第7話 広がる世界
ゾアはセイに連れられて、街を歩いていた。
自分達の家が納める街なのだが。
思えばこんな風に、歩いたのは初めてかもしれない。
お使いなどなかったし、なにより興味があるものがなかった。
そのため街の人がどんな営みをしているのか、知らなかった。
「それで。俺達はどこに向かっているんだ?」
「パン屋です。焼きたてパンは美味しいんですよ」
「なるほどな……。さてはちょくちょく、買い食いしてやがったな」
ゾアの問いかけに、セイは悪戯笑みを浮かべる。
呆れ半分、羨み半分で彼女を見つめる。
下級とは言え、彼女も貴族だ。
その枠組みに囚われてない生き方に、ゾアは憧れていた。
なぜだと、ゾアは考える。彼女もまた、しがらみに囚われた身。
政略結婚をさせられそうなのに、なぜこうも楽しそうなのか。
「はい、ゾア。出来立てホカホカの、あんぱんです」
いつの間にかパンを購入していたセイ。
まるいパンを渡しながら、自分は既にくわえていた。
「あんぱんってなんだ?」
「中に餡子の入った、パンです」
「なに? 塗るのではなく、中に入れるのか?」
怪訝そうな表情でゾアは、あんぱんを見つめた。
「この上についているゴマはなんだ?」
「それがあると、あんぱんって感じがするのです」
「全然分からん。そもそも炭水化物と餡子は合うのか?」
不安に思いながらも、ゾアは一口あんぱんを口にした。
すると焼きたてパンの食感に、餡子の甘味が溢れて来る。
甘いものが特別好きではないが、美味いという感想しかこない。
「これ。一個いくらだ?」
「百二十ですけど?」
「なんか複雑な気分だ……」
ゾアは上級貴族として、毎日高級な物を食べている。
上質な肉や、希少なキノコなどだ。
だがこの百二十円のパンには、高級食材にはない旨味がある。
「部屋に閉じこもっていると、この美味しさに中々気づけないものでしょ?」
「庶民の味か……。良いものだな」
「私のおススメはおでんかな? 仕事終わりに最適なんですよね」
おでんと言う料理を、ゾアは聞いた事がない。
セイは得意げに笑いながら、人差し指を動かした。
「今度屋台を紹介するよ。すっごく、美味しいおでんなんですよ!」
セイが美味しいというからには、味の保証はある。
ゾアは不思議と、少し楽しみになっていた。
「味に飢えたゾアにも、きっと頬が落ちて、食材にされるほどだよ」
「お前は一々、一言多いな」
「まあ、口先だけ達者で生まれてきましたからね」
あんぱんを上に投げて、口でキャッチするセイ。
その動きは慣れていた。妙に格好つける奴だなぁっと、ゾアは思う。
少しだけ彼女に興味が湧いてきた。
同じ貴族の身でありながら、なぜそこまで人生を楽しめるのか?
サバイバルに長けているのは、どうしてか気になっていた。
「セイ。一つ聞いて良いか?」
「一つと言わず、百個でも千個でも」
「お前は俺と婚約した時。正直どう思った?」
お互い全く知らない身で、いきなり婚約を交わされた。
政略結婚であることは、目に見えて分かった。
それでもセイは、毎日楽しそうに動いていた。
従者から冷たい目で見られようが。
自分がどれだけ雑に扱おうが。
「別になんとも思ってないよ。私、ゾアの事良く知らなかったもの」
セイはケロッと言ってのける。
その場で屈伸をしながら、食後の運動をする。
「面白い人ならそれで良し。つまんなかったら、楽しませる側に回れば良し」
屈伸を終えたセイは、軽くジャンプした。
「まあ、もし悪い人なら。ぶっ飛ばしていたけど」
「そりゃ、頼もしい事で。勝手に決めた大人が、憎くないのか?」
「まあ、人の人生勝手に決めるなと思うけど。決まったものはしょうがないわ」
セイは胸を広げながら、深呼吸をした。
「人のレールは一筆書きで、線の本数も決まって居るもの。文句言っていたらキリがない」
過去は変えられないし、運命もある程度決まっている。
だから決まったものに、文句を言わない。
セイはその覚悟を持って、生きているようだ。
「決まったレールがあるなら。脱線しない程度に、世の中楽しむだけだよ」
「俺のレールは一本しかない。どうやって楽しめば良いんだ……」
「あんぱん、美味しかったでしょ? 楽しむなんて、それで十分だよ!」
まだ手に残ったあんぱんを指しながら、セイは微笑んだ。
確かそうだと、ゾアの頬も緩くなる。
「過去にも未来にも幸せはない。幸せは今手に入れるしかないの」
「今、この瞬間の幸せか……」
「まあ、これは昔読んだ本の教えだけどね」
ゾアはフッと笑った。
「良い本だな。今度、俺に貸してくれよ」
「良いですよ。そしたら、少しはその鬼面、外れるかもね」
「お前みたいに、余計な事言わないよう、注意しないとな」
ゾアは不思議と口から出た、皮肉に自分で驚いていた。
思えばこんな風に、気兼ねなく言い合える仲など居なかった。
セイは自分に臆することなく、平然と軽口を叩く。
自分が世界を滅ぼす力があると知っても、同等に接してくれる。
生まれて初めて、心に温もりが現れた気がした。
それは自分が本当に、求めていたものなのかもしれない……。
「ゾア。般若面が外れて、恵比寿様みたいだよ」
「そこまで極端じゃねえよ! 極端じゃねえけど……」
ゾアは涙が溢れてきた。楽しいって感じているはずなのに。
小さな幸せを味わっているはずなのに。
なぜかゾアは涙が止まらない。
自分が存在する意味を、生きている価値をずっと考えていた。
今初めて、自分は存在して良いと認められた気がした。
自分が何者であっても、受け入れてもらえた気がした。
「俺って、本当に世界の事何も知らなかったんだな……」
「きっと教えてもらえなかったんだよ。悪意にある、誰かによって」
セイは自分の腕を、掴んだ。
もうその腕を振り払うつもりはない。
「さあ、ゾア! 悪意なんて私が全部、ぶっ飛ばしてやるから! 次行こう!」
セイはゾアを引っ張りながら、走り出した。
「頼もしい婚約者で。次は何を教えてくれるんだ?」
「海での銛付き」
「ハードル高くね? そこは簡単な狩りから始めない?」
ゾアの言葉に、セイは頬を膨らませた。
「え~。楽しいよ? 銛付き」
「そりゃお前は楽しいけど、こちとら泳いだ経験がないんだよ! 金づちなんだ!」
「釘打ちしてあげようか? まあ、いいや。そう言う事なら……」
セイは方向転換して、街の外に向かった。
その先には森があり、野生動物が生息している。
「今夜はサバイバル料理で、楽しみますか!」
「やれやれ……。二人だけでサバイバルしたと知られたら、従者になんと言われるか……」
「文句なら私が引き受けますよ。それに自分で取った食材は、別格ですからね!」
軽快な動きで森を駆けまわるセイ。
一方のゾアは運動不足で、既に息切れ気味だ。
彼を気遣って、セイは速度を緩めた。
「程々に行きましょう! 楽しい今が待っていますよ!」
「忙しそうだがな。まあ、暇よりマシか」
「ええ! 退屈なんてつまらない。ハチャメチャな人生を!」
森を駆けまわる二人を、太陽が照らしてくれた。
ゾアは思う。世界を滅ぼすのが、自分の運命だというなら。
自分はその運命と戦って、人生を楽しもう。
自分だって幸せになって良いのだ。
彼女がそれを教えてくれた。
***
「未来……。未来か……」
悪魔はセイとゾアの事を、ジッと観察していた。
ずっと昔を懐かしんでいるのか。或いは羨んでいるのか。
自分でも分からない。ただ一つ言えることは。
「この世界に未来など、必要ない。誤った進化を遂げた、世界になど……」
セイ達はまだ知らなかった。巨大な闇が、既にそこまで迫っている事に。
「薫……。君が残してくれた命で、私は必ずやこの世界に復讐を……」
「ヘイ! こんな所に居たのか? 王様」
背後から声を駆けられて、彼は言葉を飲み込んだ。
振り返ると最近、娘の従者になった者が立っている。
「娘さんが探してたぜ。ピクニック中にどこに行くんだと」
「私は王ではない。かつての王の血を引く者なだけだ」
「まあ、どっちでも良いけど。人の恋路を盗み見する暇があるなら、手伝ってくれよ」
セイ達の道はまだ闇に閉ざされている。
だがそこに光を差し込む、もう一つの物語があった。
それは彼女が残した、もう一つの命。悪魔にとって、皮肉な存在だった。