絶対万田主義
尾張は姿を見ずともそれが誰なのかすぐにわかってしまったが──
「相変わらずのヤクザっぷりですね万田先生」
「お前こそ、相変わらずのクソっぷりだなオワリ。おまけに膝枕とは、随分とハッピーイベントじゃないか?」
女にしては足癖の悪い歩き方で膝枕されている俺の方へドスドス歩いてくる。
それでも尾張は膝枕から抜けるつもりはないし、左右田もそのつもりはないようだ。
歩み寄った万田先生は竹刀の先端を尾張の顔に押し付けてきた。
「この道場の荒れよう、何かあったに違いない。オワリ、何があったのか100文字に要約して3秒で答えろ」
「はぁ!? ふざけ──」
「さん、いち、終了」
「2秒目はどこへ行ったんですか鬼畜先生!」
「問答無用!!」
万田先生は竹刀を大きく振りかぶると、天魔鬼神の如く振り下ろす。つまりただの鬼。
だがどういうことなのか鬼の竹刀の軌道は尾張から全然外れて床を強く叩きつけた。
このやり取りに対して左右田は全く動揺せず、顔色1つかえてない。
「冗談だオワリ、何があったのか全部わかっている。──左右田、悪かったなこんな奴の為に」
嫌な展開しか見えないのは気のせいか?
「いいえ、全然大丈夫ですよ! 私は全然気にしてないので!」
もしかして最初からこのシチュエーションは仕組まれていたことなのか。
この膝枕も万田先生が用意した偽の幸だった。
なるほど、やはり幻の膝枕ではなかったか。そうだよな、俺の人生にそんな幸運など、ある訳がない。
自分の顔が一気に死んだような気がする、万田先生と左右田が何を喋っているのかもはや聞きたくもない。
心の中で愚痴をこぼしているせいで二人の話が聞こえていない状態に陥る。
「──オワリ! 聞いているのか!!」
怒号で聴覚と視覚を取り戻した尾張。
万田先生の顔は相変わらずの鬼だが、それにしても未だ偽の膝枕されているのにもいい加減、虫唾が走る。
でも、気持ちいいから離れられない、それが男という生き物だ。
「なんですか先生」
「お前は今日から──風紀委員の一員になってもらう」
「……ふーきいん?」
「あぁそうだ風紀委員だ」
さっきの話を聞いていれば、どんな流れで俺がふーきいんとやらになるハメになったのかわかったかもしれないという後悔が刺す。
「役柄はよく分からないですが、何で俺なんですか?」
「お前は友達が少ないからな」
迷いなくそう言い放つ万田先生の瞳はまっすぐに尾張を見ている。
「率直に言いますね……」
「言い方を変えよう。お前は群れを好まない、そうじゃないのか?」
ずばりわかっているような顔で万田先生が言い放つ。認めたくはないがその通りである。
尾張近は群れを好まない、というより避けていると言ったほうが良いのかもしれないが。
「その風紀委員は俺だけでやるものじゃないでしょう先生。なら先生の答えに矛盾が生じ──」
「その事なら心配ない。アイツらの群れに加わろうとは思えないだろうからな」
万田先生の言葉を理解出来ず、思わず眉をひそめてしまう。
どうあれ、尾張が面倒くさいことを自らやるわけがない。
その事は万田先生も充分承知している筈だ。
尾張の無返答に対してもそうだよなという顔をする。
「ま、そう簡単にYesとは言わないか」
「当たり前じゃないですか、俺がそんな面倒な──」
「明日の始業式後、南校舎の3階、会議室に来い」
竹刀を面前に突き出してそう言った。相変わらず迷いがなく、必ず俺が来ると思っているかのようだ。
尾張はそれ以上、万田先生に言葉を返すことはしない、それを見た万田先生は竹刀で肩を叩きながら道場を後にしていく。
残る尾張と左右田。カラスの鳴き声と射し込む夕陽が2人を照らしている。
すっかり忘れていた膝枕から転がるように離れる尾張。
ふたりともこの状況に照れることもなければ、頬を染めることもない。
「悪かったな、膝枕」
尾張がなんの前触れもなくそう言うと、左右田は背を向けて床に転がっている尾張の面前へ四つん這いで現れ、俺を覆い被せるように左右田の顔と髪が少し俺の心を擽る。
「こっちこそごめんね」
尾張は謝られている意味がわからず
「なにが?」と聞き返した。
「さっき貴方、私の膝枕が先生にやらされていたと思ってたでしょ?」
「べ、別にそんなことねぇよ!」
図星を突き刺された尾張は体をビクッとさせ照れ隠しのように顔を背けて強めに否定した。
左右田の返事がこない。
代わりに聞こえたのは人が立ち上がるような音。
それに転がって振り向いた尾張の視線は、左右田の背中──もうちょっと下に潜り込めば目の保養になるものが見えたかもしれないが、今はそういう雰囲気ではないと理性を働かし、再び視線を背ける。
「あれ、先生に言われたんじゃなくて──自分がしてあげたかったから──だよ」
その言葉を聞いていた尾張は思わず頬を赤らめる。
背けた顔を左右田に向けることはせず、左右田が去っていく足音だけを聞いていた。
扉が閉まる音が聞こえ、一人残った尾張は寝転び状態から起き上がり、頭をかく。さっきの夕暮れが既に夜を迎えようと暗くなりはじめていた。
「ちっ、帰るとするか」