91 王室法院定例会 第一議題 前半
王都オークラムの空には澄み切った青色が広がっている。
雲一つない快晴の朝、私は戦闘服に身を包む。
湯浴みをし、化粧をして、派手な勝負下着とドレスを身にまとう。
これで男でも落としに行くのならばいいのだが、今日はそんな所に行く予定はない。
「お綺麗ですわ。お嬢様」
「本当。
こうして見ると元こっちの人間ってのが嘘みたい」
メイドのセリアと、臨時メイドとして振る舞ってもらっているアマラが鏡の中の私に声をかける。
せめて本人にかけて欲しい所だが、本性はばれているので私も口をつぐんで何も言わず。
で、このドレスに今度は飾りをつけてゆく。
大勲位世界樹章のネックレスを首にかけ、五枚葉従軍章を左胸に飾り、ドレスのポケットには分かるように上級文官の証である銀時計の鎖を見せびらかす。
ただのお嬢様から、ヘインワーズ子爵へとジョブチェンジである。
「絵梨。
準備出来た?」
魔術学園のローブ姿で部屋に入ってきたのは姉弟子様。
逃げようとしたぽちはあえなく捕獲されて可愛がりされている。合掌。
「いま終わった所です。
どうです?」
「うん。
向こうの集まりにも連れてっても文句は出ないわよ」
なお、姉弟子様の向こうの集まりとは、私がこれから行く所とさして変わらない皆様の集まりともいう。
姉弟子様は私に近づいてほっぺたをつねる。
「あ、あねでししゃま……」
「笑いなさい。絵梨。
女が幸せになるコツはまず笑う事よ。
やるべきことはやった。
打つべき手も打った。
ならば、笑って運命を受け入れなさいな」
後で聞いたが、そのセリフは師匠が姉弟子様に言ったそうだ。
師匠は、ゼラニウム・シボラは、王位継承争いの敗北と花姫に身をおとして私の世界に逃れてきた現実を、笑って受け入れたのだろう。
いや。
笑うしかなかったのだろう。
それを私は、己の過去と照らしあわせて、なんとなく理解していた。
「お嬢様。
おはようございます」
「おはよう。
アルフレッド」
なお、朝まで一緒だったりするのだが、こういう公私を分けてくれるのがなんだか嬉しい。
そんなアルフレッドが私を見て、少しだけ意を決してこんな事を言ってくれた。
「今日は一段とお美しいですよ。
お嬢様」
「や。
やーねぇ。
私が美しいなんて当たり前ですけどぉ!
そんな事言っても何も出たりしないんだからね!!」
やばい。
顔がにやけているのが自然とわかる。
セリアとアマラは露骨に目をそらしやがるし、姉弟子様はすっげーいい笑顔だし。
けど、にやけながらも自分に力が集まってくるのが分かる。
自分が幸せなんだって自覚できることの嬉しさを噛みしめる。
パンと軽く自分の頬を叩いて気を引き締める。
「さぁ。
今日はきっとこの王都で二番目に長い日になるわよ」
私の掛け声にアマラが突っ込む。
皆の疑問を代弁した形で。
「エリー。
じゃあ、今日以上に長い日って何時なのよ?」
私はウインクして、この必殺のジョークを口にした。
なお、受けなかった事を先に記しておこう。
「決まっているじゃない。
最悪って、下に更新するものなのよ♪」
今日は王室法院定例会。
オークラム統合王国を揺るがす神殿喜捨課税問題と世界樹の花嫁およびセドリック王子襲撃事件の審議が行われる日である。
王室法院議事堂には議員として座っている貴族達のざわめき声が止まない。
ひそひそ話だが、その話題が私達である事は間違いがない。
何しろ、王子二人が花嫁候補生と共に議事堂に並ぶというのはそれだけの話題の価値があるからだ。
「どうやってセドリック殿下を引っ張りだしたんだ?」
「あの方は王位に興味がなく、騎士として過ごされていたはすだ。
メリアス太守就任で野心に火が着かねばよいが」
「セドリック殿下の下につく人材は知っているか?
カルロス殿下にもう一人の花嫁候補生だそうだ」
「カルロス殿下の火遊びを消したら、セドリック殿下が出てきた。
アリオス殿下は何を考えているのやら……」
「そのアリオス殿下は立太子の申請をするかもしれぬ。
今日の法院は荒れるぞ……」
貴族たちのざわめき声が途絶えたのは法院議長であるベルタ公が木槌を叩いたからに他ならない。
もう一人の議長だった義父であるヘインワーズ候は引退して既に執政官の椅子が一つ空いている。
もう一つの執政官の椅子については、こういう時の慣例として王妃グロリアーナ様が摂政という形でつき、その代行という形で誰が選ばれるかに焦点が集まっている。
アリオス殿下が権力を掌握する為のプロセスは、立太子の申請が通った後で摂政の座につくのが一番手っ取り早い。
まずは掌握できる権力を掌握すべきという私の説得に従ってくれたアリオス王子には本当に感謝するしか無い。
なお、近衛騎士団には総動員がかけられて、王都中枢を厳重に警備している。
このままクーデターでも起こりそうな気配である。その時は止めるが。
ベルタ公が木槌を叩く。
それがこの王国の運命を決める一日の始まりとなった。
「開会に先立って、ヘインワーズ候の引退に伴う執政官を選びたいと思う。
慣例に従って、王室の指名で、王室の血縁者が摂政として執政官に就きます。
どうぞ。
お入り下さい」
摂政入室の場合、王室に敬意を払うという意味で議場全員が立ち上がる。
そして扉が開かれて、私を含めた全員の顔色が驚愕に歪む。
王妃様。
本気でやりやがった。
グロリアーナ王妃を従えて、緑色のドレスの胸元に執政官章を揺らして入ってくるアンセンシア大公妃。
議場のざわめきが収まる訳がない。
「アンセンシア大公妃……!
なんで王都に出てきたんだ!?」
「北部諸侯の全ての母が出張ってきただと!?
北部諸侯がクーデターを起こしたのか!?」
「近衛騎士団総動員の警備はこれか!
西部諸侯とアリオス王子もこれを承認したというのか!?」
「静粛に!静粛に!!」
ベルタ公が木槌を叩くがざわめきは収まらない。
空いた執政官席の前まで来て、アンセンシア大公妃はただ一言だけつぶやいた。
「うるさい」
しーん。
大きな声でないのに、その凛とした声で議場が制圧される。
これがアンセンシア大公妃の力。
オークラム統合王国における血脈に影響を与え続け、王都に出たら即座に暗殺者が送られると言われ続けた彼女の本性。
取り繕うように、グロリアーナ王妃が慌てて言葉を紡いだ。
「オークラム統合王国王室は、今回の王室法院定例会に摂政を送るにあたって摂政にアンセンシア大公妃を送る事を宣言します。
異議のある方は、今ここで申し上げて下さい。
異議があった場合、それを議題として取り上げましょう。
さぁ!
異議はありませんか!?」
顔をこわばらせてキツ目の口調でグロリアーナ王妃が周囲を見渡す。
これで異議を出せる輩がいる訳がない。
ヘインワーズ候が失脚した南部諸侯はまとまってはいるが矢面に立つ度胸は無く、東部諸侯はタリルカンド辺境伯が押し黙ったままアンセンシア大公妃を睨みつける。
そして、一番文句が出るだろうと思っていた西部諸侯のベルタ公は隣の席で何も言わずに木槌を叩いた。
「異議なしと認めます。
王室法院は摂政アンセンシア大公妃を承認いたします。
どうそお座り下さい。
アンセンシア大公妃殿下」
「あら。
ありがとう」
ベルタ公に勧められてアンセンシア大公妃が席に座る。
アンセンシア大公妃が席に座った事を見て、グロリアーナ王妃が一礼して議場から去ってゆく。
歴史が動く。
私の知らない歴史に変わってゆく。
それを私はいやでも実感する。
アンセンシア大公妃が凛とした声で開会の宣言を告げる。
「それでは、王室法院定例会を開催します。
第一の議題は王家直轄都市メリアスとエルスフィアの太守人事について。
メリアス太守代行のアリオス殿下、花嫁候補生でエルスフィア太守代行のエリー・ヘインワーズ子爵、メリアス太守候補者のセドリック殿下に来てもらっています。
ここでの議事は紋章院にて記録され、公開されることを先に申し上げておきます」
現在アリオス王子はメリアス太守代行である。
未成年だけどこんな事が許されるのは王室直轄都市だからこそで、最終責任が王室(と補佐する文官達)が取るからこその荒業である。
これがオークラム統合王国全体を差配する摂政ともなると、そんな荒業は使えない訳で後任人事を決めてアリオス王子を身軽にする必要があった。
私とアリオス王子とセドリック王子が立ち上がって挨拶をする。
この時点ですでに法院内に根回しは済ませているのであとはしゃんしゃんと片付けるのみ。
けど、そううまくいかないのもまた政治である。
「では、エリー・ヘインワース子爵のエルスフィア太守就任に異議のある者は挙手を。
異議なしと認め、子爵の太守就任は承認されました」
私が再度立ち上がって、一同に優雅に礼を返す。
まあ、世界樹の花嫁候補生でアリオス王子と繋がっている状況で、私に手を出す勇気のある輩は少ないだろう。
あえて拒否して私というかアリオス王子の機嫌を損ねたくはないという訳だ。
「では、一時休憩とし、その後セドリック殿下のメリアス太守就任の審議を行いたいと思います」
アンセンシア大公妃が休憩の宣言をする。
ん?
ここでの休憩?
元々は一括議題のはずだが?
セドリック王子の方を見ると何も知らないらしく首を横に振るばかり。
アリオス王子の方もこの休憩は聞いていないらしく、一度奥に引っ込んでグラモール卿を呼びに走る始末。
さてと、ここで抜けてもいいのだがと気を抜いたときに、ぽちが何かを咥えてこっちにやってきた。
「手紙?」
私の守護獣であるぽちに害意なく近づいて、この手紙を託す輩はそう多くはない。
封を切って手紙を読むと、そこには厄介な人物からの招待が書かれていた。
「お待ちしておりました。
エリー子爵。
エルスフィア太守就任おめでとうございます」
「ありがとう。
手短に用件をお願いするわ。
サイモン卿」
護衛騎士控え室の一室。
周囲には誰も居ない。
人払いをしたと見るべきで、警戒されているはずなのにそれができる才能とコネを持っていると嫌でもわかってしまう。
「わかりました。
取引をしませんか?」
来ると思っていた。
ゲーム板がここまで荒れると、裏方で駒を操るサイモンの分が悪いのだ。
先の議場のように彼に発言権がない事が盛大に彼の足を引っ張っている。
「何を出してくれるの?」
「南部諸侯」
こいつ、カルロス王子の目が無いと踏んで、寝返りにかかったな。
で、その取り成しを私に頼むつもりだ。
潰したいが、敵のまま動かれると厄介だ。
そんな葛藤を押さえ込んで、私はサイモンに口を開いた。
「足りないわね」
「では、世界樹の花嫁襲撃事件とセドリック王子襲撃事件の犯人について」
思わず息を飲む。
犯人が大賢者モーフィアスである事は分かっている。
それはサイモンとて気づいているだろう。
ここで切り札として出してきたという事は、それを裏付ける証拠の方だろう。
こいつ足元見やがって。
「一つだけ確認させて。
襲撃したのは貴方じゃないわよね?」
私の質問にサイモンは鼻で笑って見せた。
そのから見える自負と己の才能への信頼はイケメンゆえに許される。
「私なら、もっとうまくやります。
殺すなんて下策でしょう?」
その彼なりの冗談に不覚にも笑ってしまった。
憎たらしい敵だし、今でもはらわたが煮えたぎっているが、有能である事は認めよう。
そして、有能ならば使い潰せ。
それが政治のお約束である。
「もう一つ出しなさい」
「何をです?」
サイモンを壁に押し付けて壁ドン仕返す。
それに相応しい台詞を私は吐く。
「貴方よ」
「このまま口付けして愛でも囁きましょうか?
お嬢様?」
美男子と美女の壁ドンなのにちっとも色っぽく無い。
ドレスで着飾ろうが、今の私とサイモンは色恋よりも中毒性がある快楽。権力を弄んでいるのだから。
「シボラ伯と南部諸侯はさし上げましょう。
私でなくアリオス殿下に忠誠を誓いなさい」
南部諸侯の正統であるシボラ伯をサイモンに押し付け、エレナお姉さまが狙っているキルディス卿とあえて分ける。
力を持ちすぎての粛清なんぞ、私もエレナお姉さまも味わいたくはない。
サイモンが怪訝な顔をする。
やっと気づいたか。
「いらないのですか?
地位も、富も、名声も、栄華も?」
「そんなもの味わい尽くしたわよ。
それでも手に入らない物って知ってる?」
私は楽しそうに笑う。
朝のアルフレッドの顔を思い浮かべながら。
「愛よ」
たまらずサイモンが笑い出す。
私の答えが理解できないのだろう。
けど、それでいい。
彼を苦しめるのは私ではない。
「で、愚かな私の取引。
受けてくれるのかしら?」
真っ直ぐにサイモンを見つめた私の問いかけに、サイモンが答える。
その瞳に理解不能の怯えがあるのを私は見逃さなかった。
「子爵様の仰せのままに」




