75 仕事前の茶飲み話
ヘルティニウス司祭はいつも私達より先に花嫁候補生の執務室に入る。
ゲームの中だと先に待っているという事である種の安堵感を作り出しており、茶菓子片手に取り留めの無い会話を楽しんでいただろう。
けど、今のヘルティニウス司祭はそんな余裕すら捨てて書類と格闘している。
王室法院定例会における神殿喜捨課税阻止はそれぐらい重要で、かつ切迫していた。
「エリー様。
実家の方から送ってもらった資料ありがとうございました。
まさかここまで悪化しているとは……」
いつものように執務室に入ると、先に席についていたヘルティニウス司祭から疲れた声がかかる。
あの書類をきっと今まで読んでいたのだろう。
声だけでなく、体にも力が無い。
「ヘインワーズ家は元々商家出身だからね。
この手の情報はお手の物よ。
できれば、間違って欲しかったのだけど」
私も同じように力なく笑う。
会話の話題になっている書類は、直近の穀物価格のデータ。
私達の襲撃事件を境に信じられない高騰を続けていた。
「言っておくけど、この高騰は襲撃事件が引き金ではあるけど、原因じゃないわよ。
原因は新大陸穀物輸送船団の全滅」
価格というのは未来予知の側面がある。
今ある物についての価格ではなく、先を見越しての価格がつけられる。
無ければ生きていけない為に直近で手持ちを抱えている食料などはその傾向が強い。
「要するに、輸送船団全滅で手持ちが減るのが確定している上に、私達の襲撃で諸侯に粛清があるかもしれない。
大乱が起こるかもって皆が買いだめに走った。
それが、この急騰の理由」
そして、だからこそ事態は深刻である。
収穫は不作傾向が続き、作付けは始まったばかりで収穫は半年後。
新大陸へ新たな船団を派遣して穀物を持ってくるにしても、最短で一月はかかる。
つまり、法院定例会が行われるこの一月の間、相場は荒れ狂う事が確定している。
「早くも商隊の末端部では穀物そのものが手に入らなくなっているわ。
私が代行として統治しているエルスフィアでもこの動きがあったから、商人達に脅しをかけて手持ちを放出させるように言っておいたけど焼け石に水ね。
穀物価格の上昇に伴って、豆や干し肉、燻製まで値段が上がっているわ」
価格の上昇は思わぬ所でビジネスチャンスを作る事がある。
干し肉の価格が上昇したことによって、スラムの食事御用達だった大鼠の肉まで売れるようになっていたのである。
大量に繁殖し大きなもので数メートルにまでなるこのモンスターの肉が食卓に上がりつつある事で、スラムの住民の中には一攫千金を掴んでスラムを脱出した輩も居るという。
そんな変化を政策意思決定者である貴族たちは知らないし知るつもりも無い。
こっちが思っている事を察してヘルティニウス司祭は自嘲の笑みを浮かべる。
そのやつれと眼鏡がいい感じに絵になるなんていうつもりも無いが。
「あの人たちは、足りなくなれば持ってくればいいと本当に考えているのですよ。
その足りないものをもってくる為に庶民がどれだけ苦境に陥っているのか知りもしない」
「……たしか、ご両親は貴族だったはずよね?」
苗字を捨てて女神に仕える事を選んだ男は眼鏡を少し持ち上げて過去に思いをはせた。
その淡々とした口調に彼の歩んだ道がなんとなく乗ってしまうのは、私が彼の全てを設定資料集で知っているからだろうか。
「ええ。
貧乏男爵家で私がこうして女神神殿にいったので家は潰れましたけどね」
ヘルティニウス司祭は自ら語ったようにウティナ伯家の流れを組む貧乏男爵家に生まれたが、庶子。
つまり、男爵とその愛人との間に生まれた子で、孤児院ではなく女神神殿の寄宿舎に入れられたのは父親の体面のおかげだったりする。
神童だった彼はその寄宿舎でめきめきと頭角を伸ばし、最年少で地方都市の神殿司祭代理をまかせられるほどに出世する。
これも理由があって、私と同じくその地の神殿司祭が汚職で追放されたからで、ヘルティニウス司祭はその汚名返上の為のマスコットとしての側面が強かったのだ。
だが、神童でならしていた彼は、その司祭代理を見事にこなしてしまう。
その活躍にアリオス王子即位後の側近を集めていた王室が目をつけたのはある意味必然だったのだろう。
こうして、司祭位を得た彼はこの地にやってくる。
「アリオス殿下の側近に選ばれたと聞いた父は、還俗して男爵家を継げと言ってくる始末。
あれは見苦しかったですね」
目を逸らしたくなる書類仕事から逃避する為に、私がお茶を入れてヘルティニウス司祭に差し出す。
このお茶の茶請けは彼の身の上話だ。
「あら、ウティナ伯なら、申し出を受ければ確定でしょうに。
何がご不満で?」
「それを全力で回避しようとしている貴方が言っても説得力はありませんよ」
見事に突き刺さるブーメランを気にするつもりもないふりをして私は自分のお茶を入れる。
向こうの世界の高級品で、茶狂いで家を傾けるというのは本当だなぁと思ってしまうほどの一品は、セリアにも触らせない私のとっておきである。
その為、私の入れるお茶というのは密かに有名になっているとかいないとか。
なお、ぽちも茶狂い仲間で、小皿に入れてあげるとぺろぺろおいしそうに舐めたりする。
「あの人は私を寄宿舎に入れた事で義理は済んだと思っていました。
母は所詮遊びだったらしくその後捨てられ、流行り病であっさりと死んでしまった時、私は世を恨みましたよ」
いやさ、私の娼婦設定踏まえた上でこの身の上話語っているのよね?
ぐさぐさと刺さるものがあるのですが。
「その父も、貧乏貴族のくせに見えを張って借金を重ねて結局野垂れ死に。
アリオス殿下からもウティナ伯家について打診を受けましたが、家にいい思いなんて無いのに何故それを継げと?」
乾いた笑いをあげる私とヘルティニウス司祭。
書類を机に置き、茶の香りを楽しんで椅子にもたれかかる。
その軋む音の後、ヘルティニウス司祭は過去の軌跡を語る。
「知っていますか?
寄宿舎は寄付によって賄われています。
近年の不作傾向はそのまま寄宿舎の食事にダイレクトに反映するのですよ。
私が物心ついたとき、パンとスープがありました。
私が寄宿舎を出る時、豆のスープがあたりまえで、パンは特別な時に食べるものになっていました。
それでも、収穫祭の時だけは特別で、不作ながらもなんとか飢えを乗り越えた感謝をこめて盛大に祝っていたものです。
ただ、ひねくれていた私はそれが我慢できなかった。
収穫祭の祝いをしなかったら、その分週一程度パンが食べられるのですから」
経済不況において、それが真っ先に直撃するのは弱者だ。
それを理解していたからこそ、彼は先のことを考えて動いていたというのだ。
若さと彼自身反省する黒歴史である。
「寄宿舎はそれを認めませんでした。
とはいえ、決まった方針に逆らうつもりもないので、収穫祭を手伝いましたよ。
そこで見ました。
収穫祭の日だけは貴賎関係なく女神神殿は開放されます。
スラムの子供たちが、何日も食べていない痩せこけた子供たちが女神に感謝しながらクッキーを頬張る横で、貴族の子供達が作られたケーキを残す姿を。
彼らに何の違いがある?
どうして女神はこのような違いを私に見せつけるのだ?」
これが、ヘルティニウス司祭の信仰の原点である。
彼の信仰は感謝では無く怒りによって作られている。
きっと、司祭になっていなければ革命家になっていたのかもしれない。
「地方都市の神殿司祭代理をまかせられた時、あの感謝祭の意味を知りましたよ。
人の欲は、経済は弱者をドン底に落とすのに、無くてはその弱者すら助けられないと。
否応なく思い知らされました」
ヘルティニウス司祭は己の手をただ眺める。
そこから出たのは、彼の悟り。
「人は、この手を掴んだ者すら救けることができません。
だから、女神が必要になったのでしょう」
ヘルティニウス司祭は己の手を見ていた視線を私に移す。
その目に篭っているのは、敵意。
「エリー様。
私は貴方が嫌いです。
いや、この言い方は誤解がありますね。
貴方についている飾りが嫌いです。
けど、その飾りがないと、弱者を助けられないのです」
あ、これ愛の告白よりたちが悪いやつだ。
利害関係による同盟のお誘いという。
「貴方だけなのです。
こちらの言葉に耳を貸す者はいましたが、理解できなかった。
理解できる者は、力がなかった。
貴方だけなのです。
現状の危機を理解して、その対策を出してきて、それを法院に飲ませる可能性がある人間は!」
ドンと鈍い音が彼の手と机の間から漏れる。
激高するヘルティニウス司祭というのもイケメンではあるが、どう見ても鬼畜眼鏡です。かなり怖い。
「お聞かせ願いたい。
何故、貴方はミティア様を助けたのです?」
「ミティアと争わせないようにした貴方の言葉とは思えないのだけど?」
「はぐらかさないでいただきたい。
現状の危機を認識して、ミティアさんにそれを何とか出来る力が今は無いのに、貴方はそれでも彼女を助けた」
ああ。彼は神童だ。
こちらの事情をかなり掴んだのだろう。
だから、この質問をここでぶつけてきやがった。
「何故、世界樹の花嫁選定において貴方が負けるのにも関わらず、貴方はミティアさんを助け続けるのですか?
そして、負けるのにも関わらず、何故貴方は全力で法院相手に喧嘩を売るのですか?」
その質問に答えるために、一口お茶を口に入れる。
香ばしい香りと、ほんのりと漂う砂糖の甘さとミルクのまろやかさを味わう。
それがこの世界においてどれぐらい経済的負担がかかるかを思い出して、私は答えを口にした。
「答えは、貴方の告白の中にあるわよ」
「?」
ヘルティニウス司祭が欲しかったのは、確認と覚悟。
それだけ王室法院内の権力争いは熾烈で過酷で陰湿なのだ。
だからこそ、負け確定でそれを知っている私が、土壇場で梯子を外すことを恐れている。
「パンとスープが豆のスープに変わった。
このままいけば、豆のスープすら食べられなくなる。
貴方も見ているはずよ。
感謝祭での子供の笑顔を。
その笑顔に貴賎の違いなんてあったかしら?」
「……」
「だから約束してあげる。
勝つにせよ、負けるにせよ、私は絶対に最後までゲームは降りない。
だから安心して、貴方は私をこき使いなさいな」
立ち上がって銀時計をヘルティニウス司祭の机の上に置く。
その銀時計を眺めていた彼に私は言葉を叩きつける。
「この銀時計に誓ってあげるわ。
貴方は、私に何をさせたいの?」
そんなに長い時間ではなかったはずだ。
けど、その告白を聞き出すまで、長い沈黙があった。
互いに掛け金は積んで、私はカードを出した。
さぁ。貴方のカードを見せて頂戴。
「すべての子供たちに、パンとスープを」
「いいわ。
その願い、ゲームの最後まで覚えていてあげる」