最終話〜エピローグ
僕はそっと、その包みを手にした。
受け取る手が小さく震えているのが自分でも判った。
瞬きをした瞬間、僕の頬に液体の雫が一筋流れるのを感じた。
ゆかりは、僕の涙を見た為か、堪えていた何かが外れたように手を口に当てて下を向くと、激しく咽び泣いた。
「忘れないであげてね・・・・」
「忘れないよ・・・・」
僕の胸にもたげた彼女の頭を、自分の涙を堪えながら、そっと手で撫でる事しか出来ない自分がもどかしく、ただその場に佇むしかなかった。
綾香は生前に僕の誕生日プレゼントを用意したと言うのか・・・・
それじゃ、彼女は、何時自分が死んでもいい準備をしていたのか・・・・
あの寂しげな海色の瞳は、自分の命の短さを知っていたのだろうか。
「あんなに泣いたのに・・・・・涙っていくらでも出るんだね」
顔を上げたゆかりが、少しだけ微笑んで言った。
全てが静止するほどに真っ白な景色の中、歩き去るゆかりの後ろ姿を、僕は何時までも見つめていた。
* * * * * * *
「皆川!」
岡本の声で、白い景色だった校門前の通りが現実の風景に戻った。
そこは、春の陽射しで漲っていた。
僕はどれくらいの間、ここに佇んでいたのだろう。
時計を見ると、昇降口を出てから何分も経ってはいなかった。
「これからみんなで半島まで走りに行くけど、お前も行かない。いわゆる卒業走りって事で」
卒業証書の筒とアルバムを片手に、後ろから走って来た岡本が、勢い良く僕の肩を掴んで声を掛けて来た。
地元の半島までバイクで走りに行こうと言うのだ。
「行こうぜ、ヒロト」
坂木と正広もその後ろから自転車に乗って、声を掛けてきた。
頬に流れた雫の跡を確かめるように、片手で拭った僕は、
「いや、今日は止めておくよ」
と、振り返りながら明るく応えた。
もう、逃げられはしないだろう。
今この瞬間に、ようやく決心が着いたようだ。
あの丘の向こうの、墓石の下に静かに眠る、彼女に会いに行くという事を・・・・・・
もしかしたら、この時、僕の心の時間が再び動き出したのかもしれない。
綾香が僕にくれたプレゼント。それは、腕時計だった。
ブランド物の高級なものなどではない。輸入雑貨店に売っているような、デザイン重視のものだ。
彼女は自分の時が止まる事を知っていた。だから、その後の刻む時間を、僕に託したのかもしれない。
両耳を貫くようなアフターバーナーの轟音に、思わず僕達が見上げた校舎の向こうには、練習を再開したブルーインパルスの機影が、春寒の大空を切り裂くように、一直線に上昇して行くのが見えた。
【エピローグ】
西の空が真っ赤に染まっていた。
彼方に浮かぶ雲の波も、その下に連なる街並みも、全てが茜色の光に染まり、輝いていた。
小高い丘を越えて、更に連なる丘の上に大きな霊園がある。
何区画にも分かれた巨大な迷路のような霊園の一角、少し傾斜したその上は、僕にとって特別な場所だ。
僕は、初めて来たにも拘らず、この広大な霊園の中を迷う事無く辿り着く事ができた。
その墓石は、夕日に照らされて黄金色に輝いていた。
「藤島家之墓」・・・・・彼女は、ここへ両親よりも、祖父母よりも早く入ってしまった。
持って来た線香の束に、ジッポライターで火を着けて香受けに置いた。
白い煙が立ち込める中で僕はそっと両手を合わせた。
再び想い出がフラッシュバックすると、閉じた瞼を涙がこじ開けて溢れ出てしまった。
二度と会えないとしても、何処か自分の知らない遠くで生きていてくれる事と、この世に存在しない事は、あまりにも違いすぎる。
その違いは、人の死を目の当りにして始めて実感するのだ。
僕は、ポケットから学ランの第二ボタンを取り出し、石碑の壇の上に置いた。
今日、三月二十三日は綾香の17歳の誕生日だった。
これは、後で骨壷にこっそり入れてしまおう。
悲しみは薄れ、やがては思い出だけが残るだろう。
再び、この場所へ来る事があるかは判らない。
それでも、きっと僕は、他の誰に恋をしても、この先家族をもって年老いていったとしても、藤島綾香の事は一生忘れないと思う。
僕はこの先、彼女と同じくらい、人を好きになることができるのだろうか・・・・
辺りが夕闇に包まれ、上空に星々が姿を現す頃、北極星の横には、彼女と一緒に見る約束をした、ほうき星の青白く透き通った光が、一筋の長い尾を引いていた。
海色の瞳 END
あとがき
大人になっても忘れる事の出来ない思い出、忘れられない人はいますか?
このお話はそんな物語です。
最後まで読んでくださった方々、少しでも読んでくださった方々にも大変感謝いたします。未熟な作品ではありますが、ご意見・ご感想などをいただけたら幸いです。