みんなは分かり合えるんだが
KYがどうというはなしはよく聞くのですが、それっていいことなのっておもってました
高橋悠斗、32歳、都内の広告代理店に勤める会社員。
毎朝、満員電車の中で彼は肩をすくめる。
乗客たちは無言でスマホを眺め、なのに一体感がある。
誰かが面白い動画を見つけると、車内がクスクス笑うような空気になる。
誰も口に出さないのに、感情が波のように伝わる。
15年前、「共鳴現象」が世界を一変させた。
原因不明の変化により、人類の7割が他人の感情をテレパシーで共有する能力を得た。
喜び、苛立ち、悲しみが、頭の中で直接響き合う。
言葉は補助的なものになり、感情の波が社会を動かす。
だが、悠斗は「非共鳴者」。
感情の波を感じられない、3割の少数派だ。
高校生だった頃、共鳴現象が突然始まった。
ある朝、教室が異様な静けさに包まれた。
誰も喋らないのに、クラスメイトたちがニヤニヤしたり、急に涙目になったり。
悠斗だけが取り残された。
「高橋、お前も感じるだろ? めっちゃ楽しい!」
親友のケンタが笑ったが、悠斗には何も分からなかった。
テレビでは「人類の進化」「新たなコミュニケーション」と騒がれた。
世界中で7割が「共鳴者」、3割が「非共鳴者」と呼ばれた。
その頃、悠斗は図書室でユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』を見つけた。
「人類は、共有された物語で集団を作った。
神話や法律はフィクションだが、皆が信じれば現実になる」と書かれていた。
悠斗は、共鳴現象による感情の共有が、ハラリの言う「物語」に似ていると感じた。
だが、感情は曖昧だ。
ハラリの言葉を借りれば、物語が曖昧だと混乱が生まれる。
当時は、共鳴者も非共鳴者も同じ授業を受け、進学や就職に差はなかった。
悠斗は「まぁ、いいか」と流し、勉強に励んで大学を卒業、広告代理店に就職した。
だが、社会に出て、感情の波に乗れないことがどれほど孤立を生むかを思い知った。
職場で、悠斗は「空気読めない」と評される。
同僚の佐藤さんがデスクに近づく。
彼女はニコニコしているのに、周囲の空気がピリつく。
「高橋さん、企画書できた?」
佐藤さんの声は明るいが、たぶん心で「また遅れてる」と苛立っている。
悠斗にはその感情が見えない。
ただ、皆の冷たい視線が肌に刺さる。
この世界では、感情の共有が全てだ。
会議で、誰かが「この案、いい!」と感じれば、皆がワクワクして議論が進む。
誰かが不安を抱けば、皆がモヤモヤして話が止まる。
悠斗が「このキャンペーン、データ的に有望です」と説明しても、皆の感情が「微妙」と流れば、案は即座に却下される。
「高橋さん、もうちょっと…フィーリングで」
上司の山本部長が苦笑いする。
悠斗には、どの感情が流れているのか分からない。
皆が共有する光の中に、自分だけが暗闇で取り残されているようだ。
昼休み、悠斗は一人でコンビニ弁当を食べる。
同僚たちは感情の波で盛り上がり、時折爆笑する。
誰かが悠斗をチラリと見るたび、「自分のことを笑ってるのか」と疑う。
感情が見えないことは、常に手探りで生きるようなものだ。
そんな悠斗に、救いがあった。
新入社員の小林美月、24歳。
彼女はいつも口で話す。
ある日、休憩室で美月が声をかけてきた。
「高橋さん、いつもカレー弁当なんですね。
私もカレー好き!」
美月の声は、感情の波がない分、クリアに響く。
「小林さん、なんで…感情共有しないの?」
悠斗が尋ねると、美月は照れ笑いした。
「私も非共鳴者なんです。
皆の気持ち、感じられないんですよ」
その言葉に、悠斗の心が軽くなった。
高校時代、共鳴現象に夢中だったクラスメイトを思い出す。
あの頃は非共鳴者でも気楽だったのに、社会ではこんなに孤独だ。
美月は、同じ暗闇にいる仲間だった。
ある日、会社で大手クライアントの広告キャンペーンが始まる。
チームは感情共有でアイデアを出し合う。
会議は祭りのようだ。
誰かが「派手なビジュアル!」と感じれば、皆が「いいね!」と盛り上がり、具体的な議論抜きで案が決まる。
悠斗はデータやロジックを説明しようとするが、誰も聞かない。
「高橋さん、フィーリングで!」
同僚に笑われるが、悠斗には「フィーリング」が分からない。
プレゼン前日、問題が発覚する。
チームが「いいね!」で決めたコンセプトが、クライアントのブランドイメージと完全にズレていた。
感情の波に流され、誰も具体的な要件を確認していなかった。
「なんでこうなるんだ…」
チームリーダーが頭を抱える。
皆が「誰かが気づくはず」と楽観していた結果、誰も責任を取らなかった。
その夜、悠斗と美月は残業して資料を修正する。
美月が言う。
「高橋さん、感情共有って、一体感はあるけど…曖昧すぎるんですよね。
みんな『いい感じ』って思うだけで、大事なこと見逃しちゃう」
悠斗は思い出した。
高校の文化祭で、クラスの出し物がグダグダになったことを。
皆が「楽しそう!」と感情で盛り上がったせいで、役割分担を決めなかった。
ハラリの言葉が頭をよぎる。
「物語は人を繋げるが、曖昧だと混乱する」。
感情の共有も、同じように曖昧だ。
彼は気づいた。
感情の共有は、熱狂や共感を生むが、正確な意思疎通には向かない。
物事を作るには、曖昧な「いいね」ではなく、明確な言葉が必要だ。
プレゼン当日、悠斗は勇気を振り絞る。
感情の波を無視し、口で説明した。
「このキャンペーンは、クライアントのブランド価値である『信頼』を強調します。
ターゲット層のデータと、具体的なビジュアル案はこちらです」
会場は静まり返った。
クライアントの感情が「微妙」と流れる。
だが、悠斗は続ける。
「感情だけで決めないでください。
データとロジックで判断してください。
これが結果を出します」
クライアントの部長が口を開く。
「高橋君、君の説明は具体的だ。
感情に流されない姿勢、嫌いじゃないよ」
明確な言葉と論理が、感情のノイズを突き破った。
キャンペーンは成功し、悠斗はチームで一目置かれる存在になる。
彼はまだ感情の波を感じられない。
だが、それが強みだと気づいた。
美月と一緒に、感情共有に頼らない「ロジック会議」を提案し、社内に変化をもたらす。
ある朝、電車の中で悠斗は考える。
高校時代、共鳴現象に取り残された自分を「ハズレ」だと思った。
ハラリの物語の話が、頭をよぎる。
感情の共有は、確かに人を繋げる。
でも、物事を作るには、明確に考え、言葉にすることが必要だ。
彼は美月に声をかける。
「小林さん、昼に企画の話詰めない?
データベースからアイデア出したいんだ」
美月が笑う。
「いいですね!
ちゃんと話すの、好きです」
二人の声は、感情の波をかき分け、クリアに響き合った。
KYできない方が勝ちという話にしたかったんです