9 続・空想少女
1
「ねえ、壮士くん? もしかして私、こわぁい?」
住宅街の一角であっという間に二人の男女を惨殺した少女、烏丸千尋(からすま・ちひろ)。その姿に既に以前の面影はない。
彼女は全身を黒く染め、長い髪を全て逆立て、赤い瞳でこちらを見つめ、倍近く裂けた口で訊いてきた。側に転がる二つの死体が、その様を余計に悍ましく映す。
「怖くは……ないッ! だがお前――一体何が」
「はぁい、それ以上はやっぱり喋っちゃだぁめ」
武仲壮士(たけなか・そうし)は、一瞬で自分の目の前に身体を寄せてきた千尋を前に思わず後ずさった。
金髪の女の能力によって壮士の腹部を貫通していた傷も相当な痛みのはずだが、そんなものは目の前の生物の存在感に気圧されていた。確実に、萎縮している自分が居る。
「でさぁ……君も私の敵なのかなぁ?」
まだ千尋は、笑顔を崩さない。だがその吊り上がった口角が、見開いた赤い目が、壮士を硬直させるに十分だった。
生物の生存本能として、人間の回避衝動として、全身の危機意識がこれでもかと警鐘を鳴らしている。「これ」を相手に答えを間違えれば即座に殺される、と。
だが壮士の答えは、初めから決まっていた。
「敵などではないッ! お前は俺の従者だから……だッ!」
これは、精一杯の強がりなのだろうか。壮士は、自分でも自分の感情がわからない。それ程までに強大な目の前の何かが、脳を支配して離さない。
「ふふ……従者、従者かぁ。おもしろいねぇ……あっ?」
突然糸が切れたように、千尋の身体がコンクリートの地面へと傾いていく。
「おいッ! どうしたッ!?」
最後の力を振り絞って、地面に突っ伏す前に千尋を抱きとめた。ああ……何だ、軽いじゃないか。至極普通の少女の身体。触れて初めて、壮士の緊張が解けた。
意識を失ったと思われた千尋の目は、すぐに開いた。
2
「あれ……壮士……くん?」
「ああ――」
先程までの悍ましい雰囲気も、それに伴っていた身体の変異も、いつの間にか水で洗い流したように無くなっていた。こちらを見ている目も以前の気弱なものに戻っている。壮士は小さく安堵したものの、自らの腹部の傷の痛みも同時に戻ってきていることに気付く。
「ひっ」
千尋は、傍らに転がる二つの死体を見て小さく悲鳴を上げた。いや、正確には真っ二つになった男の身体と、最早人間とは判別の付かない女の肉片。
14歳の少女が見るには少々刺激が強すぎるものだ。
「ああ、これは――」
壮士は言葉に詰まる。なんと説明すれば納得して貰えるだろうか。見たところ、千尋から先程の殺戮の記憶は失われている。原理はさっぱり分からないが、そういう能力と言うしかない。
「俺がやったッ!」
「えっ……?」
「正当防衛ってやつだッ! こいつらはお前まで襲おうとしたからな……、従者を守るのは当然の義務ってもんだろッ!?」
無理に笑ってみる。痛む腹部を隠して、少しでも怯えさせないようにと。自分でも相当ぎこちない笑顔だと思う、鏡があれば見てみたい。
だがその努力も虚しく、千尋は壮士の腕を振りほどいて怯えた目を壮士に向けてきた。やはり駄目だったか。だがそれでも、いたいけな少女に殺人の罪を自覚させるよりは何倍もマシだ。
「ごめん……なさい……守ってくれたのに……ごめんなさい……」
烏丸千尋は、自分の荷物を持って駈け出した。
「待ッ――」
慌てて後を追おうとしたが、壮士の身体は限界を超えていた。
腹部に風穴が開いているだなんて、明らかに生命存続に関わるレベルの重症だ。
「くッ……そ……」
かくしてそこに、三人目の人間が転がることになる。
3
「見てたよ」
誰かの足音が聞こえる。
「純粋に感動した、だから」
聞き覚えの無い声。
「だから、殺してあげる」
腹部の傷に、体温を感じる。いや、体温よりももっと温かい。これは――
「なんてね、てへぺろ」
腹部の傷を起点にして、全身が心地良い。壮士は薄れゆく意識の中で、ぼんやりとその声を聞いていた。
「アンタすごいカッコイイよ、嫁に貰ってよ……なんてね」
No.16 武仲壮士(たけなか・そうし) 16歳
【能力名】剣聖の誓い
【能力】 何時如何なる時であろうとも、愛刀を瞬時に呼び出せる能力。更に「???」
【タイプ】アクティブ
【系列】 物質操作系
No.41 六弦優癒(ろくげん・ゆうゆ) 22歳
【能力名】献身中毒
【能力】 患部に手をかざすことで、能力による負傷を治癒する能力。ただし「自分の傷は治せない」
【タイプ】アクティブ
【系列】 支援回復系
4
「はあっ……はあっ……」
烏丸千尋は住宅街を駆け抜けた。だがすぐに限界が来て、膝に手をついて息を整える。普段から引きこもっていた彼女にとって、ここ数年で最も激しい運動といっても過言ではない。身体の節々の痛みと、全身に付着した誰かの血。
……あの二つの遺体は、本当に武仲壮士の仕業だったのだろうか。
不自然な記憶の欠如が、千尋の不安を捉えて離さない。
「やだ……もう……やだ……」
視界の端に写ったベンチで休息をとろうとふらふらと近づいていって、初めてそこに先客が居たことに気がついた。その先客であった青年は、驚愕に目を見開いてこちらを見ている。恐らくこの尋常じゃない量の返り血が、彼の目をそうさせるのだろう。
「あ……あああ……」
他人のその視線が怖い。千尋はその場に膝を付いて、諦めかけた。もう、逃げる体力は残っていなかった。そう言えば、諦めるのは二回目だね、と自嘲的に笑って目を閉じる。
「何をしてる、お前は」
「え?」
「ここは殺し合いの場所じゃないのか? なのにその無防備さはなんだ? その血はなんだ? 話せよ」
「え……えっと……」
「会話が苦手なら、紙に書いてもいい」
言うやいなやその青年はリュックサックからノートと鉛筆を取り出して、千尋に投げてよこした。奇しくもそれは、千尋が家でずっと使っていたものと同じメーカーのもの。兄が家にいないその間、千尋の相手はずっとこの二つだった。
「俺も色々あって疲れて、どうしようか迷っていた。お前の話次第で、今後どうするかを決めることにするよ」
その言葉は既に、千尋の耳には届いていない。
書くものと書けるものがあれば、彼女の脳内はもうそのことでいっぱいなのだから。
No.7 烏丸千尋(からすま・ちひろ)14歳
【能力名】十人十色のころしかた
【能力】自分に明確な殺意が向けられた時、潜在意識が具現化し、願った通りの現象が起きる。ただし「顕現可能な現象は殺害関連のみで、能力発動中の記憶は一切残らない」
【タイプ】パッシブ
【系列】 規格外
No.14 千堂新(せんどう・あらた) 19歳
【能力名】???
【能力】 ???
【タイプ】アクティブ
【系列】 能力操作系
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