2 〈よろず屋〉ブリッグス
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
遅れました、第二話です。
エリンがドラグニア島から飛空艇に乗って向かったのは、トワイライト諸島であった。トワイライト諸島はドラグニア島から比較的近いところにある、《竜の鉤爪》空域の中心地である。また、この空域最大の交易拠点ともなっているため、空域全体から、更には他の空域からも人物や物資、様々な情報がいち早くやってくるのである。
エリンの乗った飛空艇が停泊したのは、トワイライト諸島最大の島・トワイライト島の港だった。この港はトワイライト諸島の重要港のうちの一つであり、いつでも大小様々な飛空艇がやってきては飛び立ち、大量の荷物や人が入り乱れて賑わっている。この賑わいがトワイライト諸島の、ひいてはこの《竜の鉤爪》空域の経済の一端を担っていると言っても過言ではないだろう。この港の年間の貿易量・渡航人数は空域でもトップクラスなのだ。この港がもし機能しなくなってしまえば、トワイライト諸島や《竜の鉤爪》空域のみならず、周囲の複数の空域の貿易・物流が滞り、多くの人々が生活に困ってしまうだろう。そもそも存在していなければ、《竜の鉤爪》空域は今のような商業空域にはなっていなかったかもしれない。それくらいにはこの港は規模も影響力も大きいのである。
エリンが旅の最初にこの島を訪れたのは、上記のようなことが理由である。貿易量が多いということはたくさんの商人が来る。渡航人数が多いということは様々な業種、様々な空域の人間が集まってくるということである。となれば、それらの人と一緒にいくつもの噂話も空を渡ってやってくるだろう。その中には、エリンの父親に関する噂も混じっているかもしれない。そうでなくても、今後旅をしていくためにはどんな些細な情報でも持っていた方が良い。それらを入手することこそがエリンの最初の目的であった。
エリンが飛空艇を降りると、そこは交易品の積み下ろしや人の乗降が多く、この港の中でもかなり人の多い区画だった。そこかしこにエリンの肩辺りまであるような大きな木箱が積み上げられ、荷物を肩に担いだ船乗りや手に木の板や紙を持ち何やら指示を出している貿易商などがあちらこちらで忙しそうに動き回っている。エリンをはじめ飛空艇を降りた客のほとんどが通り抜けられずにいたが、彼女は蠢く人々の隙間を縫うようにしてなんとか港の外へと出る門に向かった。
この港のすぐ前には、この島の最大の市街地へと延びるメインストリートがある。白い敷石で綺麗に舗装された石畳の道で、道幅は馬車が対面通行できるほどに広い。荷馬車や乗合馬車、そして多くの通行人で活気溢れるこの道の両脇には、いくつもの店が所狭しと並んでいる。トワイライト諸島の特産品や伝統工芸品、交易でもたらされた品々、色とりどりの野菜や果物、新鮮な肉や魚など、目を引くたくさんの商品が売られていた。
港の門を潜ったエリンは、生まれて初めてドラグニア島以外の島に足を踏み入れた。そして、初めて見るメインストリートの光景に目を輝かせて左右に忙しなく顔を向けていた。ドラグニア島にはこのような通りは無い。というか、商店がひとつも無いのである。買い物をするには島に定期的にやってくる商船団から買うか、もしくは他の島まで行って買ってくるしかなかった。エリンはいつも商船団から必要な食料や日用品などを買っていたので、これだけたくさんの商店が並んでいる様子を見ることなどなかった。だから、初めて見る光景に彼女は好奇心と興奮を隠せずにいた。
通りを左右往復して様々な店を眺めながら街の中心部へと向かって歩いていたエリンは、数ある商店の中にやっと目的の店を見つけた。彼女はトワイライト諸島にショッピングをしに来た訳では無い。先程も述べたが、あくまでも情報を手に入れること、もしくは情報を提供してくれる人脈を作ることがここを訪れた理由である。店を見つけたことでその目的を思い出し、完全に浮かれていたエリンは我に返った。
エリンが目的にしていたその店は一見すると、寂れた喫茶店のような外観をしていた。ほかの店の多くが店先に大きな棚を置き道行く人の目に商品が見えるように並べているのだが、ここは店頭に何も並べておらず、「OPEN」と書かれた札のみを掲げて常に扉を閉めた状態で営業していた。そして、扉の上の木の看板には少し褪せた黒の染料で《よろず屋 ブリッグス》と書かれていた。
よろず屋とは、その名前の通り店主が世界の各地から集めてきた様々な食材・日用品・服・武具・特産品などを売っている店のことである。半分くらいはかなり貴重で少量しか仕入れられないようなものが売られており、何かしらのコレクターなどには結構利用されていたりする。どのようなものがどれくらいの品質でどれほど売られているのかということが、その店のマスターの人脈の多さやこれまでの経験、そしてかけた手間をはかる指標になっており、マスターの腕の見せ所でもあった。
そして、よろず屋にはただの貴重品ショップとはまた違った側面もある。
よろず屋として世界各地で仕事をしていれば、当然いろいろな地で関わりを持つ人が生まれてくる。よろず屋を始めたばかりであればそこまででもないかもしれないが、経験を積んでいくと商品を買う人とも売る人とも深い関わりになってくる。そうすれば、かなり込み入った内容の話をする機会というのも出てくるだろう。そういうところで、様々な噂話や裏話などを耳にするなどよくあることである。それを覚えておき、望む人々に"情報"として提供することもまたよろず屋の仕事なのだ。だからよろず屋は情報屋でもあるし、客からなにかの依頼を受けてそれを冒険者などに紹介する仲介所でもある。故に、よろず屋にはコレクター以外に冒険者達も多く出入りしている。
エリンがよろず屋の扉を押すと、扉の内側につけられていたドアベルが快い音を立てた。その音を合図に、入口に背を向けた状態で店の奥のカウンターに座り、キセルを燻らせていた一人の男が振り返った。
「いらっしゃい。お、一見さんかい?《よろず屋 ブリッグス》へようこそ。俺はマスターのショルツ・ブリッグスだ」
「あ、はい。はじめまして。……あの、ここはよろず屋なんですよね……?」
エリンが不安になったのも無理はないだろう。何故ならば、この店は店外のみならず店内にもほとんど商品が置かれていなかった。というか、ものが無い殺風景な部屋が広がっているだけだった。部屋の中にあるものと言えば、棚がひとつ、そこに小さめの花瓶と薬瓶と白くて金で縁取られた大きな皿、一本の短剣。カウンターの上には紙が数枚と羽根ペンとインク、そしてマスターらしき男が先ほどまで座っていた木製の椅子のみである。よろず屋かどうか以前にそもそもここは店なのかどうか疑いたくなるレベルのものの少なさだ。
「ああ。一応これでもよろず屋だ。もっとも、見ての通りよろずのものなんか売っていないがな。うちは仕事の仲介と情報に特化したよろず屋をやっているんだ。ま、とは言ってもときどき気に入った品を仕入れたりはしているから、運が良ければ何かしら品物が買えるかもしれないぞ。ちなみにそこの棚の中のものは俺の所有物だ。今ここに実体としての商品は置いていない。もしそういう貴重な品物がお求めなら別の店をあたりな」
それを聞いたエリンはどこかほっとしたような表情を浮かべた。
「それはつまり、普通のよろず屋なら商品の仕入れに割いている時間も全て、仕事や情報の仕入れに使っているってことですよね?」
「ああ、そのとおりだが。それがどうかしたか?」
「よかった。どうやら私の聞いていた噂は嘘ではなかったようです」
エリンは島を旅立つ何年も前から、島を出たあとのことについて考え、下調べをしていた。あまり外部の人は立ち入らないドラグニア島にも時折、冒険者や旅人がやってくることがある。そういった人々から話を聞くことで、エリンは島の外の状況や冒険者たちがよく利用する店などについての情報を聞き出していた。ただ、単純に面と向かって聞き出そうとしても、冒険者たちはなかなか口を割ってはくれない。せっかく手に入れた情報を簡単に他人の手に渡してなるものか、という考えのものがほとんどだったからだ。
そこでエリンは、島を訪れた冒険者たちに積極的に声をかけ、滞在期間中の食事と寝床を提供することにした。ドラグニア島は観光で来る人などほぼほぼいないため、宿屋が一軒もない。そのため、エリンのこの活動というのは冒険者たちに絶大な支持を得た。そして、食と住を提供する交換条件として情報の提供を求めた。
結果、多くの冒険者たちがエリンの活動を気に入り、彼女の家に滞在するために情報を提供し始めた。しかし、そうして泊めた冒険者たちの中には少々特殊な性的趣味を持っている者もおり、島中の人間が寝静まった真夜中に起き出して幼いエリンのことを襲うためにあえて彼女の家に泊まろうとする者もいた。もちろんその者たちはエリンが相当な剣の使い手であることなど知らないし想像もしていない。どうやってエリンで楽しむのか、それだけを考えていた。そして、丸腰でエリンの寝床に現れた特殊嗜好の者たちがその後どうなったのかは想像に難くないだろう。
そんなことはさておき、エリンは別のときに泊めたとある冒険者から、《ブリッグス》という名前のよろず屋が情報屋としてとても腕が良いということを聞いていた。興味を持ち、店の場所を聞いていたのだが、想像とはかなり違った店の様子に違う店に入ってしまったのではないかとかなり不安になっていたのだ。
「私はある冒険者の方からこのよろず屋を勧められまして、旅のはじめにやって来ようとずっと思っていたんです。正直別の店に入ってしまったのかもしれないと思っていたのですが、貴方の話を聞いて安心しました」
「そうか?それなら良いのだが」
男は少し訝しげな顔をしながらも少し微笑み、そしてその微笑みをすぐに引っ込めた。代わりにエリンを見る目が厳しくなり、彼女の頭の頂点から足の先まで、じっくり舐めるようにゆっくりと視線を動かした。目線がつま先まで到達すると再びその目はエリンの顔に向いた。
「で、一応聞くがお求めの品は?」
「”情報”と”仕事”です」
エリンはにわかに顔をこわばらせつつ答えた。先程までにこやかな柔らかい表情をしていたマスターが険しい顔つきに変わったからだ。何かまずいことをしたのだろうか、と理由も分からないままエリンはマスターの顔を見つめた。
「ほう。あんた、見たところかなり若いようだがいくつだ?」
「十八ですが」
「付き添いは?」
「いません。一人で旅をし始めたところです」
エリンの言葉を聞き、マスターは、いやショルツは少しばかり顔を伏せた。そして額に手を当てて考えこんでしまった。
しばらくの間、よろず屋の店内に沈黙が降りた。どうすれば良いのか分からずエリンが立ち尽くしていると、ショルツは氷が溶けていくような速さで顔を上げ、口を開いた。
「これはマスターとしてではなくショルツ・ブリッグスという一人の人間として言わせてもらう。あのな、冒険者の世界ってのは、あんたみたいな若造が一人でのうのうと生きていけるほど甘くはないんだよ。定住できる場所なんてないし、食べるものが手に入らず飢えていることなんて日常茶飯事だ。いつ死んでもおかしくない、お先真っ暗な厳しい世界だ。あんたはまだ若い。まだまだやりたいことがあるだろうし、この先の未来には無限の可能性が広がっているはずだ。それを捨ててまでこんなとこに来ることはねぇ。悪いことは言わん。さっさと家に帰って別の道を探すんだ。そうしないとあんた、絶対後悔するぞ」
ショルツはまっすぐにエリンの目を見つめ、ゆっくりとなだめるようにエリンに語りかけた。その言葉には、彼の後悔のようなものが滲み出ていた。
「恋したり、遊んだり、美味いもの食ったり、いろいろと夢とか希望とかあるだろう。それをやらないでどうする。せっかくの人生なんだ、やりたいことをやるのが一番だろうが。親にはなんて言って家を出てきたんだ。変な場所で死んでみろ、あんたの親はどれだけ苦しむのかわかっているのか?これまで一生懸命育ててもらったんだろう?その親の努力を全て無下にするつもりか?最悪の場合、死んだことすら親の耳に届かないことだってあるんだぞ?それでもあんたはこのまま冒険者として生きていこうと思っているのか?そこまで考え抜いた上であんたは今そこに立っているのか?どうなんだ?」
ショルツの剣幕にエリンは圧されて閉口した。そしてしばしの逡巡ののち、穏やかな、そして少し寂しげな口調で話し始めた。
「私には今、親はいません。母は私がまだ赤子だったころに病で死んだそうです。そして父は私が五歳の頃、一人で家を出ていきました。理由は分かりません。父は今どこにいるのか、何をしているのか、そもそも生きているのかすらも何も分かりません。だから、これまでの人生の大半を私は一人で過ごしてきました。もちろん、近所の人々と助けはありましたが、家にはずっと一人でした。親に育ててもらった期間は短いですが、でも、だからといって私は命を無駄にしようとして旅に出た訳ではありません。そりゃあ、遊んだり恋したりしたいですよ?人並みにそういった欲望はあります。でもそれ以上に私は父親のことが気になるのです。あの時、父はなぜ一人で目的も何も言わずに家を出ていったのか。目的はなんなのか。今どうしているのか。それを知りたいんです。それを追った結末が悲しいものであっても、残酷なものであっても、私はそれを受け入れる覚悟はできています。そして、その旅路の途中でもし私が死ぬことになったとしても後悔はしません。未練は、まぁ多かれ少なかれ抱くでしょうが、私が選んだこの道に後悔はありません。私はそれなりの覚悟を持って家を出て、それなりの覚悟を持って今ここに立っています。それではダメなんですか?」
ショルツはカウンターに手を付き遠くを見るような目をして固く口を閉ざして彼女の言葉を聞いていた。そしてエリンの話を全て聞き終わると、ショルツはマスターの顔に戻り、ひとつ頷いた。
「そうか。そこまで言うならいいだろう。俺はこれ以上は何も言わん。あんたのその言葉、何があっても忘れるなよ」
「ええ、わかっています」
マスターは長いため息をつき、緩慢な動作で目を閉じ、開いた。
「なぁ、あんたの利き手の平を見てもいいか?」
「ええ、構いませんが」
そう言ってエリンは右手の平をショルツの方へ差し出した。その手は見ただけでも分かるほどに皮膚がかたく、たこが潰れて治癒したあとがいくつも残っており、剣を握りなれているものの手そのものだった。その手を見てマスターは一瞬目を見開き、すぐに普通の表情になった。
「さて、話が脇道に逸れてすまなかったな。確か、お求めなのは"仕事"と"情報"だったか?」
エリンは頷いて返す。
「わかった。仕事の内容に関して希望はあるか?楽なものがいいとか、討伐系はやりたくないとか」
「いいえ、特にはありません。私にできそうなものであればなんでも受けます」
「ふむ、そうか」
マスターはカウンターの上に乱雑に重ねられていた 数枚の紙を取り上げた。それらをしばらく眺めたあと、そのうちの一枚をエリンの方へ差し出した。
「それじゃ、これなんてどうだ?」
マスターがエリンに差し出した紙には大きく『盗賊討伐依頼』という文字が書かれていた。
「この一番上に書かれた字の通り、依頼内容は盗賊の討伐だ」
依頼書によれば、依頼したのはトワイライト島北部にあるヌカル村という村である。ここ最近、村によく盗賊が現れる。しかし、村人だけでは盗賊に対処ができず、抵抗することもせずただ盗られるままに放置せざるを得なかったという。近くに騎士団なども駐屯していないためそこに依頼することもできなかった。よって、放っておけばそのうち盗賊がいなくなることを期待していたのだが、三ヶ月ほど経っても一向にいなくなる気配を見せない。それどころか先日、遂に初めての怪我人が出てしまった。これ以上そのままにしていたら犠牲者が出てしまうかもしれない。もう耐えられない。誰でもいい、助けてほしい。マスターは村人たちからこのような話を聞いたと語った。
「だから、依頼を受けてくれる方は迅速に村に来てほしいとのことだ。今すぐにここを発って村に向かってもらうことになるが、いいか?」
マスターの問いかけに、エリンは力強く頷く。
「大丈夫です。すぐに行けます」
「わかった。それじゃあ、頼む。ヌカル村はこの島の北部にある。近くの村まで向かう乗り合い馬車がここの近くから出ているから、それを使うといい」
エリンはそれを聞いて頷くと、マスターにくるりと背を向けてすぐに店を出ようとし、ドアノブに手をかけた。その背中に、マスターが言葉になった「待った」をかけた。
「ちょっと待て。まだあんたの要件が済んでいないだろう」
エリンは一瞬首をかしげ、すぐに思い出した表情になった。
「……あぁ、そうでしたね。すっかり言った気になってました」
マスターは少し困った顔をしつつ店の奥に戻り、すぐに分厚い手帳を持って戻ってきた。
「それで、欲しい"情報"というのは?」
再びカウンターの前に立ったエリンは少々硬い表情になった。
「ハンス・ローズクロイツという名前、聞いたことありませんか?」
「いや、初めて聞くな」
マスターはにべもなく即答した。
「それで?その人の何を知りたいんだ?」
「私は、その人物の消息を知りたいんです。今、どこにいて何をしているのかを調べていただきたいのです。どんな些細なことでも構わないので、何かわかったら教えていただけないでしょうか」
「なるほど、わかった。調べておこう。何か情報が入ったら連絡を入れる」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
エリンは深い感謝を表し、今度こそ依頼のあった村に行こうとドアへ向かう。
「そうそう、聞くのを忘れていたが、あんた名前は?」
エリンはドアの直前で立ち止まり、少しだけ顔をマスターの方へ向けて答えた。
「私は、エリン・ローズクロイツと言います」
マスターは納得したように頷く。
「なるほど。そういうことか」
「ええ。ハンス・ローズクロイツとは、私のいなくなった父なのです。それでは、どうかよろしくお願いします」
お読みいただきありがとうございます。
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