89 セドリック王子襲撃未遂事件
その日、私はこっちの世界に居た事を感謝する。
『夜の楽園』でアルフレッドといちゃついていたら、シドが飛び込んでくる。
慌ててシーツで体を隠すが、シドはこっちの事情なんてお構いなしに土下座をして頼んだ。
「アマラが襲われた。
頼む。
助けてくれ」
と。
経験からこういう時の処置は一刻を争う。
裸のまま世界樹の杖を持ってシドに尋ねる。
「アマラは何処?」
「ここの休憩室に運んでいる。
毒を受けて、虫の息なんだ……」
慌てて休憩室に駆ける。
「お、お嬢様!
服を……」
アルフレッドの声が部屋から聞こえるが、今はアマラの方が大事だ。
客用の廊下を駆けたので娼婦や客が私の肢体を見ただろうが気にする事なく、休憩室に入るとそこには先客が居た。
「……っ!」
「話は後で。セドリック殿下」
上に立つ者としての仮面が剥がれ落ちかかっていたセドリック王子に一声かけて、私はアマラに駆け寄る。
手当てをしていたおばばが私に状況を告げる。
「傷は浅いけど、毒を食らったみたいでね。
まだ息はあるけど、朝まで持たないね。
あんたが居てくれて助かったよ」
「それだけ分かれば大丈夫よ。
大丈夫死なせはしないわ」
女神に感謝する。
この魔法を世界に授けてくれた事に。
既に見られているだろうから、遠慮なく私はその魔法を唱えた。
「エリクサーヒール!!!」
仮死状態からでも生き返る究極の治癒魔法。
女神神殿でも使える者は大神官クラスでないと使えないこの魔法は、アルフレッドだけでなくアマラの命を救った。
苦しんでいたアマラが目を開けて私を見つめる。
「ごめんなさいね。
楽しんでいる途中だった?」
生き返った第一声がこれである。
本当にアマラと友達になれてよかった。
「気にしないで。
続きはするからあなたは休んでなさい」
「そうするわ。
シドに『ごめん』って伝えてくれない?」
「自分で伝えなさいよ。
それぐらい。
死ななかったんだから」
二人して笑う。
そのあと、アマラは目を閉じた。
「そうよね。
少し休むわ」
「ええ。
おやすみなさい」
寝息を立てだしたアマラを確認して私は振り向く。
とりあえずとてもいい笑顔であたりを威圧しながら、厄介事を持ち込んだ二人に命令したのである。
「説明してくれるわよね?」
「するから」
「まず服を着てくれないかな?」
あ。
一度湯につかってから服を着て二人の前に現れたのに一時間ほどかかった。
さすがに色々疲れているのでその回復も最低限だがしておきたかったのだ。
その間、『夜の楽園』の警護レベルは一気に引き上げられている。
私やぽち相手に喧嘩をうる馬鹿は居ないと思ったが、アマラが傷つけられた以上こっちもできうる限りの警戒をという事で、サイモンを呼び出したのだ。
憎たらしいほど有能なサイモンは、私の着替えの間に二人からあらましを聞いてまとめてくれていた。
「まずい事になりました。
狙いはセドリック殿下の可能性が高いです」
サイモンの第一声に私の眉がゆがむ。
次期メリアス太守に内定しているセドリック殿下への襲撃なんて中央に知れたら、先の私達の襲撃事件を含めてとんでもない爆弾が王都の権力闘争で炸裂する事になる。
かといって、これを内々に片付けるのはもっとまずい。
セドリック王子への警護レベルが上げられないからだ。
「アリオス殿下への報告は?」
「失礼ですが独断で既に。
秘密裏ですが、近衛騎士団と法院衛視隊とメリアス騎士団に非常召集が出ていると思われます」
犯人逮捕はアリオス王子の手柄にする事にして、私は事件の状況を尋ねる事にした。
それでシドとセドリック王子に尋ねた。
「で、具体的にどういう形でアマラは毒を受けた訳?」
説明によるとこうだ。
アマラの贔屓客だったセドリック王子がアマラを連れ出して、歓楽街を歩いていたら突然ナイフがセドリック王子に向けて飛んできた。
なんとか交わそうとしたが、交わしきれなかったナイフをアマラが代わりに受けて昏睡。
アマラはメリアスにいる時は警戒用の魔法笛を持っていて、シドに連絡が取れるようになっていた。
それを聞いたシドが駆けつけてアマラが毒を受けた事を知ると、そのまま私の所に。
これが私が聞いた説明である。
「こいつが武器だ。
魔法で操る形の投げナイフ。
毒は北部森林地帯で取れる猛毒で、一夜かけて苦しみぬいて殺すたちの悪いやつだ。
解毒は基本的に不可能って言われている。
お嬢には助けられっぱなしだな」
シドが鞘にお盆の上に凶器のナイフ数本を載せて私に見せる。
毒がまだついているのに、サイモンが魔法で浮かして見せる。
「このナイフは魔法でコントロールする魔法具の一種で、装飾も北部諸侯がよく好む柄が使われています。
犯人はまだ捕まっていませんが、このあたりの情報が出たら疑われるのは北部諸侯でしょうな。
で、先の世界樹の花嫁襲撃事件で暗殺者達が使っていた毒と同じだと思われます」
サイモンが冷笑を浮かべてナイフをお盆に戻す。
少し前に私達世界樹の花嫁候補生に対する襲撃事件が起こり、次は次期メリアス太守予定のセドリック王子が襲われた。
あまりに近い襲撃時期から、世界樹の花嫁襲撃事件の犯人も北部諸侯の仕業と誘導されてしまう。
そんな分かりやすい三文芝居が透けて見える。
「なめられたものね」
私が何かを言おうとして気づく。
何だか周囲が騒がしいのだが?
様子を見に行かせようとしたら先にアルフレッドが部屋に飛び込んできた。
「お嬢様大変です!
『どんな病も怪我も治すことができる』って話が広がって、この館に患者達が集まってきています!!」
なるほど。
これが本命か。
強力な治癒魔法は聖者の特権事項である。
この声が中央に届けば、必然的に私が世界樹の花嫁に選ばれてしまう。
負ける予定の出来レースをこういう形でぶっ壊してくるとは、想定していなかった。
「追い返しなさい!
デマだって、メリアスの騎士団に伝え……」
「お嬢様。
それは難しいかと」
私の命令を遮ったサイモンを睨みつけると、いけしゃーしやーと彼はこう言ったのである。
淡々と告げたその口調が、詰みだと物語っていた。
「世界樹の花嫁襲撃未遂事件で、メリアスの行政は混乱が生じています。
この手の働きをする盗賊ギルドも襲撃未遂事件の主犯として断罪され、組織の再建すら目処が立っていません」
翌日。
戸口がたてられなかった人の噂は一気にメリアスに拡散しきっていた。
「花嫁候補生のエリー様は凄い癒しの魔法が使えるらしいぞ!」
「あの方あれだろ。
この間の東方騎馬民族討伐戦で大功をあげられたって」
「それだけじゃないぞ。
北部の未発見遺跡を発見したのもエリー様だそうだ」
「これは、世界樹の花嫁はエリー様で決まりじゃないか?」
「ああ。
ヘインワーズ侯爵家の娘で、現エルスフィア太守代行様だ。
ほぼ確定だろう」
ここまで広がるとかえって清々しいものがある。
完全に後手に回り、ほぼ口封じは不可能な所にまで広がりきっていた。
事態の収拾に向けてアリオス王子と顔を合わせるが、双方とも最初にため息が出てしまい、不謹慎だが苦笑してしまった。
「見事にしてやられましたね。殿下」
「ここまでやられると、もう笑うしかないな」
世界樹の花嫁の執務室に集まったのは私にアリオス王子にセドリック王子。
シドにサイモンにアルフレッドにアマラ。
状況ゆえにヘルティニウス司祭にも来てもらっている。
なお、かやの外のミティアはグラモール卿とキルディス卿と共にお留守番中。
「この仕掛けを作ったのは、大賢者モーフィアス殿?」
「父上が心許せる数少ない駒です。
ほぼ間違いないでしょう」
私の確認にアリオス王子が即答する。
セドリック王子とサイモンがいやな顔をしたのを私は見逃さなかった。
つまり、そういう相手という事だ。
魔術の腕も凄いがこの手の政治的陰謀も凄いときたか。さすが大賢者。
なんて心の中で苦笑していたら、ヘルティニウス司祭が眼鏡をかけなおして会話に加わる。
「ここに私が呼ばれたという事は、そう受け取ってよろしいので?」
「言ったでしょう。
『すべての子供たちに、パンとスープを』。
彼の値段よ。
殿下。
お買い得ですよ」
相手が海千山千でどんな隠し札があるか分からない。
ここで、ヘルティニウス司祭をこっちに引きずり込む事にした。
彼の求めるものと、アリオス王子の求めるものは同じものであるはずだ。
だからこそ、アリオス王子は私の取引に乗った。
「安いですね」
「高いですよ。
この国の全ての子供達へです」
「それは大変だ。
でも手伝ってくれるのでしょう?」
アリオス王子の差し出した手をヘルティニウス司祭は受け取った。
そして誓いの言葉が交わされる。
「ええ。
約束を守る限り、殿下のお力になりましょう」
いい。
イケメン同士のこういうシーンは実に絵になるが、それを堪能する時間が惜しい。
ヘルティニウス司祭は、即座に案を提示する。
「全てを否定する事はできません。
ならば、噂を誘導させるのです」
一同の顔を眺めながら、ヘルティニウス司祭は話を続ける。
鬼畜眼鏡の眼鏡が光り、癒やし司祭から鬼畜軍師へと己の存在を変えたヘルティニウス司祭は楽しそうに策を披露する。
「まずは、回復魔法についてですが、エリー様。
正式に公表してください。
その正当性を私が、女神神殿が保障します」
ちょっと待て。
それで話がここまで厄介になっているのにと言おうとして、ヘルティニウス司祭がいたずらっぽく笑った。
「だからこそ、王都では疑心暗鬼になるでしょう。
聖女として、エリー様を女神神殿が掻っ攫わないかと」
「あ!?」
その手があったか!
世界樹の花嫁ではなく、女神神殿に私の身が置かれると全部の段取りがぶっ飛ぶ。
それは、我々もだが、大賢者モーフィアスも困るのだ。
「セドリック殿下は事件の件を使って、早急にメリアスを掌握してください。
サイモン卿。
あなたは、学内の生徒に聞き込みという形で生徒にこんな噂を流してください。
『近く開かれる法院定例会にて重大な決定がなされる』と」
セドリック王子とサイモンが同時に頷く。
セドリック王子がメリアスを掌握するのはこれ以上の被害を出さないため。
サイモンがあえて重大事を臭わすのは、私を女神神殿が掻っ攫うという噂の信憑性を高めるためだ。
私が世界樹の花嫁になるのが問題であって、聖女経由で女神神殿の大神官につくのは問題ではない。
噂を利用して、相手のゴールではない場所にボールを蹴り込む。
あくまで時間稼ぎでしかないが、その時間は私達が一番欲しかったものだった。
「それに俺らも噛ませてもらおう」
「私も。
ただ寝ているだけじゃ癪に障るからね」
「いいですよ。
その代わりに、ミティアさんを徹底的に隠してください。
彼女は大逆転の駒です」
シドとアマラが志願するが、アマラの体はとりあえず動けるがまだ体はだるいらしい。
ヘルティニウス司祭にも見てもらったが、純粋に回復の疲れらしく寝ていれば治るそうだ。
そんな二人の参加にヘルティニウス司祭が重大情報を暴露する。
そうだよなぁ。
事ここに至っては、ミティアの正体をばらしたほうが安全か。
「殿下。
ミティア様の件、ばらしてよろしいですね?」
私の一言でアマラとシドとアルフレッドが固まる。
正確にはその敬称にだ。
アリオス王子も私と同じ判断をしたらしい。
「事実だ。
彼女と私は従兄弟の関係に当たる。
彼女は王位継承者の一人だ」
ばらしていい情報とばらしたらまずい情報をきっちり区別しているからこそ、アリオス王子は開かせられる限りの情報を暴露する。
そして固まる三人を放置して話を進める事にした。
「この手の老獪な指し手を相手にする時の鉄則は、主導権を渡さないことです。
で、押さえられた盤上は放棄して新しい盤で勝負するに限ります」
ヘルティニウス司祭の説明に、潜在的敵であるサイモンが思わず口を出す。
彼は敵だが、ここでは利害が共有できる。
だからこそ、それに気づいて口を出したのである。
「けど、それで一番苦労するのはお嬢様と殿下という事になるのでは?」
私とアリオス王子は同時に口を開く。
さも当然という顔で。
「ええ」
「何か問題が?」
なお、この襲撃未遂事件において、ついに犯人は見つけることができなかった。




