幻の幸
「左右田莢華か、悪いがこれはいつものしきたりなんだよ。邪魔せんでくれるか?」
新妻が左右田莢華の顔に唾を飛ばした。
それに動じない左右田莢華。
変わらぬ強い目つきで新妻を見ている。
「おいおい、女に唾飛ばすとかお前の趣味はどうなってんだよ」
「テメェは制裁の最中だろうが。口出ししないでだぁっとれこのクソが!!」
新妻が右足で横入りした尾張の顔面を蹴り飛ばす。
「まだ私の質問に答えてもらってない。これはいったいどういうことかちゃんと説明して」
この時、蹴られたから心配してくれる台詞が出てくると妄想を膨らましていた尾張の脳はマジで終わってる。
むしろの存在無視されているような。
「別に俺達はなにも悪くねぇ。コイツがいつまでたっても金を支払わねぇから対価として痛めつけてるってわけだ」
(いや、俺はカツアゲされていることを必死に拒んでいるだけであって決して借金などしていない。取り立てみたいな言い方されているが、俺はただの被害者だ。)
「じゃあ、この人が最低ってことね」
そう言って尾張に強い目つきのまま、視線を変えた。
「いやいや! 俺はただカツアゲされているのを拒んでいるだけだって! なんで俺が悪いと思ったのか10文字で言ってほしいものだねぇ!?」
「顔が嘘くさいのよ」
(本当に10文字で言っちゃったよこの子……)
しかも顔から察しても本気で言っているようにしかみえないマジの顔。
なぜ俺がここまで責められるのかまったく意味がわからない。故にクソゲーだこれは。
「よくわかってんじゃねぇか。でもこれは俺達の仕事だ。女のお前はそこで見てろ」
新妻が莢華に掴まれている竹刀を荒く振りほどく──
その瞬間に莢華が明らかな闘志の気を顕にして新妻の右手を打ち払い、竹刀を奪い取る。
手にとった竹刀を風が巻き起こる左回転で新妻の顔面に叩き込んだ。
尾張から見てみれば幕末の剣豪のような一撃だった。これがとても女技には思えない。
新妻は一撃で失神して、尾張の方へ吹っ飛んできた。できれば俺の方に飛ばしてくれなければ良かったとこの時図々しく尾張は思う。
「このアマ──ぐはぁっ!!」
「テメ──ふごっ!!」
次々にチンピラに喋る隙も与えず拳と剣の無双乱舞をお見舞いする。最後に残ったチンピラがあまりの強さと気迫に逃げ出すもわずか一歩でデスゾーンに追い詰められて一撃を喰らった。
5人のチンピラが全員討ち取られたこの殺風景、何もできない尾張は自分自身を本当に情けなく思っていた。女の子にここまで恥を見せられては流石に落ち込む。
でも今は、あのまま死んでしまう運命から逃れられたって事に開放されて、気が一気に緩み、尾張は失神した。実に情けない。
あれからどのくらいの時間が経過したのだろうか。
尾張は意識を取り戻すと頭の下になにかのせて寝ていたようだ。
「ん……? 何だこの人肌の暖かさ──うおっ!? これは幻の──!!」
「なにが幻なのよ、ただの膝枕じゃない」
尾張の頭は莢華の柔らかく肉厚な膝の上。
夕日が差し込む道場の中で二人きり、まさにクソゲーとして生きてきた尾張の人生では幻のイベントだ。
「いやいや、俺にとっては──って、新妻はどうした」
「新妻君達はあの後、指導部に運ばれてそのままこっ酷く指導受けてるみたい。気絶して目が覚めたら即指導ってわかったらびっくりしちゃうだろうね」
俺が見ていた莢華の顔はもっと鬼神のように恐ろしく、そして覇気が溢れていた。しかし今はただのリア充にしか見えない。
この変わり様は何なのだろうか。
そう思うと、周りに花が咲いているような空間がすべて疑わしく見えてくる、この太ももさえも。
「ひとつ聞く。あの時あんたは俺を責めていた。でも急に俺じゃなくて奴らを打ちのめした。その訳を聞きたい」
莢華は笑顔を少し曇らせて動きを止めた。
「あたし女だからって言葉が嫌いなの。男女差別ってやつね」
それなら納得がいく。爽華は新妻の男女差別ととれる言葉を聞きとった瞬間に態度を豹変させたとなれば筋が通る。
「でも俺も女に手を出すのは良くないって言った。あれも差別と取ろうと思えば取れるんじゃないか」
「そうね」
(迷いもなく即答されてしまった。俺の優しさすら差別なのか……)
「だからあたしは貴方を少し憎んだ。でもそれは優しさだって気づいた」
ちょっと予想外の言葉に俺は顔が変に赤くなってふてくされる。
「べ、別にそんなつもりで言ったわけじゃない」
「ほんとー?」
彼女の顔は鬼神から完全に天女へ変わっていた。
そんな柔らかな笑顔で俺を見ないでほしいものだ。
余計に顔が変になる。
「新妻君の女は差別。貴方の言葉は優しさなんでしょ?」
「さぁな、それは個人の受け取り方次第だろ。でも俺は差別したつもりはないからな」
すこしふて腐れながらツンデレ口調で俺がそう言うと、彼女は口元に手を当ててクスクス笑った。
これがリア充の笑みか、そう思うとなんだか嫉妬ではないが、負の感情がわずかばかり湧いてきた。
そこへ響く、扉をけたたましく蹴る音。
それは新妻が蹴り飛ばした音とは比べのものにならないくらいの轟音。新妻がヤンキーというのなら、こっちはヤクザと言ったところだ。
左右田は鳴り響いた轟音にサッと目を向けると、黒のスーツを着こなした短髪な女が竹刀を持って立っていた。