キャッチボール
池の北岸辺りの柿の木を見上げると青い実がたわわになっていた。背の高い信ちゃんが自然に手を伸ばした。
「何個とる?」
「え? ひとつでいいよ」
「ぼくはいつもたくさん採って、池のあっち向けて投げるよ?」
「キャッチボールはひとつでいいんだ。じゃ、予備にもうひとつ、ふたつ採って」
信ちゃんから柿の実ふたつを受け取り、「そこにいて」と言い渡して、十メートルほど距離を開けた。信ちゃんは、所在なさそうに身体を左右に揺らして立っている。
「いくよー」
声をかけた。投げた柿は信ちゃんの胸に当たり、地面に落ちた。信ちゃんがうずくまる。駆け寄った。
「どうして捕らないの? 大丈夫?」
「やったことないって言ったじゃん」
まだ顔を上げない。膝を折って顔を近づけた。
「ごめん、信ちゃん、ごめんね、痛かった? 大丈夫?」
手をとった。
「立てる? すぐ上手になるよ、練習しよう?」
ゆらりと立ち上がりはしたけれど、楽しそうじゃない。
「信ちゃん、両手出して。はい、どうぞ」
信ちゃんの両手のひらを合わせて丸めてから、その中に青柿を入れた。
「ありがとう」
信ちゃんがおずおずとお礼を言った。大丈夫だと思えた。にこっと笑って見せ
「今度は信ちゃんが僕にくれる番」
と言った。
「はい、どうぞ」
「ありがとう、じゃ、一歩離れて」
お互い一歩ずつ離れた。腕をまっすぐ伸ばした。
「受け取って……」
ぎりぎり手が届いた。今度は信ちゃんから柿が返ってくる。
「さあ、もう一歩離れるよ」
大股で一歩ずつ離れるともう投げるしかない。
「下からゆっくり投げるから捕ってね、いくよ?」
距離は三メートルない。柿は弧を描いて信ちゃんの両手に納まった。
信ちゃんは「捕れた」と笑った。
それからは一歩ずつ離れながらお互い柿を投げあった。アンダースローでゆっくり投げるのは限界があるなと思いだした頃、信ちゃんが「上から投げてもいい?」と訊いた。
「いいよ、投げてみて」
柿は鋭い弾道を描いて僕の手に飛び込んできた。
「いってぇ、柿の実痛いよ、へたもあるし。でもすごいコントロールいいんだね?」
そう褒めると恥ずかしそうに「投げるのはできるよぉ」と言った。
「じゃ、僕も上から投げるから捕ってよ」
出来る限り山なりの球を投げた。伊達にリトルリーグで野球をやっていたわけじゃない。
柿が何度か行き来した。すると信ちゃんは突然投げるのを止めて手の中の柿をじっと見つめた。手が痛くなったかと心配になり駆け寄った。
「どうしたの? 飽きた?」
「ううん、ボールが返ってくるのって嬉しいね。投げっ放しよりよっぽど楽しい」
信ちゃんが心から微笑んだ気がした。自殺を考えるなんて何があったのか知らない。神憑りなんて輪をかけてわからない。でも喜んでくれた。
「信ちゃん、遠くに投げれる? 僕が池の向こうにいってもキャッチボールできるかな?」
「やってみる?」
「やってみよう!」
池のほとりを半周、ジョギングしながら考えた。
――子供相手に何してんのかな。いや、大人相手か? 自分は大人だろうか、子供だろうか? 高校に入って「オレ」呼びしていた自分が、今は信ちゃん相手に「僕」と言うのが等身大な気がする。
「いくよー」と声をかけると、相手は着物の袂を揺らしながら「オッケー」と答えた。
久々の遠投だ、距離は何とかクリアしたが、落下点がズレ、草履履きの信ちゃんは二、三歩よたよたした。
「捕れたよー、こっちからもいくよー」
信ちゃんの球は僕の頭を越えそうになった。
「スゴイ、信ちゃん楽勝!」
次にもう一つの柿をポケットから出し、「こっちからも投げる」とジェスチャーした。
信ちゃんが投球動作に入ると同時にもうひとつの柿を投げた。柿は池の上ですれ違ってお互いの手に入った。
ふたりで何かをやり遂げた気がした。