5 決意表明
1
小屋が見える。
誰かいる?
接触する?
立ち去る?
最悪を考えて行動するならば、退避以外の選択肢はない。だが――
「勇気の出しどころ……」
男は一人、その小屋へと近づいていく。
2
「ねえ、缶ジュースあったよ!」
高坂星華(こうさか・せいか)がその場でぴょんぴょん跳ねて、こちらへ片手を掲げていた。
台所の散策を任せていたので、収穫物を見つけたのだろう。その手には小さな缶ジュースが握られている。
「……それは捨てとこう」
そんな彼女を見もせずに、至極冷静に不要発言を繰り出したのは逢坂秀都(あいさか・しゅうと)。
森の中で邂逅した一組の男女は、その近くで見つけた小屋の中を物色していた。「まず第一に物資の確保」と、今すぐに出来る事から実践していこうというのは秀都の提案で、星華にもそれを否定する理由はなかった。元々殺し合いに乗るつもりだった少女からすれば、マイナスにはならない行為に付き合う事に問題はない。
「えー! なんでよ、もったいない。消費期限だってまだだしさ!」
「消費期限って、君さ……」
秀都は引き出しを漁っていた手を止めて、星華の方へ向き直る。
「例えば俺の記憶にある今日の日付……これが正しい保証がない。あの体育館みたいな場所に何日寝かされてたのかも分からないし、もしかしたらあれからも更に時間が経ってる可能性だってあるし。それに」
「あー! 分かった分かった! もういいよ!」
缶をゴミ箱へ投げ捨てて、星華は両耳を塞ぐ。この男の理屈っぽい持論はもう聞き飽きた。あくまでも、それに対するリアクションの一種でしかなかった。
――まさかその一瞬の聴覚の遮断が、これからの事態を引き起こそうとは。
「まあ実際はそこまで……ん?」
小屋の扉が開いているのに気付いた時には、もう遅かった。
「高坂さんっ!」
秀都の声は虚しく響く。既に一人の男が、星華を羽交い締めにしていた。
3
「ちょっと……! 離し、てよっ……!」
「頼むから、大人しくしてくれっ!」
「アンタの声のがうるさいっての! クッソこの……!」
突如現れた襲撃者。男性にしては低めの背と、肥満気味な身体。手入れしていないであろうボサボサの髪を振り乱して目を血走らせたその男は、暴れる星華を必死に抑えつけようとしている。
「ふむ……」
そんな襲撃者を前にしても、拘束されたパートナーを目の当たりにしても、秀都はある程度冷静に状況を把握しようとしていた。襲撃の意図、能力の詳細。とりあえずその二つの事項を探る必要がある。
小屋の外で見つけ、部屋の中に持ち込んでいた手頃なサイズの木材と、先程発見したロープをそっと引き寄せると、秀都は大きく息を吸い込んだ。
「ああああああああああああああああああああああっ!」
「はっ!?」
「え、なに!?」
「高坂さんっ! 今!」
「え、あ、せいやっ!」
「ぐぼぁ!」
秀都の咆哮に驚き、力が緩んだ襲撃者の男の腕から右の手を抜くと、星華はそのままその男の鳩尾に肘打ちを入れた。そのまま前のめりになる男の腹にもう一度膝蹴りを入れ、倒れこんだその背中を何度も踏みつける。
「いや、その辺で……」
星華の予想外の強さに呆気にとられていた秀都は我に返ると、慌ててその少女を止めに入った。目の前で展開された戦闘とも言い難い一方的な攻撃行為は、日常生活では見慣れないもの。正直言って、若干の恐怖心を抱いてしまった。
「はっ? なんで? 先に仕掛けてきたのはこいつじゃん」
星華の主張は至極当然で、男の背中から足をどけようとはしない。
先程までの出来事も忘れて、男が少し哀れに見えた。
「まあ、そうだけどさ。色々聞きたい事もあるし……。ていうか君、おっかなすぎ」
「そうかな?」
首を傾げる星華から視線を外して、倒れこむ男を観察する。
「能力とやらのたぐいは発動してないのかな。と言うよりもこれは……」
「し、死んでる!?」
「いや死んではないけど、気絶してるね」
秀都は、隣の少女の評価を改めさせられた。襲撃者の男は男性にしては脆弱だったとは言え、星華はそれよりももっと小柄なのだ。自身よりも一回りは大きな人間を気絶させる戦闘能力と、その行使を躊躇わない思い切りの良さに感心と感嘆を禁じ得ない。
「これだけの強さを持っていながら、どうして君はあの時俺を殺しに来なかったんだ?」
「なーんかここに来てから身体の調子がいいんだよねー。つーか、あの時って?」
「いや、ちょっと俺と対立しかけた時あったじゃん」
「ああ、それは――」
もしもあの場で本気で襲われていたらと考えると、決して無事では済まなかったかもしれない。自分の見立ての甘さを若干ながら反省しつつ、星華の答えを待つ。
「アンタ、背高いじゃん」
「えっ、それだけ?」
「うん」
自分の成長の良さに、心の底から安堵した。
4
「で、こいつはなんなの」
「さあね。まあ、起きるのを待つしかないかな」
男の両手と両足をロープで縛りながら、それとなく男のポケットや靴の中を確認する。だが武器に成り得るものは隠し持っておらず、かと言って身体能力や戦闘技術がとりわけ高いという程でもなさそうだ。
一体なんの目的で、どういう目論見があって自分達を襲ってきたのか。起きてくれないことには、話も出来ない。
所々に目立つ無駄な男の脂肪を、隣で星華が隣でむにむにとつまんで遊んでいる。
そういうのは気にしないのか。
「頭から水かけちゃおっか」
「……それはやめとこう」
「なんで?」
「いや、今後の交渉に支障をきたす」
「はーあ。アンタの言ってることは、難しくてよくわかんない」
星華は曲げていた膝を伸ばして立ち上がると、キッチンの方へと戻っていった。男を壁際にもたれかけさせて、自分も物色に戻ろうとした時。
「ん……」
「ああ、起きたのか」
男の目が開いていた。
まずその目の動きを見る。それから身体全体を観察し、不審な動きを探そうとしたが馬鹿らしくなった。その男が、涙を流してしゃくり始めたのだ。
「うっわ、ダッサ」
すぐさま戻ってきた星華がバッサリと言い切る。
それに苦笑いを返しつつも、うちわで仰いでやる。尋常じゃない量の汗が、男の全身から吹き出していた。
「高坂さん、ウェットティッシュ貸して」
「やだ」
「ですよね」
元々期待して居なかった問いかけを一刀両断されて、軽い溜息と共に男へと向き直る。依然として泣きやまないその顔に、しゃがみこんで目線を合わせた。相手が萎縮しているのなら好都合だ。
「あのさ」
「ひっ」
「俺達がお前に聞きたい事は二つだ。何故俺たちを襲おうとしたのか? それと、能力。後者は意味がわからないなら流していい、さあ話して」
男はしばし俯いていたが、手足が動かせないことに気付くと、観念したように口を開いた。
5
「殺せって……言われた……から……」
「誰に?」
「分からない、名前も、知らない……。でも、体育館……? みたいなところで、その女に男の人が……こっ、殺されて……それで……うっ……」
「ああ、なるほど。大体分かったよ。で、能力は?」
「わからない……」
「そうか」
どうやらこの男も、自分達と同じ状況であるらしい。あの体育館で起こった出来事を共有している。だが「殺せと言われたから殺す」などと、そんな短絡的な思考回路の人間が存在するとは笑わせてくれる。
……いや、そう言えばここに来て出会った人間は、その類の人間しか存在していなかったな。再び台所の物色に戻った星華をチラリと見て、森の中で彼女と出会った時の事を思い出した。
「あんたらは……なんなんだっ……! ここはどこなんだ……なあ、助けてくれよ……!」
「そうだな……」
男は、あらん限りの声で叫んでいた。秀都はその大声に動じることもなく、口に手を当て一つ考える。この男に自分の目的を話していいものかと。「このゲームを潰す」という漠然とした目的。それを誰かれ構わず広めることは、決していい結果にならないと思う。
まず第一に、目的を決めただけで手段も戦力も整っていない状況だ。正直言って、何の見通しも立ってはいない。
「いや、だからこそ……か」
「何がだよ!」
「俺の目的は、この殺し合いを潰すことにある」
男の赤く腫れた目を見て言いのける。それを聞いた男の目が驚嘆と希望に満ちていくのが分かった。その様を見て、秀都は内心落胆した。
「ってことは……! あんたらも俺と同じなんだなっ! 見たんだな! 体育館で!」
「ああ、そうだよ」
「そうかそうか……! 良かった、良かったあ……」
何が良かったと言うのだろうか。只々同じ状況に置かれた人間が増えただけで、なにも解決していないというのに。
「で、あんたはどうやって潰すつもりなんだ!? 俺で良かったら協力させてくれないか!」
まるで人が変わったかのように、喜び勇んで声を大にするその男。
そんな水を得た魚のような顔に、努めて冷静にこう言ってやる。
6
「そんな方法は、ない」
「は?」
未だに男の目には希望が色濃く、今混ざったのは疑問の色。
「まだ、ない」
「あ? どういうことだよ」
そこに微かに疑念の色が滲んで来て、最終的には怒りの色を呈した。
「お前、俺を騙したっていうのかよ! ふざけんじゃねえよ、殺してやる」
目の前で大きい声を出されると耳がキンキンする。こいつには、状況理解の能力が備わっていないのか。手足の拘束、戦力の差。そこに相まって、頭の回転の遅さをこれでもかと見せつけてくる。
大声と、その物騒な内容を聞きつけた星華も再びリビングまで戻ってきていた。
「俺は、まだ無いといったんだ。ここに来てからまだそんなに時間は経っていない。だからこれは、俺の決意表明なんだ。ただの方針の宣言で、スタンスの明確化なんだよ」
「意味わかんねえんだよ! 透かしてんじゃねえぞこのクソ野郎が!」
何を言っても無駄だろうかと、諦めかけた。この程度の男に何を話したところで結果は同じ。このまま放置でもしておくかと、背を向けかけたその時。
「あたしは、わかるよ?」
きょとんとした顔で声を発したのは星華だった。
くりくりと丸い目が、純粋な眼差しで男を差す。
「つまりあれでしょ? 今はまだ何も出来ないけど、いずれはあたし達をこの場から助けてくれるんでしょ? あたしは、ただこの人を信用しただけだよ、方法があるとかないとか、関係ないし。何より楽しそうじゃん、そっちの方が」
「なっ……」
男は信じられないといった顔で、星華を凝視した。
そして思い出したように毒を吐く。
「チッ……これだから頭ン中お花畑のガキはっ!」
「いいよ、アンタみたいな下等生物になんて言われようが、あたしの心には響かない。縄解いてあげるから、さっさと逃げなよ。次はないからね」
星華は冷静な口調で言い終えると、男の縄を外した。
手足の自由を得た男がこちらへと襲い掛かってくる可能性も考えたが、男は二人とは目も合わさずに小屋から出ると、バタンと、思い切り大きな音を立ててドアを閉める。
「最後のは、彼なりの精一杯の抵抗ってやつかな」
「ださすぎ」
あれだけの事があって尚、傷心もせず、かと言って特に憤慨もせず星華は淡々と吐き捨てた。無駄に激昂しない目の前の少女に、さらなる感心を抱かずにはいられない。
7
「ところで、一つアンタに聞きたいんだけど」
「何」
星華は男の去っていった扉には目もくれず、縛っていたロープを拾い上げながら問うてきた。
「なんであの時、叫んだの?」
あの時とは、星華が最初に拘束された時の事を指しているのだろう。秀都の突然の咆哮があって、星華はあの男の腕から抜け出せたのだ。
「ああ、あれは――」
それを聞かれるとは思っていなかった。正直答えたくはないが……そんな目で見つめられると、答えるしか無いじゃないか。
「他に方法が思いつかなかったんだよ。俺の頭の回転もまだまだってことかな。まあでも、結果オーライだから許して」
「ふっ」
「笑うな」
ほらな。
「あはは! 期待してるからねっ! 秀都くん!」
「ああ、頑張ってみるよ」
手渡されたロープを受け取ると、そのまま手を差し出してみた。かつてのこの国の文化である握手を、もう一度。己の決意と、その目的意識の強化の為に。そしてその達成を強く願って、隣の少女を巻き込んだ願掛けを、と。
「それはさっきやったからいいや」
差し出した手は、虚しく宙に残された。
No.1 逢坂秀都(あいさか・しゅうと) 21歳
【能力名】???
【能力】 ???
【タイプ】アクティブ
【系列】 ???
No.10 高坂星華(こうさか・せいか) 17歳
【能力名】戦場のヴァルキュリア
【能力】 身体能力が著しく上昇する。ただし「???」
【タイプ】パッシブ。
【系列】 身体変化系
8
「殺す……殺してやる……」
怨嗟の声が響くのは、微かな日光が降り注ぐ森の中。
「人をコケにしやがって……あいつらっ……!」
思い出すだけでも忌々しい。痛む身体の節々をさすりながら荷物を隠しておいた場所へと舞い戻った。緑色のリュックサックをお腹に抱え、近くの木にもたれかかる。
村上兜太(むらかみ・こうた)は、湧き上がる憤怒と羞恥心を抑えられない。恐らく年下であろう少女に肉弾戦での敗北、そして冷めた目の青年に弄ばれた会話。一瞬とはいえ心を許しかけた自分にすらも腹が立つ。
「能力……って言ってたな、あいつら。俺はっ……俺のは……!」
頭を、脳を、そして全身に力を込める。だが、何も異様な現象は起きはしない。何が特殊能力だ。そもそもあの体育館での女の発言ですら疑わしく思えてきた。それに伴って、今この場で打ちひしがれる自分が哀れに思える。悲惨な人生の終着に、更に残酷なこの扱いはなんだろうか。
それでも、男の心の灯火は消えては居なかった。
「勇気の、出しどころ……!」
たった一つ胸に宿るその言葉を、たった一人の理解者から授かったこの言葉を。その想いの蝋燭だけが、彼の生きる希望。
No.33 村上兜太(むらかみ・こうた) 19歳
【能力名】背水の陣
【能力】 戦闘状態に陥った時、対戦相手の能力効果を倍加させる。
【タイプ】パッシブ。
【系列】 能力操作系
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