思い出の品
次の日学校が終わり次第、神社に行った。社務所の本田師範は驚いていた。
「鏡池の周りを歩かせてください」
「それはいいけど、今日は神主さまいないよ」
「いないほうがいいです。池の周りだけですから。あ、神主さま体調の方は?」
「一晩休んで大丈夫みたいだったよ」
「そうですか、よかった。では」
水面や石の間を見ながら池縁を歩いた。笹舟はお茶室側に流れてくるはずだ。オーバーフローの穴があるのかどうかは知らないが、土地がゆったりとした傾斜になっているのだから。
初めての日、「変なオッサン」と思いながら背中を追ったのを思い出した。
「遊んでくれる?」と訊いた信ちゃん。
水際をずっと見て廻ったが笹舟はどこにも引っ掛かってなかった。まるで信ちゃんと一緒にかき消えてしまったみたいだ。悲しくなった。
信ちゃんが眠ってしまった大きな石のところへ戻った。
「信ちゃん、どこいっちゃったの?」
男子高校生としてこんな感傷を持つなんて恥ずかしいことなんだろうに。もともといなかったんだ。神主さまがちょっと体調崩してただけだ。
目を上げるとお社の裏が見えた。その手前にあの柿の木が生えていた。近づいた。青柿は今もたわわになっていて、信ちゃんがふたつ採った枝はわからない。でも僕たちはここにいた。
信ちゃんが「幾つ採る?」と訊いて僕が「ひとつでいい」って。「予備にふたつ」って、それで池越しにふたつ同時に投げた。僕たちは確かにここにいた。
手を伸ばして低い枝からひとつ実をもぎとった。これだけ持って帰ろう。
社務所の本田師範は僕の手の中の柿を見つめた。言い訳のように、
「キャッチボールした思い出にひとつもらってきました」
と答えた。
「竹内くん、このお社でまた空手道場を始めたら、来るかい?」
「はい、もちろん、是非」
なぜ急にそんなことを訊くのかわからなかった。神社に就職してその仕事が忙しいから余儀なく閉鎖したと聞いていた。
「そうか、じゃやってみようかな。宗教の嫌いな人は来てくれないかもしれないが、少人数でも」
「お願いします。師範は信者ではないとこの間……」
「私は違う。音楽はからきしだ。お茶室や集会所の貸出斡旋をしている。神主さまがその集会所を使えばいいと言ってくれて」
それなら気にすることは何もない。
その後、週に一度お社に空手を習いに通った。鏡池には近づかなかった。
神主さまはよく見かけた。遠目に見ると、たまにドキッとした。信ちゃんのような気がしてしまうから。
空手教室を見学されることもあった。近くにいれば神主さまだとちゃんとわかる。姿勢がよくて、柔道が得意だそうだ。このひとが、キャッチボールができないなんてあり得ない。
信ちゃんはよく内股気味に立っていた。身体を揺らしながら、恰も大きなテディベアをあやしているかのように。
学校の遅れは、一年目が終わるくらいには取り戻せていたのかもしれない。
そして高三になる直前くらいにアンポンタンポンはただのタンポンという名前で、何に使われるのか理解した。テレビのCMで見たりしてわかりかけていたのが、悪友が彼女の話をしていて、ピンと来た。
「水泳部の彼女に、大会だからといってタンポン使わせたくない。オレたちまだなのに」と腐っていた。
僕は即座に「気にするなよ」と言ってしまっていた。信ちゃんの言葉が頭に響いていた。
「タンポンは頑張る女の子の味方なんだぜ。そんなこと気にせず応援してやれよ」
「竹内、おまえ大人だなぁ。そんなこと言うとは思わなかった」
と、感心された。
あの時、クラス中の女子が騒いだのも、あの娘が恥ずかしがったのもわかる気がした。