第十一話:異端者か、先駆者か
「よそ者だろうと、容赦はせんぞ」
村長の言葉は、乾いた土くれのように、私たちの足元に吐き捨てられた。
彼の背後に立つ老人たちも、手に持った農具をこれ見よがしに握り締め、威嚇するような視線を向けてくる。長年、この小さな村という閉鎖された世界で培われてきた、よそ者への排他性と、異物への不寛容が、濃密な壁となって私たちの前に立ちはだかっていた。
バルトルトが、その巨躯を私の前に進め、まるで盾になるかのように構えた。その背中からは、いつでも応戦できるという、元騎士団兵の闘気が静かに立ち上っている。
「……エレナ。こいつら、どうする。俺が一発、脅してやろうか?」
「いえ、その必要はありませんわ、バルトルト様」
私は、バルトルトの逞しい腕をそっと押しとどめ、自ら一歩前へと進み出た。
恐怖はなかった。むしろ、私の心は、冷たく澄み渡っていた。
一度目の人生で、私は、このような名もなき人々の、声なき悪意の前に屈したのだ。根拠のない噂、集団心理による決めつけ、異質なものを排除しようとする、原始的な本能。それに抗う術を知らなかったからこそ、私は処刑台へと送られた。
だが、二度と、同じ過ちは繰り返さない。
私は、村長の目をまっすぐに見据え、穏やかに、しかし凛とした声で口を開いた。
「村長様、とお見受けいたします。わたくしどもは、エレナと申します。旅の商人でございまして、貴方がたの村に、決して害をなしに来たわけではございません」
「商人だと? ならば、なおのことだ。あの罰当たりなライナーと関わるのはおよしだ。あいつは、この村の恥。神の恵みである麦を弄び、村の伝統を汚す、疫病神なのだ」
村長は、忌々しげに吐き捨てた。
私は、その言葉に、悲しみを覚えるよりも先に、一つの疑問が浮かんだ。
「村長様。貴方がたは、ライナー様の研究を、ご自身の目でご覧になったことがおありですの?」
「……何?」
「彼が、どのような信念で、どれほどの歳月を、あの小さな畑に捧げてきたか。彼が生み出そうとしている小麦が、この村、いえ、この国を襲うかもしれない飢饉から、どれだけ多くの人々を救う可能性があるか。そのことを、一度でもお考えになったことが?」
私の問いに、村長は一瞬、言葉に詰まった。
彼の背後にいた老人たちも、ざわめき始める。
「何を馬鹿なことを……!」
村長は、動揺を隠すように、声を荒らげた。
「あいつがやっているのは、ただの道楽だ! 先祖様から受け継いだ、正しいやり方こそが、我らの誇り! よそ者の小娘が、知ったような口を利くな!」
「では、お尋ねします」
私は、さらに一歩、踏み込んだ。
「その誇り高き『正しいやり方』で、十年前にこの村を襲った大冷害は、防ぐことができましたか?」
その一言は、鋭い刃となって、村長たちの胸に突き刺さった。
彼らの顔色が変わる。十年という歳月は、あの時の悪夢を忘れさせるには、あまりにも短すぎたのだ。
「わたくしは、旅の商人。様々な土地を巡り、多くの情報に触れております。この国の北方は、年々寒冷化が進んでいる。南方は、干ばつが深刻化している。いつ、あの十年前の悲劇が、この村を再び襲うとも限らない。その時、貴方がたの言う『伝統』は、村人たちの命を、お腹を空かせた子供たちの涙を、守ってくれるのですか?」
私の声は、決して大きくはなかったが、静まり返った道で、一人一人の耳に、はっきりと届いていた。
「ライナー様は、異端者などではありません。彼は、先駆者です。未来を見据え、たった一人で、その悲劇に立ち向かおうとしている。貴方がたが、過去の栄光にしがみついている間に、彼は、この村の未来を、その両手で守ろうとしているのです!」
私の言葉は、もはや単なる説得ではなかった。
それは、彼らが目を背け続けてきた、不都合な真実を突きつける、告発だった。
「……黙れ!」
図星を突かれた村長が、怒りに顔を真っ赤にして、手を振り上げた。
「この……! この、魔女めが!」
その手が、私に振り下ろされようとした、その瞬間だった。
「――やめろっ!」
鋭い声と共に、一人の青年が、私たちの間に飛び込んできた。
泥にまみれた作業着。息を切らし、肩で呼吸をしている。
ライナーだった。
彼は、村長と私の間に、その身を挺するようにして立ちはだかった。
「村長……! この人たちに、手を出すな!」
「……ライナー。お前、聞いていたのか」
「ああ、聞いていたさ! あんたたちが、この人たちを、寄ってたかって責め立てるのをな!」
ライナーは、生まれて初めて反抗するかのように、村長を睨みつけた。
そして、彼は、ゆっくりと私の方を振り返った。
その瞳には、もはや、あのハリネズミのような警戒心はなかった。あるのは、深い葛藤と、そして、今まで感じたことのない、熱い感情の揺らめき。
「……エレナ、さん」
彼は、初めて私の偽名を呼んだ。
「あんた、さっき言ったよな。俺の研究が、国を救う可能性があるって。……それは、本気か? お世辞や、俺を騙すための、口先だけのでまかせじゃないのか?」
その問いは、彼の魂からの問いかけだった。
私は、彼の真摯な瞳を、まっすぐに見つめ返した。
「ええ。わたくしは、本気です。貴方の才能を、わたくしは信じています。貴方が孤独な畑で育ててきたその一粒の麦は、やがて、この国を覆うほどの黄金の奇跡になると、わたくしには、はっきりと見えています」
嘘ではない。
一度目の人生の記憶の中で、彼の品種改良は、結局、誰にも認められることなく、歴史の中に埋もれていった。しかし、その十数年後、北方の飢饉を救ったのは、偶然にも彼の研究と酷似した特性を持つ、隣国から輸入された高価な小麦だったのだ。
私は、ただ、歴史が本来たどるべきだった、正しい道筋を、少しだけ早く示しているに過ぎない。
私の確信に満ちた言葉に、ライナーの瞳から、一筋の涙が、すっと流れ落ちた。
それは、長年の孤独と、不遇と、そして、生まれて初めて得た、完全な理解への、万感の思いが込められた涙だった。
彼は、乱暴にその涙を手の甲で拭うと、村長たちの方へと、もう一度向き直った。
「……村長。俺は、この村を出る」
「な、なんだと……!」
「俺は、この人たちと行く。俺の研究を、俺の夢を、本当に必要としてくれる人たちのところへ行く。あんたたちが、古臭い伝統や、くだらない面子を守っている間に、俺は、この国の未来を作ってみせる!」
それは、一人の青年が、自分を縛り付けていた、古い世界との決別を宣言した、魂の独立宣言だった。
村長たちは、あまりのことに、呆然と立ち尽くしている。
「エレナさん、バルトルトさん」
ライナーは、私たちに向き直ると、深く、深く、頭を下げた。
「俺を……俺を、あんたたちの仲間に、加えてくれないか!」
私は、彼の前に進み出ると、その泥にまみれた手を、両手でそっと握りしめた。
「ええ。喜んで。いいえ、こちらから、お願いしたいのです。ようこそ、ライナー様。わたくしたちの、未来へ」
こうして、二人目の仲間が、私たちのチームに加わった。
最高の土木技術者と、最高の農学者。
私の夢を、現実にするための、最強の駒が、揃ったのだ。
呆然とする村人たちを後に、私たちはライナーの小屋へと戻った。
彼は、旅立つ決意を固めたものの、その荷物は驚くほど少なかった。いくつかの着替えと、そして、何よりも大切そうに、彼がこれまで育ててきた、様々な品種の小麦の種籾だけ。
それこそが、彼の全財産であり、未来への希望そのものだった。
「本当に、いいのか?」
小屋を最後に見渡しながら、バルトルトが、少し不器用な優しさで尋ねた。
「生まれ育った村なんだろ。後悔しねえか?」
「後悔なんて、あるもんか」
ライナーは、吹っ切れたように、晴れやかな笑顔を見せた。
「俺の故郷は、もうこの村じゃない。俺の研究が、俺の小麦が、誰かの命を救うことになる、その土地こそが、俺の新しい故郷だ」
その言葉に、バルトルトも、満足そうに頷いた。
不器用だが、根は同じ。才能を持ちながらも、世に認められなかった二人の天才は、出会って間もないにもかかわらず、すでに不思議な絆で結ばれ始めているようだった。
私たちは、ミルフィ村を後にした。
誰一人、見送る者はいなかった。
しかし、私たちの心は、希望に満ち溢れていた。
馬車が、再び北へと向かう街道に乗る。
車内では、ライナーが、早速バルトルトに『忘れられた谷』の土壌について、専門的な質問を浴びせ、バルトルトが「うるせえな、少しは黙ってろ!」と怒鳴りながらも、どこか嬉しそうにそれに答えている。その様子を、アンナが微笑ましそうに見守っていた。
私は、その光景を眺めながら、静かに目を閉じた。
脳裏に浮かぶのは、処刑台の上の、あの冷たい雨。
あの時の絶望が、嘘のように遠い。
私の二度目の人生は、もはや、復讐のためのものではない。
この、才能豊かで、心優しき仲間たちと共に、新しい未来を、この手で創造するための、輝かしい旅路なのだ。
私たちの本当の戦いは、これから始まる。




