38 ミノタウロスの迷宮 その2
初体験は天井のシミを数えていれば終わるというのは嘘だ。
私の初体験は草原の星空の下。
数えて終わるほど優しくない陵辱が三日ほど続いた後、私は己の運命を呪う。
初物で、異国の服に姿、知らない服に道具。
「こいつは異国の娘だろう。
全部揃えて奴隷市場に売れば、いい金になるぞ!」
もう何度目か覚えていないが私の上で腰を振り終えた盗賊のボスは壊れかかった私に希望というものを見せてくれた。
この陵辱が終わるのならば。
売られた先でさらなる陵辱が待っている事を知らず、一通り飽きた盗賊たちは私を適度に陵辱しつつタリルカンドの奴隷市場に売り飛ばした。
私が統合王国宰相になった時、復讐心が無かったといえば嘘になる。
だが、彼らはすでに潰されたか、討伐されたか歴史の中に消えていた。
人は最初から大人になる訳ではない。
盗賊のボスだった男も下っ端だった時期がある訳で。
その盗賊の下っ端として私の前に現れた時、私は過去と運命が繋がっていることを知る。
今だから思う。
この運命が呪いも含めて繋がっているのならば、彼にも慈悲は与えるべきだ。
彼が未来において、高値になると確信したそのねっとりとした視線を今現在のドレス姿の私に向けていたとしても。
この繋がった糸が因果として繋がって、そして応報によって切れることが見えていたとしても。
遺跡の中は思ったより明るかった。
先発陣によって松明がつけられているのもあるが、同時に罠などの解除が終わっている為か、皆の気持ちも警戒しつつも明るい。
登山用ヘルメットに肘膝サポーターをつけているドレス姿の令嬢というのもおかしなものだが、このあたりはセリアも実用性が分かるので何も言ってこない。
灯りの魔法もあるがわざわざ使う事もないという訳で、アルフレッドにランタンを持たせている。
分かれ道や十字路に来れば、行く必要がない方向にはロープが張られて塞がれ、その先には鈴がつけられた糸が足元に張られている。
決戦の場所となる第一層と第二層を繋げる唯一の階段は、本来ゲームでは戦場にしにくい場所だ。
境目だからこそ、そこを戦場にする事ができないのだが、唯一のルートであるこここそが一番戦いやすい場所だったりする。
「第一層は攻略した訳だけど、まだ逃げた連中が見つかっていない。
第二層に逃げたのかしら?」
私のつぶやきに、別パーティーのリーダーをやって先行しているシドが前から声をかけた。
声を聞かせる事で、敵や逃亡者に対応させる為だ。
「ここは村の信仰を集めていたから、代々の貢物がかなり蓄えられている。
出口がひとつしかない以上、奴らが逃げ延びる為には我々が去るまで迷宮で逃げまわる必要がある。
で、ここのミノタウロスみたいに出張るならば、第一層で逃げまわるのは良策ではないと言うことさ」
探索によって第一層で得た宝物だが、そのほとんどは手を付けずに村人に返還する予定である。
銀貨とかはありがたく頂くが、これだけの大人数での攻略だから赤字確定だろう。
たしか第四層にそこそこ良いマジックアイテムがあった覚えがある。
ゲームだったら攻略後に取りに行くのだが、買えないものでもないので村の感情を逆撫でする事もないだろう。
なお、これに不満だらだらだったのが逃げ出した盗賊だったりする。
「お待ちしていました。
エリー様」
『維持』で残っていたサイモンが階段前で私に声をかける。
サイモンは残って、それ以外はミノタウロス戦に参加するので入れ替え人員が使った道具やゴミを持って去ってゆく。
普通のダンジョンならばこの手のゴミとかも片付けないが、信仰を集めている迷宮ならばこんな所も気をつけないといけない。
「食べ物と水を確認して。
医薬品も確認するように。
階段側の警戒は続けるように」
迷宮探索は我々の世界で山登りに近いものがある。
ただ違うのは、戦いがそこにあるかどうかぐらいしかない。
さしあたって、この階段前は決戦場であると同時に、前線キャンプでもあるのだ。
「で、第二層は何処まで確認しているの?」
私の質問にサイモンが答える。
視線は下に降りてゆく階段に向けられたままだ。
「この下は広場になっており、その先は十字路になっています。
そこまで確認し、十字路に警戒用の罠を仕掛けています」
ちりん♪
説明の最中にその罠に繋がる鈴が鳴った。
皆の意識が一気に戦いに向けて高まってゆく。
この階段を戦場に選んだのは高低差があるというのが一つで、三メートルを越えるミノタウロスの頭を狙うならば格好の場所となる。
更に、弓を構えて狙えるのもあり、私達は準備を整えたままその敵が来るのを今かと待ち構える。
「ぁ……ぅぁ……ぁ……」
そんなうめき声と共にのたのたとした音を立てて何かが近づいてくる。
少なくともミノタウロスの声と動きではない。
「ゾンビね。多分」
世界樹の杖を構えた私のつぶやきに、私を守るように剣を構えたサイモンが反応する。
聖地としてあがめられていたこの遺跡にゾンビのようなモンスターがいる訳が無い。
おそらくはミノタウロスに殺された村人。そして、
「逃亡者ですかな?」
私が声に出そうとした事をサイモンが口に出す。
下には当然良いお宝があるが、守る番人も強くなるのはゲームの常。
彼らは結局、その欲に負けたのだ。
階段にゾンビたちが姿を見せる。
数は六体。
逃げた所を襲われてゾンビの仲間入りを果たしたという訳だ。
「ぽち。
やっちゃって」
「がう!」
私の命令でちよっと大きくなったぽちのホーリーブレスがゾンビの体を浄化してこの世から消してゆく。
この状態で生き返らせるには高度な神聖魔法が必要になってくるのだが、彼らにそこまでする義理もない。
六体のゾンビがこの世から姿を消した後、本命であるミノタウロスらしい獣の雄叫びがこちらにまで届いてきた。
「なるほど。
このゾンビ達はミノタウロスから逃げていたと」
セリアが弓を構えて待ち構える。
手はずはこうだ。
セリア指揮の弓隊の先制攻撃の後、サイモン指揮の直接攻撃隊がミノタウロスを攻撃する。
私は護衛メイドに守られながら、他の魔術師や僧侶と共に魔法でサポート。
派手な攻撃魔法で勝負を決めたい所だが、それで遺跡が崩れたら目も当てられない。
眠りの雲あたりで眠らせればイチコロなのだが、広範囲に広がるため、こちらも眠ってしまうというデメリットもある。
そして一番大事なのは、ここには雇った連中のレベル上げに来たのであって、私が一人で退治しても仕方がないという所。
やらせないと経験にはならないのだ。
「来ました!
ミノタウロス!!」
見張りの声に負けじとセリアが叫ぶ。
「弓放て!!」
数本の矢は狙い違わずミノタウロスに突き刺さるがミノタウロスは怒り狂ってその歩みを止めようとはしない。
セリア達が下がり、その場所をサイモン達が埋める。
「いいか!
お前ら!
ここを通すんじゃねーぞ!!」
その中にアルフレッドがいる。
私は彼らの為に肉体強化の呪文をかけてやる。
こちらの攻撃が当たりやすいという事は、向こうの攻撃も当たりやすいという事を意味する。
矢が刺さったミノタウロスの腕に冒険者の一人が弾き飛ばされて壁に激突し動かなくなる。
「回収して!
回復魔法の用意!!」
私の叫び声に後方で控えていた冒険者が動き、飛ばされた冒険者の居たスペースを使ってセリア達が二の矢を放つ。
矢には麻痺毒が塗られており、刺されば刺さるほどこの毒が効いてくる。
矢が放たれた後、その場所を埋めたのは投げナイフを構えたシドだった。
「回収しました!
気を失っていますが、息はあります!!
回復魔法かけます!」
壁に激突した冒険者が無事と知って私はほっとする。
装備と肉体強化の魔法のおかげだろうが、下手すれば壁に赤い花が咲く事もある。
低レベル冒険者にとって、ミノタウロスは決して侮れない敵なのだ。
「きゅ」
ぽちが私に向かってうめく。
この声は警戒。
ぽちの視線の先は遺跡の床しかない。
その下!?
「何か来るわ!
警戒して!!」
私が叫ぶと同時に白い霧みたいなものが私の前に現れる。
うっすらと見える顔は絶望の顔を浮かべた盗賊の顔。
彼は未来において清々しいぐらいの下種だった。
その下種さが私を導いてくれたが、同時にワイトになるぐらいまで魂も穢れていたらしい。
ワイト。
幽霊の上位種で怨霊と言った方が分かりやすいかもしれない。
直接攻撃が効かず、触れられると魂が吸われて同じワイトにされる上位種モンスター。
こんな所に自然発生するようなモンスターではない。
おそらく、死んだ時の魂がそのままモンスターとして変わったのだろう。
「ワイトよ!
直接攻撃が効かないわ!!
注意して!!」
叫びながら私が前に出る。
ワイトも私が狙いらしく、私にその白き穢れた手を差し向けてくるが、その手が触れる寸前で何かに弾かれて手そのものが雲散する。
ドレスから落ちたタロットカードは『女司祭長』の正位置。
この手の霊的なものに対する最強クラスのカウンターのカードだ。
「ぁ……ころす……おかす……オレだけ……みちづれ……!!」
魂だけにその意志は彼本人の本心だ。
彼はかつての彼と同じく清々しいぐらいに下衆だった。
ならば、彼に対する情けはここまでで十分だろう。
「因果応報。
あなたの魂にまだ何か残るのならばそれに縋りなさい!」
一枚のカードを私はワイトにつきつける。
その意味は分からないだろうが、圧倒的なまでの力にワイトの顔に怯えが映る。
それはそうだ。
魂が行き着く先をこのカードは暗示しているのだから。
『審判』正位置。
日本人でもこれにとある言葉をつければぴんと来るだろう。
最後の審判。
タロットカードの意味を組み合わせて物語を作り出し、その物語に運命を添わせるならば、これは最強の退魔カードだ。
人生の精算という誰にでも訪れるそれを拒んでワイトになった元盗賊はついに私の前から逃げようとするが、上にも下にも壁に消えることができない。
「きゅきゅ」
結界ありがとう。ぽち。
ラスボスクラスのドラゴンの結界をワイトごときが破れる訳もなく、己の末路を悟ったワイトが声にならない絶叫をあげる。
物語が私に降りてくる。
私の背中に白き羽が生え、手にはラッパが握られる。
「私は裁かない。
感謝もしているから。
だから、あなたの罪はあなたが裁きなさい!!」
ワイトの最後の叫びは、私の鳴らしたラッパの音によって、その存在すら消し去ってしまった。
ワイトが消え去った後、慌ててセリアが私に駆けつける。
超高位退魔魔法。しかもこっちの世界にない私のオリジナル技術なんてセリアは気づいているのだろうが、そんな事よりメイドとしての使命感が勝ったらしい。
「お嬢様!
お怪我はございませんか!
羽が……」
消えていく羽に驚くセリアを手て制す。
こっちはあくまでおまけ。
本戦はミノタウロスで、まだサイモン達は戦っているのだから。
「後衛支援を続けなさい!
ミノタウロスはまだ動いているわ!!
前衛は交代して回復!
弓はその合間に麻痺矢を放って!」
落ちたタロットカードを拾おうとしてふらつき、セリアに支えられる。
さすがに最強クラスの大技なだけに、疲労感がぱない。
回復のために交代したアルフレッドがこっちに駆け寄ってくる。
サイモンの差金だな。
これじゃ、不様な所を見せられないじゃないか。
「大丈夫ですか!
お嬢様!!」
「大丈夫よ。アルフレッド。
大技使ったから疲れただけ。
魔力回復させる飲み物あったでしょ。
あれ頂戴」
「アルフレッド。
背中のバックパックの中に入っています。
取り出して!」
アルフレッドが差し出した薬草茶を飲みながら、私はなんとなく湧き上がる高揚感に身を委ねる。
これも悪くはないなと思いながら。
ミノタウロスが床に倒れたのはそれから数分後の事だった。