22 黄昏の厄介事
世界樹の花嫁における修行は、陳情処理とは先に語ったと思う。
とはいえそこは何も知らない主人公。
攻略キャラたちの力を借りて一から勉強する事になるのだが……
「よろしくお願いしますね。
エリーさん」
どうしてこうなった!?
「それ、本気で言っているのか?」
とジト目なのは、上級書記資格を持つキルディス卿。
ミティアはまずはこの書記を取る事が目的になる。
下級書記の資格習得の条件は文官補佐経験一年以上、もしくは文官からの推薦によって与えられる。
そこから中級・上級と上がる訳だが、上級書記習得まではヘルティニウス司祭と仲良くなっていれば問題なく取れる。
で、書記から文官にクラスチェンジするルートは二つ。
ヘルティニウス司祭ルートをそのまま進んで司祭になれば自動的に下級文官が付与されるのと、王室または法院の推薦が必要になる訳でそこからはアリオス王子との関係が大事になってくる訳だ。
「本人目の前でぶっちゃけるのは悪いけど、ライバルよ。
私達。
ここまで明確な上下関係つけるとまずくない?」
学生服につけられた上級文官の証である銀時計の鎖をゆらしながら私がぼやく。
そんな姿を見て、ヘルティニウス司祭が書類を持ったまま眼鏡を光らせた。
「近年の不作傾向で、陳情が溢れているのですよ。
私が王子に頼んで、勝負うんぬんより民の事をとお願いしてこのような形に」
おまえかよ。元凶は。
こめかみをひくつかせながら、ヘルティニウス司祭が持っていた書類を奪い取る。
それは、穀倉地帯の南部一帯の去年の収穫高のまとめで、ここにも不作の影響が露骨に響いていた。
「ちょっと!
南部でこれなの!?」
そこに記されていた数字は、再建された統合王国における南部収穫高の半分しかなかった。
世界樹の加護なんてない再建された統合王国の半分以下ってどういう理由だと書類を読み進めると、出てくる言葉が素敵に末期的。
「ヘインワーズのお嬢様が知らなかったとでも?」
「知る訳無いじゃない!
南部諸侯が都合の悪い事を言うとでも?」
ヘルティニウス司祭の皮肉にこっちが切り返し、二人してため息をつく。
こういう時、女神神殿という現場とのパイプがあるヘルティニウス司祭が素直に羨ましい。
「お嬢様。
一応私もいるのですが?」
うん。
護衛騎士になったサイモンがいるからあてつけているんだよ。私は。
同時に、サイモンとヘルティニウス司祭との関係で私がヘルティニウス司祭をとった事を明確に見せ付けている。
ヘインワーズの降伏は知られているから、見捨てられた南部諸侯は何としても私をコントロール下に置きたいのだ。
それを拒否する明確な理由を私は口にした。
「不作による農家の収入減に、貨幣価値の上昇に伴うコストの増大で破綻。
その結果耕作放棄地が急増し、流民および農奴転落の拡大で生産性が低下。
それを補う為に、新大陸からの食料供給が更に農家に追い討ちをかけて……うわぁ……」
書類を置いて両手で頭を抱える私に、何も知らないミティアはきょとんとするばかり。
どれだけ詰んでいるか分からないって幸せな事だろう。
現実逃避とも言うが。
「ね。
争っている暇は無いと」
いい笑顔で言うんじゃねぇ!
ヘルティニウス司祭!!
あんた分かってやっているだろうが!
ため息をついて仕事モードに切り替える。
やる事とやってはいけない事を整理して、妥協点を探る事が政治なのだ。
「キルディス卿はミティアさんに付いて説明を。
最低限の知識を叩き込まないと、諸侯の傀儡で終っちゃうわよ。
ヘルティニウス司祭。
王室法院にて、諸侯に説明を行うわよ。
神殿喜捨に関する関所税課税は阻止するから、神殿側から流民の生活再建の為の案を用意して」
私の言葉にヘルティニウス司祭の眼鏡向こうの目が細くなる。
何かを企む顔であると同時に、関心する時にも彼はそんな悪巧み系の笑みを浮かべるのだ。
司祭なのに。
「かしこまりました。
神殿は、流民対策に東部を中心に新たな開拓地を考えており……」
彼の言葉を止めたのは私の手だった。
私はあそこに居たから、それがどれだけやばいかよく知っている。
「東方騎馬民族の前に餌を置けと?
喜んで略奪に来るわよ。
背に腹は変えられないわ。
諸侯がやっている新大陸開拓を支援して。
あっこから入ってくる穀物は生命線よ。
その代わり、神殿喜捨を使って各地に商隊を編成して、流民はそこに吸収させるわ」
これならば、諸侯も新大陸権益が拡大するし、法院貴族も商人からの支持を取り付けられる。
あとはパイ分けで揉めるだろうが、そこは法院で遊んでもらうとして、大枠はこれで問題はない。
「最善ではなく、次善で多くの者達に利益を。
その銀時計にふさわしい人で何よりです」
「富の独占なんて、妬まれて最後は袋叩きよ。
そんなのこっちから願い下げなだけ」
ヘルティニウス司祭の賛辞に私は適当に返事を返す。
で、残ったサイモンに宣戦布告を突きつける。
「サイモン。
南部諸侯の財務資料を用意して頂戴。
ヘインワーズ商会から証文を取り寄せてつき合わせます。
この惨状なら、暴発する馬鹿が出かねないわ。
養父上とも相談して早急に支援策をまとめます」
「かしこまりました」
サイモンは表向きは従ったが、同時に資料改竄のチャンスを得たとも言う。
ある主の踏み絵で、やらかしたらそれをネタに処分に踏み切るつもりなのだ。
それぐらい、彼が愛人になっているロベリア夫人の影響力は大きい。
私の矢継ぎ早の指示にミティアはぽかーんとして私が何を言っているのかわからない様子。
キルディス卿が頭を抱えるのを私は見捨てる事にした。
私も頭を抱えたいし。
この日、私が書類を片付けている隣でミティアは涙目でキルディス卿から説明を受ける羽目になった。
もっとも、半分以上わかるとは思えなかったが。
「お嬢様。
いらっしゃいますか?」
仕事が終わろうとする時間、ノックの後で扉を開けたのはアルフレッド。
今日は私がこっちの仕事をしているので勉強に専念しているはすだが、何かあったのだろうか?
「もうすぐ終わるけどどうしたの?」
「アリオス殿下がお呼びだそうです。
終わったら来てほしいと」
うわ。
何かよくない予感がすると思っていたが、入り口で見張っていたグラモール卿に挨拶して中に入ると、アリオス王子一人しか居なかった。
彼しかいない教室で、相変わらず笑顔を崩さないアリオス王子が一枚の書類を私に渡す。
人払いが必要な類の話か。
「北部と東部の中間に位置する王室直轄都市エルスフィア。
そこの太守が老齢を理由に引退を申し込んできました。
王室は代わりの太守を送り込まねばならないのですが、その代わりの太守がくるまで貴方に太守代行をお願いしたい」
直轄都市だけの範囲だと知事、都市および周囲の領地まで範疇に入る地位を太守と統合王国では定義している。
市長はいないのかと言うといるのだが、市長は自治権のある独立都市トップの名前だったりする。
太守や知事の地位は任期ありの交代制だが、世襲になっている所も多い。
太守および知事の条件は上級文官資格を持っているという事。
銀時計組のキャリアの終点のひとつで、この統治が大過なく過ごせると中央で大臣や長官が狙えたり、爵位を与えられて法院に席を持つ貴族として暮らす事になる。
そうやって席を持った貴族たちも法院貴族に入る。
そんな太守が老齢という理由で任期途中で急遽交代し、私が抜擢される。
厄介ごとしか思いつかない。
「で、何をしたんですか?
その太守」
「よくある横領さ。
度が過ぎて反乱寸前の事態に発展し、引退という事で更迭。
太守が有力諸侯の分家筋じゃなかったら、今頃は首を切っていたよ」
最悪だ。
そんな都市の後任に私を押し付けるなんて。
私のじと目で悟ったのだろう。アリオス王子はにこやかにその先を言ってのける。
「君を抜擢したのは、その銀時計が偽者じゃないと諸侯に納得させるのと、ミティア君への支援という所さ。
物分りのいい人は控えているが、馬鹿は君の勲章に目をくらませているからね」
「太守代行という事で、私を飛ばしてその間にミティアさんに肩入れをしようと」
私の露骨なため息にもアリオス王子はその笑顔を崩そうとしない。
そんな彼の口から裏をぶっちゃけられた。
「もちろん、君にもメリットが無い訳ではない。
前に、ヘインワーズ分家筋なら助けられると言っただろう?
ヘインワーズ候の全面降伏は予想外だったが、君を助ける際の手がこれだ。
太守に押し込んでしまえば、中央に出ない限り面倒事はこっちで排除してあげるよ。
もちろん、そのまま太守を続けてくれても構わない」
笑顔のまま吐き出されるアリオス王子の最後の言葉に毒が篭る。
だからこそ、事態の深刻さをいやでも感じ取ってしまう訳で。
「ミティア君にまた刺客が来られたら困るんだよ」
背筋が凍った。
つまり、既に誰かがミティアに刺客を送ったと。
「うちじゃないですよね?」
「その前に全面降伏してくれたからね。
キルディス卿が始末したが、背後関係は不明。
それがなかったらかなり危なかった。
ヘインワーズに取って代わりたい連中か、ヘインワーズに恩を売ろうとした連中か。
いやになるね」
つまり、私と私の身内を一度飛ばして、その間に馬鹿を始末する訳だ。
ミティアがお披露目になった瞬間に私を勝ち組と踏んで恩を売ろうとしたか、足を引っ張ろうとしたか知らないが場外からの危険球に私は悪寒が止まらない。
「もちろん、授業に出たり修行をするのは構わないよ。
ただその中でエルスフィアの統治を代行してほしいわけだ。
少しこの学園に顔を見せる回数が減るだろうが勘弁してくれ」
これは私を飛ばす為に、汚い事をやっていたエルスフィア太守を見せしめにしたな。
権力とは、政治とはかくも恐ろしいものなのだ。
そして、だからこそ私は笑顔で王子に告げた。
「詳しくはヘルティニウス司祭に聞いてもらって構いませんが、穀倉地帯の南部の収穫が末期的です。
私の命で調査を命じましたが、おそらく馬鹿が暴発してもやむを得ない状況かと」
アリオス王子の目が細くなる。
私もきっと同じような目をしているのだろう。
「君にとっての身内を売ると?」
「あら、私をエルスフィアに逃がしてくれるのでしょう?
でしたら、代価は必要かと」
そして、お互い笑顔のまま黙り込む。
多分、そんなに沈黙は長くは無かったと思う。
「いつから気づいていたんだい?
南部諸侯、いや、カルロスとロベリア夫人が怪しいと?」
「ここに入学した時から。
義父上はベルタ公とロベリア夫人の間で選択を迫られていましたから。
私がここに居る事で、エレナお姉さまがキルディス卿と婚約できる。
あとは、それに合わせてこの出来レースで私が負ければ丸く収まると」
私の負けにカルロスとロベリア夫人をはじめとした南部諸侯を巻き込む。
私は日本とここを行き来する異邦人だ。
最悪、全部抱えて消えて日本に帰ってしまっても構わないのだから。
だからこそ、この出来レースの負け役を引き受けられるのだ。
「そこまで気づいていたか。
君を敵にしなくて良かったと思っているよ。
改めて尋ねよう。
取引だ。
ミティア嬢の引き立て役として負けてくれ。
その報酬はヘインワーズ家の安堵と、君の身の安全だ」
アリオス王子は二枚の紙を私に見せる。
それは、国王のサインが書かれたエレナお姉さまとキルディス卿の婚約を祝福すると書かれていた。
婚約発表に、王室が歓迎する以上、それは止められない。
もう一枚は、私の太守代行任命を命じる書状で、同じく国王陛下のサインが書かれている。
その二枚を私はため息と共に受け取った。
「わかりました。
その件お引き受けします。
それと、上級文官と世界樹の花嫁候補の権限で辺境に城を築きたいと思います。
ご許可を」
話も終わり、別れ際にふと思いついて私はアリオス王子に開発許可を求める。
統合王国辺境部は防衛の観点と経済的事情(まったく美味しくない土地)で王室直轄領になっている事が多い。
私の話から外れた提案に王子が少し警戒の色を含めて返事を返した。
「別に構わないがどうしてだい?」
「趣味みたいなものですよ。
心を癒す花畑みたいなもので」
調べたが、この時点であそこに城はできていなかった。
ならば、私が作るのも悪くはない。
卵が先か鶏が先か知らないが。
「大きな花畑だね。
場所は?」
「後で地図を持ってきますが、東部と北部の境の山あたりで。
交易路からも外れた辺鄙な場所ですが、自然が豊かで気に入ったのですよ。
森で雉を獲って、同じく森から採れるキノコと山菜のスープに入れると美味しくて。
エルスフィアの近くなんですよ」
アリオス王子の顔が警戒から興味深そうに変わる。
しまった。
貴婦人が料理スキルを持っている訳がなかったか。
「料理ができるのですか?」
「ええ。
私は一族でも傍流ですから、ミティアと同じく庶民生活は長かったのですよ」
アリオス王子。
露骨に胸の銀時計の鎖と大勲位世界樹章と五枚葉従軍章をガン見しないでください。
庶民なんです。
成りあがったけど。
「そこなら問題はないだろう。
王室には私から声をかけておこう」
「ありがとうございます」
アリオス王子はそれ以上の追求はせずに私の提案を承認してくれた。
私の思い出の場所。
私が幸せだった場所を私が作るなんて少しおかしくて笑みがこぼれてしまう。
あの時のものを思い出して、できる限りそろえておこう。
もしかして、流浪の果てに来るかもしれない私の為に。
「で、城の名前は決めているのかい?」
アリオス王子の質問に私は笑顔でその幸せだった場所の名前を告げる。
後で、故郷と言う意味の異国の言葉だと知ったその場所の名前を。
「ええ。パトリと」
教室を出るとアルフレッドが律儀に待っていた。
私の肩にとまっているぽちの頭をつつきながら、アルフレッドが口を開く。
「王子様と何を話していたので?」
「知りたい?」
「結構です」
とてもきれいな笑みで振ってみたら即効で拒否された。
やばい勘でも働いたのだろう。
「少し仕事を頼まれちゃってね。
ここに顔を出す日数が減るって事。
もちろん、貴方は連れて行くつもりだから覚悟するように」
「……休めると思ったんだがなぁ」
アルフレッドの冗談に私も笑う。
気づいてみたら夕焼けがきれいな時間になっていた。
世界が黄昏時に染まるこの時間は本当に美しい。
なんとなく、アルフレッドを連れてこのまま日本に消えてもいいなと思った。
全部放り投げて、日本でイチャコラ生活を送るのだ。
面倒事も、この国の末期すら一介のJKには関係ないと……
そこまで考えて、頭を横に振った。
「逢魔が時ね」
「何です?それは?」
立ち止まった私の呟きに、アルフレッドが尋ね返す。
こんなにも美しい時間だから、魔が忍び寄るのだ。
そしてこの世界には、魔族をはじめとした本物の魔がある。
その魔すら人の欲は食い殺すあたり人という生き物は本当に業が深い。
全てを捨てて愛に生きるには私は年をとり過ぎた。
全てを失った私は、また得た恋に恋するのに怯えていた。
だから、このぬるま湯みたいな現状に満足して、決断を先送りした。
この美しい逢魔が時がずっと続くかのように、思い込もうとしていた。
「なんでもないわ。
行きましょう」
それが儚い夢と分かっているけど、神様。もう少しだけ彼と共に居させてください。
ただ彼を見ているだけでいいですから。
そんな祈りを言う事もなく、私達はこの場所から立ち去った。




