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中編

 下駄箱を開ける。

 中には一枚の便箋が。内容は読まなくても分かる。所謂(いわゆる)一つのアレだ。

 便箋をポケットに突っ込むと、俺は靴からスリッパに履き換えてタイルの床に足を踏み入れる。

「またラブレターか?」

 俺の隣に並んだ和馬が尋ねてくる。

「あぁ。多分」

「モテるねー」

「そんな事ない」

「うわ。それ嫌味かよ」

「事実だよ」

 そう。俺にとっては紛れもない事実なのだ。

「どうせまたスルーするつもりなんだろ?」

「まぁな」

 手紙には一応目を通すが。

「もったいないよな。オレなら絶対、相手の顔確認してから判断するけどな」

「そういうお前には、そもそも判断する機会すら与えてもらえないわけだが」

「ほっとけ。冗談抜きで、お前マジで彼女作る気ないの?」

「懲りたんだよ、もう」

 俺が今まで付き合ってきた女性の数は四人。高校二年生としてはまぁ無難なところだろう。だが、問題はその期間が最長で半年という事と、別れ方がいつもおおよそ同じという事だ。

「そんな姿勢のくせに女子には普通に優しいから結果更にモテる、と」

「しょうがねーだろ。付き合いたくないからって冷たくするわけにもいかないし」

 そこまで俺は自己中じゃなし強くもない。人に冷たくするには心の強さと無神経さ、もしくはその両方が必要になってくる。残念ながら、そのどちらも俺は持ち合わせていなかった。

「結局、お前は臆病って事だ」

「臆病?」

 別に和馬の言葉を否定する意味の疑問符ではない。俺は臆病だ。そんな事は改めて人から言われなくても重々承知している。ただどうして和馬がそう思ったのかが知りたかった。

「ああ。傷つくのが怖いから女子と付き合わねぇんだ。だけどそれは、お前がじゃなくて、相手がだ」

「……なぜそう言い切れる?」

「根拠らしい根拠なんてねぇよ。オレがそう感じてるってだけで。強いて理由を挙げるなら、中一からお前を見てきた俺が最上(もがみ)孝昭はそういう奴と思ってるってところだな」

「なんだそれ」

 苦笑する。

 本当になんの根拠にもなってやしない。

「ま、だからさ、今から言う事もしっくりこなければ友人の戯言(ざれごと)だと思って聞き流してくれ」

 和馬にしてはやけに勿体(もったい)ぶった言い方だった。

「そんなに深く考えなくていいんじゃないか?」

「は?」

「高校入ってからなんかそういう事に関して固くなったというか、もっと楽に構えてもいいんじゃないか? なんて言うか、オレ達学生じゃん? もっとぱーっと行こうぜ」

「ぱーっと、ね……」

 よく分からないが、なんとなく和馬の言いたい事は伝わってきた。

「というわけで、今度の土曜日カラオケ行かね?」

「は?」

 何がどう繋がればそうなるんだ?

「男女三人ずつのカラオケパーティを企画したのはいいんだけどさ、女の子達がお前が行くなら来るって――おい、どこ行くんだよ。せめて話くらい……」

 和馬の話を真面目に聞いた俺が馬鹿だった。というか、和馬は馬鹿だ。それは間違いない。


 もっと楽に、もっとぱーっと、か。

 和馬の言う事にも非常に悔しいが一理ある。

 俺は昔から物事を深く考え過ぎる節があった。その典型的な例が夏休みの宿題だ。問題集等ある程度答えの決まっている物は別にいいのだが、工作や作文みたいな自由度が高く正解が設定されていない物になると途端苦労するになる。苦労すると言っても出来た物の評価が低いとかそういうわけではない。正確に言えば作る工程が苦手なのだ。

 どういうものを作ればいいのかでまず悩み、どう作ればいいのかで次に悩み、どうしたら良くなるのかで最後まで悩む。結果まぁそれなりの物が出来上がるわけだが、新学期になって他の作品を見たりクラスメイトの話を聞いたりしていつも思う。〝あぁ。ここまで悩む必要はなかったんだ〟と。

「――孝昭」

 名前を呼ばれ、我に返る。

 気が付くと、水は流れ放し。右手は洗剤の付いたスポンジ毎カップの中に突っ込まれたまま。

 そうか。俺は――

「すみません」

 謝り、すぐに洗い物を再開する。

 おそらく、ぼんやりしていたのは(わずか)かな間。しかし、ぼんやりとしてあまつさえ雇い主である店長に迷惑を掛けるなんて。

「お前がぼっとしてるなんて珍しいな。体調でも悪いのか?」

「いえ、少し考え事をしていて……。すみません」

「おう……」

 頭を切り替えろ。今はバイト中。考え事はバイトが終わってからだ。

 素早く洗い物を済ましてカウンターを出る。

 現在店内にいるお客さんが五人。皆常連さんで、それぞれ一人ずつテーブル席で思い思いの過ごし方をしている。その中に俺の友人もいた。彼女はエスプレッソを飲みながら文庫本を読んでいる。

「何?」

 俺の視線に気づき、小雪が文庫本から顔を上げる。

「いや、なんでも」

「そう」

 再び小雪が視線を文庫本に落とす。

 俺が初めてこの店を訪れたのはおよそ一年前、高校に入って割とすぐの事だった。その日、俺はホームルームが長引いたせいで、普段乗っていた電車に乗れなかった事もあって高校の辺りを探索していた。〝一本乗り遅れたら二本も三本も同じだ〟という半ばやけくそ気味な思いもその行動の裏にはあったかもしれない。とにかく俺は適当に周辺を歩き回った結果、洒落(しゃれ)た造りの喫茶店を発見したのだった。そして、その時すでに常連として店に来ていた当時別のクラスだった小雪とも出会った。まぁ、とはいえ、現在のように打ち解けた関係になったのは、それから大分()ってからの事だが。

 来客を告げる鈴が鳴る。

「いらしゃいませ」

「……何よ」

 内心が顔に出ていたのだろう。少女が不満げな顔で俺を睨む。

「別に……。お好きなお席にどうぞ」

 俺から視線を外さぬまま、少女が空いている奥の席に向かって歩き出す。少女が小雪の座る席を通り過ぎ――

「あれ? 雪歩(ゆきほ)じゃない」

 ようとして小雪に呼び止められる。

「お姉ちゃん!?」

 どうやら二人は知り合いらしい。って、お姉ちゃん!?

「え? 二人は姉妹なの?」

「ええ。この子は片桐雪歩。私の一つ下の妹よ」


「改めまして。こっちは妹の片桐雪歩」

「こっちって」

 少女――雪歩ちゃんが姉の言い方に小声で文句を言ったが、小雪は気にせず紹介を続ける。

「私達と同じ学校に通う一年生よ」

「どうも」

 雪歩ちゃんが軽く頭を下げてきたので、俺もそれに倣う。

「こちらは最上孝昭君。私のクラスメイトで友人」

「どうも」

 再び同じやり取り。

「ところで、雪歩がなんでここにいるのかしら? どうやら今日初めて来たわけではなさそうだけど」

「それは……」

 今、雪歩ちゃんは姉である小雪の正面の席に座っている。特にそういう指示があったわけではないが、おそらく姉妹にしか分からない合図のようなものがあったのだと思う。

「まぁ、いいわ。別にここに来るのに私の許可が必要なわけでもないし。私に隠れるようにして来てたっていう点は気に食わないけど」

「うっ……」

 小雪の言葉と視線を受け、雪歩ちゃんが体を縮こませる。

「隠れてって……。昨日小雪が店に来なかったのはたまたまだろ?」

「いえ、それは違うわ。今週は今度のコンクールに出す絵を描くために放課後は部室に篭るって、この子には伝えてあったもの。だから、たまたまと言うのなら、今日ここに来た方がたまたまなのよ。多分、昨日の貸しがなければ今日も来なかっただろうし」

「つまり、確信犯?」

「うっ……」

 俺の言葉で更に小雪ちゃんの体が小さくなった。

「……アイスコーヒーでいい?」

「はい……」

 その場の空気から逃げるようにして俺はカウンターへ向かう。

 店長に注文を伝え、それが出来るのを待つ。その間、俺は姉妹の様子をなんともなしに観察する。

 確かに言われてみれば、二人は似ている。顔つきが、という話ではあるが。性格や仕草は……あまり似ていないように思える。 むしろ、正反対のような……。しかし、見る限り仲は良さそうだ。

 アイスコーヒーを乗せたお盆を手に、姉妹の座る席に戻る。

「アイスコーヒーになります」

「ありがとう」

「では、ごゆっくり」

「あ……」

 雪歩ちゃんが何か言いたげな表情で俺の顔を見てきたが、構わず席を離れる。

 それから少しして小雪が一人立ち上がり俺の元に寄ってきた。

「約束通り今日はあなたの奢りって事で」

「あぁ」

「色々と迷惑掛けるわね。悪いけどよろしく」

「ははは……」

 どう答えていいものか分からず、とりあえず苦笑してみる。

「ありがとうございました」

 小雪が去り、席には雪歩ちゃんが一人残された。

「空いてる食器下げさせて頂きます」

「あ、はい」

 カップとお皿を持っていたお盆に乗せる。

「恰好悪いところ見られちゃったわね」

「何が?」

「私にとってお姉ちゃんは憧れで、でも本人にはそんな事言えないから、隠れてこっそりお姉ちゃんの行きつけのお店に昨日来てみたの」

「別にいいんじゃない? お姉ちゃんに憧れるのも憧れの人の行きつけのお店に行く事も全然恥ずかしい事じゃないよ。それに、こうしてお店に来てくれれば売り上げも上がるしね」

「先輩……」

「孝昭でいいよ。何か君から先輩なんて言われると調子狂うし」

 自分でもひどい言い分だと思うが、今までのやり取りから彼女とはそういう関係性が生まれてしまっている気がする。

「じゃあ……孝昭、君」

「うっ」

 恥ずかしげに上目遣いでそう俺の事を呼ぶ雪歩ちゃんに、違う意味で身震いを覚えた。

「え? ダメだった? お姉ちゃんがそう呼んでるから、つい」

「ううん。大丈夫。ちょっとくすぐったかっただけだから」

「そう? なら、いいけど」

 と、いけない。すっかり話し込んでしまった。

「では、ごゆっくり」

「それいいね。なんか恰好いい」

「どうも……」

 照れた表情を見られないように素早く振り返り、カウンターへと足を進める。

 そう言えば、ここでバイトをし始めた頃に小雪にも似たような事言われたっけ。

〝うん。ウェイターっぽい。恰好いいね〟

 同じところに食いつくのは、やはり姉妹だからだろうか。


「孝昭―。お客さん」

 呼ばれ、扉の方を見る。クラスメイトの斉藤(さいとう)がドアのすぐ横に立っており、その側には見知った女子生徒が……。

「雪歩ちゃん?」

 俺の声に隣の席に座る小雪が反応する。小雪の方を一瞥すると、彼女は申し訳ないようなそれでいて困ったような表情を俺に浮かべてきた。別にそんな顔をする必要はないのだが。

 立ち上がり、ドアの方に向かう。斉藤に一声かけ、雪歩ちゃんに向き合う。

「何?」

「ちょっといい?」

 場所を移動しようという事らしい。俺は特に反対する理由もなかったため、素直にそれに従った。

 小雪ちゃんの後に続き、廊下の隅まで移動する。

「突然ごめんね」

「ううん。で、何?」

「あの、(めぐみ)の事なんだけど……」

「恵? ちゃん?」

 はて、誰だっけ?

「昨日、下駄箱に手紙が入ってたでしょ?」

「あぁ……」

 そう言えば、手紙の最後にそんなような名前が書かれていたような……。

「別に本人から頼まれたわけじゃないんだけど、その、本人も答えを気にしてるようだったから……」

 手紙には呼び出し場所や答えが欲しいというような事は書かれていなかったが、だからと言ってやはり答えが欲しくないわけではないだろう。

「……ごめん。その子の思いには答えらえない」

「……そう。一応、理由を聞いてもいい?」

 ある程度予想していた答えだったのか、雪歩ちゃんは特に反応をしなかった。

「今は誰かと付き合う気分じゃないし、それに――」

 言うべきか少し悩んだ末その言葉を口にする。

「運命の出会いっていう彼女の言葉が引っ掛かった」

「安易って事?」

「いや、そうじゃない。……俺には困った体質があってね。友人は俺の体質の事を面白がってロマンティック症候群なんて呼んでる」

「ロマンティック症候群?」

 雪歩ちゃんが首を傾げる。

「俺との間にはそういう事が起きやすいんだ」

 信じられないだろうけどね、と最後に付け加える。

「その話が仮に本当だとして運命の出会いとはどう繋がるの?」

「俺は今まで四人の子と付き合った」

「自慢?」

 眉をひそめる雪歩ちゃん。確かに自慢は自慢だが、どちらかと言うと俺にとってこの話は不幸自慢の方だ。

「四人全員が向こうから告白してきて、四人全員が向こうから別れを告げてきた。吊り橋効果、じゃないけど、俺の体質はそういう危険性を(はら)んでるんだと思う。体質がなかったら振られなかったっていう話ではなく、そもそも付き合ってすらなかったっていう話の方だけどね」

「……分かった。恵には私から適当にフォロー入れとくから」

「悪いね」

「ううん。こっちこそ。じゃあ、また」

 言うが早いか、片手を挙げて雪歩ちゃんが俺の前から去っていく。

 頭のおかしい奴だと呆れられたかもしれない。適当に話をはぐらかしたと軽蔑されたかもしれない。しかし、嘘の理由を並べるよりは幾分かマシだろう。それがバレるバレないは別にして……。

 一人教室に歩を進める。

「雪歩、なんだった?」

 席に戻ると小雪からそう尋ねられた。

「ん? まぁ……プライベートな話を少々」

「ふーん。あの子、迷惑掛けてない?」

「大丈夫。掛けられてないよ。子供じゃないんだからそんな心配しなくても」

 まぁ、姉というものはおおよそがそういうものなのかもしれないけど。

「子供よ。いつまでも。だから困ってるの」

「お姉さんは大変だね」

「ホント大変よ。きっとお互いが年を取ってもこの心配は無くならないんだと思う」

 そう言って、小雪は机に頬杖をつき溜息を吐く。

「ご愁傷様」

「他人事だと思って」

 睨まれてしまった。

「でも、いいな。俺には兄弟も姉妹もいないから、二人のそういう感じって正直羨ましいよ」

「いない人は大体そう言うわね。隣の芝は青いって事かしら」

「どちらにとってもね」

 結局、人なんてそういうものなのだろう。自分にないものを羨ましがる。そして、それを手に入れたら更に別のものを。

「……そうね。雪歩は姉なんかいなければ良かったのにって、今まさに思ってるかも」

「そんな事……。なんでそう思うんだ?」

「内緒。特に孝昭君には」

「何だよ、それ」

「その内分かるわよ。きっと」

 だといいけど。


「雨、か……」

 目の前に広がる光景を見つめながら、誰ともなしに呟く。

 今朝見た天気予報では雨は降らないはずだった。なのに、今目の前で雨が降っている。なぜだろう? 神の悪戯(いたずら)か、はたまた悪魔の罠か……。いや、ただの自然現象だよな。どう考えても。なんでかんでも、不可思議なもののせいにするのは俺の悪い癖である。

「引き返すか」

 踵を返し、昇降口に戻る。

 教室を出る時点ではギリギリまだ降っていなかったので、何とかなると思ったのだがこうなっては諦める他ないだろう。素直に職員室に言って傘を借りてこよう。面倒だが。

「あ、孝昭君」

 昇降口に入ったところで、雪歩ちゃんから声を掛けられる。

「……」

「え? 何?」

 あまりに予想通りの展開に、思わず雪歩ちゃんの顔を見つめてしまう。いかん、いかん。雪歩ちゃんを戸惑わせてしまった。

「今帰り?」

「そのつもりだったんだけど、傘が無くて」

「あぁ。天気予報じゃ降るって言ってなかったもんね」

 俺はエスパーではない。エスパーではないが、雪歩ちゃんが次に言うであろう言葉は容易に予想出来る。

「……良かったら、入れてあげようか? 私の傘に」

「やっぱり」

「やっぱり?」

「いや、何でもない」

 さて、どうしたものか。好意に甘えてもいいのだが――

「職員室で借りるからいいよ」

 自分の体質に寄るイベントに自ら乗っかるのはどこか卑怯臭い気がするから出来ればやりたくないのだ。

「……でも、貸出用の傘もうないよ」

「え?」

「さっき友達が借りたのが最後だって先生言ってたから、多分間違いないと思う」

 どうやら最初から、俺に他の選択肢は用意されてなかったようだ。ここまで来ると、どこまでが俺の体質に寄る偶然なのか分からなくなってくる。

「そういう事ならお願いしようかな」

「うん。あ、折り畳みだから小さいけど我慢してね」

「……ああ」

 もう何でも来い、だ。

 昇降口を出た。コンクリートの大地を叩く雨粒が跳ね返り、まだ屋根の下にいるというのに俺達の靴を濡らす。

「あ、俺が持つよ」

 雪歩ちゃんが鞄から折り畳み傘を取り出すのを見て、そう声を掛けた。

「そうだね。孝昭君の方が背高いしそっちの方がいいかも」

 傘を受け取ってそれを差す。確かにこれで二人はキツいかもな。体を寄せ合える間柄ならいざ知れず。

「行こうか」

「うん」

 二人でタイミングを合わせて屋根の外に足を踏み出す。

「とりあえずバイト先に向かってもいいかな? そこなら傘借りれると思うから」

「分かった。それでいいよ」

 体同士がぶつかる事はないが、二人の距離はかなり近い。手を伸ばせば――どころか、手を揺らせば触れる距離に女の子がいるというのはさすがに緊張する。

「休みの時の話だけど」

「あぁ……。うん」

 頷いたはいいが、どの話について雪歩ちゃんが言おうとしているかは分かっていない。

「孝昭君の体質、ロマンティックシンドロームだっけ? あれ、ホントなの?」

 その話か。

「本当……だけど、証明の仕様はないから何とも言えないね」

 実際、俺の体質の事を特別と思っているのは俺を除くと和馬と小雪の二人だけだし。

「そういう事が起きやすいって言ってたけど、具体的にはどういう事が起きるの?」

「そんなにたいした事じゃないよ。例えば、曲がり角を曲がった時に女性とぶつかったり、(つまず)いた女性が俺の胸に収まったり……まぁ、そんな感じかな」

「本当にたいした事ないね。でも、それが本当なら、もしかして一昨日の駅のやつも……」

「さぁ、それは俺にも……」

 とはいえ、俺個人の意見を言わせてもらえば、雪歩ちゃんの考えは全く持ってその通りだと思う。だからこそ、敢えて例としてその事柄を挙げるのを避けたのだった。

 校門を抜けてそのまま真っ直ぐ進み、住宅街に入る。

「お姉ちゃんとも私みたいな事あったの?」

「……あったよ」

 こんな事で嘘を吐いても仕方ないので正直に答える。

「どんなの?」

「どんなのって……。プリントの束を運んでた小雪が職員室から出てきたところで俺がぶつかって、そのお詫びに運ぶのを手伝ってっていう感じかな」

「へぇー。そんな事であのお姉ちゃんが……」

「何の話?」

「内緒」

 その時だった。道の中央を一台のバイクが猛スピードでこちらに向かって走ってきた。

「うぉ!」

 思わず道の端に避ける。

「危ないなぁ。大丈夫?」

「……うん」

 俺の胸の中で頷く雪歩ちゃんの顔は赤くまた俯いていた。胸の中?

「あ! ごめん」

 慌てて雪歩ちゃんから体を離す。と言っても、二人共が傘の中から出ない程度にだが。

「ううん。大丈夫。それに、こんな事孝昭君にとっては日常茶飯事なんでしょう?」

「それとこれとは話が別というか、ドキドキしないわけではないというか……」

「ふーん。そうなんだ」

 言いながら、なぜか含み笑いを浮かべる雪歩ちゃん。

「何?」

 凄く嫌な気配がするんだけど……。

「じゃあ、こういう事したら――」

 突然、俺の腕に雪歩ちゃんの腕が絡まってきた。

「!」

「もっとドキドキする?」

「当たり前だ!」

 叫びつつ腕を振りほどいたりしない辺り、俺も男だったという事だろう。

「孝昭君の体質ってホント何なんだろうね」

 歩き始めてすぐ雪歩ちゃんが俺から離れる。ほっとする反面、その事を少し残念に思う自分もいた。

「そんなの俺が知りたいよ」

 そもそも小五まで、俺の周りで起きている事が妙な事だという自覚すらなかったのだから。俺の周りで起こっている事は普通の事で、他の人間の周りでもこれぐらいの事は起きていると思っていたのだ。

「その事は誰とでも起きるの?」

「いや、誰とでもってわけじゃ……」

「起きる人に条件があるんだ?」

「まぁ、ね……」

 自分の体質の異常性に気づいた当初はその条件が分からなかったが、何回かそういう事を経験する内に大体予想がつくようになってきた。

「どういうの?」

「……」

「言えないような事なんだ?」

「そういうわけじゃないけど……」

 あまり言いやすい事ではない。

「じゃあ、教えてよ」

「……俺が……って……てる人」

「何? 聞こえなかった?」

「だから、俺がいいなって思ってる人」

「え……?」

 雪歩ちゃんが立ち止まったため、俺も立ち止まる。そして、二人の間の時間が停止した。雨の音だけがやけにはっきり俺の耳に届く。

「いいなって言っても、その、可愛いとか綺麗とかその程度で、別にそこまで深いわけがあるわけじゃないんだ」

 焦るあまり不自然に早口になってしまったが、

「あ。そうだよね。うん。ヤダなぁ。孝昭君が変な事言うからびっくりしちゃった」

 雪歩ちゃんは俺の言葉を疑う事なく話を進めてくれた。

 あはは、と二人で笑い合う。それは明らかに何かを誤魔化すための笑いだった。


「いらっしゃいま――って、孝昭君。何? どうしたの? 今日バイト休みなのに……もしかして私の顔を見に来てくれたの?」

 店に入るなり、美鈴さんに捕まる。今日の彼女はエプロン姿。客としてではなく店員としてこの場にいるのだ。

「違いますよ。傘借りにきたんですよ」

「あぁ。天気予報じゃ言ってなかったのにね。でも、もう()んだみたいだけど?」

 そう。店に着く直前になって雨はすっかり上がり、今では雲の切れ間から青く晴れた空すら見えている。

「なので、傘はもういいです。止んだ時にはすでに近くまで来てたので、ついでにコーヒーでも飲んでこうと思って」

「ふーん。じゃあ、二名様ご案内」

 ご案内って……。ここはファミレスか。

 もちろん案内等受けず、勝手に適当な席を見つけてそこに着く。

「孝昭君はいつものでいいわよね。あなたは?」

「私はアイスコーヒーでお願いします」

「畏まりました」

 美鈴さんが去ったのを確認してから俺は口を開く。

「そう言えば、なんでアイスコーヒーなんだ?」

「なんで? って、ダメなの?」

「ダメじゃないけど、雪歩ちゃんがこの店に来た目的からすれば、小雪がいつも頼むやつを頼むのが普通かなって」

 ちなみに、小雪はいつもエスプレッソを頼んでいる。

「それは……」

 言い淀むところを見るに、何か特別な理由があるんだろうか。

「……猫舌なの、私」

「……あっそ」

 どうせそんな事だろうと思ったよ。

 出来るのが早いアイスコーヒーが先に届く。

「孝昭君の体質ってさぁ」

 ストローでアイスコーヒーを吸いながら、雪歩ちゃんが話を切り出す。

「同じ人相手に頻繁に起こるものなの?」

「起こる時は起こるよ。でも、なんで?」

「だって、孝昭君と出会ってからまるで漫画みたいな事が頻繁に起こるから」

「ごめん。俺のせいで」

「ううん。嫌とか迷惑とかじゃなくて。そういうものなのかなって思って」

 実は俺の体質には、段階というかレベルみたいなものがあるようなのだ。階段や躓き、角でぶつかるというようなものは初期段階。それこそ俺が少しでも心魅かれた女性に対してなら言い方は悪いが誰にでも起こる。しかし、例えば、席替えを何度しても隣同士になるとか、偶然街中で出会うとか、その手の事は特定の相手にしか起こらないみたいだ。そして、その事柄が一人の相手に集中し出すと最終段階。ギャルゲーで言うと固有ルートに入った状態になり、他の女性との間には一切そういう事が起きなくなる。その状態こそ、所謂フラグが立った状態だ。

 ――以上がロマンティック症候群研究家・鈴木和馬先生に寄る考察である。

 つまり、今の雪歩ちゃんの状態は和馬曰くフラグが立った状態なのだ。もちろん、本人にはそんな事を言えるわけないが。

「どうしたの? 急に黙り込んで」

「いや。それより、信じてくれるんだ?」

「信じるしかないじゃない。実際に自分の身に起きてる事なんだから」

 逆に言えば、そうでなければ到底信じられない類の話だろう。こんな与太話。少なくとも俺なら信じない。

「それで? この状態はいつまで続くの?」

「さぁ」

「またそれー?」

 雪歩ちゃんが不満げな声を挙げる。

「仕方ないだろ。俺自身よく分からないんだから」

「今までは? 今まではどうだったの?」

「色々だよ。すぐ終わった事もあったし……」

「あったし?」

「半年以上続いた事もあった」

「半年!?」

 まぁ、その時の彼女とは三か月目で付き合ったので別物と言えば別物だが。

「はー……。気の長い話ね」

「俺が言うのも何だけど、あまり気にしない方がいいと思うぞ」

「そうね。別に何か悪い事があるわけじゃないしそうするわ」

 そう言うと雪歩ちゃんは、少しオーバーリアクション気味に肩を上げ下げした。

「何? 何の話? 孝昭君が女の子を(たら)し込んでこのお店に連れてくる話?」

 席にアメリカンを持ってきた美鈴さんが、突然俺達の話に割り込んでくる。

「え? そんな事してるの? というか、今もしかして私誑し込まれてる?」

「してるか! 美鈴さん、口から出まかせ言うの止めて下さいよ」

「だって、小雪ちゃんにこの娘に私、三人も女の子この店に連れ込んで……」

「色々と突っ込み所が満載ですが、まず一つ。小雪はそもそも俺より先にこの店の常連でしたし店には勝手に来ます。そして、ここはあなたの家です」

「つまり、誑かして連れ込んだのはこの娘だけだと?」

 もう。ああ言えばこう言うな、この人は。

「おい、美鈴。あまりお客様に迷惑かけるな」

「!」

 いつの間にか自分の背後に回っていた店長に声を掛けられ、美鈴さんが振り返りながら横に少し飛び退()く。

「びっくりした。お父さん、気配消して近寄るの止めてよ」

「別に気配なんて消しとらんわ。お前が若い二人をからかうのに夢中になってただけだろう。いいから仕事戻れ。バカモノ」

「はーい。じゃあ、お二人さん。ごゆっくりー」

 店長と美鈴さんがカウンターに戻り、席に一瞬にして静寂が訪れる。まさに嵐の後の静けさと言った感じだ。

「……」

「……」

 何やら場が改まってしまい、お互いうまく話を切り出す事が出来ない。

 とりあえず今来たばかりのコーヒーを口に運ぶ。何も入れずに飲んだアメリカンは熱くそして苦かった。

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