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絶望の果てで君に出会えた(短編バージョン)

作者: 有原優

 何も面白くない日常。

 ただ、毎日学校に行って、くだらない先生のつまらない授業を聞く日々。

 学校は行きたいわけじゃない、ただ、学生の義務だから行くだけだ。

「はあ」

 ため息をつく。友達はいない、必要がない。友達、人といても疲れるだけだ。そんなこと、陽キャ共を見てたらわかる。あの人たちはどうしても楽しそうには見えない。むしろ、無駄なおしゃべりで時間をロスしてる気がする。そんなことをするくらいなら休み時間に漫画でも読んでる方が有意義だろう。

 だがそれが私の強がりということは私が一番分かっている。これは所詮友達がいないことに対する言い訳だと。

 家でもそれは同じだ。常に不機嫌な母親の機嫌を取ったり、怒りやすい父親の地雷を踏まないように気をつけたり。

 それなのに父親はいつも怒って、私を殴る。そんな日々はうんざりだ。

 そんなことを考えていると、授業が始まった。授業の内容はよく分からない小説のよくわからない解説だ。本当に面白くない、漫画の方が絶対に面白いだろう。

 小説なんてラノベは自分の妄想の垂れ流しだし、こういう太宰治や芥川龍之介の小説なんて、ただカッコ良さそうに書いてるだけだろう。

 はあ、本当にこんなもの人生に何の役に立つのか。勉強なんて、しても無駄だ。

 昼休み

「えーまじでー」「それな、ウケるー」「お前さ、授業中寝てたよな」「あのキャラマジで強いよな」「あのYouTuber面白いよな」「昨日のアニメ見た?」「昨日の番組見た?」

 ああ、うんざりだ。こんな大声でする話ではないだろう。私に対する当てつけか? こんな空間にいられない。今日も昼ごはんは屋上で食べようと思い、教室をこっそりと抜け出す。

 屋上は広いし静かだ。何も私を阻害する存在などいない。私史上一番のお気に入りスポットだ。

 ここでご飯を食べると少しだけ気分が晴れやかになる。

 お父さんに殴られた頬の痛み、お母さんにストレスのはけ口にされたもやもや、クラスの陽キャのうるささ、誰にも打ち上げられない悩み。


 そんなものが晴れていく。

 そして、ご飯を食べ終わり、午後のつまらない授業に出た。

 午後の授業は先生が風邪を引いたらしく、自習だった。

 私みたいなインキャにとってこの時間が思い切り辛い。陽キャたちは「やったー自習だーー!」などと喜んでいるが、こいつらは所詮喋ってるだけだ。そんなもの家でもできるだろと言いたい。

 そしてそんな苦痛な時間に耐えながら、プリントを解く。

 向こうで「鳩、お前のやつ手伝ってやろうか」なんて言ってる人がいるが、自分で解いた方が力になるだろう。

 そして苦痛な授業が終わり、家に帰ると。


「おう、帰ってきたか」

 と、お父さんに言われた。ああ最悪だ、お父さんがいる。今日も地獄になりそうだ。

 この父親こそ諸悪の根源そのものだ。何かあるたびに暴力に訴えるクズ父親。こいつの顔を見るたびに吐きそうになる。こいつさえいなかったら私の生活は安定していたはずなのだ。

「ただいまは?」

「ただいま」

「ただいまお父さんだろ!」

 と、叩かれた。

「俺はお前のために毎日汗水垂らしながら働いてるんだ。ちゃんとその意味を考えろ。そういう意味で言えば、いつもありがとうを付け加えてもらうべきだったな」

「毎日私のために働いてくれてありがとう」

 正直言いたくない。でも言わなかったらどうなるか、私はちゃんと分かっている。嫌でも言い切るしかない。

「それでいいんだ。あと、肩揉んでくれよ。疲れたからさ」

「分かった」

「もっと笑顔で言わんかい!」

 叩かれる!?

「まったく」

 ああ、叩かれなかった。運がいい。

 そして肩を揉む。疲れてるいのは正直私も同じだ。自分だけ特別扱いしないで欲しい。でもまあ、この人に何を言っても変わらないだろうな。

 親ガチャ当たってたいらな、そんな事を毎日考える。親ガチャって言うな、与えられた環境で頑張れと言う人もいるが、この状況でどうして、頑張れようか。

 そんなことを考えていたら精神を病んでしまう。

 はあ、嫌だ。こんな毎日。こんなクソ親父に媚を売らなきゃならないなんて。

 とはいえ、手抜きなんてできない。手抜きなんてしたらまた叩かれる。ああ泣きたい。泣きたいよ私は。こんな日々を毎日過ごさなきゃならないなんて、こんな地獄は他にはないよ。


 そして肩揉みから解放されて、部屋に行く。部屋に行っても何もする気が起きない。だるすぎてもう寝たい。ああ、こうして私の人生は無垢に過ぎていくんだな。

 そして、疲れたのでご飯の時間まで寝ようとしたが、明日までの宿題が出ていた事を思い出し、教科書を開く。数学の練習問題を解かなければならないのだ。後回しにするのも億劫なので、今やる。

 問題は難しく、私に解けるのか? と思うレベルの問題だ。私は正直勉強があまり得意ではない。

 そして勉強が終わり、下へと降りる。宿題はしたものの、あっているか自信がない。勉強出来ないのが辛い。


 そしてご飯を食べる。お父さんと一緒なせいで全く味がしない。常にお父さんに対してビクビクしなければならないのだ。

 本当に何が原因でキレるか分からないのだ。

 そして美味しくないご飯を食べ終わった後、ベッドに潜り、スマホを触る。が、楽しくない。

 そして眠る。だがたまにお父さんが無理やり起こしてきて、無茶ぶりするときもあるから、そこが怖い。だが、今日は運のいいことに安眠で来たようだ。

 そして翌日学校に向かう。つまらない授業を聴きに。

 だるいし、しんどい。でも、学生だから行かなくてはならない。

 いつも学校が近づくと、気分がさらに落ち込む。周りの声が大きくなるからだ。

 本当に一人での登下校はしんどい。だけど、友達が出来ないのだから仕方がない。

 数学の授業が始まった。


「鈴村この問題を解いてみろ」

 早速私が当てられた。

 昨日宿題をやっていてよかった。

 そして自信満々に「3i+2です」と答えた。ふうと、胸を撫で下ろし、椅子に座ろうとした時、

「違いますね」

 と言われた。自信はなかったが、違うかったらしい。ショックだ。これで昨日宿題やったのは無駄となった。しかも、「これは基本問題だし、ちゃんとできるようにしてください」      などと怒られて最悪な気分だ。

 そして、終わった後、私は鬱な気持ちになった本当にこんな毎日いつまで続くんだろうか。家でも学校で明るい気持ちになることはないこの日々が。


 そして昼休み、私は弁当を食べずに屋上の柵にもたれかかった。はあ、しんどい。

 そう言えばお母さん前に言っていたな、あなたがいなかったら、もっと楽に離婚できるって。そもそも私の存在意義は何なのだろう。私が死んでもお父さんは悲しまないだろうな。お母さんは? 軽くは悲しむだろうけど、離婚出来てハッピーだろう。

 それに私は勉強もできないし、人付き合いも上手くない。私にはいわゆる価値がない。そしてこれから私が社会で貢献できる自信もない。あのお父さんにいつまでも愛想笑い出来る自信がないし。

 そう考えたら私っていったい何なのだろう。

 私はいつまでこんなくだらない生活を続けるんだろう。正直何も楽しくない。こんな感じだったらいっそ……


 私は無意識に落下防止の柵を渡った。

 ああ、幸せになりたかった。でも、飛び込んだら幸せになれる。そう信じて私は屋上から飛び降り……?


「おい! 危ないだろ!!!」

 次の瞬間声をかけられ、腕をつかまれ、飛び降りを阻止された。

「命を粗末に扱うんじゃねえ!」

 そう怒鳴られた。

 その言葉にムカッとした私はつい「何も知らないくせに!!!!」と、そう叫んだ。この苦労を、この暗い人生を、何も知らないくせに! 他人の生殺与奪の件を奪いやがって。

「そんな怖い顔すんなよ。せっかくの美人な顔が勿体無いぜ」

 美人な顔? こんな口論してる時に言う言葉か? いや、どうせお世辞に決まっている。こういう男が嫌いなんだ。他人に可愛い、かっこいい、そんなことを言えば好かれると。実際彼、山村茂は友達の女子に「今日も可愛いね」とか言ってる所を何回も聞いたことがある。

 でも、どうせ可愛いとでも言ったら自殺をやめてくれると思ってくれてるんだろう。

 その意図を汲んで、また飛び降りようとする。だが、再び彼に、山村茂に止められた。


「なんで! なんで止めるのよ! 死なせてよ!」

「それはダメだ。お前高校生一人育てるのにいくらかかると思うんだ? およそ二〇〇〇万円はかかるぞ」

「それが何? だからって生きなきゃだめってしんどいだけじゃん。命の大切さを説かないでよ!」

「だから……その命を俺にくれ! 自殺によって失われかけたその命を!」

「は?」


 全く意味が分からない。

「言い方が悪かったな。俺とこのあと一緒に来てくれ」

「ええ!?」

「頼む」

 その真剣そうな顔を見て断れるほど私は出来てはいない。こういう時に私はTHE日本人だなって感じがする。強く突っぱねられない。これが私の弱点だ。

 そしてそのままカフェに来た、来てしまった。


「愛香、何が欲しい? 奢ってあげるよ」

「なんでも良いけど……良いの? ここ高くない?」


 カフェラテが六百五十円と書いてある。カフェとかなんてあまり行ったことがない私には、これだけで体がすくんでしまう。六百五十円あれば夜ご飯なんて余裕で作れてしまう。  そう考えると恐ろしく高い金額だ。

「大丈夫。俺の親医者だから」

 そう言って彼は私に笑いかけた。なんだよ、私の親も医者が良かった。お金持ちだったら家だってこんな険悪な空気にならなかったんだ。

「頼まないの? なら俺が適当に愛香の分まで頼んであげるから」

「ああ、もう! 私が頼むよ」

 彼といるとなんかおかしくなっちゃう!

「カフェラテで」


「それでなんで死のうとしてたんだ?」

「……それは山村くんには関係ないでしょ」

「今ここで二人きりでいる時点で関係あるよ。俺ならいくらでも話聞くからさ」

「嫌だ。話したくない」

「まあそれは話したくなったらで良いよ。それで本題なんだけど……俺たち付き合わない?」

 付き合わない? なぜこの陽キャはこう言ってくるんだ。いつも可愛いって言っている子と付き合えば良いじゃないか。 いや、そう言えば付き合っていたな。まあ別れたって言っていたけど。

 とはいえ、私なんかと付き合わなくても他に代わりはいるはずだ。クラスの中に何人も。

「私じゃあ釣り合わないと思う」

「ああ、俺じゃあまだ足りないってこと?」

「それって嫌み?」

 私は、そう言う意味で言ったわけじゃないのに。とはいえ、もうそんなことはどうでもいいのに。

「私はさあ、もう、どうでもいいのよ。全てが。勉強もできない、友達付き合いもよくない、家での立場も弱い、常に暗い気持ちの私に医者の息子で、クラスでもちやほやされてるあなたと釣り合うと思う? 私は絶対にそんなこと思わない。彼女が欲しいだけなら他の女子と付き合ったらいいじゃない!!」

 言った後ではっと我に返り、怒鳴ったことを後悔した。

 なぜ、私怒ったんだろう。なあなあな会話をしようと思っただけなのに。

 頬に水分を感じる。

 何で泣いているんだろう。全てを諦めたはずなのに。どうやら私は人の顔色を窺いすぎて、自分が分からなくなったらしい。

「泣いてもいいんだよ。ここにはお前を責めるようなやつはいない。お前をストレスのはけ口にするようなやつも」

「え?」


 私はそんなこと彼にも、クラスメイトにも話したことがないはずだ。なぜ知っているんだろう。そう思ったらすぐに、

「カフェラテと、ハーブティーです」

 店員さんが運んできてくれた。

「わ、いいにおい」

「だろ。ここおすすめなんだ」

「そうなんだ……」

「お前も、飲みたくなったら飲めよ。ここの紅茶とかカフェラテはコンビニとかのとは全然違うから」

「……うん」

 不思議な包容力だ。こういうのを大人と言うんだろうか。

 私と同い年だというのを疑いたくなってしまう。神は二物を与えんと言うが、私みたいに一物ももらえなかった人の代わりにこういう人が二物をもらえるんだろうか。いつもはクラスではしゃいでいるうるさいやつと言う印象しかなかったんだけど。

「まあでも……」

 彼が口を開いた。

「冷めないうちに飲めよ。」

「うん」

 そして、一口飲む。カフェラテの味全てが私の中に入ってくる。なんておいしいんだろう。こんなにおいしいのは飲んだことがない。

「な! おいしいだろ。つらい時にはおいしいもの飲んですっきりするほうがいいさ。人生一〇〇年。出来るだけ楽しい気分で痛いだろ」

「うん。そうだね」

 私にはそんな時間はほぼ用意されてはいないけれど。家でも学校でも。

 でも今は、今だけは少しだけ胸の痛みが晴れた気がする。

「俺、やっぱりお前を助けてよかったわ。お前やっぱりかわいいし」

「それ……セクハラじゃない?」

「いやー俺もいいことしたわ。お前を見殺しにしてたら世界の損だわ」

 聞いてないし……でも。

「ありがとう」

「お、素直だな」

「だって、褒められることなんてほとんどなかったし」

「そうか。でも、これからはお前が自殺しないようにたくさん褒めてやる」

「ありがとう……まあ褒められが足りなくて自殺したわけじゃないけど」

「よーし、俺の本格的な目標が決まった! お前を幸せにする。そしてお前に生きることを選ばせてやる」

「ありがとう」

 私にとってこの退屈な日常が終わるかもしれないというのは願ってもない話だ。これで明日にも少しだけ希望が見えてきた。

「そろそろ帰るか。じゃあまた明日な」

「うん、また明日」

 とはいえ、これからまたあの地獄のような家に帰らないといけないのか。はあ、

「嫌だなあ」


「ただいま」

 そうお母さんに告げた。すると、

「おかえり」

 と、お母さんは明るく返してくれた。だけどこれはだめだ。機嫌が悪いお母さんだ。共に過ごしてきた私には分かる。

 そしてそんなお母さんを避けるようにそ上の部屋に、自分の部屋へとそっと向かう。

「ねえ、愛香?」

 やばい!

「なんで、学校早退したの? 理由を聞かせて?」

 そうだった。理由はともあれ、学校をさぼっていたんだった。怒られるかもしれない。そう思うと、恐怖心が芽生えてきた。

「言いたくない」

 そう、お母さんに告げる。まさか正直に話すわけには行かない。

「へーやましい理由なんだ。いい? 年の学費四〇万払ってるのよ。愛香が公立高校に行けなかったせいで。それなのに、私立に行かせてるのに。さぼりって! ちゃんとしてよ! 学費がもったいないじゃない。私はこの少ないお金でやりくりしてるっていうのに。……なに? その顔は。いつ終わるかなって言ってそうな顔は。ふざけないでよ。だからいつもあなたは友達が出来ないの」

「それは関係ない!」

「関係あるわよ。もう、いつも、いつも毎回毎回こんなこと言わせないでくれる? 私はあなたがちゃんと育ったらいいなと思ってるの。子どもがちゃんと育てるのは親の義務なの!」

「……ごめん」

 言い返すだけ無駄。そんなことはわかっている。この人は私が微熱を出していても学校に行かせるような人だ。変に言い返して、キレさせる方がダメだ。

「いいから理由を答えなさい!」

 そんな私の考えなど知らないであろうお母さんが、キレた。本当謝ってもさらにキレだすのか……

「……しんどくなって」

「しんどくなった!? じゃあ熱あるの?」

「無いけど」

「じゃあ、その理論はおかしいんじゃない? 熱ないのに、学校さぼるくらいしんどいって意味が分からないわ。もう今日は夕食なしね」

「……はい」

 なぜ子供の夕食抜きなのか。でもそれを言ったらさらに怒らせてしまう。今は我慢だ。


 そして部屋へと戻る。すると、わたししかいない空間が広がり、少しだけましになった。そこで、彼、山村くんにメールを書く。

『今日、さぼったことばれて怒られちゃった』

『そうなんだ。ごめんな。カフェに連れてきちゃって』

 性格イケメンじゃん、いや、そうじゃなくて、

『山村君は悪くないよ』

 と、一言送った。


 そして翌日。家の前に山村君が来ていた。

「おはよう」

「うん。おはよう」

「家の前まで来てたの?」

「まあ、せっかくだしな。それに話したいこともあるし……」

 やはりいい人だ。イケメンでもある。本当人のことまで考えられてずるいよなあ。私なんて自分一人のことで精いっぱいなんだから。

「なんでそんなに優しいんですか?」

「ん? なんで優しいか? そんなの決まってんじゃん。愛香が好きだから」

「また、そう言って!!!」

 私をほめ殺す気なのかな?

「それより……」

 咳払いをして、

「なんで、私のことが好きなんですか?」

「そりゃあ、かわいいし、そんなかわいいお前が不幸ぶっているのを見ると、少し腹立たしいんだよな。お前みたいなかわいいやつがなんで笑顔で暮らせてないんだろって」

「本当にそれだけ……?」

「当たり前だろ。一目ぼれにもならないような小さな恋心が、お前の自殺未遂で形になったってわけだ」

「また自殺されるのは勘弁だけどな」そう言って笑う彼に対して不本意ながら少しだけときめいてしまった。

「おっと、そろそろ急がないと遅刻してしまうな。急ぐぞ、愛香」

「うん!」

 そして彼が差し出す手を握って、共に駆けていく。暖かい、男性の手と言う感じがする。気持ちがいい、永遠に触っておきたいそんな雑念をはらみながら走った。


「「はあはあ」」

「つっかれたー」

 教室ついての彼の第一声はそれだった。私はそれにつられて「疲れたあ」と珍しく口を開く。学校で口を開くことなんて、授業の時にしかなかったのに。

「え? なに? なんで山村が鈴村さんと?」

 そんな時、一人の女が山村君に話しかけた。クラスメイトの村林鳩だ。いつも山村君と一緒にいた人で確か山村君の元カノだった気がする。

「俺の彼女」

 そう群がる群衆どもに向かって彼は一言そう言い放った。それを聞いた周りの人たちは状況が呑み込めていないようだった。私も、今こうして彼女と言われてるので、少しうれしくなった。認められた感じがして。

「どういうこと?」

「今まで接点なかったよね」

「ちょっと飲み込めてないんだけど」

 山村君に陽キャたちが群がってくる、そしてその集団の中に私も呑み込まれてしまった。やばい、正直しんどい。この陽キャオーラに私は耐えられる気がしない。

 やばい頭がくらくらとしてきた。これじゃあ、私……

「ちょっと」

 山村君は集団の中から私を連れて出て来た。

「質問多すぎるって、俺、聖徳太子じゃないんだから」

 その言葉で周りが笑いの渦に巻き込まれた、その片側で、「大丈夫か?」と声をかけてくれた。気恥ずかしく「大丈夫」などと答えると、「それは良かった」と言って質問に答え始めた。

 もしかしたらこの人と一緒なら、学校少し楽しくなるかもしれない。そう思った。


「よ!」

 私の隣に座った山村くんが、私に声をかけてくる。そうだった、隣の席なんだった。

「よ?」

 私も真似する。でも羞恥心が邪魔をして上手く出来なかった。

「まあ……とはいえさっきはありがとう」

 それを聞いて彼は「お礼言うほどじゃない」と前置きした後、

「それに、こっちが謝ることだ」

 と、静かに言った。

「なんで貴方が謝る必要があるの?」

「そりゃあ俺の友達がデリカシーのないことを言ったからに決まってるだろ」

「でもそれは貴方が悪いわけじゃないじゃん」

「そうだな。でも謝って損なことはないだろ」

 それに対して、「自分のため?」と返しておいた。

 やっぱりこの人は不思議な人だ。だが、だからこその温もりもある。


 そして授業が始まった。つまらない授業が。

 (はあ)心の中で溜息をつく。彼がいたところで、授業がつまらないことには変わりがないのだ。

 だが、隣で必死にノートを取っている彼を見ると少しだけだけど、やる気が出た。

 本当馬鹿みたいだ、影響されているなんて。私は、こんなにもノートを取るのが苦痛なのに。

 そして黒板の板書が書かれては消され、書かれては消されていく。普段真面目にノートを取っていない私がそのスピードに追いつける訳が無かった。

 途中からひらがなで書いていたが、追いつかずにやはり諦めた。私には授業無理だ。やはり授業は面白くないし。

 そして残りの二〇分は軽くだけノートを取って、授業を眺めていた。それを見て彼が「大丈夫か?」と聞いてくるが、無視をした。私のことを可愛いと言ってくれる人にこんな顔は見せたくない。軽く絶望している私の顔は。


 そして授業が終わり、再び彼が「大丈夫か? ちゃんとノート取れた?」と聞いて来た。

 それを聞いて私は、

「取れなかった。私バカだから」

 と、愛想笑いをした。実際私の成績は三八〇人中三百三十四番目で下の方だ。対して勉強ができる訳がない。私なんて、学力では本来なら赤点何個? とかふざけ合う陽キャみたいな物だ。

 だが、それを聞いて彼が、

「自分のことをバカって言うなよ」

 と、真剣な顔で言った。

「どうして?」

「やっぱり自分を不幸に置こうとしてるじゃん。俺に言わせたらお前はその顔を持ってるだけで勝ち組なんだよ!」

 と、怒って来た。でも、私は……

「褒めてくれるのはありがたいけど……私は勉強はやっぱり出来ないの。いつも学年一位を争っている貴方にはわからないよ。授業がわからない苦痛なんて」

「じゃあ教えてあげよっか?」

 先程とは違って軽い感じで彼が言った。私のことを想っている感じがする。でも、

「私、勉強したくない」

 そう、したくないのだ。勉強なんて頭が疲れることしたくない。だからこそ学校が嫌いだと言うのに。

 そして、私は逃げるように「トイレ行ってくる」と言ってトイレに駆け込んで行った。


「ハア」

 トイレで溜息をつく。私だめだな。彼は私のことを想ってそんな言葉をかけてくれたのに、一方的に否定して。

 勉強が嫌いなのは事実だ。それは変わらない。

 私だって分かっている、もし勉強が出来たら今の状況を変えることができるかもしれないって。でも、だからって勉強するモチベーションにはならない。

 私は馬鹿のままでいいのだ。それに私は女だ。どうせ勉強したところで、子育てや色々でその成果を発揮できないだろう。

 彼には悪いけど、私は勉強しない。別の方法を探す。


「おかえり」

 私の言った事に対してなにも気にしてなさそうな顔で、そう告げられた。

「……ただいま」

「なあやっぱり……」

「だめ!」

 彼の言葉を遮って言った。勉強なんてしたくない。

「まだなんも言ってないだろ。まあともかく、俺はお前の明るい顔を見たいんだよ。お前自分では気付いてないけど暗い顔してたぞ。もしさあ、それで授業が楽しくなったらもうけもんじゃねえか。別にやって嫌だったらやめてもいいからさあ」

 紛れもない正論だ。これを論破することなど私には出来ない。ただ、私も理屈では無いのだ。理屈じゃ無いからこそ、正論を言われてもやる気は出ない。

「じゃあ、放課後、図書室で勉強するか」

「……嫌です」

「え?」

「私、もう勉強自体が嫌いで、理屈じゃなくて、その……」

 言葉がまとまらない。ただ私の意思を伝えたいだけなのに。

「分かった。じゃあ、カフェでやろう。カフェラテとかケーキとか奢ってやるから」

「いや、そんなの悪いよ」

「いやいいから」


 結局押しとカフェの誘惑に負けて、カフェへと来てしまった。勉強道具を持って。

「ねえ、ここで勉強して迷惑にならない?」

「大丈夫だ。周りあまり客がいないだろ、隠れた名店なんだよ。ここはさ」

「……そうなんだ」

 そして昨日と同じくカフェラテを頼んだ後、

「ほら、糖分も取らなだろ! こう言うのもあるぜ」

「ねえ、山村くんは貢ぐのが好きなの?」

「ああ、幸せそうに食べる愛香が見たいからな」

「またそんなことを言って」

 そしてケーキを注文した。イチゴのショートケーキだ。

「じゃあやるか!」

「もう?」

「ああ。時間が勿体無い」

「もう少しだけ待って」

「はあ、仕方ねえなあ。いきなり全部はやらないから、安心しろ」

 私の必死の抵抗虚しく、教科書が開かれる。

「まず数学から行くか」

「たしか山村くん、数学学年一位取っていたよね」

「よく知ってるなあ。流石だ」

 そして数学が彼の口からゆっくりと教えられる、公式の覚え方、公式の応用、計算ミスの減らし方、工夫した計算方法、それは優しく、簡単なように教えられていく。

「山村くん、教えるの上手いね」

 と、カフェラテを飲みながら言った。


「そうかなあ。まあでも愛香がちゃんと理解してくれてるのならよかった」

 と微笑んだ。その時だった。私はすこし違和感を感じて、彼の顔をじっと見た。

「な、なんだ?」

 いつも冷静な彼もその時は動揺を見せた。

「いつも、呼び捨てにしてない?」

「え?」

「だっていつも愛香って私の名前を」

 私だったらそんなこと恐れおおくてできない。人の名前を呼び捨てになど。

「ああ、そりゃあ当たり前だろ。好きな人の名前を名字で呼ぶなんて、そんなのはねえだろ」

「でも私、名字で呼んでるから」

「確かに愛香、名字で呼んでるな。俺のこと」

「名前で呼んでほしい?」

「いや、別にいいよ。呼びやすい方で」

「……」

 良い人すぎる。そんなこと言われたら……

「茂くん……」

 思い切って言ってみた。恥ずかしい。

「はは、良いなあ。もっと言ってくれ」

「もう、恥ずかしいから!!! ……茂くん」

「さすが!」

 と、肩を叩かれる。もう、恥ずかしい。絶対周りの人見ているだろうな。

 そして、英語、国語、理科、社会などの教科も勉強した。

「よく頑張ったな!」

「うん」

 実際一時間半勉強した。理科と社会はほぼ触りだけだったが、勉強できるようになった気がする。まあおそらく気のせいだろうけど。

「顔」

「え?」

「明るくなってる」

 それを聞いて、確かにと思った。少し勉強への嫌悪感も薄れてる気がするし、全体的に気が楽になってる気がする。

「はあ、名残惜しいなあ。もう少し愛香とここにいたいのに」

「仕方ないよ。私には門限あるんだし」

 私の門限は五時半だ。それまでに帰らないと怒られてしまう。

 そのためもう帰らなきゃならないのだ。あの地獄のような家に。

「……帰りたくない」

 と、心の声をぼそっと呟いた。この人と、いると心の声を全て吐き出してしまいそうだ。

 そんな中で、彼は優しく「大丈夫? 手伝えることがある?」と、優しく私に言ってくれた。この絶望の世界で優しくするなんてずるいよ、頼ってしまうじゃん。

 そして彼の手をぎゅっと握った。離したくないという気持ちで、

「そんなことをされると、なんか照れるな」

「私も……」

 そしてそんなことをしている間に、十五分になった。

「じゃあまた明日な」

「……うん」

「また電話かけてやるから」

「うん」

 そして手を振り、帰路に着く。


「ただいま」

 と一言お母さんに告げ、家に入っていく。お母さんは今日は機嫌がいい感じの声で「おかえり」と告げた。そしてそのまま部屋に入っていく。そして、ベッドに寝ころんだ。今日の思い出をかみしめながら。

「はあ」

 彼にメールを送りたくなる。いつから私は彼に依存しだしたのだろう。たったの一日で。

 こんなつもりはなかった。人に懐こうとも思っていなかった。なのに彼の近くにいたら、何でも話してしまうし、落ち着く。

 馬鹿みたい、一昨日まではどちらかと言えば嫌いな人種だったのに。

「私はなんなのだろう」

 この、気持ちは恋ではないということはわかる。でも、本当に不思議な気持ちだ。彼がいる、それだけで安心感を感じる。早く学校に行きたい、そう感じてしまう。こんなことは今までになかった、家も地獄だけど、学校の方が地獄だった。 そんな中、学校に行きたくなってるとは、本当に驚きのことだ。

「ご飯! 早く降りてきて」

 と、お母さんの声がした。その言葉に従い下に降りる。

 すると、お父さんがいた。明らかに機嫌が悪そうな、今にも人を殺しそうな顔だった。

「愛香」

 名前を呼ばれただけでぞくっとした。何をされるのが分からない、その事実が恐怖に拍車がかかる。

「愛香! 俺の顔を見て無言は許さんぞ。お帰りやろ!!! 俺は忙しい中返ってきたんだぞ。ねぎらいの言葉ぐらいくれや!!!」

 怒鳴られた。そのことで落ち込んでしまう。私は悪くないのに……

 そしてお父さんは悪態をつきながら積に座る。それを見て私もお母さんも腫物を触るようにお父さんに接する。


 本当に嫌だ。ご飯が楽しくない。死んじゃえばいいのに。


「なあ、希恵! 今日のご飯少し味薄くないか? わざわざ塩をつけるの面倒くさいんだけどさあ。俺疲れているのにわざわざ塩を振りかけるという行為を強要してくるのか?」

「……」

「なあ!!! どういう事なんだよ!!!」

 そうお父さんがお母さんを責める、その光景は見ていられないほどだった。

「なあ、愛香もさあ、なんで俺の味方をしないんだよ。おかしいだろ! ちゃんと俺の味方をしろよ、希恵を責めろよ。それでも俺の娘かよ」

「私は……お母さんの子どもでもあるんだよ」

「うるせえ!!」

 私の顔に向かって拳が飛んできた。それを喰らい、地べたにうずくまる。

「口答えしてんじゃねえよ。お前らを食わせてやってるのは誰だと思ってるんだ!!! いい加減にしろお前ら。希恵はさっさと塩を入れろ!」

「わかりました」

 と、お母さんは肉全体に塩をかける。お父さんが「そう、それでいいんだよ」と言っておいしそうに肉をむしゃぼり食べる。今までのでちょうどよかったのに。

 案の定、取って食べてみたら塩辛かった。ギリギリ食べられるけど、あまりおいしくない。むしろさっきまでのほうがおいしかった。

「はあ」

 もう嫌だ。

「何? 愛香? ため息ついたか? もしかして俺のこの態度が気に入らないっていうのか? お前が俺の味方をしなかったから殴られた、それだけだろ!!」

 本当、私は単にため息をついただけなのに、お父さんの悪口なんて言ってなかったのに。

 私にはわかる。お母さんが常に不機嫌なのはこの父親がいるからだと。お父さんさえいなかったら全てが丸く収まるのに。


 そして不味い食事を済ませた後、部屋に戻り、すぐに彼に電話をかけた。彼なら私の愚痴も笑って聞いてくれるだろう。

「どうした? 愛香」

 その優しい声が飛んできた。それを聞くだけでストレスが軽く吹き飛ぶ。

「あのね、山村君。私殴られた。お父さんが家帰ってきたら機嫌悪くて、それで理不尽に殴られて怖かった」

 心の内をすべて話す。乱雑に組み合わされた言葉で。本当に、つらい気持ちを吐き出した。それを聞いて彼はただ一言「つらかったな」と言ってくれた。こんな地獄に一人味方がいる。それだけで心が安らぐ。

 私はやはり彼がいなかったらこの世にはいないだろう。もしあの日、別の生徒が自殺を止めていたとしても、その後でやはり死を選んでいただろう。

 でも今は死を選ぶ気はない。それだけ彼の存在が私にとって心強いという事なのか。もう、今彼に会いたい、彼のひざ元で泣きたい。でも今それはかなわない願いだ。

 それだったらせめてと、長電話をした。彼も私のことが好きだと言っていたし、これくらいは許されるだろう。

「じゃあまた今度」

「ああ」

 一時間が過ぎたころ、流石に話し過ぎかなと言うことで電話を終了する運びとなった。電話を止めたくない。でも、止めなければだめ。そのことはわかっている。これ以上の電話は彼を疲れさせてしまう。ただ、

「最後に、これだけは言っておきたい……楽しかった」

「ああ、それは俺もだ」

 そして、そのまま宿題をした。面倒くさそうな宿題はいつも放置するが、今日の私は、少しやる気が残っていた。

 そし宿題をした後、すぐに寝た。


「おい!」

 その声で意識を夢の中から現実に戻された。

「先に寝てんじゃねえよ。愛香!」

「え? え?」

 状況が呑み込めない。これは私が悪いのだろうか……。ああ、そうか、そういう事か。今日はお父さんの無茶ぶりに応えなければならないという事か。

「愛香。ここはお疲れのお父さんに対して肩をもむとか、マッサージをさせてくれるとか、サービスをするべきだろ。お前みたいなただ学校で授業を聞いているだけでいい学生はなあ」

「……ごめんなさい」

「だから、背中のマッサージをしろ。ほら、指示待ち人間じゃあ生きていけねえぞ」

 何で寝ていたのに、そんなくだらないことで起こされなきゃならないのか。だが、それに従うほかない。仕方がないので、背中を押す。昨日肩を揉んだというのに。

「もっと強く。強くだ!!」

「……はい……」

 もっとやる気が出るように言ってくれたらいいのに。そしてそんな感じで一時間背中をマッサージしたらようやく帰ってくれた。これでようやく眠れる。


 そして翌日。

「愛香! 昨日はあの後大丈夫だったか?」

「いや、昨日あの後マッサージを要求されちゃって」

「そうか。お前のお父さんは、やはり……」

「どうしたの?」

「いや、なんでもない。それにしてもストレスの吐け口にされるって大変だな」

「うん……あんな奴死ねばいいのに」

「え?」

「いや、何でもない」

 危ない、流石に死んじゃえは言いすぎか。でも、本当にある日いなくなっていたらどんなにいいだろうか。

「茂くんは私のつらい顔は見たくないよね。元気出そ!」


 明るくふるまう事。それが一番の解決策かもしれない。

「無理すんなよ」

「うん」

 すると、向こうから村林さんが来た。そして、「愛香ちゃんもらっていくわね」と、茂くんに言ってそのまま、私を連れて屋上に行く。


「ねえ」

「はい」

 彼女は確か茂君の元カノだったはずだ。もし怒っていたらどうしよう。殴られたらどうしよう。

 だが、それは杞憂だった。

「ありがとうね」

「え?」

「あなたと出会ってから茂楽しそう」

「……」

「私と付き合ってた頃、茂全然楽しそうじゃなかったからさ」

「……村林さんはそれでいいんですか?」

 もしかしたら私が茂くんを奪ってしまったのかもしれない、村林さんは、私に気を使わせないためにそう言っているのかもしれない。そう思ったら、なんとなくいたたまれない気持ちになった。

 この言葉も、その思いから出てしまった。今、茂くんのことが好きなわけではない。ただ、私の心のよりどころになりえる人間を手放すかもしれないような言葉だ。だけど、訊かなくてはいけないと思った。


「鳩でいいよ」

 そう言われて、びっくりした、だが、呼び方を改めて、

「鳩さんはいいんですか?」

 そう訊いた。

「うん。だって私と茂合わなかったんだもん。私もあまり楽しくはなかったしね」

 これは、私に気を使っているのか、本心なのか。彼女の顔色から察そうとするが、どちらとも取れそうだ。

「どんな感じだったんですか?」

 さらに質問に質問を重ねる。

「んっとね、緊張しまくりで、気の使いあいがひどかった、それに比べたら今の方がいい。だから私は茂の友達でいとどまるの」

「そうですか……」

「そんな顔しないで? あなたのせいで別れたわけじゃないからね」

 鳩さんは笑ってそう言った。一点の曇りのない笑顔で。

「はい」

 そして、鳩さんから様々な話を聞いた。山村君の性格、好きなもの、その他いろいろな話を。その、離している時の鳩さんの顔を見たら、私に対する憎悪とかそんなものはほんの少しも感じない。

 茂くんに私とくっついてほしいという気持ちを感じる。

 いいなあ、こういうの。友達がいるっていうのはこういう感じなのか。

 今までの友達がいなかった一六年間が覆される気がする。茂君に続いて、鳩さんまで。

 私にとって、今の時間は天国だ。

 これで家まで幸せだったらいいのに……。

「どうしたの? 愛香ちゃん」

 どうやら考えすぎていたようだ。鳩さんをないがしろにしてしまっていたらしい。申し訳ない。せっかく茂くんのことを教えてくれているのに。

「ごめんなさい! 考え事していて話に気を聴いていませんでした!!」

 と、その場で土下座する。

「いや、いいのよ。そんなことしなくて」

「いや、なんかその、私友達いないから、こういう時にどうしたらいいのかわからなくて」

「……」

「なんか、ごめん」

「いや、いいのよ。私も茂もあなたのことを嫌わないわ」

「ありがとうございます」

 ああ、この人は、いや、この人もいい人だ。そう心の底から思った。

 そしてその後、

「茂ー! 愛香返すわよ」

 と、鳩さんに背中を押され、茂くんのもとへと戻された。

「おう」

「じゃあ、私は向こう言っとくわね」

 鳩さんは「トイレ、トイレ」といって向こうに走り去って行ってしまった。

 何だろう、気を使ってくれたんだろうか。

「……」

 何か言ってほしい。私も困る。よく考えたら私もそこまでしゃべるのが上手くなかった。いや、全くと言い程か。茂君……助けて。

「鳩と何を話したんだ?」

 良かった、茂くんが話を振ってくれた。

「うん。なんか付き合うんだったらその注意事項的なことを」

「注意事項って……あいつ」

 山村君が笑う。

「もう茂くんの取説は大丈夫だよ」

「そうか、ならよかった。じゃあ、俺が一番好きな食べ物は何だ?」

「えーと、焼きそば?」

「正解だ。じゃあ、俺が嫌いな食べ物は?」

「納豆!」

「あいつ、何でも愛香に教えてるな」

「うん。人がいいって言うか。てか、茂くん、前、鳩さんと付き合っていたんだよね?」

「まあな」

「なんで、何で別れたの?」

「……俺が単にあいつと一緒にいて楽しくなかった。それだけだ。別にお前のせいじゃない」

「分かった」

 鳩さんが気を使っていたわけじゃなかったようだ。

「じゃあ、国語の授業始めるぞ!」

 その言葉で私たちの会話はせき止められ、授業モードにした。


 そして二週間後。

 私たちは見る見るうちに仲が良くなっていた。カップルと言うまでではないが、もう彼無しでは生きられない状態になってくる。

 その影響か、だいぶ話せる人も増えてきた。鳩さんは当然として、もう一人の友達である、佶家雅人君とも話せるようになってきた。

 その二人には結局私の家の事情はある程度は話した。私たちが付き合った理由とかも。

 鳩さんはシンプルに私の頭をなでてくれた、「つらかったんだね」と、言ってくれて。私はその一撫でが嬉しかった。   

 もうこの時点で、私にとって鳩さんも大事な人に変わったのだ。

 雅人君とは、茂君と鳩さんほどではないが、そこそこは話す。と言うのも、彼には沢山の友達がいるからだ、それに彼は私と茂くんに配慮してか、わたしとはあまり話さないし。

 鳩さんもそうじゃないかと思うかもしれないが、鳩さんは本当に私たちとばかり遊んでいる。どうやら鳩さんは、他の友達よりも私たちを大事に思っているようだ。

「ねえ、愛香?」

「何?」

「昨日の勉強会どうだった?」

 昨日の勉強会の感想を聞かれるとは思っていなかった。いつもと代わり映えはないけど。

「茂、なんか愛香に対してした?」

「したって?」

「なんかこう、イチャイチャよ」

「何だと思っているんですか? 私たちを」

 あくまでも勉強会なのに。

「だって、何かしてないかなって」

「鳩さんって……」

「何よ」

「人の恋愛を楽しむの好きなんですか?」

 だってこんなに口を出してくるし。鳩さんはもうここ最近毎日、茂君に対する感想を聞いてくるのだ。

 まあ、もちろん嫌なわけではない。好きまで入っていないかもしれないが、一応彼氏の話ができるし。

「いいよ。そう言うの。自分で付き合うよりも楽しい」

「そう言えば、元カノでしたね」

「そうね。でも今の方が楽しいわ、二人とも楽しそうだし」

「お、俺の話か?」

 仮家くんと話していた茂君が話に入ってきた。

「うん」

「ねえ、茂。昨日愛香に何かした?」

「え? 何かって、まあ一緒に勉強しただけだけど」

「もっと何かしなさいよ」

「そう言われても……」

 一緒に勉強するだけでも楽しかったのに。

「もうここでキスしちゃったら」

「ええ????」

「馬鹿。鳩、もうおちょくるな」

 そう、茂君が言い、鳩さんは「分かったわ」と言って黙った。

 ああ、楽しい。やっぱりこの会話はいいな。楽しさが止まらない。学校は相変わらず好きなわけではないが、断然前よりも楽しい。


「愛香、顔」

「え?」

「いいな、その楽しそうな顔」

 楽しそうな顔だったんだ。まあ、笑ってはいたけど。

「本当茂くんは私の楽しそうな顔を見るのが好きですね」

「だって、そりゃあ当たり前だろ」

「まあ、知っていますけど」

 日に五回くらい顔見るの好きって言われるし。


「そうだ、今日カラオケ行かないか?」

「え?」

「そう言えば今まで勉強しかしてなかったからさ。それに鳩がイチャイチャをご所望だしな」

 それに対して鳩さんが後ろの席で「そうよ。カラオケ行っちゃえ」と言っている。

「でも、私お金ない」

「俺が出すに決まっているだろ」

「そうよ! お金なんてこいつに払わせとけばいいの」

「鳩、お前は黙ってろ」

 その茂の言葉で鳩さんは「えー」とか言って今度こそ引き下がった。私も……あんな冗談言ったほうがいいのかな、どうせ私がお金出さなくても茂くんが出してくれるでしょ見たいな。まあでも、なんか上から目線になっちゃうか……

 いや、でも毎日カフェオレをご馳走してもらってて今更なんだという話か。

「じゃあ……お願いします」

 本当は何か面白い返事がしたかったが、結局面白い言葉は見つけられなかった私は、おとなしくシンプルな返事をした。


「よしついたな」

「うん」

 今の時刻が四時。つまり一時間しか歌えない。

「そう言えば愛香は俺とのこと親に言ってたっけ」

「ううん。言ってない。だってどうせそんなこと言ったって」

「そうだったな。お前の母さんも早く離婚したらいいのに」

「うん。でもお金の問題とかあるし、実際あの人が稼いで来ているのも事実だから」

 気まずい空気になってしまった。私の発言がいけなかったのだ。もっと気の利く言い方をしたらよかったのに……

「おい、愛香。俺は楽しいぞ。お前の話が聞けて。お前はやっぱり暗い顔になりがちなところを直さねえとな」

 そう言って頭を撫でてくれる。

「うん」

「じゃあ歌おうぜ。一時間しかねえからな」


 と、すぐに彼は曲を入れる。

「これ一緒に歌おうぜ」

「……ごめん。その曲知らない」

「……そうか。なら何なら歌えるんだ?」

「え? ええと」

 そして私の知っている曲を探す。わかってはいたことだが、歌のレパートリーが少なすぎる。私は、そんな歌を聴いたりするタイプではないのだ。

 こんな状態でカラオケに行くことを了承したのがよくなかったのか……

 仕方ないから、とりあえず歌えそうな曲をリストアップしてみて、それを茂くんに手渡した。

「なるほど。じゃあこれ歌おうぜ」

「うん。あの、」

「ん?」

「下手だったらごめんね」

「大丈夫だ。俺もそこまでうまくないからな」

 そして、彼の言葉に励まされた私は緊張しながらマイクを持つ。

「僕から見た君はいつから特別になって行ったんだろう。僕はそのタイミングが分からず、ずっと君のことを遠目で見ていたんだ……」

 そして歌い終わった。


「下手でごめん」

 私の第一声がそれだ。実際私の歌は思ったよりも音痴だった。音程を合わせるのにも苦労し、リズムを合わせるのにも苦労した。茂くんがサポートしてくれてなかったら全然だめだっただろう。私はそんな私が嫌になる。本当、なんで歌が上手くないんだって。

「そうかな。俺は良かったと思うよ」

 でも彼はそう言ってくれた。その言葉がうれしかった。

「何泣きそうな顔してんの?」

「だって、うれしくて。こんなダメダメな歌なのに評価してくれてるって思って」

「当たり前だろ。それに駄目駄目じゃなかったよ」

「茂くんはなんでも私の子と評価してくれるね」

「恋は盲目だよ。いい部分しか見えなくなってしまうんだよ。好きになると」

 彼は「そんなこと言ったら愛香に悪いところがあるみたいだけど」と言って笑った。と言うことはもし、茂君が私のことを好きじゃなくなったら、私のことを一直線に嫌いになるのだろうか。その言葉を聞いて急に怖くなった。私はもう彼無しでは生きられない体になってしまっているのだ。

「茂くん!!」

 そう思い、茂くんに思い切って抱き着いてみた。

「なんだ? 急に」などと茂くんは言うが、そんなの構わないという気持ちでさらに強く抱きしめる。

「大好き」

 そう初めて彼に告げた。

「ありがとう……俺も好きだよ」

 と二人で抱き着いた。

「これってなんかいちゃついてるみたいだな」

「みたいじゃないじゃん」

「カラオケって抱き合うってカップルみたいだな」

「みたいじゃなくてそうなんだよ」

 まあ鳩さんの思惑通りになってしまったかもしれないけど。

「だな。てか歌わねえと」

「そうだった!」

 私たちは今カラオケに居るんだった、とすぐにカラオケ機器に曲を入れる。

「今度は愛香のソロか?」

「え? え?」

 ソロのつもりじゃなかったのに。でも歌うしかない。

「う、歌いまーす」

 と、流れる曲に合わせて歌を歌う。無理だあ、やっぱり全然上手く歌えないよ。

「いいぞ愛香」

 とはいえ、私の酷い曲を聴いて、いいぞと言ってくれる人がいる。それだけで歌う気力が出てくる。

「ハアハア」

 何とか歌い切った。点数は?

 点数は78.732だった。

「うう、ひどい」

「大丈夫。俺はうまいと思ったよ」

「ありがとう」

 恋は盲目とは言うけれど、軽く盲目過ぎるだろと言いたい。まあ私はそのほうが嬉しいんだけど。

「次は」

 と、彼が立ち上がり、

「俺が歌うわ」

 と、マイクを持った。

 そして茂くんの口から美声が流れていく。低音と高音を兼ね備えたしっかりとした声。これを世間一般ではイケボ?

 と言うのだろう。最初のデュエットの時も思ったが、素晴らしい声だ。私なんかの歌とは違う、ちゃんとした歌だ。

 音程を見てみても、ほとんど当たっている。むしろ音程が外れることの方が珍しい。とにかく素晴らしい歌だ。これを聴くと、さっきは私結構邪魔してたなと思い、少しだけ恥ずかしくなる。


「すごかった。上手かった」

 語彙力のない感想だが、私にはこれぐらいの人並みの感想しか言えない。もっと褒めたいのに、言葉が出てこない自分を責めたい。

 だが、私のくそみたいな誉め言葉に対しても彼は「ありがとう」とほほ笑んでくれた。

 そしてその後もいくつかの曲を歌って、カラオケを出た。


「楽しかった」

 そう、自分の正直な気持ちを彼に伝えた。楽しかったのは事実だ。私は歌なんてほぼ歌ったことなかったから、歌うのがこんなにも気持ちいいことなんて知らなかった。

 私は昔から歌うことを禁止されていた。大声で歌えば、父さんに怒られるからだ。お父さんがいないときでもお母さんの逆燐に触れ、理不尽に怒られる可能性がある。そんな日々を過ごしたせいで歌うという行為を私の中で封印していたのだ。

「はあ、楽しかったー」

 もう一度言った。今度は自分にも言い聞かせるように。

「良かった。本当に誘って」

「うん。ありがとう」

「どういたしまして」

 そして、次の瞬間私に恐怖が巻き起こる。またあそこに帰らなきゃならないという恐怖が。楽しい瞬間の後ならなおさら恐怖は大きくなる。帰りたくない。それに今日は金曜日だ。明日から土日だし、本格的に家に閉じ込められる。

「ねえ、楽しかった」

「何回言うんだよ。嬉しいけどさ」

「だからさ、怖いの。家に帰るのが」

 今までもそう思っていた。でも、今日は特別そう思う。今日は勉強会じゃなく、カラオケだったからかもしれない。この幸せな時間を終わらせて、地獄の家に帰るとなるとなんとなく暗い気持ちになってしまう。

「……そうか。本当は俺の家に泊まってほしいけど」

「たぶん許されないと思う。お母さんもお父さんも」

「……俺には何もできないことがつらいよ」

「私は大丈夫だから。うん」

 そう言いながら泣きそうになる。先週もきつかった。これこそまさに希望を与えられると絶望が大きくなるいい例だ。

「大好きだよ」

「ああ」

「大好きだよ」

「ああ」

 こんなに私にやさしくしてくれる人。今ならはっきりと言える、私は茂くんに依存していると。

「じゃあまた月曜日……」

「ああ」

 そうして私は家に帰った。

「ただいま」

「おう、あと五分遅かったらビンタしてたところだ」

 そこにはお母さんじゃなく、お父さんがいた。

「さて、お疲れの俺のために肩をもんでもらおうか」

「はい」

 そして意識を閉ざし無心で肩をもむ。本当は触りたくない。でも、ビンタを避けるために揉む。本当おかしくなる。揉むんだったら茂君の肩を揉みたいよ。

 はあ、彼に、茂くんに会いたい。その思いが胸を埋め尽くす。今はそれしか考えられない。むしろ茂くんのことを考えないと、もはやどうしようもない。

 そして、肩もみから解放されたら次は何かというと、楽しくないご飯だ。食卓に並べられたご飯を食べる。いつも通りの、くだらない日々。彼が、茂くんがいなければ。

 隣に座っているのがお母さんじゃなくて茂くんだったら、前に座っているのが鳩さんだったら、そんなありもしない光景を思い浮かべてはまた絶望する。私にとっては昼のお弁当の時間だけがまともなご飯の時間だ。

 お母さんの話に作り笑顔で答え、お父さんに媚びを売る作業が終わり、部屋へと戻った。

 そして、電話をかける。すると元気よく茂くんが電話に出た。

「今日もかけてくれた! うれしいな」

「茂くんも毎日よく私の電話に出てくれるね」

 この二週間本当に毎日出てくれるのだ。感謝しかない。

「だって学校外でも喋れるとか最高じゃん。楽しいし」

「やっぱり茂君は私を楽しませる天才だー」

「ったりめえだ!」

 そして会話が弾んでいく。そんな中、

「おーいお邪魔するぞ」

 お父さんの声がした。それを聞いてすぐに、茂くんに小声で「今はしゃべらないで」と、指示を出し、笑顔でお父さんを迎える。

「どうしたの?」

 恐怖を押し殺して笑顔で言う。

「ちょっとなあ、俺お前と話したいことがあったんよ」

「何?」

 意味が分からないけど、たまにこうしてお父さんに部屋に勝手にはいられて話をされることがあるのだ。会話の内容? 基本的にくそみたいな内容で一方的に叱責されることが多い。なんで、会話中に入ってくるのよ。本当お父さんマジで。

「お前は俺のお金で生きていってる」

「……」

「感謝しろ」

「ありがとうございます」

 と、お父さんに土下座する。

 ビンタと土下座のどちらか楽か聞かれたら答えるまでもない。

「踏むぞ」

 そして背中を踏まれる。お父さんの欲求を満たすためのものだ。とりあえず今は我慢だ。我慢しかない。

「娘ってこう言うためにいるんだろうな。俺の日々のストレスを解消するためにさあ!」

 そんなことない!!!! と言いたいところだが、言っても無駄だ。余計私の立場を悪くするだけだ。私に出来るのはこの厄災を耐え切ることだけだ。

 しかし、それにしても最近は肩揉め程度の要求しかなかったのに、よほど嫌な方があったのだろうか。

 だがそれを聞くのはリスクがありすぎる。お父さんに嫌なことを思いださせて、さらに機嫌を悪くする可能性がある。

「それとなあ」

 背中を踏む事に飽きたお父さんが、口を開いた。

「お前、お小遣い持ってるか?」

「え? 五千円持ってるけど」

「その金ギャンブルに使っていいか? ストレス解消としてな」

「……ごめん、それは嫌」

 次の瞬間、地面に頭をぶつけられた。

「素直にお金を渡せばいいんだよ! それぐらいわかれ! このクソ娘が。よこせ!」

 そして私の頭を床に叩きつけながらカバンの中から財布を取り出し、その中の五千円をあっさりと奪った。わずかなお小遣いの中で、私が頑張って貯めていたお金なのに。

「これでいいんだよ」

 ああ、結局現実は現実だな。茂くんが居たところでお父さんがいると言う現実は変わらない。何も変わらない。変わるのは結局学校だけ、茂くんの関わりようがない家は変わらないのだ。

 お父さんが出ていった後、思わず涙が出てきた。本当にこんな非人道的な行為が許されるのだろうか、私はただ普通に暮らせたらいいだけなのに。こんなのでもいなかったら私は生きていけないという事実が嫌になる。能力のない私には従うしかないのだ、生きるために。

「あ、そうだ」

 と、スマホを取る。そうだ、今の私には茂くんがいる。茂くんと話せる。

「もしもし」

 もしかしたらお父さんの行いを聞きたくないと言う理由で通話が切られているかもしれない。い二〇分くらいかかっていたわけだし。

 返事が返ってこないのが怖い。もし、返事が返ってこなかったら、私は絶望でこの場で倒れこむだろう。そんな自信がある。

「終わったのか?」

 そんな私の恐れを消し去るように彼は少し心配そうにそう言ってくれた。

「うん。どれくらい聞いてた?」

 恐る恐る聞いてみる。前もって大分お父さんがくそなのは言っていたが、もし耳元で、好きな人の父親がこんなくそ野郎だと知ったらショックかもしれない。

「大体はな……」

 大体聞いていたらしい。反応が怖い。もしもこれで……私まで嫌われたら……。

「愛香!! 俺にできることがあったら言ってくれ。どう考えてもさっきまでのは明らかにおかしい」

「……ありがとう。やっぱり茂君は優しいね」

 良かった。茂君は茂君だ。

「当たり前だろ。むしろこれで憤慨しない奴がどこにいるんだ」

「……ここにいるよ。もう憤慨する気力もなくした。さっき抵抗してみたけど、だめだったし」

 もはや私はあの男におびえながら過ごすしかない。それはもう誰の目にも明らかなことだ。

「離婚を要求するのは?」

「無理だと思う。お金の問題だとか、色々あるし」

「でも、おかしいだろ!!」

「おかしいよ。でも、それで何ともできないのが今の私なの……」

「……明日お前の家に行っていいか?」

「そんなのだめだよ」

「大丈夫。愛香に迷惑かけないから」

 そんなことを言って、「じゃあまたあとで」と言って電話が切られた。いったい何をするつもりなのか?



 翌日。

「おはよう優香」

 そんなことを言って彼は平然と私の部屋に入ってきた。二階の窓からこっそりと。

「何やってるの!?」

 驚いた。まさか不法侵入してくるなんて。

「もしかして迷惑かけた判定?」

「判定に決まっているじゃん」

 もし見つかったら怒られるのは完全に私だ。

「まあでも、その分お前を楽しませるよ」

「楽しませるって言っても……」

「やっぱり見てられないし。これから二日間、優香が悲しい顔してると思うとさ」

「ありがとう」

「どういたしまして」

 なんやかんやいっても、ありがたい。

 彼の引っ張る手は暖かくて、不思議な気持ちがする。私は今悪い事をしているのだろう。でも、彼と一緒にいると、罪悪感が無く、楽しさを感じる。あとで怒られることは分かってると言うのに。


「ここが俺の家だ」

「ここが……」

 さすが医者の家といった所か、庭に池があり、岩が積まれていて、作るのにお金がかかったであろう事は一目でわかる。家も、大きな造りとなっていて、三階までありそうな家だ。

 ここで茂君は何不自由無く暮らせていたんだなあと、思って、住む世界が違うなあという感想を抱いてしまう。

 私とは違って……。

「じゃあ入るか」

「うん……お邪魔……します」

 そして恐る恐る入っていく。

「いらっしゃい」

 と、四〇代後半くらいの見た目のおばさんが私を出迎えてくれた。茂くんのお母さんかな? まあ召使とか家政婦とかの可能性もあるけど。

 とりあえず「お邪魔します」と、一言返し、茂くんについていく。すると彼女も私たちを追って着いてきた。

「母さん。大丈夫だって、俺がおもてなしするから」

「そんなこと言ったって、わたしだって息子の彼女に挨拶したいしさ」

 それを聞いて、茂くんは「わかったよ」と言って、そのまま三人でリビングっぽい場所へ来た。

「ねえ」

「はい」

 茂君のお母さんが話しかけてきた。要件は何なのだろうか。

「ねえ、あのこと上手くやれてる? あの子、前別れてたし」

 ああ、鳩さんの事か。

「別に大丈夫です。むしろ優しいですし、わたしじゃあ釣り合わな……」

「釣り合わないとかいうんじゃねえよ。お前がいるだけで俺が助かってるしさ。俺の方が力をもらってるよ」

「うん」

「これだったら信用できるわね。それで私にもできることない?」

「え?」

「私も話聞いたからさ。息子の彼女なんて私の娘みたいなものだから」

「ありがとう……ございます」

 茂くんは「お母さんいいから」とか言っていたが、私はうれしい。茂くんとかももちろんだが、お母さんみたいな存在にこんな言葉を受けるのはシンプルに嬉しい。私のお母さんはお父さんの影響で常に機嫌悪いし。

「はあ、私お父さんに虐待と言うか、常に瓶出されている生活を受けていて、最近つらいんです。しかも最近は茂君たちの影響で家以外が楽しくなってきていて、それが逆につらくて。私は別にお父さんの、あいつの子どもに好き好んで生まれたかったわけじゃないんです。なのに……なのに……」

 私の悪い癖だ。優しくされたらもう私の全てをさらけ出してしまう。私が普段優しくされ慣れてないからなのだろうか、こんな悪癖が付いたのは。そんな中、私の頭に手の感触を感じた。その次の瞬間、手が優しく私の頭をなでてくれる。それを感じ、上をふと見ると、茂くんのお母さんだった。

「え?」

「え? だめだった?」

 茂くんのお母さんが私の言葉に反応し、分かりやすく戸惑う。違う、私はそんなつもりで言ったわけじゃないのに。

「ううん。私、優しくされるの慣れてなくて、その……うれしいです」

「私に今できるのはこれだけだからねえ、最近は茂も気軽に頭触らせてくれないし」

 茂くんは「うるせえ。いいじゃねえか」と言っていたが、私の頭でいいならいくらでも差し出したい。むしろ私の方から差し出したいくらいだ。親に頭をなでられた記憶なんてほとんどない、あったとしても、所詮しょうもない話だ。つまるところ、感情のない撫でだ。でも、今の茂君のお母さんからはすごく深い愛情を感じた。絶対に息子の彼女だからと言う理由だけではないと思う。

 ああ、私もこんな善人の子どもだったらなと思うが、今更こんなことを思っても仕方がない。

 ああ、いいなあ、こういうの。これまで歴代最高の非を日々更新していたが、これも最高の人はいかないまでも、十分ないい日だ。

 ああ、幸せだ。

 そうこう考えていると、目から涙が流れてきた。私にも分からない涙が、いや、さっきから流れていたのかもしれない。私が気づかなかっただけで。

「ごめんなさい。私……涙が」

「いいのよ。そりゃあ泣いて当たり前だわ。そんな不条理な出来事を経験してきてたんだから」

「ありがとうございます」

 この人に抱かれたい。そんな欲が出てきた。この人の前なら赤ちゃんにだってなれそう。

 それは言い過ぎかもしれないが、本当に、好きだ。この人は。

「私、こういう親がよかったです」

 私何を言っているんだろう、私は。こんなこと言ったら迷惑かもしれないのに。

「あら嬉しいわね」

 だか、美智子さんは優しく私をなでながらそう返してくれた。

「良かったな、愛香」

 そう、茂君は私を見てそう言ってくれた。



「じゃあ、さてと、計画を立てるか」

「計画?」

 私の涙が止まったころ、茂君が私に向かってそう言い放った。そうだった、彼は最初に出来ることはないかと言ったのだった。

 おそらく今から私を解放する方法を考えてくれるのだろう。あのくそ両親から。

「まず、後期の試験で高得点を取ることだな……まあ模試でも良いけど」

「なんで?」

「そしたら出来る子だと認められて、少しは親の態度も変わるだろ」

 勉強のことを言われて思わずうっとなる。確かに茂君のおかげで勉強は大分出来るようにはなってきたが、勉強にはやはり自信が無い。そもそも今までの勉強に対する怠惰をたったの三週間程度で取り返せるわけがないのだ。

 だが、もし本当に茂君が言うとおりになる可能性があるなら、やってみる価値はある。

「そんな心配そうな顔すんな。俺が教えてやるから」

「うん」

 ただ、彼がいる。それだけでなんとかなりそうな気もする。

「あとは、お父さん……」


「プリリュリュリュ」

 私のスマホが鳴った。

「出るな!」

「分かってる!」

 だが、その音は鳴り止む気配がない。これは不味いかもしれない……

「わ、私帰らないと?」

 パニックになる。これではどんな仕打ちを受けるか分からない。気持ちが動転いして、脳内で何も考えられなくなる。今脳内で(やばいやばいやばいやばい)という思考が延々と繰り返される。やばいとか思っても何も解決には至らないのに。

 そして恐怖に耐えらなくなった私は携帯の方に手を伸ばそうとする。

「屈するな! 愛香。出たらまたあの地獄に引き戻されるぞ」

「でも! 私迷惑かけたくない」

 ここにいたら迷惑がかかるかもしれないという思いもある。これはあくまでも建前で、本当は返りたくないという思いが強いが。でも、嘘ではない。それに傷を受けるのは私だけでいい。茂くんを巻き込むわけには……


「少なくとも俺は迷惑かかってないと思うけどな」

「……」

「貸して」

「え?」

 戸惑う私のスマホを彼が手に取り、そのスマホは茂君の手によって電源が切られた。

「え? 良いの? 大丈夫?」

 不安に思い、彼に訊く。

「大丈夫だ。こんなのなんとでもなる」

 その言葉で少しだけ安心した。

 私はずるいな。もしこれで状況が悪くなっても彼のせいっていう言い訳ができることを望んでしまっている。

 あれ?

「涙が出てるな。不安にでもなったのか?」

「……そう……みたい」

「落ち着け。俺が守ってやるから」

「……うん……」

 そして、彼は私の背中をさすってくれた。

「私、茂くんといてる時が一番幸せ。だから連れ出してくれてありがとう」

「おう」

 白馬の王子様なんていないと思っていたが、今の私にはいる。そう、感じ取れた。彼こそ私の王子様なのだ。そんな言い方をしたら照れくさくなってしまうが、まさしくそうなのだ。

「さてと、父親対策だな」

「うん」

 その彼の言葉に現実に引き戻された。

「やっぱり離婚を提案してみねえか?」

「でも、それは前にも言ったけど。生活費とかなんとかでダメだって」

 前に言ったことはもちろんある。でもその時の返しは「何考えているの!? 私達に生活する手段とかあるの? 貴方はバイトとかもしてないし、私はパートくらいしかやってない。そんな中で貴方の学費、生活費、食費、さらに離婚なんて、言い出した方が立場が悪くなるの。そしたら家も取られる。そして、マンション。つまり家賃も必要になる。離婚したいわよ。私だって、でも現実的じゃない。そこら辺ちゃんと考えてよ」そんな事を言われて完璧に論破された。

 そんな状況で解決策なんてあるのか? いや、無い。そんなものがあるのなら私に教えてほしい。

「無理でしょ。これ」


 彼に返事が返る前に私の結論を告げた、もう無理なのだ。私には、この状況を変えることなど。これなら最初から期待しない方がいい。それがもう私の結論。


「もういいよ。考えたら絶望してきた」

「いや、ある。俺が告発するとかさあ」

「でも、私そういう知識ないし」

「諦めるなよ。俺がいるだろ。俺がなんとかする!」

「でも!」

「俺に全て任せろ」

「巻き込むわけには行かないし」

「もう、巻き込まれてるよ。お前の彼氏になってるしな。そもそも愛香に告白した時点で確定してたんだよ。俺があいかの家の事情をなんとかするってことは」

「うんありがとう」

「それでだ。まず俺たちの仲を公言してみないか? そしたら俺たち少し会いやすくなると思うし」

「え?」


 仲を公言。つまり、付き合っているという事をあの両親に言うって事だよね。無理に決まっている。お父さんなんてどうなるかわからないし、お母さんは、多分歓迎してくれないだろう。むしろ私が家にいない時間が増える事を恐れるまである。全ての家が恋愛を肯定しているわけではないのだ。

 そんな感じで動揺していると、

「大丈夫だ。何かあったら俺がなんとかする」

 と、彼が言ってくれた。私的に何も整理なんて出来てないけど、なんかいける気がしてきた。でも、

「今はやだ」

 と、抱きつく。やっぱり勇気が出ない。

 ああ、本当に私は弱い。私になんとかできる手段があるかもしれないのに、それを捨てて現状維持を目指している。別に現状維持したいわけではないのに。

 そんな事を考えていると、

「分かった。今は二人で遊ぼう」

 と言ってくれたので、うん! と笑顔で言った。

 茂くんが提案してくれたのは、カートレースゲームだった。確かにこれは私もしたことがない。でも、

「ごめん、私別のやつがしたい。少なくとも外でできるやつ」

「……分かった」

「あ、別にどうしてもやりたいとかだったら良いんだけど」

「いや、そう言うわけでもないから……じゃあ行くぞ」

「……うん」

 と、バトミントンやサッカーボールを持って出かける。

「しっかし、意外だな。まさか体を動かしたいとは」

「茂君こそ、私の事をなんだと思ってるの? 私だって日々のストレスを解消したいんだから」

「そうかよ!」

 バトミントンの羽がこちらに飛んでくるので、その羽をなんとか打ち返す。

「やるな」

「まだまだやれるよ!」

 と、そのままラリーを続ける。

「そういや、愛香」

「何?」

「楽しいな」

「なに? 今更?」

「よく考えたらまだスポーツ一緒にはしてなかったしな」

「まあそうだよね。私も体育以外だと初めてかも!」

「スポーツ?」

「うん!」

 ただ来たボールを打ち返すだけなのになんで楽しいんだろう。本当に人生半分損していたな。

 体育では楽しくなかったのは相手が好きな人かどうかなんだな。

 そして私はすぐにバテた。

「疲れた」

「休憩するか?」

「うん。休憩させてもらいます」

 私の体力じゃああまり長い時間は持たなかった。

「ごめんね、こんな早くにバテちゃって、もう少しやりたかったでしょ?」

「いや、いいよ。別に体動かすだけなら一人でもできるし、そもそも疲れたからな」

「うん」


「じゃあそろそろ良いか?」

 一〇分後、茂君がそう言った。体力八割方回復していた私は「うん」と言ってバトミントンのラケットを持つ。

「あー、バトミントンもいいけど、今度はサッカーやらないか? 嫌だったらいいけど」

「別にいいよ」

「分かった」

 すぐにカバンの方に走り出し、サッカーボールを取って持ってきた。いいとは言ったが、私サッカーできるのだろうか……。

「心配か?」

 私の顔色が悪かったのだろうか、茂君がすぐに気づいてくれた。「ううん、心配なだけ」とそう返しておいた。それに、もし私がきつかったりしたら茂くんが配慮してくれるだろう。

「じゃあ行くぞ」

「うん」

 とはいえ、最初は普通にパスだ。

 とはいえ、本当にパスできるのだろうか。そう考えると、不安になってきて、弱めのコントロール重視のパスをした。だが、

「届いてないな」

「……うん」

 流石に弱すぎた。

 私も届かないとは思わなかった。だけど、そこまでとは。

「さて」

 ボールを取りに行った彼がそう言って、

「今度は強めに蹴っていいぞ。どんな球でも俺が受け止めるから」

「うん!」

 そして、有言実行と言ったところか、彼は私がどんなめちゃくちゃなパスをしても大体は取ってくれた。そう言えば忘れてた、彼が運動特異なんだって。

 しかし、本当に楽しくて、何時間でも一緒に遊びたい気持ちになる。

 こんなに誰かと遊ぶことが楽しいとは思っていなかった。サッカーで。サッカーは本当に嫌いだった。ボーのパスは出来ないし、相手の攻めを防ごうとしても無力だし、でも今だったら楽しめる。


「……愛香?」

 遠くから声がした。振り返ってみる。すると、お母さんだった。

「なんで?」

 このリスクを考えていなかったわけではない。頭の中には少しこのリスクが思い浮かんでいた。ただ、本当にあってしまうとは思っていなかった。元々五日言うことになるとは思っていたが、まさかここであってしまうとは。

 今更言い訳も思いつかない。ここは正直に言わなければ。

「お母さん。何も言わずに家を出てごめん」

「……そう。それで何で家を勝手に出たの?」

 せめて心配したんだからなんて言うセリフがあってくれてもいいと思うのだが。どうやらお母さんにはそんな優しさはないみたい。

「俺が連れ出したんです。一緒に遊びたくて」

「……」

 沈黙が怖い。次の瞬間家に無理やり連れ返されるかもしれない。それだけは嫌だ。

「なんで電話に出なかったの?」

 明らかに怒っている顔で言われた。

「俺が電源切ったんです。だから悪いのは俺なんです」

「そう。でも、それは愛香も協力したってことだよね」

「そう……だけど」

「なんで? なんで電話にも出ないの? おかしくない? もし私が体調悪い旨の電話とかだったらどうするの? それでも出ないってこと? どうせ、電話に出たら家に連れ返されると思ったからだと思うけど、それでも一言あってもよくない。そもそもお母さんをそんなに悪だと思っているの? 私だって言ってくれたら許すかもしれないじゃない。全く。それで、その人とはどういう関係なの?」

 お母さんはやっぱりお母さんか。こんな公園でそんなヒステリックなことを言うなんて。絶対言ってても色々といちゃもんつけて許してくれなかっただろうに。

 そして、彼との関係、私の彼氏だが、それをお母さんに言うのは怖い。もし彼死なんて作ったことが知られてしまったら、何を言われるかわからない。私は、ただ、彼と一緒にいたいだけなのに。

 でも、でも、ただのクラスメイトとは言いたくない、嘘をつきたくない。このことに関しては。

 よし! 言おう! そう決意して、私は口を開いた。

「……私の彼氏」

「彼氏!?」

 明らかに驚いた顔を見せる。明らかに私にかっれしが出来るとは思っていなかったようだ。言葉で形容するならば、口がポカーンと空いているという言葉になるだろう。実際には空いていないけど。

「それって本当の事かしら」

 そう、お母さんが茂君に向かって言った。

「ええ、事実です。娘さん、愛香さんと付き合っています」

 そう、彼は淡々と言った。

「……そう」

 お母さんはようやく冷静さを取り戻し、そう言った。

「でも、勝手に出かけたことは許せないわね……それでこれからどうするの?」

「え?」

「私としてはこのまま遊んでてもらってもいいんだけど」

 ああ、これは私を試している。心で私をけん制している。もし私が茂君のもとへと言ったならば、どうなるかわかってる? と。私は茂君のもとへ行きたい。でも、怒られるのは嫌だ。これはどうしたらいいんだ。

 ああ、そうか。私は元から詰んでいたのかもしれない。どうせ、がんじがらめの私に恋愛なんて。

 そう思っていると、茂君がこちらに小走り出来て、私の手をぎゅっとつかんで、

「俺は、愛香さんと一緒に遊びたいです。だからもらって行っていいですか?」

 と言った。

「ええ、いいですけど」

 ナイスアシスト茂くん。どうやら捨てる神あれば拾う神在と言う事らしい。ちゃんと救世主はいたのだ。私のそばに。 私には白馬の王子様も救世主もいる。って、どちらも茂くんのことだけど。

 流石のお母さんも茂くんにこういわれては従うほかないようで、「わかったわ。でも、五時半までに帰ってくるのよ」と、言い残して去って行った。


「ふう、ありがとう茂くん」

 お母さんが言った後、すぐにお礼を伝えた。茂君がいなかったらどうなっていたかわからない。それが今こうして二人で入れてる何と良いことだろう。

「幸せだあ」

 そう呟いた。もう呟きざるを得なかった、

「本当いつもありがとね」

「いや、当たり前のことだ」

 そして、彼の提案で家に戻ることにした。何ともなかったとはいえ、なんとなくここにいるのも忍びないからだ。

「さて、カートレースゲームするのでいいか?」

「そうだね」

 とはいえ私もゲームすること自体がほぼないことだから緊張している。だってゲームなんて買ってもらえるわけがないもん。

 まあ、それは置いといて、わくわくも当然している。一般論としてゲームは面白いものだからだ。

 そのゲームを今からやる。どうしてワクワクしない物か。

 そして、ゲームが始まった。私はよくわからないから茂君から「初心者用だよ」と言われたキャラを使う。茂君曰く、そのキャラは加速が高いからコースアウトしてもすぐに復帰が出来るらしい。

 とは言っても上手く操作できない。当たり前だ。私は初心者なんだから。

 しかし、ここまで操作しづらいとは思わなかった。何回もコース外へと言ってしまう。うぅ、こんな情けない姿を見せている私を見られているのが余計恥ずかしくなってきた。


 すると、「教えてやる」と言って、茂君が自分のマシンは置いといて、私に直接動かし方を教えてくれた。

「とりあえず、車運転するよりは簡単なはずだから、ビビらなくてもいいぞ」

 その言葉でだいぶ楽になった私は、上手く車を運転し、二位に躍り出た。

「その調子だ!」とその彼の誉め言葉で単純な私はうれしくなってしまう。

 そしてそのまま二位でゴールインした。当然茂君が一位だ。二位になったとはいえ、茂くんには結構な差をつけられていた。そのことを思い「くそー」などと言って、茂くんはそれに対し、「ざまあみろ」と言って笑っていた。

 その後、様々なゲームを思う存分遊び終えた私たちは、茂君の家で夕食を取った。夕食はいいよと言ったが、せっかくだから一緒にご飯を食べようと、言われては仕方がなかった。お母さんに連絡もした。怒られるのが怖いから、茂君と美智子がご飯一緒にどう? と言われたからと言う理由で。

 断られると思ったがあっさりと認められてしまった。お母さんも思ったより悪い人ではないのか? もしかしたら言ったら本当に分かってくれていたのかもしれない。まあ、それは別にいいか。私は今茂くんと一緒に夕飯を食べれるという最高の状況にいるのだから。

「いっぱい食べてね。今日は手によりをかけてご飯を作ったから」

「ありがとうございます」


 そして一口食べる。おいしい。何と言うか、人の感じがする。お母さんのご飯とよく言うが、その言葉がよく合うご飯だ。まあ、私のじゃなくて、茂くんのお母さんだけど。

 でも、ストレスにまみれながら作ってくれるお母さんのご飯よりもはるかにおいしい。そもそも家族で食べるご飯はあまり味がしないのだ。まあお父さんが味を変えてくるからと言うのもあるし、お父さんがいるからっていうのがでかいんだけど。


「おいしいです」と言うと、美智子さんが「そんなこと言ってくれてうれしい! 茂ったら全然言ってくれないんだから」と言ってくれた。

 そんな……私のお母さんは「そう」くらいしか言わないのに。こんなことを言われてしまっては、この家の養子になりたいと思ってしまう。まあとはいえ、将来のことはわからないけれど、もし将来結婚することになったら、義理のお母さんになるということだ。いやいや、その場合この人目的で結婚するわけじゃないけど。

 はあ、いいなあこういうの。私にはない家庭だ。私にはない暖かさだ。羨ましい。茂君が羨ましい。

 いや、羨ましいと思うのはいい、恨まないようにしないと。私は……茂くんのことが好きなんだから。

「ああ、幸せ」

 何回茂くんといるときにこのセリフを言っただろう。そろそろ茂くんも嫌になってきているんじゃないかと思うが、言いたいんだから仕方がない。ああ、楽しい。楽しい。幸せ過ぎる。私の不幸を吹き飛ばす味だ。

「なんか私、ここいいなあ」

「なんだよ」

「私の家に比べて百倍楽しい」

「そう言ってもらえてうれしいわ。ありがとね」

「いえいえ。本心を言っただけなので」


 そしてその後、ご飯を食べ終わり、お母さんに無理を言って家に泊まることになった。まさかこんな無茶が通るとは思っていなかった。建前は茂君や美智子さんに泊まって行ってやと言われたからという形にしているが、本当は私が泊まりたいだけだ。たとえ、茂君が言ってなかったとしても私が言っていただろう。

 私は単純な人間だ。お母さんに夕食を茂君の家で食べることを許されたら今度は泊まることを要求するなんて。

 そして、夜は茂君と寝ることになった。今からでも楽しみだ。

 そして食後は二人でトランプをすることになった。……人とトランプするの久しぶりだな。お母さんにトランプしよ! なんて言えないし。

 とはいえ、今スピードをできることがうれしい。ルールを知らない私に茂君が優しく教えてくれて、その瞬間も愛おしい。

 途中から美智子さんも入ってきてくれて、大富豪やババ抜きをした。美智子さんは本当に私を自分の子どものように扱ってくれて、本当に、本当に楽しかった。茂君はもちろんとして、美智子さんにも感謝しなければならない。私に愛を与えてくれて。


「ねえ、ありがとう。連れ出してくれて」

 そう、お風呂に入る前に茂くんに言った。

「おう」

 茂君が照れくさそうにそう言ったのを聞いて、そのままお風呂に入った。


「はあ、楽しかった」

 お風呂に入りながら一人で呟く。今日体験したことすべてが私にとっては初めてで愛おしい。今までは何だったのだろう。こんなに楽しい一日を送れるとは。

 学校は楽しいけど、それは茂くんたちと一緒にいるときだけだ。授業もそこまでは楽しくはないので、一日中ではない。

 ただ、今日は休日でありながらこんなにも楽しい。休日万歳!! と叫びたい気分だ。このままこの家で暮らせたらどんなに幸せなのだろう。

 でも、あの両親がいるからいつかは連れ戻される……現実に、あの家に。それが恐ろしく怖い。

 幸せが絶望に変わる。それが一番の地獄だ。変に希望を持ってしまうから、地獄がより苦しくなるのだ。

 これは所詮仮初めの希望。ただの地獄の間の刹那の休憩。ただ、それが嬉しいと共に苦しい。はあ、もうだめかもしれない。

 はあ、もう茂君の家の養子になりたい。

 ……楽しいからこそ苦しいのだ。楽しいからこそ変な気持ちになるのだ。

 だけど、そんな気持ちになるのがつらいので、今は楽しむべきじゃないのか? と、内なる私に言い聞かせる。

 そうだ、今を楽しめばいいのだ。そう思い、今は家のことは忘れ、茂君の家のお風呂を楽しんだ。

 そして三十分後、流石に体が熱くなってきたので、お風呂から出た。


「どうだった? うちのお風呂は」

「最高」

「良かったー」

 茂君の裏で美智子さんが喜ぶそぶりを見せる。

「もう……ここで暮らしたい気分です」

「うれしいこと言うわね」

「でも本当の事ですから」

 そして、今日は茂君と共に寝ることになった。美智子さんが気を聞かせてくれたのだ。

 ベッドに寝ころび、茂くんに一言、「私帰りたくない」と、言う。

 思い出してしまった。迷惑かなと思いつつ、茂君に愚痴を聞かせる。

「もう明日の心配か? 今を楽しもうぜ」

「違うの。そうじゃなくて」

「わあってるって、もうすぐお前を楽にしてやるから今は我慢しとけ。……ただ、俺もお前を返したくはない気分だよ」

「茂くん!!」

 強く抱きしめた。

「明日もさ、色々なことしようね」

「ああ、そうだな」

 そしてあっさりと私たちは眠りについた。


 翌日。

「おはよう……ん?」

 隣には誰も寝ていなかった。布団がもうすでにたたまれていたのだった。慌ててスマホを見る。

「嘘……」

 すると今はもう朝十一時……いつもの四時間以上寝てた。

「やばいやばいやばいやばい」

 慌てて下に降りた。だって八時には必ず起きなきゃいけないんだも……ん?

 そこには茂くんと美智子さんがいた。そう言えばそうだった。今日は茂くんの家にいるんだった。

「大丈夫かあ?」

 茂君に心の底から心配されている。

 そしてそのまま朝ごはんを食べた。どうやら二人とも私を待っていてくれていたみたいで、茂くんが「愛香が来ないから、餓死してしまうところだったよ」などという冗談を言ってきた。別に私は寝たくて十一時まで寝ていたわけではないのに。

「それで、うちの朝ごはんはどうだ?」

「すごくおいしい」

「だってよ母さん」

「良かったわー」

 その美味しさと言えば、私の食欲をかき立たせてくれる。雰囲気がいいだけじゃなくて、美智子さんが料理上手いからもあるんだろう。

 本当に私の人生と茂くんの人生は違うなあ。

「それで今日は何をする?」

「えーどうしようかな?」

「もったいぶらずに早く決めろよ」

「待ってよ。私にとっては少ない時間だから丁寧に決めさせてよ」

「それを言ったら俺も時間ないんだが」

 そして二人で考えた結果、『だるまさんを転んだ』をやることになった。普通に地味で、高校生ならまず遊ばないような遊びだが、実のところ私にはこのゲームに対する興味があった。

 親に遊んでと頼ることもできず、友達もいない私にはこういう形でしかできないのだ。茂くんに「あいつらも読んでやろうか?」と聞かれたが、「二人がいい!」と断った。人数が多い方が楽しいだろうけど、今は茂くんを占領したいという気持ちが強い。

 ルールはみんな知っているような単純な物だ。「だるまさんが転んだ」と言われる間に動き、鬼にタッチしたら勝ちというものだ。その代わり振り向いた時に動いてしまったら負けになるのだが。

「じゃあ……だーるーまさーんがーーーー」

 その間にできるだけ近づこうとする。

「転んだ!!」

 茂くんのその言葉で急ストップする。

 危なかった、あと少しで負けるところだった。

「惜しいなあ」

「そう簡単に負けないから」

「喋ったから負けじゃね?」

「小学生じゃん!!」

 次は心臓が動いているから負けとか言うんだろうか。まあ。これを含めて面白いゲームなんだろうけど。

 そして次また茂君が「だるまさんがこーろーんだ!」

 と、今度は語尾を速くして勝とうとしたようだが、ギリギリで止まることができた。

 だが、問題はその次。今までの感じでいけばタッチができる。だが、その状況で何も手を打たないわけがない。茂君も色々と考えるはずだ。そうなったら初心者の私にはきつい。だからできるだけ、慎重に近づこう。

 そして慎重に近づいていき、あとほんの少しの距離でタッチできる距離まで来た。後は茂くんをタッチするだけだ。

「だるまさんが……」

「はい勝ち!」

 私は優しく茂くんの背中を触る。なんか背中を触ること自体あまり無かったから、いけないことをしているみたいだ。茂くんの背中はがっちりとしていていい背中だった。

「悔しいなあ」

「じゃあ、次頑張って!!」

 そのまま何回かゲームをしたところで、

「そろそろ帰って来なさい」

 とメールが来た。今の時刻は三時。まだ早いじゃんと思うけど、従わないと怖い。

「じゃあ、そろそろ帰るね」

「え? もうか?」

「うん。怒らせるわけには行かないもん」

「そうか……これからってところだったんだけどな」

「うん。私もあと六〇時間くらい茂君と遊びたい」

「ああ、今度は夜にこっそり抜け出すか?」

「いいね! それ」

「ああ、だろ」

「じゃあまた今度ね」

「おう」


 そして、家に帰ると

「良かったのう。彼氏ができて」

 と、明らかに不機嫌そうなお父さんがいた。ああ、全て分かった。呼び返したのはお父さんに一人で対抗するのが嫌だったからなのか。全く、そっちのことに巻き込まないでよ。

「でもなあ、彼氏と遊び過ぎて家のことを放ったらかしにされては困るからなあ。決めたんや……」

 ああ、もう大体話すこと分かっている。

「彼氏からお金貰って来い」

 いや、思っていたのと違う。

「ギャンブルのためのお金を集めるためだ。さんざん貢がせて来い」

「そんなこと……」

 茂くんなら本当に情で訴えたらお金をもらう事なんて簡単にできそうだ。でも!

「そんなこと出来るわけないでしょ」

「できない? それでもうちの娘かあああああ!!!」

 思い切り殴られた。痛い!

「お金を貰って来い。それがお前の唯一の選択肢だ」

 そう言って出ていった。おそらくギャンブルに行くためだろ。なんでこんなひどい仕打ちを受けなければならないんだろ。なんでこんな目に。

 はあ、とはいえお金を貰わないと。でも、もう茂君のお金をもらうなんて、そんな最低な行為、私にはできない。

 私の中で茂くんは完璧な人間だ。そんな彼をだますなんてできない。

「おかあさん……」

「お金を稼いできて」

 返事はない。いや、あるにはある。お父さんの言うことを反芻するだけ。私を守ってくれるわけないか。少しでもお母さんを信用した私が馬鹿だった。本当に馬鹿だった。所詮お母さんはお母さんだ。

 次の日、学校でそのことを茂くんに話した。正直話すのが少し怖かったが、言わなければ何も始まらない。そう思い恐怖感に身を包まれながらも彼に話した。

「わかった。じゃあ……」

 と、茂君はカバンを探り始め、財布を取り出した。違うの!!

「別に欲しいとは言ってないし……くれなくてもいいから」

 そんなんだと、私が茂君を利用しているみたいになる。

「いや、でも貰わなかったら愛香が困るだろ」

「そうだけど……そのお金はどうせギャンブルに消えるの。だから貰えない」

 そんな無駄になるに決まっているお金をどうしてもらおうとするか。それも他人のお金だ。


「そうか……ならせめてお小遣いにして、いざの時に使えるように渡しててもいいか?」

「だめに決まってるでしょ!!」

「おーいどうしたの? 二人とも」

 そんな言い争いをしていると、鳩さんが来た。

「お、鳩。聞いてくれ。愛香にお金渡そうとしたらなかなか受け取ってみらえなくて」

「え? もらえるもんはもらっときなよ。私結構貰ってたよ」

 そう言って肩を軽くたたかれた。

「いや、私はそう言う意味で言ったんじゃないし。どうせもらってもギャンブル代に消えるから」

「……ああ、そう言うこと?」

 鳩さんにもこの問答の意味が分かったようだ。

「でも、それで暴力振るわれないようになるならもらっといたほうがいいとは思うけど」

「鳩さんまでそっちの味方なんですか?」

「うん。だって暴力振るわれるのとかマジいやじゃん」

「そうだけど……」

「まあ、いらなかったらそのうち返したらいいしさ。とりあえず、はい」

 それは一万円だった。

「思ったより多いんだけど」

「いいじゅあねえか。まあそれで何とか一〇〇〇円ずつ払ったりしたらいいからさ」

「……わかった」


 そして家に帰ると、すぐに。

「おう、愛香? ちゃんともらってきたか?」

 と言われた。誰があんたなんかにお金なんて渡すかと言いたい。その思いで、すぐさま二階の自分の部屋に駆け出していった。だが、すぐに腕をつかまれてしまった。

「おお? お金渡せや。ちゃんと色仕掛けでやってきたんだろうな?」

「……失敗した」

 渡せるわけがない。茂くんからもらったお金を。

「なんて?」

「失敗した」

「それでもうちの娘かあああ!!!」

 そう言って顔を思い切り殴られ、一瞬視界が白くなる。そして、頬がずきずきとし始めた。

「もらって来い!!!! お前も生活費ぐらい自分で稼げるようになれ! それともなんだ? パパ活とか売春とかするか? とにかく! 俺のためにお金稼いで来い。俺は結構イライラしてるからな。もし明日! お金を稼げなかったら、お前を家から閉め出すからな。分かったな?」

「……はい」

 状況は最悪だ。やはりこのくず親父は私からすべてを奪っていく。ああ、最悪の気分だ。昨日までは最高の気分だったのに。

 渡せるお金自体はある。それを私が渡したいかどうかは別として。

 このままじゃあ、お金を毎日搾取される日々になる。パパ克は別として、私自体はバイトはしてもいいとは思っている。でも、でも!! あのくそ父親にすべてわたるのは嫌だ。これは別の話なのだ。茂君と一日一緒に過ごしたので私はいかに思い上がっていたが、この件ですぐさまわかってしまった。そして、茂君や鳩さんの言っていたことに、素直に従っていればよかったと思った。

 翌日そのことを茂くん達に言ったら、「そうか……今日は俺にもらったと言ってこのお金渡しとけ」と言われた。

「やっぱりそんなこと……私さ、茂君の後期なるお金をそんなことに使いたくないよ。どうしたらいいの……」

「だが、やっぱりそれは見過ごせない。お前が家から追い出されたら俺が養ってやる。でもさ、今はお金を渡し解けば何とかなるんだろ。やっぱり渡そうぜ。それでお金で何とかできないようになったら、な」

「うん」

 そして、茂君の言うことに従い、今日はお金を素直に渡すことにした。

「お父さん。これ貰ってきました」

 とりあえず、三千円。これでお父さんも満足してくれたらいいのだが。

「ほう、三千円か……お前もやる時はやるじゃないか。なでてやろう」

 と、お父さんに頭を撫でられた。撫でられても嬉しくない……と言いたいところだが、私の中の私が喜んでしまっている。だまされてはいけないのに。これじゃあ、貢がされているみたいなものじゃん。

「ありがとな。愛香」

 本当意味が分からない。普段はそんな優しくないはずなのに。

「うん」


 そしてその日からお父さんの機嫌は多少良くなった。私が週一で三千円(茂君にもらったものだけど)を渡してるからと言うのが大きいのだろう。

 いや、一番はそれよりもお金を貰っていることで私に多少強く出れなくなったのだろう。本当単純な人だ。単純すぎて反吐が出そうだ。


 そして、そんなこんなで、いつの間にか定期試験の季節になって行った。定期テストで高得点を取ること。これはお母さんに対しての機嫌取りの一環だ。だけど、私にとってもそれ以外の意味も持つようになった。勉強を茂君と一緒にしてきた私にとって、これはその集大成を示すものとなっているのだ。楽しみ……という言葉では言い表せないが、まあ、それに似た感覚を持っている。

「そろそろだな」

 そんなことを考えながら茂君と歩いていると、そう言われた。茂君の顔を見ると真剣な顔だった。茂君も緊張しているんだろう。

「うん」

「自信あるか? 愛香」

「前回駄目駄目だったし。どうせ茂は成績いいんでしょ?」

 前のテストでも学年でトップレベルの成績だったし。

「まあ、そうだが。まあでも、とりあえず今回の目的は愛香の家での立場を大きくするためだから。俺はあまり関係ないけど」

「自分自身にも興味持ってよ」

「まあ、とりあえず。頑張ろうな」

 そして、テストが始まった。あれからも週三は茂君と一緒に勉強した。嫌々だったけど。

 そして今、結構解けている。前回のテストではボロボロだった数学もかなり解けている。もう九〇点台狙えるレベルだ。そんなことを考えていると本当茂に感謝を伝えたくなってくる。

 もちろん今までも感謝はしてきているが、本当こんなに解けるようになっているとは。

 世界史、生物、地学などの暗記科目にいたっては本当にもうテスト時間が三十分程度余るような余裕さだ。テストってこんなにしんどくない物なんだな、と今は思う。

 テストが終わった後、

「お疲れ愛香」

「お疲れ茂」

 と乾杯した。今私たちがいるところはファミレスだ。茂が勉強お疲れ会を開いてくれたのだ。

「おい、二人の世界に入るなよ」

 と、雅人君が言った。それに呼応して「そうよ」と鳩さんも言った。

「ごめん」

 と、とりあえず謝っておく。

「本当、二人とも仲いいよな」

「……そうかな」

「無自覚な方がおかしいくらいだろ」

 と、雅人君がカフェラテを飲む。

「本当、茂も罪な男よね。こんなかわいい子を彼女にしたんだから」

「おい、鳩」

「いいじゃない。ね! 愛香」

「うん」

 そして四人でパスタを食べた。

「おいしいよね」

 そのさなか、鳩さんがそう言ってきた。

「うん。こんなの食べたことない。外食自体ほぼ初めてだし」

「あ、そうだったわ。なんかごめん」

「いえ、いいんです。と言うか、気を使わないでください!!」

 そんな気を使われるほうが困る。私のせいで楽しくなくなるかもしれない。それが私が一番恐れることだ。元から他人と話すのがたいして上手くない私が、今この空間で一緒にいられる、その空間を私のせいで汚したくない。

「そう、なら気を使わないわ」

 良かった。気を使われなさそうだ。

「しかし、前まで三人だったけど、愛香が加わってくれていますぅごく楽しい」

「鳩さんにまでそう言われるとは。嬉しいです」

「もう、ね。私結構愛香のこと好きよ」

「おい、鳩」

「違うわよ。そう言う趣味はないわ。友達としてよ」

「それは分かってりわ!!」

「だからさ、これからもよろしくね」

「はい!」


 茂の家(SIDE茂)

 俺は、楽しんだ後、家に帰った。愛香と鳩の楽しそうな様子を見てると、俺まで嬉しくなってしまう。

「ねえ、茂」

 家に帰ると、母さんからそう言われた。

「なに? 母さん」

「愛香ちゃん元気?」

「元気だよ。それがどうしたの?」

「良かった」

「……」

「私ね、愛香ちゃんがかわいくなってきちゃって」

「おい、母さん」

 俺はそう言ってツッコむ。

「でもね、私、本当はあの子をもらってあげたいと思っているの。それは法律上できないかもしれない。でも、私にできることがあったら」

「ああ、分かっている」

 母さんが言うまでもなく、俺もできる手段すべてを用いて助けたいと思っている。でも、俺にそれができるかどうかは別の話だ。どうすれば、あいつを助けられるか。確かにもう愛香は点数を取れている。そう考えたら十分なのかもしれない。だが、俺には……。

「しーげる!!」


 そう言って母さんは俺の背後に立ち、抱きしめてきた。

「何をするんだ」

「大丈夫だよ。お母さんは茂の味方だから」

「お、おう」

「あ、それと、愛香の味方でもあるからね。ガンガン言ってきてね」

「おう」

(SIDE愛香)

 そして数日後テスト結果が帰ってきた。その点数は数学b七十四、数学Ⅱ 八十四、国語八十六、古文七十九、地学九二、生物九〇、世界史九七、政治経済八九、英語八十六と八十二と八十一点と結構高めだった。

 どうやら茂が前に言っていたことだが、私には覚える才能と言うものがあるらしい。本当才能には感謝しないといけないかもしれない。私には何もないと思っていたのに。

 そして、その結果をお母さんに伝えたところ。

「流石私の娘だわ」と、珍しく上機嫌となっていた。いつも私に不機嫌を、ストレスを押し付けているのに。

 ただ、悪い気はしなかった。私はお父さんはもちろんお母さんも嫌いだったのに。こう考えると私の心なんて単純明快そのものだ。嫌いな人から褒められてうれしいなんて。

 だが、勉強の目的の半分程度はお母さんの機嫌を良くしようというものだったからこれでよかったのかもしれない。

 そして、お父さんは案の定。「そうか……良かったな」と一言しか言わなかった。


 そして、夏休みが始まった。

 夏休みもいつも通り茂の家に遊びに行きまくった。もちろんお泊りもしたし。茂の思惑通り、私のせいs機が上がったことで、お母さんは私に寛容になった。本当に茂には感謝してもし足りない。

 問題のお父さんも何とかなりそうだ。と言うのも、お父さんの仕事の功績が認められ、昇進したらしい。そのおかげか家でストレスを吐くことやギャンブルに手を染めることもなくなってきた。


 そして夏休み、私は早速茂君に誘われた。場所は市内一の動物園。

 茂君はどうやら私が結構動物のことが好きだということを知っているらしかった。カラオケデートを除けば初めてのデート。

 うぅ緊張する。相手がいくら茂君とは言っても緊張しないわけがない。動物園デートなんて、まるで恋人みたいじゃん。私たち恋人だけどさ。


「お待たせ」と言って、茂くんが来た。そして、「ごめん、待った?」と訊いてきた。私は「ううん」と返した。私が緊張して早く着ただけだ。茂くんは何も悪くない。

 そして早速茂くんと手を繫ぎながら歩き出す。

「わああ。レッサーパンダかわいい!!!」

 私はレッサーパンダを見た瞬間にそう叫んだ。思えば、動物なんてネットでしか見たことがない。動く、リアルな動物。私の心を癒してくれる。そんな私に対して茂君は「良かったな」と言ってくれた。

「茂君も見てよ。この愛らしい姿を」

「ああ、確かにかわいいな」

「でしょ?」

「あ! 茂君とレッサーパンダ一緒に撮ってあげる!」

 そう言って、カメラを構える。すると、茂君は満面の笑みで応えてくれた。

「どうだ? いい感じに撮れたか?」

「うん! もちろん」

 そして私たちはどんどんといろんな動物を見た。いろんな、様々なかわいらしい動物たち、かっこいい動物たちを。

 そして一時になったので、イートインコーナーで食事をとる。

「茂君」

「ん?」

「楽しいね」

「ああ、だな」

「茂君はどんな動物が好きだった?」

「俺はやっぱり、ライオンだな。遠めでも迫力が伝わってきてて最高だった」

「なんか、やっぱり男子って感じがするね」

 かっこいい動物が好きなのって。私は反対にかわいい動物が好きだ。レッサーパンダ、パンダ、コアラたくさんのかわいい動物が好きだ。

 茂とご飯を食べながらたくさんの話をする今の時間が好きだ。そして、食事をとった後、いろいろな場所を茂と一緒に回った。

「なあ、愛香。一つしたいことがあるんだけど」

「……何?」

「ここで抱き着きたい」

「え?」

 周りの目があるここで?

「だめだったらいい。でも、俺は動物を見ているお前を愛しく感じてきた。そうだ人がいるから嫌なんだったら、人のいないところ行くか」

「いや、ここでいいよ」

「そうか、なら」

 と、彼に抱き着かれた。周りの人に見られているのを感じ少し顔が紅潮したが、今は茂と一緒にいれているという事実だけでうれしい。茂と一緒にハグできているという事実が私を幸せにさせる。

 そしてその後は、軽く意識し合いながら動物を見て、帰った。

 恋人らしい事かあ。

 ベッドの上で考えていた。私には恋人らしいことはよくわからなった。でも、今日の恋人らしいこと、公衆の場所でのハグは正直恥ずかしかったけど、カップルと言う感じがしてよかった。恋人つなぎをしながら歩いたのも、全てが楽しかった。デート、デート、デート、その言葉が私の中を埋め尽くす。ああ、楽しいな。

 明日もまた茂とデートしたい。私の中の欲望がたくさん出ている。一緒に映画を見に行きたい、一緒に自転車に乗りたい、一緒に海に行きたい、一緒に山登りしたい、一緒に……一緒に……。申したいことが多すぎて困ってしまう。

 そう思いながらベッドに寝ころんだ。

 そう、その時まで私は思っていたのだ。私は、この幸せが続くものだと


 深夜十一時、一人の男が、ホームの椅子に座っていた。彼は、電車が来るのを、足をトントン、トントンと地面を踏みながら、舞っていた。

 彼は時間表を見る。くるまで、四分あった。

「早く来いよ」

 彼はイラつきながらそう言い放った。彼は今日急に首宣告されたのだ。せっかく昇進したというのに。何がいけなかったのだろうかと考えるたび、彼はまたイライラする。

 そして、ストレスから逃れるために携帯をいじり、ゲームのガチャを引く。出たのは、スライムキング、星三の所謂外れキャラだった。彼はイラつきながらもスマホのアプリを飛ばす。そして彼はスマホの画面をスクロールしては戻すという無意味なことをする。

 そんなことをしていたら電車が来た。彼は「やっと来たか」と言って、それ乗り込んだ。

 電車の中を見る。そこには六人の客がいた。四人は女性、二人は男性だ。彼は、それを見てにやりと笑う。そして、彼はスマホをポケットにしまい、もう片方のポケットからナイフを取り出した。そして目の前に座っていた女性客に、


 ぐさり

 ナイフを突き刺した。

「きゃああああああ」

 彼女は逃げる。しかし、男は逃げる彼女にひたすらナイフを突き刺し続ける。そして彼女の腹から血が大量に出る。その間に、電車は緊急停止した。

「っち、ばれたか」

 男はそう呟き、他の客もナイフを持ったまま追いかけた。

 そして一人、一人、どんどんと指していく。いつの間にかそのナイフは赤色に染まっていた。彼が五人目を刺したところで、警察が乗り込んできた。そして彼は抵抗し、一人の警察官のわき腹を刺すが、彼はあっさりと手錠につながれてしまった。

 そして、その事件は後に「無差別刺傷事件」と呼ばれる事件となった。

 そして、その犯人こそ、鈴村竜介。鈴村愛香の父親その人だ。


「ピンポーン」

 急な音にびっくりして、私は目を覚ました。そう今は一二時半。客が来るにはおかしい時間なのだ。そしてなんだか悪い予感がした。幸せが崩れ落ちるような。

 ただ単にお父さんが鍵を忘れて外出したなんてこともない。たしか今日はお泊りの仕事だし。と、なれば来訪者など……

「愛香! すぐに下に降りてきて!!!」

 真に迫ったような声が下の部屋から聞こえてくる。これは、やはり……

「はい!」

 そして下へと降りて行った。私の予想通りそこにいたのは警察だった。


 私の悪い予想は当たっていたのだ。あの性格のお父さんが外で問題を起こさないわけがない。先延ばしになっていた問題が、今ついに訪れたという訳だ。模試や、ギャンブルの負けが堪えて、誰か人でも殴ったか? 酒の飲み過ぎで、交通事故とかにでもあったのか? 

 だが、帰ってきた答えは最悪の物だった。

「鈴村竜介が、殺人を犯しました。それも三人。残りの三人は意識不明の重体です。すぐに来てください」

「わかりました」

 そしてパトカーに乗る。まさか人生初パトカーがこのような形でなんて思っていなかった。

 私は最低かもしれない。殺人を犯したと聞いてついにやりやがったなとしか思えない自分が、私に迷惑をかけないでと思ってしまう自分が。

 本来、一番心配しなくてはならないのは、被害者のことだ。私は仮にもあの男の娘だから、ご冥福をお祈りし、まだ亡くなられていない人に対しては治るように祈らなくてはならない。それはわかっている。でも、今の私にはそれは出来ない。

 それと同時にあの男が家からいなくなるということでうれしい気持ちが胸の中からあふれ出んとしようと言う感じだ。こういう形なのは悲しいが、これで本当に幸せになれる。

 あいつは、最近は多少静かに放ったが、うちの家の癌であることは間違いない。

 ただ、ひとしきりそんなことを考えてしまうと、急に申し訳なさが出てきた。この気持ちは封印して、被害者のことを頑張って、祈ろう。そう決めた。

 そしてそんなことを考えているうちに、警察署に着いた。そこにいたのは変わり果てた父親の姿だ。まるで狂人ともいえる目で警察官をにらみつけ、尋問に決して応じようとしない。

 いや、変わってなどいないのかもしれない、これこそが元々の私の父親なのかもしれない。こうなることなら、私にも何か手の打ちようがあったのではないかと言う後悔の念が私の中に出てきた。もし、この怪物を何とか出来ていたらという後悔の念が。


「おーう。おめえら来たか。さあ、俺の無実を証明しろ!!!!!」

 そう威圧的な感じで私と母に行ってきた。証明しろって言ったって、証拠は一通り見せられた。そもそも監視カメラに写っていたのだ。そんな状況で逆転無罪を勝ち取れたらその人は完全に世界一の弁護士だ。

 私たちに言えることは一つ。こいつが本当の極悪人だと告げることだ。そうすればスムーズにこいつの刑は重くなり、私たちは同情の言葉を浴びることになるだろう。飽きるほど。

「私たちは……」

 口を開こうとしたとき、母親が先に口を開いた。

「DVを受けていました。それもひどいDVを」

 そしてお母さんがどんどんと説明していく。出来るだけ言葉を選んで、丁寧に一つずつの事象を。でも私にはその言葉の中に感じられる。お母さんのお父さんに対する怒りを。ああ、お母さんもかなりのストレスがたまっていたんだなと、その光景を見て思った。

 まあ、私に対してストレスを吐く毒親だけど、やっぱり私のにらんだ通り、全ての元凶はあの父親だ。

 お母さんの言葉をすべて聞いた警察官が一言、真剣な、憐みをかけるような感じで、「分かりました」と、低い声で言った。その時だった。

「プルルルル」

 私のスマホから音が鳴った。

「何してるの!! こういう時くらい音切っておきなさい!」

「あ、ごめんなさい」

 とっさに謝る。相手は茂だ。こんな深夜に私に電話なんて……その瞬間もう一つの可能性に気が付いた。今まで被害者が誰だとか考えていなかった。でも、私の身近な人が被害にあっている可能性もある。

 お母さんに一言謝って、外に出て電話を受けた。すると……

「愛香……愛香!」

 と、情けない声が聞こえてきた。

「愛香……お前の声が聴きたかったんだ」

 私からならあり得るが、こんなに頼りなさげなことを言う彼は珍しい。その瞬間もう完全に分かった。

「お母さんが、お母さんが、さっき息を引き取った」

 やっぱり……と、そう思った。わかってはいた。さっきの茂の感じでわかってはいた。でも、でも……

「ごめん急にこんなこと言って、困るよな。お前も。でも、でも、こんな時に頼れるのはお前しかいないんだ。頼む。慰めてくれ」

 ああ、こんな頼りない茂は初めてだ。そんなふうになるほど悲しかったのだろう。でも、今は違う。今は……茂を慰められない。私だって悲しいのだ。お母さんよりもお母さんをしていた、美智子さんが亡くなって、その犯人がおそらくお父さんで。

 もう私の精神がおかしくなりそうだ。

 ああ、この世界は残酷だ。神なんていない。もし、いたならば、お父さんだけを死なすはずだ。

 こんな不条理あっていいはずがない。私よりも不幸な人はこの世にたくさんいるとは思う。でも、そんなことは関係ない。

 ああ、運命は私にどんどんと試練を与えようとしている。試練の果てに何があるのかはわからない。でも、最初から幸せな人もいるのに、わたしだけ不幸なのって……明らかに不公平だ。

「おい! 愛香! 聴こえてるか?」

「……今どこにいるの?」

「Y病院だ」

「わかった」

 そう言ってすぐに荷物をまとめてY病院へと向かった。幸い距離はすぐ近い。警察への対応はお母さん一人でも大丈夫だろう。私は私のしなくてはならない事を。そう、犯罪者の娘としての使命を。


「……茂」

 病室に足を踏み入れる。すると、ぐしゃぐしゃに泣いている茂がいた。思えば泣いている茂なんて今まで見たことがなかった。私の知っている茂はみんなから愛されていて、いつも笑顔で、皆に元気を与えている存在。新鮮味があると同時に、そこに横たわっていた茂のお母さんの顔を見ると、すぐに申し訳なく思った。

(あなたからいろいろな恩をもらったのに、犯罪者の娘でごめん)

 そう、きれいに亡くなられている美智子さんに告げた。

「愛香……」

 その瞬間茂から声をかけられた。

「はは、お前も泣いてるのかよ」

「泣いているよ。泣かないわけないでしょ」

「ありがとう。愛香。俺のお母さんのために泣いてくれて」

 違うよ。私は美智子さんのために泣く資格なんてないんだよ。犯罪者の娘。それが私なんだから

「本当こんな時も茂は茂だなあ」

 そう呟いた。なんで自分が一番悲しいはずなのに、なんで私の相手してくれるのよ。私の相手なんて全無視でいいの。こういう時は。


 そして無言の状況が一〇分続いた。正確には無言ではない。私と茂の鳴き声が病室内に響いていたのだ。茂のお父さんはすぐに帰ってこれないらしく、今この場にいるのは私たちだけだ。

 その時間は無情にも病院の先生の声にさえぎられ、ご遺体が運ばれる。私は……ここにいていいのだろうか。

 そう思って、病室の椅子にただ座った。

「なんでお前は……いや、なんでもない」

 そう言って茂は遺体を追いかけていった。


 翌日、茂から葬式案内が届いた。しかし、私は未読スルーした。犯罪者の娘である私に行く資格なんてない。私が来ない方が、茂君のお母さんも安心するだろう。自分を殺した男の娘なんて金輪際見たくないはずだ。

 そしてそんな中、また涙が頬を伝う。もう何をする気にもならなかった。もう何もできなかった。

 もう、このまま消えちゃいたい気分だ。しょせんもう一生犯罪者の娘と言うレッテルは剥がれないだろうし、そもそも誰もはがそうとはしないだろう。

「ピンポーン」

 今日五度目のピンポンだ。お母さんが言うに、全部マスコミ関係だという。お母さんはまじめなことに、全部の受け答えをしているが、私にとってはそんなのくそくらえだ。私にはあの目は金しか見えてないように見えてしまった。

 だが、

「愛香、いるか?」

 そう聴こえた。その声は茂の物だった、

「なんで……なんで来るのよ。お葬式だったんじゃないの?」

「お葬式は午後からだ。それより、愛香一緒にお葬式行こうぜ。最後に息子の彼女を見たいだろうし」

「行かない」

「なんで?」

「茂もどうせ知っているでしょ? 犯人が誰かって」

「それは……知ってるさ。でも、お前は悪くないだろ」

「でも、私は立場的に出られない。ごめん」

「そうか……でも謝る必要はない。それに、愛香だとばれなかったらいいんだろ。じゃあ、男装していこうぜ」

「喪服着ないとだめじゃん。それに私は男装なんて見合わないよ」

「そうだな」

 これはどういうつもりで言っているんだろう。とにかく私には、立場上出席したら駄目だ。

「一人で行ってきて。私はここで……祈っとくから」

「ああ、分かった」

 そして、彼はそのまま出かけて行った。

 彼は私を責めなかった。

 なんで、私を責めないのだろう。私のお父さんのせいなのに。

 私はむしろ「お前の父親がやった事はお前がやった事だろ」みたいな感じで逆ギレされた方がマシだ。

 私は彼について行くべきだったのか?

 でも私が行っても場違いだし。

 ああ、私は私が嫌になる。何もできない私が、何も行動できない私が。


 そしてそのままその日は、ゴロゴロして暮らした。お母さんが色々対応している中、何もしないでゴロゴロしている。私は私が嫌だ。もう、こんなのは。


 そして、夏休みが終わっても学校に行かなかった。

 行かないよりも行けないが正解かもしれない。そもそも部屋からも出られてない状態なのだ。

 一週間が経ってもなお、私の精神は回復しない。

 お母さんとも一週間まともに話してない。

 精神が擦り切れる音がする。

 私の鼓動が沈んでいく。


「ピンポーン」

 そんな時に音が鳴った。まあとはいえ、私には関係のないことだ。

「愛香?」

「鳩さん?」

 まさかの来訪者だ。茂ならまだ分かるが、まさか鳩さんとは。何の要件なのだろう。

「今すぐ来て!!」

「え? え?」

「いいから」

 と、即座に制服に着替えさせられ、学校へと連れ去られる。

「え? え?」

 だが、鳩さんの勢いは止まらない。

「学校って行っても……」

 どうやっても止まらない。そう感じた。鳩さん、どうしたんだろう。こんな焦って。こんなに急いで。

 そしてついてしまった。学校に。

「いや、いやだ。行きたくない」

「なんでよ?」

「だって私、犯罪者の娘だもん」

 絶対怪奇な目で見られるだろう。もうそういう現象は目で見てきた。マスコミの猛烈さ、私の家を指さす人、送られてきた手紙。もううんざりだ。

 そして、鳩さんの手によって教室に押し込まれると、

「あ……いか?」

 茂が、私の名前を呼んだ。


(SIDE茂)

 俺は最初は愛香の事なんて何とも思っていなかった。地味そうな顔のやつがいるなあと思っていただけだった。それが興味に変わったのはいつからなのだろうか。

 それはおそらく、彼女が初めて屋上に出てた時のことだ。彼女は俺がいるのに気づかず、屋上で叫んでいた時だった。彼女は何もない空に向かって家族の悪口を叫んでいた。その時の声、すがすがしそうな顔、今でも忘れられない。そこからだ、彼女のことを目で追うようになったのは。

 そこからすべてがいとおしくなった。彼女が授業中寝ている時の寝顔も、暇つぶしにスマホをいじっている姿も、男女行動になった時の体育での君のビビる姿。その全てがいとおしくなった。その時は鳩と付き合っていたから、告白はしなかった。でも、ある日、

「ねえ、茂。やっぱり私たち別れよ?」

 と、鳩に唐突に言われた。意味が分からなかった。

「え? 何を言っているんだ? 鳩」

 俺はそう訊き返した。確かに最初に告白したのは俺だ。だけど、まさかそんなことを言われるとは。俺は鳩としっかりと恋人をやっていたはずだ。なのに、どうして。俺は、全くもってわからなかった。

「だって、茂は私を愛していないもん」

「それは……」

 図星だった。俺は鳩のことを愛せなくなっていたのだ。いや、その前から恋人としては見れてはいなかったのか。それから彼女は静かに「他に好きな人がいるんでしょ?」と、一言言った。

 その言葉に対してどう返そうかは激しく迷っていた。別に鳩も嫌いではないし、むしろ好きだ。だが、恋人がいる中、別の女を狙っていたなんて言えるはずもない。

 俺は「いや、違うよ」と、愛想笑いでごまかした。だが、それでごまかせるほど鳩は簡単な女ではなかった。結局、「別に気にしなくていいよ。別に茂男として見れてたのかっていえば微妙だったし、友達の方が気楽そうだしね。じゃあね、これからは友達としてよろしく!」

 その言葉を言って、鳩は、食堂に言った。鳩の言葉……鳩が俺のことを男とは見れていなかったという言葉が本当か嘘かわからなかった。

 俺はどうしたらいいのかわからなくて、そのままその場に突っ立ていた。

 それからと言うもの、俺と鳩が別れたことは噂になった。たくさんの人に理由を聞かれたが、彼氏として見られなかったという、鳩の本当か嘘かわからない言葉を理由として伝えた。

「正直ショックだぜ」と言う言葉を添えて。

 愛香には告白はしなかった。唯一したことと言えば、気が向いた時に、屋上に忍び込み、彼女の魂の叫びを聞くことくらいだ。

 だが、そんなある日、彼女が飛び降りようとしているのが、目に見えた。俺はもうすぐさま彼女のもとへと行き、彼女を手でつかみ、自殺を止めた。

 その後は、もう勢いそのままでお気に入りのカフェに連れて行った。鳩とも何回か言ったことのある、美味しいカフェだ。

 そこで軽く話すことに困ったが、とりあえず、告白をした。陽キャとか言われた時は困ったけど、とりあえず、つらいときには楽しいことを考えるべきだと伝えると、愛香は愛想笑い感もあったが軽く笑ってくれた。

 それから、勉強を克服するために勉強を教えたりした。

 ああ、教えるの上手いと言われた時はうれしかった。

 カラオケでハグをしたときも楽しかった。

 あとは、彼女が、家にいるのがつらいと言った時には、彼女を無理やり連れだしたりとか。あれは楽しかった。

 バトミントンもゲームもだるまさんが転んだも。

 その後、動物園では、愛香に無茶ぶりをしてしまった。俺が恋人らしいことをしたかっただけなのに。俺はこのまま友達の感じになるのが嫌だった。思えばキスもほぼしてなかったし、ハグも数回だけだった。俺はこのままでいいのか? と、心の中で思った。それで結局愛香に「ハグしてもいいか?」と告げた。いやそうな反応をされた時は、断られるかと思った。しかし、愛香はOKしてくれた、公衆の面前でハグしてくれた。俺はそれが嬉しくてたまらなかった。愛香は俺の彼女なんだぞと、周りの人に言えているみたいで嬉しかった。その後、俺のアピールは止まらなかった。今考えれば愛香に嫌な顔の一つされてもおかしくはなかった。そんな俺に嫌な顔一つせずに応じてくれた愛香には本当に感謝をしてもしきれない。

 だが、お母さんが亡くなった時、俺は事件の詳細を知らなかった。ただ、お母さんが刺されたと聞いて駆け付けた。すると本当にお母さんは死んだように動かなくて、もう悲しくてしょうがなかった。そこで、愛香には申し訳ないが、電話をした。

 だが、お母さんが刺されたと言った瞬間、愛香には明らかな動揺があった。すぐに愛香は来てくれたが、その様子はどこかおかしかった。

 その翌日の事だった。刺したのが、愛香の父親だと知って。ショックで家から出れなかった。だが、勇気を振り絞って愛香の家に言った。愛香は悪くない、愛香は悪くないと心の中で言い聞かせて。

 愛香を誘った、だけど、来てくれなかった。なんでだ? と思ったが、それは仕方ないことだと、自分に言い聞かせ、一人でお葬式に言った。お父さんは返ってきていたが、お父さんとはほとんど何も話さずに、そのままお葬式は終わった。

 新学期が始まっても、愛香は来なかった。愛香がいないと、なんだが、寂しさを感じた。隣の空き机、そこに愛香がいない、その事実で俺まで行きたくなくなる日もあった。毎日、天候と化してないが、心配になった。だが、それでも愛香に電話をする勇気がなかった。あの時からずっと罪悪感を感じていたとしたら、電話をかけるべきだということは俺にも当然わかってはいた。でも、俺にはそれが出来なかった。

 そして俺の心はだんだんと、段々と壊れていく感じがした。勉強にも身が入らず、ゲームも何も面白くない。

 高級レストランに行っても何も味がしないというありさまだ。周りから見たら俺は俳人に見えていたかもしれない。

 だが、そんな中、愛香が目の前にやってきた。


(SIDE愛香)

「あ……いか?」

 どうしよう。合わす顔がない。私のお父さんのせいでこんなことになってるのに、私にはそもそもここにいる資格なんてないのに。

「私帰ります」

 そう言って教室から出ようとした。会えるわけがない。そもそも私がここにいていい理由なんてない。

「ちょっと愛香! 待って!!」

 私の逃走は、鳩さんの手によって、あっさりと止められてしまった。

「愛香……」

「茂……くん」

 どうしよう気まずすぎる。帰りたい。もう、しんどいや。

「とりあえず、二人ともハグして」

「は?」

「え?」

 ハグして? って、え!?

「ほら!」

 仕方がないので、言われるままにハグをする。これして何かあるの?

「とりあえずさ、二人とも互いのこと好きなんでしょ? 鈴村竜介とかいうくそ野郎は置いといてハグしちゃってよ。もしここでハグしないと本当に疎遠になっちゃうかもよ?」

「う、うん」

 気まずいままハグをする。

「茂……ごめん。あの父親のせいで、私のせいで」

「お前のせいなわけあるか!! お前は……お前は被害者だ。俺の方こそ、あの日以来会いに行かなくてごめん」

「でも、それを言ったら私じゃあ」

「でも、お前は、学校に行きたくなかったのは事実だ。行けるわけがない。ただ、俺はそんなお前を、お前を慰められなかった。彼氏失格だ」

「そんなこと言ったら私も彼女失格だよ」

「大好きだ、愛香」

「大好き、茂」

 そして、私たちのハグを終えた瞬間に、せき込みをしながら先生が入ってきた。今は四〇分、思うに待っていたのだろう。その日は久しぶりの学校で鳩さんと茂と沢山喋って沢山笑った。


 だが、帰った後、「愛香、話があります」と、お母さんに言われた。

「なに?」

「もう、引っ越ししようと思います」

 それは私にとって衝撃的な申し出だった。いや、こうなる事は分かっていた。でも、その可能性を私は封印していた。その事を考える事をやめていた。引っ越しなんてしたくないから。

 ああ、やっぱり茂と離れる事になるのかと思うと、涙が出てくる。まだお母さんの話の途中なのに。

 引っ越さなきゃならない事は分かってはいるのだ、この脅迫状の数、これを見たら命の危機を感じてしまう。

 私たちは嫌われている。この街の大半の人に。

 そもそも事件後に聞いた話だが、お父さんは私たち以外にも問題行動を起こしていたらしい。

 本当、全てお父さんのせいだ。

「泣かないで、愛香。でもこれは決定事項だから」

「……分かってる」

 引っ越さないなんていう選択肢はないことを。

 引越しの詳細としては、栃木県に実家があるからそこに住むということで、もう出来るなら明日にでも引っ越したいという事らしい。

 あとは細かい書類の記入と退学届を提出することだけだった。

 今の私に引っ越しを防ぐ力なんてない、大人しく従うしかないのだ。


 翌日、転入のための手続きのために学校に行った。もうこれが最後の学校かもしれない。

 そう思って、思い残すことのないように学校に登校した。とは言っても授業は受けず、資料を提出するだけだ。

「愛香?」

 学校に行くと、茂と出会った。

「行くわよ」

 立ち止まる私にお母さんは非情にもそう言い放った。

「私は……」

 そこからの言葉が言い出せず、そのままお母さんに着いて行った。面談室へと。


「ではこれで大丈夫だと思います」

 長ったらしい話が終わり、面談室から出た。おそらく私は終始暗い顔をしていただろう。それは私も認める。でも、明るい顔をしろというのが無理な話なのだ。

 そして教室を出たところ、そこには茂と鳩さんがいた。

「……なんで?」

「お前、転校するのか?」

「……うん」

「っ転校しなきゃならない状態だという事はわかる。でも、なんでお前が転校しなきゃならないんだ」

「それは……仕方ないの! だって、犯罪者の娘だから」

「お前、そのワード好きだな。そのワード言ってて悲しくならねえのかよ」

「なんで?」

「お前、自分を下げすぎなんだよ。最近マシになったと思ったらこれだろ? 俺はさあ、お前の悲しむ顔が見たくねえんだよ。だからもう犯罪者の娘なんて言わないでくれ」

「でも、客観的事実だし」

「事実だろうが、俺は認めねえよ。お前には罪なんかねえ! だから転校するんじゃねえ。そんなクソみたいな世論に掻き回されるな!」

「……私が決めた事、だから部外者は口を挟まないでくれませんか?」


 お母さんが口を突っ込んできた。


「いや、口を挟む権利はある。俺は愛香の彼女だからだ」

「それで、あなたは何が出来るんですか? この手紙、全て脅迫状です。犯罪者の家族は街から出ていて行け、とか、殺すぞとか、俺の嫁は死んだのに呑気に生きてられんな? このクソ家族とか色々な手紙が来ています。もし貴方が、私達の引っ越しを止めて、その結果私たちが殺されたら貴方は責任を取れるんですか? それにこの町で生きている時点で、嫌でも犯罪者の家族なんていうレッテルは付くんです。別に私たちは罪を犯してませんよ。でもそういうものなんです。そんな、貴方がそう思うからこうだとか、そんな漫画みたいな良い話はありません。それに、なんですか? 貴方、感情で話してませんか? 娘の彼氏にあまり厳しい事は言いたくないですけど、現実見てください。いつまでも中二病じゃあ困りますよ。さあ、愛香行きましょう」

「……はい」

 私はそのままお母さんに着いて行こうとした、だが、

「待ってくれ!」

 その声で私の歩みは止められた。

「何?」

 お母さんが冷たい目で茂を見下ろす。

「俺の家に愛香を泊まらせるのはダメか?」

「何言ってるの……家族が離れるなんてあってはならない事なのよ。そんな申し出……受け入れられるわけが無い。それに愛香の安全は解消されないわ」

「……」

 その言葉で茂に対抗する手段は無くなったらしく、私たちは大人しく帰った。


 数日後、私は栃木県に引っ越した。

 新しい学校、鳩さんも茂もいない学校、寂しい感じがする。ああ帰りたい。でも、ここから栃木県までは遠いなあ。もう帰れないのかな、もう会えないのかな?

「転校生の夏目愛香さんです」

 そう、先生に紹介される。

「じゃあ、席は藍川十和子さんの隣で」

 そして私は死んだ目のまま藍川さんの隣の席に座る。

「あ、これからよろしくね」

「う……うん」

 そう、愛想笑いで返した。私はどう会話をしたらいいのかわからない。こういう時に茂や鳩さんがいたらいいなと思うが、今は私の力で切り開くしかないのだ。

 幸い、私が鈴村隆介の子どもであることはばれなかった。今の苗字はお母さんの旧姓である夏目になったからと言うこともある。たまに刺傷事件の話が聴こえてくると、少しびくっとなってしまうが、

 まあそれだけだ。もし何か言われたとしても、私の知り合いが亡くなったとでも答えたらいい。


「ねえ」

 数日たった時に藍川さんに話しかけられた。

「話そうよ」

「え?」

 そして、私は昼食を彼女と取ることになった。うぅどうしてこんなことに。どうしてもあの事件のことがあるし、私は人としゃべれるのか不安だ。

「前はどこに住んでたの?」

「えっと、滋賀に住んでたんだけど、お父さんが亡くなったのを機に、お母さんの実家のある栃木に引っ越したの」

「なんか悪いこと聞いちゃったね」

「いやいや」

 正確には死んだんじゃなくて、これから死ぬだけど。たぶん死刑、良くて終身刑だと思うし。

「それで、なんか死んだ目をしてるの?」

「これは違うくて……」

「ん?」

「私元々陰キャだったから」

「へー。陰キャね。そんなこと気にしなかったらいいのに」

「え?」

「だってさ、それ誰かが決めたものでしょ。よし決めた。私愛香ちゃんと友達になる」

「ええ?」

「だって、面白そうだし」

 そして、私はどうやら藍川さんの友達になることが確定したらしい。

 最初は怖かったが、藍川さんがいい人であることはすぐに分かった。茂や鳩さん、雅人君みたいないいひとだ。本当にほっとする。こんな私と友達になってくれる人がいるなんて。

 そして友達になってから二週間たったころ、一緒にお出かけすることになった。場所はハンバーガー屋さんだ。

「はあ、美味しい」

 私はチーズバーガーを食べる。

「おいしいよね。やっぱりファストフード店って偉大だー」

 そう十和子は言った。幸せそうな顔で。すると、隣から

「あの刺傷事件の犯人はくそだな!! 何人もの人の人生を奪って」

 びくっとなった。私も無関係ではないし。でも、そのことを十和子に気づかれたくない。そう思い、気づかないふりを する。

 十和子が「どうしたの?」と訊いてきたので、「隣の声がうるさかったからびっくりした」と返した。

「本当、精神鑑定とかいらんからさっさと死刑にしてくれないかな。本当司法は何をやってるんだよ。弁護士いらねえだろ。もう死刑でいいんだよ死刑で」

 十和子には見せないように頑張ってはいるが、やっぱりいい気持ちはしない。死刑にしてほしい。それは私も同感だが、あんなのでも一応は私の父親だった人だ、私が言うのはいいが、他人が言うのはやっぱり許せない。

「どうせ、子ども屑に育っているだろうさ。だって、虐待されて育っているって言ってたし、それにくずの子どもはクズに決まってるしな」

「たしかにーははは」

 その言葉で私はノックアウトした。心臓が変ななり方をしている。これはストレスとは一概に言えない気がする。それとはまた別の感情、別の苦しみな気がして、もう十和子の前でも笑顔でいるのは無理になった。

「うぅ」

 私は腹を抱えて、その場に倒れてしまった。

「だいじょうぶ!?」

 十和子の声が聞こえる。どうやら私は失敗したみたいだ。

 ふと目を開けると、私は十和子に抱えられていた。

「うぅ、大丈夫」

「でも大丈夫には見えないけど」

「でも心配かけられないから」

 そして私は何とか立ち上がる。その間にも隣のおじさんたちは私の異変に何も気づいてないのか、そのまま話をつづけた。しかし、運のいいことに

「移民はもう国に帰れと思うんだよ!! あいつらなんていらねえ。日本は日本のものだ」などという思想の強い話に変わったので、良かった。

 でも、私の心の傷は何も晴れてはいない。私はクズ。その言葉がずっと脳裏で聴こえる。

 ああ、私は何をしているんだ。私は今ここにいる価値なんてない。そう思って家に走って逃げた。食べかけのハンバーガーをもって。

 家に帰って、ベッドに寝ころんだ。

 茂の電話番号をふと見つける。電話がしたい。でも、する勇気がない。どうしたらいいんだろう、私また自分をクズって思っちゃっているよ。ああ、私はだめだ。もうだめだ。明日どうせ学校に行っても十和子は私と口をきいてくれないだろうし。本当、私は。


「ぷりゅりゅりゅりゅ」

 十和子だ。心配してかけてきてくれたのだろうか。でも私は出るわけには行かない。出るわけには行かないのだ。

「愛香?」

 今度はお母さんが声をかけてきた。お母さんはあの時以来ほとんど問題発言をしていない。お母さんになら言ってもいいかな。

 そう思い、私の今日のことを聴いた。

「仕方ないわ」

 そう開口一番に言われた。慰めてほしかったのに。

「でも、どうせそんな人たちすぐに忘れるわ。大丈夫。しんどいのも二か月だけ」

「うん」

 そう聞いて少しだけ気持ちが楽になった。


「ごめん!!」

 次の日、学校についてすぐに十和子に謝った。昨日のことを、着信拒否したことを。

「え?」

「本当にごめん」

 十和子はあまりの私の熱量に若干引いていたが、それでも私は謝罪の言葉を伝えたい。

「それはいいんだけど。大丈夫だった?」

「大丈夫じゃなかったけど、今はたぶん大丈夫」

「そう、良かった」

 そう、十和子は微笑んだ。それを見て、私も少しほっとした気持ちになった。

「もし嫌だったらいいんだけど、昨日何かあったが教えてくれない?」

「え? うーん」

 話しても十和子なら嫌ったりしないだろう。でも、私は話す勇気が出ない。

「じゃあ、私ももう訊かない。人にはいくつでも秘密があると思うから」

「……いや、」

 私は決心した。

「話すよ」

 そう言った後、

「でも今じゃあ、周りの目もあるから、二人きりになった時でもいい?」

「うん。わかった」

 そして昼休み。私たちは二人で屋上に行った。私の秘密を打ち明けるために。

「じゃあ……話すね」

 そう言って息を吸うと吸った。そして、

「私のお父さんは鈴村竜介なの。知ってる?」

「……」

「あの人は私にひどいDVをしていた。何か嫌なことがあるたびに殴らせろなんていう親だった。私はそんなお父さんが本当に嫌いだった。でも、私はある時ある人に出会った。山村茂君っていう人。私の元カレ。茂は私にたくさんのことをくれた。笑顔、幸せ、普通の暮らし、お金、お茶の美味しさ、歌の歌いかた。もうたくさんのことをくれたの。最初は茂の片思いだったけど。だんだん私も好きになって、両想いになった。でも、そんな日にあの事件は起きたの。私のお父さんが電車で人を刺した。そして、その被害者に茂のお母さんも含まれていた。私は、それで、私のことを嫌いになったの。犯罪者の娘として。その後は、茂君に許されて、何とかなったんだけど、でも引っ越さなきゃいけなくなって、今ここにいる訳。長くなってごめんね」

「いや……だから昨日」

「うん。そう言う訳。嫌いになった?」

 嫌われる覚悟をもって今ここにいるのだ。

「大丈夫!!」

 そう言って十和子は私を抱きしめた。

「大丈夫だよ。愛香は何も悪くない」

「ありが……とう」

 そう言って私も抱き返した。

「私、うれしかったの。十和子が私の友達になってくれて。前に言った通り、私茂と出会う前は友達いなくて、友達出来るのかわからなかったから」

「うん。愛香はいい子だから」

「ありがとう」



 そして三年が経過した。

「愛香ー! おっはよ〜」

 私の人生は充実している。あんなことがあったとは思えないほどに。

 幸せかと言われたら違うかもしれない。でも、こうして大学に通えてる時点で幸せなのだろう。あとは、もう高望みするべきではない。

 それは分かっている、分かっているのだ。でも、まだ茂のことが心の中でつっかえてしまう。

 私はずるいことにまた茂と連絡を取れていない。私だってわかっている。茂と連絡を取るべきだって、でも、私はそんなの出来ない。

 そんなことを考えてしまったからか、気分が少し落ち込んでしまう。

「どうしたの? 愛香」

「いやなんでもないよ」

 そう、笑顔で言った。心配させないように、迷惑をかけないように。

「なら良いけどさー。なんかあるなら言ってね」

「分かってるよ」

 そんな事は分かっている。でも、今更そんな事を言っても恥ずかしいだけだ。十和子だったら良き相談相手として悩みに乗ってくれるだろう。だけど、私はあの日から茂の話を十和子とはしていない。私に散ってもう思い出すのがつらい出来事なのだ。私の、彼と連絡を取れるのに、取ることが出来ていないという事実に直面してしまうからだ。そのことで私自身が嫌いになる。


「あ、もう次の講義始まるよ。行こ!」

「そうだね」


 そう幸せなはずなのだ……



「ただいま」


 家に帰ってお母さんに告げる。今日はバイトもしてきて疲れた。


 お母さんはまだ帰っていなかった。まだ仕事が終わっていないらしい。仕方がないから、一人でご飯を食べる。

 一人とはいえ、あの時のご飯よりもはるかに美味しい。これを見るとお母さん料理上手くなったなと感じる。

 上から目線ではあるけれど。

 とはいえ、




 日曜日、今日は十和子とカラオケに行く。カラオケは久しぶりで本当に楽しみだ。だけど、何かが足りない、その思いが私を悩ませてくる。茂に連絡を取るべきなのかと本当に迷う。

『茂久しぶり。連絡とれていなくてごめんなさい。勇気がなくて、でもこの三年間、送る勇気が起きなくてごめんね。でも、ずっと会いたいと思ってた。だから明日会いませんか? 私が茂君の家に行くから』

 ……違うな。私は瞬時にそう感じた。これだと、失礼だ、三年間あっていない人に対するメールではない。

 そしてまたメールを消す。

 メールで何回も送りかけては、消してを繰り返してしまっている。

 本当、早く乗り越えなくてはならないのに……


「お待たせ!

 そんなことをしていたら待ち合わせに五分遅れてしまった。

「愛香、遅ーい。あと少し遅かったらカラオケも遅れるところだったよ」

「ごめんね、考え事してて」

「うーん。じゃあ許すか! じゃあ行こ!」

 そう、十和子に手を引っ張られる。

「じゃあ何歌う?」

「わたしはこれー!」

 と、十和子が曲を入れた。あ、この曲……茂と歌った曲だ。懐かしい。

「行くよー!」

 そんな十和子の歌を聴きながら茂との思い出に浸った。ああ、茂。今どこにいるのだろう、今何をしているんだろう。私の好きな人。

 どうしよう、

「え? 泣いてる? そんなに私の歌良かった?」

「え? 私泣いてた?」

 そんなつもりはなかったのに。なんで泣いたのだろう。理由は明快だが、そういう問題ではない。

 この涙の感触を見ると、会いたいんだなと激しく思う。

 とはいえ、今はカラオケ、気持ちを引き締めて。


「私も歌うよ」

「ええ! 泣いたあとなのに大丈夫?」

「大丈夫!!」

 まあ空元気だけど。とはいえ、あまり泣いていると、茂のことと感づかれてしまうかもしれない。それは嫌なのだ。

 そして、流行りのヒットソングを歌う。

 楽しい事は楽しい。

 もう茂のことを忘れてしまったら良いのだ。なぜそんな単純なこともできないのだろう。私は。


 そしてカラオケが終わり、近くのカフェでお茶をした。

「カラオケ楽しかったねー」

「うん」

「なんかさ、愛香意外と上手いよね」

「え? そうかな?」

 そんな感じはしなかったけど。

「だって、愛香この前あんまり音楽聴かないって言ってたし」

「まあそれはね、なんかイヤホンが苦手だからだけど」

「それであんなに上手いとか信じられない。私並みに上手いし」

「ありがとう。でも十和子もだいぶうまかったよ」

「そう、ありがとう」

「ところでさあ」

「ん?」

「なんか、ここのカフェラテ美味しくない?」

 濃厚な味がして、今までで二番目に美味しいカフェラテだ。あの日からかなりの量のカフェラテを飲んできたけどこんなに美味しいのはあの日以来だ。

「良かったー! ここ私が選んだんだし」

「ありがとう」


「……愛香?」

 背後から声がした。男の声だ。急になんなのだろう。

「お前愛香か?」

「え? 何? 何?」

 わからない。急にどうしたんだろう。

「愛香大丈夫?」

「う、うん」

「そうか、分からないよな。俺だ」

「え?」

 彼はメガネを外して私の方を見た。その姿はまさしく茂そのものだった。

「なんでここにいるの?」

「それはこっちのセリフだ」

「愛香? 知り合い? 」

「うん、彼氏」

「かれしいいいいいいいいいいい!!!! ちょってことは……」

「ちょっと十和子うるさい」

 十和子は気づいたようだ。

「私もいるわよ」

「あ、鳩さんも」

「ど、どういうことなの? 愛香。前言ってた……」

「そういう事。私の彼氏と友達」

 まさかここで出会えるとは思っていなかった。まさか、こんなところで偶然出会えるなんて。

「ねえ、本当に茂なの?」

「ああ、茂だよ」

 そうあの時みたいな優しい声で言ってくれた。

「茂!!!!」

「愛香!」

 そう二人で抱きしめあった。

「あ、えーと。これどうしたらいいの?」


 十和子は明らかに動揺している。そんな彼女に、

「大丈夫! こいつらバカップルだから、ほっときなよ」

 と、鳩さんが十和子に話しかける。誰がバカップルなんだ。

「そうですか、貴方は?」

「私は村林鳩、こいつらの友達よ」

「そうなんですか」

 そう三人で談笑する。そこで、ハグを止め、

「なんで、ここにいるの?」

「それは俺のセリフだよ。なんでここにいるんだよ」

「効いてなかったの? 私の引っ越し先って栃木だよ」

「そうなのか。と言うことは奇跡だな。実は俺の大学が栃木の大学なんだ」

「そうなんだ。どこの大学なの?」

「k大学だ」

「同じ……じゃん」

「は?」

「同じなんだけど」

「え? 学部は?」

「文学部だ」

「じゃあ違うね、私は経済学部だから」

「そうか……まあでもよかった。また会えて」

「うん!」


 そして、十和子には謝り、茂とのデートに出掛けた。海デートだ。とはいえ、十和子はあっさりと許してくれた。相変わらず、優しいなあ。

 海のきれいなさざめきを感じながら、茂と共に砂浜に座った。

「なあ、……引っ越した後どうだったんだ?」

「……普通だよ。普通に友達出来て、その友達と同じ大学に通って、そして、今普通に青春をしてる。でも、なんか違ったんだよね。何か物足りないって言う感じがあったの」

 なんとなく、臭いセリフな気がするけど、

「それが……あなた……茂君なの。茂の存在が私には足りなかった。だから楽しいものも楽しめなくて、つらかった。でも、だからこそ今こうして茂と一緒にいられてよかった」

「それは俺もだ。俺も寂しかった。あれから鳩とまた恋人みたいな形になったが、やっぱり愛香の代わりにはならなかった。俺も会いに行ったらよかったんだけど、会いに行く勇気も、メールを送る勇気もなくてさ、俺はずっと俺を責めていた。だからこそ、今二人で入

 いれて良かった」

「私は責めてないよ。むしろ私が責められる方だよ」

「ううん。俺だ。てかもうやめよう。責任の請け合いでしかない」

「そうだね」

「せっかくだから海に入る?」

「え? でも今まだ五月だよ」

「大丈夫だ。足つかるだけだよ」

「じゃあ」

 そして、足を恐る恐るつける。冷たい、足の体温が急激に奪われ、その寒気が体を唄う。

「大丈夫か?」

「うん大丈夫」

 弱いところなんて見せられない。

「水をかけていいか?」

「そこは無言でかけるところじゃないの?」

「じゃあかけるぞ!」

 そして水を飛ばされた。

「仕返し!!」

 と、水をかけなおす。楽しい。ああ、二人でこうして水の掛け合いが出来るなんて幸せだ。


「私ね」

「何だ?」

「今、仮初めの幸せが本当の幸せに変わった気がするよ」

「それは良かったなあ!!」

「うん! それでね一つ言いたいことがあるの」

「何だ?」

「好き! 私茂が好き」

「ああ、俺も愛香が好きだ」

「だから、こんな私だけど、また付き合ってください!」

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 こうして私にとっての茂の関係は元彼から彼氏に変わった。その後、水の掛け合いからもうエスカレートして、一緒に海に潜った。服のまま潜るのはなんとなく気持ち悪かったが、茂と一緒だったら気持ちよかった。

「はあ、楽しかったね」

「でも、だいぶ濡れちゃったな」

「だね」

「愛香の家ってどこらへん?」

「ん? 大学から結構遠いよ。ここからだと一時間くらい」

「じゃあ俺の家にいったん避難するか」

「だね」

 と、茂君の家に行くことになった。

 まさか再会からいきなり茂の家に行けるとは思っていなかった。……海に感謝。

「今はここで一人暮らししているんだ」

「へー」

 大きくはないが、小さくもない割といい感じの家だった。流石に今の私の家よりは大きくはないけど、一人で住むのには何一つ困らなそうな家だった。

「じゃあ、シャワー浴びるか?」

「うん!」

 と、お風呂場に行き、服を脱いでシャワーを浴びる。気持ちがいい。そしてシャワーを浴びながら今日のことを思い出す。私としてもまさかこんなところで茂と会うなんて考えてもいなかった。まさかこんなところで。十和子は悪いが、十和子と遊んでいた時よりも楽しい。

 ああ、やっぱり茂といる時が一番幸せだ。何よりも好きな人と入れる、それだけでなんでも楽しい。あの時も幸せだとは思っていた。

 でも、今の方がもっと幸せだあ。

 そしてシャワーを浴び終わり、外へ出る。だが、そこで気が付いた、着替える服がないということを。

「茂、これどうしたら……」

「ああ、そうか、ちょっとだけ待ってろ」

 と、言われたので、茂を待つ……すると、服を持ってきた茂が来た。

「これでどうだ?」

 だが、その茂はお風呂のところまで来た。裸を見られてしまった。確かにタオルで隠してなかった私も悪いんだけど。すると、固まっていた茂が。

「すまん」

 と、走って逃げ去った。茂も想定外だったみたい。

 そして茂の置いて行った服を着る。少しだけぶかぶかだけど、着れないことはない。そして、においをかぐ。流石に茂のにおいが残っているわけがないか。

 そして、リビングにいた茂に声をかけた。すると、すぐさま

「さっきは本当にすまなかった」

 と、土下座してきた。逆に気まずい。

「別に……いいよ。私も悪いし、それに茂だったら裸を見られても全然いいし」

「わかった。まあとりあえず俺も浴びてくるわ。事故のないように着替えをもって」

「はーい」

 そして茂を待つ間、リビングのソファーに座る。テレビはあったが、観る気はしなかった。

 それよりもだ、今の感じって、同棲しているみたいじゃない? いや、今そんなこと考えるのはだめだとはわかっている。でも、そのような感覚が抜けない。だめだ、そんなこと考えては。

 でも、考えるほど、なんとなくそう言う気持ちになってしまう。隣に茂がいて、一緒にテレビを見て、一緒にご飯を食べて、一緒に寝て、だめだ、妄想だけでもう幸せだ。

「はあ」

 いつか茂と一緒に暮らしたいな。一緒に色々なことしたいな。そう思った。

 そして、茂が戻った後すぐに、今日泊まってもいい? と訊いた。今の時刻は五時、別に帰れないことはないが、茂と一緒にいたいという気持ちで、言ってしまった。

 せっかく再会したのに、四時間足らずで解散したくなかったのだ。

 茂もすぐに私の思いに気づいたのか、同じ気持ちだったのか、すぐにOKしてくれた。

「じゃあ、ただで止まるのも悪いし、何か作る」

「いや、別にいいぞ、そんな変な気を使わなくても」

「でも、なんとなく申し訳なくて」

「わかった。じゃあ、二人で作ろう」

「え? いいの?」

「何がだよ」

「共同合作と言う事じゃん」

「なんかお前再会してから結構性格変わってないか?」

「いや、私は……ただ、日々を大事にしたいだけ。茂との」

 もう後悔はしたくない。いつ終わるかもわからない茂との日々。その日々を大切にしたいだけ。それにせっかく一緒にいるのに、私が謙虚なままだと、二人でいる意味が薄れてしまう。やっぱり積極的に行かなければ。

 そして、私が野菜を切って、茂君が炒める役割になった。二人で他愛ない会話をしながら料理を共同で作っていく。なんて楽しいんだろ。あの時は一緒に料理を作るとかなかったしね。

 そして料理が出来上がり、二人で食べた。

「ん! おいしい!」

「ああ、美味しい」

 その味は、塩味がちょうどよくて、肉も野菜もおいしい最高の炒め料理だった。何より、茂と一緒に食べられている。これこそ幸せだ。

 あの日に結局得られなかった幸せそのものだ。

 この三年間失っていた幸せを今取り戻そう。そう思った。

 その後、同棲の許可をもらった私たちは一緒に暮らし始めた。

 私たちは一緒に行ける日には一緒に学校に行き、一緒に帰れる日は一緒に帰った。私たちの家へと。


「茂」

「ん?」

「私たち幸せだね」

「……そうだな」


 そして私は幸せな同棲生活及びキャンパスライフを過ごしていく。茂と共に。


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