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後編

 例えば、この体質がなければ俺の人生は今より幸せだっただろうか。答えは……分からない、だ。もしかしたら幸せだったかもしれないし、むしろ不幸せだったかもしれない。この体質が俺にもたらしたもの、それは女の子と出会う機会と女の子と仲良くなる機会、そしてまだ幼かった俺の心に残した傷だけだ。

 とはいえ、その傷も別に俺みたいな体質がなくても残る時は残るもので、俺の不運と言えばそうなる確率が少しばかり人より高かった事と体質のせいという逃げ道が最初から用意されていた事だろう。

 初めて女の子と付き合ったのは小学校五年生の時、彼女とは席が隣同士で自然と話すようになった。そして、彼女との隣同士の席は席替えを五度繰り返しても続き、その時俺はようやく自分という存在に不可思議なものを感じ始めたのだった。その子とは付き合い始めて三か月後に別れた。

 二人目は中一の時、彼女が落としたハンカチを拾ったのがきっかけだった。クラスが違ったためそれから会う機会はほとんどなかったが、委員会活動が同じになった事もあり彼女の方から声を掛けられて話すようになった。彼女との交際期間は四か月だった。

 三人目は中二の時、一つ年上の先輩が相手だった。きっかけは彼女が落とした黒板消しが頭に直撃した事だった。頭から粉を(かぶ)った俺の姿を見て必死に謝る彼女を、俺は失礼ながら可愛い人だと思ってしまった。彼女とは半年付き合った。

 四人目は中三の時、同じ部活の子が相手だった。彼女とは同じ種目という事もあり入部当初から仲が良かった。きっかけは用具倉庫に二人で閉じ込められたというあまりにベタなものだった。彼女とは二か月も持たなかった。

 四人の女の子と付き合ってみて俺が感じたものは、女性とは簡単に付き合うものではないなという事だった。そして、それから二年近く俺は誰とも付き合っていない。消極的になったと言えばそれまでだが、俺としては見極めをするようになったのだと思う。お互いが幸せになるかどうかを……。


「何が悲しくて男二人で映画見ないといけないんだよ」

「いいじゃねぇーか。お前のせいで合コンがパーになっちまったんだから、映画くらい付き合えよ」

「……まぁ、いいけどさ」

 土曜日の昼過ぎ。俺は和馬に電話で呼び出され、駅前にある映画館に来ていた。建物の前で待ち合わせをし、今は自動扉を(くぐ)りホールに入ったところだ。

 休日という事もあって映画館はそれなりの賑わいを見せている。これだけの人がいるのだから、もしかしたら知り合いもこの中には混ざっているかもしれない。

「ん? どうかしたか?」

「いや、何でもない」

 人込みの中に見知った顔を見つけた気がするが、おそらく気のせいだろう。というか、俺の中で気のせいという事にした。

「あ……」

 その人物と目が合った。一瞬見つめ合うが、すぐにお互い目を()らす。向こうも俺と同じ考えらしい。どちらも一人ではないので当然の判断とも言えた。

「早く券買っちゃおうぜ。上映時間まであまり時間ないみたいだし」

「そうだな。並ぶか」

 列に並び、二人分の券を買う。列はそんなに長くなかったため、すぐに券は買えた。上映が始まってからすでに数週間経った作品だったという事もあり、真ん中の後ろの方という割といい席を確保出来た。

 飲み物を買い、ゲートを通り中に入る。今日見る映画はテレビでやっていた連続ドラマの劇場版だ。珍しく俺もハマった作品で、見に行こうか悩んでいた作品だったのでちょうど良かった。

 六番スクリーンに入ると、自分達の座席を探してそこに座る。まだ上映時間まで時間はあるとはいえ、やはり空席が目立った。俺達の両隣も今は当たり前のように空いている。

「にしても、カップル多いな」

「そりゃ、そうだろ」

 ラブロマンス系ではないためその割合は少ないけれど、そんなに広くない室内でそれでもカップルの姿は嫌でも目に付く。

「あぁ。本当ならオレも今日は女の子と一緒に過ごせるはずだったのに」

「しつこいぞ。大体、断られたのは俺のせいじゃなくて単にお前に――お前と波長が合う子がいなかったせいじゃないか、きっと」

 寸での所で俺は言いかけた言葉を胸に収めた。なぜなら、和馬が俺の事を捨てられた子犬のような目で見ていたからだ。

「心遣いどうもありがとう。逆にその心遣いが胸に痛いぜ」

 和馬とそんな会話をしている内に空席がちらほらと埋まり始めた。そして、俺の隣の席にも誰かが腰を下ろす。

 どんな人が座ったのか気になって何気なく隣を見た。同じくこちらに視線を向けた隣の席の人と目が合う。何となく予感はしていたからか、今度は二人共声を出さなかった。

「ホント怖いぐらいの偶然ね」

 視線は前方に向けたまま、小声で雪歩ちゃんがそう呟くように言う。

「悪いね。二時間だけ我慢してくれ」

「我慢とかそういうんじゃないけど……」

「雪歩ちゃん、誰と話してるの? 知り合い?」

 俺達の会話を遮るように、雪歩ちゃんの向こう側からのんびりとした声が聞こえてきた。

「え? あ、うん」

「最上先輩?」

 言い淀む雪歩ちゃんが答えるより先に、もう一人の少女が俺の名前を呼ぶ。こちらを覗き込むその顔には見覚えがあった。微かに茶色掛かったセミロングの髪。可愛らしいが少し抜けて見える顔立ちと表情。確か――

坂下(さかした)恵さんだよね」

「はい。覚えていてもらって光栄です」

 そう言って坂下さんが微笑む。あんな事があった後だけにもっとぎくしゃくするかと思ったが、彼女の方は少なくとも表面上は二日前の事を気にしていないように見えた。

「席代ろうか?」

 雪歩ちゃんがそんな提案をする。

「いいの?」

「いいですよね? 最上先輩?」

「あぁ……」

 二人の少女が席を入れ替える。

「最上先輩は映画館にはよく来られるんですか?」

「いや、あまり。今日もこいつに誘われて来たんだ」

 俺が親指で差すと、和馬が「どうも」と軽く頭を下げた。

「じゃあ、こうして会ったのは本当に偶然ですね。私も映画館にはあまり来ないんですよ。今日も雪歩ちゃんに誘われて。同じですね」

「そうだね……」

 大きな音が鳴り響き、館内が徐々に暗くなる。そろそろ映画が始まるようだ。

「楽しみですね」

「あぁ……」

 坂下さんの言葉に頷いてみたはいいものの、こんな状況の俺が目の前のスクリーンに集中出来るかは(はなは)だ疑問だった。


 映画を観終わった俺達は、映画館近くの喫茶店でお茶をしていた。俺達とは俺と和馬……そして坂下さんと雪歩ちゃんの四人だ。

 ちなみに、喫茶店と言っても、今いる所は俺のバイトしているあの店ではない。初め、和馬が二人の少女を喫茶店に誘った時にそっちに行く流れになったのを、俺が必死になって止めたのだ。理由は色々と面倒な事になりそうだからだ。

「最上先輩の働いてる喫茶店にも一度行ってみたいなぁ。何て言うお店なんですか?」

「エデン。まぁ、チェーン店じゃないから、こんなに洒落た内装はしてないけどね」

 店長に聞かれたら怒られそうな発言だが、逆にそういう事を売りにしている感もあるので仕方ないだろう。むしろ、そうでないとあのような店がチェーン店と競うのは難しいのだと思う。

「今度案内して下さいよ」

「機会があったらね」

 当然、こちらからその機会を作るつもりはないが。

「えー。それ、いつですか?」

 ぐいぐい迫ってくる坂下さん、それを交わす俺。さっきからこの場の会話のほとんどはその二つで構成されていた。正直、こういうのは苦手だ。

「恵、今度私が案内してあげるから。ね?」

 そんな俺を見兼ねてか、雪歩ちゃんが助け舟を出してくれた。

「うーん。仕方ない。それで手を打つか」

 心の中で安堵の溜息を吐きながら、雪歩ちゃんに視線で感謝の意を伝える。彼女はそれに気づき、気にしないでという風に俺に苦笑を返した。

「モテモテだな、孝昭」

 顔を近づけ、小声で和馬が俺の耳元で囁く。その表情は嬉々としている。

「うっさい。この状況、誰のせいだと思ってる」

「そりゃ、お前から漏れ出る男としての魅力のせいだろ?」

 何か反論したかったが特に言うべき言葉が思い浮かばなかったので、無言で和馬を睨むに(とど)めておく。

「雪歩ちゃんはよく行くの? エデン」

「え? まぁ、そこそこ?」

 そんな俺達を余所に、少女達は二人で会話を続ける。

「ふーん。やっぱり最上先輩が目当て?」

「なっ。私は別に……」

「元々エデンは雪歩ちゃんのお姉さんの行き着けだったんだよ。それでだよな?」

 今度は俺の番とばかりに、助け舟を出すべく二人の会話に口を挟む俺。

「うん。そう。そうなの」

 俺の言葉に激しく同意する雪歩ちゃん。というか、そこまで大きく反応しちゃうと逆に怪しいんじゃないか?

「へー……」

 案の定、坂下さんに何やら勘繰られてしまっている様子。雪歩ちゃんはこういうからかいに慣れていないんだな、きっと。俺なんてそれこそ日常茶飯事だから、自慢じゃないがもう慣れっこだ。

「二人の少女に取り合われる少年。青春だねぇ――ぐは!」

 隣で何やら呟いたようだったので、とりあえず視線も向けず和馬の腹に一撃入れておいた。これがからかいに対する対応として正解かどうかは別にして、和馬のからかいを止める事には成功する。

「どうしたんですか!? 急に」

「お腹でも痛いんですか?」

 腹を押さえて机に倒れ込む和馬に、雪歩ちゃんと坂下さんがそれぞれの反応を示す。

「大丈夫。突然、奇行に走る奴だからこいつ」

「それって大丈夫なんですか……?」

 雪歩ちゃんは和馬に対して若干引き気味だった。正しい反応だと思う。俺が彼女の立場なら、突然こんな行動されたら確実に引く。逆にこんな状況でも落ち着いている坂下さんは、只者ではないのかもしれない。

「お前なぁ……。突っ込みはもう少し優しくしないとダメだろ」

 あ。復活した。そして、何事もなかったかのように姿勢を正す和馬。何だかんだ言って、こいつも慣れっこなのだ。

「お前が下らない事言うからだろ?」

「……まぁ、いいや」

 いいんだ。やった張本人である俺が言うのも何だが、腹を殴られてそれだけで済ますのはどうなんだろうか。

「それよりこれからどうする? もし良かったらこの後四人でカラオケでも行かない?」

 和馬。お前、そんなに女の子とカラオケに行きたかったのか。ここまで来ると、呆れを通り越して同情すら覚える。

「カラオケはちょっと……」

「右に同じです」

 雪歩ちゃんの断りの言葉、そしてそれに同意を示す坂下さん。

「そう? じゃあ……仕方ないね」

 必死に気にしてない風を装う和馬だったが、その動揺は見るからに明らかだった。哀れ、和馬。お前のその努力が報われる日はいつか来るぞ。……多分。


「何か喋ってよ」

 沈黙に耐えきれなくなったのか、隣を歩く雪歩ちゃんが俺にそんな催促をする。

「何かって?」

「何かは、何かよ」

 そんな……。話題。話題、ね……。

 あの後、喫茶店を出た所で四人での集まりは解散となった。

 俺としては特にやりたい事も行きたい所もなかったので、そのまま和馬とも別れて家に帰るつもりだったのだが、坂下さんがいきなり「あ。私、これから行かなきゃいけない所があるんだった。すみませんけど、最上先輩、雪歩ちゃんの事お願いしますね」などと言い出し――今、この状況に至る。

 ちなみに、雪歩ちゃんも今回の件は聞かされていなかったらしく、最初は慌てた様子で坂下さんに詰め寄っていたが、何やら説得をされたようですぐ大人しくなった。

「映画はよく見るの?」

 気の効いた話題がとっさに浮かばず、今日の出来事に関連した話題をとりあえず振ってみる。

「映画館にわざわざ見に行く事はあんまり。家で見る事は結構あるけど。そういう孝昭君は?」

「俺はどっちもあんまり……。テレビでやってるのを見る事はあるけど」

 DVDで見る事はほとんどしない。

「孝昭君は映像よりも紙媒体だもんね」

「なんでそれを?」

 雪歩ちゃんに、自分の趣味についての話をした覚えは少なくとも俺にはない。

「お姉ちゃんから聞いたの、ずっと前に。お姉ちゃんも本好きだし、だから二人は仲がいいのかな?」

「といっても、小雪と俺じゃ読む本のジャンルが違うけどな」

「それがいいんじゃない」

「へ?」

「お姉ちゃんがそう言ったの。私が今の孝昭君と同じ事を言ったら、違うからいいんだって。自分にはない意見や感想が聞けるから」

 小雪がそんな事を……。なんか、気恥ずかしいな。

「お姉ちゃん、基本人見知りだから。特に男性に対して。だから、お姉ちゃんと仲良く出来る男の子がいるなんて最初驚きだった」

「それはさすがに大げさだろ?」

「昔からお姉ちゃんを知る人間にとっては全然大げさじゃないんだよ。だって、私の知る限り、孝昭君以外にそんな人今までいなかったもん」

 まぁ、実の妹がそう断言するんだから、実際にそうなのだろう。なんたってあの容姿だし、昔から男子は近寄りがたかったのかもしれない。

「だから、興味があったの、その男の子に」

「もしかして、俺が名乗る前から俺の事知ってた?」

「……うん。お姉ちゃん尋ねて教室に行ったりしてたから。その時にこっそりと」

 そうだったのか。全然気がつかなかった。

「お姉ちゃん、たまにウチで孝昭君の話するの。今日も授業中寝てたーとか、今日は遅刻ギリギリで教室に来たーとか」

 居眠りに遅刻。ろくでもないな、そいつ。いや、俺の話だけど。

「それが嬉しくて、けど少し悔しかった。お姉ちゃんに仲の良い男の子が出来たのもそうだけど、なんかお姉ちゃんをその人に()られたような気がして。変だよね、まるでシスコンみたいで」

「それだけ小雪の事が好きって事だろ? 俺は恥ずかしがる必要ないと思うぞ」

 少なくとも、今の話を聞いて俺はそれが恥ずかしい事だと全然思わなかった。

「ありがとう。でもね、孝昭君と知り合ってからはそういう感情は(やわ)らいでいったの。孝昭いい人そうだし、優しいし、この人にならウチのお姉ちゃん任せてもいいかなって」

「いや、そもそも、俺と小雪はそういう仲じゃないから」

「うん。分かってる。けど、お姉ちゃんはきっと、孝昭君の事を一人の男性として気にし始めてる」

「それも妹だから?」

「プラス女の勘かな?」

 そう言って、雪歩ちゃんは可愛いらしく小さく舌を出した。その時だった。彼女の体が一瞬よろける。段差か何かに躓いたようだ。

「大丈夫?」

「大丈夫、大丈夫」

 立ち止まり声を掛けた俺に、雪歩ちゃんが恥ずかしそうに手を振る。そして、歩き出そうとして――

「――っ!」

 顔を歪め、すぐに足を止めた。

「本当に大丈夫?」

「あはは……」

 再び掛けた声に返ってきたのは、乾いた笑いだった。どうやら、大丈夫ではないらしい。

「ちょっと見せて」

 言うが早いか、俺は雪歩ちゃんの前に(ひざまづ)く。

 人通りのそれなりにある往来。人の目が全く気にならないといったら嘘になるが、今はそれどころではない。

「え? え? え?」

 驚きの声が頭上から幾つも降ってきたが、特に抵抗は見られなかったのでそのまま続ける。

「あー。赤くなってんな、これ」

 足首、(くるぶし)の辺りがはっきりとではないが、確かに赤くなっていた。

「大丈夫、だよ?」

 自覚があるのか、今度は語尾が疑問系だった。

「触ってもいい?」

「うん……」

 許可を得てから、雪歩ちゃんの足首を軽く掴む。

「痛っ!」

「大丈夫?」

 顔を上げ、尋ねる。

「大丈夫、じゃないです」

 もう強がる気はないらしい。というか、顔をしかめた状態で、強がりも何もあったもんじゃないか。目尻には薄っすら涙も浮かんでいる。

「歩けそう?」

「うーん……」

 俺の問い掛けに、雪歩ちゃんが試しに一歩足を前に踏み出す。

「痛っ!」

 しかし、捻っただろう足の方に体重が掛かりきるより先に、その足は元の位置に戻った。

「無理みたい」

「そっか」

 雪歩ちゃんの答えを聞いた俺は、おもむろに背中を向けて彼女の前にしゃがみ込んだ。

「家までおぶってくよ」

「……マジ?」

「それとも、迎え呼ぶ?」

「……」

 数秒の沈黙の後、背中に確かな重みが加わる。重みといっても、決して重いわけではなく、むしろ思ったより軽いぐらいだ。後、柔らかい。

「立つぞ」

「うん……」

 自分の胸の前で結ばれた雪歩ちゃんの手に改めて力が篭った事を確認してから、ゆっくりと立ち上がる。

「わっ」

 耳元で聞こえた、慌てたような声。その声はどこか楽しげだった。


「――なんだか、ウチの妹が妙に浮かれてる気がするんだけど。気のせいかしら?」

 月曜日の朝、席に着きながら隣の席の小雪に挨拶をすると、挨拶の代わりにそんな台詞が返ってきた。

「いや、俺に言われても……」

 正直、困る。

「私の見る限り、土曜日に映画から帰ってきてからなのよね。雪歩が浮かれ始めたのは」

「……」

 なるほど。それで今の台詞に繋がるわけか。

「というか、足大丈夫そうだった? 雪歩ちゃん」

「まぁ、捻った当日は片足で移動したり痛そうにしたりしてたけど、翌日には何とか両足で歩けてたし大丈夫でしょ」

「そうか……」

 小雪の言葉を聞いて、ほっと胸を撫で下ろす。

 そこでふと気づく。

「そういえば、雪歩ちゃんから土曜日の事聞いたんだ?」

「足怪我してたから、さすがにね……」

「なんて言ってた?」

「映画館で偶然孝昭君と隣になって、その後みんなで喫茶店行って、二人で帰る途中に足捻って、孝昭君におぶってもらって帰ってきたって」

 ほぼ全てだった。まぁ、言われて困る事は何も起こってないから別にいいが。

「ありがとね、送ってくれて」

「当然の事をしたまでだよ」

「でも、多分嬉しかったと思うから。色んな意味で」

「……」

 色んな意味とはどういう事なのか聞きたい気もするが、聞いたら藪蛇になりそうなので自粛する。

「ねぇ、孝昭君」

「ん?」

「孝昭君から見て、雪歩ってどうかしら?」

「どうって……?」

 これまた答えづらい事を……。

「可愛い? 可愛くない? 好き? 嫌い?」

「ちょっと、待て。なんだ、急に」

 一体、どうしたって言うんだ? 突然、妙な事を聞いてきて。

「雪歩は私にとって大事な妹よ」

 その言葉を発する小雪の表情は真剣そのもので、そこには照れもなければふざけもなかった。

「だから、もし雪歩があなたに好意を寄せていたとして、それをしょうもない理由なんかで振ったりしたら――」

 そこで小雪は一度言葉を切り、間を開けた。

「私、あなたと二度と口利かないから」

「……肝に銘じておくよ」

 おそらく、小雪の言葉は嘘や冗談の類ではないだろう。俺の知る片桐小雪という人間は、それぐらいの事を平気で行う、そういう奴だ。

「本当よ」

「ああ。小雪と口利けなくなるのは、嫌だからな」

 言いながら、苦笑を浮かべる。

 小雪が俺の事をどう思っているかは分からないが、俺は小雪の事を友達以上の存在と思っている。だから、彼女と口が利けなくなるというのは、俺にとって非常に効果的な脅し文句だった。

「なら、いいわ。ちなみに、しょうもない理由というのは、あなたの体質に関連するものの事であって、そもそも好きじゃないとか、あなたの身体的な好みに雪歩が合わないとかいう理由なら全然振ってもらって構わないから」

「……了解」

 まったく。この姉は妹に甘いんだか厳しいんだか……。どっちもなんだろうな、きっと。


 今週が始まって三日が経った。

 若干、雪歩ちゃんの俺に対する態度が余所(よそ)余所(よそ)しい気がするのを除けば、特に何もない日々だった。

「ふわぁー……」

 店内の隅の方から、可愛らしい欠伸(あくび)が聞こえてきた。

 現在、客は一人だけで、店長も奥に引っ込んでしまい、店員も俺一人だけだ。

「眠いなら帰れば?」

 カウンターでグラスを磨きながら、雪歩ちゃんにそう声を掛ける。

「何? 私に帰って欲しいの?」

「そうじゃないけどさ」

 コーヒー一杯で長時間粘る事が悪いとは言わないが、さすがに一人で二時間は粘り過ぎだろう。それに、片桐家の事情は知らないが、もうそろそろ世間一般では夕食の時間だ。

「他のお客さんが来たら帰るよ」

「来なかったら?」

「……」

 俺の問い掛けに、雪歩ちゃんはにこっと小首を傾げて微笑んだ。

 後一時間で今日は俺も上がりだし、そうなったら家まで送っていくか。

 グラスを全部磨き終わり、時計を見る。先程からおよそ十五分の時間が経過していた。

 そう言えば、やけに静かだな。店内にいる間、もちろん常に話し続けているわけではないが、それにしても静か過ぎる。

 雪歩ちゃんの座る席を覗き込む。

「やっぱり……」

 机にうつ伏せ、目を閉じる雪歩ちゃん。よくよく耳を澄ますと、微かに寝息も聞こえてくる。

 まぁ、いいか。この時間帯に店内が混む事なんておそらくないし。

「おい、孝昭。もう上がっていいぞ」

 カウンターの背後の扉が開き、店長が出てくる。

 時刻は六時五十分。俺の勤務終了時間までまだ十分程の時間があるが、客ももういないし遠慮なく上がらせてもらおう。

「上がりまーす」

「おう」

 と、その前に――

「雪歩ちゃん、帰るよ」

 彼女の座る席まで近づき、声を掛けながら肩を揺する。

「ん。うーん……」

 程なくして、雪歩ちゃんの瞼がゆっくりと開く。焦点の定まらない瞳が、俺の顔を見つめ、その後、辺りを見渡す。

「あれ? 私……」

「家まで送っていくから、お金払っておいて」

 雪歩ちゃんをその場に残し、そのまま店内の隅にある二つの扉の内の一つを開ける。扉の向こう側はロッカー室。ちなみに、もう一つの扉はトイレに繋がっている。

 ロッカー室で手早く着替えを済まし、部屋を出る。店内に戻ると、カウンターの前で雪歩ちゃんがふらふらと立っていた。

「お金は? 払った?」

「ふわぁい」

 欠伸混じりの返事。まだ目は醒めていないらしい。

「じゃあ、店長。お先に失礼します」

「お疲れ。気をつけて帰れよ」

 店長に一礼をし、店を後にする。

「夜更かしでもしてるの?」

「うーん……。そういうわけでもないけど……」

 目を擦りながら、要領の得ない答えを返す雪歩ちゃん。

 夜更かしじゃなければ、何だと言うんだろう?

「ちょっとね……」

 まぁ、言いたくないと言うのなら、それでもいい。無理に聞きだすつもりもないし。

 (しば)し、沈黙が二人の間に流れる。

 話題がないわけではないが、どの話題を振っても何だか場違いな気がした。ならば、いっそ黙っていた方がいい。

「私なりに考えてみたんだ」

 先に沈黙を破ったのは、雪歩ちゃんの方だった。

「何を?」

「恋について」

 言葉と顔の表情こそ冗談めかしたものだったが、雪歩ちゃんが真面目な話をしようとしている事は何となく伝わってきた。

「ほら、ドラマとかでよく登場人物が〝なんであんな奴好きになったんだろう?〟って自問自答してる場面あるじゃん」

「ん? うん……」

 よく分からないが、確かにそういう場面はよくあるので頷く。

「ああいうのって、たくさん理由並べるんだけど、結局答えが出なくて、好きなものは好きなんだって結論になる事多いよね」

「そうかなー?」

 言われてみればそうかもしれないけど、その話を俺にして一体どうしろって言うんだ?

「まさに今の私がそういう状態なんだよね」

 話の毛色が変わり、身構える。多分、ここからが本題なのだろう。

「好きな理由を挙げようと思えば、そりゃ、たくさん挙げれるよ。格好いいし、優しいし、居心地いいし、便りがいあるし、年上らしいし……」

 誰の事とは言ってないのに、何だか無性に恥ずかしい。

「でも、そんな理由なんて、本当はどうでも良くて。本当に大切なのは、私の気持ち、ただそれだけなんだってこの前ようやく思えたの」

 雪歩ちゃんが立ち止まる。それに釣られ、俺も足を止める。

「私は孝昭君の事が好き。この気持ちは、恵にも、お姉ちゃんにだって負けない」

 戸惑い。それが今の俺の正直な感情だった。本当は嬉しいはずなのに、必死に、どうすれば目の前の彼女を傷付けずに断れるか頭が半ば反射的に思考を巡らせている。最低だな、俺。

「ごめん、雪歩ちゃん。俺は――」

 口からいつものように断りの言葉が漏れかけたその時、頭に一人の少女の言葉が過った。

〝私、あなたと二度と口利かないから〟

 そうだったな。しょうもない理由で断るのは無し、なんだよな。

「何? どうしたの?」

 急に黙り込み苦笑を浮かべた俺を、雪歩ちゃんが心配そうな表情で見つめてくる。

「いや、危うく親友を一人失う所だった」

「?」

 雪歩ちゃんの頭の上に疑問符が浮かぶ。訳が分からないといった感じだ。だが、それも仕方ない。この約束は俺と小雪が交わしたもの。そして、俺が彼女に誓ったものだ。

「雪歩ちゃん。俺は――」

 今度はちゃんと自分の思いを目の前の少女に告げる。嘘偽りなく、定型的でなく、後悔のない言葉で。


 朝、いつものように学校に向かう。

 ただ今日は一つ、いつもと違う事があった。それは――

「おはよう。遅かったわね」

 通学路の途中、住宅街のど真ん中に小雪が立っていた。

「おはよう」

 待っていた事には特にコメントをせず、そのまま彼女の前を通過する。案の定、小雪が俺の隣に並ぶ。

「約束守ってくれたみたいね」

「あ? あぁ……」

 一瞬何の事だか分からなかったが、すぐに昨日の雪歩ちゃんとの遣り取りについてだと思い当たる。

 どうやら、雪歩ちゃんが話したらしい。

「昨日、雪歩に宣戦布告されたわ。正々堂々、真っ正面からぶつかって、あなたを物にするそうよ」

「……」

 どう返しても自分で自分の首を締める事になりそうなので、反応はしない。

「私にはそんな気ないと言ったんだけど、お姉ちゃんは自分の気持ちに目を向けてないだけだって。あの子も生意気言うようになったわ」

 そう言って、苦笑を浮かべる小雪。その顔はどこか嬉しそうだった。

「確かに私自身、自分の気持ちを百%把握してるわけじゃないし、そんな事出来るはずもないわ。だから、はっきりとした事は言えないけど――」

 はっきりとした事は言えないと言いつつ、小雪ははっきりとした口調で自分の思いを言い切る。

「私、あなたの事が好きだわ。しかも、両親や妹よりもずっと、断トツに」

「……」

 言葉を失う。二日続けての告白。それも、姉妹から立て続けに。

「この感情がlikeなのか、それともloveなのかは正直分からないけど、あなたを好きって事だけは揺るぎない事実だわ」

 衝撃のあまり立ち止まった俺の方を振り返り、小雪も同じく足を止める。

「えーっと、こういう場合、何と言葉を返せばいいものやら……」

「別に言葉はいらないわ。私はただ自分の思いを伝えただけ。それに、まだこれは、愛の告白ではないのだから」

 からかうように、小雪が俺に微笑み掛ける。その表情はあまりにも可愛らしく、また今まで俺が見た事のない顔だった。

「小雪、俺は――」

「ちょっと、待ったー!」

 俺が口にしようとした言葉は、背後から聞こえてきた少女の大声によって掻き消された。

 振り返える。俺の瞳に、こちらに走り寄ってくる雪歩ちゃんの姿が映った。

「お姉ちゃんズルいよ。私も孝昭君、待ち伏せしようと思ってたのに」

 相当必死に走ってきたのか、膝に手を置き、息を整えながら言う雪歩ちゃん。

「あら、こういうのは早い者勝ちでしょ? それに、大体あなた、孝昭君の登校時間に全然間に合ってないじゃない」

「うっ。それは……」

 痛い所を付かれたといった感じに、雪歩ちゃんが怯む。

然程(さほど)変わらないのに、いつまでも鏡の前で髪を解かしてるからよ」

「わー。それは言っちゃダメー!」

 雪歩ちゃんが姉の口を塞ごうと飛び掛かるが、それを小雪はひらりと(かわ)す。妹の行動等、お見通しといった所だろうか。

「そんな事言って。昨日はお姉ちゃんだって、お風呂上がりに念入りに髪解かしてたじゃない」

「それとこれは話が別でしょ!」

 雪歩ちゃんの反撃に、珍しく小雪が狼狽(うろた)える。さすが姉妹。姉への攻撃も的確だ。

「ちょっと孝昭君。何、にやにやとこっち見てるのよ」

「え?」

 今度は攻撃の矛先が、傍観者を気取っていた俺の方に向かう。

「そうだよ。元はと言えば、孝昭君が原因なんだからね」

 小雪に続き、雪歩ちゃんまでもが俺の方に詰め寄ってくる。

「そんな、理不尽な」

 二人の圧力に圧され、思わず俺は後退(あとずさ)る。

「あっ」

 足を後ろに引いた拍子に、靴がアスファルトの隙間に引っ掛かる。驚いた表情を浮かべ、こちらに手を伸ばす二人の少女。俺は咄嗟に両方の手を片方ずつ取った。

「ててて」

 どうやら、俺はこけたらしい。全く以て格好悪い。しかも、知り合いの女の子二人の前で。

 立ち上がろうと、道路に片手を着く。立ち上がれない。まるで何かが体の上に乗っかっているような、そんな感じだ。

 瞑っていた目を開く。

 目の前には住宅街が広がっていたが、なぜか二人の姿が見当たらない。消えた――わけないか。だとしたら……。

 嫌な予感がし、下を見る。

 二人の少女が俺に抱き着いていた。いや、俺が引っ張り込んだのか。

「あのー……」

 恐る恐る、声を掛ける。

「孝昭君の体質って本当に厄介よね」

「もうここまで来ると、わざとやってるんじゃないかって思うよ」

 姉妹に揃って呆れ顔を浮かべられてしまう。

「本当にすみません」

 もちろんわざとではないが、俺のせいである事は間違いないので謝っておく。

 二人が立ち上がる。

「ほら」

 続けて立ち上がろうとした俺に向かって、小雪が手を差し伸べてくれる。

「悪い」

 遠慮なくその手を取り、立ち上がる。と、そのまま、小雪が俺の左腕に抱き着くように、自分の腕を絡ませてきた。

「おい」

「何よ。嫌なの?」

 そう言われると、肯定はしづらい。とはいえ、このままというわけにも……。

「むぅー」

 今度は頬を膨らませた雪歩ちゃんが、俺の空いた右手に自分の腕を絡ませてくる。

「ちょっと、二人共!?」

「今日は罰としてこれで登校する事」

「罰? ご褒美の間違いだよね? 孝昭君」

「……」

 姉妹二人に挟まれ、からかわれ、もう俺に抵抗する意思も気力も残っていなかった。

〝ロマンティック症候群〟。それは非常に厄介で面倒な俺の呪いにも似た体質であり、同時に俺の人生に大きな影響を与え続ける、切っても切り離せない俺の一部分でもある。

「あら、その顔はまた傍観者気取りかしら?」

「……」

 本当に勘弁してくれ。

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