1.09
翌日。昨日までの好天とうって変わって、しとしとと降り続く雨。日中にもかかわらず外は薄暗い。
マーの運転するバンの助手席に俺、後部座席のビーは棒付きのキャンディを舐めながら雨粒越しに窓外を眺め、レアはこくりこくりと船を漕いでいる。旧型のバンはサスペンションが悪くなっているのか、ガタガタと揺れる。
特別強襲隊、決行日。
マーが俺に話しかける。
「ハイパーアリーナまでの道、けっこう混んでるねえ」
「雨だからですかね」
「ここは武蔵の中心部だから、いつもこんなものかも。まあ時間はたっぷりあるんだからのんびりいこう」
「そのアイドルフェスってのが終わるのは午後八時でしたっけ。ホント、今日は長丁場だなあ」
現在、時刻は午前十一時。このままいけば現地に着くのは正午頃。そして作戦決行時刻が午後八時。
ギル強襲計画の性質からやむを得ないことだが、随分と待たされる。夜の祭りに向けて、テンションを落ち着かせながら現地に向かう。
マーとビーが手合わせをした後のステーキハウス。そのとき、イージの口から伝えられた計画は恐るべきものだった。
舞台として選ばれたのは、武蔵の誇る大型イベント会場、ハイパーアリーナ。以前、俺とビーが格闘技イベントで訪れた場所である。
当日、ここではアイドルフェスなるものが開かれる。なんでもシンディが元気だったら舞台に立つ予定だったイベントだとか。
ギルは例によって、そのイベントの閉会式でスピーチを任されているらしい。このイベントは武蔵が国を挙げて開催している列島最大規模のものであり、国が公式に協賛しているため、執政官の誰かが挨拶をする必要があるそうだ。
俺たちシャークスマイルの特別強襲隊は、そこを襲う。
移動時でも、楽屋での待機時でもなく、イベントのステージで、衆人環視の中で、白昼堂々、ギルを倒す。舞台に立つそのときだけは、親衛隊のガードが手薄になるからだ。
事前準備もシンプルだ。そのときその場所に居さえすればいい。だが、無警戒な状態で接近するには事前に潜っておく必要があるし、先に会場に入っていれば、敵の全容を把握することもできる。
そのため俺たちは、前もって会場入りすることにしたのだった。
「今回の計画、どう思います?」
俺はマーに尋ねてみる。
「どうとは?」
「計画の骨子はいいと思うんですが、細部があまりにも不確定って感じがしませんか。アイドルフェスってのも万単位の人間が関わってるんでしょうから、こっちが考えている通りの展開になるかはわかんないですよね」
「そうだね。不確定というのは、柔軟に対応できるという利点もあるからね。僕がギルを倒す。そこだけはっきりさせておいて、他は現場で臨機応変にやるしかないんじゃない」
「本当に大丈夫ですか? 潜入したら、半日以上潜伏しなきゃいけないですよね。俺らは別に特殊工作員でもないのに。敵にバレないですかね」
「どうだろう。ハイパーアリーナは大きいし、バレないためにイージから便利道具を預かっているからさ。大丈夫なんじゃないかな」
マーは運転席と助手席の間に置かれたアタッシュケースに視線を促す。これはイージが襲撃に際して必要になるだろうといって俺らに渡してきたものだ。
「このケースですか。開けてみていいですか」
「どうぞ。何が入っているか、僕もよく知らないんだ」
見た目は反社組織が闇取引で使いそうな真っ黒のアタッシュケースだ。ガチャガチャと金属ロックを解いて、蓋を開く。
「ああ、やっぱこういうのか」
中は物騒な代物が所狭しと詰め込まれていた。スタンガン、金属ワイヤー、発煙筒、双眼鏡、目だし帽、麻酔薬、暗視ゴーグル、サイレンサー付きの拳銃、手榴弾。確かに特殊工作の徳用セットって感じだ。火器のような、本来は手に入れることができないはずのものも多い。
「確かに特殊工作員が持ってそうな道具がいっぱいですね」
「うん。使うかどうかはわからないけど、とりあえずあって損することはないでしょ。イージからの餞別だからありがたくもらっておこう」
「現地に持っていくとなると多少嵩張りますが、しょうがないっすね。ところで荷物といえば、あの後ろに積んであるのは何ですか。実は最初に会った日から気になっていたんですが」
俺は後部座席を埋め尽くす謎の荷物を指差す。
ビーやレア以上のスペースを占めているのは、十体ほどの木偶人形だ。最初に俺とレアがマーのスタジオに来たときに見つけたもので、そのときはマーの映画に必要なんだろうと勝手に推測していたが、まさか強襲時にまで持っていくとは。
「あの人形のこと?」
「そうです」
「あれは僕の切り札だから、絶対必要なんだ」
「切り札?」
「そう、切り札。このカードを切ったことはほとんどないけどね。ギルが想像以上だったら切ることになるかもしれないから、保険としてもっていく」
「そうですか」
よくわからないが、任せよう。あれだけ強いマーの切り札というのだから、疑いなく大事なものだ。そのせいで車内はだいぶ窮屈になっているが、仕方ない。どのみち俺じゃなくて、後部座席のビーとレアが窮屈な思いをするだけだし。
「切り札ってことはチートですね。マーさん、やっぱ人形の映画を撮っているくらいですし、ああいう木偶を操ったりできるんですか?」
「いや、そんなことはできない。できれば格好いいんだけどね、人形遣いとかいってさ。そういうのも憧れるけれど、僕ができるのは逆だから」
「逆というと?」
「うーん……秘密にしておこう。切り札は隠してこそ、だから」
「そりゃそうですね」
たとえ身内であっても、切り札は隠しておくべき。マーの言う通りだ。
小一時間ほどの運転で、ハイパーアリーナの付近に到着する。数万人単位のイベントで使われる巨大施設。ビーと一緒に格闘技のイベントを観に来て以来だ。あのときはチーターになったばかりだったが、チーターであることを明かして関係者口から入ったんだった。
「ところで、どうやって会場に入るつもりですか」
「いや、そのままだけど」
「そのままって?」
「車でそのまま入る」
「搬入口から?」
「そう」
こういうイベントスペースには、業者が荷物を出し入れする用に搬入口があって、トラックがそのまま入れるようになっている。しかし、中に入るには専用のスタッフ証のような、何か関係者であることを正式に証明するものが必要なはずだ。
「それって無理じゃないですか。俺たちはチーターですけど、別に関係者じゃないですし。まさかイージさんが、裏で手を回してくれているとか?」
「いや、さすがのイージもそこまで手配できないよ。関係者のフリをして入るってだけ」
「え、それ可能です?」
「わからない。他に手もないし、まずはやってみるだけ」
「……」
あかん、わりと杜撰な計画だ。ギルを襲うどころか、潜入することさえできないかもしれない。
「そうだなあ。この中で顔が売れてるのって、ビーちゃんとレアちゃんでしょ。敵のチーターがやってきたってバレたらまずいけど、変装したし、大丈夫でしょ」
「変装……ですか」
俺は面々の服装を眺める。たしかにビーやレアからは普段とは違う印象を受ける。
話は出発前にさかのぼる。
イージから襲撃にあたって、目立たない服装に着替えるようにと指示があった。
「目立たない服装って。会場はアイドルフェスだろ、どうすれば」
俺が逡巡していると、ビーが
「ジローは地味な感じだし、顔も売れてないからそのままでいいんじゃない。マズいのは私とレアね」
「……(コク)」
首肯したレアに、ビーが提案する。
「そうだ、レアさ。いっそフリフリな感じの衣装着てさ、アイドルのふりしたら? レアならいけるって」
「アイドル?」
「アイドルフェスって案外アイドルっぽい恰好したファンもいるらしいよ。木を隠すなら森理論でさ。そういう服装の方が目立たないんじゃないの? どう?」
「……そうする」
うーん、大丈夫か?
たしかにレアって、見た目的にはアイドルっぽいけどさ。顔が割れてるってのはそういう問題じゃないからなあ。かといってお面被るわけにもいかないし仕方がないか。
「じゃ、早速買いにいこうか」とマー。
会場に向かう前に寄り道をすることに。ショッピングモールにあるアパレルショップで、各々で変装グッズを買った。
ビーは地味目なサングラスに合うようなハンチング帽。黒いマスク。たしかにそれっぽい。女優なんかがバレないように地味な恰好しているみたいな感じ。
レアは逆にフリフリのドレスみたいな衣装。木を隠すなら森理論。アイドルのフェスに潜入するならこの服装もアリか。アイドルと、アイドルに憧れている女の子。傍から見ればどっちも似たようなもんだな。
俺は彼女たちの変装姿を眺め、惚けていた。
顔バレのリスクかあ。
彼女らは有名なチーターだから目立つっていうだけじゃなくて、そもそもが美形だからなあ。どうあっても目立つ。その辺、モブとして生きられる俺とは別世界に生きている。
「ジロー、どうかな」とビー。
「変装のこと? いいんじゃないかな」
「ありがと。ジローも似合ってるよ」
「そうかな」
俺は全身黒ずくめで、地味なトレーナーにカーゴパンツ、いかにも照明とかのスタッフっぽい感じのファッションにした。別に顔が割れているわけではないが、会場で目立たないように、念には念を入れた形だ。
「僕だけ普段通りでいいの」とマー。
「マーさんは、そのままで大丈夫」
マーは元からそれっぽい服装だったので変更はない。くたびれたジーンズ、よれよれのシャツ、無精ひげ。目元も隠れている。怪しいといえば怪しいが、業界の裏方にはこんな人が多そうだから問題ない。
相互のファッションチェックも終わり、四人はバンに乗り込んだのだった。
「この変装で……うまくいけばいいですね」
俺はマーに冷めた目線で答える。
「心配しなくても大丈夫だよ、ジローくん。僕たちはチーターなんだから。いざとなれば潜入くらい何とでもなる」
「さいですか」
「よし、そろそろ着くよ」
舞台のハイパーアリーナが見えてきた。
まずは第一関門。無事に潜入できるかどうかだ。
会場の裏手にある搬入口に回る。警備員に誘導された先には、人の好さそうな顔をした白髪の守衛さんが待っていた。正面にある巨大なシャッターは閉まっている。
「どうも」
マーが気安くあいさつする。
「セキュリティ証ありますか?」
「ありません」
「え?」
マーが堂々と言い退ける。
「で、入れますか?」
「えー待ってください。セキュリティ証、見せてください」
「ありません」
「え?」
「で、入れますか?」
意味のわからないやり取りを繰り返す。堂々と言い切ったら入れるんじゃないか理論はさすがに無理があるだろう。
さすがに守衛さんも困ったらしく、少しまじめに応対し始める。
「ど、どちらさんですか? 基本的にね、業者の方はお通しする際にセキュリティ証を確認させてもらってますんで」
「そうですか。あいにくですが、僕らは業者じゃありません。業者のフリしていますが、お忍びできたチーターです」
「チーター?」
「ええ」
おいおい。マーがぶっちゃけだしたぞ。
「今日のイベント、関係者席で観覧しようと思ってましてね。入れてもらえませんかね? 他の客より良い席でみたいんですよ」
「と言われましても……」
守衛の人が逡巡したので、マーはビーに声をかける。
「じゃあさ。ビーちゃん、サングラスとマスクを外してよ」
「え? いいの」
「お願い」
「わかった」
言われた通りサングラスとマスクを外して、守衛さんに顔を確認させる。
シャークスマイルの中で最も顔が割れているチーターがビーだ。
「ああ、あなたでしたか。どこかでお顔を拝見したことあります。有名なチーターの方ですね。申し訳ありませんでした」
「じゃあ入りますよ」
「どうぞ」
顔出ししたらパスできた。変装とはいったい。
シャッターが開く。第一関門突破。ビーの知名度で無事潜入に成功した。
「よし、到着っと」
搬入口の先はだだっ広い倉庫のようなスペースだった。マーは適当に駐車する。
俺は運転席のマーに話しかける。
「入れたのはいいとして、ビーだってバレちゃいましたけど、大丈夫ですか」
「いいんじゃないかな、あの程度のやり取りならさ。シャークスマイルのビーが来ていることが、クサビグループの連中にまで伝わるとまずいけどさ。有名なチーターが遊びに来たって程度ならそれほど珍しいことじゃないから、そこまで報告いかないんじゃない」
「でもシャークスマイルとクサビグループは抗争中ですよね。そのこと考えると、クサビのリーダーがスピーチする現場にシャークスマイルのチーターを招き入れるのはまずいんじゃないですか? セキュリティ面からしたら」
「それなんだけどさ。たぶん、一般の人は知らないよ」
「へ? そうなんですか?」
あんなに派手にドンパチやってるのに。
「今起きているのは大手クラン同士の抗争でしょ。そういう情報って秘匿されるんだよ。世の中の不安を煽らないように、一般人には遅れて伝わるようになってるからさ。手打ちになって、抗争が終わったら、メディアが情報解禁して一斉に伝え始めるんだ。この時点では関係者全員にかん口令が敷かれているはずだよ」
「へえ」
「だからあの守衛さんも、シャークスマイルとかクサビグループとか気にしてないって」
「それなら……まあ。確かに大丈夫か」
マーの言う通りなら、この潜入の仕方でも支障はない。
「で、ここからどうしようか。ギルが出てくるのは午後八時らしいけど」
「まだまだ時間ありますね」
フライヤーを見ると、開場が午後一時からで、開演が二時、終演が八時。ギルが出てくるのはその終演のタイミングのはずだ。それまでどこかで身を潜めていなければならない。
「今が十二時だからさ、あと一時間で開場でしょ。それまでには観客と一緒にホールの中にいた方がいいよね、そういうテイで入れてもらったんだし、そうじゃない動きしたら目立っちゃうよ」
「それはそうですね」
「それまではざっと全体の様子みてこようか」
「ギルや楔の連中の楽屋でも探しますか」
「それもいいけど、僕はここに来たの初めてだから、ホールの方を視察しておきたいな」
「じゃあ二手に分かれましょう」
結局、俺とビー、マーとレアで二手に分かれることに。
ここに来たことがある俺とビーは楽屋方面に、初めてのマーとレアはホールに向かうことになった。落ち合うのは開演の午後二時、ホール二階のVIP席。
「これ、どうします」
俺はイージが俺たちに託した、特殊工作グッズの詰まったアタッシュケースを指さしていった。
「どうしようかな。中には持っていきたいから、ジローくんたちで持っていてくれると助かるかな」
「了解です、ちょい目立ちますけどね」
俺がゴツいアタッシュケースを持ちながら移動することになった。こんな荷物を持っているのも、スタッフっぽいっちゃぽいのでいいだろう。今の俺は下っ端ADだ。
「じゃあねジローくん、ビーちゃん。二時間後に、ホールで」
「はい」
マー、レアとは一旦お別れ。二人は会話ができないが、大丈夫だろうか。
そんな心配をしつつも、俺はビーと並んで楽屋側に進む。久しぶりのツーマンセル、コンビ復活だ。
「ちょっと見ない間に変わったね、ジロー」
「そうかな」
棒付きキャンディをくわえたままのビーと、廊下を歩きながら話す。変装用の黒マスクは下にずらしているが、黒いハンチング帽とサングラスはしている。これならすれ違った程度ではビーとわからないだろう。
「チーターとしても強くなったんでしょ」
「マーさんによれば、ね」
「話し方も変わった気がするな。前より堂々としてる。強くなったんで、自信がついたんじゃない」
「たぶんね」
多少の自覚はある。今ならほとんどのチーターに遅れをとることはない。だから、いざとなれば力でねじ伏せられるという自信が、自然と態度に表れるのだろう。
「今なら私とやっても勝てそう?」
「さすがにそんな自信はない」
「ホント?」
「ホントだよ。ランク七位の猛者でしょ、ビーは」
「ジローもそのくらい力あるんじゃないの」
「どうだろう。前にハイパーアリーナ出たところで戦ったカイって奴が、確か五十位とか言っていたな。そいつとは接戦だったよ。あとは一緒にダンジョン潜ったレアが二五位だっけ。その辺をバロメーターにすると、俺の実力は二~三十位くらいじゃないかな」
「ランクなんてあてにならない。マーさんだってランク外だしさ」
「あれは引退してるからでしょ」
「そうだけどね」
ビーは棒付きのキャンディを手にもって、俺の方を向いた。帽子の後頭部から飛び出た栗色のポニーテールが、首の動きに合わせて揺れる。
「私の見た感じだと、ジローの実力はもっと上。ランクでいったら一桁」
「そりゃ言い過ぎだって」
「そんな気がする。ねえ、まだ半覚醒なの?」
「たぶん。だってチート使えないし。ダンジョンで一回、それっぽいものが発動したけどね」
「そうなんだ。この時点でそれくらい強いんだから、ジローって完全に覚醒したらわりと最強なんじゃないかな」
「そうだとうれしいけど」
最強を目指すと決めた以上、その称号にはこだわりたい。いつかはギルだって、マーだって、イージだって圧倒できるくらい強くなってやる。
「ところでさ。それ、ジローの武器?」
「これか――」
腰にぶら下げたグローブのことだ。火力不足を補うために常時携帯している。
「昨日、レアと一緒にダンジョンに行ったんだ。二人で奥まで進んだらデジルが出てきた大変だったけど、なんとか倒せた。これはそのときのドロップを加工して作ったグローブで――」
「デジル!?」と食い気味でビー。
「そう、悪魔族のデジル」
「冗談でしょ! デジルなんてチーター二人で倒せるわけない」
「確かに強かったけど、倒したよ。二人とも死にかけたけどね」
「すご……」
さすがのビーも絶句する。
悪魔族とはそれほどまでの存在なのだ。一体でチーター百人分といわれるだけのことはある。いくら腕っぷしに自信があっても、出会ったら即撤退が基本の相手だ。
「自信がついたって話だけどさ。確かに、その戦いで強くなったような気がする」
「なるほど、納得した。いくらレアと一緒だといっても、たった二人でデジルを倒すなんてね、私でもできるかどうか。どう考えても、今のジローはチーターでも最上位クラスだね」
「それは言い過ぎだって」
「そんなことない。やっぱ私の目に狂いはなかった」
「何それ」
「最初に会ったときから、ジローはすごいチーターになるような気がしてたんだ」
「眉唾だなあ」
ビーが調子のいいことを言う。さすがに買い被り過ぎの気がするが、気分は悪くない。
俺は面映ゆいのもあって、話題を変えようと辺りを見渡しながら口を開く。
「それにしても、クサビグループの楽屋か。さっきからそれっぽいのは見当たらないね」
「うん」
大きな会場だけあって、楽屋の数も半端じゃなく多い。どの部屋にも扉に使用団体名が貼り出されているが、クサビグループとかギルというものはない。どこぞのアイドルグループらしき名前ばかりが並んでいる。
中央にホールがあるため、ゆっくりとカーブした一本道の廊下の左右に楽屋だったり休憩所だったり小会議室だったりが並んでいる。このレイアウトなら見落とすことはなさそうだが。
「あっさり見つかると思ってたけど、考えが甘かったか」
「時間はあるし、ゆっくり探そう」
ホールではリハーサルをしているらしく、音が漏れ聞こえてくるが、楽屋付近には人気がほとんどない。時折、スタッフらしき人とすれ違うが、適当に会釈するだけでやり過ごせた。変装が効いているのかもしれない。
そんな中。
「あ、何か来る」
ビーが突如としていう。
前方をよく見ると、とんでもなく恰幅のいい男が一人でこちらに向かってくる。黒服に身を包んでいて、手には無線機を持っている。セキュリティだろう。「でかい人だね」と俺がいうと、「あいつ、たぶんチーターだよ」とビー。
「わかるの?」
「なんとなく、ね」
「堂々とすれ違おう」
「うん」
相手がセキュリティというのもあって、不審がられるとまずい。いかにも一介のスタッフっぽく振舞って、平然とした態度ですれ違うことにした。
「適当に話しでもしていよう」
「そうだね」
俺とビーは謎の業界用語混じりのそれっぽい話を始めた。誰それの入りが何時でとか、弁当が全部届いてないとかなんとか。俺はすれ違いざま、相手を観察する。
身長は二メートル弱で、とにかく分厚い。無差別級の柔道家かヘビー級のプロレスラーのような体格で、スーツがはちきれんばかりだ。髪は黒髪のオールバック。
そして瞳は、鈍色。この色はどうだろう。チーターという確証を得るほどではないが、しかしこの列島の一般人には珍しく、どことなく違和感を覚える色であるのも事実。
この世界の人間にとっては常識だが、チーターになると瞳の色が変わる。しかし何色に変わるかはほぼランダムで、さほどレアな色の瞳にならないこともある。黄色人種からすれば、元の色とほとんど変わらない黒色になるという場合もあるのだ。
――おっ。
すれ違った直後、一瞬、ピリッと空気が張り詰めた気がする。不穏な気配が漂ったが、すぐに掻き消えた。謎の大男には声を掛けられることもなく、何事もなくすれ違った。
十分な距離が開いたところで、「どうだった」とビー。
「どうって?」
「今の人、どれくらい強そう?」
「チーターかどうかもわからないけど、もしそうだったらだいぶ強そうだね」
「チーターじゃなくても強そうな体格だったけど」
「いえてる」
あの巨漢だ。チーターじゃなくてもドランクアントくらいなら軽くひねりそうだ。
「でも、どっかで見たことある気がするんだよな、あいつ」とビー。
「へえ」
「そしたらさ、後をつけてみない?」
「あの人を尾行するの? 危なくないかな。セキュリティなんだし、潜入者としては避けるべき相手じゃん」
「そうだけど、あいつたぶんチーターだしさ。クサビグループのチーターか、そうじゃないかだけでもはっきりさせておこうよ」
「そんなことできる?」
「だから、こっそり観察すればいいじゃん」
「バレない?」
「私、こういうのやってみたかったんだよね」
答えになっていない。ビーは踵を返し、思い付きで尾行を始めた。俺は慌てて後を追う。
「ちょっと待って。まずいって」
「大丈夫だよ、私わりと目も耳もいいし、姿見えないくらいの距離を開けてつければバレようないから」
「万が一見つかったらどうするの」
「そのときは眠ってもらう」
やっぱそうなるのか。作戦決行まで極力、荒事は避けたいのだが。
とはいえ、ビーはかなり戦闘狂なところがあるからな。手綱を握ることなど不可能だ。
二人でセキュリティの大男の後ろをかなり離れて追跡する。彼はこちらに気が付いた様子はない。
(ほら、大丈夫でしょ)とビーが小声でいう。(足音も立てないで、会話も控えよう)と俺。
大男はちょっと歩いた先にある、休憩スペースで止まった。タバコでも吸うんだろうか。
自販機の前で一息つくと、おもむろに無線機を取り出して、
「こちらカツヲです」
連絡を取り始めた。声はなんとか拾える程度だ。会話相手の声は聞こえないが。
「会場に謎のチーター二人組がいます。かなりの手練れのようですが、どうしますか。コウメ様、指示願います」
コウメ様!?
コウメっていったらクサビグループの親衛隊隊長か。
「……了解しました」
二言三言交わした後、大男は無線機を切った。そして今度は、来た道を引き返すようにこちらに向けて歩いてくる。まずい。
(おいおいバレてるじゃん)と俺。
(とりあえずその辺に隠れよう)とビー。
二人で慌てて多目的トイレに隠れた。自動で電気がつくタイプだったが、内から鍵をかけてやりすごす。狭いトイレに二人。身動きせず、ただただ男が通り過ぎるのを待つ。
無事、大男は特に立ち止まることもなく、俺らの入ったトイレの前を通り過ぎた。
緊張が解けて、二人して一息つく。ビーがいう。
「よかった、なんとかバレずに済んだ」
「でもチーターってバレてたじゃん」
「そうだね。私があいつのことなんとなくチーターって気が付いたように、あいつも私たちのことがチーターってわかったみたいね」
「俺はピンとこないけど、人によってはそういう感覚が働くのか」
「チーターって瞳の色も変だし、それで勘づいたのかも。いや……目じゃないな。どこかオーラみたいなもんでチーターって感じがした」
「ベテランの嗅覚みたいなやつか、俺にはわからない。でもさ、さっきの話からすると、俺たちがシャークスマイルってことはバレてなかったよね」
「うん。チーター二人組としか言ってなかった」
「じゃあ、ギリセーフか」
だけど、あの大男のセリフで出てきた名前が気になる。
「あいつ、コウメ様って言ってたよね」
「うん」
「コウメって確か――」
「楔の親衛隊隊長。今回、私たちがターゲットとしているやつ」
「だよね。ってことは、クサビの連中がここを厳重警戒しているのは間違いないか」
「そう。ギルが現れるところはどこも親衛隊が出張ってきている。そこは予想通りだから、想定の範囲内ではあるけど」
「親衛隊とかいって、あんな猛者がウジャウジャいたら厳しくない?」
「そうだね。あそこまで厳重とは思わなかったよ。そうだね――」
ビーが腕組みした後、柏手を打つ。
「いっそ、ここで片づけちゃおうか」
「片づける?」
「ここであいつを倒して、本番に向けて少しでも戦力を削いでおこうよ」
「そんなことできる? だって、ここで戦ったら俺らが潜入したことバレるでしょ」
「バレないように倒すの。ひっそりと。アサシンね」
「だからさ、そんなのできるのかって」
「やってみよう」
あかん。またビーのやる気スイッチが入ってしまった。
二人であのカツヲとかいう大男をこっそり倒す計画を立てる。これまでのように面と向かって戦闘するのとは違う隠密行動。
計画の要となるのは、一撃必殺の威力と、例のアタッシュケース。イージが俺らに託した特殊工作グッズがまさか活躍することになるとは。念のため持ってきておいてよかった。
俺とビーは、即席で計画を立てた後、すぐさま計画を実行に移す。
「よし、行ってくるよ。ビー」
「頼んだ、ジロー」
俺は多目的トイレを出る。他方、ビーはトイレの中に身をひそめる。
俺はカツヲをここまで引っ張ってくる役。つまり、あいつの前に姿を現して、そしてわざと追わせて、トイレまでおびき寄せる囮役だ。逃げ足の速さなら自信があるし、わりと適役といえよう。
広大なハイパーアリーナの廊下を進むと、遠くにカツヲを発見。奴は俺たちが出会った辺りをうろうろしていた。
よし、作戦決行だ。
「おいそこのデカブツ! おまえが探してるの、俺だろ! かかってこいよ!」
俺が遠くから声をかける。カツヲは俺に気が付くと、すぐさま全速力で追ってくる。見事に単細胞だ。
「追いつけるもんなら追いついてみろ」
俺も同じくらいの速度で走って逃げる。まったく全速ではない、演技だ。
はっきりいってスピードなら圧倒的に俺に分がある。突かず離れずの速度を維持して、うまく多目的トイレにおびきよせることに成功。
俺がトイレに入ると、奴も興奮状態で後を追って入ってくる。しかし入った瞬間、天井から人が降ってきて――
「あ」
奴は、脳天に踵落としを喰らった。刺客による死角からの一撃。
「よっしゃ命中」
ビーはあらかじめ天井に隠れておいて、カツヲが現れるや否や、死角から奴の後頭部に必殺の回転踵落としを喰らわせ、一撃で昏倒させる。それが俺たちが即席で考えた作戦だった。
思いのほかうまくいった。思惑通りカツヲは脳天に一撃を喰らい、白目を剥いて、前のめりに崩れ落ちた。
ところが。
「……うう、いてえ。なんだ、おめえ」
一度は倒れた大男が、よろめきながらも起き上がる。ダメージは残っているようだが、まだ意識がある。あれをモロに喰らって気絶しないとは、常識外れのタフガイだ。さすがに誤算である。
「へー、やるね。見た目通りタフじゃん」
ビーがうれしそうな顔をして、再びファイティングポーズをとるが、すでに多目的トイレは三人ですし詰め状態だ。
ちょっとまて、こんな狭いところでチーター同士が殴り合うとか絶対やばいだろ。囮役だった俺は、慌てて例のグローブを嵌める。
「……あ。おまえ、ビーか。シャークスマイルの」
カツヲはようやく襲撃相手が誰なのか気が付いたらしい。「ふん」と力み、全身の筋肉を膨張させると、元々の巨漢がさらに肥大化し、北斗の拳みたいにスーツが弾け飛んだ。おそらくこれが奴のチートなのだろう。狭い空間がさらに狭くなっていく。
「あー、あんたこそ。そのチートで思い出した。そういえばカツヲっていたな。どっかで聞いたことあるなと思ったんだ。たしか十七位だっけ?」
ビーが呑気にいう。どうやらこの大男はそこそこ有名なチーターらしい。ランクも十七位だとか。かなりの上位じゃないか。
「おまえ、倒す」
カツヲの筋肥大は留まるところを知らない。どんどん膨れ上がり、小さな多目的トイレを埋め尽くしつつある。もはや狭いトイレ空間はカツヲの筋肉でみっちり詰まって足の踏み場もない。カツヲはわずかに跳び上がり、ビーにド迫力のボディプレスをけしかける。
まずい。避けようにも、スペースがない。加勢するか。
「悪い」
俺は横から、カツヲのテンプルに渾身のストレートを突き刺した。グローブを嵌めた方の腕で。
「――っ」
想定外の角度からの一撃。
あまりの衝撃で、巨漢のカツヲが吹き飛び、壁に磔になる。壁にクレーターを作ると、再び白目を剥いて、床に崩れ落ちた。肥大化した筋肉がしぼんでいく。
「た、倒した?」
今度は起き上がってこないようだ。
不意打ちとはいえ、一撃で意識を刈り取ることに成功したらしい。想像以上の結果に、やった俺自身が半信半疑だ。
やっぱ俺、だいぶ強くなってないか。このグローブの効果もあるかもしれないが。
「すごいじゃん、ジロー。こんなタフな奴をワンパンで気絶させるなんて、私の踵落としでもできなかったのに」
「自分でもびっくりだよ」
ランク十七位で、見るからにタフそうな大男だからな。当たりどころが良かったのもあるだろうが。
「だから言ったじゃん。ジローは一桁くらいの力あるって」
「うーん……」
否定できない。本当に、強くなっちゃったのかもしれない。
「とにかく、今のうちに捕縛しよう」
「そうだね」
イージから受け取った特殊工作グッズが活躍する場面だ。俺はスーツケースを開き、中に入っているワイヤーとか麻酔薬とかを取り出す。当然、二人に特殊工作のノウハウなんてあるはずもなく、ドのつく素人だから適当にやるしかない。
麻酔薬を注射し、睡眠薬を無理やり嚥下させる。量もよくわからないので、あるだけ全部注ぎ込んだ。これだけの量のドラッグをちゃんぽんしたら並の人間なら死んじゃいそうだが、カツヲはチーターだし、大男だから死なないだろう。適当。
さらに身体を寝かし、目元を隠し、気休め程度にロープで身体を縛っておく。こいつの目が覚めたら、余裕でこんなの引きちぎることができそうだが、気休め程度だ。今から半日以上、ここでぐっすり眠ってくれることを祈るのみである。
「よし、こんなとこかな」
「いいんじゃない、よくわからないし」
ほとんどの作業を俺一人がやった。ビーはただ見ていただけだ。こいつ、あんまり仕事しないタイプか。
「あとは、できれば内から鍵をかけた状態で出たいよなあ。無関係の人が入ってこないようにしなきゃ」
「そうだね。内から鍵か……推理小説みたいね」
「たしかに。なんか、密室殺人でよく使われるトリックでなんかいけないかな」
「うーん、私には思いつかない」
ビーは面倒くさそうに頭を掻いた。俺はアタッシュケースの中をもう一度ながめると、
「おっ、金属ワイヤーがあるじゃん。これならいけそうな気がする」
俺は金属ワイヤーをドアの内鍵に巻き付けて、ワイヤーを引くとカチャリと閉まる仕掛けをひらめいた。簡単な仕組みだが、これなら外に出てから内鍵をかけることができる。
試しにやってみたら見事に施錠された。
「おーできた。すごい、カンペキかも」と俺。
「あっさりじゃん。ジロー、天才」
実際に二人で廊下に出てからワイヤーを引いても、狙い通り鍵がかかった。色が赤くなり、使用中という文字が出てくる。これで誰かがこのトイレに入ってくることはないだろう。
「よし、作戦成功」
「これで密室のできあがりね」
「意外となんとかなった」
「チーターってバレてるのに気が付いたときは焦ったけど、結果オーライじゃん。たぶんカツヲは、親衛隊でもかなり強い方だったろうし、ここで戦力削ぐことできたの大きいって」
「随分と行き当たりばったりだったけどさ」
「それでもやってよかったでしょ」
「まあ、そうかな。でも、同時に敵の警備が本気だってこともわかったし、気を引き締めないとな」
「うん」
ギルがスピーチするまでまだ半日ある。なのに、もう会場を親衛隊が警備しているのだ。相当な警戒っぷりだ。
「連中がすでに見張ってることもわかったんだから、ここからは目立たないようにホールの方で時が来るのを待とうよ、ビー」
「しょうがないなあ」
俺とビーは、クサビグループ親衛隊の一人、カツヲを倒してマーたちと合流することにしたのだった。
2023年のGWより投稿開始。GWは毎日、その後は週一ペースでの投稿予定。
まともな長編小説は初投稿です。ブックマーク、評価★や感想などいただけると幸いです。