決勝戦「直接対決」
今日から秋の高校野球四国大会の模様が、地元のケーブルテレビ局で全試合実況中継される。来春の選抜大会出場校を決める重要な大会で、四国四県から3校ずつ計12校が、私の住むM市の球場で試合を行う。例年、決勝戦まで残った2校プラス、ベスト4のうちのどちらか1校が選抜されるか否かという状況だ。
やはり目障りな奴が画面に映り込まない高校野球は、清々しく試合に集中できてよい。
「うそだろー!!」
第2試合が始まり、我が目を疑った。なんと最前列には、紫と白のラガーシャツを着た人物が座っているではないか…… いいや、そんなはずはない。
奴が現れるのは、甲子園の全国大会だけだ。週刊誌の取材記事によれば、奴は東京在住であり、わざわざ一地方大会の四国くんだりまで足を運ぶはずがない。
今朝は酒を飲んでいないのだが…… いつもの悪夢と同じ類のものに違いない。
(よーし、これは例のことを実践するチャンスかもしれない)
先日読んだ夢に関する心理本の中で「悪夢を振り払う方法」の章には、こう書いてあった…… 「あなたが嫌いだったり苦手とする人が何度も夢に現れる場合、逃げずに立ち向かい、夢の中で思いのたけをぶちまけましょう。そうすることで苦手意識を消し去ることができます」
これから奴に会いに行き、「おとなしく見る分には構わないが、毎試合ごとに着替えて目立とうとするんじゃない」と一言物申してやろう。どうせ夢の中では罪に問われることもないし、無茶苦茶をしてやろう。
台所の包丁をタオルでくるむと、原付バイクにまたがり球場へと向かった。
入場料を支払い、階段を昇って暗い通路を抜けると、鮮やかな芝生のグリーンが目に飛び込んできた。グランド上ではシートノックが行われようとしており、次の試合開始まではしばらく時間が掛かりそうだった。
バックネット裏の高い場所から、ピッチャーマウンド方向を見下ろすと、観客席の最前列に人だかりがしていた。その中心には奴が座っており、取り囲んだ連中から写真撮影を求められ、次々と同じフレームに収まっていた。さらには握手やサインの求めにも応じ、ちょっとした有名人気取りの状態だった。
「試合進行の妨げになりますので…… 」
本日最後の試合開始のアナウンスが場内に流れると、奴は集まった人々に断りを入れて頭を下げた。
目立ちたがり屋ではあるが、最低限のマナーは身に付けているらしい。ワシは奴から5列後ろの席に陣取り、しばらく様子を見守ることにした。
奴はどちらのチームの好プレーに対しても、大きな拍手を送っていた。テレビ中継のように細切れではなく、こうして長時間にわたり、奴を見続けるのは無論初めてであったが、後ろ姿からでも試合を楽しんでいる様子が、十分伝わってきた。
(そうだ、これは夢の中だった。何を冷静に観察しておるのだ)
当初の目的を思い出し実力行使に出ようとするのだが、我が意に反して腰が重く、膝の上に置かれたタオルにくるまれた包丁は握り締められたままだった。夢の中の奴は試合観戦に没頭しており、何人も近づけさせないオーラを放っている。
ワシは奴の背中に視線が釘付けとなり、試合展開を目で追うことができない。
これはいったい、どういうことだろう?…… おそらくテレビ中継を見ている時と違って、奴の後ろ姿越しに試合を見ることに対して、違和感があるためではなかろうか。
外野席のセンター方向に移動し、テレビ中継と同様に、奴の表情を窺いながら観戦したいという衝動に駆られる。しかし夢の中の我が身は、金縛りにあったようで自由が利かず、立ち上がれない。
試合は序盤から点差が開き、一方的な展開となった。しかも小降りだった雨が、激しくなってきた。しかし奴は傘も差さず、雨合羽も着ず、観戦を続けている。
バックネット裏の観客は帰宅の途につくか、最後方の屋根のある場所へと移動した。その結果、周囲で観戦を続けているのは奴と、夢の中だから雨など関係のないワシとの、二人きりとなった。
試合は7回コールドゲームとなり、終了のサイレンが流れ、両校が整列しての挨拶が終わった。
それを見届けると、ようやく奴は席を立った。奴はコンビニのレジ袋を広げると、周囲のゴミ拾いを始めた。びしょ濡れになりながらゴミ拾いを続ける男に、ワシは近づき、包丁をくるんでいたタオルを手渡した。
「どうもありがとう」
眼鏡を取ってゴシゴシと顔を拭いた後、真っ黒に甲子園焼けした男はニコッと白い歯を見せて礼を述べ、タオルを返そうとした。
「もらってくれ」
ワシはタオルの返却を拒み、男に背を向けて立ち去り、包丁をゴミ箱に投げ捨て球場を後にした。
おかしな話だが、夢の中での男の高校野球愛に感服させられてしまった。夢の中でも甲子園の時と同様に、点差が開こうが、激しい雨に打たれようが、途中で退席することなく最後まで観戦を続けていた。その上、他人のゴミまで片付けて帰るとは、見上げた男だ。
ワシなんてテレビと録画機器に頼り、点差が開いた試合は早送りをして見ている。しかも冷暖房の効いた部屋で、ビールを飲みながらの観戦だ。ワシの高校野球好きなんて、あの男の足元にも及ばず、批判できるような身分じゃない。
日本一の高校野球ウォッチャーのラガーシャツ男は、何も悪くない。ただ純粋に大好きな高校野球を、選手に最も近い座席で観戦しているにすぎない。
悪いのは、朝から晩まで男を映し続けているテレビ局ではなかろうか?
アパートのドアを激しく叩く音で、目が覚めた。
ドアを開けると、都合の良いことにNHKの集金人が立っていた。ワシは滞納していた4ヶ月分の受信料を支払い、「そこで待っていてくれ」と集金人に告げた。
「今月で契約を解除するから、持って帰ってくれ。来年から高校野球を見たければ、甲子園へ行って観戦するから…… 」
ほこりを被ったテレビを、集金人の胸元に突き付けて、ドアを閉めた。
「こんなモノ、渡されても困ります!!」
ドア越しに叫ぶ声が聞こえたが無視し、食事の準備にとりかかった。
インスタントラーメンを作ることにし、具材のキャベツを切ろうとしたのだが、台所のどこを探しても、あるはずの包丁は見当たらなかった。
(完)