92 王室法院定例会 第一議題 中盤
私がサイモンと共にアリオス王子の部屋にはいると、そこの空気は最悪に近かった。
さっきまで荒れていたのだろう。
アリオス王子とセドリック王子の間にグラモール卿がさりげなく入って手出しをしないようにしているし、報告のために来たフリエ女男爵もその気になれば動けるように間合いを取っていた。
「遅れました。
状況は?」
「悪い。
叔母上が審議を止めた理由が分かった」
私の挨拶に、アリオス王子が自虐気味に笑いながら私に手紙を見せる。
差出人はエリオス。
そこに書かれていたのは最悪の報告だった。
「東部諸侯がセドリック王子の太守就任に反対するですって!?
襲撃事件が相次ぐメリアスは危険だという理由で……」
政治的中立を旨とする東部諸侯が反対に回る。
王室血族の太守就任は全会一致が望ましい。
それに異を唱えるという事は東部諸侯の不信任に等しい。
何でこのタイミングでこの人事を止めたか、私は手紙を持ったまま考える。
こういう場合、理由なんかはどうでもいい。
そもそも、メリアス太守の更迭からアリオス王子が太守代行という形でメリアスを預かっている。
アリオス王子は今回状況によっては立太子を目指す以上、メリアス太守代行を辞して後任を決める必要があった。
という事は……
「アリオス殿下の立太子阻止でしょうね」
私の予想にアリオス王子も頷く。
反対に回ったタリルカンド辺境伯が表立って動けないから、表に出られないエリオスがこっちにこれをバラしたのだろう。
多分、エリオスの一件をバラすと脅されたのだろう。
エリオスは、タリルカンド辺境伯の唯一の弱点だ。
で、それをこちらに伝えてきた。
彼らとてこの状況で敵対したい訳ではないと分かって少しだけほっとする。
「こちらの失態だ。
メリアスで手を広げて、諸侯にまで手が回らなかった。
すまない」
私に頭を下げるアリオス王子の姿に一同声も出せない。
これができるから、この人は凄いのだ。
これができたから、この人はミティアと結ばれた時に国を捨てたのだ。
アリオス王子は、最終責任者としてすべての罪をかぶれる覚悟がある。
これを王の器と呼ばずして何と呼べばいいのか。
「で、子爵の連れている騎士を紹介してもらいたいのだが」
護衛騎士として散々知っているだろうに。
とはいえ、この陰謀の仲間に入れるという意味での自己紹介は必要だ。
私が頷いて、サイモン自身に自己紹介をさせる。
「法院衛視隊に属し王国の盾にして剣、サイモン・カーシー騎士と申します。
カルロス殿下について色々やっておりましたが、この事態に寝返りを計った次第で」
言い切りやがったよ。おい。
露骨に顔色を変える私やフリエ女男爵だが、アリオス王子は顔色一つ変えずに己の配下の自己紹介を聞く。
「君が弟に何か吹き込んでいたのは知っているよ。
で、今回は我々に何を吹き込んでくれるのかな?」
「世界樹の花嫁及び、セドリック殿下襲撃事件の犯人を」
その一言にセドリック王子が立ち上がる。
「え?
大賢者モーフィアスでは無いのか?」
グロリアーナ王妃との会談に立ち会っているのに気づいてないのか、気づかないふりをしていたのか。
セドリック王子の疑問の声にもサイモンは顔色一つ変えずに、続きを口にした。
それは、この王都の闇の最奥にある邪悪なものの燐片。
「メリアスの事件は背後まで掴めませんでした。
ですが、王都華市場でのお嬢様襲撃事件に用いられた殺人人形が確保されました。
それは北部の鉱山都市ポトリの未発掘遺跡の殺人人形と同じ物でした」
その言葉にあの遺跡探索に参加していた一同の顔に緊張が走る。
遺跡での人形製造施設はぽちによって破壊されている。
だから、それ以前に人形を入手できる人間が怪しい。
その怪しい人間には、これを行う動機も手段もあった。
そして、彼にそれを頼める人間は一人しか居ない。
だからこそ、サイモンですら決定的な一言を避ける。
「……お答えすることができません。
それが、答えです」
それに気づいたのはアリオス王子とグラモール卿と私とフリエ女男爵の四人。
何を言わんとするのか気づいてその理由も理解できるがゆえに、アリオス王子は額に手を当ててうめき、フリエ女男爵と私とグラモール卿は視線を逸らすことしかできない。
「兄上!
冗談だと言ってくれ!
言ってくれよ!!」
気づきたくなかったのだろう。
だからこそ、気づくことのできない位置に居たセドリック王子にアリオスは重い口を開く。
「王室には王室を守る近衛騎士団の他に、汚れ仕事をする暗部の存在が囁かれていた。
その暗部は父上直轄で、組織および構成員は私でも把握できない」
セドリック王子が一歩下がる。
何を言っているのか分かったがゆえに。
おめでとう。セドリック王子。
これで貴方も立派な王室の一員だよ。
「あ、兄上。
何を言っているのです?
父上が……!?」
「そのとおりだ。
ついでに言っておくと、父上は諸侯と組んで私の排除を目論んでいる。
で、それに動いているのが大賢者モーフィアスだよ」
私達が言わなかったことを、アリオス王子は淡々と言う。
開幕早々の先制パンチにこっちは早くもノックアウト寸前だが、そのまま倒れる私やアリオス王子ではない。
皆の心の中で一致していたのは、このまま何もしないとろくでもない結果になるという事だった。
「とにかく、休憩中に何だかの手を打たないと、職務上この件を法院に報告せざるを得ません」
議論の口火はサイモンが切る。
怒りとおぞましさとそれを当たり前に受け入れている私達への恐怖からセドリック王子が弱気になる。
「兄上。
辞退はできないのか?
何ならば、神殿に俺がそのまま篭って俗世を捨ててもいい」
こういう事が言えるあたり、セドリック王子はまだ人間性が残っているなぁと無くなった己に対して自嘲する。
それにアリオス王子は首を横に振る。
「それで、全てが戻るなら選ばせているさ。
先に進むしかないだろう。
既に、私のせいで迷惑をかけている人がいるからな」
そして、私の方を見る。
ろくでもない予感がしたが案の定だった。
「この一件も世界樹の花嫁争いの一環に組み込んでしまうしかない。
サイモン卿。
華市場襲撃の一件にこれを組み込むことは可能か?」
サイモンは元々華市場に強いコネを持つ。
これも狙っていたとしか思えない。
「可能です。
あそこについては色々知っていますので、どうとでも罪を作り上げられます。
華市場襲撃事件は、我らが師が犯した唯一の失態です。
ここから、世界樹の花嫁襲撃事件に繋げます」
一連の事件を一つにまとめて、罪をモーフィアスに全部被せる。
そして、物的証拠だけでは弱いので、サイモンはそれを補強する人的証拠も出してくる。
「あの一件でお嬢様を襲って、首を切られた馬鹿どもが居ます。
彼らの残党に罪を背負ってもらいましょう」
サイモンの言葉を肯定する形で私がセドリック殿下に話しかける。
表向きはでっちあげの罪への謝罪だが、本心である彼への巻き込みが口にできないのがつらい。
「セドリック殿下。
どうか私をお恨みください。
私のせいでセドリック殿下の身内に被害が出てしまいました」
「それこそ筋違いだ。
けど、その心遣いに感謝させてもらう。
ありがとう」
こういう茶番こそが政治の本質。
けど、その茶番はまだセドリック殿下は見抜けない。
それが素直にうらやましい。
「では、私は根回しに動きます。
諸侯でこの一件に口をどう挟むか様子を見ましょう。
感のいい連中は気づいていますよ。
アンセンシア大公妃ですら気づいたのですから」
フリエ女男爵の一言が部屋を凍りつかせる。
父息子の確執に有力諸侯は気づいているというのならば、この後のアリオス王子立太子の一件も確実に揉める。
「私は東部諸侯の説得に行こうと思います」
「じゃあ俺は、父上の所に顔を出してくる」
フリエ女男爵が東部諸侯に出向いて説得を試み、グラモール卿は西部諸侯に出向いて動揺しないようにベルタ公に念を押すのだろう。
二人が部屋を出ようとしてそれにサイモンが続き、わざとらしく手を叩いた。
「私は南部でカルロス王子と親しくしていた方々に声をかけてきます。
お嬢様。
あの一件口にしてよろしいですかな?」
ここが約束の履行の場所だろう。
当事者もそろっているし、己を最も高値で売れる瞬間を逃さないあたりやっぱりしたたかで有能だ。
我に返って、約束の履行のために私が淡々とした口調でそれを口にした。
「セドリック殿下がメリアス統治にカルロス殿下を使いたいそうです。
よろしいですね?」
サイモンが南部諸侯をまとめるにはロベリア夫人の支持が絶対に必要だ。
そして、彼女の支持を得るためには、カルロス王子の助命が必要になる。
さすがにアリオス王子が不機嫌顔になるが、それをセドリック王子が制した。
「子爵には俺から頼んだ事だ。
この一件でその気持ちは更に強くなった。
カルロスにこんな思いは味わって欲しくない。
サイモン卿。
カルロスを見捨てない程度に俺にも力を貸してくれ」
セドリック王子にそこまで言われてしまってはアリオス王子も強く言えない。
ただ、ため息をついてこの件を了承する。
ならば、私も動くべきだろう。
「では、私は法院貴族を中心に根回しを。
封建諸侯は殿下にお任せしてよろしいですか?」
私やアリオス王子の敵は、こんなにも強大で姿が見えない。
それに怯むことなくアリオス殿下はただ無言で首を縦に振ることで、私の行動を了承したのだった。
法院での根回しは、要人にどれだけ効率よく接触できるかにかかっている。
休憩時間も残り少ない今、小さくなったとはいえ影響力が残っている法院貴族達のたまり場に私は顔を出して挨拶をする。
「遅れまして申し訳ございません。
先ほど、エルスフィア太守として承認を受けた、エリー・ヘインワーズ子爵と申します。
どうぞよしなに」
頭を下げた私の耳に聞こえる拍手。
とりあえずは、滑り出しは好調。
「子爵。
お聞きになりましたか?
セドリック殿下のメリアス太守就任ですが、どうも重大な懸念が出ている様子で」
白々しい。
私がアリオス王子の部屋に入った事は知っているでしょうに。
けど、それを知らないというたてまえがないとここから先の話はできない。
「はい。
アリオス殿下に会って話を聞いた所、どうも東部諸侯が疑念を抱いているとか。
東部諸侯の懸念の理由は、メリアスで発生した世界樹の花嫁襲撃事件をはじめとした一連の事件で、危険な所にセドリック殿下を置くのはいかがなものかと」
さすがにざわめく貴族たちだが、これは情報の第一波に過ぎない。
ここからがでっちあげだ。
情報は、誰かが嘘と言わない限り、真実と想定される。
「もちろん、メリアスの事件は捜査が続いています。
その捜査に重大な進捗があった事をフリエ女男爵はおっしゃっていました」
フリエ女男爵の名前にまた貴族たちがざわめく。
アリオス王子の華姫かつ近衛騎士団上がりのスパイマスターからの情報を嘘と見抜ける人間はそうはいない。
しかも、被害者がその嘘を肯定している場合は特に。
「これらの襲撃事件には私も被害者として関わっていまして、私への報復が狙いなのではというフリエ女男爵の指摘に私は被害に合われたセドリック殿下に謝罪。
セドリック殿下はこの謝罪を受け入れてくださいました。
殿下の寛大なお心に感謝するしかありません」
さあ、話を妙な方向にすっ飛ばしたぞ。
だからこそ、皆の意識が戻る前に一気に勝負を決める。
合いの手を出してくれたのは、ヘインワーズ家門の貴族だった。
「という事は、セドリック殿下に落ち度はないのですね?」
「ええ。
私も被害者なのですが、問題はないという事だそうで。
承認早々に皆様にご心配をかけましたこと、ここにお詫び申し上げます」
深々と頭を下げる。
謝罪はタダだが、その価値が下がらない限りは威力は絶大。
こうして、私の属する法院貴族派閥において、セドリック殿下のメリアス太守承認は既定路線となった。




