1.03
一か月が経った。
俺はチーターになるリミットとされる二十歳の誕生日を迎えた。ただし、チーターとしてだ。
チーターは一般に常人離れした治癒能力を持つ。あの日、ボロボロの状態でダンジョンから生還した俺は、常人ならば致命傷だったが、たったの二十日間で完治してしまった。折れたどころか粉々になっていた骨の癒合も含めてたったの二十日間だ。その間、人生最大の食欲に襲われ、食ったら寝る、食ったら寝るを病院の固定ベッドで繰り返していただけである。
それからの十日間は、発現したチーターとしての能力をテストするための検査入院の期間だった。チーターはチートと呼ばれる特殊能力を持つ。チートは個々人によって異なるため、俺のチートが何なのかを調べることが検査の目的だ。
検査の結果、俺のチートは未発現ということが明らかになった。すなわち、俺はチーターとしての驚異的な身体能力は得たが、チートという特殊能力は得ていないということだ。過去に例がないわけじゃないが、大変珍しいそうで、この状態を半覚醒というらしい。
これは何も悲観するべきことじゃない。
二十歳を過ぎたとはいえ、これからの行動次第で、半覚醒状態から完全な覚醒状態になる可能性もあるし、半覚醒ということは、覚醒すればさらに強くなるということだからだ。チーターは基本的に覚醒してしまえば、それ以上は極端に身体能力が上がったり新たなチートに目覚めたりすることはない。それと比べれば、強くなる可能性を残している半覚醒は歓迎すべき状態ともいえる。
ちなみにチーターは、ダンジョン等で修練を積むことが多いが、それは身体能力のアップではなく、主にチーターとしての戦い方を学ぶためのものだ。身体能力は変わらなくても、戦い慣れている方が強いのは当然だ。
そんなこんなで一か月が過ぎて。本日、めでたく退院すると。
「やあジロー。元気になった?」
「一週間くらい前には完治してました。健康そのものです」
病院のエントランスに、ビーが待っていた。あのとき、俺がナイフで切ってしまったからか、自慢のポニーテールが少々短くなっていた。
ビーとは元々退院したタイミングで会う予定だったのだ。なにやら退院祝いに良いところに連れて行ってあげるとのことだ。
「ジロー、あのときはごめん」
「ごめんって……」
殺されかけたというか、ほぼ殺されたようなものだ。謝られても許せるようなものではない。しかし、あのときのビーの行動が何を目的としていたか。今ではおぼろげながらわかっている。
あのときビーは、俺を完全なチーターにするために発破をかけていたのだ。ダンジョンの入り口に戻ってきた瀕死状態の俺は、まさにチートに覚醒する一歩手前の不安定な状況にあった。そこでチーターとして完全に覚醒させるために、俺に戦いを挑むという荒療治をしたわけだ。その結果、半覚醒状態までは導くことができたのだから、あながち間違った行為ともいえない。
「いろいろ思うことはありますが、あのとき、ビーさんがしたかったことは理解できてますよ。チーターになりたいと言ったのは俺自身ですから。だから、もう気にしないでください」
俺は許す許さないというより、納得してしまっている。だからビーに対する怒りなど、まったく湧いてこない。
「そっか。ありがと」
「こちらこそ、ありがとうございます。おかげさまで、はれてチーターになれました」
俺が笑いかけると、ビーはポンと肩を叩いてくる。
「ジロー。もうチーターになったんだから、敬語はいらない。私のこともビーでいいよ」
「そうです……いや、そうか。わかった」
ビーは誰に対してもフランクなタイプか。年齢は向こうが少し上か、いや意外と同じくらいかも。
「じゃあジロー。これから私がジローを良いところに連れて行ってあげる」
「良いところって?」
ビーは俺の質問に答えず、俺の手を引くとそのままハイヤーの後部座席に乗せた。ダンジョンに連れていかれたときと同じ展開だ。余談だが、チーターはハイヤーで移動することが多い。
久しぶりに外の世界を眺めると、妙に輝いて見えた。
「気付かなかった。もう寒さは和らいできてたんですね」
春めいてきた三月上旬、天気は快晴。俺は車窓から、新鮮な気持ちで武蔵の街並みを眺めていた。
「着いたよ、ここがウチのアジト」
二十分ほどそうしていると、車は武蔵の市街地にある真っ黒のビル一棟の前で停まった。四階建て、目立って大きなビルではないが、紫のネオンサインの看板しかなく、非常に怪しげな印象を受ける。
「ウチ?」
「知ってるでしょ。私はシャークスマイルっていうクランにいるの。ほら、これ」
ビーは自分の胸元を指さす。彼女の着るパーカーには、胸に大きく口を開けた鮫の顔がプリントされている。シャークスマイルというクランのロゴマークだ。
「ああ、そういうことか」
どうやら彼女が連れてきてくれた良いところとは、所属クランのアジトのことらしい。
――実際、ありがたいっちゃありがたいな。
チーターは、基本的に一匹狼として行動する者はまれで、そのほとんどがクランという組織に所属する。クランはチーターが集う結社のようなもので、国の政治に大きな影響力を持つ。
特にこの武蔵はクランによる共和制を敷いており、国を代表する十三のクランからそれぞれ一名を執政官として輩出し、彼らの合議制により政治を行っている。シャークスマイルもその十三のトップクランの内の一つだ。
「ジローはこの国のクランにツテがないでしょ。紹介してあげようかと思って」
「そうだね、ありがたい」
ビーには俺の身の上をある程度話してある。江戸生まれ江戸育ちで、まだ武蔵に来て二年程度だから、この国にはチーターの知り合いなど誰一人いない。たしかに一から所属クランを探すのは大変だから、紹介してもらえるのはありがたいことだ。
「でもシャークスマイルって、トップクランの中でも敷居が高いというか、少数精鋭なイメージあるんだけど。入れるの?」
「そのイメージで合ってるよ。でもまあ、ジローの実力なら何とかなるでしょ」
「本当かなあ」
どうやら俺はビーにかなり見込まれているな。洞窟前での戦いは、本当に死に物狂いだったから、今あれと同じパフォーマンスができるかというとあまり自信がないんだが。
「とりあえずウチのボスに会ってみて」
「わかった」
正面エントランスからビルに入る。一階は思いのほかガランとしており、受付と、クロークという手荷物やコートを預かるスペースと、ソファーがいくつかあるだけだ。ラウンジってことか。
「これってどういうビル? 一階に何もないけど」
「ああ、ここのメインは地下なの。後で行くから楽しみに待ってて。一階は地下に行く人が荷物預けるだけのとこ」
そういって、ビーはエレベーターに乗り込む。俺も後をついていく。エレベーターで四階に移動する。
「ここが事務所。といっても、別に仕事してるわけじゃないけど」
パッと見はただの事務所。オフィスデスクにパソコンが数台あって、応接セットっぽいものがあるだけ。珍しいのは、部屋の隅に謎の金属棒が二本突き出ていることくらいだろうか。
「なんだビー。大層な口をききやがって」
奥から嗄れた野太い声が聞こえる。
「彼がイージ。ウチのボス。武蔵を統べる十三人の執政官一人」
「イージ。この人が……」
超有名人だ。チーターは概して地元の有名人だが、執政官ともなると、別のレベルで有名だ。雲の上の人というイメージ。
「ああ、俺がイージだ。おまえさん、名前は?」
「ジロー。小清水ジローといいます」
イージは年の功は三十代の色白スキンヘッド。あごひげを蓄えていて、瞳の色は紫色だった。ごついガタイに派手なストライプのスーツを着込んでいて、見るからにカタギではなさそうな男だ。執政官ということを知らなくても、物凄い威圧感を放っていて、近寄りがたい。
「そうか、ビーから話は聞いていたが、おまえさんがジローか。俺はイージ。シャークスマイルの実質的なリーダーをやっている」
「実質的?」
「ああ、そうだ。厳密にはシャークスマイルのリーダーは別にいるんだが、そいつは何もしねえから代わりに全部やってるってことだ。まあその辺はおいおいな」
「なるほど」
「実際、俺だってリーダーっつっても大したことはやってねえな。確かにビーのいう通り、経営とかそっち系は普通の奴に任せてるからな。ただ、荒事となれば、一番強いチーターが仕切らなきゃならんだろう、そこだけはビッとやってるぜ」
「そうですか」
クラン同士は抗争をすることがある。そのときの陣頭指揮をとるのがリーダーとしての務めだ。イージは政治家というより、武闘派のチーターをまとめるリーダーなのか。
「話はビーから聞いてるぜ。おまえさん、つい最近チーターになったんだってな。所属クランにあてはあんのか?」
「いえ、ありません。そもそも江戸から逃げてきた身で、知り合いもほとんどいないくらいです」
「そうなんだ、イージ」
ビーが話に割り込んでくる。
「ジローをウチで引き受けてよ。ジローは強いし、ウチのメンバーとしても十分やっていけるって」
「本当かよ」
「本当だって。たぶん、ジローは私と互角くらい。うん、本当に。それぐらい強いから」
「そこまでか……。ならいい。おまえさんさえ望むなら、ウチで面倒みようじゃねえか」
トントン拍子に話が進む。だけど、
「イージさん。申し訳ないんですが、クランに入るって話は少し考えさせてもらえませんか。俺、チーターになって日が浅いというか、なったばかりで、しかもよそ者なんで。この国にどんなクランがあるかもよくしらなくて」
「ほう」
心外だったのか、イージは眉根を寄せて言う。
「おまえさん、じゃあどういうクランに入りてえんだ」
「そうですね、俺はチーターとして最強になろうと思ってて。この国だけじゃなくて列島の最強に。それを目指すってことは、どうしても他の国とやり合うことになると思うんです。だから、この国で最強のクランに入っておきたいんです」
俺が堂々とのたまうと、イージは口を開けて豪快に笑う。
「あー、わかったよ。そういう熱い志があるんなら構わねえ。当面はシャークスマイルの客分扱いって形にするか。ビーとツーマンセルで動いて、チーターとしての生き方に慣れてもらうってんでどうだ。そんでウチのクランが最強かどうか存分に見定めてくれよ」
「ありがとうございます」
「もしウチがおまえさんのお眼鏡に適って、こっちもおまえさんのことを見込みがあると思ったんなら、正式にウチのメンバーになるってことでどうだ?」
「ええ、それでお願いします」
「ビーもそれで構わねえよな?」
「もちろん」
あっさりと所属クランが決まってしまった。
概してチーターになり立ての期間は、いろんな勢力に狙われやすいらしく、危険とのことだ。まだ身体が慣れていないところにベテランチーターや、チーターじゃなくても武装した集団に襲われて殺される、なんてケースがあるそうだ。
そういう意味では、シャークスマイルという強力な後ろ盾がついたことと、有名チーターであるビーと一緒に動けるのは心強い。ただ、ビーの日常がバイオレンスに満ちているっぽいのが不安だが。
「だがよ、ジロー。おまえさんに一つ忠告しておくぜ」
イージが目を輝かせる。
「甘くみるんじゃねえぞ。シャークスマイルは、この国どころか、列島で最強のクランだ」
その声音は、自信に満ち満ちている。どうやら冗談じゃなく、列島最強と信じ込んでいるらしい。さすがはイージ、この国を統べる十三人の執政官の一人、ド迫力だ。俺は思わずつばを飲む。
「……すごく言いにくいんですが、一つだけお伝えしておくことがあります」
「なんだ?」
「実はまだ、俺、ちゃんとチートが覚醒してないんです。半覚醒というらしいんですが、力はチーター並でもチートがないという状態です。だからまだ、現時点ではそれほど力になれないかもしれません」
「おう、わかった。だけどよ、おもしろいじゃねえか。半覚醒ってのは、言い換えればもっと強くなる可能性があるってことだろう。最強を目指すってんなら好都合じゃねえか」
「ええ、そう思っています。とにかく、客分という立場ではありますが、シャークスマイルのために戦いますので、これからよろしくお願いします」
頭を下げると、イージは一瞬、意外そうに眉を持ち上げた。どこか言葉に引っかかった様子だ。だが、すぐに飄々とした態度に戻り、俺に拳を差し出す。
「まあいきなり戦力として期待しちゃいねえよ。よろしくな、ジロー」
「はい」
ガッチリと拳を突き合わせる。シャークスマイルはこういうスタイルのあいさつを好むらしい。
ビーが俺に話しかけてくる。
「じゃあジロー。早速、下に行くよ。他のみんなにも紹介したいし」
「下?」
「このビルの地下。ビルの地下はクラブになってて、仲間の多くはそこにいるからさ」
「そうなんだ、クラブか。それでクロークが一階にあったのか」
「そういうこと。でもってね」ビーは事務所の隅に移動し、さっきから気になっていた金属のポールを掴む。「これで地下まで行けるの」
たしかに人が悠々と通れるような穴が空いていて、そこに二本のポールが突っ立っている。最初からなんだろうと思って気にはなっていたが、まさか移動手段とは。
「ああ、これって消防署とかにあるやつだったのか。早く地下まで下りられるっていう」
「そういうこと、あとチーターなら昇るのもエレベーターより速いからさ」
「え……いや、そうかも」
普通の人なら、金属棒で一階から四階までよじ登るのは、相当時間がかかるだろう。しかしチーターなら、あっという間に上がれそうだ。もしかしたら垂直飛びだけで三階くらいまで跳べるのかもしれない。
「じゃ、私から地下に行くよ」
そう言い残して、ビーは一気に穴を飛び降りた。ポールも掴まずに。
「ええええ、ただ飛び降りるだけって」
普通の人なら飛び降りは自殺手段だが、チーターにとっては移動手段なのか。信じられない。
俺はビーの後を追い、ポールを股に挟んだ状態で下までスルスル降りた。さすがにビーみたいに飛び降りる勇気はない。
そして地下のクラブに到着。
薄暗い部屋に、色を変えながらぐるぐる回る照明。薄っすらと香を焚いているのか、一面に妖しげな匂いと煙が立ち込めている。音楽はそれほどうるさくなく、オーセンティックなジャズが流れている。まだ本格的な営業の前なのだろう。
そんなに大きなフロアーじゃないが、全部で二、三百人は入りそうだ。中央にはなぜか立派なリングがあった。ボクシングでもするんだろうか。
まだ日の入りまで時間があるからか、客は全部で百人いかないくらいだろうか。
「へー、ここがシャークスマイルの運営するクラブか」
「うん。名前は『スマイル』っていうんだけどね。別にシャークスマイルの関係者以外でも入れる、普通に営業してるクラブなんだ」
「なるほど、わりと本格的なクラブだ。おっ、バーもある」
「そう。どこにでもあるようなものしか飲めないけどね。その辺りは江戸の盛り場にあるクラブとは違うのかもね。私は行ったことないけど」
「ビーはずっと武蔵にいるの?」
「そう。生まれも育ちもここだね。あ、そうだ。ジローもちょうど二十歳になったことだし、なんか飲んだら。私なんか持ってくるよ」
「え、いいよ」
俺は拒否するが、軽く無視される。
ビーはすぐさまバーに行き、何かを注文すると、二つのプラカップを手にして戻ってくる。当然のようにお金は払っていない。所属チーターならタダなのだろう。
「ほら、普通のビール」
「ありがと」
「じゃあジローがチーターになったのと、シャークスマイルに入ったのと、二十歳になったのに――乾杯」
「乾杯」
軽くカップを合わせると、一口飲む。泡はきめ細かくて美味しく感じたが、飲み慣れていないためか、ビールそのものは苦い。
「どう、二十歳になって飲んだビールの味は」
「うーん、なんとも……。これがそのうちうまくなるって本当かよって感じかなあ」
「まあそんなもんね」
ビーは一息でカップのビールを全部飲んでしまった。やはりこの辺りも豪快だ。
「ここにいるお客さんってどんな人たちなの」
「シャークスマイルのメンバーだったり、それをサポートしている人だったり、まったく関係ない人だったり、色々」
「じゃあ本当のクラブでもあるんだ」
「そう。でも探せばいつだってどこかしらにメンバーはいるかな――ほら、例えばあそこに金髪の女子がいるでしょ」
「いるね」
「あの子がレアっていう子。れっきとした女子高生でもあるんだけどさ、実はめちゃくちゃ強いチーターでもあるんだ。ちょっと話しかけてきたら?」
ビーが視線で促した先には、一人の制服女子の姿があった。高校の制服を改造したみたいなアイドル系のファッションで、金髪のボブカット。制服の片腕部分だけ切り取られているのは謎だ。病んでるイメージか?
妙に無表情で、金色の瞳が鋭く輝くのを除けば、基本的には人形のようにかわいらしい女の子だ。あんな子がたった一人でクラブに入っていいんだろうかって思うくらい。
「話しかけるって?」
「ほら、新たにシャークスマイルの客分になったジローです、とか自己紹介すればいいじゃん」
そりゃそうだ。いくら年下とはいえ、クランの先輩チーターであることは事実なんだから、見かけたら挨拶くらいはしておくべきだろう。
俺は金髪の女子に近づいて、「すいませーん」と声をかける。無視される。声が音楽にかき消されて聞こえなかったのかなと思い、耳元まで近づいて「すいませーん」と再び声をかける。無視される。なんで?
「すいませーん。レアさんですよね。今度から新しくシャークスマイルの客分になったジローというものです」
今度は視界を遮るように、真正面に立って話し始めるが、それでも無視を貫いてくる。完全に目が合っているのに、だ。どういうこと? まさかこの子、目が見えなくて声も聞こえないとか?
しっかし、大きな目だなあ。あ、瞬きした。
「あのー、俺、何か失礼なことでもしましたか?」
まったく反応はない。時間にして十秒近く粘ったが、
「……失礼します」
埒が明かん。俺はまったく相手にされずそそくさと退散し、ビーのところに戻る。ビーはなぜだかゲラゲラ笑ってる。
「まったく相手にされなかった」
「やっぱそうか。そりゃそうだ」
そう言ってビーは笑う。
「あの人、盲目だったり聾唖だったりする?」
「いやそんなことはなくってね。話す人とは話すんだけどさ、キミとは話さないってさ。ていうのも――」
にんまりとした表情でいう。
「あの子、基本的に女相手だとちゃんと話すんだけどさ、男は美形としか話さないんだ」
「なにそれ、そのえらく極端な生き方は」
ってことはつまり、俺が美形扱いされなかったからビーは笑ってたってことか。なるほどね、まあいいけどさ。
「変わった子だ」
「基本的にチーターはそんな奴が多いよ。にしても、ウチは特にそうかもね」
「シャークスマイルってどれくらいチーターがいるの」
「十人くらいだね。基本方針は一騎当千っていうか、力のないチーターは本人が希望しても所属できないから、数は絞ってるみたい」
「でも数の割に影響力は大きいよね」
「うん。下手したら武蔵で一番かも」
「少数精鋭なイメージは、一般人の俺でさえ持ってたもんなあ」
「ま、ジローなら十分そこに入っていけるからさ。心配しなくていいよ」
「本当かなあ? 俺、そんなに強くなった気がしないんだけど。ダンジョンだって、短い時間で何度も殺されかけたし」
「今ならきっと楽勝だよ」
「どうかなあ……」
ビーは随分と俺のことを買い被っているようだ。俺自身は、確かにチーターになったことはなったのだが、それほど強くなったという実感がない。凡百のチーターにあっさり負ける程度の実力な気がしている。
それから一時間ほど。たまに現れるシャークスマイルのチーターにあいさつしたりされたり。スクリュードライバーとかモスコミュールを飲んだり奢ったり。途中でクランの頭領であるイージもフロアーに降りてきた。
クラブというわりに激しいダンスチューンがかかったりはせず、終始ゆったりとしたラウンジのような空間で、それはそれで気に入っていた。
だが。
「れでぃーすえーんどじぇんとるめーん、大変長らくおまたせしましたー!」
舌足らずな女の子の声が響き渡ると、一気にリングがライトアップされる。
「それでは本日のメインイベントー。シャークスマイル新メンバー、小清水ジローさんの歓迎会、兼、二十歳の誕生祝賀会を開催したいとおもいまーす!」
会場から拍手が送られ、俺にスポットライトが当たる。隣をみると、ビーがニヤニヤ笑っている。これっていわゆるサプライズイベント的なやつか。
「ほらジロー。リングに上がってあいさつしてきなよ」
ビーに促されて、俺は渋々とリングに向かう。こういう誕生日サプライズみたいな世界観と無縁だったせいか、こっぱずかしいどころか、普通に不安しか感じない。
「それではー、ジロー選手に今のお気持ちをきいてみましょー」
進行役の女の子はさっき紹介されたチーターだった。名前はなんていったっけな、シンディだったか。銀髪のスレンダーな女子。アイドル然としたルックスだ。
リングに上がると、俺はマイクを渡される。なんだかあいさつをしなきゃいけないらしいな。
「ええと、この度シャークスマイルの客分になったジローといいます。一か月前にチーターになったばかりで、本当の新参者で新米でペーペーです。微力ですがクランのお役に立ちたいと思ってますんで、今後ともよろしくお願いします」
精一杯ていねいなあいさつを心がける。全力で無難に徹すれば、なんかこいつつまんねーと思われて、いち早く興味がヨソに移るだろう。
「いやー違いますー。そういうんじゃなくてー、これから戦う上での意気込みを教えてくださーい」
「へ?」
これから戦う?
「どういうことです? 俺ってこれから戦うんですか?」
「その通りでーす。シャークスマイルの鉄則でー、新メンバーは必ずお披露目の際にメンバーの誰かと対戦することになってまーす」
満面の笑みで答える進行役のシンディ。
おいおいおい、聞いてないぞ。今から誰かと戦うなんて。何ならちょっと酒ものんじゃったし、まともに動けるのか。
ビーの方をみると、がんばってという形に口が動く。この野郎、隠してやがったな。
どうやらやるしかないらしい。
「それでは紹介しましょー、今回対戦するのはー、この人でーす」
スポットライトが切り替わる。気づかないうちに、青コーナーには先ほどの無口な金髪美少女、レアが立っていた。
「……」
会場からは大歓声が沸き起こる。どうやらレアは大人気らしい。確かに彼女も地下アイドル的なルックスしているけどさ。
だが、割れんばかりの声援にも彼女は微動だにしない。服装は先ほどと同じ、制服もどき。ただし片腕だけ切り取られている。履いているのはローファーか。およそこれから戦おうという出で立ちじゃない。
「ジロー、レアの異名は教えたっけ。鉄腕のレア。彼女のチートは鉄腕と呼ばれる腕力の超強化。機動力はいまいちだけど、利き腕の左から放たれるパンチは強力よ! とりあえず動きまわって攪乱することね」
赤コーナーのセコンドについたビーからアドバイスが飛ぶと、
「うるさいなー、外野は黙ってて!」
すぐさまレアが反応する。あ、この子本当に話せるんだ。しかも何ならビーとも仲悪そうだし。
「鉄腕のレア、か」
いわれてみれば聞いたことあるな。シャークスマイルのチーターは有名人ばかりだから、イージやビーほどじゃないけど、レアという名前くらいなら一般人の頃から知っている。まさかこうしてリングで向かい合う日が来るとは。
急転直下の展開だが、少しずつ闘志が湧いてくる。
「名高いシャークスマイルともなれば、穏便に加入できるわけないと思ってましたよ、正直。どっちみちチーターとして生きるんなら、バトルは避けられないし。ちょっとびっくりしたけど、もう大丈夫です。やりますよ」
チーターとして成り上がると決めたんだ。相手が一線級のチーターだからといって、引くわけにはいかない。やってやる。
「審判はいつも通りー、イージさんでーす」
拍手とともに、白黒ストライプのシャツに着替えたイージが現れる。アクセントとして付けた蝶ネクタイのフォーマルな感じが、妙にサマになっている。確かにクラン最強とされるイージが審判としてリング上にいるのが、一番安心かもしれない。
イージが俺に笑いながら語りかける。
「隠して悪かったな、ジロー。だけどこれが俺たちの掟なんだ、一発かましてくれや。レアも急なお願いなのに、相手を引き受けてもらって申し訳ねえ。おまえさんとぶつけてほしいって、ビーの奴からたってのお願いがあってな。文句はビーにいってくれ」
「……」
あ、イージも無視されてる。そうか、この子はイケメンとしか話さないんだったな。女子高生にとってスキンヘッドのおじさんは論外なのか。クランのリーダーとか関係なしに。憐れ、イージ。
「ともかくクリーンファイトで頼むぜ、二人とも」
イージが豪快に笑う。
クリーンて、そもそもがどんな格闘技やねん。イージが放った一言に、理解に苦しむとばかりにかぶりを振った。
――ともあれ、試合に集中だ。
俺は赤コーナーまで下がり、上着と靴を脱いで身軽になる。チーターが全力で動くと、服なんてすぐに破れてしまうから、あらかじめ脱いでしまうのが得策だ。
目をつむる。時間をかけ、深呼吸を一回。
「わかりました。じゃあ、やりましょう」
「……」
「それでははじめてくださーい」
進行役のシンディがその言葉とともにリングを下りると、ゴングがカーンと小気味よい金属音を立てた。
瞬間、俺はレアの右手側に回り込む。
「そうそう、それでいい! ある程度距離をおいて、相手の死角から攻撃仕掛けて」
セコンドのビーが指示を送ってくれる。どうやら本当に有益なアドバイスっぽいので、その通りに動く。
「……」
レアが首をぐるっと回す。関節が柔らかいのか、人並み以上に回るな。プラチナブロンドのボブカットが、フワリとなびく。
そして次の瞬間、レアの左腕が冗談みたいな大きさに膨らんだ。
「でたー! レア選手のチート、鉄腕だー!」
レア本体と同じくらいの大きさに左腕が膨らみ、しかも黒色で金属光沢を放っている。片腕だけが巨大ロボのようにアンバランスな状態。
なんてことだ、鉄腕って文字通りの意味だったんか。アトムも真っ青の鉄腕っぷりだ。あれで殴られたら半端じゃ済まないだろう。どうでもいいけど、服の片腕が切り取られていたのもそういうことか。
俺は警戒を強めて、鉄腕を喰らわないように立ち回ることを決める。つまり、フットワークで翻弄すればいい。全力で駆け回ってやる。
一定の距離をおいて全力で旋回する。ボクシングでサークリングと呼ばれる動きだ。
「……ついてきてるな」
だが、レアは即座に身体や首を回して俺を視界に収めてくる。一向に死角に入れず、互いに目が回ってしまうだけだ。これじゃあ埒が明かない。
「しゃあない、行くか」
俺は痺れを切らし、こちらから接近し、レアの右わき腹めがけて左ボディーを叩きこもうとする。が、甘かった。レアにあっさりと右腕に捕まれる。右腕は鉄腕でも何でもない、ただの女子高生の細腕なのに、なんという腕力だ。
「おーっと! レア選手、右腕でジロー選手の腕をつかんだー!」
振り解けない。掴まれたが最後、パンチの軌道もすぐにストップされてしまう。とんでもない馬鹿力だ。鉄腕ってのは、あの左腕がすごいってことじゃなくて、彼女自体が怪力ってことなのか。マンガのキャラ並の握力じゃねえか。焦る。
「まずいよジロー、鉄腕がくる! 距離をとって!」
ビーが指示を送るが、がっちりと腕を掴まれていて、どうしても振り解けない。レアはゆっくりと鉄腕を振り被り、俺に向けて巨大な鋼鉄の拳を振るってきた。
「ぐああああああああっ」
掴まれていない右腕でなんとかガードするも、かの鉄腕が片腕ごときで止まるはずもない。
鉄腕は、俺の腕の骨をへし折り、あばら骨を砕く。全身に衝撃が伝わると、俺はそのままロープまで吹き飛ばされた。ロープを目いっぱいしならせて、今度はその反動でリングの中央まで飛ばされると、そのままマットに沈み込んだ。
「ダウーン!」
観客がどよめく。レアの代名詞らしい鉄腕の強烈な一撃に、悲鳴まじりの歓声が沸く。
「ワーン、ツー……」
痛みより先に、意識が途切れそうになる。気絶を必死にこらえる。
右腕は折れていて、明らかに使い物にならない。砕けたあばら骨が内臓を傷つけたかもしれない。チーターじゃなければ、間違いなく致命傷といっていい状態だ。チーターであっても重傷。
これがシャークスマイルの精鋭。これが鉄腕のレア、まさに一撃必殺だ。
「ジロー、起きて!」
……カウント、か。
そうか、これはダウンをとる格闘技だったのか。何カウントでノックダウンか知らないが、今俺はダウンしているからレアは手が出せないわけだな。少しずつ意識がクリアになっていく。
「ファーイブ、シーックス……」
猛烈な痛みが全身を覆う。いくらチーターに痛覚耐性があるとはいえ、痛いものは痛い。
今の一瞬ではっきりわかった。
正直、実力差がありすぎる。
俺みたいな新米の半覚醒チーターじゃ、鉄腕レアに敵うわけがない。確かにビーも、レアはめちゃくちゃ強いといっていたが、想定以上だ。あのかわいい見た目に騙されたらいけない。こいつ、超弩級のチーターだ。
あの腕から逃れる術はあるのか。ちょっと思いつかない。好転の目があるわけでもなし、このまま起きても勝ち目は薄い。このままマットに沈んでしまうのも、悪くない。
――だけど、
「セブーン、エーイト……」
起きないわけにはいかない。だって俺は、チーターとして成り上がると決めたんだから。ここでおとなしく寝ているような臆病者なら、あのとき、ビーにでかい口叩く資格なんてなかった。最強を目指すってんなら、こんな逆境でも立ち上がらなくちゃいけない。示しがつかない。やるしか、ない。
「大丈夫。じゃあ……続きを」
俺は何とか立ち上がり、ファイティングポーズをとる。観客から割れんばかりの拍手が送られる。審判役のイージも一瞬、呆気にとられるが、すぐさま試合の続行を合図する。
「なあレア。一つだけ約束してくれないか」
「……」
俺は突然、彼女に向けて語り掛ける。
「もし俺がこのバトルに勝ったら、無視するのはやめてくれ。俺と、口を聞いてくれないか」
「……」
気障なような情けないような。何とも奇妙なセリフだ。だが、なぜだかレアのつぶらな瞳が、俺に向けて大きく見開かれた。イージが破顔して審判だというのに腹を抱えて笑う。
「おおーっと、なんということでしょー。ジロー選手、立ち上がって試合続行となりましたー。なんならついでにレア選手を口説く余裕をみせていまーす! この新人はメンタルお化けかー、ものすごい胆力だー!」
シンディの煽りに、観客も沸いている。危険な状況だが、なんだか心地よく感じてきた。
「じゃあ、いくぞ」
片腕が使えない。掴まれたら終わり。この状況で、もっともレアに掴まれにくい攻撃手段は何か。言うまでもない、これだ。ほとんどすべての人類にとって、奥の手となるであろう技。
俺は全力で突進し、眼前でジャンプ。
レアの顔面目掛けて渾身の頭突きを食らわせる。瞬間、レアは両腕で俺を食い止めようとする。動きがスローモーションになる。俺の脳天がレアの顔面を捉えるのが先か、それともレアの両腕が俺の胴体を捉えるのが先か。
「いっけー!」
ビーが声援を送る。
直後、激突。
間一髪のところで、俺の脳天が先にレアの顎先にぶつかった。ものすごい衝撃が走り、レアの軽い身体は紙切れのように後方に吹き飛んでいく。そのまま青コーナーのポストに衝突し、崩れ落ちた。俺自身も勢い止まらず、レアのぶつかったポストに突っ込んでいく。
レアが倒れるポストに追突し、床に倒れ伏す。
両者ともにダウン。
ぶつかった衝撃が強すぎて、俺も身体をまともに動かせない。一方のレアは、完全に脳が揺れたのか、意識が飛んでしまっている。
レアが白目を剥いて倒れたところに、ちょうど俺の身体がのしかかる形になってしまった。
あ、この体勢はちょっと。
「……」
その刹那、時が止まったかのような静寂が訪れる。
「……やば」
「両者、ダウーン! いや、レア選手ノックアウト―!」
カンカンカーンとリングが何度も鳴らされる。観客は大盛り上がりだ。どうも俺は勝ったらしい。が、いや、なんというか。独特の間の悪さが。
「変態! 今すぐそこをどきなさい!」
ビーが俺に向かって怒鳴り散らしながら、リングに乱入してきた。レアに覆いかぶさっている俺を蹴っ飛ばし、無理やり引きはがす。その狼藉を見かねて、イージがビーを抑え込む。なんだかもう、めちゃくちゃだ。
「別に狙って覆いかぶさったわけじゃない。偶然だろ、そんなにしなくたって」
俺はビーに全力で抗議する。片腕が骨折していて、起き上がるのもしんどい状態だ。
そんな中、進行役のシンディが俺の片腕を掴み上げ、マイクで高らかに宣言する。
「勝者――小清水、ジロー!」
観客は戦った双方に盛大な拍手とシュプレヒコールを贈る。短期決戦ではあったが、番狂わせの大逆転もあって、見どころたっぷりだったのだろう。シャークスマイル。噂に違わないめちゃくちゃな連中で、とてもじゃないがついていける自信がない。今日一日引っ掻き回されて。
俺はもう、意識が遠のきつつあった。
ともあれ。
チーターとしてのデビュー初日、シャークスマイルの強豪、鉄腕のレアを倒したことで、俺の名声は一気に高まったのだった。
2023年のGWより投稿開始。GWは毎日、その後は週一ペースでの投稿予定。
まともな長編小説は初投稿です。ブックマーク、評価★や感想などいただけると幸いです。