走り始めよう
これもあるあるからスタートしてます
昔から「ちゃんとしている人間」であることを意識してきた。
求められている形に、自分を押し込めるのは得意だった。
「委員長タイプだよね」
「真面目だし、安心感ある」
周りからそう言われるのが、正直ちょっと誇らしかった。
中高では勉強も部活もそれなりにこなした。生徒会にも入った。
大学では講義に真面目に出て、研究室でも遅くまで実験。
「ちゃんとしてる」自分を守るために、ちょっとさぼりたくなる気持ちは見なかったことにした。
就職活動では、「できるだけ良い会社」を目指した。
誰に聞かれても困らない名前の会社。大手の商社に滑り込んだ。
入社してからも、周囲の期待に応えようとした。
朝は誰よりも早く出社して、デスク周りを整えた。
わからないことは片っ端からメモを取って、資料作りも引き受けた。
「○○くん、また朝早いね」
「若いのに偉いなあ、ほんと」
そう言われるたびに、どこか安堵していた。
「ちゃんとしてるね」と言われることが、自分の存在を証明する唯一の方法だった。
ある日、先輩に同行した営業先で、ちょっとしたトラブルが起きた。
先方の担当者が、急に仕様変更を求めてきたのだ。
自分なりにフォローしようと、持っていた資料を必死に探し、
「こちらの型番で代用できると思います」と口を挟んだ。
先輩は笑顔を保ったまま、その言葉をかぶせた。
「ありがとう。でもここは一旦持ち帰ろう。
十分にお調べして最善をご提案すべきだからね」
帰り道、車内で先輩が言った。
「悪くないんだけど、空回りしてる感じがあるな」
「すみません……」
「いや、気持ちはわかる。
でもな、残り時間次第で最善は変わるのと
手間暇かかっているように見せるとクレームになりにくいんだ」
その場で合格レベルの回答はしているはずなので
納得いくものではなかったが。
言い返す言葉もなかった。
別の日、同期と昼を食べているときに、何気なくこぼした。
「最近、何してるのかわかんなくなるよ」
「え、あんなに頑張ってるのに?」
「だからかも。頑張ることが、目的になってる気がする」
「……それ、結構ヤバくない?」
そうかもしれない、と思った。
でも、やめることはできなかった。
「ちゃんとしてる自分」を降りたら、空っぽになる気がした。
大学時代の研究室の助教と、ひょんなことで飲みに行く機会があった。
彼は酒が入ると急に本音を話し出すタイプだった。
「お前さ、まだ“えらい子”やってんの?」
苦笑してグラスを置くと、彼はまっすぐに言った。
「立派な像を演じるの、まずまず疲れるだろ。実は誰もお前にそれ求めてないよ」
「そんなこと言われても・・・
かといってどうすればってありますか?」
「自分が何したいか、自分しかわからないよ」
思いがけず、胸に刺さった。
なるほど、と思った。
でも――
自分の心を見ても、色があるわけじゃない。
ある日、取引先との技術説明の場に現れた女性を見て、思わず二度見した。
名札には「設計開発部・石原」。
彼女も気づいたようで、にこっと笑った。
「……えっ、○○高校の?」
「うん。何年ぶり?」
同級生だった。
理系で、医者を目指していたはずの子。いつもまじめで前向きだった。
打ち合わせ後、エレベーターを待ちながら、なんとなく話が続いた。
「医大は?」
「落ちたよ。二回も」
「そうか……」
「まあね。でも、今は医療機器作ってる。やっぱり医療が好き」
そう言って笑う彼女の表情には、迷いがなかった。
後日、彼女の会社が開発している心臓疾患用の機器を扱う話が、社内で浮上した。
病院との間に立つ代理店として、うちの商社が名乗りを上げられるかもしれない。
別部署の話だったが、気になって上司に話しかけた。
「この案件、支援入れませんか」
「どうした急に?珍しいな、君が前のめりになるの」
その晩、彼女に連絡した。
「資料、読んだ。あの機械、いいと思う」
「うん、でもまだ全然売れてない。必要な人にはちゃんと届いてないのに」
少し沈黙があって、彼女がぽつりと続けた。
「自分が医者じゃない分、この機械が命を助ける現場に届いてほしいんだ」
その言葉に、妙に共鳴した。
誰かの“本気”に触れたのは、久しぶりだった。
それからしばらく、週に何度も彼女と打ち合わせた。
彼女は臆せず医療関係者とやりとりし、設計側の意図や改善点を丁寧に説明した。
自分はその橋渡しに徹した。
どうすれば、もっと現場が使いやすくなるか。どうすれば、それを届けられるか。
さらに現実的なコストにも納めないといけない。
ある日の帰り、ふと彼女が言った。
「なんか、あんた変わったよね」
「そう?」
「前はもっと、ふわふわだった気がする。今の方がいいよ」
返す言葉が見つからず、照れ隠しに「営業スイッチ入ってるだけ」と笑った。
でも、確かに少しずつ、心が動いている気がしていた。
自分はまだ何者でもない。
でも、誰かと並んで走ることなら、できる気がした。
自分の夢がなくても誰かの夢を一緒に追いかけるのもいいかも