3 その剣は雷の如き疾さで、風のように軽く
第三話です。残酷描写ありとしていますが、おそらくそこまで残酷ではないと思います。あくまでも一応です。一応。
よろず屋を出たエリンは、左へ向いて街の中心部へと向かった。人や馬車が行き交う通りを進んでいくと、多くの露店が並び、盛況をみせる大きな広場へと出た。中心に巨大な噴水が作られており、常時吹き上げられた水が放物線を描いて地面へと降りそそぎ、活気あふれる商いの都を鮮やかに飾っている。
広場の西側に、馬車の発着場がある。辻馬車や乗合馬車などが並び、これから発車する馬車に乗り込む人や先ほど到着したばかりの馬車から荷物を抱えて降りてきた人などでごった返している。島の田舎の方からやってきたのであろう、かなり大きな荷物を背負って人混みをかき分けて進もうとしているような人々もいた。
さっさとよろず屋を出て発着場までやってきたエリンだったが、ヌカル村まで行くのにどの馬車に乗れば良いのかマスターに聞くのを忘れていたせいでよくわからなくなってしまった。とりあえずすぐ近くの馬車の側にいた御者らしき服装の青年が知っているような気がしたので聞いてみた。その彼によれば、ヌカル村まで行く馬車というのはないものの、その一つ手前の村まで行く乗合馬車ならば二つ隣ののりばから出ているとのことだった。ちなみに、青年の辻馬車なら一人で快適にヌカル村まで行くことができると勧誘されたが、もちろん断った。辻馬車は料金が高いのだ。乗合馬車の数倍から、ぼったくっているところは数十倍もの料金を請求してくることもある。いくら馬車乗り場を教えてもらったとはいえ、やはり高額な料金は払いたくない。エリンはその場を離れ、目的の乗合馬車が発着する場所に並んだ。
並んでから十数分が経過して、エリンの目的の馬車が発着場にやって来た。その馬車は二頭立て四輪の有蓋馬車で、一度に八人が乗ることができるかなり大型のものだった。乗り場にやってきた馬車には乗客がいなかったため、すぐに乗り込むことが出来た。
エリンを含め四人の客が乗り込むと、馬車は出発した。北に針路をとり、石畳の道を左右に揺れながら進んでいく。固いシートに腰掛けたエリンは馬車の外を流れる景色をぼんやりと眺めながら揺られていた。
(さっきのよろず屋綺麗な紙使ってたなー。紙って高価なはずなのによく買えるなー。贅沢だなー。儲かってんのかなー)
(盗賊って強いのかな。あまりめんどくさい相手じゃないといいけどな。数が多いだけならなんともないんだけど)
(乗合馬車ってシート固いなぁ。ちょっと背中いたい)
などと至極どうでもいいようなことばかり考えているうちに、道は石畳から土に変わった。時折木の根や石などに乗り上げながら止まらず馬車は進む。いくつかの村を経由し、エリンを乗せた馬車は終点の町に到着した。
馬車を降りた町から更に北へと歩いて向かう。これが案外距離があった。林を抜け川を渡って進んでいき、ヌカル村の入口が見えてきた頃には日がかなり傾いてきており、空が茜色に染まっていた。
ヌカル村は遠くから見ると人気がないように見えたが、近づいてみて入口に立ってもやはりほとんど人気はなかった。村の中で歩いている人影が全くと言っていいほどなかったのである。農道具やため水、洗濯された衣類などが家々の近くにあることからそこに人が住んでいることはわかったが、村そのものは死んでしまっているかのように静まり返っている。
村の中をしばらく歩き回ってやっと見つけた村人に盗賊討伐依頼を受けて来たことを話すと、その村人は飛び上がって喜び、エリンに平伏し、依頼した責任者である村長の家にエリンを連れていった。村人が村長の家の戸を叩くと、ほどなくして小柄な老人が杖をついて現れエリンを家の中に招き入れた。
「今日は来てくれてありがとうなのじゃ。儂はこのヌカル村の村長なのじゃ。よろしくなのじゃ。そちは何というのじゃ?」
「はじめまして、エリンと言います。よろず屋の方で盗賊の討伐依頼を受けてやってきました」
「やはりそうだと思っていたのじゃ。出迎えもせずすまないのじゃ。盗賊が出るようになってから村人のほとんどが家にこもってしまっての、洗濯と水くみと食材の購入くらいでしか家から出てこなくなってしまったのじゃ。盗賊が現れる前はもう少し活気があったはずなんじゃがのう……」
村長は遠くを見つめ、昔を懐かしむような表情になった。そして、エリンに盗賊が出る前のこの村のエピソードをいろいろと語った。それらの話から、もともとはこの村はもっと明るい住人が多く賑わいのある村であったということが伺えた。
「結局、つい最近行うはずじゃった祭事も村人が来なさすぎるがゆえに中止にせざるをえなかったのじゃ……。おっと、すまないのじゃ。話がだいぶ逸れてしまったのじゃ。例の盗賊の話じゃったな。奴らは今からだいたい三ヶ月くらい前に突如として現れおったのじゃ。大方、この村が島の端にあってもともと外から人が来ぬ上に近くに騎士団が駐留しておらんからいくらでも好き放題できると踏んだんじゃろう。実際、その通りじゃった。儂らは為す術もなくただ盗られるままであり、家に籠って震えていることしか出来ぬのじゃ。気が済めばいなくなるかとも考えたのじゃが、結局未だに居座っておるのじゃ。さすがにもうこれ以上は儂らも耐えられないのじゃ。エリンよ、どうかこの村を救ってほしいのじゃ。この通りじゃ」
そう言って村長はエリンに最敬礼をした。これにはエリンは驚き、思わず立ち上がって村長をなだめ、なんとか先ほどまでのように椅子に座らせた。
「村長さん、もちろんです。もとより私は盗賊の討伐依頼を受けた上でここにやって来ました。精一杯のことはしますので、どうか落ち着いてください。私は最敬礼をされるような者ではありません」
「いや、儂は落ち着いておるのじゃ。お主は初めてこの村にやってきてくれた剣士なのじゃ。自らの身を危険に晒すことをわかった上でここに来てくれたのじゃろう?儂はその勇気ある行動に敬意を示したいのじゃ。よろしくお願いするのじゃ」
村長は再びエリンに最敬礼をした。エリンは村長に同じように最敬礼し、その後二人は固い握手を交わした。
村長の話によれば、盗賊は六人組だそうである。持っている武器は村人たちがこれまでに見たところは全員ロングソードであり、堅牢な鎧などの防具はおそらく身につけていないとのことだった。加えて盗賊は毎回決まって村の西の入り口から入ってくるらしい。更に盗賊は現れる日や時間まで決まっており、それは土の曜日の真夜中とのことであった。今日は金の曜日であるから、土の曜日はちょうど明日。来たるべきときに備え、エリンは村長が貸してくれた西の門のそばにある空き家に滞在して盗賊が現れたらすぐに対応できるように待機していた。
村に到着したその日は特に何も起こらなかった。盗賊が来ると言われている日ではないので当然といえば当然なのだが、万が一盗賊が討伐依頼について知っていれば普段とは違う行動をすることもあるのではないかとエリンは考えていた。しかしそれは杞憂に終わった。ただ平穏に日が落ちて昇り、また落ちて土の曜日の夜を迎えた。
この日の日中、エリンは村中を歩いてまわってみた。すると、想像以上にこの村は人の動きがないことがわかった。家から出てくる人がいなければ村の外からやってくる人も皆無であった。昨日見つけた唯一の歩行者も、今日は姿を見かけなかった。村長は足腰が悪いようで、盗賊など現れる前から普段はそこまで出歩かないと言っていた。実際、昨日も歩くときには常に杖をつき、ゆっくりとした速度で慎重に歩いていた。普段は家の中で椅子に座り、村の事務仕事や考え事をしているそうである。元々出歩く人が少なく、やってくる人はほとんどいないとも言っていた。
人の往来が少なく一見するとほとんど無人に見える村のどこに奪える宝物があるのか、エリンには分からなかった。外側からしか見ていないのでなんとも言えないが、この村にある家々に大量のお金や宝物が隠されているとはとても思えなかった。盗賊がここを襲うメリットがあるのか疑問を持って借りている空き家に戻ってきた。
玄関をくぐり一つ息を吐く。目をつぶり深呼吸をする。エリンは疑問をぬぐい去ることは出来なかったが、そのことは忘れることにした。エリンが受けたのはあくまでも盗賊の討伐である。断じて謎解きではない。「なぜ?」「どうして?」などと考える必要は彼女にはない。この村に何があろうと盗賊がこの村を襲い、物を奪い、村人に怪我をさせたという事実が消えてなくなることはありえないのだ。ならばやることはただ一つ、この後やってくるであろう盗賊たちを倒すのみである。改めて彼女は決心し、夜の帳の降りた村の空き家でロウソクを灯して真夜中になるのを待った。
それからしばらくして。宵闇に沈むヌカル村の西の森から六体の黒い人影が村の方を伺っていた。じっくりと目を凝らし、耳をそばだてて村人が寝静まっていることを確認してお互い頷きあうと、その場所から村へ一目散に走ってきた。各々手に剣と麻袋を握り、剣を握っていない方の手には松明を持っている。時折松明の明かりが剣に反射し、白刃が一瞬きらめいてはまた闇に溶け込む。音をたてることもなく静かに、しかし隠れるつもりは毛頭なく、大胆にも村の西の門の中央を堂々と走ってくぐり抜けた。
その数瞬ののち、西の門のそばの空き家から静かに出てきた人影があった。エリンである。空き家を出たエリンは盗賊たちに気が付かれないように足音を消し気配を殺して後ろから静かに盗賊の後をついて行った。
盗賊たちはとある家の前にたどり着くと立ち止まった。エリンは盗賊から少し距離を開けて立ち止まると、近くにあった木箱の影に隠れた。そして暗闇の中で目を凝らして盗賊たちのいる方を見てみると、そこはこのヌカル村の家にしては大きく堅牢な作りの建物で、それなりの地位のあるものが住んでいるであろうことが想像できるものだった。エリンにはその家に見覚えがあった。
そこはエリンがこの村に来て最初に通された建物、すなわちヌカル村の村長宅であった。六人の盗賊たちは顔を見合わせて頷き、村長宅の周囲を取り囲むかのように散らばってそれぞれの場所で立ち止まった。そして手に持った剣を構えると、それぞれの近くにある扉や窓から一斉に侵入をし始めた――。
とはならなかった。侵入する直前、村長宅の玄関の方から突如金属同士がぶつかったような甲高い音やものが折れるような音が響き渡ったからである。驚いた盗賊たちが玄関の方に急いで戻ってくると、そこには彼らの頭が壊れた木のたらいの上に力なく仰向けに倒れていた。持っていたはずの剣は手を離れ地面に落ちている。着ている服は右の肩から左脚の付け根にかけての部分が大きく切られている。松明は壊れたたらいから流れ出た水に浸かり、弱々しい煙を上げているのみでほぼ消えかかっていた。そして、頭の身体の周りの地面には胸のあたりから流れ出た紅い液体が広がっており、その範囲は今もみるみるうちに拡がっていた。その側には彼らが見たことのない女剣士が剣を握って立っている。盗賊たちの頭は彼らの中では最も強く、剣術に長けていたので、その頭がやられることなど彼らは想像もしていなかった。想定外の光景に彼らは女剣士に襲いかかることもなく、だらしなく口を半開きにして呆然と立ち尽くすことしかできなかった。
時は少し遡る。エリンは木箱の影に隠れて様子を伺いながら、盗賊たちに斬りかかる機会を静かに狙っていた。エリンならば六人程度の盗賊をまとめて叩っ斬ることなど造作もないことなのだが、万が一彼らが凄腕の剣士の集まりであれば、迂闊に斬りかかればエリンの状況の方が危うくなってしまいかねない。エリンは大事をとって盗賊たちが一人ずつに分かれてから各個撃破していく方針を取るつもりだった。
そのエリンの思惑通り、盗賊たちは一人ずつになり建物の周囲に散らばった。エリンから見えている玄関前には一人しか盗賊は残らないようで、すぐに他の五人の姿は建物の影に見えなくなった。それを確認した瞬間、エリンは木箱の影から飛び出した。
駆け出しながら一息に剣を抜く。
相手との距離は約十五歩。相手はこちらに背中を向けている。玄関扉を蹴破ろうとしておりエリンが走ってきていることにはまだ気づいていない。
エリンは剣を持った右手を左の腰の横にやり、切っ先を後ろに向けて構える。相手まではあと五歩。
と、ここでようやく盗賊がエリンがやってきていることに気がついた。驚いた表情で後ろを振り返り、慌てて剣をエリンの方に向ける。
エリンが横に剣を振るう。
盗賊は斬られる寸前でそれを受け止め、半歩横に飛び退く。
「だ、誰だお前?!」
盗賊は突然現れた女が誰なのか、なぜ現れたのか理解できなかった。盗賊は村人が完全に寝静まっているものだと思い込んでいたので、まさか自分の後ろから誰かが現れ、更には剣を振るってくるということなど考えもしなかったのだ。
「私はこの村の村長から盗賊討伐の依頼を受けてやってきた剣士です。貴方がたがその盗賊ですよね?」
エリンは淡々と言う。
「だ、だったらなんだよ!」
そう叫びながら盗賊はエリンに向かって一歩踏み出した。剣を大きく振りかぶり、風をも切り裂く速さで振り下ろす。
が。
「そんなこと、決まっているでしょう」
エリンはそれを凌駕する速さで剣を振る。
剣と剣がぶつかり、激しい火花を散らす。
直後、片方の剣のみが宙を舞った。盗賊が振り下ろした剣である。
剣を弾き飛ばされるほどの衝撃に耐えられず、盗賊がバランスを崩す。それと同時にもう片方の手に持っていた袋と松明も取り落とす。胴体ががら空きになり、隙が生まれる。もちろんエリンはその隙を見逃さない。
「ただ倒すのみです」
エリンが剣を盗賊の右肩から左脚の付け根にかけて振り下ろす。
静寂。
胴体を大きく斬られた盗賊は後ろにのけぞり、鮮やかな血飛沫を吹き出しながら近くにあったたらいの上に背中から倒れ込んだ。盗賊の体の重みでたらいが壊れ、破壊音が辺りに響き渡る。
盗賊の身体は綺麗に斬られており、右肩から左脚の付け根へ大きく真っ直ぐに傷がついている。その傷からは紅い血がとめどなく溢れ出し、盗賊の身体、服、そして地面を真紅に染め上げているのが暗闇の中でもよく分かる。ぱっくりと開いた傷口からは内臓こそ見えないものの、薄桃色をした肉の繊維が血の隙間から見え隠れしている。
そこに、音を聞きつけたのか、盗賊の仲間たちが驚いた表情で村長宅の裏から走ってきた。そして倒れている盗賊の様子を見て放心したように全員が間の抜けた顔で立ち尽くしていた。
その様子を見て、倒れている盗賊が弱々しい口調で息も絶え絶えに仲間たちを叱り始めた。
「お、い、何、み、てんだ……。さっさと、金、目の、もの奪って、来るな、り、こいつを、倒す、なり、し、ろ……」
その言葉に呆けていた残りの盗賊たちが我に返った。
「頭!!何があったんですか?!大丈夫ですか?!」
「いい、か、ら、俺に、か、まうな」
頭と呼ばれたその盗賊は再び仲間たちを叱った。
「わ、わかりました!よし、お前ら二人はここに残ってこの女を始末しろ!残りは一緒に中に入るぞ!!」
盗賊のうちの一人が叫ぶ。それを聞いた盗賊たちは各々動き出した。エリンを前後から挟むように二人の盗賊が立ってエリンに剣を向け、他の三人は村長宅の裏手に回っていった。
「お前、よくも俺らの頭をやってくれたな……!」
エリンの前に立つ盗賊が顔を紅潮させて言う。
「私はこの村の村長から盗賊の討伐依頼を受けてここに来ました。その責務の果たしたまでですが」
「邪魔すんじゃねぇよ!何が『責務を果たしたまで』だ、てめぇみてぇな小娘が首突っ込んで来るんじゃねぇ!」
激昂した盗賊はその怒りを刃にのせてエリンに斬りかかった。剣が上から振り下ろされる。
エリンはすぐさまそれに対応し、下から剣を振り上げる。
再び村長宅周辺に甲高い金属音が響く。今度は剣が宙を舞うことはなかった。
剣を受け止められた盗賊は一度剣を引き、横から剣を振るう。
エリンは先ほど剣を受け止めたときの体勢を崩さず少し鋒を下に下げるのみで盗賊の剣を受ける。
と、その時、エリンの後ろにいたもう一人が動いた。エリンはこの盗賊には背を向けており、目の前の方に集中を傾けている。それを見た後ろの盗賊はこれをチャンスだと思い、剣を振りかぶった。
背後から振り下ろされる剣には、普通の人間なら対応出来ない。達人でも、目の前にいる敵と戦いつつ後ろの敵に注意を向け、その剣を受け止めるか躱すかすることなどそうそう簡単にできる代物ではない。もちろん盗賊がそこまで考えていた訳ではないが、少なくとも目の前の女剣士が後ろから振り下ろした剣を受け止めるなど思ってもいなかったし、そもそもその可能性に思い至っていなかった。
(今なら、殺れる……!)
そう思い全力で振り下ろした剣はしかしエリンの背中を斬ることはなかった。その代わり、甲高い金属音が鳴った。
エリンは前を向いたままで背後に腕を回して剣を構え、後ろの盗賊が振り下ろした剣を受け止めていた。そしてそれを盗賊が理解した頃には、エリンと向かい合って戦っていたはずの盗賊は既に地に伏していた。
「な、んで」
再びの想定外の出来事に、盗賊は激しく動揺した。盗賊にはエリンの動きが全く見えていなかった。前を向いて戦っていると思ったらいつの間にか剣が後ろに来ていると、そのようにしか認識出来なかったのだ。
「私が貴方に背を向けているから、貴方の動きに気づかないとでも思いましたか?貴方の動きに対応出来ないとでも思いましたか?」
エリンは静かにゆっくりと顔を後ろに向けながら、何事もなかったかのように語る。盗賊にとってはエリンの首が自分の方へ向くだけの動きですらも恐怖を煽るのに十分だった。
「人の動きというのは、目視しなくても気配、足音、息遣いなどで大方分かります。距離や速さも感じ取れます。特に貴方はどれも分かりやすすぎる。隠すつもりなど毛頭なく、まるで相手に自分の動きを読んでくれと言っているようなものです。どのように動いているのか分かれば後はそれに対応すればよいだけ。貴方が剣を振りかぶり、それを下ろすまでの間に目の前の敵を倒し、背後に剣を向ければ防ぐことなど容易いことです」
そう説明されてもなお、盗賊は目の前の状況を理解することが出来なかった。それはそうだろう。エリンの話は言うのは容易いがやるのは途轍もなく難易度の高すぎる速業である。現実としてできる者はそうそういまい。もちろん盗賊も出来ない。しかし目の前の娘はそれをやったと軽く言った。そして、実際にそれを行ったとしか思えない状況が目の前で繰り広げられたわけである。
人間は――というか生物は――自らの理解が及ばないものを本能的に怖がる性質がある。盗賊の現在の状況がまさしくそれであった。目の前の娘のやったことが理解出来ない。それによる恐怖で身体が震え、今にも膝から崩れ落ちそうになっている。盗賊の剣をとエリンの剣が小刻みにぶつかり合い小さく音をたてている。盗賊の歯の根が合わず、こちらも小刻みに音をたてている。時折、唇の隙間から「あぁ……うぁ……」という呻き声が漏れているのが聞こえる。目は大きくなったり小さくなったり忙しなく、焦点が定まっていない。どうやら、エリンのことが見えていないようである。
「では」
エリンが受けた剣を跳ね上げる。盗賊はほとんど放心状態になっており、なんの抵抗も見せない。
エリンが盗賊の右腕めがけて剣を振り下ろす。
盗賊の右腕は持っていた剣ごと音もなく切り落とされた。地面に落ちた右腕は少しばかり震動しながら跳ね返り、そして地面に横たわる。
盗賊の右肩の切り口からは肩の白い骨や薄い桃色の筋肉の断面が綺麗に露出している。そして、新鮮な紅い液体がとめどなく吹き出していた。
盗賊は一瞬思考停止したように固まったあと、肩を押さえて膝から地に頽れて悶絶した。
「ぐあああぁぁぁぁああああ??!!」
はじめは状況が飲み込めていないようだったが時が経つにつれて自らの腕が落とされたことがわかってきたようで、激しい痛みに顔を限界までしかめつつもなんとか正気だけは取り戻したようだった。なんとかして溢れ出る血を止めようと、着ていた服を噛みちぎり肩に巻こうとしていた。
エリンは盗賊が戦いよりも応急処置を優先している様子を見て、盗賊に背を向けた。そして村長宅内に侵入しているであろう残りの盗賊を追って走り出した。
村長宅に入っていった三人は、金目の物を探して内部の部屋を順番に荒らしていた。
彼らはとある人物から、ヌカル村の家々にはかなりの量の宝物が隠されており、売れば大儲けできるという情報を聞かされていた。それからこの村の近くの森の中にあるボロ小屋に潜伏して窃盗を繰り返し、ある程度盗品が増えたところで売りさばく計画だった。彼らがこれまでに襲ったヌカル村の家の多くはわかりやすいところにモノが隠されていたのですぐに奪い取り撤収できていたのだが、この村長宅は何部屋探してみてもどこにも金目の物は見つけられなかった。
「おい!そっちはなにか見つけたか?」
盗賊のうちの一人の焦った怒鳴り声が部屋に響く。
「いえ、こっちはありません!」
「こっちもです!」
他の盗賊たちは手を止めずに返事をする。
「クッソ、どこに隠してやがる……!」
盗賊のうちの一人が舌打ちをしたその時だった。
木の床板の上を駆ける足音が彼らの耳に届いた。徐々にその足音が大きくなっており、盗賊たちに近づいてきているのが彼らにはわかった。
「チッ、アイツもう来たのか。てか、アイツらそんなにあっさり倒されやがったのか」
盗賊たちは近づいてきているであろう娘を迎え撃つため、部屋を探す手を止めて剣を抜いた。部屋の入口の方を向き、標的がやってくるのを待つ。
建物の裏に回ったエリンは、複数ある窓のうちの一つが大きく破壊されているのを見つけた。ちょうど人が一人入れるくらいの穴が開けられている。エリンはその穴から建物の中へと入っていった。
内部は陶器の破片や本など、様々なものが部屋の中のみならず廊下まで散乱していた。盗賊がとにかく根こそぎ金目のものを奪おうとしていることがよくわかる光景であった。ただ、床に散らばったそれらは汚れがついて元の色が分からなくなっているようなものや古びてカビが生えているようなものばかりであり、やはり金になりそうなものがあるとは思えなかった。少々エリンは違和感を感じていたが、盗賊を倒すことが最優先だと自分に言い聞かせ廊下の先へ進んでいった。
エリンは手前にある部屋から中に人影がないか確認しながら進んでいく。いくつかの部屋を確認しながら進んでいくと、次の部屋から微かに炎の光が漏れていることに気がついた。気配を消してその部屋に近づいていく。すると、部屋の中から人間の息遣いが僅かながら聞こえてきた。しかも一人ではなく複数の息遣いが聞こえている。エリンはその部屋に盗賊たちがいることを確信した。
息を吸う。
ゆっくりと吐く。
剣を握り直す。
エリンは勢いよく部屋に飛び込んだ。
部屋の中には三人の盗賊がいた。どうやらこの部屋にいる者たちで全てのようである。盗賊たちは三角形を描くような配置で剣を構えて立っていた。そしてエリンの姿を認めると同時に盗賊たちはそれぞれ剣を構えた。
エリンは一番近くにいる盗賊に向かって足を踏み出した。
剣を右斜め上に振りかぶると、左下に向けて勢いよく振り下ろす。
辛うじて反応できた盗賊はなんとかエリンの剣を受けて斬られるのを防ぐ。
エリンは間髪入れずに今度は横から斬りつける。
盗賊は寸前のところで再び剣を受ける。
エリンは一瞬力を込めて盗賊の剣を跳ね除けると真っ直ぐに盗賊の腹へ向けて突き出した。
突き出された剣は盗賊の腹に吸い込まれていく。
その剣をエリンが抜くと、盗賊の服に紅い血が滲んだ。
盗賊は腹を押さえて二、三歩後ろによろけてうつ伏せに倒れた。
エリンは剣を抜いた勢いそのままに横に薙ぎ払った。その一閃が盗賊の服を掠める。
間一髪でエリンの剣を躱した盗賊であったが、無理のある動きをしたせいで体勢を崩した。
そこに容赦ないエリンの追撃。
盗賊の右脚の付け根から左肩に向けてエリンが振った剣は、盗賊の胴体に大きく傷を付ける。斬られた盗賊は背中から床に倒れた。
エリンは残る一人に向かって大きく踏み出す。
エリンの振るうその剣は雷の如き疾さで、風のように軽く部屋の中を舞う。僅かながら上がる血飛沫と相まってまるで剣舞を舞っているような光景が繰り広げられていた。
最後の一人となっていた盗賊は、最早目視出来ないほどの速さのその光景に目を見張り、見惚れていた。
つまりは、隙だらけだということである。
そのような者がエリンの敵になり得るはずがない。エリンが横に薙いだ剣は盗賊の腹あたりを切り裂いた。
一言も発することなく最後の盗賊が倒れる。
この一撃を以ってヌカル村における盗賊騒動は終結を迎えたのであった。
エリンが盗賊たちを倒した翌日。
エリンと村長は隣の村まで赴き、そこに駐留している騎士団に盗賊のことについて話した。六人の盗賊をたった一人で倒したエリンに騎士たちはかなり驚いていた。そして、エリンに倒され縄で縛られて放置されていた盗賊たちはヌカル村にやってきた騎士に大人しく連行されていった。今後、騎士たちによって厳しい取り調べが行われることになるだろう。
さらに、騎士団による周辺の森の捜索によって盗賊の拠点とされていた廃屋が発見され、そこから盗品と見られる大量の貨幣や宝物が見つかった。持ち主がわかるものはそれぞれ返却され、貨幣については村人に均等に配分された。
それらの後処理が済んだあと、エリンは村長宅に呼ばれた。
エリンが村長宅に入ると最初は通されなかった――そもそもエリンは存在を知らなかった――大広間に通された。そこには村長をはじめとする村人たちが集まっていた。
「これは・・・・・・?」
「突然呼んでしまって済まないのじゃ。今日はお主にお礼がしたいのじゃ。村人総出で準備をしたパーティーなのじゃ。楽しんでいってほしいのじゃ」
村長の言葉に続き、集まっていた村人たちが口々にエリンにお礼を言った。エリンは近くにいた村人に大広間の中心に連れて行かれた。
「周りで飲み食いして笑っているのはお主が救ってくれた村の住人たちじゃ。お主のおかげで村人たちにまた笑顔が戻ったのじゃ。本当に、感謝しても感謝しきれないのじゃ」
そう言った村長が最敬礼をする。
「いえ、私はそのような大層なことはしていません。私はただ、村長の依頼を果たしたまでです」
「いや、お主は村の恩人じゃ。今日は遠慮せず気が済むまで楽しんでいってほしいのじゃ」
そう言われたエリンは村長の言葉に甘えてパーティーを楽しむことにした。
テーブルに並べられた様々な料理を食べ、何人もの村人たちと懇談して楽しいひとときを過ごした。しかしそうしながらもただ一つエリンには腑に落ちないことが残っていた。
なぜこの村に盗賊はやってきたのか。そこがエリンにはわからなかった。この村に建つ家を見る限り盗むようなものが隠されているとは到底エリンには思えなかった。もし仮にそのようなものが隠されているとして、その情報はどこから盗賊たちに渡ったのか。もし外部に協力者がいたとしたら、盗賊たちを倒しただけではまた同じような被害が起こってしまうのではないか。一旦は忘れようとしたのだが、やはり気になってしまった。
エリンは頃合を見計らって村長にそのことについて聞いてみた。すると村長は大広間の端にエリンを連れて行き、エリンにしか聞き取れないくらいの小声で話し始めた。
「これはこの村の最重要機密事項ゆえ、聞いても絶対口外しないでほしいのじゃ。守ってもらえるかの?」
「ええ。生涯口外しないと誓いましょう」
エリンは力強く言う。
「ありがたいのじゃ。とはいっても、あのような見ず知らずの盗賊が狙ってくる時点で既に外部に漏れているということじゃとは思うのじゃが……」
村長は困ったような声でつぶやいた後、困ったように眉根を寄せた。
「実はの、この村に住んでいる住人たちは全員《竜の鉤爪》空域の国や自治地区、商会などで重要役職についていた者たちなんじゃ。彼らは、本来は常時何人もの護衛が必要なくらいの立場にある。退任後もそうするべきと言われていたのじゃが、護衛などつけず一人で自由気ままに暮らしたいと願う者たちももちろんおる。そういう者たちが集まって暮らしているのがこのヌカル村なんじゃ。そういう者たちだから資産は山ほどある。お主はきっと、この村の建物が崩れかけているようなものばかりだったからどこに盗賊が盗むようなものがあるのか疑問に感じていたんじゃろう?」
エリンは少し苦笑しながら肯定する。
「はい。正直なところ、この村の家にお金になるような高価なものなど無いのではないかと思っていました。ただ、今の村長の話を聞いたら盗賊が襲ってくることにも納得がいきました」
「なら良かったのじゃ。本当は儂は村に騎士団を駐留させたかったのじゃが、『騎士団を置くなんて護衛をつけられているのと同じじゃないか』とか『こんな辺鄙な村に騎士団なんて置いたら重要人物がいると知らせているようなものだ』などと住人の反対が大きくてのう……。結局隣の村に駐留させることで折り合いをつけたのじゃ。じゃが、もし騎士団をこの村に駐留させていたら今回のようなことにはならなかったじゃろうに……」
村長の顔に苦悩の色が浮かんだ。村長にとってこの村に警備のための人員を誰も配置しないというのは苦渋の決断だったのだろうことがエリンにも感じられた。
「その情報がどこから盗賊たちに漏れたのかは分からないのですか?」
村長は弱々しく首を横に振った。
「残念ながら分からないのじゃ。外部の者がどこからか嗅ぎつけて来たのかもしれんし、この村の住人の中に情報を売った内通者がおるのかもしれん。どこから漏れたにせよ、原因がわかっておればまずそっちから潰しているのじゃ。本当に、どこの誰が漏らしたのかのう……」
村長でさえも、なぜ盗賊がこの村を襲えたのかはわからなかったようだった。エリンは注意深く村長の表情の変化を見ていたが、隠し事をしているような様子は感じ取れなかった。
「本当に、原因が解明できるといいですね……」
「本当にのう……」
二人は酒の注がれたコップを持ったまま、並んでため息を吐いたのだった。
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