-2 ある男の願い
俺という人間が個として固まったのはいつだっただろうか?
国が崩壊し、戦乱の世になって故郷が滅び、生きるために盗賊団の一員として仕事をしていた時ではないのは分かる。
魔力が高かった事もあって、見よう見まねの魔術師としてそこそこの地位を得たが、それで満足するには若すぎた。
粋がって盗賊団の一員として、殺す・奪う・犯すを繰り返していたある時、転機が訪れた。
「王都防衛戦で王国軍が勝ったって?」
「ああ。
傭兵将軍アルフレッドが討ち取られ、王都の大部分が灰となったらしいが、南部魔族の連中が壊滅的な打撃を受けたらしい」
根城にしている廃墟砦での酒盛りの話。
酒を飲み、喧嘩で騒ぎ、女を抱くいつもの宴で出た金儲けの話に皆が眼の色を変える。
「魔族軍は十万以上の兵を集めて王都攻略を狙っていたはずだったな?」
「ああ。
そのほとんどが王都で屍を晒している。
ゴミ漁りを狩るにはいい塩梅だろう」
ゴミ漁りと呼ばれ、戦場の死体から遺品を剥ぎ取る仕事は昔から結構あった。
そのゴミ漁り連中を襲うことで、彼らの上前をはねてしまおうというのが狙いである。
翌日、俺を含めた盗賊団は王都に出撃する。
道中の商隊を襲って情報を集めるのも忘れない。
「なるほど。
王都内で屍を晒しているのは、ゴブリンやオーク達か」
彼らの装備も売れば金になるのだが、魔術師としての俺の興味は一気に下がった。
統合王国が崩壊して、魔術師になる為の教育も崩壊した結果、有力諸侯のお抱え魔術師の門弟になるしか道は無かったのである。
そんな金もコネもないからこそ、俺はこんな所に燻っている。
「魔法攻撃をする魔族連中は王都郊外で支援攻撃をしていたのだろう。
俺はそっちに行きたいがいいか?」
欲しかったのは、魔族連中が使っているマジックアイテムである。
今のこの国では大金を出しても買えないマジックアイテムは極上の財宝なだけに、ゴミ漁り連中だけでなく冒険者や王国軍も血眼になって探しているという。
だが、マジックアイテムゆえに知識がないと当然見つけることができない訳で、知識のない盗賊連中と一緒にいても俺の足を引っ張る事が分かっていた。
「城壁内のお宝の分前はやらんぞ」
「いらんよ。
それぐらいは魔法で稼げるさ」
それだけの才能はあると自惚れていた。
足りないのは師であり、教科書であり、目標だった。
独学ではどうしても壁にぶつかるが、その悩みを一緒にいる盗賊団は理解できない。
だからこそ、俺は皆と別れて一人その苦悩を堪能しながらマジックアイテムを探したかったのである。
「じゃあ、王都の娼館で落ち合おうぜ」
「派手に遊びすぎて、儲けをすってしまうなよ」
「こんな世の中だ。
得た金は使ってしまわないと、他人に取られちまう」
「取る俺達が言う言葉ではないだろうに」
それが、彼らとの最後の別れとなった。
このゴミ漁りは王国軍にとっても貴重な財源であり、後の王妃兼近衛騎士団長であるマリエル・タリルカンド率いる騎兵隊が盗賊団掃討に血道をあげていたからだった。
ゴミ漁りも、それを狙った盗賊たちも、王国軍騎馬隊の下に踏まれて魔族達と同じく屍となったのである。
それを王都郊外の宿屋で聞いた時、何の感慨もわかなかった。
その程度の付き合いだったというより、その後の出会いが強すぎたのだろう。
「え?
『白濁姫』?」
そんな話題が酒場で盛り上がるのが耳に入ってくる。
この王都での怪談の一つらしい。
スラムに一糸まとわぬ美女が出向いてその身を汚されるって艶話で、実際に抱いた奴もいるらしい。
捕まえて娼館にでも売り払うかと考え、そのスラムに出向く。
そんな事を考えていたら、その白濁姫に出会う。
既に誰かに使われていたのだろう。
名の通り穢されたまま幽鬼のように歩く姿は欲情より恐怖を感じさせる。
「お願いします。
探してください。
あの人の形見を……」
噂の通り呟きながらスラムを歩く。
灯りのない闇の中にその白い肌はひどく目立つ。
上物、かなり値の張る女なのは分かる。
そこで疑問がわく。
この上物の女をどうして誰も浚わない?
背中に殺気が突き刺さる。
慌てて後を見ると、闇の中に光る目が二つ。
人間のものではない。
人はこのような殺気を出さない。
獲物を狩るような殺気。
手を出すつもりはないと両手をあげる。
いつの間にかその両目が闇の中に消え、気を抜いて座り込んだ。
あれは何だ?
魔獣?
もっと恐ろしいものだ。
ただ、あの白濁姫が今までああして徘徊している理由は分かった。
あれが守っているのか、白濁姫を囮にしているのか知らないが、あれの存在のおかげだろう。
帰る場所もなく行く宛もない俺だが王都には仕事が結構あった。
都市の復興やゴミ漁りだけでなく、交通の要衝にあった王都オークラムはその安全が確保された瞬間に都市としての再生がはじまったのだ。
復興の木槌は止まず、人は集まり続け、王都騎士団の募集に応募したのは才能のみ求めるという採用基準と、その上司になる王都太守が理由だったからだ。
かつて反乱を起こして滅ぼされた一族の末裔で、近年随一の魔術師として名が知れ、華姫という高級娼婦からの成り上がり。
ここで才を見せれば、俺もきっと先にいけるだろう。
そんな安易な考えは、入団式の時に姿を見せた彼女の姿を見て吹き飛んだ。
彼女の肩に乗る一匹の竜が俺をじっと見ていた。
その視線に、そこから発せられた殺気に俺は覚えがあった。
魔術師には姿を変える魔法がある。
姿を変えていても守護獣まで姿を変えさせる魔術師は少ない。
知らずに一歩前に出て、彼女の視線だけでなく周囲の視線まで集めてしまう。
自信満々に才気に溢れ、豪華絢爛かつ妖艶なドレス姿の彼女と、何も纏わずに幽鬼のようにスラムを徘徊する彼女の姿が重なる。
俺の運命を変えた魔法は自然と口から出ていた。
「あんたを倒して、俺が一番になる」
その声が、えらく響いたのは覚えている。
一歩前に出て、俺は彼女が求めているものを口に出す。
それが俺の運命を変える。
「約束します。
あんたを倒して、俺が一番になる。
そして、貴方が探しているものをきっと見つけてみせると」
彼女の目が変わる。
猜疑心から好奇心と藁にも縋りたい希望が入り混じった色に。
諦めている現実を受け入れきれない彼女の妄執に俺は全てを賭ける。
「だからお願いします。
俺を弟子にしてくれ。
あんたを倒して、俺が一番になる。
その暁には、貴方の探しているものをきっと貴方に捧げましょう」
俺の言葉を聞いてあの人が返事をするまで、少しの時間が必要だった。
そして、彼女が可笑しそうに笑った時、俺は賭けに勝ったことを悟った。
「まずはその言葉遣いを直さないとね。
こんなご時世だから容赦なく戦場に連れて行くわよ。
いい?」
こうして、俺は我が師に出会った。
それは、俺の根幹を成す願いと呪いのはじまり。
「我が師よ正気ですか!
殺されに行くようなものです!!」
あれはいつだったか。
国が復興して少し経ってからだったと思う。
あの時の事を後悔して、俺は今でも夢に見る。
「まだ殺しはしないでしょうね。
マリエルはそれぐらいの理性は残っているし、エリオスも私の排除を是としないわ」
「ですが、これで何度目ですか!
既に諸侯は国を復興をした国王陛下に感謝をしつつも、中央集権を目指した王権の介入に嫌気をして反乱未遂を企むのは!
しかも、決まってその反乱の首謀者に我が師が絡んでいると証言する始末!
このままでは、陛下も王妃もかばいきれません!!」
多大な武功を背景に再興された法院で王権の強化は慎重にかつ確実に進められていた。
それに反発する諸侯との軋轢は頻発し、水面下で数度反乱未遂が発生。
それを鎮圧する過程で遡上に上がったのは、宰相かつ主席宮廷魔術師という地位に居た我が師の存在だった。
元々復興された王室法院を主導したのは我が師であり、妥協と裏取引を駆使して不満を解消させるのがその狙いだった。
だが、数度の反乱未遂の鎮圧の結果、法院衛視隊の規模が拡大し近衛騎士団と対立するようになると、今度は国王と宰相の仲を裂こうとする目的で反乱未遂が起こるようになる。
俺は意を決して異国の言葉を口に出す。
師匠しか知らないこの言葉は、密談をする時に便利だったからだ。
「このままではいずれ我が師は諸侯と共に粛清されます。
ですから、先に……」
その先は我が師の扇が俺を口を塞ぐことで止めさせる。
我が師の目は冷めている、いや諦めているような目で俺を見ている。
「えらく話が進んでいるのがあると思ったら、あんたが黒幕だったのね」
「法院衛視隊、王都方位騎士団、王都に繋がる全ての街道騎士団は我が師に忠誠を誓っています」
「それ、向こうも気づいているから、もっと緻密に丁寧に素早くやりなさい。
王宮に行ってくるわ」
「我が師!!」
我が師は俺の声にただ微笑むのみ。
そうだ。
あの時の我が師は、俺が暴発した反乱未遂の責任を取りに言ったのだ。
結局、我が師が国王の側室として後宮に入る事でこれらの陰謀は全て消えることになる。
そして、我が師は一人寝の時に俺を寝室に呼ぶようになった。
過去になったからこそ分かる。
あれは我が師が性欲を我慢できなかった訳ではない。
俺が暴発するのを抑えていたのだ。
俺は才能ばかり大きくなって、大人の凄さと狡さを理解できない餓鬼だったと思い知らされた。
我が師は母であり、姉であり、恋人であり、全てだった。
けど、どんなものも親離れをしないといけない時が来る。
永遠という言葉にあこがれても、永遠というものが存在しないように。
「最後の授業よ。
今から使うのは空間転移呪文の最終系、時空跳躍よ。
空間までは時間軸を狂わさないから比較的……と言ってもこれも禁呪だからあまりおおっぴらには言えないけどね。
本来ならば霊脈を使った大規模儀式を使うんだけど、それは因果律の狂いを強引に魔力で修正しているからなのよ。
だから、因果律の狂いを最小で行う場合、私の魔力では少し足りないけど、ぽちと一緒ならば問題ないって訳」
「我が師!
あなたこの世界からあなたの存在を消すおつもりか!」
我が師が守護竜を抱きかかえ、足元に魔方陣が広がる。
タロットカードからまばゆい光があふれる。
光が部屋いっぱいに広がる前に、我が師は俺に最後の言葉をなげかけた。
「ありがとう。
あなたの支えがなかったら私はこうしてここにいなかった。
こんなおばさんの事は忘れて、若い娘捕まえなさい」
何もできない。
嫌だ。
嫌だ!!
嫌だ!!!
忘れるなんて嫌だ!
まだ何も返していない。
まだ約束を果たしていない。
魔力が満ち、我が師の体が崩れ魔力と同一化する。
そして、この世界最後の言葉が俺の耳に届く。
「『アストラル・ゲート』開門! 『リターン・ホーム』! 我が故郷へ!!」
白い光が私の視野一杯に広がる。
光が消え、目を開けるとそこには何もなかった。
「ああ。
卑怯ですよ……!」
我が師の名前が出てこない。
けど、記憶は、思い出は残っている。
我が師の魔法は、成功したのだろう。
そして、その魔法に俺は不完全にしかかからなかった。
約束通り、俺は我が師を超えたのだ。
「はは……」
笑おうとして続きが出ない。
泣いているのに気づいたのはずっと後のことだった。
そして、閃く。
我が師は最後に何を言った?
「最後の授業よ。
今から使うのは空間転移呪文の最終系、時空跳躍よ。
空間までは時間軸を狂わさないから比較的……と言ってもこれも禁呪だからあまりおおっぴらには言えないけどね。
本来ならば霊脈を使った大規模儀式を使うんだけど、それは因果律の狂いを強引に魔力で修正しているからなのよ。
だから、因果律の狂いを最小で行う場合、私の魔力では少し足りないけど、ぽちと一緒ならば問題ないって訳」
「ははっ……」
笑おうとしているのに声が出ない。
体が震える。
答えはこんな所にあったのだ。
時空跳躍。
我が師にできて俺にできない訳がない。
だが、問題が無いわけでもない。
師匠が何処に帰ったのか分からないからだ。
だから、空間を弄るのではなく、時間を弄る。
我が師が記録に出て来るのはオークラム統合王国崩壊直後。
タリルカンドの華姫だったという我が師の言葉。
「いいでしょう。
私を恩知らずにした責任は、過去で償ってもらいましょう。
きっと見つけますよ。
何年、何十年、何百年かけてでも!!!」




