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侯爵に転生した俺の息子がクズでした。どうしてくれようか

作者: 赤道りんご
掲載日:2026/09/30

 大事な話があると言って執務室にやってきた息子が、熱弁をふるっている。

 子供の話をきちんと聞くべきだろうが、聞くに堪えない話をされて内容が右から左へすり抜けていく。頭に入らない。貴族としての話術を忘れている息子に教育の敗北を知り、思わず遠い目になっても許されるだろうか。


「――ですから、アンジェリカとの婚約を破棄して、真実の愛で結ばれているジェシカと婚約したいのです」


 前世の恋愛小説で何度も見た展開を自分の息子がしている。全力で殴りたい。

 紅潮した顔で鼻息荒く執務机を叩く息子。こいつはマナーや常識をどこに捨ててきたんだ。

 席についてゲンドウポーズで話を聞いていた俺は、組んでいた手に力を込めて殴る衝動を我慢し目をつぶる。


「お前の主張はよくわかった」

「では」

「お前の希望はともかく、いくつか質問をさせてもらう」

「チッ」


 やだこの愚息、親に向かって舌打ちしやがりましたよ。貴様がそのつもりならこちらも手加減はしない。愛する妻が使用人に聞き込みをし、般若の形相でまとめた資料を元に確認作業を始めよう。


「お前がそのメイドと初めて会話したのはいつ頃か覚えているか?」

「もちろんです! あれは一年前の春、他のメイドにいびられた彼女が裏庭で泣いているのを目撃したのが出会いでした」


 うっとりしている息子が気持ち悪い。

 事前に読んでいた妻の調書と矛盾はない。矛盾はないがその事実には問題しかない。


「あのメイドは、その日納品されたばかりの飾り皿を割って怒られたと知っているか?」

「皿なぞ家中にあるではないですか! 一枚くらい割ってもかまわないでしょう!?」

「王家に頼まれて用意した他国への贈答品になる予定だった皿だが、本当に問題ないと思うか?」

「えっ?」


 予備があったために事なきを得たが、出資している工房が作った中で一番出来がいい皿を割られて妻が激怒していたのを思い出す。あれだけ怒ったのを見たのは初めてだった。めちゃくちゃ怖かった。


「次に、お前の部屋で世話をしていると聞いたが本当か?」

「ジェシカは私についているので当然です」

「そのメイドは子爵家の推薦があったから下級メイドだったが、皿の件もあって下女扱いになり、家人との接触をするはずがないのだが、なぜお前の身の回りにいるんだ?」

「皿を割った程度で貴族女性を下級メイドどころか下女にするなど、父上がそんな卑怯な真似をする人物だと思ってもいませんでしたよ」

「王家からの依頼品だとさっき言ったはずだが?」

「……」


 都合が悪くなると黙る。卑怯なのはどっちだ。

 この調子だと、下女として雇った女が雇い主やその家族の目に付く場所にいるのがマズイこともわかってなさそうだ。二人の出会いの場になった裏庭だって、仕事以外で下男下女が入っていい場所ではない。あそこは裏庭と言っているが、本来は母屋から厩への通路で場合によっては客人を案内することもある場所だ。下働きが客人の見える位置をうろちょろしていたら使用人の教育がなっていない家として悪評が立つだろう。


「お前が気に入っているメイドだが、貴族女性ではない」

「庶子だからとそのような差別をしないでいただきたい! ジェシカは非情な家族に虐げられた憐れな子爵令嬢なのですよ!」

「さっきも言ったが、『子爵令嬢』ではなく『子爵家から推薦された平民女性』だ。ちゃんと子爵家に問い合わせるか、その家と付き合いがある友人から話を聞いたか?」

「醜聞は隠すものでしょう? 真実を言うわけがない!」

「庶子でも貴族名鑑に名前が記載されるはずだが、そちらの確認はしたのか?」

「あっ………………してないです」


 だろうなぁ。貴族を騙った平民はそこそこ重い刑罰になるはず。あの女、うちが訴えたら一発でアウトなんだよなぁ。今、証拠を揃えて訴える準備をしているところなんだよなぁ。


「平民を我が家に迎えるつもりはない。どうしても添い遂げたいならお前を除籍する」

「そんな! この家の子供は私だけですよ!?」

「少々手間だが養子をとるから大丈夫だ。平民女性を次期侯爵夫人として迎えて恥をかくよりも何倍もマシだよ。社交界で恥をかくだけではなく、将来的には家が無くなる可能性すらあるからな」


 優秀であればどこかに一度養子に出してそこから婚約者として迎える。という方法もあるが、あのメイドは同僚からの評判がすこぶる悪くてそうもいかない。もし、どこかの家に養子にするよう頼んだとしても、夫人として社交界に出れば我が家だけではなくいずれは養子に迎えた家にも損害を与えるだろう。あれはそういうタイプだ。

 まあ、その前に貴族を詐称した罪で捕まるから養子どころではないが。


「そ、そこまで言わなくてもいいではないですか! 優秀なジェシカならいずれは私の妻として、立派に社交界での地位を築くはずです!」

「お前がそう思いたいならそう思っていればいい。それにしてもアンジェリカ嬢のなにが嫌だったんだ。あんな素晴らしいご令嬢はめったにいない、お前には過ぎた女性だったというのに」


 アンジェリカ嬢は妻の次くらいに素晴らしい女性だと思う。

 一見すると控えめだが、自分の意見をきちんと言える子で感情だけで物事を判断しない。会話の引き出しが多くて年齢が離れている妻や俺とも話を合わせることができる。幅広い年齢層と会話が弾むのは社交界では強い武器だ。

 外見は高位の貴族女性らしく美しくて華がある。たぶん服飾のセンスもいい。妻が褒めていた。俺は男性向けの服飾すらわからんのでそういった判断はすべて信頼する妻に任せている。

 前世からファッションに疎く、転生先であるこちらの服がよくあるファンタジー風だったことに安堵していた俺です。前世のときに何かで見たぴっちりしたタイツを履いて股間を強調するような服装じゃなくて本当に良かった。


「素晴らしい? まさか。アンジェリカはつまらない女ではないですか。話していても相槌を打つくらいしかできず、愛想が悪くてこちらを立てる話術が無い。上から目線でいちいち細かいことを指摘してくるのも腹立たしい」

「それはお前が馬鹿だから会話が弾まないだけだ。社交の場でアンジェリカ嬢が誰と話しているかちゃんと見ているか? 老若男女問わず幅広く交流していて、交流範囲が広すぎるせいで挨拶が大変そうなくらいだぞ。年下からは尊敬され年上から可愛がられるような女性がつまらないはずないだろう」

「あんなの爵位に笠を着ているだけでしょう。侯爵令嬢でなければ誰も相手にしませんよ」


 わあ、ブーメランだ。自分の息子がブーメラン職人だった時、どんな顔をすればいいのかわからない。自己紹介乙! って煽ってやろうか?

 おっとまずい。あまりにも前世の娯楽で見たようなクズっぷりに前世寄りの思考になっている。俺は貴族。侯爵家当主で、馬鹿息子の父親だ。上司と同僚のW不倫劇に巻き込まれて階段から落ちたサラリーマンじゃない。危ないから階段近くでつかみ合いの喧嘩をするのはやめてほしい。


「爵位を笠に、ねぇ……地位目当ての女に騙されているお前が言うことではないな」

「ジェシカはそんな女性じゃありません! 彼女を侮辱するのは父上だって許さない!」

「では、除籍の話をしてみるといい。それでメイドが了承したら従属爵位のどれかをやるから家から出ていけ。アンジェリカ嬢との婚約についてはこちらで解消の手続きをしておく。先方への迷惑料はお前の個人資産から出す。個人資産の半分を現金化して支払いに充てるつもりだ」

「そ、そんな……」

「うちの特産品である絹を向こうの販路に乗せてもらう契約で結んだ婚約を、お前の個人的な感情で反故にするのだからお前の資産から出すのが当然だろう。それでも足りないから家からも賠償となる何かを見繕わなくては。これから忙しくなるから、メイドとの話し合いは今日中にしろ。結論が出たらすぐに来い。今日は夕食の時間までここにいる」

「……失礼しますッ!」


 マナーを忘れたバカが勢いよく扉を閉めて出て行った。大きな足音をバタバタとさせてみっともない。優秀な教師をつけて本人の成績も悪くはなかったはずなのに、初恋(笑)がすべてを無にしている。


 息子の所業に大きくため息をついた俺は、腕を組んで椅子の背に体を預けた。


 アンジェリカ嬢と息子の婚約は純然たる政略だ。

 前世の知識から絹織物を開発したはいいが、警備に人員がかかりすぎて輸送のための護衛が足りなくなった。そこに元々高級品の真珠を扱っていたアンジェリカ嬢の家から持ち掛けられ、彼女を我が家に迎える見返りとして陸より比較的安全な海路で王都に輸送してもらうという契約での婚約だった。運送中の護衛も向こうから派遣してもらえるし、こちらとしてもありがたい話だ。


 アンジェリカ嬢は頭の回転が速く、愛想がよくて交流範囲が広い。どんな話題でも的確に打ち返してくる愛想のよさが長所であり家族の悩みの種でもある。自分へ恋をしていると勘違いした男が量産されているのだ。勘違い男たちによる奪い合いが起きないよう、半端な家に嫁がせるわけにいかなくなってしまった。


 我が家は今の時点では侯爵家の中で序列が二番目で地位が高い。爵位の高さでとりあえずの守りを固め、絹事業で女性からの支持を受けて同性による守りを固める予定だった。

 母娘でよく似ているアンジェリカ嬢の母親も、若い頃は勘違い男が寄ってきて何度となく身の危険を感じたそうだ。海運で栄えた侯爵家に嫁ぎ貿易品の中から社交界で人気が出そうな物を次々と見つける目利きで女性からの支持を得て、周囲を女性で囲んでもらうことで身を守っていたそうだ。アンジェリカ嬢は顔も愛想のよさも母親によく似ている。夫人は「年を取ってふくよかになれば勘違いしている男性は自然と離れていくものです。太りやすい家系ですから、あの子もいずれはこうなるでしょう」と、コルセットで固めた自分の腹を豪快に叩いて笑っていた。そうなるまでの間はうちで守ってあげる予定だったのに息子が全部を台無しにしていく。


 視野が狭く、教科書での勉強は成績がよくても応用ができない息子と、柔軟な思考のアンジェリカ嬢は組み合わせだけなら悪くなかった。政略の都合もいい。

 ただ、どうにも性格面での相性は悪かったようだ。交流について行っていた侍女や従者からの証言で早めの見直しを考えていたところにこの騒ぎだ。


 新しい特産品である絹の生産技術が確立したあかつきには、王家に技術を献上して国全体で生産してもらうつもりだった。この先、布の生産だけでなく染色までとなるとうちだけでは手が回らない。養蚕技術の功績をもって爵位も上がる予定が組まれている。息子が婚約を反故にしてあちらとの連携を潰し、王家と立てた計画がご破算になったら家が滅亡してもおかしくない。

 馬鹿息子は理解していないようだが、あいつの振る舞い次第では家族全員の将来が終わるのだ。


 ▼


 息子が退出してからしばらく物思いにふけり、心の整理をつけてから本日の執務を再開した。


 絹の元となるカイコが足りず、どうやって増やすかの話し合いを手紙でやりとりしているせいで机の上が手紙だらけになっている。読んでも読んでも終わらないし、貴族が書く手紙の形式を無視した現場からの手紙は要点をまとめるのも大変だ。意見を好きに書いていいと言ったら自由すぎる手紙が届いた。日記とか日々の愚痴とか領地の噂話とか事業と全く関係ない文章も多い。楽しそうに書いてくれるのはいいが、頑張って領地の識字率を上げたことを後悔しそうだ。


「カイコを殺さず繭だけ回収する技術が転がってねーかなー」


 前世のにわか知識で始めた事業は、なにもかもが手探りだ。

 絹織物そのものは遠く海の向こうの国からたまに流れてくるおかげで正解がわかっている。糸の素材が不明でなにからどうやって作り出すのかわからない神秘の布。それがこの大陸での絹織物の立ち位置だった。


 それを知った俺は、前世の知識をもとに子供の頃に猟師の案内で領地の山をさんざん歩き回りカイコを探した。猟師や木こりから話を聞いてようやく見つけたカイコから糸を取り出し、最初の絹糸を手にした感動を今でも覚えている。

 虫を嫌がる母親や妹を尻目に領民と試行錯誤を重ね10年ほどかかって安定した品質の織物を作ることができた。現在使われている糸と太さが合わないせいで、機織り機の開発からやる羽目になって本当に苦労した。


 なんだか走馬灯のように過去が脳内を駆け巡っている。疲れているのだろう。

 目が疲れたので目頭を揉んで、一息つく。手紙の確認はあとにしよう。気分転換に冷めきったお茶を飲んで次を持ってきてもらおう。薬草茶の苦渋い味と青臭い香りに癒される。この世界には紅茶なんて洒落た物体が存在しないのでお茶といったら薬草茶だ。人によってブレンドが変わり、社交シーズンにはあちこちで愛好家が集まってハウスブレンドの試飲会を開いている。俺も参加したことはあるが、中には泥水のほうがましだろうという物体が出てくるため最近は参加を断っている。

 薬草茶そのものはもう慣れたし美味しいと思って飲んでいるが、なにかあると前世のカフェインが入った飲み物が恋しくなる。


「あー、コーヒー飲みてー」


 前世の苦くて黒い液体に思いを馳せてぼやいたところで部屋の扉がノックされた。


「どうぞ」

「父上、失礼します」


 来るのがわかっていたから誰何することなく入室の許可を出す。

 入ってきた息子の顔色は悪い。


「で、どうするか決めたか?」

「はい、あの……」


 顔色は白く視線はずっと下を向いている。

 こいつ、侯爵家の跡取りだという自覚はあるのか? 情けない姿を晒しおってからに。


「はっきり言いなさい」

「その、ジェシカが、除籍されるなら、別れると……」


 声ちっさ!

 そして、わかり切った答えが返ってきて呆れるしかない。


「お前の真実の愛(笑)はそう言うだろうな。頭が冷えたようだし、これを読め」


 (笑)のところで思いっきり鼻で笑ったらビクッと震えたが、気にせず用意してあった調書を渡す。

 あのメイドの生い立ちに始まり現在の交友範囲、仕事での評価や同僚からの評判をまとめたものだ。般若顔の妻が数日かかって作った資料だ。


 息子があのメイドに本格的にのめり込むようになる前から調査はしていた。婚約にヒビを入れてアンジェリカ嬢の家との連携を潰すハニートラップ要員だと思い、背後を丁寧に洗い出していたために時間がかかってしまった。

 調査が終わり、ただの欲深いお家乗っ取りを目論む平民女だった時の脱力感は筆舌に尽くしがたい。ソファの隣に座っていた妻と共に頭を抱えたものだ。


 脱力感を与えてくる資料を読み進める息子が段々フラフラしてきた。

 顔色が悪い。顔が紙のように白い。手足が震えている。今にも倒れそうだ。


「いったん休んでそっちのソファに座って読め。そのままだと倒れるぞ」

「はい、はい申し訳ありません」


 声ちっっっさ!

 現実に打ちのめされてきたらしい。


 そりゃそうだ。

 貴族夫人を目指しているわりに肉体関係を持つ男が複数いるとか。

 一方的に敵視している仕事仲間へ、息子を落としたからお前はクビだと高笑いしている場面を何度か目撃されているとか。

 推薦状を書いた子爵家から、息子しかいないはずの我が家に娘がいるという噂があるのはどうしてかと質問が来ているとか。

 なぜか我が侯爵家のツケで自分のアクセサリーを買っているとか。しかもそのアクセサリーが貴族向けならともかく庶民向け。そこで買った真鍮の髪飾りを息子がプレゼントした純金だと吹聴して回ってるとか。うちが金のアクセサリーも買えない貧乏人みたいなこと言うの本当にやめてほしい。


 アンジェリカ嬢がうちに来て一人になったのを見計らって押しかけて暴言を吐きまくり、謎の勝利宣言をして立ち去ったとか。

 部屋にいたのがアンジェリカ嬢一人で他に知られていないつもりが、控室に双方の家の侍女が待機していてうちの侍女が大変恥ずかしい思いをしたとか。

 息子がターゲットになる前は俺の前をうろちょろしていて妻から厳重注意を何度も受けているとか。

 試用期間が終わった直後から勤務態度が悪く、次の契約は更新しない予定だったとか。


 うちで雇って一年ちょっとの間にまあ出るわ出るわ。

 こいつ何しに来たの? っていうくらい働いていない。周囲に迷惑ばかりかけている。

 さっさとクビにしたかったが、こういう輩はクビにすると無いこと無いことを吹聴して家の評判を落とすから雇用契約の更新に合わせて切るしかないのだ。それか物理的にこの世から退場してもらうしかない。迷惑だったが息子に手を出すまではそこまでする必要がなく、放置していたのがあだとなった。


 息子にもたびたび注意したのだが、恋に目がくらんだ男の耳には届かなかった。反抗期も相まってこちらの言うことすべてに反発してきた。

 息子が頑なになったタイミングでアンジェリカ嬢とあちらの家には婚約解消の話を通している。今は、うちは養子あちらはアンジェリカ嬢の妹で新しく婚約を結び契約を維持するか、全く違う契約を結び直すかの話し合いが続いている。どちらにしろ婚約を解消することは合意しているので、息子がいくら反省したところで婚約継続はできない。


 息子は、あの女にかまけて多くのものを失ったとやっと気づいたのだろう。

 手に持っていた資料を床に落として両手で顔を押さえ、すすり泣きし始めた。


「ヨシュア」


 久しぶりに息子の名を呼んだ気がする。


「お前はあの女に騙されたと思っているのかもしれないが、それは間違いだ。お前が選んだ結果が今このようになっている。アンジェリカ嬢との婚約は解消が決まっていて、今後のお前しだいでは除籍か廃嫡も視野に入っている。誰のせいでもない、お前が、自分で選んだ道がこれだ。どうだ? 親が決めていない道を選んで満足しているか?」


 この世界は前世と違って職業選択の自由がほとんどない。

 自分の道を選びたいなら、親が与えるすべてを捨てることもある。

 そうならないために早い段階で相談し、親や周囲の人間と協力すれば捨てるものは最低限ですむ。場合によっては何も捨てないで新しい立場を得ることだってできるのだ。


 ヨシュアは誰にも相談せず、自分一人で決めて、自分で選んだ道を進んだ。


「ど、どうしたら……これから、どうしたらいいですか父上」

「何が悪かったか考えて、結論がでてからアンジェリカ嬢に謝罪の手紙を書きなさい。次に進むのはそれが終わってからだ」

「はい、ご迷惑をおかけします」

「まだ家の中でおさまっているからそこまででもない。あちらの家との話し合いはあるが、元々相性がよくなかったからな。どちらからでも本人の意思しだいでは婚約者の交代をするつもりだった。お前は覚えてないかもしれないが、何度もそう言っていただろう」

「……」


 だからアンジェリカ嬢はあのメイドから暴言を言われた日に婚約解消を申し出た。判断力がある。素晴らしい。彼女がうちに嫁いでくれたらきっと家は安泰だっただろう。うちとの婚約が解消になったら交易先のどこかの国に嫁ぐ予定らしい。

 アンジェリカ嬢は最初から外国に嫁ぎたかったそうだが、あちらの両親が国外に出すのを渋ったから息子と婚約が決まった。親の決めた婚約が解消になったことで望む場所へ行けそうだと話し合いの場で明るく話す姿が印象的だった。ご両親はめちゃくちゃ渋い顔をしていたが。交流の場で自分の話しかしなかった息子は、彼女のそんな姿も見たことがないのだろう。


 次の婚約者を決める前に、相手へ歩み寄ることを教えなければいけない。

 まだ17歳だ。きっと変わることができるだろう。


 ほぼ一日座っていた椅子から立ち上がる。腰が痛い。まだ若いつもりだが、そろそろ年齢を意識して体を動かす習慣をつけたほうがいいかもしれない。忙しい中でギックリ腰になるのは困る。


 腰の後ろを叩きながら歩き、いまだに背中を丸めてすすり泣いている息子のそばに行く。

 息子の足元には、妻が頑張って作った資料が散らばっていた。

 シンプルにむかついたので、思いっきり頭を叩いてやろうかと手をあげて、思い直す。


 相手はあんな女だったけれど、おそらく初恋で、今は失恋したばかり。

 そう考えて下ろした手は、叩くとも乗せるとも撫でるともいえるような、絶妙な力加減で息子の頭部に着地した。


「落ち着いたら足元の資料をテーブルにまとめておくように。夕食をどうするかだけは早めに伝えておけ。あとは気が済むまでここにいていい。執務机はいじるなよ」


 言うことを言ってさっさと執務室を出た。

 一応解決したと妻に報告しなければ。

 それと、息子の今後の処遇の相談も。


 できたら後を継がせてやりたいが、今のままでは難しいだろう。できることなら俺の両親と妻の両親にも相談に乗ってほしい。話し合いはきっと時間がかかるだろう。その間に息子が立ち直ってくれたらいいが、どうなることやら。


 執務室を出て数歩進むと執事の一人が寄ってきた。


「あれは地下牢に確保しておきました」

「よくやった。市中警備隊を呼んで貴族の身分詐称で訴えると伝えてくれ。あちらの子爵家にも連絡を」

「かしこまりました」

「この一年、苦労をかけた。みんなもねぎらっておいてくれ。少額になるが迷惑料を用意している。明日、手が空いた者から取りに来るように。他の者にも通達を」

「恐縮です。手が空いた者から執務室に向かわせます」

「よろしく」


 はぁー貴族ムーブめんどくせー。いつまで経っても慣れる気がしねーわー。

 あの女が作った借金はどこまで回収できるかなぁ。息子に手を出す前は侯爵家で働く子爵令嬢って詐称して、息子を落としてからは次期侯爵夫人だって嘘ついてあちこちで細々とした借金を作ってるから返すのが地味に面倒だったんだよね。まとまったらそこそこの金額になったが、払えるんだろうか。子爵領にいるっていう何も知らないご両親に請求するのは気が引けるわー。そもそもあの女のやらかしで子爵領に住めなくなってる可能性もあるんだよな。不憫すぎるだろう。


 俺は制裁に手を出さないほうがいいだろうけれど、子爵領から追い出されてたら確保して養蚕現場に送り込むかな。子爵領から出てからだったら向こうも文句を言わないだろう。娘の借金は働いて返してもらおう。なに、待遇は他と変わりない一般労働者と同じようにするさ。好待遇で忠誠心を育ててもらおうか。


 ハニトラ要員を送り込んできた子爵にもちょっとしたお返しをしないといけないな。

 子爵との間を取り持ってくれた友人にも連絡しないと。子爵への報復が正当なものだと教えておこう。息子の醜聞について漏れるの危険性もあるが、ちょっと儲けすぎてるから少し評判を落としておくのもいいかもしれない。そのあたりも両親に相談しておこう。


 愚息の後始末が大変だ。忙しくなるぞー!

誤字報告ありがとうございます!

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