008 八当
サクラは先ほど拠点へと帰った場所に戻っていた。右の通路にはネフィリアを驚かせた赤い花が同じように咲いている。
それを忌々しげに見つめると手をかざしボッと焼き払う。そのまま横を通り過ぎるが罠が起動することはもうない。
「ネフィを悲しませるものは……許さない」
サクラは怒っていた。それは先の原因を作った花の罠にか、初挑戦となるのに異常に何度が高いこのダンジョンにか、はたまた説明のためとはいえ、あの時罠をうかつにも起動させてしまった自分自身の愚かさにか……
その手に【星桜刀】を出現させると花びらが地に落ちるのを待たず洞窟の中を駆けていく。
その道すがら髑髏の面をかぶった蝙蝠のような魔物が黒いもやをなびかせ襲ってくるが、視界に入るや否や一刀のもと斬り伏せていく。
その残骸を振りかえることなく【保管庫】へと収納しながら、速度を落とすことなく走り続ける。
ミミズのような地面から生える魔物、木の枝を持った緑色の異様に細い体躯のゴブリンなど、様々な魔物がサクラを襲い続けるがサクラが傷を負うことはない。
ある者は斬り裂かれ、またある者は赤き炎にその身を焼かれ消えていく。
それはまるで自分の失態を魔物に叩きつけるように、返り血をその身に浴びることも気にもせず突き進む。
サクラが着ていた純白のワンピースはその血を浴びて赤く染まっていた……
そうしてしばらく進んだ後、再び道が二手に分かれた分岐路に差し掛かる。そこで立ち止まると、その先を調べるべく、魔力を飛ばしていく。
サクラが探しているのは赤い花のような罠ではなく、強大な魔力反応――すなわち、次層へと続くこのダンジョンに住まう第一層の階層の主だった。
「……見つけた」
目を見開く。その瞳は左の通路の奥、わずか100m先にある気配を見据え、待ちきれないとばかりに駆け出す。
通路の天井に生えていた赤い花がその口を大きく開きサクラへと迫るが、あと少しで触れるというところでその身を灰にする。
そしてついに第一層その最奥へと辿りつく。階層の主の間の前とはいえ、扉などは存在しない。両脇に大きな松明と交差した剣の意匠があるだけだ。
特に準備をするでもなくそのまま広場へと歩を進める。
主の間は今までの洞窟然とした地面ではなく石畳が敷き詰められており、天井もドーム状に広く高い。周囲には洞窟と同じく蝋燭の明かりが灯っていく。
その天井付近に緑色に発行する球体が浮かんでいた。天井には明かりがなく、その球体の光のおかげで暗く見えないということはなかったが、逆に不気味さを醸し出していた。
「あれが階層の主?」
そう呟いた瞬間、入り口が大量の木の根で塞がっていく。
天井からも同様に大量の木の根が生えてきてその一部は中央にある光の球体を渦巻くように覆っていく。
見えなくなるということはなく、4割程度は目視できる程度に軽く光はまだ周囲を照らしていた。
その動きに身構えた瞬間、いままでユラユラとしていた残りの根っこが突如サクラへと遅いかかる。
「このっ!」
それを【星桜刀】で切り裂いていくが、特にダメージを与えているような手ごたえはない。切れ端はその場でポトリと落ちた後動くことはなかったが、油断はできないので注意からは外さない。
しかし、際限なく襲いかかる根っこにキリがないと何か手立てを考えていると突如足元から生えた根っこに足を拘束される。
「えっ!」
普段ならこんな単純な攻撃にかかることはない。
先ほどまでの怒りとネフィリアを早く家族の元へ帰したいという焦りが行動を妨げていた。
思考、判断力が低下した状態で弱点が明確ではない敵との戦闘は今のサクラには少々荷が重かった。
捉えたところを階層の主が四方から先の尖った根っこで攻撃してくる。並みの冒険者ならここで重傷を負っているところだが、師に鍛えられたサクラの身体は反射的に行動を起こす。
足元の拘束を断ち切ると後方よりに跳躍、根っこは逃がした獲物を追うように突如折れ曲がりサクラを追ってくる。
その根っこが球体と延長上に重なる位置でサクラは【星桜刀】を振るい真空の刃を飛ばす。
その刃は根っこを断ち切り、そのまま中央に浮かぶ球体をも斬り裂く。その瞬間、天井から生える根っこ全体がブワっと波打つ。
「あの球体が弱点……?」
そう認識し真空の刃を光の球体を中心に周回するように根っこをかわしながら飛ばし続ける。
すると、突如光の色が緑から茶色に変わったかと思うと先ほどまで木の根っこだったものが砂や岩の集合体へと変貌し光の球体を真空の刃から守った。
「……! 属性が変わった……!?」
敵の使う攻撃手段に応じて自らの属性を変質させ対処する。それがこの第一層を守る階層の主:マルチルートの戦い方だった。鑑定系統の能力を持たないサクラだが、一目でその特性を理解する。
魔術でもない風の刃では岩を斬り裂くことができなかったため、サクラは歯噛みする。
しかし、次々と襲いかかる砂と岩の波は【星桜刀】で対処することができた。
どうやら切り離されたものは再度操る事ができないようで休むことなく斬り裂き、その量を減らしていく。
中には斬り裂かれたもの同士が根元と繋がってる側で互いに混じりあい、復活するものもあったがそれでもサクラに傷をつけるには至らなかった。
しかし、それはサクラも同じで襲いかかる砂と石の波の対応に追われ、肝心の光の球体に攻撃することができないでいた。
「もう、邪魔!」
これではジリ貧だと、コマのように旋回し周囲一帯を斬り裂き空間を確保する。
それに怯んだのか、攻撃の波が一瞬とまる。
その生じた隙を逃すはずはなく、光の球体へ向けて魔術を行使する。
「我求めるは閉じ込める高温の牢獄、焼き尽くせ【炎塔華】!」
ゴォオっと炎の柱が球体の真下より立ち上り、巻きつく土砂ごと光の球体を飲み込む。行動阻害と燃焼攻撃の役割をもつD級魔術だ。
それを受けたマルチルートは先ほどの真空の刃を受けた時以上の衝撃に包まれ、蔦状になっていた土砂がドパンと炸裂する。
「きゃあ!」
思っていた以上の衝撃で飛んでくる砂や石を手で目元を隠すように防ぐが、辺りの温度が少し下がった気がしてすぐさま手を下げ前を見る。
そこには水しぶきが飛び散っており、球体の色は茶色から水色へと変貌していた。
「今度は水!?」
先ほどの衝撃で【炎塔華】は霧散し、球体の周りには透き通った水がまるで龍のように渦巻きその身を守っていた。
試しにと【火球弾】や【火炎槍】を放ってみるが、その全ては光の球体に届く前に水の渦に阻まれ球体までは届かない。
「もう、急いでるときに限ってこんなのばっかり!」
水の属性になってなおサクラに襲いかかる根っこ……というより触手は斬り裂いても水しぶきが多少はじける程度で大してその体積を減らすことはできなかった。
刃が通った後には水はすでに繋がっており、先端が落ちてその本数を減らすこともない。
その勢いは増していき徐々にサクラが劣勢になる。
「このままじゃ……そうだ!」
サクラは妙案を思い付いたとばかりに手を止めず水の触手を捌きながら魔術を唱える。
「我欲するは気高き灼炎、集え【紅招来】」
【星桜刀】が赤い光に包まれる。その状態で次々と襲い来る水の触手を斬り伏せていく。
先ほどまでとは異なり、斬られた水の触手は留まることなく霧散していく。自身や装備に炎属性を付与するE級魔術だ。
斬られた箇所は炎自体は水には通用しないが、その高温の熱を受けて水蒸気となり散っていく。
なんとかなりそうだと確証が得られると、そのまま光の球体に向かって駆けていく。
徐々に面倒になっていく敵の属性変化にこれ以上付き合っていられないとめいっぱいの魔力を【星桜刀】へと注ぎ込む。
すると、身の危険を感じたのかマルチルートが光の球体の下に周囲の水の触手を集め直径1m程の水球を作り出すとそれを下方へと放つ。
「なっ!」
そこに込められた膨大な魔力を感じ、サクラは慌てて後方へ高く跳躍する。
水球が地面に衝突した瞬間ビキビキビキと地面を這うように周囲一体に冷気が広がり、その地面から大小さまざまな氷の結晶が突き出てきていた。
その先端は尖っており、あのまま特攻していたら串刺しになっていただろうことは間違いなかった。
しかし、今の状況も安心できるものではなくその上へと落下している為、着地地点を見定め【星桜刀】を振るう。
【紅招来】を伴い放たれた真空の一撃は高熱をもって氷の結晶を溶かし砕く。
着地時に足元がまだ凍っていたため危うくこけかけるが、なんとか体勢を支え立ち上がる。
「危なかった。やっぱり階層の主は一筋縄じゃいかないなー」
戦闘を繰り返していた為か、徐々に怒りや焦りも落ち着きを取り戻していた。
自慢の一撃を凌がれたからか、マルチルートの攻撃も止んでおりこちらを見定めるようにユラユラと水の触手が揺らめいている。
「ネフィの光属性魔術なら貫通力も速度もあるから邪魔されずに攻撃できそうだけど……」
そう言いつつも今あの状態のネフィリアを呼び戻し、戦闘に参加させる気はさらさらなかった。
サクラでは対処できずどうしても必要になったのならそれも選択肢の内に入った事だろうが、サクラにとって勝てない相手がネフィリアには勝てるという状況が起きることはそうそうなかった。というより皆無に近い。それほど現状では実力に差がある。
今回も倒すだけなら取りうる選択肢はいくつもあったが、様々な観点から実施していなかっただけにすぎない。
それはダンジョンのたかが第一層の階層の主ごときに本気をちょっとでも出すのは……というある意味傲慢とも取れるものや、そもそもこのダンジョン自体がその力に耐えられるのかという疑問もあった。中には師に使用を禁じられているものまである。
サクラが持つ上級魔術のものはどれも多対一に特化したものが多い。これは彼女が持つ固有スキル【一騎当千】による影響が強く、その効果は“敵対陣営の数が味方陣営よりも多ければ多いほど自身を強化する”というものだった。
ダンジョン内でスライムの大群に囲まれたときもサクラが平然としていたのはこのスキルがあったことも一因している。スキルに関わるのは数のみで個の強さは関係がない。
その効果を知った彼女の師が大量殲滅に近い魔術をどこまで威力を上げられるかと冗談半分で教え込んでいった結果が今の彼女だった。
そのため、悪の組織や魔物の大群といった敵対陣営が多い広域殲滅戦ならまだしも、たかがダンジョンの魔物相手では過剰防衛に過ぎたのだ。
通常では町や国そのものを平然と破壊できるその威力は扱いが難しく、通常状態のサクラでは威力を制御し放つことはまだできなかった。
しかし、それは通常状態の場合に限る。ネフィリアが今この場にいないこともありサクラは覚悟を決める。
「これ以上時間はかけられないから……【絶火】」
身体全体を燃えるような赤いオーラが包む。火の粉を散らし、相手を見据える。
これは魔術ではなく彼女のスキルに該当する。己が能力を向上させ、火属性の魔術に+の補正が働く。元は悪魔の力の一部だったものだ。
また、彼女の上級魔術全てが広域殲滅魔術というわけではない。中には大型魔獣と戦う時に使用するような単体を対象とできるものも存在する。
「我下すは裁定の一撃」
サクラの足元にひと際大きな魔法陣が展開される。異変に気付いたマルチルートが無数の触手を伸ばしてくるが、【星桜刀】を横に一振りすると10本を超える触手の全てが霧散する。
「自壊の王剣よ、裁定の時は来たれり」
詠唱は続く。足元の魔法陣はより複雑に、緻密に組まれ変化していく。
「彼方より此方へ」
魔法陣の輝きが増していく。対応する触手の量も増していくが、その全てはサクラに届く前に霧散する。
「全てを等しく見据え、見定めよ」
【絶火】状態では一振りであっさり消滅する触手をみて(もしかして、この状態ならただ斬りこめばいける?)とも思えたが、ここまでせっかく詠唱したのを無駄にするのももったいないと生じた疑問を思考の隅に追い込む。
マルチルートは魔術に対抗するために、再度触手を集め水球を生成していく。それはエネルギーを集める砲台のごとく渦巻き、拡大していく。
「汝に刃向かう悉くを滅ぼさん」
そうして制御しやすくするために完全詠唱によって紡がれたS級魔術はしかし、その力を最小限に抑え込まれ本来の力を封じられる。
対する水球はなおも拡大を続け既に直径2mを超えるサイズとなる。
「断罪せよ【緋天剣】」
サクラが詠唱を終えると全長3m程の豪勢に形作られた緋色の大剣が姿を表す。柄は大きくとても人が握れるサイズではない。
サクラの右上に切先をマルチルートに向けた状態で浮いている。
彼女を襲う水の触手はその【緋天剣】の熱に当てられただけで次々と蒸発していく。
それに危険を感じとったのか、マルチルートが水球を下方ではなくサクラに向かって解き放つ。それをみてサクラも無造作に大剣を光の球体に向けて投合する。
「えいっ!」
なんとも間の抜けた声で放たれた【緋天剣】は水球に衝突すると先ほどの威力を見せていたのが嘘のようにジュッという音だけを残して水球を消滅させる。
そのまま光の球体に突き刺さると、耳を劈くような爆音とともに炸裂する。
「んっ!」
周囲に漂う水の触手も光を守っていた水の龍もその全てが一瞬のうちに消え去り、爆発が階層の主の間を埋め尽くす。
威力を制限してなおの威力に目を閉じるが、"緋焔の巫女"たる彼女に火属性攻撃は通用しないためダメージはない。
かなりの風圧が吹き荒れ、主の間壁面に備え付けられた蝋燭は大きく揺れはしたが明かりを消すことなく周囲を照らし続けていた。
しばらく様子をうかがっていると、徐々に土煙が晴れていくとそこに光の球体が現れる。
「嘘!?」
あれに耐えられたのかと驚きを露わにするが、その瞬間ピシッとヒビが入ったかと思うと球体全体に波及していき……パリンッと砕け散った。
「えっ?」
漏れ出た光は渦を巻きながら下方へとゆったり移動し、地面に当たると魔法陣を形成していく。
「下層への転移陣……?」
サクラが以前攻略したことのあるダンジョンとは違った下層への入り口出現の仕方を不思議に思うがそのまま転移陣へと歩を進める。
すると、一部の光がサクラの前に集まり一つのアイテムを形作っていく。
「第一層階層の主の討伐報酬……」
光の下に手を差し出すとその光は宝石に彩られた指輪となってサクラの手に治まる。能力を確認してみると、各種属性耐性を上昇させる加護が付与されていた。
なるほどさっきの階層の主からドロップしそうだと思いながら保管庫へと指輪を収納する。
「後でネフィにあげようかなぁっと」
思わぬプレゼントの入手と無事に第一層を突破できたことに気分を良くし、意気揚々と転移陣へと足を踏み入れる。
次にサクラが目にしたのは辺り一面を覆い尽くす水面だった。
「え、嘘……」
しかも、転移位置はその上空、わずか5m足らずの場所だった。足場もなく、そのまま水面へと落下していく。
「ちょ、ちょっと待って! 私、泳げな……きゃあ!」
サクラが悲鳴を上げながらジタバタともがくも空しく、ドボンと音を立てて水中へとその身を沈めていくのだった……
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