【第3話】
【3】
(九月二十八日)
「あたしも、外に出たいなぁ」
病棟同士を繋ぐ三階の渡り廊下の窓から遠くの景色を眺めて、彼女が言った。
彼女はこの五ヶ月間、ほとんど病院の外には出ていないらしい。この時の「外」とは病院の、敷地の外の事だ。
「良くなったら、出られるんでしょ」
僕は、無責任に励ました。
「ねぇ、ちょっとだけ連れ出して・・・ほしいな」
「えっ」
僕は、彼女の言葉に少し驚いた。
入院中の人様の娘を勝手に連れ出して良いものなのか。決して優等生ではない僕でも、そのぐらいは考える。
しかし彼女は、鳥篭の中で過ごす、風切り羽を無くした手乗りインコのような生活を毎日送っている。僕は、ほんの少しの間だけ、彼女に遠くに飛べる羽を着けてあげたかったのかもしれない。
日が暮れてから彼女を病院の外にそっと連れ出した。
彼女はパジャマのままだったので、僕の着ていたリーバイスのGジャンを上から着せた。
元々大き目な作りのセカンドモデルのGジャンは、彼女の手を袖の外に通さなかった。
「あははは、大っきいね。これ」
綾香は、余った袖口をぶらぶらと上下に振って笑った。
彼女の笑顔は、ここが病院だと言う事を忘れてしまいそうになる。
僕は、病院が好きではない。あの薬品のニオイに包まれた重い空気も、不自然な清潔感も苦手なのだ。
それは、彼女にとっても同じなのかもしれないが・・・
久しぶりに外へ出た彼女の顔はあまりにも晴れやかで、病院からこっそり連れ出した罪悪感は一瞬で消えた。
原付バイクの後ろに乗せて病院の周りを一周した。
8時を過ぎると、この辺は殆ど車通りが無い。
僕の背中に抱きつく彼女の体温が、洋服の繊維を通り抜けて伝わり、夜風に踊る綾香の髪は、少し薬品の混じったようなシャンプーの香を漂わせた。
彼女から発するなら、クレゾールの匂いだって心地いい。
病院裏手にある神社の石段に腰掛けて、二人で夜空を見上げると、星に紛れて人工衛星が飛んでいるのが見えた。
「ほら、あれ。よく見ると少しずつ動いてるだろ」
真上に位置する一番深い夜空を僕は指差した。
彼女はその方向を見上げて目を凝らしている。
「ほんとだ。何で?あれ、星じゃないの?」
「人工衛星だよ」
「えっ、ウソ・・・・人工衛星って肉眼で見えるのね。知らなかった・・・」
そう言って、彼女は、吸い込まれそうな高い星空を、何時までも見上げていた。
「来年の春、百武彗星が来たら、山の上から見ようか」
「あ、テレビで言ってた彗星ね」
「半島の山頂から見る星は、ここの倍は見えるよ」
「ほんとう?行きたいなぁ」
上を向く彼女の白いアゴから、細い首筋に流れる曲線が、ギリシャ彫刻のように美しく、はしゃぐ笑顔が、三日月の光に照らされて輝いていた。
「大丈夫?」
「うん・・・平気」
病院に戻ると、彼女は少し疲れた様子だった。エレベーターを使って三階の病棟へ上がった。
夜風にあたるのも、あまり良くないのだろうか・・・・彼女の病気はいったい何なのだろう・・・・・
二人は、息を潜めながら四人部屋の病室に戻った。
隣のオバサンが起きていたらしく、小さく声を掛けて来た。
「夜這いかい。いいねぇ、若い子たちは」
振り向くと、仕切りのカーテンの隙間からオバサンの優しい笑顔が見えたので、僕達は愛想笑いで小さく会釈をした。




