30 月と太陽
1
「君は……」
「ん? 知ってるのか? 俺のこと」
「あ、いや……。ううん! 初めましてだよっ!」
「ははっ、だよな。俺の名前は烏丸千星(からすま・ちほ)。女みたいな名前ってよく言われるけど、気にしないでくれな!」
彼は明らかに、この場所から立ち去ろうとしている。
いや、私をも立ち去らせようとしている。彼は私の隣に来ると「さあ、行こうか」とでも言いたげに笑顔を見せた。だが、その手には乗らない。
「あ、私はこの先に用があるから! じゃあねっ」
「おいおい、この先になんてただの部屋しかないぞ? 俺も今見てきたが、行く意味は無いと思うな」
「そうなの? んー、でも気になるなあ!」
「はは、いいじゃないか。そんなことより聞きたい事もあるんだけどな」
私は知っている。百瀬凛月華(ももせ・りつか)は知っている。この先に何があるのかを知っている。地獄絵図としか言い表しようが無い惨状が広がっていることを知っている。そしてそれらは全て私の仕業だというのに、彼は見られたくないようだ。
何故か。自分の仕業だと思われるのが嫌だから?
違うだろう。これはきっとただ単純な気遣い。
「そこまで言うなら、行かなくてもいっかあ! それで、聞きたいことってなあに?」
その善意に甘えてやる事にした。気遣いを成功させてあげた。ひどく上から目線だが、穏便に済ますにはこれしかない。
それに、彼は至極一般的な優しさを持つ。曇りのない眼を見てそう思った。いや、この状況でおせっかいさを発揮できる人間は、特殊な人と呼ばれるべきだろうか。
「ああ、それなんだけど――」
千星は懐から一枚の写真を取り出す。
そこには二人の人間が写っていた。
「こいつ、俺の妹なんだけど……どっかで見てない?」
烏丸千星と、学生服に身を包んだ弱気そうな少女。背景はボロいアパートで、快活な笑顔を浮かべる千星とは対照的に、少女は今にも泣きそうな顔で写っていた。
「うーん、知らないなあ! 見かけたら伝言、頼まれてあげよっか?」
「お、いいのか? やっさしーな! ……って俺まだ君の名前聞いてないや、なんて言うんだ?」
「それは……」
凛月華は迷う。その迷いは相手にも伝わったようで。
「おっと! まあいいや、じゃあもし見つけたら俺が探してたって言っといてくんね? んで良かったら面倒見てやってくれよな」
2
「って、ここまで頼むのは悪いかー。忘れてくれよな。伝言だけ頼むよ!」
と言って、千星はまた笑顔を見せた。思わず引きこまれそうになる裏表のない笑顔。この男がこれまで如何に他人を惹き寄せてきたかが見て取れる。
凛月華の迷いは継続していた。先程の少年と中年の男性には、恐らく名前も知られている。その危険人物たる烙印を押された自分の名をこの男に伝えて良いものか。既に情報が伝わっているとは考えにくいが、名前と見た目の両方を知る人物を増やすことは良いことではない。
「分かった任せて! ちなみに、この子の名前はなんて言うのかなあ?」
「おっと、言ってなかったか。烏丸千尋(からすま・ちひろ)っていうからさ、気軽に千尋って呼んであげてくれな」
「了解了解! 見つかるといいねっ!」
「ああ、ありがとうな!」
本当に彼は特殊な人だ。太陽のような立ち振舞に眩しさを感じる。
対して自分はどうだろう。まあ、こんな男を前にすれば大抵の人間が卑屈になるか。
会話を交わしながら歩く内、いつの間にか病院の出口にまでたどり着いていた。全く、これでは何のために来たのか分からない。千星は扉を開けて、凛月華が出るのを促していた。それに甘えて先に出る。
「さて、じゃあ俺はこいつ探さなきゃだから、これで!」
「そっかそっかあ! あ、待って」
「ん?」
「百瀬凛月華……だよっ!」
「ん……? ああ、名前か。りつか、凛月華な、人の事言えないけど、変わった名前だな! はは」
「うるさいなあ!」
「でも、いい名前だと思う。綺麗でさ」
「そ、そう? ありがと……」
「はは、じゃあ俺はこれで! また生きて会えるといいな!」
名前を言ってしまった。
千星は行ってしまった。
特に後悔はしていない。自分を含めた二人なら、能力が作動しない事は分かった。それが分かった事を加味してプラマイはゼロだ。だがそれなら別に、言わなくても良かったはずだ。あのまま普通に別れていれば、何の問題も無かったはずだ。
「あはは……、私はやっぱり平和主義者なんだよ……」
小さく声が出る。素の自分が漏れる。
駄目だ、心を強く持たなくては。仮面の自分を取り繕わなくては。
そのためにも――
千星の後ろ姿を見ながら、凛月華はそっと院内へと戻った。
3
「危ねえ! なんでだよ、クソ!」
烏丸千星は一刻も早くその場から立ち去りたかった。
手がかりを探しに入った病院の一室で、世にも悍ましい光景を見てしまったから……と言うのは理由の一端で、大きな理由は別にある。
殺すところだった。先程まで隣に居た、百瀬凛月華と名乗った赤髪の少女を。
首に手を回して窒息させることも、そのまま首の骨を折ってしまうことも。何度も頭にチラついた殺害方法とその衝動を振り払うのに必死だった。
何故だ。
あの時、廃墟で同じ衝動に襲われた時は、自分は能力を作動していた。だからその行使によるデメリットとしての殺傷衝動だと思っていた。だが違った、あれ以来自分は能力を使っていない。だとしたら。
「そんなふざけた話があるかよ!!」
つい道端の石ころを蹴飛ばしてしまう。
誰かと接触すると殺意がこの身に宿ってしまうと言うのなら、そんな不可解で理不尽な話はない。もしもそれが妹の場合にも適用されるというのなら、自分は一体どうすれば。
「ふぅ……落ち着こう。そうと決まった訳じゃない」
まだ確定するには早い。次に誰かと接触してから決めよう。
不幸中の幸い、耐えられるレベルの衝動ではある。廃墟で男と喋っている時よりも、先程赤髪の少女と喋っている時のほうが衝動が強かったのが気になるが。
もし時間と共に倍々されていく類のものなら、次はどうなるか分からない。だがまあ、後一度くらいなら耐えられる自信はある。
「さて、待ってろよ千尋! 兄ちゃんが助けてやるからな」
千星は南に向かって走りだした。
心に一抹の不安を抱えて。
No.8 烏丸千星(からすま・ちほ) 18歳
【能力名】インビジブルヒーロー
【能力】 任意のタイミングで、全身を他者から見えなくする能力。各種制限有り。
【タイプ】アクティブ
【系列】 身体変化系
No.35 百瀬凛月華(ももせ・りつか) 18歳
【能力名】災禍のパンデミック
【能力】 戦闘の行う意志のない複数名が一定の距離にいる時、微弱な殺害、もしくは被殺害の意志・思想を発生させる能力。能力者との距離や、時間経過と共に強くなる。
【タイプ】パッシブ
【系列】 精神操作系
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