雪の日のキセキ~天の国での騒動~
からりと音をたてて窓を引き上げ、降る雪にそっと手を伸ばした。
掌にふわりと舞い降りた雪は、冷たさを感じさせないままに体温ですぐに溶け、傾けた手から雫となって滑り落ちていく。
本物の雪であるのに、排除してしまったかのように冷たさを感じられないのは、自分がもう人ではないからなのであろうか。
・・・それとも自分の心が凍てついてしまっているからなのであろうか。
窓から臨む庭園には、真白い雪が降り積もっていた。
ここに来て、もう二月はたっているだろう。
下界はもう春を迎えているのにーーーー
彼女は、そっとため息をついた。
自分は何を期待してここに来たのであろうか。
幸せになれると思っていた?
自分が愛するように、彼も自分を愛していると思っていた?
歓迎されるものとでも、思っていた?
ぐ、と噛み締めた紅い唇が戦慄き、頬を一筋の涙が伝った。
ー志乃ー
呼びかけられ、志乃はそっと目を開けた。
さらりと音をたて、白金の髪が志乃の顔にかかる。
「志乃、目覚めたか。ここが我らが永久に住まう地である。美しかろう?」
「雪羅様・・・」
抱き上げられたまま、雪羅のややほころんだ美しい顔をぼうっと見つめ、そのままゆるりと視線を辺りにやった。
そこには白銀に覆われた、美しくも冷たい世界が広がっていた。
きれい、とおもわずこぼすと、雪羅は更に嬉しそうにそうか、と応えた。
「志乃、これから我とそなたは永久に離れることはない。この地をそなたが気に入ってくれるのなら、それは喜ばしいことだ」
最初はよかったのだ。
その後に連れられた雪羅の屋敷は壮麗で、絵物語で見た清国の王宮を思わせた。
出迎える使用人も皆精霊や下級神で、雪羅ほどとは言わぬが美しい容貌をしていた。
笑顔で出迎えられ、歓迎の言葉を告げられる。
しばらく雪羅と通された部屋で過ごした後、雪羅が仕事だと名残惜しそうに志乃から離れた。
「すまぬな、今は忙しい時期なのだ。下界が春になる頃には、もう少しゆっくりしていられるのだが・・・」
ぶつぶつ言いながら退出する雪羅を見送った。
それについで現れた精霊に、部屋に案内すると連れ出された。
奥方様のお部屋でございますと通された部屋は品の良い調度品でまとめられ、暖かな暖炉がついていた。
「わぁ・・・」
志乃は目を輝かせた。
案内をしたモノは雪の精霊であったようで、暖炉には近づかずに志乃に御用があればお呼びくださいと一言伝えると、さっさと出て行ってしまった。
「雪の精霊は、暖かいものに触れるとやっぱり雪のように溶けてしまうのかしら?」
志乃はそんなとりとめもないことを言い、ふふ、と無邪気に笑った。
これからの明るい未来に思いを馳せて。
「雪羅様、遅いな・・・」
明るかった外が橙に染まり、濃紺に変わりきらめく満天の星空に変わっても、雪羅は帰ってこなかった。
「旦那様は婚儀のご準備と政務でお忙しいのでございます。今しばらく我慢なさってくださいませ。さ、もう夜も遅うございます。そろそろお休みくださいませ」
雪羅を待つ間に頼んだお茶を運んで来た月の精がやんわりと応えた。
志乃は逡巡したあと、大人しくその言葉に従い、寝所に入った。
雪羅様・・・と寂しげにつぶやき、くるりと上掛けを身に巻きつけ、静かに寝息を立て始めた。
「ん・・・」
翌朝、志乃は目を射すような明るい日差しで目が覚めた。
は、と急いで横を見ると、そこには誰もいない。
誰かが来ていたという痕跡も見当たらなかった。
「雪羅様、結局帰って来られなかったのかしら」
志乃は首をかしげ、寝台から降りると箪笥を開け、着替え始めた。
部屋から出て、きょろきょろと辺りを見渡しながら廊下を歩いていると、中庭に立つ人影が見えた。
あれは・・・
「雪羅様?」
長い白金の髪をなびかせて佇む彼の人。
帰って来ていたのだろうかと、志乃は嬉しくなって窓に駆け寄った。
しかし。
「・・・だれ?」
彼の人の腕にするりと己の腕を絡ませ、よりそう女性がいた。
雪羅よりも少しあかるい髪に、月光のような瞳。
雪羅に引けを取らないほどの美しい神が、そこにいた。
「月神に使えていらっしゃる、月光を司る神竜、月麗様にございます」
いつの間にそこにいたのか、雪の精霊が佇んでいた。
「月麗様・・・?」
「旦那様と月麗様は幼き頃よりのお付き合いで、とても仲むつまじいのでございますよ」
表情を感じさせない精霊は、淡々とそう言った。
志乃は胸がつきりと痛むのを感じた。
「・・・そう」
「昨夜も、ご一緒に過ごされたようでございます」
雪の精が発した言葉に、志乃は何も返せなかった。
無言で踵を返し、寝所に戻る。
その後ろ姿を見て、雪の精はくすりと、その美貌を歪ませた。
「雪羅様、どうして・・・」
昨日のふわふわとした幸福感はどこへやら、志乃はどん底の気分で寝台に横たわった。
着物が皺になることも厭わず、顔を歪めてそうつぶやく。
自分は求められてここに来たはず。
雪羅様が、ほかならぬ彼が求めたはずなのに。
-昨晩も、ご一緒に過ごされたようでございます-
「どうして・・・?」
コンコン
扉を叩く音がした。
「志乃、雪羅だ。どうかしたのか?気分でも悪いか」
扉を開けて雪羅が部屋に入る。
寝台に横になり顔を背ける志乃に近寄り、そっと志乃の髪を手で梳いた。
その優しい手つきに、志乃は涙を流しそうになりながら問うた。
「雪羅様・・・」
「なんだ?」
「私は、雪羅様の妻になるのでございますよね?」
髪を梳く手が一瞬止まり、再び動き出す。
「そうだ。・・・嫌になったか?」
「いいえ、そんな。ただ、聞いてみただけです」
何かがおかしいと雪羅は思ったが、婚姻前の子女の複雑な心は暴かぬほうがよいであろうと追求はしなかった。
それに、雪羅は今忙しい。
今朝だって、仕事の合間を縫って志乃と朝餉をともにとろうと帰ってきたのだ。
残念なことに志乃の気分が優れないので、それも無駄になるが。
「志乃、我はこれから婚儀まで少々仕事が立て込む。幾晩か帰れぬ日も続くだろう。寂しい思いをさせるが、好きなことをして過ごせばよい、我慢してくれるな?」
髪を梳きながら優しげに語りかける。
「・・・はい」
志乃は寝台の布をぎゅっと握った。
それから志乃が雪羅と顔を合わせることは滅多になくなった。
ある晩のことである。
どうしても眠れない志乃は、寝台からむくりと起き出すと書庫に向かって歩き出した。
「本を読めば眠れるかもしれないし、起きていられたら、もしかしたら雪羅様が帰っていらっしゃるかもしれないわ」
志乃は淡い期待を抱き、廊下を進んだ。
本当は、月麗様とご一緒なのでは、という思いに蓋をして。
書庫の扉を開けようとすると、中から話し声が聞こえてきた。
誰かいるのかと扉に手をかけたが、聞こえてきた雪羅の名前にぴたりと手をとめる。
「何故、雪羅様が人間風情と・・・」
「数千年に一度、神竜様方の間で誰かお一人が人間の娘を娶るというハズレくじを天帝にひかされるのだ。運悪く此度は雪羅様に白羽の矢が立ったまで。なに、義理を果たせば雪羅様もすぐにあの娘の魂を消滅させ、新しい奥方を迎えられるだろうよ。しかし、天帝のお遊びにも困ったものだ・・・」
「本当に。雪羅様もいい迷惑でしょう。」
かたかたと、指先が震えた。
志乃は顔を真っ青にして、寝所に静かに、しかし急いで戻った。
寝所の扉を閉めると、志乃の瞳からは大粒の涙が溢れ出した。
おかしいと思わないでもなかった。
雪羅は志乃との面識もなしに妻問いをした。
神が人を娶るなど、何も裏がないわけがないのだ。
それに、あの月麗との仲むつまじい様子。
きっと雪羅は、あの月麗と夫婦になりたいに違いない。
自分は天帝への義理を果たすためだけに、ここに連れてこられたのだ。
「どうせ消されるなら、どうせなら、今にしてくれればいいのに」
志乃は絶望の淵にいた。
「奥方様、いかがなされましたか」
二月前に思いを馳せていた志乃に、月の精から声がかかった。
は、と我に返った志乃は、慌てて涙を拭って笑顔を顔に貼り付けた。
「いいえ、なんでもありません。」
「そうでございますか? そういえば、今日は旦那様がお戻りになるそうで。とうとうお二人の婚儀の日程が決まったようですよ。おめでたいことでございます」
にこにこと微笑みながら月の精ははずんだ声でそう言った。
月の精は志乃が人間であったことをなんとも思っていないようで、何のわだかまりもなく接してくれる数少ない者の一人である。
そんな彼女を悲しませたくなくて、志乃は無理やりに幸せそうな笑顔を浮かべる。
「まぁ、本当?それは嬉しいわ。雪羅様をお出迎えしなければなりませんね」
「旦那様、お帰りなさいませ」
その声に導かれるように、志乃は玄関に足を向ける。
「あぁ、今戻った。」
久しぶりに聞く声に、凍えた心が少し熱を持つ気がする。
しかし次の瞬間。
「雪羅。あなたの奥方にはいつ会わせていただけるの?」
聞き覚えのない声が耳を打ち、志乃は足を止めた。
「月麗、また今度だ。お前はまだ仕事が残っているだろう。早く月神のもとへ行き報告をしてこい」
甘えるようなやわらかい声音のあとに、苦笑する雪羅の声が続く。
「あなたの奥方に会いたいから来たのに・・・もう、いいわよ。次は絶対に会わせてよね」
コツコツと、足音が響いた。
仲の良い二人のやりとりに、志乃は再びあの夜を思い出す。
雪羅様が、本当に夫婦になりたいと思っているであろうお方。
もう何も感じたくないのに、志乃の心は荒れ狂う嵐の海のように波打っていた。
「志乃!!」
雪羅が志乃に気づき、微笑みを浮かべて志乃のもとにやってきた。
「今日は志乃に知らせをもってきた。我らの婚儀が2日後に決まったのだ。これで志乃も花嫁だ」
嬉しそうな声に、志乃は笑顔で応えた。
「うれしいです、雪羅様。私、雪羅様の妻になれるのですね」
「あぁ、長らく待たせたが、やっとだ。」
ーーーーやっと、あなたは義理を果たす。そして私はーーーー
志乃の表情が一瞬陰り、しかし再び笑顔に戻る。
雪羅は怪訝な顔をしたが、志乃との婚儀の前に軽い疑問は吹き飛んでしまう。
「志乃、今日は志乃の婚儀の衣装を決めるがよい。我はまた少し用がある。婚儀の朝にはもどるゆえ、支度をして待っておれ」
珍しく浮かれた足取りで、雪羅は再び出て行った。
ーーそれは嬉しいのでしょうね。あなたはやっと開放されるのですもの。でも、私は?この苦しい気持ちを抱えたまま、あと二日も待つだなんて。生殺しとはこのことを言うのでしょうーー
志乃はうつむいた。
婚儀の衣装は、それはすばらしいものだった。
仕立ててくれた者たちの技術の粋を詰め込んだ、美しい白無垢。
さぞ志乃の黒髪に映えるだろうと周りが盛り上がる中、志乃は愛想笑いで礼を言った。
夜。
志乃は再び足音を殺して書庫に向かった。
漏れ出ている光と、声。
しかしその声はこの前のものとは違った。
この声はーーーー
「やっと明後日、婚儀ね」
「あぁ」
「待ちくたびれたわ、本当に」
「この日が来るのを、我は首を長くして待った」
「そうね、そりゃそうでしょうよ。 ねぇ、婚儀が終わったら・・・」
「うかつにその先を言うな。」
「ふふ、ごめんなさい。幸せな花嫁には、秘密だったわね・・・」
雪羅と、月麗。
この時間、ここにはいないはずだ。
何故。
そして、先ほどの話は・・・・
志乃は震える足を叱咤して寝所にもどる。
やっぱり。
やっぱり自分は、婚儀のあとーーーー
「う、・・・」
漏れ出る嗚咽を噛み殺し、志乃は涙を流した。
ひどい。
私が何をしたというの。
下界では若くして死に、そして天の国では婚儀の後に消滅する。
志乃の目に婚儀の衣装が目に入った。
「・・・まるで、死装束ね」
美しい白無垢までもが、憎く感じた。
そして、志乃はふと思った。
自分は、わざわざ消滅するために結婚する必要があるのか?
二日も待つ必要があるのか?
ここに、とどまる必要など、あるのか?
ぐっと手を握り締め、志乃は決意をうかがわせる。
「・・・行かなきゃ」
志乃は再び寝所を抜け出すと、そぉっと階段を降り、窓を開けた。
下には雪が積もっている。
もしこのまま降りたとしたら、おそらく足跡が残ってしまうだろう。
それでも、かまうものか。
志乃は窓に手をかけ、自分の身体を持ち上げるとそのまま窓から外にするりと降り立った。
不思議なほどに身体が軽かった。
素足で雪を踏みしめても、冷たさは感じない。
いつからであったのか。志乃が冷たさを感じなくなったのは。
「やっぱり足跡は目立ってしまうわね」
志乃は数歩歩いて立ち止まり、逡巡した。
足跡をつけずに歩けたらいいのに。
そう思ったときだった。
「え?」
志乃の周りにふわり、ふわり、と点滅するモノが現れ、彼女の身体を覆う。
「これは・・・」
雪羅と初めて会った日。
これは雪羅の周りをとんでいた。
ふわり、と志乃の身体が地面から僅かに浮いた。
試しに一歩踏み出してみるが、足跡はつかない。
「ありがとう」
志乃はにこり、と微笑み、そのまま敷地の外にむかって歩き出した。
翌日。
「志乃様、どうかなされましたか?失礼します・・・・志乃様!?」
月の精が珍しく起きてこない志乃を訝しんで様子を見に来てみると、そこには志乃の姿はなかった。
慌てて屋敷中を探し回るも、志乃の姿はどこにも見当たらない。
月の精は顔を真っ青にし、ぶつぶつと何事かをつぶやくと、手のひらから光を出し、自分の主のもとに向かわせた。
「どういうことだ」
普段の涼しげな姿はどこへやら、焦りに髪を乱し、顔を歪ませた雪羅が屋敷に現れた。
「志乃がどこへ行くと言う。明日には婚儀があるのだぞ?」
いらいらと歩き回り、何故いなくなったことに気づかなかったのかと屋敷の者達を叱責する。
仕える者は皆一様に顔を青くし、志乃を捜索すべく眷属に呼びかけていた。
不思議なことに、志乃を目撃したものは一人も見当たらない。
雪羅は辛抱できぬとばかりに自分も屋敷を出た。
「もう、ここでいいかしら」
志乃は夜通し歩いてたどり着いたところで足をとめた。
雪羅のところは雪で覆われていたが、今いる所は下界と同じ、春のようだった。
相変わらす暖かさは感じないが、足元に咲く黄色いたんぽぽや優しい色合いの草が志乃を和ませた。
潰さないようにそっと寝転び、春の香りを胸いっぱいに吸い込む。
こんなにも幸福を感じることは、久しくなかった。
ほう、と満足気なため息をつくと、志乃は目を閉じた。
夜通し歩いて考えたのだ。
雪羅はちがっても、もう志乃は彼を愛してしまっている。
彼が厭うのなら、もう消滅してしまってもいい。
彼に必要とされないのなら、自分が存在する意味などないのだから。
もともともう死んでしまっているのだ。今更消滅することなど怖くはない。
でも一つわがままを言うなら。
「最後まで何も知らずに・・・ただの幸せな花嫁のまま、逝きたかった」
またすぐに、志乃は雪羅に見つかってしまうのだろう。
連れ戻され、婚儀を行い、消滅する。
その前に、もう少しだけこの空気を味わっていたかった。
「志乃!志乃!!」
荒げた声に、少しまどろんでいた志乃はゆっくりと覚醒した。
あぁ、来てしまったのか。
ゆっくりと起き上がる。
目の前には、少し髪を乱した美しい神竜。
いつもは穏やかな薄氷の瞳は、ギラギラと苛立ちを含んで色を濃くしていた。
「なぜいなくなった?訳を言え、志乃」
怒りで震える声に、志乃が怯えることはなかった。
「少し、地上と同じ春を味わいたかっただけです」
嘘ではない。
自分がもう迎えることがない春を、感じたかった。
ただ、隠していることがあるだけ。
「それだけでお前が何も言わずに出て行くはずなどない。本当のことを言え、志乃!!」
雪羅にごまかしは通用しない。
「・・・・・」
志乃は押し黙った。
うつむき、胸の奥に追いやったのに出てこようとする醜い感情を押さえつける。
顔を上げて雪羅を見つめ、ふ、と微笑んだ。
「消えゆくものの些細なわがままです。お許しください」
今度は雪羅が黙った。
白い顔が一層色を失い、わなわなと唇を震わせる。
「・・・消える?それは誰がだ。もしや志乃、お前ではなかろうな」
やっと、という風に紡いだ言葉は、志乃に沈黙という肯定で返された。
「なぜ?どこに消えるというのだ。志乃は我が妻になる。どこにも消えなどしない!!!」
激昂しているのか、雪羅の周りがパキパキと音を立てて凍り始めた。
柔らかな草も、黄色いたんぽぽも氷に覆われる。
志乃は眉を下げ、雪羅を見る。
このままではこの春の景色が見るも無残な氷の世界と化してしまうだろう。
志乃はそっと雪羅の腕をとり、声をかけた。
「雪羅様、気をお沈めください。私が悪かったのです、謝りますから」
瞳に涙をためて懇願する志乃に、まだ怒りは冷めやらぬが一応力を抑える。
「消えるとはどういうことだ、志乃」
怒れる目に促されるまま、志乃は諦めのため息を吐いた。
「・・・雪羅様、天帝は数千年に一度、神竜様方に気まぐれを申されるのだとか。」
「・・・それがどうした」
「此度は、雪羅様、あなた様に白羽の矢が立ったそうですね」
「だからなんだ」
雪羅は志乃の言い回しにいらついているようだった。
「・・・人間の娘を娶る、婚儀を行えば天帝への義理は果たせる、その後に本当に愛する人と結ばれる・・・娘の魂は消滅させる」
雪羅は息を飲んだ。
志乃の言葉を理解しようにも、できない。
何を言っているのか。
「雪羅様は、私と婚儀を行ったら、私を消滅させてしまうのでしょう?その後・・・月麗様と」
そう言って志乃は口をつぐんだ。
うつむいた志乃の目から、大粒の涙がぼたぼたと流れ出た。
「ですから最後に、自分の思うようにしたかったのです、それだけです」
我慢が効かなくなったのか、嗚咽を漏らして泣き始めた。
雪羅はとんでもない行き違いをしていることに気がついた。
そして驚きのあまり忘れていた怒りを再び燃え上がらせる。
「・・・だれだ」
一段と低く唸るように絞り出された言葉に、志乃は顔を上げた。
「だれが、志乃にそんなことを吹き込んだ?」
今度は志乃が顔を蒼白にする番であった。
これはいけない。このままだと何をするかわからない。
志乃はふるふると首をふり、わからない、声だけしか聞いていない、と必死に伝える。
「志乃、お前が消滅することなどありえない。それに天帝に白羽の矢を立てられたのは・・・私ではない」
雪羅は納得がいっていない様子であったが、とりあえず誤解を解かねばと思ったのか、志乃にそう切り出した。
「私は自分の意思で志乃を妻に迎えるのだ。誰の介入もないし、させる気もない」
「でも・・・」
思わず、志乃は異を唱えていた。
「でも、なんだ?」
雪羅は志乃の言葉を待った。
「私たち、会ったのはあの雪の日が初めてではありませんか」
雪羅はその言葉を聞いて、困ったように顔をゆがませ、そしてわずかに赤面した。
「・・・そなたにとってはそうであろうよ」
志乃にとっては、そう。
「雪羅様・・・?」
志乃は雪羅を見つめる。
雪羅は視線をそらしながらもごもごと言った。
「我は、その・・・志乃が生まれた頃から知っている」
とても無垢で、美しく丸い形をした魂が宿った器。
自分の司る雪よりも美しい、その魂の持ち主をずっと見ていた。
何よりも白く、何よりも暖かい光を放つ魂は、雪羅の心を掴んで離さないのだ。
いつか、いつか自分のもとに来てくれたら、と、ずっと焦がれていた。
「志乃を愛する気持ちに嘘はない。月麗のことはなんとも思っていない。あやつはただの同僚だ。それはあやつも同じ思いであろうよ」
赤面する雪羅の様子に、志乃はもう一つ疑問をぶつけた。
「でも、ずっと夜を一緒に過ごしていたのでしょう?それに・・・婚儀のあとに何かあるって・・・」
雪羅はもうどうにでもなれ、と思っているのか、それにも素直に応えた。
「・・・これは言うつもりはなかったのだが。月麗には婚儀の準備を手伝ってもらっていた。志乃にいらぬ苦労はさせたくない。かといって素晴らしい婚儀でなければせっかくの志乃との婚儀であるのに、納得がいかぬ。月麗は月神の眷属であるから、審美眼に優れているのだ。だから手伝ってもらった。それと、婚儀のあとは・・・その・・・新婚旅行というものが、人間にはあるのだろう?計画していたのだ」
普段の彼からは考えつかないほどにしどろもどろに照れながら言う姿を見て、志乃は先ほどまでの自分の嘆きはなんだったのかと馬鹿らしくなった。
「勝手に誤解をして、飛び出して・・・申し訳ありません、雪羅様」
そして己がしでかしたことに猛省し、しおしおと雪羅に謝った。
「よい。そなたが我のもとに戻ってくれるなら、もうそれでよい」
誤解がとけたことにほっとしたのか、雪羅はそう言って志乃を抱き寄せた。
婚儀はつつがなく終わり、志乃と雪羅は晴れて夫婦となった。
永久にわたって彼等が仲睦まじく過ごしたことは、言うまでもない。
後日雪羅視点でも書けたらいいなと思ってます(*´∀`*)
へたれなこと間違いなし(笑)