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眠れぬ夜をありがとう  作者: konatsu


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THANKS 3 唯一無双

中学校の正門。


春の光の中で、門だけが異様に重い。


黒い石をつけた手首が、行き交う。 


カスミは今朝の母との会話を思い出していた。                          玄関。カスミは靴ひもを結びながら、手首を見た。


黒い輪。


小さな黒い点。


それは装飾ではなく、判定だった。


命の記録装置。


母が背後から声をかける。


「カスミ、私を母親に選んで生まれてきてくれてありがとう」


振り向くと、母は味噌汁の湯気の向こうで笑っていた。


カスミは息を止めた。


制度が始まった初日。


ありがとうは一日一回しか認定されない。


母に言えば、今日の“枠”が消える。


外で誰かを救えなくなるかもしれない。


カスミは迷った。


迷ってしまったことが、もう怖かった。


母は優しく続けた。


「認定されるかどうかなんて関係ないの」


「ありがとうは、生き残るために言う言葉じゃない」


「生きるために言う言葉よ」


カスミの喉が震える。


母は少しだけ真剣な目をした。


「明日から認定されなくても、私は言う」


「あなたに言うありがとうは、本当だから」


制度より強い言葉がある。


それを母は知っている。


カスミは胸が痛くなった。


そして、決めた。


逃げるようにではなく。


正面から。


「娘に私を選んでくれてありがとう」


母の顔がふっと崩れる。


嬉しさと、切なさが混ざった笑顔。


母は小さく頷いた。


「行ってらっしゃい」


それが今日最初のありがとうだった。


正しいありがとうだった。


だからこそ。


カスミはもう苦しい。


カスミは職員室で頭を下げた。


「臨時の国語科担当です。2年3組をお願いします」


担任の教師が短く頷く。


「今日から大変ですよ。先生も…気をつけて」


気をつける。


ありがとうに。


生存に。


2年3組。


教室に入った瞬間、空気がざわついた。


生徒たちの手首にも黒い石が光っている。


誰もが、平然を装っている。


カスミは黒板に名前を書いた。


雪町カスミ。


「今日から国語を担当します。よろしくお願いします」


返事は揃わない。


その代わり、小さな声が散った。


「……ありがとうって言わなきゃいけないんだろ」


「先生にも?」


「先生は対象外じゃないの?」


違う。


全員対象だ。


カスミは言葉を選ぶ。


「ありがとうは…制度のために言う言葉じゃありません」


その瞬間。


教室の後ろで怒鳴り声が上がった。


「おい!なんで返さないんだよ!」


男子生徒が立ち上がる。


相手も立つ。


「返しただろ!」


「返してない!」


違う。


争っているのは言葉じゃない。


返さなければ認定されない。


つまりこれは――生存の争いだ。


周囲の生徒が震える。


「やめろよ…!」


「先生、止めて…!」


カスミは前に出る。


「待って。落ち着いて」


男子は唇を噛みしめて叫んだ。


「だって…返してくれなきゃ…!」


言えない。


言えば不正になる。


誰もが、今日のありがとうをどこで使ったかを語れない。


それでも焦りだけが漏れる。


そこへ、別の生徒が静かに立った。


眼鏡の少年。


正論の刃を持った声だった。


「最初のありがとうって、一回限りなんだろ」


教室が静まる。


少年は続ける。


「唯一無双って言うらしいよ」


カスミが目を向ける。


「最初の一回は、ほんとうに必要な時に使うべきなんだ」


正しい。


正しすぎる。


けれど、その正論は人を追い詰める。


誰もが思う。


じゃあ、今までのありがとうは無駄だったのか。


母に言ったありがとうは本物だった。


カスミの胸が締まる。


母の笑顔が浮かぶ。


認定されなくても、明日も言い続ける。


それが本当のありがとうだ。


母はそういう人だった。


制度に奪わせてはいけない。


授業は進まなかった。


国語の教科書を開いても、


言葉はもう違う意味を持つ。


「感謝」


「礼」


「心」


そのすべてが監視されている。


放課後。


生徒たちは互いを避けるように帰っていく。


ありがとうが、友情を壊す。


カスミは職員室で一人座った。


黒い石は沈黙したまま。


認定されたかどうかは分からない。


今日の終わりが迫ってくる。


午前0時。


生存認定の時間が近づいてくる。


夜。


母は夕飯を作りながら言った。


「大丈夫だった?」


カスミは答えられなかった。


母は笑う。


「明日も言うよ。ありがとうって」


カスミは涙が出そうになる。


「……認定されなくても?」


母は当たり前のように頷く。


「認定されるために言うんじゃないでしょ」


その言葉が、この物語の芯だった。


制度が奪えない唯一のもの。


午前0時。


黒い石が一度だけ脈打つ。


生存認定。


カスミも母も、生き残った。


息が戻る。


ほんの一瞬だけ、世界が軽くなる。


その瞬間だった。


スマートフォンが一斉に暗転する。


ネットワーク遮断。


システムダウン。


テレビだけが、まだ生きていた。


画面が乱れ、ニュース速報の赤が走る。


【HWプラン 初日集計】


【死亡認定者数:――】


数字が表示された瞬間、


日本中の呼吸が止まった。


アナウンサーの声が震える。


「……想定を超えています」


画面の奥で、WORLD UNIFIED AI SYSTEMの無機質な文字が点滅する。


そして最後に、冷たい字幕が落ちた。


礼節を重んじる日本に告ぐ。


さよなら。

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