第17話 プライドを捨てた想い
ゾアはスラム街に来ていた。ここには、ホームレスが集まる。
明日を生きるのに必死なものが、物資の取り合いをする。
こんなところに上級貴族が来たら、良い餌だろう。
それでもゾアは護衛ないで、この場所に来た。
相手に誠意を見せるため。自分の覚悟を見せるためだった。
街を歩くたびに、格差社会を思い知り胸が苦しむ。
「忘れちゃいけないな。この光景を」
ゾアは貧困で苦しむ人々を、目に焼き付けた。
どんな運命を辿るにせよ、自分は将来コスモ家の当主になる。
上級貴族として、責務をまっとうしなければ。
今までは復讐のためだけに、権力を求めていたが。
今は違う。人の幸せが、他人に奪われる事に嫌悪感を抱く。
いつかこの世界が変われるよう。自分が一歩斬り込もう。
そう決意しながら、ゾアは廃墟の中に入った。
そこには薄汚れた服を着た、かつてのメイド長が座っている。
随分とやつれた様で、目の下に隈が出来ている。
「よう。随分と落ちぶれたな」
「よくもまあ。私の前に姿を表わせたものね」
メイド長はゾアの事を、睨んだ。
従者だった頃は、決して見せなかった表情だ。
相手の器が知れたところ、ゾアはメイド長の前に座った。
「半分はお前の自業自得だろ」
「へえ。ちなみにもう半分は、誰のせいかしら?」
「俺の責任だ。今思えば、もっと良いやり方があったはずだ」
メイド長は両目を開いて、驚きを示す。
ゾアは自嘲しながら、胸に手を当てた。
自分がこんな事言うとは、自らも信じられない。
「俺は次期当主として、やれる事があった」
ゾアは屋敷で二番目に偉い存在だ。
やろうと思えば、メイド長をクビにしなくても良かった。
だがゾアはそのやり方を選ばなかった。
「お前が俺を恨むのは、筋が通っている。なんて詫びれば良いか……」
「らしくないですね。貴方が他人を気に掛けるなど」
「そんなお前に頼み事するのは、筋違いだと分かっている。だけど……」
ゾアはプライドを捨てて、メイド長に頭を下げた。
もう彼に取って、地位など何の意味も持たない。
今大事なのは、僅かな希望を守ることだけだ。
セイと一緒なら、その希望を掴み取れる。
だからその一心で、ずっと階級がしたの者に頭を下げた。
「力を貸して欲しい……! 頼む!」
メイド長は立ち上がり、ゾアの頭を見下ろした。
嫌味な笑顔はそのままだ。それでもゾアは頭を下げ続けた。
「嫌だと言ったら?」
「土下座する。それでもダメなら腕の一本や二本、くれてやる」
メイド長は舌打ちしながら、再び座った。
「力を貸すって、なにをすれば?」
「親父の……。トウイチ・コスモの裏帳簿っを知っていれば、教えて欲しい」
ゾアは手を握りしめながら、本当に土下座をした。
地面に頭を接触させながら、全ての誠意を込めた。
「裏帳簿ね……。確かに私は知っていますよ。私が資金を調達していたのですから」
ゾアは性根の腐った野郎だと、メイド長を軽蔑する。
自分より偉い人間に媚びを売るためなら、手段を選ばない。
平然と犯罪にも加担する、その性格が昔から嫌いだった。
それでもゾアは、メイド長に頭を下げ続ける。
彼女が協力すると言うまで、全てを捨てるつもりだ。
「知っていますが、タダで情報を上げる訳にはいきませんね」
メイド長は今や、ホームレスだ。
お金を手に入れるためなら、情報は貴重な商品だろう。
「いくら必要なんだ?」
「コスモ家の財産、全てと言ったら?」
「分かった。今すぐ叔父さんに相談して……」
「ちょ、ちょ、ちょ! 嫌味ですよ!」
本気で差し出そうとしているゾアを、メイド長が必死で止めた。
「まさか本気にするとは思いませんでした」
「言ったろ。何でも犠牲にする覚悟だと」
ゾアは強い目線を、メイド長に向けた。
「なぜ? そこまでして、裏帳簿を求めるのですか?」
「俺はセイと一緒に居たいんだ」
セイの名前を出した途端、メイド長には眉間にシワを寄せる。
当然だ。彼女とセイは犬猿の仲だった。
「貴方達は政略結婚でしょ?」
「ああ。だが彼女は嫌な顔をせず、俺を受け止めてくれた」
セイは一度だって、ゾアとの婚約を嫌だと言わなかった。
自分がひそかにレイと婚約しようとしている時も。
婚約破棄を公言した時も、見捨てなかった。
「初めてだったんだよ。俺に寄り添ってくれる人が」
叔父は罪悪感から、ゾアと距離があった。
下級貴族と上級貴族、政略結婚の相手でありながら。
セイはずっとゾアに寄り添ってくれた。
「俺は……。彼女が好きなんだ! 傍に必要な存在なんだ!」
ゾアは感情を爆発させて、メイド長に訴える。
他人に心を閉ざしていた時は、感情さえ押さえていた。
「あれだけ無視していたのに。婚約破棄すると脅してすらいたのに変な話ね」
メイド長に嫌味を言われて、ゾアは胸が痛いんだ。
彼は以前、嫌がらせで『婚約を破棄しても良いんだぞ』と言ったこともある。
セイが困るのを分かっていて、ワザと言ったのだ。
確かにそこまでした相手を好きになるなんて、変なのかもしれない。
だがゾアはセイが言ってくれた言葉を思い出す。
『よく、頑張ったね』
その一言で受けいれてくれた、セイの表情を思い出す。
ずっと大人の都合で、人生を歩いていたが。
この感情は誰かの都合じゃない。自分だけのものだ。
「お前がセイと色々あったのは知っている! でも……!」
ゾアは胸を叩いて、歯を食いしばった。
「その憎しみは、俺にぶつけて欲しい! だから協力してくれ!」
ゾアは再び深々と、頭を下げた。
今度は舌打ちをして、メイド長は返した。
「屋敷の金庫の中に帳簿はある。相性番号は二三二八」
「……っ!」
「勘違いをしないで。別に貴方の感情に揺さぶられたわけじゃない」
メイド長はゾアに頭を上げる様に伝えた。
「ただアンタらの顔を二度と見たくないだけよ。もうここには来ないで欲しいわ」
「すまない……! ありがとう!」
「代金は二度と私に関わらない事に、まけてあげるわよ」
メイド長に感謝の意を示してから、ゾアは屋敷に向かって走った。
貸金庫の帳簿は、大した証拠にはならないかもしれない。
でもゾアは自分の仕事に満足していた。
誰かに自分の覚悟を示す事が出来たのだから。
自分がどれだけセイの事を持っているのか、確かめられたのだから。
「俺はもう逃げない。自分の責任から……」
スラム街の入り口を、もう一度眺めながらゾアは口にした。
メイド長をあそこまで追い詰めた、自分の責任を感じながら。
従者の事を見て見ぬふりをしていた、過去の自分を恥じた。
「人は常に支えられて生きている。それを忘れていた」
今なら叔父が、善意で自分を引き取ってくれたと理解できる。
負の感情は大切な事を、見えなくする。
でも救ってくれる人が居れば、もう一度思い出せる。
いつかスラム街に、身を隠すような人が居なくなるような。
生まれながら運命が決められた子供が生まれない様な世界にしたい。
上級貴族の自分には、それが出来る立場にあるのだ。
「俺はもう、誰のレールにも乗らない。地に足つけて走ってやるさ」




