-3 ある男の呪い
「ダミアン殿下の強硬姿勢はどうにかならないのか?」
「若いからというのもあるのだろう。
だが、ここまで法院を、我らを蔑ろにしてもらうと困る」
「彼の後ろ盾の南部諸侯も不作続きで苦労しているではないか」
世事がうるさい。
宮廷雀のざわめきを聞き流して書物を書いていたら、持っていた羽ペンを誰かの手によって奪われる。
「こら。
仕事熱心なのはいいけど、少し根を詰め過ぎじゃないの?」
あの人と同じ笑顔で彼女は微笑む。
だが、あの人は美しい黒髪だったのに、彼女はしなやかな銀髪だった。
彼女の手から俺の羽ペンを奪い返す。
「この忙しいのに、誰がが書類の決済をしないからだと思いますが。
世界樹の花嫁女官長殿」
「だって、私の仕事まで誰かが片付けてしまうんですもの。
世界樹の花嫁侍従長殿」
顔を見合わせて二人して笑う。
状況は最悪に向かっていたが、この時俺達は幸せだった。
それは覚えている。
時間遡行をしてこちらで権力の階段を歩み始めた時、出会ったのが彼女だった。
古の大賢者モーフィアスの名を名乗った俺にとって良きライバルであり、良き友であり、良き恋人でもあった。
最初は彼女で良いかとも思った。
だが、彼女が俺の偽りの名前を呼ぶ度に突きつけられるのだ。
誓いを果たせ。
約束を果たせと。
「世界樹の加護が働いていない。
それが全ての元凶だ」
「世界樹の管理は女神神殿から引き継いだ際にかなりの文献や伝承が無くなっているわ。
女神神殿の方も調べる必要があるかも」
彼女の言葉がすべての始まりだった。
そして、俺はその運命の始まりを知る。
「わかった。
俺が女神神殿に行って調べてこよう」
あの時、女神神殿に行ったのが彼女だったならば、結果は違っていただろう。
だが、俺は知ってしまった。
世界樹の秘密を。
「ねぇ。
並行世界って知ってる?」
それは未来になった過去の睦言の記憶。
あの人は黒髪をときながらそんな事を俺に言う。
「合わせ鏡で映る少し違う世界でしたっけ?
たしか、我が師がそれでこちらに来られたとか」
師と弟子の他愛のない話だ。
それを思い出した時、それを運命と呼ばずして何を呼べばいいのだろう?
「無数にある並行世界の中から、ある条件にあった者を呼ぶのは難しいわ。
だから、平行、つまり横ではなく縦の世界から探すのよ」
並行世界ではない垂直世界。
それでも範囲が広がるから我が師は上位世界と下位世界と呼んでいた覚えがある。
「たとえばさ、私達のいるこの世界が何かの物語だったとしたら……?」
躊躇わなかったと言えば嘘になる。
けど、俺は知ってしまった。
そしてそれができる手段があった。
だからこそ、俺は彼女を裏切った。
「ごきげんはいかがかな?
ゼラニウム?」
世界樹の最深部にある世界樹の蕾と呼ばれる部屋。
俺が名前を呼んだゼラニウムと名乗る女は無表情な目で俺を見つめる。
「……」
一糸まとわぬ姿で笑みを作るゼラニウム。
我が師によくにた彼女からの笑顔を見ると少し懐かしく感じる。
その笑顔が誰に向けられているかもはや分かることもなく。
そんな彼女の顔に先ほどできた杖を差し出す。
「貴方が産んだ世界樹の種を組み込んだ杖です。
いい品でしょう?
貴方に敬意を払って『ゼラニウムの杖』とでも名づけましょうか」
ゼラニウムの顔に何も動きが無い。
俺に裏切られた結果、彼女は花姫に堕ちた。
だが、ヘインワーズ候に囲われて一人娘のエレナを産んだの知った時、俺は落胆した。
エレナの髪が金髪だっからだ。
「どうして?
何でモーフィアスはこんな事をするの?」
それは、彼女のまだ人らしい心の残滓から来た質問。
先代ベルタ公の宮廷クーデター時、俺は彼女を裏切ってベルタ公側についた。
俺への憎悪は失脚し花姫に堕とされた時に調教によって植えつけられた快楽によって上書きされる。
その後花姫として囲われた平穏と、周囲からの嫉妬と猜疑心からそれを奪われた彼女に差し出した俺の手で愛情が蘇り、彼女は自ら望んで世界樹の花嫁となった。
誰にも知られる事無く世界樹の生贄にされたその果てに、世界樹の花嫁と成り果てた彼女に残っていたものは無垢なる平等だった。
「約束があるのです。
果たさねばならなかった約束が。
そのためには、この国は崩壊してもらわないといけない」
「……」
我が師が歴史に姿を表わすのはこの国が崩壊した後のタリルカンド。
そこで華姫として売られる事で我が師の足取りが追えるようになる。
その為には花姫を華姫に改ざんし、この国を崩壊に導かないといけない。
これは、その為の第一歩だった。
「どうして?
何でモーフィアスはこんな事をするの?」
ただ意味も理解せずに繰り返すゼラニウムの質問が痛い。
このまま聞き続けていれば、きっと躊躇ってしまう。
だから、さっさと事を済ませてしまおう。
「我が師は、私にこの呪文を教えてくれる前、理論だけは語ってくれたことがあるのです。
たしか、この世界を演劇として見た場合、その役が大事であって役を演じる役者そのものと流れる時間はあまり関係がないと」
「……?」
きっと何を言っているのか理解できないだろう。
部屋いっぱいに浮き上がる魔法陣にゼラニウムが捕らえられる。
己が捕らわれているのに笑顔を俺に向けるその姿を見ながら、忘れさせる予定の知識を告げる。
「『アカシック・レコードの改竄』。
我が師が時空跳躍魔法を生み出した基礎理論です。
そして、私は我が師を作り出す」
我が師を創生神話の女神になぞらえて、この世界が物語である世界に彼女を送り出す。
我が師が世界の女神なのだから、何処に帰ったのか分からない我が師を探すより、確実に我が師を見つけ出す事ができる。
この世界そのものを、我が師を女神とする世界に改ざんする。
それが、長く魔術を研究し、我が師へ届く唯一の道。
「貴方という存在を、この世界から消してどこかへ飛ばしてしまいます。
その時、生活ができるよう最低限の感情はアカシック・レコードからつけておきましょう」
我が師をこの世界に呼び寄せるにはアカシック・レコードに我が師の事を記録させる必要がある。
そして、その記録の理由にふさわしい言い訳が、こちらの世界に馴染みがある者の召喚だ。
全てを忘れさせるゼラニウムのお腹には、私の命が宿っている。
それが我が師となるだろうと確信していた。
言うなれば、我が師を生み出すためのアカシック・レコードへの生贄。
「『アストラル・ゲート』開門!
彼女を別の世界へ!!」
世界樹の膨大な魔力が満ち、ゼラニウムの体が崩れ魔力と同一化する。
それでも彼女は、俺への問いかけを止めない。
たとえ全てを忘れるのだろうと、彼女の最後の願いを聞く義務が俺にはある。
「ねぇ?
あなたは ?」
彼女の意志が何かを言ったような気がしたが、それが何か聞き取れない。
だからこそ、その言葉は俺の呪いを解くには至らなかった。
それから、幾ばくかの時間が経った。
既に人の身を捨てて不死の魔物に身体を変えていた俺にはあまり関係のない事だが。
順調にこの国は崩壊に向かい、追い詰められたヘインワーズ侯に近づく。
「エレナ様のご婚約お祝い申し上げる」
「ありがとう。
モーフィアス殿」
「おや?
あまり嬉しそうではないですな。
ベルタ公の風下にいる事が気に入らないので?」
わざとらしく、ヘインワーズ候の敵愾心を煽ってゆく。
追い詰められているヘインワーズ侯は俺の手に飛びついた。
「世界樹の花嫁に出す手駒がない。
ベルタ公は何を狂ったか庶民を推している。
どうせ、隠し子が何かだろうが、絶好のチャンスなのだ!
だが、エレナはベルタ公の次男との婚約が決められている……」
「こちらも似た経緯の娘を養女として用意すればよろしいではありませんか」
「おらんのだ。
ちょうど都合の良い娘が。
まったくの赤の他人だと、ベルタ公側から買収されかねない」
困っているのは知っている。
そういう風に国政を誘導したからだ。
我が師が名乗ったヘインワーズ家は、滅びないといけないのだから。
「ならば、そのような娘を魔法で作って見せましょうか?」
「できるのか!」
こちらの差し出した悪魔の手に飛びつく。
大賢者の名前と共にこの国への影響力は深いところにまで根を張っている。
あとは、理由が必要だった。
「古代魔術文明の秘術に、縁者の召喚という魔法がありましてな」
ヘインワーズ候には分からないだろうが、無数にある可能性から途切れた縁者を引っ張りだすのが本来の魔法である。
この魔法を使って我が師をこの世界に呼び寄せる為には、どうしてもこの国を崩壊させねばならなかった。
ヘインワーズ家の窮地を利用して、この実験を行うことができるはずだった。
そして、その実験は成功した。
俺の予想を裏切る形で。
「おお!
予言の巫女の召喚に成功したぞ!!」
「お断りします」
その一言の後に時空跳躍魔法を唱えて消えた彼女を見間違える筈が無い。
あの人に会うために、過去に戻って歴史を狂わせた。
この人に果たす約束があるからこそ、この国を崩壊させる必要があった。
その歓喜は心のなかに秘め、俺はどうして我が師が出てきたのか考えざるを得ない。
その答えも我が師は語っていた。
「アカシック・レコードの改竄においてロジックエラーが出る場合、無数にある可能性--曖昧さと言ってもいいわ--を用意する事と観測者を指定する事で回避できるわ。
箱の中の猫が生きているか死んでいるか箱を開けないと分からない。
その箱の開け手が誰かを考えてロジックを組み立ててゆくの。
これは、正当性を訴えないといけない歴史なんかによく使われる歴史の改竄と同じ」
我が師を主役とした物語。
その物語が元の話に近ければ近いほど、演者の個性より役が大事になってくる。
その役に近い者がアカシック・レコードに選ばれる。
そして、本人がその役を演じるならば、必然的に選ばれる。
再召喚の後、記憶より若かりし姿で知らぬ服に身を包んだ彼女は彼女と共に消えた守護竜を肩に載せ、我々の前にその名前を告げる。
「エリー。
エリー・ヘインワーズ。
それがこちらでの私の名前です」
我が師よ。
貴方が忘れさせた名前がやっと聞ける。
貴方の乾いた未来をやっと変えられる。
だからこそ気づくのが遅れる。
俺の致命的失敗、因果の精算の見落としを。
「昨日、今日、明日は繋がっている。
正確には、そう劇の脚本が作られているのを演じているのに過ぎない。
時間と空間というのは、観測者によって主観的に並びが決められているよ。
だから、観測者が誰かはアカシック・レコード改竄の為にはすごく大事なの」
「私は世界樹の花嫁になった暁には、『花嫁請願』を持って世界樹の放棄と世界樹の花嫁の廃止を請願します!」
ああ。
そういう事か。
これは我が師の物語のはず。
物語は主役が居て、その主役を引き立てる悪役がいる。
我が師を引き立てる悪役は誰か?
俺しか居ない。
つまり、アカシック・レコードを改竄した時既に、この物語の終幕は決められていた。
我が師が幸せになる物語。
そこには過去となった未来は不要のものになる。
「貴方の思い出の場所でお待ちします」
「!?」
だからこそ、悪役らしく退場しよう。
それが、貴方との約束なのだから。
堂々と敗北者を演じて、この茶番に幕を下ろそう。
うまく演じられるだろうか?
きっと大丈夫だろう。
我が師の思い出の場所。
王都大手門見張り台の上で待つ。
我が師は復興した王都をここからよく眺めていた。
見ていたのは過去。
今、俺の目には未来が見える。
だからこそ、万感の意味を隠して貴方の名前を呼ぼう。
「お待ちしていました。
エリー・ヘインワーズ子爵」
そして、夜も更けて星達を観客にして、静かにその物語は終幕を迎える。




