87 神奈世羅の娘
「絵梨。
ちょっと来てくれないかしら?」
我が家で設定資料集片手に頭をひねらせていると、我が母からのお呼び出しがかかる。
ぽちは現在妹の遊び相手になっているから、ひとりで居間に出てゆくと母こと京子さんが古着の片づけをしている所だった。
「また見事な学生服もどきで」
「でしょ。
私もまだまだいけると思うけど、良かったら絵梨にあげるわよ♪」
どう見ても学生服に見える衣装の数々は京子さんの思い出と同時にかつての商売道具である。
京子さんは堂々と公言するほど遊んでいた女である。
あれでよく父とくっついたものだとつくづく感心する。
その為、私も妹もその手の知識だけは徹底的に叩き込まれた。
「それに絵梨、今、好きな人に抱かれているでしょ?
だったらこれぐらい色気づきなさいよ」
何でばれた!
こっちが顔を引きつらせたら京子さんは笑って一言。
「女の勘。
あなたよりはるかに男遊び長いんですから、見くびらないことね」
「それでよく夫婦の危機になりませんでしたね……」
呆れ顔で私が言うと、京子さんが無駄に大きな胸を揺らして威張る。
その乳と尻はちゃんと遺伝しましたがな。
いったいとどれだけの男を魅了したか私が言うまでもない。
男性経験、多分私の方が超えていると思うのだが黙っていよう。うん。
「だって、あの人は私が一番汚れている時に知り合ったんですから。
聞きたい?」
無駄に長い京子さんの男性遍歴を聞きたくないから、私も妹もその手の話を避けていた事がある。
なお、妹の香織は多感な時期にそれを聞いたから女子校生活を選択し、百合の空気にげんなりして彼氏を探そうと決意しているとか。
血は争えないというかなんというか。
話がそれた。
「私が孤児院の出って事は話したわよね。
で、高校に入ったはいいけど、父親を求めていたのでしょうね。
援助交際にのめりこんだのにはそう時間がかからなかったわ」
なお、本人曰く覚えている男性経験三桁だそうで。
四桁越えている私が言う台詞でもないが。
「ブランド物にも興味が無いし、避妊はちゃんとしていたし、純粋に男というか父親を求めていたんでしょうね。
ちなみに、それで稼いだお金はめでたくこの家の建築資金の一部になりました」
賢いというか間違っているというか。
何を言っても自分に跳ね返るからやめよう。
なお、我が家のローンはこの間こっそりと私が完済させており、銀行には黙ってその金を口座に貯めてくれと頼んでいたり。
両親に言うつもりはないがちょっとした親孝行のつもりである。
「あれはいつだったかしら?
まあ、顔も覚えていないお金持ちのおじ様と高級ホテルでディナーを取っていた時だったと思う。
そのお金持ちの知り合いだったらしく品の良い夫人が近づいてきて私にこう言ったのよ。
『あなたにもきっと運命の人が出会える』って。
その時は鼻で笑ったんだけどね」
あれ?
何か話が繋がるのですが。
「こうやってお父さんに出会うことができました。
私でも幸せになれるのよ」
「あーそーですか」
ノロケからの教訓だから適当に聞き流しているが、父親の春雄さんからの話とは実は結構違っていたり。
頭が悪いが体は鍛えていた古風な不良だった父は、母がかなり危ない橋を渡っていたのを見過ごせなかったらしい。
私も神奈の名前で当時を調べたが、ヤバイ連中に捕まりかけて人身売買組織に売られかかっていたそうだ。
京子さんを陥れようとした相手が当時の春雄さんと敵対していたから潰したが、それで京子さんは惚れたとか何時の時代の不良ドラマかと。
「ちなみに、これが当時の写真。
私がぶいぶい言わせていた頃よ」
なんというか、このコギャルがどうしてこの母になったのか未だ理解できぬ。
なお、父と出会っていなければ風俗嬢として今も働いていたと公言してはばからないこの京子さんの今は、おしとやかな婦人風だから女ってのは化ける。
そんなコギャルな京子さんの衣装に奇妙なもの発見。
なんというか、コギャルには合わないファンタジーチックで明らかに場違いな飾りが胸元に飾られているのに気づく。
「これなに?
この胸元のやつ」
「ああ。
私が捨てられた時に一緒につけられていた唯一のものよ。
今も大事にとっているから……たしかこれ……あった!」
京子さんが探して見せてくれた花飾りは、明らかに魔法加工されて保存と幸運付与がされていたエルフの花飾りだった。
まるで、こいつが京子さんを守ってくれていたように私の前でも当時と変わらない姿で私の前で咲き誇っていた。
「つまり、絵梨はまごう事無く、向こうの世界の人間だったと?
そりゃ、因縁ありまくりよね」
神奈のビルで愚痴片手に一部始終を漏らすと、姉弟子様も苦笑するしかない。
で、現状こんな因縁に心当たりがある人物が一人俎上に上がっていた訳で。
「お師匠様の記録を調べていたのだけど、覚えていた人が居たわよ。
神奈の知ってる闇医者の先代がお師匠様のカルテを残していたけど、その当時お師匠様妊娠していたそうよ」
多分決まりだろう。
私は、お師匠様にとって孫にあたる訳だ。
ならばどうして名乗りでてくれなかったのかと疑問に思ったが、それも先に姉弟子様が解決してくれていた。
「こちらに飛ばされた時、お師匠様戸籍とか無かったでしょう。
多分水商売スタートだと思うけど、子連れでそれはきついというのが一つ。
もう一つは絵梨のお母さんに戸籍を与えるためでしょうね」
捨て子ということになれば、子供のために戸籍が作成される。
体を売り占い師で生計を立てるまで己の身分保障がない状態で子供を育てるよりも、表に出したほうが危険が避けれるという判断なのだろう。
神奈瀬羅というのは、希代の占い師だった。
彼女によって助けられた人間は数多く、影響を受けた人間はその数倍にものぼるだろう。
彼女が占い師としてその法的身分を含めた地位を確立した時、今度はその地位と利権から京子さんが狙われる可能性があった。
今思ったが、京子さんが捕まりかけたというのは、そのあたり絡んでいたのかもしれないし、お師匠様の事だ、春雄さんにそれとなく知らせることもやったのかもしれない。
今では想像するしかない事になってしまっているが。
「あと、あのゲームの会社にも探りを入れてみた。
案の定、シナリオ担当の一人がお師匠様の顧客だったそうよ。
匿名を条件にお師匠様がアドバイスをしていたというけど、多分あれ全部お師匠様から聞いたのね。きっと」
繋がった。
全ての因果があの世界と絡む。
それを知ったときに最初に私がしたことは、ただ深くため息をつく事だった。
「絵梨知ってる?
何人かあんたを担いで私を追い落とそうとしているって事」
そんな話のあとで何気なくそれを姉弟子様から告げられた時、私はただ額に手を当てて苦笑するしか無かった。
また厄介事が来たと思いながら。
有力者にも顔が利き、表向きは地方の名士として装いながら、最後まで道を踏み外す事無く占い師としてその命を終えた時、彼女の一門で後継者争いが無かったといえば嘘になる。
権力者に寄生する占い師という職業は必然的に闇を見る羽目になり、その口止め料という形で有形無形の財を得るからだった。
とはいえ、神奈水樹というやはり稀代の占い師が後継を継ぐことに異を唱えなかったのは、彼女の実力が抜きん出ていたからに他ならない。
お家騒動というのは絶対者がいる場所では起きず、その対抗が発生した時に起きるのだ。
「知ってますよ。
一応『馬鹿なことはやめとけ』と釘さしておきましたけど。
姉弟子様より私の方が扱いやすいと踏んだみたいで」
異世界との往還で占い師としての実力が伸びてきたという事より、姉弟子様の代理として与えられた仕事をこなしていたら勝手に評価が上がった口だったりする。
で、その姉弟子様仕事を私に放り投げて男遊びにうつつを抜かしているのだから、まあ怒りたくなるのも分からないではない。
今の姉弟子様は怒らせると手がつけられない。
何しろ異世界で魔法を学んでいるし、神竜石をはめた世界樹の杖に賢者の首飾りを飾っている魔術師でもある。
姉弟子様もマジもの天才だから、そのうち私を超えるのではとちょっと不安になったり。
「向こうでもこっちでも、権力ってやつは……」
「それが人の姿、営みってやつじゃない?絵梨」
姉弟子様と二人で苦笑する。
寿命がこんなに長くなった今、異世界で得た魔法やマジックアイテムのブーストもあって姉弟子様の天下は30年は続くだろう。
まあ、向こうで男漁りしながら消えるなんてプランを聞いたことがあるがそれはひとまずおいておく。
で、そんな事を考えていたらふと思いつくことがあった。
「師匠は何を思ってこの神奈を作ったんでしょうね?」
こうやって往還している身からすれば帰らなかったのが不思議に思う。
だが、わたしの疑問に姉弟子様はあっさりと答えてくれた。
「帰れなかったんじゃないの?
あんたが出て来る事が見えたとか」
「ありえますね」
私ができた事を師匠ができなかったとは考えられない。
ならば、残る理由があったという事なのだろう。
望郷の念も、向こうに残した己の娘の事すら捨ててこの世界に骨を埋めることを選んだお師匠様の真意は、もう想像するしかない。
「『神奈は私で終わる』。
それもきっとお師匠様の意味がある言葉なんでしょうね。
絵梨。
多分、貴方は占い師で終わったら駄目って事だったんでしょうね。
魔術師まで駆け登れと」
何が言いたいのかなんとなくわかってしまった。
顔を引き締めた私に、姉弟子様はそれをあっさりと告げた。
「向こうで何を言われたの?
絵梨?」
言えば巻き込むことになるが、この姉弟子様相手に隠し通せるとは思えない。
だからこそ、あっさりと私はアリオス王子の提案を暴露した。
「アリオス王子からクーデターのお誘いです。
私が世界樹の花嫁、世界樹に認められた方になれば、豊穣の加護を背景に諸侯を取りまとめ、花嫁請願で国王を退位に追い込むと。
これをするには、水樹姉様やアマラだと無理だから私がという訳でして」
ある程度は想像していたのだろうが、聞かされた姉弟子様が頭を抱える。
で、出てきた言葉はさっき私が言った言葉なのだから笑うしかない。
「向こうでもこっちでも、権力ってやつは……」
「それが人の姿、営みってやつじゃないですか?姉弟子様」
そして二人して笑う。
抱える秘密を共有するとこんなにも心が軽くなる。
「アリオス王子危ないわね。
火事になったから家を爆破するようなものよ。
状況は悪くなりつつあるけど、そこまでトップランナーが博打をする状況じゃないわ」
それは私も感じていた。
非合法の政権奪取は、結局のところその非合法さ故に崩壊するのだ。
アリオス王子はぼやのうちに消せという予防のつもりなのだろうが、先が見えすぎるからやらなくてもいい手段まで使ってしまう。
「一つ手があるわ。
これは、私が絵梨と違って完全部外者だから気づいた事。
アリオス王子のクーデターよりはましだけど、十分荒唐無稽な部類のものよ。
聞きたい?」
ここまで言っておきながら聞かないという選択肢はなしだろうと思う。
私は黙ることで肯定の意を示して、姉弟子様の言葉を待った。
「世界樹の花嫁って、結局の所運命を強引にねじ曲げているでしょ。
ただ、それが豊穣性と処女性という形で巫女が分類されるだけで。
結果はともかく、因果への介入はどっちも同じな訳。
じゃあ、その因果が無くなったら?
絵梨が最初に飛ばされた世界には世界樹なんて無かったのでしょう?」
あ!?
気付かなかった。
なまじ最適解が目の前に提示されていたから、それ以外の選択肢をまったく考えていなかったのだ。
私の驚く顔を見て姉弟子様は満足そうに微笑んでそれを告げた。
「世界樹を枯らしてしまいましょう。
天に運を任せるけれども、少なくともこれで不作続きという事だけはなくなるわ」
完全なる盲点に私はしばし呆然とする。
で、その後でこの荒唐無稽な策を誰が実行するのかと考えて愕然とする。
「あのー姉弟子様。
その段取りを組むのは誰がするんでしょうね……?」
たしかに助けを求めたのは私だ。
この案が荒唐無稽だけど効果的なのも分かる。
ただ、この荒唐無稽な段取りを私が組まなければならないという一点を除いて。
姉弟子様はただにっこりと笑って一言。
「がんばれ♪」
ですよねー。




