1.07
『正直にいうとね、キミたちは弱すぎる』
クサビグループの刺客を難なく撃退し、一息ついたと思ったら、マーからのこの痛烈な一言である。
一瞬にして相手五人を殲滅してみせたマーからすれば、あのカイをあっさり退けたレアでさえ雑魚に映るのだろうか。かの鉄腕の規格外のパワーでさえ、マーからすれば非力。いや、さすがにそんなわけないと思いたい。
『こんな状態じゃ、キミたちの存在が僕にとって足手まといになる。だから今すぐ強くなってほしい』
容赦も忖度もない一言。だが、そういわれても。チート覚醒じゃあるまいし、たった一、二日で強くなるなんて不可能だ。それともあっという間に強くなる秘策でもあるのか。
俺がそのように抗議したところ、
『ダンジョンに行くといいよ。あそこで死に物狂いで戦えば強くなる……かもしれない』
いつぞやのビーと同じアドバイスを頂いた。確かにダンジョンは危険な場所だが、実戦経験を積むにはもってこいの場所でもある。
俺はチーターとして最強を目指すのだから、当然、現最強候補のマーも超えなければならない。強者からのアドバイスは素直に聞くことにする。強くなるのに、努力は惜しまない。チーターの世界は強いものが正義だからな。強くなって好き勝手やってやる。
よこしまな野望を持つ俺はともかく、レアはこの提案を嫌がるかと思ったが、わりとあっさりと承諾した。
かくして俺、レア、マー。三人は一番近くにあるダンジョン、百穴洞窟の入り口にやってきたのだった。
「今回、僕は後ろで見ているだけだから。戦いはキミたちだけでよろしくね」
「わかりました」
「……(コク)」
マーには保護監督の立場で後ろに控えてもらい、俺とレアがモンスターと戦う。作戦決行日まではのんびり過ごすはずだったのに、どうしてこうなった。
マーのスタジオで一泊した翌日、天気はくもり。
三月半ば、昨日よりは少し冷えるが、冬の寒さに慣れた身体には、これくらい屁でもない。
モンスターの巣窟であるダンジョンは、俺たちの住む武蔵にはたった二つだけ。そのうちの一つがこの百穴洞窟だ。元々は古墳だか何だかで、土壁に巨大な穴がボコボコと穿たれている遺跡があるのだが、その穴の一つが異世界のダンジョンへ通じているというわけだ。
「二回目だな、ここも」
「へえ。ジローくんはまだ一回しかここに来たことがないんだ」
「そうですね。そもそも俺はチーターになったのが一か月ちょっと前なんで」
「そうなんだ。本当にピッカピカの新米なんだね」
「脱穀したばっかです」
頼りになる仲間とともに、二度目のダンジョンアタック。特に気負うことなく、雑談しながら悠々と侵入する。
ダンジョンとは何か。
百五十年以上前、チーターと同時に突如この世界に現れた異分子である。その異分子は、この世ならざる世界、すなわち異世界からやってきたとされる。
ダンジョンは列島に八十八ヵ所存在し、どこも強力なモンスターが巣くっている。モンスターもまた異世界からやってきた異分子だ。彼らはこの世界の猛獣とは異なり、進化論を無視した体躯とし、規格外の膂力を持つ。無暗に近づくべきではない。
そんなダンジョンにも、同じ異分子たるチーターにとっては多少の用途がある。
モンスターを倒すことで、同じく規格外の力を得たチーターたちは修練を積むことができるのだ。それだけでなく、倒すと時折ドロップする素材により、強力な武器や防具を得ることもある。
訪れる人間はほぼすべてチーターで、しかも頻度は低いため、基本的には閑散としている。ダンジョンとはそんな場所である。
「レアはダンジョンってよく来るの?」
「……(フルフル)」
首を横に振った。ほとんどのチーターは好き好んでダンジョンアタックなどしない。己の命を危険に晒すわりにリターンが小さすぎるからだ。レアもその一人なのだろう。
「そっか。俺もまだ二度目だけどね。一度目は、ビーに無理やり連れられてきたんだ。そのときの俺はただの一般人だったけど、そこで俺はチートに覚醒したってわけ。まあ、半覚醒だけどさ」
「ヘー」
「あのときは死にかけたけど、そのおかげでチーターになれたからさ。その意味ではビーにもダンジョンにも感謝してるよ。まあ、ダンジョンには良い思い出も苦い思い出もあるって感じかな」
「ソウ」
相変わらずの棒読みだ。
レアは身長小さめ、金髪おかっぱ頭の美少女。男とはイケメンとしか会話しないという謎のルールを守っている。俺とはかろうじて会話ができるが、必要最小限のみ。まったくの無表情で何考えているのかわからない。
「あのときはダンジョンにすげーびびってたけど、今はそのときより強くなっている気がするから、奥の方までサクサク進もう」
「……(コク)」
ダンジョンの中は薄暗いが、しかし光源がなくとも先が見通せる程度には明るい。ただの土に思える壁面が、わずかながら発光しているとのことだ。百穴洞窟は一本道で、道幅は、大人三人が横に並んでどうにか歩けるほどだ。
そんなに不便な狭さではないが、こと戦闘になればどうだろう。今の機動力で縦横無尽に動きながら戦うには狭いような気がする。集団戦になればなおさらだ。そういう意味では、俺とレアの二人だけが前衛、マーが後衛という隊列もちょうどいいかもしれない。
「お、早速いるな」
二、三分歩いただけでモンスター発見。五十センチくらいの巨大蟻が単体でウロチョロしている。このダンジョンで最も頻繁に遭遇するモンスター、ドランクアントだ。
「一匹だけみたいだけど、どうする? どっちがやる?」
「ドゾ」
レアが俺に譲るというジェスチャーをする。
「わかった。じゃあレアはここで見てて」
言うが早いか、俺はドランクアントに接近する。俺はこれといった武器を持っていない。以前、このダンジョンに潜ったときに使ったサバイバルナイフがズボンのポケットに入っているだけだ。これも基本的に使うつもりはない。己の身体だけで戦う。自分自身がどれくらい強くなったのか試してみたいからだ。
怖くはない。
「久しぶりだな、アリンコ。今度は圧勝させてもらうぞ」
俺は一気に加速し、ドランクアントがこちらを向くよりも早くサッカーボールキックを食らわせる。蟻はビタンと土壁に磔になる。しかし、体勢を立て直してこちらに向かってくる。さすがに蟻だけあって、丈夫な外骨格に覆われているらしい。外からの単純な衝撃で致命傷を与えるのはいかにも賢くない。
「そりゃ」
俺は蟻の頭部と胴体をそれぞれ片手で掴んで、その二つを引き剥がす。プツリと千切れる。中から蛍光紫の液体が滴り落ちる。さすがはモンスター、体液が気色悪すぎだ。
身体が真っ二つになっても、頭と胴体それぞれがジタバタともがく。虫らしいタフな生命力だ。しばらく観察していると、そのまま動かなくなった。
あっさり勝利。
「やっぱ強くなったんだな、俺」
しみじみ実感する。
かつてあれほど苦戦した相手にこれほど圧勝できるなんて。明らかにチーターとして力がついてきている。蟻の死骸はまるで砂のように掻き消えていき、ダンジョンに吸い込まれる。モンスターは皆、死ぬとこのような超常的な消え方をする。
「あ、これドロップか」
蟻の触覚らしきものが残っていたので、拾う。こうしてモンスターを倒した後に残るものをドロップという。異世界から来たとされるモンスターの置き土産である。これが地上で普通にとれる素材とはまったく異なる性質を持つため、かなりの稀少価値がある。
前、モンスターを倒したときはドロップなんてまったく気が付かなかった。正直、それを拾う余裕がなかった。今ならモンスターを倒してドロップを集める、みたいな真っ当なダンジョン探索ができそうだ。
「うーん、敵が弱すぎて何とも言えないな」
マーからのコメントだ。
「すいません、さすがにドランクアント一匹じゃ弱すぎましたね」
「あんなのでも群れたら多少厄介かも。それなら多少、キミたちの修行にもなるかな」
「わかりました。こんな入り口付近じゃまともなモンスター出てこないみたいんで、先を急ぎましょう」
俺は拾った触覚を捨てた。せっかく持って帰るなら、こんな雑魚モンスターの通常ドロップじゃなくて、大物モンスターのレアドロップだ。
俺はレア、マーとともに、ダンジョンを先に進む。
十分くらいは歩いただろうか。一本道のダンジョンはどこまでも続き、代わり映えのしない風景は感覚を狂わせる。俺の肌感覚でいえば、以前はこの辺りでドランクアントの群れを発見したんだった。あのときは勝てる気がしなくて、即行で引き返したのだが。
「と思ったら、ちょうどいるじゃん」
いた、ドランクアント。今度は集団だ。ざっと数えても十匹は下らない。
「数が多いですが、俺とレアだけでやります」
「……(コク)」
「レア、どっちが多く倒せるか競争だ」
「ワカッタ」
俺とレアは蟻の集団に向かってそれぞれ突撃する。
さっきの戦闘からわかったが、蟻攻略は節を千切り捨てるのが一番手っ取り早い。俺は適当に一匹を掴まえて、胴体と巨大な臀部に蹴りをいれる。キレイに千切れはしなかったが、致命傷を負わせることに成功。
「よし、どんどん行くぞ」
蟻たちは俺の身体に接近してくるが、こちらの方が機動力はだいぶ上だ。ヒットアンドアウェイの要領で、一匹倒したら離脱を繰り返せばいい。
俺が余裕を感じつつ、二匹目に近づくと、
「チェストー!」
古風な掛け声とともに、巨大な掌が上から降ってきて、蟻をまとめてぺしゃんこにする。レアの鉄腕だ。
一回、掌で上から押しつぶすだけで、二、三匹をまとめて潰せるようだ。あんなの反則だろ。
「チェストチェストー! どーん! どーん!」
黒光りする巨大な掌、レアの鉄腕からすれば蟻の外骨格を砕くことなど造作もない。叫びながら次々と手の平で蟻を押し潰す。俺は二匹目に仕掛けることもできず、その光景を呆然と眺めているだけ。あっという間にドランクアントの集団は殲滅されてしまった。
「ああ……」
レアめ、俺もたくさん倒そうと思ったのに独り占めしやがって。文句の一つも言いたくなる。が、幼稚なケンカになりそうなので堪える。
「……オワッタ」
「おつかれ。レア」
大楽勝、瞬殺である。ドランクアントならば、もはやどれだけ大量に襲い掛かってきても問題なく撃退できそうだ。
討伐数は俺が一匹、レアが十匹以上。鉄腕というチートもあって、破壊力ならレアの方に分があるらしい。
「やっぱ、か。こんなモンスターじゃダメかあ」
マーが頭をボリボリと掻きながらいう。マーは天然パーマなのかどうかは知らないが、モジャモジャの髪型をしていて、顔の上半分が隠れている。下半分は無精ひげが生えている。ちゃんとすればイケメンになるような気がするんで、もったいない。
「どうでしょう」
「僕が期待しているのはさ、キミたちのギアが一つ上の方にハマることなんだよね。そのためには、こういう雑魚じゃなくてもっと強いのと戦わなきゃダメかもしれないな。ゲームのようにモンスター倒したら経験値が入ってレベルアップってわけじゃないんだからさ」
「そうですか」
俺の体感としては、安全マージンを考えるとこの程度のバトルでも十分なんだが。やはりマーからすれば、生死をかけた戦いをしてほしいってことのようだ。毎日潜って少しずつ強くなるんならともかく、たった一日で強くなりたいなら強敵とやらなきゃならない。
「あと、僕もいない方がいいかもしれない」
「どういうことです?」
「いざというとき、僕が助太刀に入ったら助かるわけじゃない。その安心感があると、キミたちがギアを変えるきっかけを殺しちゃう気がするんだよね。真剣味を削ぐというか」
「わかるっちゃわかります」
ギアを変える。
マー特有の言い回しだが、言いたいことはわかる。俺がチートに覚醒したときも、ビーはダンジョンの入り口で待っていて、誰も助けてくれない状況だったからこそだ。何ならそのビーさえ、敵に回ったような展開だったし。あれぐらい寄る辺ない環境に身を置くことが、一気に強くなるための必要条件かもしれない。
「だから、僕はこの辺で待ってることにするよ。キミたち二人だけで奥に進んだらいい。そして強敵を倒したら、ここまで戻ってきてよ」
「わかりました。じゃあ、大物モンスターいっぱい狩って、レアドロップでも持って帰ってきます。行こう、レア」
「……(コク)」
レアも異存はないらしい。マーの提案に乗った俺とレアは、二人でダンジョンの奥に進む。前はこの辺りで引き返したから、ここから先は俺にとって未知の領域だな。
百穴洞窟特有のダラダラとした一本道が続く。よくよく観察していると、少しずつ道幅が広くなっていることに気が付いた。大型モンスターも生息しやすい環境に変わっているのか。ところどころに草や苔が茂っていて、徐々に風景が変わりつつある。
雑魚モンスターを狩りながら、歩くこと三十分。
行く手から聞きなじみのある咆哮が聞こえる。
「犬か?」
犬の遠吠えである。こんなダンジョン内部にいるのにタダの野良犬ってことはないだろうが。
警戒しつつ進むと、新手のモンスター二匹がいた。
たしか、ブロックドッグとマッドバニーといったか。結構、厄介なモンスターだったはずだ。
ブロックドッグは全身が岩でできている巨大な犬。攻撃手段は体当たりと噛みつき。物理的な耐久力は高い。
マッドバニーは全身が泥でできている巨大なウサギ。攻撃手段は体当たりと相手の視界を泥で塞ぐとかだったか。物理攻撃はほとんど効かない。
一匹ずつ現れた。何気に二種類と同時にエンカウントしたのは初だ。
「よし、レア。一匹ずつ担当しよう」
「エエ」
俺は犬、レアはウサギという風に、それぞれが一対一の環境を作り出す。
ブロックドッグは正面に立った俺に向かって、ガウガウと吠えて威嚇する。全長は二メートルないくらいか。世界中を探せば、これくらい巨大な犬もいないことはないかなって程度の巨犬だ。
「見た感じ、岩の塊。どうやってダメージ通すか、だな」
犬が突進してくるが、余裕で躱す。蟻よりは速いが大差ない。躱しざま、臀部めがけて蹴りを食らわせる。が、硬い。むしろ蹴ったこっちの足が負傷してしまいそうだ。
ブロックドッグは小回りが効かないらしく、壁に激突してからゆっくり回転してこちらを向き直す。頑丈な分、鈍重というわけか。
「得意の関節攻撃といくか」
蟻のときもそうだったが、それぞれのパーツはゴツゴツしていて硬くとも、その隙間にならダメージが通るはずだ。俺は犬の突進をあっさりと躱して、今度は脚と胴体の付け根に蹴りを食らわす。が、やはり硬い。これもダメだ。
「うーん……困ったな」
ブロックドッグは三度、俺に突進してくる。さすがにこれを真っ向から受け止めるのは愚策。躱す。そして隙をみせるので、そこを攻撃する。が、硬くて効かない。
膠着状態だ。決め手どころか、有効な攻撃手段がない。こんなのをいつまで繰り返しても埒が明かない。
「レア、そっちは?」
俺はレアの方をちらっと見るが、あちらもあちらで膠着状態だ。レアの鉄腕でマッドバニーの胴体に穴を空けたり、ぺしゃんこにしたりしているが、泥だけあってすぐに元通りになってしまう。マッドバニーは衝撃に対して強い。急所を狙わない限り、あれでは決着がつかない。
俺は何度も犬の突進を躱しているが、そのうち喰らってしまうかもしれない。レアはレアで、マッドバニーの泥攻撃で少しずつ全身が泥まみれになっている。あれが顔面にモロにかかったら危険だ。
かくなる上は、
「レア、交代だ!」
「……(コク)」
俺とレアは、せーので相手を交換する。俺がマッドバニー、レアがブロックドッグ相手にスイッチ。
俺のスピードならマッドバニーの泥も躱せるし、それに奴の急所も狙える。一方、レアの鉄腕ならブロックドッグの岩を砕ける。はずだ。
「よし来い。仕切り直しだ」
俺は正面のマッドバニーを見据える。
全長は一メートルほど。シルエットは大型のウサギ。だが全身は泥で、常時変形しながら動いている。泥っぽいウサギというより、ウサギっぽい泥だな。その気になればどんな動物の形にでもなれるんじゃないか。
マッドバニーは無言で突っ込んでくる。こいつ、犬より速いぞ。
「おっと」
なんとか躱す。が、ウサギはピョンピョンと飛び跳ねて、ダンジョンの壁を蹴って三次元的に俺に襲い掛かってくる。身を屈めて回避。俺はすれ違いざまパンチを繰り出すが、あっさり泥に飲み込まれて手ごたえなし。レアが手こずるわけだ。
急所はどこだ?
俺は敵をよく観察する。脳が泥でできているわけではないはずだ。あいつの泥でないところ、それが弱点だ。
ウサギらしく、両目が真っ赤に光っている。口には門歯らしきものがみえる。泥じゃないのはあそこくらいだな。
「おらっ」
俺は跳び蹴りで相手の目を狙う。が、ウサギは横っ飛びで躱した。しかし、躱したってことは食らいたくないってことだ。勝機有り。
「こうやってりゃいつかはあたるだろ」
今度は顔面にパンチを連打する。もちろん狙いは瞳だ。何発かが泥に飲み込まれるが、そのうち一発に手応え有。ズブズブという感触ではなくガチっという感触があった。目に当たったな。
脱兎のごとく逃げ出す。どうやらダメージが通ったらしい。
「逃がさねえぞ」
俺はマッドバニーを追撃し、ダンジョンの窪地に追い詰める。ここで決めてやる。
再び顔面パンチの連発だ。ただし拳は握らず、掌底で。手にガチっという感触がしたところで、俺は手を握ってそれを掴む。一気に引っ張り出すと、マッドバニーの全身が脈打ち、動きが止まった。
もう一つの瞳も掴みとって引っ張り出すと、マッドバニーはウサギではなく泥の塊と化し、地面に吸い込まれていった。
「……勝った」
手には真っ赤な瞳が残っている。レアドロップかどうかは知らないが、それなりに価値はありそうだ。ズボンのポケットにしまっておくことにする。
レアの方はどうなってっかな。
「あ」
レアが砕いたとおぼしきブロックの破片があちらこちらに飛び散っている。そしてちょうど、レアは犬の顔面部分にゲンコツを落としたところだった。硬いブロックでできた顔面も、レアの鉄腕にかかれば難なく砕け散る。ブロックドッグも犬ではなくただの岩の塊と化して、地面に吸い込まれていた。
あっちもちょうど終わったらしい。
「おつかれ、レア。大丈夫だった」
「……(コク)」
「こっちもマッドバニーなら圧勝だったよ。こういうのって、相性だな」
「エエ」
俺はブロックドッグ相手の攻め手がなく、レアはマッドバニー相手の攻め手がなかった。だからともに膠着状態に陥ったのだが、そのことに気がつき、途中で相手を交換した。そうしたら一気に状況が好転した。
対モンスター、いや、対チーターも相性が重要ということだ。
「そのドロップ拾ったら」
俺が地面に残った犬歯を指さす。ブロックドッグのドロップだ。レアは素直にそれを拾い、懐にしまう。
レアは現役女子高生のはずだが、制服っぽくも見える私服をいつも身につけている。ただし鉄腕となる左腕の袖から先だけは切り取られていて、おしゃれというよりは不自然な印象を受ける。
チーターにとって服装はジャマにならないことが第一だから、本人が気に入っているならそれでいい。
「念願の強力なモンスターのドロップも出たことだし、もどろっか。マーのところまで」
「……イヤ」
「え、なんで?」
「コイツラ、ダメ」
「そうかな。けっこう苦戦したように思うけど」
「ヨワクナイ。ケド、ダメ。サキ、イコウ」
レアにしては一生懸命言葉で伝えてくる。
確かに言う通りだ。ブロックドッグもマッドバニーも、弱くはないけど強いというほどじゃない。マーは俺らに強敵を倒せという指示をしたんだ。だからここで引き返すと中途半端になる。
それはそうなんだが……本能的にわかる。
今の俺たちの力だと、この辺りがちょうどいい狩場であって、これ以上進むと危ないってことが。ここでさえ安全マージンはほとんど取れておらず、一歩間違えば死んでしまう。これ以上先のモンスターとのバトルともなれば、かなりの危険が伴うだろう。危険を承知でさらに進むべきか、否か。
命あっての物種だ。
「……レア、正直にいうけどさ。俺はシャークスマイルの一員としてこの抗争に勝ちたいって気持ちが、あんまりない」
「……」
「だけど、一人のチーターとして強くなりたいとか有名になりたいって気持ちはある。チーターになって、誰よりも強くなって、好きに生きてやるんだって気持ちが。だから多少危険でもやろうって気持ちもあるけど……でも、やっぱ怖い。今のより強くなったら、もう勝てる気がしないから」
「ソウ」
レアは金色に輝く瞳で俺をみる。その瞳は特にどんな感情も宿していない。ただ、見ているだけだ。
「ここより先は危険だって、わかるだろ」
「キケン、デモイク」
彼女は他人に影響されるようなヤワな子じゃない。彼女は今、先に進むことをすでに決断してしまっている。もし俺がここに留まりたいといっても、きっと彼女はたった一人で行ってしまうだろう。
「聞きたいんだけどさ。レアはどうして、先に進みたいの?」
「……シンディ、カタキ」
「ああ、やっぱか」
シンディの仇をとる。それが彼女の戦う動機なのだ。
俺は彼女たちの関係をよく知らないが、おそらくレアとシンディは相当に仲が良かったらしい。シンディを襲い、操ったクサビグループが許せない。だから強くなって奴らを倒してやる。本当にそういう気持ちで動いているようだ。
俺よりこの子の方が真っ直ぐだし、熱いな。
俺なんて別に、どこのクランが勝とうが、誰が死のうがどっちでもいい。ただ自分が強くなりさえすれば。怪我をしたビー、操られたシンディ。かわいそうといえばかわいそうだけど、ならず者同士の抗争の結果だし、お互い様だって思う。
でも。
誰よりも強くなりたいって気持ちだけは本当だ。その気持ちがあるなら、誰よりも勇敢じゃなきゃいけない。ここで俺だけ引くなんて、格好悪すぎだ。
「……わかった。俺も行くよ」
「ウン」
レアは俺に小さな拳を突き出す。俺は彼女と拳を合わせて、先に進むことを決めた。
はっきりいって、彼女に同情したからとか、彼女の支えになりたいからとかで進むのではない。
「ただ、絶対に敵わない敵と遭遇したら迷わず逃げよう。死んじゃったらシンディの仇だって討てなくなるし」
「……(コク)」
そもそものところ生きるか死ぬか。斬った張ったがチーターの住む世界だ。その道に生きると決めたんだから、安全マージンがどうこうなんて馬鹿らしい。細かい計算はやめて、行けるとこまで行こう。
腹が定まった俺は、レアとともに百穴洞窟の深部へと進んでいく。
雑魚モンスターを狩りながら歩くこと小一時間。
「あれ、なんか暗くなってきてない?」
「……(コク)」
このダンジョンは、壁が薄っすらと発光しているからどこでも一定の明るさがある。そのはずなのに、なぜか一帯が暗くなってきた。これはいわゆるボスモンスター出現の前兆ってやつか。
「ボスかな」
「タブン」
ダンジョンには一定の割合で強力なモンスターが現れる。それらはレアモンスターないしボスモンスターと呼ばれていて、エンカウント次第、逃げることが推奨されている。それくらい通常モンスターとは力の差があるのだ。
ボスモンスターが発生したときは、その兆しとして、辺り一帯の空気感が変わるらしい。おそらくこれがそれだ。
「どうする?」
「……」
レアに尋ねるが、何も言わない。何も言わないってことは、
「やろう」
「ウン」
俺とレアはいつでも戦闘できるように身構える。わざわざ強敵を探しにここまで来たのだから、何もせず逃げるという選択肢はない。
行く手に人型のシルエットが現れる。あいつがボスだろう。どうやら向こうから近づいてきてくれるらしい。レアはすでに鉄腕を発動し、いつでも殴りつけられるように拳を振り上げている。
「俺が先にけしかけるから、隙をみて鉄腕で殴って」
「ワカッタ」
徐々にボスの正体がはっきりとしてくる。あれは人型だが、まさか――デビル?
「ペペベペペベペベポ」
敵は口を開いて、謎の音を絶叫する。おそらく意味はない、鳴き声のようなものだ。
「あれ、デビル?」
「デジル」
「そっか。デジルか」
デジルはデビルの劣化版。デビルの知性を劣化させた存在だったな。
これらモンスターは、他のそれと驚異の度合いが異なる。
そもそもデビルやデジルは悪魔族と呼ばれ、ここ百五十年ほどの人類の天敵といっていい位置づけにある。見た目は人型だが、明らかにこの世ならざるところから来ており、タイプによっては人語を介したり、人間社会に溶け込んだりといった知性を持つため、単に戦闘といった形以外でも人類を苦しめているモンスターだ。戦闘力も化け物のように高く、一体でチーター百人分といわれている。
早い話が、人間社会を乗っ取ろうとしているモンスター。話によれば、悪魔族に国ごと乗っ取られたところもあるらしい。
悪魔族の弱点は繁殖能力の低さだ。デビルは少数しかおらず、生殖により増やすこともできないとされている。そのため、たった一体でも人類に異常な被害をもたらすが、何とか人類は地上の覇権を奪われずに済んでいる。
いわく、デビルに集団で襲われた国は亡びる。それほどの強敵だ。
「デビルならともかく、デジルなら何とかなるかも」
デジルはデビルの亜種で、身体能力はそれほど変わらないが、知性はかなり劣る。デビルを人間とすれば、デジルは猿といったところだ。単細胞な分だけ、戦闘を有利に進めやすい。
「ちょっと考えが甘いか」
「チョット? ……カナリ」
とはいえ、仮に俺とレアが一線級のチーターであったとしても、厳しい相手だ。デジルの討伐ともなれば、クラン総出でとりかかる必要がある。もしたった二人で倒せたとしたら世間で語り草になるほどだ。
「ベベベペペペペ」
デジルはわけのわからない言葉らしきものを吐く。
身の丈、背格好は人間と変わらない。二足歩行、腕が二本といった特徴だけで見れば。
だが片腕は空洞になっていて、もう片腕には関節だらけの指がいっぱいある。そして体表は青紫で、顔はティアドロップの形をしている。明らかに人類ではない。空想上のエイリアンに近いイメージだ。
「やってやる」
臆すな。俺はダッシュでデジルに駆け寄り、真正面からパンチを食らわせようとする。が、消える。
「え?」
速い。目にも止まらぬ速度で動き、お返しとばかりに死角から俺を狙う。指がたくさんある方の手で掴みかかってくる。が、間一髪のところでスウェーをして躱す。
「くそ」
俺はバックステップで距離をとろうとする。が、すぐに詰め寄られる。ダメだ、とにかく速過ぎる。
再び手で掴みかかってくるが、思い切りのけぞり、その場に尻もちをつく形でなんとか逃れる。もう逃げられない。
「パパパババ」
デジルは空洞になっている手の方を突き出してくる。やばい、あれは――
「チェスト!」
レアの正拳突きがデジルに突き刺さり、相手を弾き飛ばす。空洞の手からは赤紫色の液体が噴出される。その液体はダンジョンの地面に降りかかるが、地面を冗談のような速度で溶かしてく。
あれがデジルのメインウエポン、溶解液。
溶解といっても、硫酸などとはレベルが違う。あっという間に物体を溶かしてしまう極悪の化学兵器だ。異世界チートといってもいい。あれを喰らったらいくらチーターの耐久力でもひとたまりもない。
窮地に陥ったが、レアの助けにより間一髪免れた。まだ戦意はある。俺はすぐさま起き上がり、再び正面のデジルに仕掛ける。
「くそっ」
足払いのようなローキック。今度はおまえが倒れろ。
が、空振り。速い、デジルはあっという間に五メートルほど後退する。これまで出会ったどんな敵よりも速い。これに対抗できるのはマーくらいか。
「やばいな」
「エエ」
さすがは悪魔族。一体でチーター百人分。異常な速度、攻撃力。
搦手でいってみるか。
「そら」
さっき拾ったマッドバニーの真っ赤な瞳を投げつける。一瞬、デジルは警戒する。が、何も起こらない。それでいい。
その隙に俺は死角に入り、腰に蹴りを食らわせる。
「ポボボ」
手応え有。多少は効いたっぽいが、なんて硬さだ。ドランクアントやブロックドッグとも違う、まるで超高圧で圧縮したスポンジを叩いているみたいな感触だ。
だが、俺には打撃しかない。
「なめんな」
俺はその勢いに乗って殴りかかる。が、躱される。そしてカウンターのエルボーをもらう。吹き飛ぶ。着地に失敗。急いで立ち上がろうとする。が、まずい。
「ペペペベペ」
溶解液だ。空洞になっている腕が発射寸前の状態で俺を狙っている。まずい。
「どーん!」
再びレアの鉄腕がデジルを襲う。全身を吹き飛ばし、俺めがけて構えていた腕の向きも変わり、溶解液は天井に降りかかる。天井がドロドロと溶けていく。
「ありがと、レア」
「……」
間一髪、助かった。二度もレアの鉄腕に救ってもらった。あれがなければ今頃、俺は跡形もなくなっている。
「今度こそ」
考えるな、臆すな、倒せ。
デジルは多少のダメージを負ったようだが、まだまだ戦えるようだ。今度は十メートルくらい離れているが、その距離など一瞬で詰められる。
デジルは俺目掛けて接近してくるが、俺だってもうこの速さには慣れた。今度こそカウンターパンチを決めてやる。俺の方からもデジルに接近し、顎を狙って必殺のフックを見舞おうとする。
が、
「あ」
デジルは途中で方向転換。俺ではなく、後方にいたレアにターゲットを変える。
「ひ」
デジルの指がたくさんついた方の手が、レアの首根っこを掴む。そのまま掴み上げる。
そのままもう一方の腕、空洞になった手をレアの顔面に向ける。まずい、溶解液だ。
「あ――」
即座に思った――これは間に合わない。
いや、だ。
いやだ。
俺はレアを助けようと、一気に足に力をこめる。少しでも地面を強く蹴ろうとする。その反動で、少しでも早くたどり着くために。地面を強く蹴る。蹴る。蹴る。
傍目には間に合いそうもない。
だが、願う。間に合え、と。
すべてがスローモーションのように感じられる。
俺の瞬発力では間に合わない。だが、間に合わせるんだ。レアは俺を何度も救ってくれた。大切な仲間だ。何としてでも殺させない。
間に合え。
間に合え。
俺はまだ足に力をこめる。地面を強く強く強く。筋肉が断裂しようが、腱が傷つこうが構わない。とにかく彼女を助けるんだ。
カチッという音が頭の中で鳴った。
途端に、時間の流れは次第に遅くなり、
「――――」
止まったか、と思えば、一気に加速する。
「――――」
何が起こったのか、わからない。
気付けば俺は、レアに狙いを定めたデジルの腕。その腕に向かって突進した。その間、ほとんど時間が進まず、一瞬にして到達し、そのまま腕ごともぎ取った。口で。
「――――は?」
誰の声かもわからない。
俺はデジルの腕を咥えたまま、猛烈な勢いで洞窟の壁に激突していた。
時間が再び流れ始める。
顔面衝突。天地がひっくり返る。しかし、ひっくり返った天地から見えた光景は。レアのカウンターの渾身のストレートパンチが、デジルの顔面に吸い込まれ、デジルの頭が破裂するところだった。
「パバ――」
何か聞こえた気がするが、もう遅い。
人型の悪魔族は、人類と同じく脳髄を破壊されればもはや動くことはかなわない。首から先が飛び散ったデジルは、残る胴体だけが地面に崩れ落ちる。青紫色の気色悪い胴体だ。
一帯に蛍光色の血らしき液体がぶちまけられる。そして、徐々に吸い込まれて、ダンジョンに溶けていく。
「……」
「……」
勝った、のか。
勝ったらしいな。
いや、その前に、だ。
今、何が起こった?
俺はただ、レアを助けようと全力で地面を蹴った。ただその後の動きは、俺の人生のどんな体験とも違っていた。まさに超高速。あっという間にデジルのもとに辿り着き、自分の顔面で相手の腕をもぎ取るという異常事態になった。こんな力、俺にあったのか。
それとも、これがチートか?
「……勝った?」
「タブン」
レアでさえ、半信半疑らしい。
それくらいの強敵だった。戦っていた時間こそ短いものの、相手の戦闘力はこっちを遥かに上回っていた。勝てたのは偶然というか、奇跡のようなものだ。明らかにおかしな何かが起こったのだ。
「なあレア。俺、おかしくなかった?」
「オカシイ、ハヤスギ」
「……だよな」
やはりレアも気が付いていた。レアのピンチを救おうと動いたときの俺は、明らかに異常だった。
そして少し経って、足に痛みが走る。完全に人体の限界を超えた膂力を発揮したためか、その代償として、筋肉なり腱なりが傷ついてしまったのだろう。
「アリガト」
「どういたしまして」
レアが素直にお礼を言った。
実際、彼女も九死に一生を得た思いだろう。俺だって、今回はなぜ勝てたかさえわからないほどだ。
「お。あれって、レアドロップ?」
「ウン」
後に残されたのは、デジルが溶解液を発射していた筒にあたる部分だ。まるでドラえもんの空気砲みたいな形だな。使い道があるかどうかは知らないが。
「ごめん、俺動けないや。レア、拾ってもらっていい? そしたら、マーのところまで戻ろう」
「ワカッタ」
身体が痛いだけじゃなくて、動けない。力がまったくといっていいほど入らない。
しばらくはここで休むしかなさそうだ。俺は地面に大の字に突っ伏す。レアはそんな俺を、屈んで見つめる。
それから三十分ほど、俺の回復をまってレアと会話をしていた。
徐々にレアとも普通に会話できるようになってきた。俺の存在に慣れてきたからだろうか。俺の方も、彼女に対して戦友みたいな気持ちも湧いてきている。
悪魔族の下っ端とはいえ、デジルはまごうことなき強敵だった。俺とレアはともに戦い、何とかその強敵を退けた。修羅場を潜った経験が、二人の心理的な距離を近づけたのだろう。
あとは戻ってマーに報告するだけだ。さすがのマーも認めてくれるだろう。
2023年のGWより投稿開始。GWは毎日、その後は週一ペースでの投稿予定。
まともな長編小説は初投稿です。ブックマーク、評価★や感想などいただけると幸いです。