平家水没記
平宗盛・・・平家の棟梁で清盛の跡取り息子。
平知盛・・・宗盛の弟で知勇が優れ、主に知の方面で平家を支え、数々の活躍を見せた。
平教経・・・義経の宿敵として描かれることが多く、勇猛な平家の武将。宗盛の従弟。
源頼朝・・・幕府を開いた有名な人。
梶原景時・・・早くに頼朝に味方し、地味な功績を重ねて宿老となって義経のもとへ補佐として送られる。しかしそりが合わず、のちに義経のことを頼朝に讒言し、義経を破滅へ追いやる張本人。
唐船・・・大型の船で、大将などが乗る船。壇ノ浦ではおとりとしてあえて雑兵が乗せられていた。
小早船・・・雑兵が乗る小型の快速船。少人数専用。
「殿!敵が唐船に目もくれず、小早船を襲ってきます!」
元歴2年/寿永4年3月24日 長門国壇ノ浦
この日の戦は荒れに荒れた。それもそのはず、戻る岸がない平家はまさに背水の陣であり、何としても勝つ必要があったのだ。本州、四国を追われた平家だが、振り返れば九州豊前国の渚には有象無象の白旗が翻っていたのだ。
厳冬は過ぎ、野山には若草萌える頃、快晴の暖かな日差しの下、両軍は会いまみえた。平家の軍船は数こそ五百艘と少ないものの、慣れた手つきと潮の後押しもあり前半は平軍優勢であった。しかし、味方の内応や潮の流れが変わるにつれて戦の流れも変わり、勢いが衰えた平軍は窮地に叩き落されたのであった。
「きっと阿波重能が敵に内通していたに違いないわ…のう、宗盛殿」
そうドスの効いた声を発したのは平家の猛将、平能登守教経である。それを聞くと誰もがうつむき苦虫を噛み潰したような顔をする。
「教経!兄者を愚弄する気か!」
「そうは言うがな知盛よ、お主を含め、多くのものは重能の翻意にはうすうす気づいておったではないか。それを宗盛殿が…」
「くどいぞ教経!お主には兄上の優しさが理解できぬのか!一度でも仲間になり、尽力した者には力を認めてやり、信頼をもって労いとする兄者の御心を!それに総大将をあずかるはこの私ぞ。私を罵るなら露知らず、兄者を愚弄するは筋違いであろう!」
船内は陰惨この上ない空気が満ち満ちていた。平家の双璧をなす名将の争いを嘆くものもいれば、この世にあらん限りの栄華を極めた平家の末路はこんなものかとつぶやくものさえいた。そして皆が皆、一様に肩を落としているのである。
「教経…おぬしの言うとおりだったようじゃ…すまぬのぅ…」
宗盛のようやく発した声になるかならぬかのかすれたその一言により、船内の目は一か所へと固まった。宗盛はゴクリと唾をのみ話を続けた。
「教経は軍議の時に重能を斬ろうといった。皆の思うとおり重能の翻意は実に疑わしいものであった…それなのにわしが仲間を疑いたくない余り、それを止めてしまった…これで許されるとも思わぬが、憎まれ口の一つや二つ、甘んじて受けようぞ」
しかし、船内にこれ以降口を開くものは出なかった。なぜなら、ここにいるのは猛将の教経、知将の知盛等双璧を除いても富士川以来戦い続けた歴戦名将たちである。言ってしまえば壇ノ浦に至るまでの歴戦で連戦連敗していたのはこの場にいる将兵たちなのだ。その連敗に比べれば重能の裏切りなど重箱の隅を楊枝でほじくるが如き行為であり、屋島の合戦での敗北で河野水軍や熊野水軍等の水軍衆の寝返りを許した時点で大局は決したのだ。
「ふはは…はっははは!何を仰るか!しげ…いや、棟梁殿!冗談ですぞ」
教経は一人腹をたたいて豪気な大笑いをして見せる。
「な、なにを…わしは…棟梁など…」
「皆の者!何辛気臭い顔をしておる。海上は我等の庭ぞ?坂東武者なぞ鵯峠の時と言い、馬や鹿を使う程度しか能のない、まさに馬鹿共ぞ!」
周りの将兵はどっと笑い転げた。もうここには先ほどまでの陰惨で辛気臭い空気はない。教経の調子のいい台詞を聞き、腹の底から笑う事で人生に対するすべてのものが吹っ切れたのだ。
それを見てすかさず知盛が続けた。
「左様!馬鹿な奴らに船を操るなど高度なことはよもやできまい。しかも、さらに馬鹿なことに、敵の大将義経は先陣を切って我等の方へ向かっておる!皆の者!我等を打ち負かしたは源氏に非ず!英傑義経ただ一人!奴を獲ればこの戦は勝ちぞ!皆の者、奮い立てぇ!」
双璧の呼び掛けにより全軍は最後の突撃を決意する。
「教経…知盛…許せよ、このわしがふがいない余りに、お主等には苦労を掛ける…」
「何を仰います兄者、貴方が平家の棟梁になるのはみなで決めたことではありませんか」
「そうですぞ、棟梁殿。突撃しか知らぬ坂東の猪武者どもは我等だけでどうとでもなる故、ご安心召され」
宗盛は二人の優しさと、心強い言葉に感激のあまり言葉を失った。そして、同時にこの上ない罪悪と無力感を感じざるをえなかった。そんな感情の混濁をようやく押さえてやっと出た言葉は「頼む」ただその一言だけであった。そしてその言葉を聞き終えると双璧は顔を会わせてうなずき、自分の船で前線へ向かっていったのであった。
申の刻、赤旗を掲げる軍船に人影は一つもなかった。
鎌倉はにわかに慌ただしさを帯び、軍装に身を包む武士が馬にまたがり鶴岡八幡宮へと集い始めた。しかしそれらのいでたちは鎧甲冑身につけるといった物々しい軍装ではなく、皆がそろって華やかな陣羽織に烏帽子というどちらかというと礼装に近い格好だ。
民草は英雄義経の凱旋ではと噂する。しかし、鎌倉入りしたものの中に義経の姿はなく、そこにいたのは守衛につれられた落ち武者の姿だけであった。
「真に戦を終わらせんとするためには早々にこやつを処刑すべし!」
「源氏の基盤を盤石なものにするためにも将来の禍根は早くに断つべきだ!」
礼装をした明らかに家格の高そうな武士たちは口々に落ち武者を処刑すべしという。
しかし、その中央にいた征夷大将軍頼朝だけは異を唱えた。
「お主が、平宗盛か」
「ぐ…は、わ、悪かった!頼朝殿、降参だ!出家する!今後一切俗世とはかかわらぬ!どうか命だけは、どうか命だけはたす助てくだされ!」
泥のついた小汚い絹の着物を身にまとう落ち武者は恥も外聞もなくそうせがんだ。
「…栄華を極めた平家がこうも無残な散り際を見せるとは…敵ながら悲しいことだ…」
「こんなにも無様な者が棟梁とは…散って行った平家の者どもも無念であろうな…」
「何を迷われる頼朝様。平家の血を根絶やしにせねば後世に禍根を残しましょうぞ」
周囲でその様を眺めていた武士は口々に言う。向けられたものは冷たく、軽蔑するような視線で、中には憐み同情の視線と見受けられるものもあったが、そんなものも含め皆が軽蔑する態度を見せた。
「そうだ!わしは、わしは平家の血は継いでおらんのだ!義父清盛は男児に恵まれず、それを悼んだ義母時子が京の傘売りと子を交換したのだ!それがわしであって、名もなき傘売りの子なのだ!ゆえに平家とは何も関係はない!」
何かを思い出したように必死な言い訳をするが、その様は周囲の目には、今際になって尚往生際が悪く、気狂いした醜悪な畜生の類にしか見えなかった。
それを見た頼朝はぽつりとつぶやくようにして供の者に話始めた。
「昔、わしの元服まもなき頃、一族はわずかな供を連れ、逃亡したが皆が皆平家につかまり処刑された。私もつかまったが、清盛は私の命は助けた。なぜだと思うか?」
「…わかりませぬ」
「奴は、私に絶望を味あわせたかったのだ。そして己の未熟さを…しかしそれが奴の仇となった」
そこまで聞いてその意を解した供の者は言う。
「で、では我々も前車の轍を踏まぬよう今こそ討ち取ってしまうべきではございませぬか!?」
「ふむ、梶原殿は私がこやつにも劣ると申されるか?」
「い、いえ!滅相もございませぬ!」
梶原が慌てて身振り手振りをつけて否定すると、その慌てようを見て頼朝は気を良くしたのか高笑いし、先ほどの二人だけで話す声の音量ではなく、他の列する一同にも聞こえる声で話した。
「ふはは、安心召されよ。世の大事とはそう幾度も立て続けに起こるものではない。私はこやつに足をすくわれるほど軟ではないし、油断もせぬ。皆の者、たった今!平家の総大将の処遇が決まったぞ!」
皆が体ごと頼朝へ向け「は、それでは…」と次の言葉に耳を傾ける。
「こやつは配流の義に処す」
頼朝がその一言を発すると場は騒然となった。実は鎌倉に引き出される前から源氏上層部で平家一門は斬首と決まっていたものが大いに覆されたからである。
「ぁあ、慈悲深き処遇、ありがた…」
しかし宗盛が感謝を言い終えるよりも早くもっとも酷な処遇が明かされた。
「しかし!こやつの息子は処刑とする。者ども、清宗を連れてまいれ!」
「な、なんと!!」
すると数分と経たずに息子の清宗が宗盛の前に引き出された。清宗には何が起きているかわからず周りを窺うが、最後に一目父に会えたからか、うれしそうに顔をほころばせた。
「清宗よ。愚かにも、栄華を誇った平家を瞬く間に転覆させたこの宗盛は命乞いの様が滑稽であったが故流刑とする。しかしおぬしは何をしようと斬首は免れない。最後に愚かな父に申す事はあるか」
最後の一言を言う時間をくれたことを頼朝に礼儀正しく感謝し、「では」と一言いれて始めた。
「父上、逗留した庵で父上の日記を勝手ながら見させていただきました。父上の人を愛する思いはよく知っていたつもりでございましたが、ここまでとはと改めて思い知らされ、その思いをかみしめるばかりでございます」
「な、こやつ!この期に及んで目出度いことを言いよるわ!小癪な小童が!」
「梶原殿。見苦しいことはやめよ。…さて、いかがかな?宗盛殿。最後の感動的な息子との対面は。ふはははは、執行人、前へ」
頼朝は過去の恥辱にまみれた憎しみをぶつける様に下卑た笑みを浮かべ、その様に顔をうっすらと青くしている執行人を呼びつけた。
「お、お待ちくだされ頼朝様!わしの命はどうとでもして良いが、どうか、どうか息子の命だけはお助けあれ!どうか…どうか…」
宗盛は先ほどまでとは打って変わって、我が身を捨てて、手足を縛られ、不自由な体勢のまま文字通り地を這いつくばって頼朝の足もとへ迫り、その顔を見上げた。
その様にその場の武家格の一同は大いに気を良くした笑いを見せたが頼朝と清宗は違った。頼朝は自分の息子が殺されても自分のことしか考えないと思っていたのが、ここまでして息子を守ろうとする宗盛の行動が、人の親として恥じるに値しない行動であったのが腹立たしかったからだ。一方清宗は、宗盛の行動を止めることはせず、現世で最後となるであろう父親の慈愛をありがたく受け、宗盛の発する一言一言を耳に、そして胸に刻み込んで冥土への土産にしようと思っていた。
「父上にそこまでしていただけるとは感激の極みです。どうか余生は私のことなど忘れ、心穏やかにお過ごしくだされ」
その請願が無駄だと解った宗盛が泣き崩れるのを見届けると、清宗は一つ深呼吸をしてその父に今まで見せたことがないような晴れやかな笑顔を向けた。
「執行人、斬首せよ!」
振り返る宗盛。互いが手を伸ばせば届く距離、それなのに自らが何も出来ぬことを宗盛は深く悔やんだ。どうかこれは悪夢であってくれと力強く目を瞑る。
「清宗―!」
すると数滴の雫が頬を伝った。それに応じるかのように反射的に目を開けてしまう。目を覚ませばいつもの煌びやかな京での日々…そこに清宗もいる筈…と。
しかし、しかしそこに『ソレ』はなかった。
清宗の肉体は斬首された形のまま身じろぎ一つせずに血を吹き出し続けている。動脈から噴水のように湧き出る血液は、同じ体勢で呆然としている父親の上に放物線を描き、さながら雨のように降り注ぎ、宗盛の白装束は瞬く間に鮮やかな朱に染まる。白装束を余さず朱に染めたころ、湧き出る血は勢いを衰えさせ、体も崩れるように倒れた。
膝を寄せ、少しでも亡き息子の最後の温もりを感じようとする宗盛だったが、膝にぶつかった異物にふと目を向ける。
そこにあったのは満面の笑みを浮かべた清宗の生首であった。
宗盛はそれを脂でたるんだ腹部に包むようにして、芋虫の様に丸くなって抱え込んだ。
一月後、宗盛の姿は山奥の貧しい山村にあった。そこは源氏の下級武家の荘園で頼朝に世話を命じられた武士に監視されながらも、決して豊かとはいえない生活を送っていた。
「清宗…すまぬ。愚かな父はお主の為に墓一つ用意してやれぬ甲斐性無しじゃ。お主が心配などお言って生きながらえながら、お主がいなくなった今も後を追えず現世にしがみつくわしを許しておくれ…」
宗盛の語りかける前にはいくつかの大小の石を組み合わせただけの簡易的な墓があった。そして墓前には一輪の花が添えられている。
そんな元貴族とは思えないみすぼらしく、しおらしい背中に小さな影が一つ迫った。
「おい!むねもり!」
粗暴に声をかけたのは年端もいかない子供だった。児子はグイッと手を差し出した。
「むねもり。竹とんぼを作ってくれ」
児子の手に握られていたのは、竹とんぼをつくるために切り出されたとみられる二本の細い竹であった。
清涼な空気を吸い、しみじみと息子の死を悼んでいたところに、あまりにも空気の読めない一言に宗盛は多少呆れるが、その声の主が年端もいかぬ児子と解ると怒るわけにもいかず、児子の前にしゃがみこんで不敵な笑みをして見せた。
「ふふふ、この宗盛に目をつけるとは、お主なかなか人を見る目があるな?しかし残念なことに道具がないな」
「それならうちでつくればいい」
悪気のない無邪気な顔に、それ以上断ることもできず、あとはもうされるがまま、言われるがままであった。
「まったく、栄華を極めた平家の棟梁を小間使いのように扱うとは困った児子よのう…」
児子に袖をひかれてとうとう宗盛は児子の家まで来てしまった。その様を見た児子の母親は開いた口がふさがらないようで、驚きのあまり全身が硬直している。しかし、それも当然であろう。今がいくら落ち武者とはいえ、平家に非ずんば人に非ずとまで言われた平家の元棟梁である。どんなに下級武士でもはっきり壁ができてきたこの時代、無礼を働けばいつ切り殺されてもおかしくない。この児子はそれくらいのことをしているのである。
「は、離れなさい坊や!そのお方に無礼なことをしてはなりません!」
母親はあわてて叱り飛ばす。宗盛は捕虜ではあるが帯刀を許されているので当然といえよう。
「そなたがこの児子の母親か?」
「は、はい!息子が大変失礼なことをした様で申し訳ありません!どうか、お命だけはお助けください!躾は親の責任です、どうか息子の命だけでもお助けくださいますよう…」
宗盛はあわてて命乞いをする母親を見て、何故命乞いをされているか理解できないでいたが、ようやく自分の身分を思い出し、笑いながら言った。
「なんじゃ、そんなことか。わしの器量はそこまで狭くない。そこの女、そんなことを気にするより錐を一つ持ってこい。こいつが竹とんぼを作れとうるさくせがむのだ」
すると女は「はい!ただいま!」と言って、急ぎ家へ立ち返るなり一本の錐を宗盛に手渡した。すると宗盛は見事な手際で二つの竹とんぼを作り、児子とどちらが飛ぶか競い合っていた。
「むねもり!すごいな!」
「それはそうじゃ!わしは平家一の竹とんぼ名人であったのだぞ?」
「めいじんか!いいな、それ!」
こうして二人は日暮れまで飽きることなく竹とんぼを飛ばしあっていた。
来る日も来る日も墓を参る宗盛は、当然次の日も早朝に清宗の墓に訪れた。
「ん?この花はよく持つのぅ」
昨日墓に供えた筈の黄色い花が、いつもは一日でしおれるものだったのに、この日だけは昨日の児子に袖を引かれた時同様のみずみずしさを湛えていた。
「むねもりー!竹とんぼだ!竹とんぼつくれ!」
この日も昨日同様に児子が駆け寄ってきた。すると宗盛は昨日よりも明るい笑みを返す。
「おぉ、昨日の。しかし作れ作れとそればかりでは竹とんぼの面白さをすべて手にしたとは言えんなぁ?」
宗盛は馬鹿にしたように笑い、児子に大人気もなく見下した目を向ける。児子とはいえそれは分かったのか頬を膨らませて、目にわかる苛立ちを体で表現して見せた。
「なんだと!!だったらどうすればもっと楽しいのかいってみろ!」
「たく、無礼なガキじゃなぁ…人にものを教わるときはどうしろと教わったのか」
すると児子の後ろから一人の女が駆け寄ってきた。昨日会ったこの児子の母親である。
「宗盛様!またこの子が無礼を、本当に申し訳ありません」
村では宗盛が毎日墓参りをしているのは有名で、息子が朝起きるなり家を出たから、まさかと思いこの女は子供を追ってここまで来たのである。
「そんなことはよい。それよりも幼いうちから躾はせねば、ろくな大人になりはせんぞ?鉄も熱いうちに叩けというであろうが。そちはまだ若いから母としてもまだ未熟なのやもしれぬが、そこは周囲の並み居る母親どもを観察して学ばねばなるまいぞ」
「は、はい!すみません!ほら、あんたも謝って!」
女はそういって児子の頭を押さえつける。
「ぇ~…わかったよ。ごめんなさい。むねもりさん竹とんぼのおもしろさをもっとおしえてほしいです」
誠意のこもらない言い方に母親は顔を青くして子供にげんこつを一つ食らわせる。そして宗盛は児子の前にしゃがんだ。
「はっはっは。よいよい。よくできたなぁ児子よ。では教えて進ぜよう。竹とんぼの競争とはな、すでにつくるところから始まっておるのよぅ」
「な、なんだってー」
「ふふ、良い反応じゃ。故にお主は昨日一度も勝てなかった理由はそこにある。わしは自分様にすごく飛ぶものを作って、お主にはあまり飛ばない物を渡したのじゃ。そりゃわしの竹とんぼがよく飛んで当たり前だわい」
「ずるいぞ、ばかむねもり!」
「ずるくないわ!戦は刀を交えるだけがすべてではない、政をふくめて戦というのじゃ!」
「でも、負けたじゃん」
「ぬぐぅ!」
下らぬ問答がひと段落すると宗盛は児子の家まで出向き、その場で竹とんぼの作り方を教えた。その一日は、作っては飛ばし、削っては飛ばしを繰り返し、遊ぶというよりは新作の試行錯誤で一日を終えてしまった。
あくる日、今日も宗盛は遺骨の無い墓へ参る。するとそこには不思議なことにすでに二輪の花が添えてあった。
「はて、今日は墓参りは済ませてあったのか?昨日供えた花は捨てずにそのまま置き忘れてしまったのであろうか?にしてはずいぶんとみずみずしいのぉ」
そのあと宗盛はしばらく小春日和の太陽の下、日向ぼっことしゃれ込んでいたが、どうやら今日は小さな訪問客は訪れなかった。その後数日は墓参りに日向ぼっこを日課に加えた宗盛であったが訪問客は相変わらずいなかった。
また、墓へ来るたび、相変わらず花は二輪供えてあった。
さらに数日後、久々の訪問客が墓の前に訪れた。それは十日ほど前にあったあの児子である。
「むねもり。ちょっと来てくれ!」
「なんじゃ騒々しい。久々に来たと思えばいきなり来いとは無礼であるぞ」
「そんなのいいから早く!」
せがむ児子にため息を吐きながらも袖を引かれて無理やり児子の家まで引きだされた。しかしそこの風景は以前とは違っていた。そこには見知らぬ児子が男女問わず十人ほど集まっていたのである。
「なんじゃ群れおって」
「みんな竹とんぼで遊んでたんだ。こんなかではおれがいちばんとぶんだぞ!すごいだろ!」
宗盛はもう一度ため息を吐く。
「だからなんじゃというに…」
「みんなの分つくってあげたんだけど、みんなも作りたいっていうんだ。むねもりが教えてあげてよ」
児子が宗盛の袖を引きながらそういうと、子供たちも「おねがいします。むねもりさん」と頭を下げた。宗盛はめんどくさそうだと思いながらも子供の真摯な願いを無碍にもできず、そこへ通うようになった。
この日を境に宗盛は墓参りに日向ぼっこと、次は児子の家での青空竹とんぼ教室が日課に加わった。
次の日、日課の墓参りに来ると、そこには雑草なんかも混ざった小さな花が無造作に供えられていた。宗盛は小さく微笑んだ。
季節が変わり、俄かに蝉が長い眠りから目を覚まし始めた頃、青空竹とんぼ教室も竹とんぼだけではなく竹馬も扱うようになっていた。そんな、今日も変わらぬ訪問客の世話をする宗盛に珍しい訪問客が現れた。
「宗盛様…大変無礼を承知でお願いしやす。どうかあっしに読み書きを教えてくださいやせんか…?」
若い男は気まずそうに、申し訳なさそうに頭を下げる。しかし宗盛は感心した様子でその願いを聞き入れる。
「おお、それは殊勝なことだな。よいぞ、明日からはしばらくは木の棒をもってここに来なさい。児子共!お主等も同様じゃぞ!明日からは木の棒をもって参れ!」
「はぁーい」
子供たちは元気よく返事をする。男は心底嬉しそうに飛び上がり、子供たちが駆け回って砂埃まう地面に頭をこすり付けて平伏した。
「ありがとうごぜぇやす!本当にありがてえっす!」
「よいよい、顔をあげよ。わしの教育は厳しいぞ?しっかりついて参れ?」
「もちらんでっさぁ!」
宗盛の日課はさらに増えた。毎日の墓参りに加え、しばらく暑い日なたではなく、そばの木陰で身を休め、墓に語りかける。それを終えると、容赦なく降りかかる夏の日差しにもめげない元気な子供たちと青空竹とんぼ教室。そして若い青年と子供たちへの臨時寺子屋学習である。
「いろはにほへと…これで良し!どうっすか宗盛様!」
「ほぉ、やればできるではないか。飲み込みも早い、字も達者だ。これならすぐに地方に出仕できるほどの文官になれようぞ」
若い男は今日も飛び上がり、その後に宗盛に平伏するという動作を繰り返した。ご苦労なことである。宗盛も感謝されて気を悪くすることはなく、通う者たちには皆息子に欠けていたような愛情をもって接するようになっていた。
「実はあっしは地方の国衙に仕えたいって思ってたんす!でも読み書きができる人間なんぞご覧のありさまで、誰ひとりいやしない。どっかで学ぶにも貧乏村じゃぁそんな金もねぇ。貧乏村はずっと貧乏村だ。でもどうにかしてみんなのために働きたくて…ほんっとうに宗盛様が来てくれて仏様にもなんと感謝すれやいいのかってんです」
宗盛も読み書きを覚えたいと男が言い出した時から村から抜け出していい暮らしをしたいのだろうとは思っていた。それは何ら小賢しいことでもなく、向上心自体を感心してみていた。しかし、その予想を超えて、村の為に働こうとする男の姿を見ると宗盛はなおのこと感心した。
「なんと、そこまで村を考えておったとは…ぬしのような人間が中央に居ればもっと世の中は変わっておったのやもしれぬな…」
「そ、そんな大げさでごぜぇます。あっしなんかじゃ中央へ行ったところで糞の役にもたちゃしませんって」
こうして熱意をもって勉学に取り組む青年と、それにこたえようと誠心誠意もてる知の全てを与えようとする宗盛の姿に感化され、簡単な読み書き程度はと、仕事の合間を縫ってはこの時間帯に農夫たちも集うようになっていた。宗盛はそれを一切邪険に扱うことはせずに平等に知識を分け与えた。
後日、宗盛が墓へ参ると、そこには黄色い花と、無造作な雑草混じりの花束のほかに、りょうぶやあおぎりの花が供えられていた。
季節も変わり、農繁期になると子供たちも畑の手伝いに駆り出され、宗盛の日課は墓参りだけとなっていた。その日は珍しく早朝に墓参りはせずに、田楽の声に引かれて田畑に赴いていた。
「あ!むねもりだ!」
田んぼに現れた宗盛をはじめに見つけたのは例の児子であった。その声につられて村人たちは畑仕事を中断し、宗盛へと笑顔で手を振る。
「おーぅい、宗盛様ぁ!いつもの墓参りはええんですかぁ?」
遠くから呼びかける農民の声に宗盛も同様の声で返す。
「おぉーう、今日は楽しそうな声に引かれてしもぉてのぅ!こうして足が向いてしまったわぁ!」
「んだらぁ、宗盛様もまざっていぐがや?」
農民の声に、近くの別の農民が「失礼だべや」とその農民をどつく。けれど宗盛は笑顔を崩さなかった。
「そじゃぁのう、そこの笛持ち、わしに代わってはくれぬか?平家の笛の音を存分に聞かせたい」
「もちろんでっせ!」
そういうと、笛吹きの男は宗盛に笛を渡し、作業は再開する。
京ではやりの曲を宗盛が奏でると、農民たちにも見たことのない都がうっすらと見えるような心地になって、時間を忘れ、瞬く間に畑作業も終わりを告げた。
「これじゃぁおいらの仕事がなくなっちまいますな!」
そういって冗談交じりに怒る笛吹き男と、農民との他愛のない雑談を終えるとあたりは早くも暗くなり始めていた。秋の夕日が沈めばそこはもう足もとも見えなくなる。宗盛は急いで墓へ参る。
そこへ着くと、墓にはいつもの花や、小さな花混じりの雑草のほかに、精米された僅かな米と、一把の稲と、枝付の柿が一つ供えられていた。
その日、宗盛は自宅から炊いた米と僅かな漬物を持ってきて墓の隣へと座り、小徳利の半分の酒を飲みつつ、澄んだ満天の星空を肴に夕餉をとり、寒い秋空の下で一夜を明かした。そして空の徳利に花を挿して、以降は花瓶代わりとした。
山奥の冬は早かった。日本海側でないだけましだったのかもしれないが、それでも外を出歩くには困難なほど雪は積もっている。
しかし宗盛は今日も雪をかき分けて墓へと向かった。今日は何も供えられていない。それも当然というもの、墓はそのほとんどが雪に埋もれててっぺんが微かに雪から顔を出すのみであった。宗盛は一日を墓と自分の家の雪かきに費やした。
次の日、宗盛は村へと降りてきた。村はある程度雪が掻いてあり歩きやすい。しかし、それなのに心なしかさびしい雰囲気が漂っている湯に感じられた。人が一人も見えないのだ。宗盛は何事かと思いながらしばらく村を散策する。
「あ…宗盛様…」
ようやく見つけた男は何やらうかない顔をしている。雪だからだろうか?そうでもなさそうである。宗盛は首をかしげ事情を問う。
「のぅ、心なしか村の雰囲気が暗い気がするのだが、どうかしたのか?」
すると男は俯いてしばらく口ごもるが、意を決して発言する。
「それが、井戸の通りの角にある末吉の爺さんが昨日倒れたんでさぁ。もう俺たちゃどうすればいいか…この村にゃぁ医者の一人もいねえから見てもやれねぇんです。くっそ…」
宗盛はしばらく何かに迷い逡巡する様子を見せたが、一つ冷たい空気を吸ってから口を開いた。
「その末吉の爺とやらの家へ案内せよ」
「む、宗盛様は医術にお詳しいんですか!?」
「そうではない。わしは医者ではない故な。しかし、貴族のたしなみ程度には齧ったこともある。万が一という事もある故一応案内いたせ」
すると男は末吉の血縁でもないにもかかわらず、白かった顔を真っ赤に染め上げ諸手を上げて喜びつつ足早に宗盛を案内した。
家について戸を開けると若い男と、年を取って寝込んでいる男がいた。若い男は宗盛を見るなり怒鳴りつけた。
「あぁ!このただ飯食らい!」
「おぉ、おぬしはいつもわしに突っかかって来る…なんといったかの?」
宗盛は村人のほとんどに受け入れられたとはいえ完全ではなかった。なかには村でとれた米でのんべんだらりと生きる宗盛を羨み嫉妬するようなものもいた。この男がその典型的一例である。
「おぉ…これは、宗盛様…見舞いに…来てくださった、の…ですかな…?」
宗盛は年寄りの隣へどかりと座ると憐れむでもなく普段通りの調子で話をかけた。
「そのほうが末吉の爺とやらか。ふむ、残念ながら死相はないからまだ極楽へは参れそうにないぞ?」
「それは…うれしゅうございます…なぁ…」
年寄りは精いっぱいの力で笑ってみせる。しかし、宗盛の言葉を信じてはいないらしく、その顔に希望の光は戻らなかった。
「ふむ、そこの。わしの家まで一走りして薬草箱をもって参れ。中身を見れば草や根が大量に入ってるからすぐわかる」
「なんで俺がてめぇの家なんざ…」
「爺よ、残念であったな。その息子は何とも親不孝者じゃ」
「ちっ!わかったよ!行ってくりゃぁいいんだろ!」
若い男は全力で駆けて宗盛の庵まで向かい、目的の物を持って帰って来た。
「はぁ、はぁ…こいつ…で、いいんだ…よなぁ…?」
男は肩で息をしながら震える手で箱を宗盛に渡した。男が息を整える間に宗盛は手早く何かを調合して年寄りに飲ませた。
「これでよい。後は栄養不足じゃな。明日わしの家から卵を持ってきてやるからそれを食え。そうすればじきによくなる」
そういうなり宗盛は戸をあけて出ていく。
「はぁ!これだけかよ!なんだ、このやぶ医者!」
若い男は思いつく阿義理の罵詈雑言で罵る。しかし年寄りに足の裾をつかまれる。
「なんだよ!」
「いやぁ、体はようなってきた…そのような無礼なことを…申すではない」
「ほ、ほんとか爺さん!?」
そうして後日、宗盛は末吉の家には児子を通じて卵を届けさせ、今日も降り積もる雪との格闘を続けていた。しかし数日後、村よりも標高の高い宗盛の庵には戸が開かないほどの雪が降り積もっていた。暇を持て余す宗盛は日記や子供たちへ読み書きそろばんや、中央の晴れやかな話を絵図をつけて数冊にまとめていた。
さらに数日、ようやく庵から出られるようになった宗盛は雪でてっぺんさえも見えなくなっているであろう清宗の墓に参った。しかし、そこは見違えるような景色になっていた。
墓を三方から囲う屋根つきの、子供が入れるほどの小屋が建てられ、周囲は雪かきが住んでおり、そこには兎が二羽、寒さを逃れんと小屋の中で身を寄せ合っていた。
年はめぐり明くる春。そこには去年までと違い、花見の席には村人以外の人間が一人加わっていた。その男は実に多芸で、突出するものは笛ぐらいであったがおかげでこの者が来て以降、娯楽の無い寒村には笑みがあふれる日々である。
「むねもり!もうだめだ!勝てないからむねもりの作り方をおしえてくれ!」
「おう、よかろう、よかろう。では今日は平家秘伝の竹とんぼを作って進ぜようぞ!」
カッカと笑い、自信ありげな宗盛に、児子の期待も膨らみ目を輝かせている。
「ほんとか!ひでんだな?すごくとぶな?」
「当たり前じゃ!平家を何だと思ってる!」
「ぼつらくきぞく」
「こら!どこでそんな言葉を覚えたかこの餓鬼!」
「むねもりがなぐった~」
そういって児子は来た道をしばらく駆け戻る。するとそこには昨日であった児子の母親がそこにいた。
「あ、また宗盛さんったら!あはははは」
「あっはっは、また宗盛さんがガキを泣かせたぜ!」
「今までこの人が天皇様の次に偉い人だったなんて信じられないな!」
「ほんとだべな。源氏のお侍さんと違って親しみやすくていいべ。こんなお方が地頭ならありがてぇのにな」
若い男や泥にまみれた農民は桜の下に座り、口々に言っては笑った。
「儂は地頭で十分と申すかー!」
「「あはははは」」
一同は桜にも負けない晴れやかな笑顔であった。しかし、この地にはそんな彼らを快く思わない者たちもいた。
数年前に作りかけで放棄したものなので、確認はしましたがもしかすると文章につながりのないシーンがあるかもしれません。誤字脱字もあるかもしれません。
見つけ次第報告してくださればうれしいです。
後編は文字数がだいぶ少なくなると思われます。