80 華(奴隷)市場に行きたいです
闇には闇の理がある。
表の力は闇には通じず、闇の力は表には出ない。
もちろん、例外はいくらでもあるが、そのルールが守られていたからこそ闇は王都という光溢れる場所で生存を許された。
だからこそ、私はあえてここに足を運ぶ。
私が合法的に行方不明になれる場所はここしかないのだから。
そして、過去につながる王都の闇を知る可能性が高いのはこの場所なのだから。
監視の視線にかこまれつつ、私は以前引き返した道をさらに進む。
集合住宅で囲まれたその入口で、私は客としてその中に入る。
華市場。
王都における高級娼婦専門の売買市場と娼館の集合地区で、盗賊ギルドだけでなく貴族すらその闇に絡めとるやばい場所へ。
「お嬢様」
アルフレッドが声をかけて警戒を促す。
ここでは武器も防具も取り上げないが、その代わり何があっても自分の身は自分で守らないといけない。
だからこそ、持てる全戦力を連れてきたのである。
「大丈夫よ。
アルフレッドは、護衛と共にここで待機してて。
セリアはアマラと水樹姉様について攫われないように守ること。
シド。
ここの偉い人とお話よろしく」
あえて虎穴に入り込んだ理由は3つある。
ひとつは、情報の再確認。
あのお茶会で示唆された大賢者モーフィアスが現国王陛下の功臣だったという衝撃の事実は、すべての関係の再確認に走らないといけないほど私達を狼狽させた。
何しろ、私達の召喚ゲートを管理しているのが彼なのだ。
その気になれば、私達をこっちにこさせない事だってできる。
「そのあたりは大丈夫だと思うわよ。
モーフィアスが国王と繋がっていたとしても、絵梨がミティアの為の駒である事は変わらないわ。
その意味では、モーフィアスとヘインワーズ侯の意見は一致しているはずよ」
という意見に落ち着いて落ち着くことになったのだが。
しかし、大賢者モーフィアスが国王と繋がっていたのが事実ならば、本当にヘインワーズ家は負けるべくして負けたという訳だ。
ヘインワーズ侯にも確認に走ったが、過去はどうであれ今が孤高の賢者という事もあって向こうの実験費用を出す事で協力関係を結んだとの事。
私を権力闘争に『勝つ為』に呼んだヘインワーズ侯に、『負けさせる為』に呼んだ大賢者モーフィアス。
『』の所が語られなければ、たしかに麗しい利害関係だ。
確実に信用できる譜代の家臣が居ない成り上がりのヘインワーズ家の弊害がこんな所に出ている。
この王都の暗部はそれぞ語られない、語ることが許されない情報が淀んでいる。
大賢者モーフィアスの正体もここならば探れる可能性が高いのだ。
理由その二は、お師匠様の情報を取りに。
今である必要はないが、大賢者モーフィアスとの絡みが出てきたのだ。
王位継承のゴタゴタで大賢者の地位を賜ったモーフィアスと、南部諸侯の名家出身で宮廷魔術師を嘱望された才媛だったが王家のゴタゴタに巻き込まれて花姫に落ちざるを得なかったお師匠様ゼラニウム・シボラ。
元占い師の勘だが、多分師匠と大賢者は双方の魔術師としてやりあった可能性が高い。
そして敗れたお師匠様はここに落ちざるを得なかった。
先を見て私にいろいろしてくれたお師匠様の事だ。
間違いなく、ここにも私のための何かを残してくれているのだろう。
そして最後の理由は私自身を餌にした釣り。
二度の襲撃事件はミティアを狙う事で行われた。
これが世界樹の花嫁がらみならば狙われないが、法院での神殿喜捨課税問題がらみならば襲撃者にとっては格好のチャンスとなる。
この問題の現状を一番把握し、解決策を提示し、それを飲ませる事ができる人間は私しか居ないのだから。
事態があまりにも複雑に絡んでいる現状では、問題の幾つかが解決する賭けに出るのは悪くない勝負だ。
だからこそ、私はその賭けに全部をつぎ込んでここにいる。
「しかし、ここまで非人道的だとなんだか言葉が出てこないわね」
応接室向こうの隠し鏡から見える華姫達の痴態を眺めながらの姉弟子様の感想である。
何もまとっていない彼女たちが買いに来た男たちにだけでなく見世物の魔物にすら使われて嬌声を上げ続けているのだが、その声はこちらには届かない。
その華姫に憧れているアマラだが、隠し鏡向こうの痴態は常識なので更にその先に視線が行っている。
「やっぱり華姫になるとここまでできるのよね。いいなぁ」
アマラが見たその先は買われた華姫達が着飾れて買い主と共に出てゆく所だった。
なお、あとで聞いたが、売却価格は金貨一万枚なり。
ある意味アマラは自分を知っているし、その未来に確信を持っているからこそのこの振る舞いなのだ。
それは正しいし、アマラが華姫になれば、いずれは買われた華姫のようになるのだろう。
それは分かるが、そこから外れた道の末路も一応見せておくか。
「そこまで行けたらね。
頂点極めるのは結構難しいのよ。
たとえば、こんな末路だってあるし」
私は立ち上がって、部屋の隅に飾っている石像をかるくコンと叩く。
流石にアマラを除いた一同ドン引きだが私とアマラはそんな皆を見て苦笑するしかない。
この石像も元華姫だ。
「綺麗に笑っているでしょ。これ。
意外に多いのよ。
この未来を選ぶ人は。
自分が変わるのが怖い。
頂点を極めたからこそ、そこから変化するのが怖いって人がこの石化を選んだりするわ」
華姫は子を産まぬ代償に若さを永続させる。
だが、体の若さは維持できても心の若さは維持できない。
買い主が死んだり、買われた家が滅亡したりでここに戻ってきた華姫で、その記憶が幸せだったからこそ、そこで生を終えたいと。
けど、人って死ねば腐って骨になるからその美しさは記憶とともに忘れ去られてゆく。
永久石化魔法は、そんな彼女たちの望みを叶えた。
その為、この世界において石像等の彫刻はあまり発展していない。
「私もこうなるはずだったんだけどなぁ」
ぽつりと漏らした私の本音を聞いた姉弟子様が私の頬をおもいっきりひっぱたく。
乾いた音が部屋に響いて、叩かれた事を自覚した時には、姉弟子様に抱きつかれていた。
「しっかりしなさい!絵梨!!
今のあなたはアニスじゃなくて、絵梨でしょ!
過去に囚われないで、未来を見つめ続けなさい!!」
ああ。
私は幸せものだ。
やり直せる過去に、私を導いてくれる姉弟子様がいる。
あ、隠れていたぽちが押しつぶされてもがいているが、死にはしないだろう。
「ミズキ先生がそこまで華姫を嫌っているのか私にはわからないけど、私はやっぱりこの道しかないなと思っているのよ。
これを見てもね」
アマラはそれでも華姫に憧れる。
その過程も終わりも見て、覚悟を決めているからそこの言葉。
気づいているのだろうか?
自分がシドと別れる日が来ることを。
自分から先にシドから離れるという事を。
叩かれた頬に回復魔法をかけながら、涙を流す姉弟子様が何か言う前に私が言葉を口に出す。
人は助けを求める者しか助けられない。
アマラにはアマラの人生があり、理由があり、幸せがあるのだ。
「いいわ。
そこから離れた私がとやかく言うものでもないし。
アマラが極上のハナヒメになれるよう祈ってあげるわ。
水樹姉様離れて。
もう大丈夫ですから」
言うだけならば言う。
けど、言ったからといって実行するかどうかはまた別なわけで。
私の下にいる限り、極上の『花姫』にはなれるだろうけどね。
たしかに、政治的にこんな事を考えてしまうあたり、もう私は華姫『ですら』ない。
「ん?何かやってたのか?」
シドが部屋に入ってきた時、気配で何かあったらしいことに気づくが、私もアマラも姉弟子様もいつものように座っている。
一部始終を見ていたセリアは何も語らない。
男にはわからない、女の生態。
「なんでもないわよ。
で、お話はどうだった?」
「どうもこうも。
取次すらさせてもらえなかった。
今にして、あの爺の偉大さがわかるよ」
オーバーな仕草で失敗を認めたシドはアマラの隣に腰掛ける。
まあ、最初は挨拶がわりみたいなもので、今のシドならば相手にもされないだろう。
ぽちが私のあたまに乗って叩く。何か感じているのだろう。
さてと、そろそろ準備をするとしよう。
「んじゃ、しくじったシドにはこれを噛んでもらいましょうか」
「?……何だこれ?」
私がシドに渡したものをシドが興味深そうに眺めるのでそれを教えてあげた。
なお、アマラや姉弟子様やセリアにも渡していたり。
私も封を切って、それを口に入れて噛む。
「チューインガムよ」
しばらくして、部屋の隠し穴から流れた眠りの雲で私達は全員眠りにつく。
隠し扉が開いて、私達を捕まえようとした覆面姿の男たちは、シドとアマラのナイフに脅されてあっさりと縛につく。
セリアは私と姉弟子様の警護で周囲から気を逸らさない。
「馬鹿なっ!
確かに眠りの雲が部屋に……」
その出口の小穴にたっぷり貼られたチューインガム。
隠し鏡で見えた煙は、私が魔法で出した無害なやつだったり。
「掻っ攫って、華姫として再調教して売り払うつもりだった?
それを考えたやつの名前を教えてくれたら、見逃してあげる」
出てくるだろうとは思っていたが、なかなか古典的なことをする。
もちろん、それを言えば命に関わるから黒覆面の男たちも口を閉ざすのみ。
「殺せ」
「床が汚れるじゃないの。
いいわ。
逃してあげるから、話のできる人間を連れて来なさいな」
シドとアマラが武装解除した上で、黒覆面の男たちを釈放する。
覆面すら取らなかったのはそれが慈悲である事を知らしめるため。
これで少しは話しができる人間が出てくるだろう。
しばらくして、扉の向こうからノックが聞こえる。
「失礼。
こちらで、話がしたいというお嬢様がたの為に、話し相手を務めてほしいと」
その声に聞き覚えがあった。
ここで彼が出てくるとは思わなかったが、出てくれば出てきたである意味納得する人物だった事は否定出来ない。
ばりばりに警戒する皆を手で制して、セリアにドアを開けさせる。
貴族の私服姿でお忍びという風を装った男は、にこやかに笑みを浮かべながら、部屋に入ってきた。
「おや、こんな所で出会うとは奇遇ですな。
お嬢様」
「私の護衛騎士風情が華市場にお忍びねぇ。
いろいろ楽しそうな話を聞かせてちょうだいな。サイモン」