結婚式で
これが僕にとっての信ちゃんの思い出のはずだった。何度も何度も脳内リピートして忘れないようにしてきた僕の親友の。今の今まで、ここで、僕の結婚式の席上で、神主さまが講話を始めるまでは。
僕は結局、高校の勉強だけでは物足りず、商科大学に進んで経営学を学んだ。卒業と同時に家業の老舗和装履物店を継ぎ、大学で知り合った女性との結婚を決めた。挙式はもちろん、信ちゃんの神社に神前でお願いした。
今日がその当日、七年たっても初めて会った日とさほど変わらない神主さまが話す。
「結婚はキャッチボールです。投げたボールが投げ返されてくる。こんな嬉しいことはありません。
独りよがりの投げっぱなしにならないよう、しっかり相手を見つめて進んでください。時には相手が球を受け取れないこともあります。勢いが強過ぎるのか、方向違いか、球が硬過ぎるのか、ただ単に相手が慣れていないのか。
そんなときはすぐさま駆け寄って距離を縮めてください。手の届くところまで近づいて相手の手の中に『はい、どうぞ』と渡す。『はい、どうぞ』と返ってくる。そこから始めればいいのです。
歩み寄ること、そして慣れてきたら少しずつ距離を置いてみる。すると遠く離れても互いの心が手に取るようにわかる、絆ができて来ます。
毎日心を込めたキャッチボールをすること、それを忘れないで若いお二人は一歩一歩積み重ねていって下さい。
徹さんと美枝子さんなら必ずそれができると、私は信じております。
この佳き日を皆様と共に迎えることができ、我が事のように嬉しく思いつつ、末長くお幸せにとお祈り申し上げます」
涙が止まらなかった。信ちゃんが、僕の親友があの日を語ってくれた。結婚式の祝辞として。
神主さまは
「信じあい、とおる海峡 大海へ漕ぎ出せ 青き笹の舟にて」
と吟じた。
式と披露宴の合間にお茶室の周りで野点てが行われた。穏やかな春の陽射しが気持ちいい。
招待客に混じって妻となったばかりの美枝子と鏡池を眺めていた。重たい和装を解いて、ワンピース姿が初々しかった。
突如、人々がざわついた。山側から何かが流れてくるらしい。何かじゃない、あれは無数の、水面を覆い尽くしそうな、笹舟だ。お客はその演出に目を瞠っている。
僕は美枝子の肩を抱き寄せた。誰の仕業か問うべくもない。すると張本人が近づいてきた。
「お疲れさまでした、緊張されたでしょう?」
笑顔で問われ答えられない僕に代わって美枝子は、
「神主さまの方こそ、素敵なお式をありがとうございました」
と頭を下げた。そして、ふたりの話があると勘付いたのか、「皆さまにご挨拶してきます」とその場を離れた。
何も言えないままに視線を合わせると、袂から何かを取り出して両手に隠した。そして僕の方に差し出す。
「これがとおるのだからね」
にこっと笑って手の中の物をこちらの手の上に落とした。茶色く乾いてぺらぺらではあったけど、傾いだ僕の笹舟だった。
「信ちゃん」
「おめでと、幸せにね」
「信ちゃん、ずうっと会いたかったのに」
「ヘンなのぉ、ずうっと近くにいたじゃん。とおると信也は仲良しだって」
「見ててくれたの?」
「見てたよ。とおるの願いは全部叶うって言ったでしょ。一杯神さまにお願いしたんだから」
「信ちゃん、信ちゃんが帰っちゃったのは僕と遊ぶのが退屈だったから?」
今しかないと思った。子供言葉で構わない、今訊かないと。
「ヘンなの、とおる、やっぱヘン」
「信ちゃん」
「とおるはお兄ちゃんだからキャッチボールや笹舟競争ばっかできないでしょ。忙しいんだから」
「信ちゃんと遊ぶ時間くらいいくらでもとれたよ。もっと一緒にいたいって思ってたのにいなくなっちゃって」
「いなくなってないよ、ずうっとここにいたじゃん」
次の言葉は神主さまだった。
「私が信也だよ。阪口信也だ。幼稚園や小学校の友達と大人になって再会しただけ。私は凄いスピードで信也から大人になった。鏡池のほとりで、君に見守られながら。手を繋いでいてくれたと記憶しているが?」
「はい」
「君が優しくしてくれたこと、遊んでくれたこと、全てこの胸の中にある。私にも大切な思い出だ」
「大人になるスピードが違っただけ?」
「そうだよ」
「神主さまのこと信ちゃんって呼んでも怒りませんか?」
「怒るわけないじゃん、ぼくだもん」
「信ちゃん、阪口って言った? 『おやしろの』は苗字じゃないんですね?」
「ヘンだと言ったのは君だ」
ふたりで笑えた。
「決めていたんだ、とおるが学校で女子と話せるようになったらやめようって」
「やっぱり騙したんだ」
「そりゃ、神官は基本、嘘つきだよ。タンポンに手足が生えるなんていうんだから」
吹き出してしまった。
「全部信じてたわけじゃないです。でも、ほんと、僕の信ちゃんは存在したんですか?」
「した。そして大人になって今ここにいる」
「信ちゃん、とおると信也は仲良し?」
「仲良しぃ」
「これからも?」
「これからもずうっと」
そう言っておいて大人っぽく、
「よく頑張ったな。美枝子さん大切に」
と神主さまに戻って歩き去った。そして池の向こうを歩いている本田師範と合流した。
上流から大量の笹舟を流したのは師範だ。
ふたり笑いあい、僕の方を振り返って手を上げた。
僕は信ちゃんという友人を失くしたわけではなかったらしい。神主さまと師範という並外れた友人二人に恵まれたのだろう。
高校一年での不登校、今思えば何でもないものを怖がって、異性のことも、自分のことも何もわかっていなかった。問題は自分ひとりで解決するのが大人の男だと思い込んでいたのかもしれない。もう高校生なのだから、男なのだからと肩をいからせて。
神主さまは自分が子供に返って見せ、僕が話せるようになるまで遊んでくれるつもりだったのだろう。やられたな。まんまと担がれたわけだ。
親戚とおしゃべりしていた美枝子が戻ってきた。
「そろそろ披露宴の方へ移動しないと」
と囁いた。新妻の愛らしさが眩しかった。
「結婚記念に雲の鼻緒の虹の草履でもデザインしてみようか。女物なら売れるかもしれない」
そう思いながら頷いた。