妖怪 アンポンタンポン
信ちゃんは丸々とした瞳で
「その筒ってお化け?」
と訊いた。
「わからない。だって誰に訊けばいい? 白い筒みたいなものっていっても……」
「アンポンタンポンって言われなかった?」
「言われた。竹内のアンポンタンポンって何度も何度も」
「だからアンポンタンポンなんだよ」
「何が?」
「その筒お化けの名前」
「そうなの?」
「きっとそうだよ。今日も誰かに言われた?」
「ううん、誰も。女子とはおはようとかアイサツだけ」
「じゃ、もう出て来ないね、アンポンタンポンは自分の世界に帰ったんだ」
「何それ?」
「ちょっとこっちの世界に紛れ込んだんだよ。もう当分遊びに来ない」
「誰が?」
「アンポンタンポン」
信ちゃんは僕を謎の中に置き去りにして仰向けでごろごろした。両足を上げ、袴がずり落ちるのも気にせず、足袋のつま先を掴もうとしている。いくら信ちゃんでも身体は中年だろうに。
「ぼくだっていつか、ぼくの世界に帰らなきゃいけないんだ。そしたらとおると遊べなくなるけどさ」
「いいよ、信ちゃんは帰らなくて。アンポンタンポンだって帰らなくてもよかったんだ」
「お化けとか妖怪はね、あんまし怖くないんだよ。いるべきでないとこにいるからドキッとするだけ。ぼくが信ちゃんだと怖いと思う人もいるでしょ。アンポンタンポンはまた会いにくるよ。そのときは、なあんだおまえか、久しぶりって言ってあげてね」
「うん」
「ぼくも、また会いにきてもいい?」
信ちゃんは自信なさげに訊いた。
「いいよ、何度でも」
「とおるが大人になっても?」
「もちろん。信ちゃんも大人になる?」
「わかんない。今がもう大人なんだったらこのままだし、今が子供だったらもっと背が伸びるかなぁ。自分が何才かわからないのはちょっと不便だね」
「そうだね」
「あ、ぼく、アンポンタンポンの歌うたう」
「え、信ちゃん?」
信ちゃんはさっき弾いていた小さなお琴らしきものを引き寄せた。
「アンポンタンポン遊びに来てよ、僕は怒ってないからさ。アンポンタンポン会いに来てくれ、お腹痛くはないからさ。アンポンタンポン一緒に唄おう、とおると信也は仲良しだって」
何と脈絡のない歌詞だろうと思ったけれど、信ちゃんの勢いに押されて唄ってしまった。
「ヘンな歌」
と僕が言うと信ちゃんは
「ほんと、ヘンな歌ぁ」
と言って、足をバタバタさせて笑った。
境内の方から声がした。
「失礼いたします、本田です。竹内くんはこちらでしょうか?」
信ちゃんはリフレインのように繰り返した。
「アンポンタンポン一緒に唄おう、とおると信也は仲良しだって」
師範の声がする。
「信也と智史も仲良しだって」
師範の下の名前だと思ったら信ちゃんは
「さとしなんか嫌いだよぉ」
と扉に向けて言っていた。
「開けます。竹内くんはそろそろ帰らないと、明日も学校だから」
「はい」
「だからさとしなんか嫌いなんだ、折角楽しかったのに」
師範は信ちゃんには答えずに
「もう六時です。車で送るから」
と僕に言った。
「信ちゃん、また来るから怒らないで、待ってて」
「待たない。明日は来ないで。ぼく忙しいから」
「忙しいって信ちゃん、待っててくれないの?」
「明日はアンポンタンポンに会いに行く」
「僕も連れてって」
「やだ」
「じゃ、明後日、明後日くるからアンポンタンポンの話聞かせて」
「とおるが来たらね」
「明後日だよ、待っててね」
信ちゃんは答えてくれずに、お琴を手にして奥の神さま側に姿を消した。
師範の車の中で呟いてしまった。
「信ちゃん怒ったのかな?」
「怒ってないよ。怒ったのは私に対してだ。邪魔をしたから」
「明日は来ない方がいいんですね?」
「あのひとが明後日と言うなら明後日だね」
「神憑りって急に治るんですか? 明後日来てみたら普通のオジサンだったりしますか?」
「治るときは急だよ。でもあのひとは決して普通のオジサンにはならないけどね」
「何か信じられない。ほんと、全然子供なの。話し方も、仕草も、それでいてお琴みたいな楽器弾いて歌を作った」
「きっと神さまの一種なんだよ」
「長秋卿という方も音楽が得意でしたか?」
「ああ、そうらしいね。私は信者じゃないから詳しくは知らないが、その方が作曲した雅楽が現存するそうだよ」
本田師範はそう言って、僕のうちまで黙り込んだままだった。