あん? なっんでだよ?」

「ザマスは俺たちとは違う。仕事として追放処刑人をやっている俺たちと、追放処刑人になるべくして育てられたザマスとは」

「追放処刑人になるべっくして育てられた?」

「あぁ、俺やお前のように追放処刑人になったんじゃない。

 ザマスは王族によって、追放処刑人になるべくして育てられたんだ。

 追放処刑の中でもひときわヤバイ案件を一手に引き受けているのがあのザマスだ」

「じゃあ、ザマスはめっちゃくちゃ強いのか? 王宮の騎士団の部隊長を務めていたあんたよりも?」

「ふ、俺のことを知っているなら話が早い――ザマスは俺以上だ。あいつは間違いなく怪物だよ」


 完成した食事の乗ったトレイをもち、一人どこかに立ち去るザマスの背中を男は見送った。


「孤独で孤高の追放処刑人。それがザマス(あいつ)だよ」


 ◆ ◆ ◇ ◇ ◇


 ザマスはこの日も処刑を終え、城下町の隠れ家へと帰る途中だった。

 日没の森を魔法で強化した体で颯爽と駆け抜ける。


 そんなときだった――


「きゃああああああーーッ!」


 ――少女の甲高い悲鳴が日没の森に木霊したのは。


 ザマスは声の出所を素早く把握すると進路を変更した。


 その先にいたのは、熊型の魔獣に襲われて震えている焦げ茶色の髪をもつ一人の少女。


 ザマスは駆け寄ったその勢いのまま腰の剣を引き抜くと、魔獣の首を一刀両断で切り落とした。


「大、丈夫、ですか?」


 口を開くのは久しぶりだった。

 ザマスはのどに鋭い痛みが走ったのを自覚した。


「あ、ありがとうございます」

「どう、して、ここ、に……?」

 のどの痛みを押し殺し、ガサガサの声で問いかける。


 改めて、少女を見る。

 肩にかかるくらいの長さの焦げ茶色の髪に、丸くて愛らしい緑色の瞳。

 宮廷で育てられてきた者たちのような華のある美しさはないが、素朴な可愛らしさが彼女にはあった。


 倒れ込んでいる少女にザマスは手を伸ばした。

 

「み、南へ向かう途中に迷子になってしまって、痛ッ!」


 手を取ろうとして彼女だが、その手を取る前に手を引っ込めると右足を抑えた。

 その顔が苦悶に歪んでいる。


 ザマスはしゃがみ込み、腫れ上がった足を軽く撫でると、

「骨が、折、れて、います」

「どうしよう。私は治癒魔法が使えないんです……!」


 ザマスの発言に彼女は途端に涙目になった。


 ザマスは患部に手を(かざ)すと、

「<治癒(ヒーリング)>。これ、は、応急、処置。ザマスは、本職、じゃない、です」


 痛みが和らいだのか表情が和らぐ彼女だが、

「ありがとうございます。あ痛ッ……!」

 はしゃぐと痛みがぶり返すようだった。


「今日は、もう、動かない、で、ください」

「で、でも、もうすぐ日没です……!」


 背の高い木々に覆われた森の夜の日没は早い。

 少し先も見えない暗さは、自由に動けかせない足と相まって恐怖を与えた。


「……少し、待っていて、ください」


 そう言うと、ザマスは土魔法を駆使してあっという間に小さな小屋を建ててしまった。


 ぽかんと口を開ける彼女を前に、

「ここで、寝泊まりする、といい、です。明日、様子を、見に、来ます」


 そう言って彼女を小屋へと押し込み、携行食を手渡すとザマスはその場を後にした。



 その翌日。


「おはようございます」

「おはよう、ございます」


 ザマスは朝陽と共に、土魔法で作った魔法小屋へ約束どおり訪れていた。

 魔法小屋の中はのっぺりとした空間が広がっている。


 窓もなく僅かに空気穴があるばかり。

 部屋全体から薄っすらと彼女の香りがした。


 部屋は空気穴の微かな光しか光源がなかったので、ザマスは土魔法を使い、窓を作った。

 ついでに何もなかった空間に二人分の椅子と一台の机を作り出した。


「昨日はありがとうございました。おかげで魔物に怯えずに済みました」

「それは、良かったです」


 向かい合うように座った二人。


「お近くに住まわれているんですか?」

「そう、です」


 すぐに沈黙が二人の間に流れる。


 ザマスはまともに人と会話をしたことがなかった。

 人と話す機会は質問を許さない教育と命令だけ。


 彼女と出会うまでは、魔法の詠唱以外で口を開くことはなかった。

 魔法の詠唱がなければ、その声帯は力を失っていたことは想像に難くない。


「あっ。お名前は、ザマスさん、でよかったですか?」

「そう。ザマスは、ザマス、です」

「ザマス、さん……。ありがとうございます。私は――」

「――いいです。必要ないです」


 ザマスには個人的な友誼をもつことは王命により禁じられていた。


「そ、そうですか……。でもザマスさん。貴方のおかげで命拾いしました」


 名乗りをすげなく断られて肩を落ち込む少女だが、頭を振るとザマスへ感謝を述べた。


「貴方は――私の命の恩人です」


 彼女の言葉はザマスの心を打った。


「命の、恩人?」

「はい! ザマスさんがいなかったら私は今頃あの熊のお腹の中でしたよ! 私はいまザマスさんの優しさで生きていると言っても過言ではありません!」


 ってこれは胸を張ることではありませんね、と彼女はペロッと小さな赤い舌を出した。


「ザマスが優、しい?」

「はい。ザマスさんは優しいですよ。見ず知らずの人を助けて、魔法で家まで作って下さって、こうして翌日に顔を見せてくれるなんて……優しくないとできないですよ」


「初めて、言われました」

「そうなんですか? そっちの方が驚きです。それとザマスさん、ザマスさん。私にそんな畏まった口調じゃなくても大丈夫ですよ?」

「ザマスは、これ以外の喋り方を、知りません」


 ザマスに言葉を教えたのは王宮の使用人たち。

 生まれたときから、一人の大人として扱われてきたザマスはそれ以外の術をもたなかった。

 家族も、親しい友人もいないザマスには砕けた会話はわからない。


「そうなんですか。私はどうしましょう? もう少し畏まった口調で話した方がいいですか?」

 かわいらしく小首を傾げてみせる彼女に、

「好きにして、ください。ザマスは、気にしません」


 ザマスの言葉に彼女の顔がぱぁぁっと華やいだ。


「ありがとうございます! ――ところで。いつもそのヘルムをつけているんですか? せっかくの命の恩人に目を見てありがとう、って言いたいんですけど……」


 ザマスは自身の首から上を覆い隠しフルフェイスのヘルメットに手を触れた。

 

「これは、取れません。取ることを、許されていません」

「それは誰にですか?」

「それにお応えすることは、できません」


 たどたどしい言葉遣いだが、そこには断固とした拒絶の色があった。


「ご、ごめんなさい」

「別に、いいです。気にして、いません」


 事実、ザマスは気にしてはいなかった。

 ただこのヘルメットを脱ぐことは禁じられていた。


 ザマスの言葉に胸を撫で下ろした彼女は、

「もしよかったらもっとお話しませんか?」

 そう言って再び人好きする笑顔を見せた。


 追放処刑人と一人の少女。

 二人の(とき)がこうして動き始めた。


 ◆ ◆ ◆ ◇ ◇


 王国の南に冬が来た。


 あれから彼女はザマスの作った魔法小屋に、本格的に住み始めていた。

 ザマスは任務で隠れ家から外出するに際して、彼女の家に顔を見せるが、だいたい彼女はいた。

 たまに彼女がいない日もあるが、川に水汲みや、山菜を取りに行っていることがほとんどだった。


 半年も経つ頃には、彼女が集めてきた天然素材の家具も充実してきた。


 落ち葉の布団や、熊の毛皮を加工して作った毛布。木彫りのコップや食器。

 ザマスに頼んで、窓や暖炉を作った建物は、いつの間にか立派な家になっていた。


「それでね? 私の学園のお友達の話なんだけど――」


 いつも話しては決まって彼女だった。

 それをザマスは黙って、ときに相づちを打ちながら話を聞く。


「おかしいよね! 私は思わず笑っちゃったもん! 『悪い女というのは魅力的に見えるものだ』って、どこのすけこましですか! って」


 コロコロと表情を変えて楽しそうに話す彼女。


 追放処刑人という装置として育てられたザマスは、人並みの対人関係をもたない。

 ザマスにとっては、彼女の話すどんな他愛ない話も特別だった。


「ね? 貴方はどう思う?」

「ザマスがどう思うか、ですか?」

「うん。私は貴方の意見を聞きたいの」

「ザマスは意見をもつことを禁じられています」

「それは――って、答えられないんだったね。じゃあ、ザマスはどうしたいの?」


 ヘルムの見透かすように緑色のつぶらな瞳が見つめる。

 敬称を付けずに呼ぶぐらいに、日々の交流を通じて二人は打ち解けていた。


「ザマスがどうしたいか、ですか?」

「うん。もしも、ザマスが彼女の立場ならどうしたと思う?」


 ザマスは考えた。

 彼女が問うたのは、目の前で動けなくなっている人がいたらどうするか、というものだった。


「ザマスが彼女の立場なら――できるかわからないけど、助けたい、と思います」


 出した答えは何の捻りもないもの。

 ザマスは急に言いようのない不安を覚えた。


「ザマスは間違っていましたか?」

「ううん。やっぱりザマスは優しいよ」


 彼女は優しく微笑みかけていた。


「ね? 次はザマスのお話を聞かせて」

「私には貴女のように話せることはありません」

「ううん。違うのザマス。

 話せることを聞きたいんじゃないの――話したいことを聞きたいの」


「話したい、こと?」

「うん。嬉しかったこと。腹が立ったこと。悲しかったこと、楽しかったこと。なんでも!」


 たっぷりの沈黙が流れた。

 彼女はそれを急かすでもなく、ただザマスが口を開くのを静かに待った。


「…………ザマスは、貴女と会えて、嬉しいです」


 ポツリとザマスは呟いた。

 耳を傾けていなければ消えてしまいそうな小さな声だった。


「そして、いつの日か、貴女と別れなければならないことが、悲しいです」


 彼女はそれを聞いて優しく笑っていた。

「私もザマスとこうしてずっといられたら嬉しいです」


 焦げ茶色の頭が肩をザマスへともたれかかる。


「――でも、ザマスはもっと欲をもってもいいと思います」

「ザマスには欲望を持つことは許されていません」


 ザマスの思想や行動は、追放処刑人(ザマス)を形作った者たちに支配されていた。


「そっか」

「そうです」


 その言葉を最後に二人の間に沈黙が流れる。

 ときおり暖炉の薪が子気味の良い音を鳴らす音だけが空間を支配した。


 ザマスへともたれかかる柔らかい体。

 湯浴みを欠かさない彼女からはどこかいい匂いがした。


 ザマスはただ体を固くして、暖炉の傍の机の上に飾られた貝殻を眺めていた。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◇


 さらに半年の月日が流れた。


 二人は初めて出会った桜色の木々の下を二人で歩いていた。

 春の柔らかい朝陽が二人を照らしている。


 すぅー、と大きく深呼吸した彼女は、

「――胸が春の香りでいっぱい」

「貴女は詩人になれるかもしれません」


 相変わらずフルフェイスのグレートヘルムを身に纏っていた。

 いつの日か、重くないの? と彼女から尋ねられたが、ザマスのヘルムは魔法金属の特注品で重くない。


 二人は一年の付き合いになるが、ザマスは一度してそのヘルムを脱いでみせることはなかった。


「ふふ。ザマスもこの一年間で女の子を褒め方を学んだみたいね」

「先生がよかったのかもしれません」


 足取り軽く歩く彼女に対して、ザマスの足取りは重かった。

 すぐに二人の間に距離が生まれた。


「どうしたのザマス。ほら?」


 振り返った彼女は、ザマスへと手を差し出した。

 温かそうな彼女の左手。ザマスのそれと比べて、随分と小さなかわいらしい手。


 ザマスの心は(うわ)いていた。

 これまでの人生で初めて友人、と呼べるかもしれない対等な存在。


 表情豊かでかわいらしい彼女と一緒にいる――からではない(・・・・・・)


 ザマスにはこの日、どうしても確かめなければならないことがあった。


「――ところで、貴女は最近、私に隠れて何をしているのですか?」


 差し出されたその手を取ることはなく、ザマスはその場で立ち止まった。


「何って?」


 彼女は差し出した左手を下ろして、小首を傾げた。


「最近の貴女は臭います」


 ザマスの発言に彼女はピシリと固まった。

 うそッ! と短い悲鳴を上げると、腕を上げて両脇をクンクンと嗅ぎ始める。


 それはザマスがこの一年間近くで見てきたいつもの彼女。

 そのコロコロと変わる表情にザマスは癒されてきた。


 はじめて自分を装置ではなく、人として扱ってくれた存在。


「噓ではありません。最近の貴女は臭います」


 信じたかった。

 彼女の待つ方へ足を踏み出し、温かそうなその手に触れたかった。

 

 しかし、できなかった。

 今のザマスにはもうそれをすることは許されなかった。


「――エリダニ」


 ザマスが初めて彼女の名を呼んだ。



 ――名乗ってもいない彼女の名前を。



 二人の(とき)が止まった。



 先に動いたのはエリダニだった。

 あーねー、と額に手を当てて空を仰ぐ。


 エリダニがザマスを見る目は泣いていた。

 涙は流れていないけれど、なぜかザマスは彼女が泣いていると感じた。


「――いつから気づいていたの?」

「出会ったときからです」


 エリダニは緑の眼を丸くして、

「え? うそ?」

「しかし、それは確信ではありませんでした。それが確信に変わったのが半年前です」


 エリダニは目を細めて、

「半年、前?」

「暖炉の横に飾られていました貝殻」


 それを聞いて、あぁ、とエリダニの口から諦観の声が漏れた。


「気がついて、いたんだ……それじゃあ気づくよね」

「はい。あれは遠距離通信魔具、ですよね?」

「うん」


 遠距離通信魔具は誰にも簡単に手に入れられる代物ではなかった。


 ザマスはエリダニに言い訳をして欲しかった。

 追放処刑人という装置として生まれ、指示に従うように育てられたザマスが、誰かに何かを望む、初めての感情だった。


 しかし、エリダニは言い訳をしなかった。

 ザマスに嘘をついてこの場を乗り切るということもできたはずなのに。

 彼女はそうはしなかった。ザマスがそうして欲しいと願っていても。


「――ねぇザマス。私は私を追放した国を見返す、って言ったら、貴方はどうするの?」


「追放された国を見返す? 粛清対象です」


 グレートヘルムの下から、くぐもった声が青空の下に響いた。


「ねえ、もう一ついい?」


 ザマスは何も言わず、ただ無言で言葉の先を促した。


「どうして今だったの? 半年も見逃してくれていたのに」


 ザマスは半年にも渡って、王国に仇をなす容疑者から見て見ぬふりをして過ごした。

 それまでの彼であれば考えられもしない行為。


 追放処刑人は、上層部からの抹殺指令を受けて行動する。

 ――だから、指令のない追放人は抹殺の管轄外だと。

 そう免罪符を追放処刑人の自分に強く貼り付けて。

 

「……エリダニに――処刑命令が出されました」


 その免罪符は既に剥がされた。

 それが彼女の問いに対する答えだった。


「そっか。うん。もう隠せないよね――ごめんね。悪い女で」

「……それだけ貴方が魅力的な女性ということです」


 ふふふ、とエリダニはいつもの優しい笑みを浮かべた。


 ザマスはいつからかその笑顔を見るのが好きだった。

 ずっと隣で見ていたいと。そう願うようになってしまうほどに。


「――じゃあ、ザマス。貴方が私を殺すの?」


 ザマスは何も答えなかった。答えられなかった。

 口に出してしまえば、二人の(とき)が永遠に終わってしまうようで。


 ただその日、ザマスは生まれて初めて処刑対象を処分することに失敗した。


 その翌日、エリダニはザマスの前から姿を消した。


 それは王国で大規模な反乱が起きる一か月前の出来事であった。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


『反乱はなった!』


 城下町から火の手が上がった。


『街を占拠していた王国軍が撤退していくぞ!』

『囚人たちを解放しろッ!』


 ザマスは最後まで戦った。

 それがザマスに与えられた命令だったから。


 城内の広場でザマスは一人、反乱軍に包囲されていた。

 フシュー、フシューというヘルムから漏れる荒い息。


 桃色の特徴的な鎧を身に纏った女性が、

「お前がザマスね?」

 身動きの取れないザマスの前に進み出た。


 彼女が反乱軍の指揮官だった。


 その彼女の前では、ザマスは反乱軍の罠にはまっていた。

 地面に描かれた魔法陣から伸びる影に、雁字搦めに縛られていた。


「あなたがこの町で最後の追放処刑人よ。現王家の憎むべき象徴でもあるお前は抹殺対象なのだけれど――あの子が泣いてお願いしてくるものだから」


 女性の脳裏には、エリダニとのやり取りが浮かんでいだ。




 反乱軍の作戦会議中のこと。

 

『――だめよ。追放処刑人はすべて殺すわ』

『お願いします!』

『何度言ってもだめよ。追放処刑人ザマスと言えば音に聞こえた処刑人。安心しなさい。彼にも、彼らにも貴女への報復なんて私がさせないわ。私たちはみんなエリダニがザマスに捕らえられて以来、命懸けで流してくれた情報に感謝しているのだから』


 誰もがエリダニが追放処刑人の報復に怯えていると考えていたようだ。

 口々に、大丈夫、安心しなさい、と言い、ザマスの処刑を前提として話が進んでいく。


 エリダニが次に取った行動は、

『このとおりです! お願いしますッ!』


 それは土下座であった。


 万座が見守る中での土下座。

 それがエリダニの覚悟であり、揺るがない決意だった。


『あなた……』

 上座の中でも最も重要な席――正席に座る女性が狼狽(うろた)える。

 そこにエリダニは畳みかける。この気持ちは嘘じゃないと。

『お金はいりません! 地位も名誉もいりません! もし、もし私がこの反乱に功をなしたと言うのであれば、いいえ! それでも不満だとおっしゃるのであれば、私のもつすべてを代償に彼を、ザマスを助けて、ください……どうか……どうかお願いします』


 額を地面に(こす)りつけてまで、願う同志の熱意に天幕の中がどよめきに包まれる。


『どうしてそこまで……』

 エリダニは顔上げ、額に土がついた顔を綻ばせると、

『私はザマスに――』



 

「あの子に感謝しなさいね」


「まだ、で、す。ザマス、は動け、ます」


 絡みつく影から逃れるように、ザマスが動き出す。

 魔法陣が点滅するさまは、まるで魔法陣が悲鳴をあげているようだった。


「なんだこいつッ!? 死ぬのが怖くないのかッ!?」

「お下がりくださいッ! 何かまだ奥の手を隠しているかもしれませんッ!」


 魔法陣から断続的に光がほとばしる。

 それだけザマスは魔法陣とせめぎ合っていた。


「ザ、マスは使命、を、果たし、ます……それ、だけが、ザマスに与えられた、存在価値、です」


 それを聞いて指揮官の女性は、

「本当につまらない男ね、貴方。なんでこんなのにあの子が……」

 大きくため息を盛らした。


 ――と、そのときであった。

 

 指揮官の女性の脇を駆け抜ける一つの影があった。


 影はそのまま光を放ち続ける魔法陣へと足を踏みいれた。

 たちどころに魔法陣が、侵入者を搦め手取る。

 

「うぐッ……!」

「貴、女……?」


 それでも彼女は――エリダニは止まらなかった。


 指揮官の女性の声が飛ぶ、

「いま彼に近づくのは止めなさい! あぁもうッ! 魔法を解きなさい!」


 涙を流しながら、一歩一歩その足を進める。


「う、うぅ……痛い、痛いよぉ……!」


 激痛がエリダニの全身を襲う。

 苦悶に表情を歪め、その緑色の両の瞳からは大粒の涙が流れていた。


 ザマスは一年の付き合いの中で知っていた。

 裁縫では針を指に刺して泣き、料理で刃物を使って指を切っては泣く。

 ザマスたち命を懸けて戦う者たちと違って、痛みに涙する普通の女の子であることを。


 しかし、その脚は止まらなかった。

 痛みと戦いながら、ザマスへと手を伸ばして懸命に進む。


「しかし、いま魔法を解いてしまわれますと!」

「いいから早くッ!」


 指揮官の女性の怒声で魔法陣への魔力の供給が途絶えると、魔法陣は光を失っていく。

 二人の体を拘束していた影も空気と同化するように消えていく。


 影が完全に消え去ると同時に、エリダニは崩れ落ちた。


 ザマスはありたっけの力を振り絞って駆けだすと、崩れ落ちるエリダニを抱きしめた。


 ザマスの腕の中でエリダニは泣いていた。


 だが、それは痛みによる涙ではなかった。

 ザマスは次の言葉でそれを知った。


「ごめんね……こんな目に遭わせて。こんなに痛い思いをさせて……私はザマスをずっと、ずっと裏切っていたの。ごめんね、貴方の優しさに甘える悪い女で」


 それは彼女の心からの慟哭だった。


「貴方には私を殺す理由があるわ」

「ザマスは、ザマスは――」


 なんと言えばいいのだろうか。


「ごめんね。ごめんね」

「謝らないで下さい」


 なんと言えば伝わるのだろうか。


「ごめんね。ごめんね」

「ザマスは貴女に謝って欲しくないです」


 そう口にするだけで精一杯だった。

 ザマスは気の利いた言葉一つ言えない自分を恨んだ。


 何かを恨むことすら初めてのことだった。

 

 彼女はいつもザマスに人としてたくさんの”初めて”を与えてくれた。



 ――エリダニを助けたい。 



 それがザマスが生まれて初めて抱いた欲望だった。



 二人に近づく一つの影。

「今のエリーに何を言っても無駄よ。彼女はいま魔法の影響で錯乱状態にあるのよ」


 ザマスが見上げた先にいたのは、桃色の鎧を身に纏った指揮官の女性だった。

「どうすればいいでしょうか?」


 藁にも縋る思いでザマスは問うた。


 指揮官の女性は少し呆れた表情を見せ、

「どうすればって、それを敵である私に聞くの? ……そうだ」

「なんですか」


 何かを思い出したかのような仕草を見せた指揮官の女性を、ザマスは真剣な表情で見つめる。


 ザマスの視線の先で、指揮官の女性は胸を張っていた。

「人を闇から救うのはいつだって愛だ――って妹が家族に隠れて読んでいる本や、友人たちが勧めてくれた本に書いてあったわ」


 そう言うと、指揮官の女性は手にした剣を振るった。

 戦いの糸が切れた今のザマスにはそれに反応することはできなかった。


 斬撃はザマスの頭頂部へと振り下ろされた。

 しかし、微かな衝撃こそあれど痛みはなかった。


 パキッ、と何かが割れる音がした。


「なかなかどうして……顔は悪くないわね」


 ザマスの視界が光に包まれた。

 世界を覆っていた闇が二つに割れて地面へと落ちると、乾いた音を立てた。


「彼女の顔を見て。死にそうよ。生気がないわ。うん、きっと愛が足りないのね――となると?」

「教会へ連れて行けばよろしいでしょうか?」


 指揮官の女性はザマスの頬を勢いよく引っ叩いた。


 ザマスは自身の答えが不正解だったことを学んだ。


「違う。もう一度。

 彼女の顔をよく御覧なさい? 可愛くない? 可愛いわよね? 可愛いでしょう?」


 そこには有無を言わせない威圧感があった。

 しかし、事実エリダニは出会ったその日からずっとかわいかった。


「はい」

「いい返事ね。もしも否定していたら殺しているところだったわ」


 そう言って口角をあげた指揮官の女性の目は笑ってはいなかった。


「それならその口をふさぐのよ。お前の口で」

「わかりました」


 ザマスの行動は早かった。


「ん、んん……んんんッ!?」


 そして、その行為のもたらした結果がわかるのもまた早かった。


 クワッと目を見開いてエリダニは覚醒した。

「な、なななななッ……!」

「目が覚めましたか」


 エリダニがザマスの腕の中から離れた。

 それを嬉しいと思うと同時に、少し寂しいと感じた。


「――ってその声は……? あなた……もしかして、ザマス?」

「はい、ザマスはザマスです」


 その寂しもすぐにどうでもよくなるくらい、息を吹き返したエリダニはかわいかった。

 ザマスは胸の内側が不思議と温かくなるのを感じた。


 その不思議な感覚にくすぐったさを覚えていると、 

「……王宮では寝ている女の人は口づけで起こすって教わるの?」

 エリダニが冷ややかな視線でザマスを睨めつけていた。


 ザマスは、 

「いいえ、それはそちらの」

 そう言って指揮官の女性を指差した。


「おひい様ッ!」

「だって、アリーやユーリが進めてくれる本では――」

「それは物語のお話ですッ! 脳内お花畑のお姫様たちはこれだから――」


 羞恥からか、顔を赤くしてエリダニは叫んだ。

 周囲を見渡すと、反乱軍が輪になって遠巻きに三人を見つめているのがわかった。


「……それを言うなら、エリーだって」

「いいですか! 私は顔を見ずにその人の性根で選んだんですよ? これを純愛と言わずして何と呼ぶんですか!」

「……学園時代は何も知らない後輩を自分色に染め上げるのが好きだったくせに」


 指揮官の女性は顔を背けるとボソッとエリダニをなじった。


「何か言いましたかッ!?」

「……なんでもないわ」


 気の置けない二人のやり取りに、ザマスは込み上がったものを我慢することができなかった。



「ふふ」



 指揮官の女性と口論を繰り広げていたエリダニが口を閉じて、ザマスを凝視した。


「どうしたのですか?」

「ザマス……。あなた、いま……笑ったわ」

「私が?」

「ね。おひい様」

 と、エリダニは指揮官の女性に同意を求めるが、

「私にはお前ほどその男の顔を熱心に見る趣味はないわ」

 そう言って彼女は肩をすくめるだけだった。

「もうッ」


 エリダニの頬はまた少し赤くなった。

 

「いいわ。これから私たちには時間があるんだもの。私が笑わせてあげるわ。

 大丈夫。ザマス。私はこう見えても高飛車な南の貴族の姫様の取り巻きとして、場を盛り上げることには慣れているの」

「……自分で言っていて悲しくならないの?」

「おひい様は黙ってて!」

「……むぅ」


 エリダニはザマスへと差し出した。

 かつて取れなかったその小さな手を。


「私と一緒にいきましょう、ザマス」


 彼女と過ごした一年間は、これまでの人生で最も輝いていた時間だった。

 それがこれからも続くと考えると、不思議な感覚に包まれた。

 心臓の奥がぐっと熱くなる、そんな感覚に。


 初めて訪れた感覚。

 だが、嫌いではなかった。

 むしろ、その感覚を心地よいとすら感じていた。


 ザマスは、

「エリダニ」

 彼女の名を呼び、差し出されたその手を取った。


 思った通り彼女の手は温かった。


 二人の(とき)がもう止まることはなかった。


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― 新着の感想 ―
え、なにこの純愛。ただの、ふつーの、ラブロマンスじゃないですか!? ……作者名を確認する、うん、間違いじゃなかったです。 混乱は横に置いて。 素敵なお話でした。ザマス氏がもう哀れでなりませんでしたが…
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