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海色の瞳  作者: 徳次郎
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【第1話】

 早春のぬけるような青空が広がっていた。

 二階の窓から見渡したその上空には、ブルーインパルスが朝の練習飛行で描き出した、上向き開花の白い花が大きく一輪咲いていた。

 地球に新たなほうき星が接近する一九九六年、雪解けも残るまだ肌寒い三月十日、僕は高校生を卒業した。

 宇宙規模で考えれば、それは、あまりにもちっぽけな事だ。

 今朝何時ものように起きて、電車に乗って二駅で降り、何時ものように駅からの道を歩いて学校まで来ても、やっぱり卒業の実感は湧かない。

 高校の卒業式は、各クラスの代表者が証書を貰い受けるだけで、他は椅子に腰掛けたままだ。小、中学校の卒業式に比べて、なんと呆気ないものだろう。

 工業高校は男子生徒が多いせいか、式の間もすすり泣くような声は一切聞こえない。いや、工業化学科にいる女子生徒が、数人すすり泣いているのがちらりと見えた。

 部活に励んだ者達は、あるいはそれほどに感極まる思いがあるのかも知れない。

僕は少し冷めた気持ちで、彼女達を視線から外した。

 式は早々に終了して、教室に帰ってから各自の卒業証書が配られる。

 体育館から教室に戻る時も、何時もの朝礼でも終わったような、そんな感覚しかなくて、卒業式が終わった実感は全く無かった。

 ただ、外を通る少しの間、青空がやたらと眩しくて、思わず目を凝らした。

 教室で卒業証書とアルバムやしおりが配られた後、何事も無かったかのように帰りの挨拶をして終了。散ジリに教室を後にする。

 僕は何故か、誰にも声をかけずに一人で教室を出ると、昇降口で外履きのコインローファーに履き替えた。

二度と使わない上履きを破棄するためのゴミ箱が設けてある。毎年、あちこちに捨てられ、後処理が大変という学校側の配慮だ。

 僕も、自分の上履きをゴミ箱に向かって無造作に放り投げた。

 卒業証書の入った四角い筒を手に正門を出た僕が、この三年間で思い返す事といえば一つしかない・・・・それに比べれば、高校の卒業式など、どうでもいい事なのかもしれない。

 レモンを切った瞬間に漂う、思わず目を細めてしまうほどの激しくすっぱい果汁香のような、そんな想い出・・・・・・




(1995年九月三日)

 高校最後の夏休みが終わって間もない頃、僕は肺気胸で入院している友達の見舞いに行った。何時もは他の友人達数人と連れだって来るが、今日はアイツに頼まれていたマンガ本を持って来たのだ。

 高校入学当初から仲良くなった親友の岡本淳は、夏休みの中盤に肺気胸と言う、片側の肺が萎んでしまい呼吸不全になる病気に罹り入院した。

 やけに空いた駐輪場に原付バイクを停めて、古びた正面玄関を通り抜け内科病棟へ向かう。日曜日と言う事もあって外来も無く、院内は薄暗く閑散としている。増築の繰返しで継ぎ接ぎだらけの病院は、何回来ても迷ってしまう。

 だから一人では来たくないのだ。

 それとも、僕は方向音痴なのだろうか・・・・

 板張りの渡り廊下は、何故か鴬張りのように大きな軋み音を出す。

 関係ない通路を行ったり来たりしながら、内科病棟へ続く階段の上り口まで来た時、その踊り場に設けてある休憩所の自動販売機の前に一人の女性が立っていた。

 彼女は少し困った顔で小さく自販機を叩いている。

 水色のチェックのパジャマに淡いグリーンのカーデガンを羽織った姿は、ここの入院患者だろうと人目で判った。一般の人だったら、僕は迷わず素通りしていただろう。

 面倒臭い・・・・

彼女の着ていたパジャマとカーデガンが、僕にちょっとした親切心をもたらしたのだと思う。

「どうしたの?」

「あ、これ・・・・出てこなくて・・・・」

 僕の問い掛けに、一瞬息を呑むように振り返った彼女は、自販機を叩いていた事を咎められると思ったのか、少し震える声で小さく言った。

 それとも、チンピラのような赤いアロハシャツが、彼女を少しだけ後退りさせたのだろうか。

入院が長いのか、元々なのか、ドールフィギュアのような彼女の白い肌は、窓から差し込む僅かな午後の日差しを跳ね返している。

「お金を入れた時、ランプは点いた?」

 僕は、出きるだけ気さくに話し掛けた。

「点いたんですけど・・・・・ボタンを押したらランプは消えて、そのまんま・・・」

 華奢な足腰に小さな身体、福与かではないがパジャマの胸には確かな膨らみがあるその娘も、高校生くらいだろうが、僕よりは年下だろうか。

「中で、引っ掛ってるのかな」

 僕はそう言って、彼女の代わりに自販機を叩いた。しかし、何の反応もない。

 あまり強く叩いて、防犯ブザーが鳴るのもシャレにならない。仕方が無いので、ジュースの取り出し口から手を逆さに入れて見た。取り出し口は、急角度で上に向かって、ゆるくカーブしている為、到底奥まで手は届かない。しかし、ゆるくカーブした所に缶やボトルが引っ掛る事があるのだ。

「大丈夫ですか・・・」

 彼女も僕の側に屈んで、心配そうに声をかける。

「ああ、大丈夫」

 僕は、そう応えたが、実際は無理やりな角度で入れた腕が痛かった。彼女は、その一瞬苦痛に歪む僕の表情を見たのだろう。

 一一〇円くらい、そうまでしなくても・・・・と思うかも知れないが、自販機にお金を喰われる事が僕には許せないのだ。

 中指の先に硬いものが触れた。これだと確信して、さらに腕全体を無理やりに入れる。無理な体勢に 肩の筋が伸びてしまいそうだった。

中指でなんとか押し上げた物体は、引っ掛かりを解いて落下した。

「これでしょ」

 僕は、落下してきた緑茶の缶を手に取り、自信たっぷりの笑顔で彼女に見せた。

 彼女は、小さく首を横に振った。

報われなかった僕の努力を哀れむような、悲しい表情だった。

「えっ、違うの・・・・おかしいなぁ・・・・」

 僕は思わず苦笑して髪をかきあげた。

 しかし、もう一度出口のカバーを開けて見ると、もう一つ、アクエリアスが落ちていた。彼女の前に、誰かがお茶の缶を詰まらせていたのだ。その人は、諦めて違うものを買ったか、そのまま帰ったのだろう。僕はアクエリアスを手に取って、

「じゃぁ、これでしょ」と彼女に見せた。

「あ、それそれ。ありがとう」

 悩ましげだった表情が明るく変った。

 すらりと細い指の小さな手で、僕の手からジュースを受け取る彼女の白い笑顔が眩しかった。それは、窓から射す光が反射していたからではない。


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